正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

十二巻本 第六「帰依仏法僧宝」を読み解く   二谷正信

   十二巻本 第六「帰依仏法僧宝」を読み解く

                            二谷正信

   一

 禪苑清規曰、敬佛法僧否。一百二十門第一

 あきらかにしりぬ、西天東土、佛祖正傳するところは、恭敬佛法僧なり。歸依せざれば恭敬せず、恭敬せざれば歸依すべからず。この歸依佛法僧の功徳、かならず感應道交するとき成就するなり。たとひ天上人間、地獄鬼畜なりといへども、感應道交すれば、かならず歸依したてまつるなり。すでに歸依したてまつるがごときは、世々生々、在々處々に増長し、かならず積功累徳し、阿耨多羅三藐三菩提を成就するなり。おのづから惡友にひかれ、魔障にあふて、しばらく斷善根となり、一闡提となれども、つひには續善根し、その功徳増長するなり。歸依三寶の功徳、つひに不朽なり。

 その歸依三寶とは、まさに淨信をもはらにして、あるいは如來現在世にもあれ、あるいは如來滅後にもあれ、合掌し低頭して、口にとなへていはく、

  我某甲、今身より佛身にいたるまで、

  歸依佛、歸依法、歸依僧。

  歸依佛兩足尊、歸依法離欲尊、歸依僧衆中尊。

  歸依佛竟、歸依法竟、歸依僧竟。

 はるかに佛果菩提をこゝろざして、かくのごとく僧那を始發するなり。しかあればすなはち、身心いまも刹那刹那に生滅すといへども、法身かならず長養して、菩提を成就するなり。

 いはゆる歸依とは、歸は歸投なり、依は依伏なり。このゆゑに歸依といふ。歸投の相は、たとへば子の父に歸するがごとし。依伏は、たとへば民の王に依するがごとし。いはゆる救濟の言なり。佛はこれ大師なるがゆゑに歸依す、法は良藥なるがゆゑに歸依す、僧は勝友なるがゆゑに歸依す。

 問、何故、偏歸此三。答、以此三種畢竟歸處、能令衆生出離生死、證大菩提故歸。此三、畢竟不可思議功徳なり。

 佛、西天には佛陀耶と稱ず、震旦には覺と翻ず。無上正等覺なり。

 法は西天には達磨と稱ず、また曇無と稱ず。梵音の不同なり。震旦には法と翻ず。一切の善惡無記の法、ともに法と稱ずといへども、いま三寶のなかの歸依するところの法は、軌則の法なり。

 僧は西天には僧伽と稱ず、震旦には和合衆と翻ず。

 かくのごとく稱讚しきたれり。

 

「禅苑清規曰、敬仏法僧否。一百二十門第一」

これは『禅苑清規』八「一百二十問敬仏法僧否、求善知識否、発菩提心否」(「続蔵」六三・五四五b一四)からの抜書である。

「明らかに知りぬ、西天東土、仏祖正伝する処は、恭敬仏法僧なり。帰依せざれば恭敬せず、恭敬せざれば帰依すべからず。この帰依仏法僧の功徳、必ず感応道交する時成就するなり。たとひ天上人間、地獄鬼畜なりと云へども、感応道交すれば、必ず帰依したてまつるなり。すでに帰依したてまつるが如きは、世々生々、在々処々に増長し、必ず積功累徳し、阿耨多羅三藐三菩提を成就するなり」

 この箇所は『修証義』にても取り扱われる処であるから受け入れ易いが、此処でのキーワードは「感応道交」なる語法であろう。この用法は四『発菩提心』にても「感応道交するところに、発菩提心するなり」さらに続いて「感応道交するに発心するゆゑに、自然にあらず」と記述されることから、時間を隔てず書き上げられたものとするなら聯関するのであろう。ところが、この執筆とは七年以上前の『身心学道』でも「感応道交して、菩提心をおこしてのち、仏祖の大道に帰依し、発菩提心の行李を学習するなり」(「大正蔵」八二・一五八b一四)と記すものであるが、これらの文体は似通い類似した文言と見做すならば、仁治三年(1242)に興聖寺にて示衆された『身心学道』の巻自体を十年後の永平寺丈室にて付言したと見るのは、如何なものであろう歟。

「おのづから悪友に引かれ、魔障に会ふて、しばらく断善根となり、一闡提となれども、つひには続善根し、その功徳増長するなり。帰依三宝の功徳、つひに不朽なり」

 「断善根」については『俱舎論』十七では「諸断善根由何業道、断続善相差別云何。頌日、唯邪見断善」(「大正蔵」二九・八八c一六)。「一闡提」とは、梵語icchantikaの音写語であり「断善根」と訳し、成仏に因縁性のない者を云う。「続善根」に関しては、『阿毘達磨蔵顕宗論』二十二にて「一切悪業道、皆現善相違、断諸善根。由何業道、断続善根」(「大正蔵」二九・八八一c一一)。

「その帰依三宝とは、まさに浄信をもはらにして、或いは如来現在世にもあれ、或いは如来滅後にもあれ、合掌し低頭して、口に唱へて云はく、我某甲、今身より仏身に至るまで、帰依仏、帰依法、帰依僧。帰依佛両足尊、帰依法離欲尊、帰依僧衆中尊。帰依仏竟、帰依法竟、帰依僧竟」

 『修証義』に援用される如く、文意のままに解されるが、「帰依仏・・云々」の引用典籍は『禅苑清規』八(「続蔵」六三・五四七b八)である。

「はるかに仏果菩提を志して、かくの如く僧那を始発するなり。しかあれば便ち、身心今も刹那刹那に生滅すと云へども、法身必ず長養して、菩提を成就するなり」

 肉体である「身心」は一刻たりとも止まらず動静を繰り返すが、法身としての菩提は、停滞することなく成就するのである。

「いはゆる帰依とは、帰は帰投なり、依は依伏なり。このゆゑに帰依と云ふ。帰投の相は、たとへば子の父に帰するが如し。依伏は、たとへば民の王に依するが如し。いはゆる救済の言なり。仏はこれ大師なるがゆゑに帰依す、法は良薬なるがゆゑに帰依す、僧は勝友なるがゆゑに帰依す」

 「帰依とは」の出典籍は『大乗義章』十での「言三帰者帰投依伏故曰帰依帰投之相如子帰父依伏之義如民依王如、性依勇。帰依不同随境説三、所謂帰仏帰法帰僧。依仏為師故曰帰仏憑法為薬故称帰法依僧為友故名帰僧」(「大正蔵」四四・六五四a八)

「問、何故、偏帰此三。答、以此三種畢竟帰処、能令衆生出離生死、証大菩提故帰(「同」a一二、―部「証大菩提故帰」は原「称涅槃故」)<問う、何故に、此の三は偏帰。答、此の三種は畢竟帰処にして、能く令衆生をして生死を出離し、大菩提を証すを以ての故に帰す>

「此三、畢竟不可思議功徳なり。仏、西天には仏陀耶と称ず、震旦には覚と翻ず。無上正等覚なり。法は西天には達磨と称ず、また曇無と称ず。梵音の不同なり。震旦には法と翻ず。一切の善悪無記の法、ともに法と称ずと云へども、いま三宝の中の帰依する処の法は、軌則の法なり。僧は西天には僧伽と称ず、震旦には和合衆と翻ず。かくの如く称讃しきたれり」

 この処も『大乗義章』十での「所言仏者、外国正音名為仏陀。此云覚者」(「同」a一六)次いで「所言法者、外国正音、名爲達摩亦名

曇無。本是一音伝之別耳。此翻名法」(「同」a二七)、次に「所謂一切善悪無記三聚法等、二軌則名法」(「同」a二九)、亦「所言僧者。外国正音名曰僧伽。此方翻訳名和合衆」(「同」b三)。と、このように『大乗義章』を援用してのものですが、一つ気になった文言に「法は西天には達磨、また曇無、梵音の不同なり」と記されるが、これはサンスクリット語での発音であるからである。筆者、四十年前に住したカトマンドゥに於いても、「法はダルマ」と発音するが、現地人に尋ねると、「ダ」ではなく、「ダ」と「ド」の中間的発音だと云うのである。日本語では「ダ」と「ド」の中間語は発しない為、筆者は当初その中間音には苦労した思いがある。つまり、当時翻訳に従事した人の一人は「dhama」と聞き、一人は「dhorma」と聴聞したのであり、二人とも間違いではなく、「梵音の不同」ではないのである。数週間数か月の間、現住すれば、「耳」が聞き慣れる問題である。因みにカトマンドゥではヒンディー語サンスクリット語も通用語ではあるが、在住者はネワール語の話者であり、そのネワール語では「y」の半音を求められる事もあった。

 

   二

 住持三寶

  形像塔廟、佛寶。

  黄紙朱軸所傳、法寶。

  剃髪染衣、戒法儀相、僧寶。

 化儀三寶

  釋迦牟尼世尊、佛寶。

  所轉法輪、流布聖教、法寶。

  阿若憍陳如等五人、僧寶。

 理體三寶

  五分法身、名爲佛寶。

  滅理無爲、名爲法寶。

  學無學功徳、名爲僧寶。

 一體三寶

  證理大覺、名爲佛寶。

  清淨離染、名爲法寶。

  至理和合、無擁無滯、名爲僧寶。

 かくのごとくの三寶に歸依したてまつるなり。もし薄福少徳の衆生は、三寶の名字なほきゝたてまつらざるなり。いかにいはんや歸依したてまつることえんや。

 法華經曰、

  是諸罪衆生 以惡業因縁 過阿僧祇劫 不聞三寶名

 法華經は、諸佛如來一大事の因縁なり。大師釋尊所説の諸經のなかには、法華經これ大王なり、大師なり。餘經餘法は、みなこれ法華經の臣民なり、眷屬なり。法華經中の所説これまことなり、餘經中の所説みな方便を帶せり、ほとけの本意にあらず。餘經中の説をきたして法華に比校したてまつらん、これ逆なるべし。法華の功徳力をかうぶらざれば餘經あるべからず、餘經はみな法華に歸投したてまつらんことをまつなり。この法華經のなかに、いまの説まします。しるべし、三寶の功徳、まさに最尊なり、最上なりといふこと。

 

「住持三宝。形像塔廟、仏宝。黄紙朱軸所伝、法宝。剃髪染衣、戒法儀相、僧宝」

 此処に示す出典籍は『四分律行事鈔資持記』(以下「四分律行事」と略称)中之下「住持形像、経巻、削染」(「大正蔵」四〇・二八〇a一四)<水野校注・正法眼蔵㈣・補註(259)四九三頁参照>であるが、石井修道『帰依仏法僧』考、注(28)によれば『律宗新字名句』によるものと指摘されるが、筆者、確認出来ず。

「化儀三宝釈迦牟尼世尊、仏宝。所転法輪、流布聖教、法宝。阿若憍陳如等五人、僧宝」

これも先の「四分律行事」では「化相、釈迦四諦、五俱隣也」(「同」a一四)とある。

「理体三宝。五分法身、名為仏宝。滅理無為、名為法宝。学無学功徳、名為僧宝」

これも「四分律行事」にては「五分法身、滅諦涅槃学無学功徳也」(「同」a一五)とある。

「一体三宝。証理大覚、名為仏宝。清浄離染、名為法宝。至理和合、無擁無滞、名為僧宝」

これについても「四分律行事」では「衆生心、性具覚了軌持和合義、故此局大乗」(「同」a一四)とある。

「かくの如くの三宝に帰依したてまつるなり。もし薄福少徳の衆生は、三宝の名字なほ聞きたてまつらざるなり。如何に云はんや帰依したてまつること得んや」

 三宝にも各種のランクづけが有るようだが、仏法僧の一体なる帰依三宝を説くものである。

法華経曰、是諸罪衆生 以悪業因縁 過阿僧祇劫 不聞三宝名」(「大正蔵」九・四三c一五)

 これは普段から親しまれている「如来寿量品」であるが、経文を覚えるには二種の人柄があり、羅睺(寺族)にとっては自身の生活環境が寺院であるから、音感(音楽)としての響きであろうが、晩年に至り経文を覚える者にとっては、短い偈文を修読するにも甚大な労力を要し、筆者などは文字に起し意味づけを頭で数十遍と繰り返すことで、「三宝を聞かない諸罪衆生」なるスクリーンが今でも映写されるのである。

法華経は、諸仏如来一大事の因縁なり。大師釈尊所説の諸経の中には、法華経これ大王なり、大師なり。余経余法は、皆これ法華経の臣民なり、眷属なり。法華経中の所説これまことなり、余経中の所説みな方便を帯せり、ほとけの本意にあらず」

 道元法華経信仰は有名で、その最たるものが、晩年の病気療養の為に在した覚年邸での『法華経』「如来神力品」の一節「若於園中、若於林中、若於樹下、若於僧坊、若白衣舍、若在殿堂、若山谷曠野、是中皆応起塔供養。所以者何、当知是処即是道場。諸仏於此得阿耨多羅三藐三菩提、諸仏於此転于法輪、諸仏於此而般涅槃」(「大正蔵」九・五二a二二)を読誦後に此の文面を面前の柱に書きつけた(『建撕記』河村本・八十三頁参照)という逸話であろう。

 この『法華経』援用は「旧草七十五巻」にても『海印三昧』『授記』『洗面』『見仏』等に散見し、「新草十二巻」にても『供養諸仏』にて「方便品」が援用された事情から勘案すると、生涯にわたり法華による一大事因縁を保ち続けたわけである。

 此処で云う「余経・余法」の部類としては大枠としては、華厳経阿弥陀経般若経典を示す所であろうが、『看経』にては「金剛般若経・仁王経・法華経・最勝王経・金光明経」(「大正蔵」八二・九一a二二)を列記することから、これら『金光明経』等を「余経・余法」に位置づけるものかも知れぬ。

 いま一つ気になる語法が「法華経臣民」である。これと類似語として「臣僧」なる語が宝治元年(1247)六月十日での上堂(『永平広録』〔247〕)にて使用されるが、この「臣民」なる述語も、その辺りから派生したものであろうか。

「余経中の説を来たして法華に比校したてまつらん、これ逆なるべし。法華の功徳力を蒙らざれば余経あるべからず、余経はみな法華に帰投したてまつらんことを待つなり。この法華経の中に、今の説まします。知るべし、三宝の功徳、まさに最尊なり、最上なりと云ふこと」

 概略的に各経の成立年代を見てみる。「般若」「法華」も共に紀元100年頃に成立し、「法華」は少し遅れて150年頃には成立していたとする説があるが、その年代は別にしても、『法華経』の中にすべてが収斂される、奥深さがある経典であることは間違いなかろう。

 

   三

 世尊言、

  衆人怖所逼 多歸依諸山 園苑及叢林 孤樹制多等

  此歸依非勝 此歸依非尊 不因此歸依 能解脱衆苦

  諸有歸依佛 及歸依法僧 於四聖諦中 恒以慧觀察

  知苦知苦集 知永超衆苦 知八支聖道 趣安穏涅槃

  此歸依最勝 此歸依最尊 必因此歸依 能解脱衆苦

 世尊あきらかに一切衆生のためにしめしまします。衆生いたづらに所逼をおそれて、山神鬼神等に歸依し、あるいは外道の制多に歸依することなかれ。かれはその歸依によりて衆苦を解脱することなし。おほよそ外道の邪教にしたがうて、

 牛戒鹿戒羅刹戒鬼戒瘂戒聾戒狗戒雞戒雉戒。以灰塗身、長髪爲相、以羊祠時、先呪後殺、四月事火、七日服風。百千億華供養諸天、諸所欲願、因此成就。如是等法、能爲解脱因者、無有是處。智者所不讚、唐苦無善報。

 かくのごとくなるがゆゑに、いたづらに邪道に歸せざらんこと、あきらかに甄究すべし。たとひこれらの戒にことなる法なりとも、その道理、もし孤樹制多等の道理に符合せらば、歸依することなかれ。人身うることかたし、佛法あふことまれなり。いたづらに鬼神の眷屬として一生をわたり、むなしく邪見の流類として多生をすごさん、かなしむべし。はやく佛法僧三寶に歸依したてまつりて、衆苦を解脱するのみにあらず、菩提を成就すべし。

 

「世尊言、衆人怖所逼、多帰依諸山、園苑及叢林、孤樹制多等、此帰依非勝、此帰依非尊。不因此帰依、能解脱衆苦。諸有帰依仏、及帰依法僧、於四聖諦中、恒以慧観察。知苦知苦集、知永超衆苦、知八支聖道、趣安穏涅槃。此帰依最勝、此帰依最尊。必因此帰依、能解脱衆苦」(『俱舎論』十四「大正蔵」二九・七六c二〇)<世尊言く、衆人は所逼を怖れて、多く諸山、園苑及び叢林、孤樹制多等に帰依す。此の帰依は勝に非ず、此の帰依は尊に非ず。此の帰依に因りては、能く衆苦を解脱せず。諸の仏に帰依し、及び法僧に帰依すること有るは、四聖諦の中に於て、恒に慧を以て観察し、苦を知り苦集を知り、永く衆苦を超えんことを知り、八支の聖道を知り、安穏涅槃に趣く。此の帰依は最勝なり、此の帰依は最尊なり。必ず此の帰依に因りて、能く衆苦を解脱す>

「世尊明らかに一切衆生の為に示しまします。衆生いたづらに所逼を恐れて、山神鬼神等に帰依し、あるいは外道の制多に帰依することなかれ。かれはその帰依によりて衆苦を解脱することなし。おほよそ外道の邪教にしたがうて」

 これは経文を要略したもので、『修証義』にも援用されることから、単に読み過ごしがちではあるが、いま一度字義の詳細について検討してみる必要があろう。「山神」とは自然神に対し畏怖する総称で、「鬼神」とは天地万物の霊魂をも意味しようが、殊に「多神教」的意味合いの信仰に於いては、万物に霊神が宿るわけであるから、時には福をもたらし、時には災いをもたらす事から、まさに龍蛇渾然とした状態が在俗(凡夫)の実態ではなかろうか。

牛戒・鹿戒・羅刹戒・鬼戒・瘂戒・聾戒・狗戒・雞戒・雉戒。以灰塗身、長髪為相、以羊祠時、先呪後殺、四月事火、七日服風。百千億華供養諸天、諸所欲願、因此成就。如是等法、能為解脱因者、無有是処。智者所不讃、唐苦無善報(『大智度論』二十二「大正蔵」二五・二二六a一六、―部のみ+『大般涅槃経』十六「大正蔵」一二・四六二a一八)

「牛戒狗鷄雉戒以灰塗身、長髮為相以羊祠時、先呪後殺。四月事火、七日服風。百千億花供養諸天、諸所欲願、因此成就。如是等法、能為無上解脱因者、無有是処

 これは「外道の邪教」に続く文体である為、『大智度論』を主軸に、中間に『涅槃経』の合楺となるわけである。

<牛戒・鹿戒・羅刹戒・鬼戒・瘂戒・聾戒・狗戒・雞戒・雉戒あり。灰を以て身に塗り、長髪にて相を為し、羊を以て時を祠り、先に呪して後に殺す、四月は火に事(つか)へ、七日風に服し、百千億の華にて諸天に供養し、諸の欲う所の願は、此れに因りて成就す。是の如き等の法は、能く解脱の因なりと為すは、是の処(ことわり)有る無し。智者の讃めざる所なり、唐(むな)しく苦んで善報無し>

「かくの如くなるがゆゑに、いたづらに邪道に帰せざらんこと、明らかに甄(けん)究すべし。たとひこれらの戒に異なる法なりとも、その道理、もし孤樹制多等の道理に符合せらば、帰依することなかれ」

 「孤樹」とは独立した大木であるが、インドやその周辺では、ボダイジュやバンヤンなどの大木が憩いの場であり、そこでは地元人により「孤樹」が祀られ、皆が休息でき得る座所も作られ、そのような所では仏像などを安置し生霊そのものが「孤樹」として人格化される。日本に於いても滝口の山上に依り代を掛けたり、縄文杉の巨木には注連縄で以て、平安を祈る風習と同様であろう。

 「制多」とは支提つまり塔廟で、建物の内部に小型の仏塔を安置するものをチャイティヤと呼ぶが、その塔廟は単なる入れ物であるはずが、塔廟そのものを、御神体化する外道を云う。

「人身得ること難し、仏法会ふこと希なり。いたづらに鬼神の眷属として一生をわたり、虚しく邪見の流類として多生を過ごさん、悲しむべし。はやく仏法僧三宝に帰依したてまつりて、衆苦を解脱するのみにあらず、菩提を成就すべし」

 これも『修証義』にて親しむ言説である。「衆苦」とは四苦八苦に喩えられる処の生老病死愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦を指すが、これらの「衆苦」の解脱に止まらず、「菩提を成就すべし」とは真実への眼覚めとでも言うもの歟。

 

   四

 希有經云、教化四天下及六欲天、皆得四果、不如一人受三歸功徳。

 四天下とは、東西南北洲なり。そのなかに、北洲は三乘の化いたらざるところ。かしこの一切衆生を教化して阿羅漢となさん、まことにはなはだ希有なりとすべし。たとひその益ありとも、一人ををしへて三歸をうけしめん功徳にはおよぶべからず。また六天は、得道の衆生まれなりとするところなり。かれをして四果をえしむとも、一人の受三歸の功徳のおほくふかきにおよぶべからず。

 増一阿含經云、有忉利天子、五衰相現、當生猪中。愁憂之聲、聞於天帝。天帝聞之、喚來告曰、汝可歸依三寶。即時如教、便免生猪。佛説偈言

  諸有歸依佛 不墜三惡道 盡漏處人天 便當至涅槃

 受三歸已、生長者家、還得出家、成於無學。

 

「希有経云、教化四天下及六欲天得四果、不如一人受三帰()功徳」(『法華玄義釈籤』十「大正蔵」三三・八八四a七、―部「皆」は原なし、―部「一人受」)は原なし、―部「依」は原あり)<四天下及び六欲天を教化して、皆四果を得んも、一人の三帰を受くる功徳には如かじ>

「四天下とは、東西南北洲なり。その中に、北洲は三乗の化いたらざる処。かしこの一切衆生を教化して阿羅漢となさん、まことに甚だ希有なりとすべし。たとひその益ありとも、一人を教へて三帰を受けしめん功徳には及ぶべからず。また六天は、得道の衆生まれなりとする処なり。彼をして四果を得しむとも、一人の受三帰の功徳の多く深きに及ぶべからず」

 「東西南北洲」とは東勝身(とうしょうしん)洲・西牛貨(さいごけ)洲・南瞻浮(なんせんぶ)洲・北俱盧(ほっくろ)洲を云うが、謂うなれば中華思想に於ける東夷(とうい)・西戎(せいじゅう)・南蛮(なんばん)・北狄(ほくてき)にも通ずる思考法である。

「増一阿含経、有忉利天子、五衰相現、当生猪中。愁憂之声、聞於天帝。天帝聞之、喚来告曰、汝可帰依三宝(「同」a九、―部「阿含」は原なし、―部「帰依」は原「三帰」)<増一阿含経に云く、忉利天子有り、五衰の相現じて、当に猪の中に生ずべし。愁憂の声、天帝に聞えき。天帝之を聞きて、喚びに来りて告げて曰く、汝は三宝に帰依す可し>

「即時如教、便免生猪。仏説偈、諸有帰依仏、不墜三悪。尽漏処人天、便当至涅槃。三()帰已、生長者家、還得出家、成於無学」(「同」a一二、―部「言」は原「云」、―部「道」は原「趣」、―部「受」は原なし、―部「自」は原あり)<即時に教の如くに、便ち猪に生ずるを免れり。仏は偈を説いて言く、諸有は仏に帰依すれば、三悪道に墜ちず。漏を尽くし人天に処すれば、便ち当に涅槃に至るべし。三帰を受け已りて、長者の家に生じて、還た出家するを得て、無学を成ず>

 

   五

 おほよそ歸依三寶の功徳、はかりはかるべきにあらず、無量無邊なり。

 世尊在世に、二十六億の餓龍、ともに佛所に詣し、みなことごとくあめのごとくなみだをふらして、まうしてまうさく、

 唯願哀愍、救濟於我。大悲世尊、我等憶念過去世時、於佛法中雖得出家、備造如是種々惡業。以惡業故、經無量身在三惡道。亦以餘報故、生在龍中受極大苦。

 佛告諸龍、汝等今當盡受三歸、一心修善。以此縁故、於賢劫中値最後佛名曰樓至。於彼佛世、罪得除滅。

 時諸龍等聞是語已、皆悉至心、盡其形壽、各受三歸。

 ほとけみづから諸龍を救濟しましますに、餘法なし、餘術なし。たゞ三歸をさづけまします。過去世に出家せしとき、かつて三歸をうけたりといへども、業報によりて餓龍となれるとき、餘法のこれをすくふべきなし。このゆゑに三歸をさづけまします。しるべし、三歸の功徳、それ最尊最上、甚深不可思議なりといふこと。世尊すでに證明しまします、衆生まさに信受すべし。十方の諸佛の各号を稱念せしめましまさず、たゞ三歸をさづけまします。佛意の甚深なる、たれかこれを測量せん。いまの衆生、いたづらに各々の一佛の名号を稱念せんよりは、すみやかに三歸をうけたてまつるべし。愚闇にして大功徳をむなしくすることなかれ。

 爾時衆中有盲龍女。口中膖爛、滿諸雜蟲、状如屎尿。乃至穢惡猶若婦人根中不淨。臊臭難看。種々噬食、膿血流出。一切身分、常有蚊虻諸惡毒蠅之所唼食、身體臭處、難可見聞。爾時世尊、以大悲心、見彼龍婦眼盲困苦如是、問言、妹何縁故得此惡身、於過去世曾爲何業。龍婦答言、世尊、我今此身、衆苦逼迫無暫時停。設復欲言、而不能説。我念過去三十六億、於百千年、惡龍中受如是苦、乃至日夜刹那不停。爲我往昔九十一劫、於毘婆尸佛法中、作比丘尼、思念欲事、過於醉人。雖復出家不能如法。於伽藍内敷施牀褥、數々犯於非梵行事、以快欲心、生大樂受。或貪求佗物、多受信施。以如是故、於九十一劫、常不得受天人之身、恒三惡道受諸燒煮。

 佛又問言、若如是者、此中劫盡、妹何處生。龍婦答言、我以過去業力因縁、生餘世界、彼劫盡時、惡業風吹、還來生此。時彼龍婦、説此語已作如是言、大悲世尊、願救濟我、願救濟我。爾時世尊、以手掬水、告龍女言、此水名爲瞋陀留脂藥和。我今誠實發言語汝、我於往昔、爲救鴿故、棄捨身命、終不疑念起慳惜心。此言若實、令汝惡患、悉皆除瘥。時佛世尊、以口含水、灑彼盲龍婦女之身、一切惡患臭處皆瘥。既得瘥已、作如是説言、我今於佛、乞受三歸。是時世尊、即爲龍女授三歸依。

 この龍女、むかしは毘婆尸佛の法のなかに比丘尼となれり。禁戒を破すといふとも、佛法の通塞を見聞すべし。いまはまのあたり釋迦牟尼佛にあひたてまつりて三歸を乞受す、ほとけより三歸をうけたてまつる、厚殖善根といふべし。見佛の功徳、かならず三歸によれり。われら盲龍にあらず、畜身にあらざれども、如來をみたてまつらず、ほとけにしたがひたてまつりて三歸をうけず、見佛はるかなり、はぢつべし。世尊みづから三歸をさづけまします、しるべし、三歸の功徳、それ甚深無量なりといふこと。天帝釋の野干を拝して三歸をうけし、みな三歸の功徳の甚深なるによりてなり。

 

「おほよそ帰依三宝の功徳、計り図るべきにあらず、無量無辺なり。世尊在世に、二十六億の餓龍、ともに仏所に詣し、みな悉く雨の如く涙を降らして、まうしてまうさく」

この説話の出典は『大方等大集経』四十四での「爾時如来説是偈已、彼龍衆中二十六億餓龍等、念過去身皆悉雨涙作如是言」(「大正蔵」一三・二九一b二一)からの引用となる。

「唯願哀愍、救済於我。大悲世尊、我等憶念過去世時、於仏法中雖得出家、備造如是種々悪業。以悪業故、経無量身在三悪道。亦以余報故、生在龍中受極大苦」(「同」b二三)<唯願わくは哀愍して、我れを救済せよ。大悲世尊、我等過去世の時を憶念するに、仏法の中に於て出家するを得ると雖も、備(つぶ)さに是の如くの種々の悪業を造りき。悪業を以ての故に、無量身を経て三悪道に在り。亦余の報を以ての故に、生れて龍の中に在りて極大の苦を受く>

仏告諸龍、汝等今当尽受三帰、一心修善。以此縁故、於賢劫中値最後仏名曰樓至。於彼仏世、罪得除滅。時諸龍等聞是語已、皆悉至心、尽其形寿、各受三帰」(「同」二九二a七、―部「仏告諸龍」のあとには「此之悪業与盗仏物等無差別」の語が略される)<仏諸龍に告ぐ、汝等は今当に尽く三帰を受け、一心に善を修すべし。此の縁を以ての故に、賢劫の中に於て最後仏の名を樓至(るし)と曰うに値い。彼の仏の世に於て、罪を除滅するを得べし。時に諸龍等は是の語を聞き已りて、皆悉く至心に、其の形寿を尽すまで、各三帰を受く>

「ほとけみづから諸龍を救済しましますに、余法なし、余術なし。ただ三帰を授けまします。過去世に出家せし時、かつて三帰を受けたりと云へども、業報によりて餓龍となれる時、余法のこれを救ふべきなし。このゆゑに三帰を授けまします」

 仏であっても業報を返転させての救済は望めず、帰依仏法僧なる三帰を授受となる啐啄同期的相互の信受的関係を喩うもの歟。

「知るべし、三帰の功徳、それ最尊最上、甚深不可思議なりと云ふこと。世尊すでに証明しまします、衆生まさに信受すべし。十方の諸仏の各号を称念せしめましまさず、ただ三帰を授けまします。仏意の甚深なる、たれかこれを測量せん。いまの衆生、いたづらに各々の一仏の名号を称念せんよりは、速やかに三帰を受けたてまつるべし。愚闇にして大功徳を虚しくすることなかれ」

 此処での特筆は「一仏の名号を称念せんよりは、速やかに三帰を受けたてまつるべし」の付言である。これは明らかに称名念仏を意識しての文言であろうが、当時の状況を勘案するに、鎌倉行化での見聞

・仄聞が脳裏に在り、彼等の「口声をひまなくせる、春の田のかへるの、昼夜になくがごとし、つひに又益なし」(『辦道話』「大正蔵」八二・一七b一)と云う行化法を示唆するものであろう歟。

爾時衆中有盲龍女。口中膖爛、満諸雑虫、状如屎尿。乃至穢悪猶若婦人根中不浄。臊臭難看。種々噬食、膿血流出。一切身分、常蚊虻諸悪毒蝿之所唼食、身体臭処、難可見聞」(「同」a一一、―部「爾時」は原なし、―部「有」は原「為」)<爾の時に衆中に盲龍の女有り。口中は膖爛(ふらん)し、諸の雑虫で満てり、状(かたち)は屎尿の如し。乃至穢悪なるは猶婦人の根中の不浄なるが若し。臊臭看難し。種々に噬食せられ、膿血流出す。一切の身分、常に蚊虻諸の悪毒蝿に之唼食せる所有り、身体の臭処、見聞す可き難し>

「爾時世尊、以大悲心、見彼龍婦眼盲困苦如是、問言、妹何縁故得此悪身、於過去世曾為何業」(「同」a一四)<爾の時に世尊、大悲心を以て、彼の龍婦の眼盲し困苦するを是の如く見て、問うて言く、妹、何の縁の故にて此の悪身を得、過去世に於て曾て何の業をか為す>

「龍婦答言、世尊、我今此身、衆苦逼迫無暫時停。設復欲言、而不能説。我念過去三十六億、於百千年、悪龍中受如是苦、乃至日夜刹那不停。為我往昔九十一劫、於毘婆尸仏法中、作比丘尼、思念欲事、過於醉人。雖復出家不能如法。於伽藍内敷施褥、数々犯於非梵行事、以快欲心、生大楽受。或貪求佗物、多受信施。以如是故、於九十一劫、常不得受天人之身、恒三悪道受諸燒煮」(「同」a一七、―部「牀」は原「床」)<龍婦答えて言く、世尊、我が今此の身、衆苦逼迫して暫時も停まる無し。設(も)し復言わんと欲うも、而も説くは能わじ。我れ過去三十六億を念うに、百千年に於て、悪龍の中に是の如くの苦を受け、乃至日夜刹那も停まらず。我が往昔九十一劫を為(おも)うに、毘婆尸仏の法中に於て、比丘尼と作り、欲事を思念するは、醉人よりも過ぎたり。復出家すと雖も如法なるは能わず。於伽藍の内に牀褥を敷施て、数々(しばしば)非梵行の事を犯し、以て欲心を快くして、大楽受を生ず。或いは佗(ひと)の物を貪求し、多くの信施を受く。是の如くのなるを以ての故に、九十一劫に於て、常に天人之身を受くるを得ず、恒に三悪道にして諸の燒煮を受く>

「仏又問言、若如是者、此中劫尽、妹何処生」(「同」a二六)<仏又問うて言く、若し是の如くは、此中の劫尽きて、妹は何れの処に生ずや>

「龍婦答言、我以過去業力因縁、生余世界、彼劫尽時、悪業風吹、還来生此」(「同」a二六)<龍婦答えて言く、我れ過去の業力の因縁を以て、余の世界に生れ、彼の劫尽くる時、悪業の風吹いて、還た来って此に生ず>

「時彼龍婦、説此語已作如是言、大悲世尊、願救済我、願救済我」(「同」a二八)<時に彼の龍婦、此の語を説き已りて是の如くの言を作す、大悲世尊、願わくは我を救済せん、願わくは我を救済せん>

「爾時世尊、以手掬水、告龍女言、此水名為瞋陀留脂薬和。我今誠実発言語汝、我於往昔、為救鴿故、棄捨身命、終不疑念起慳惜心。此言若実、令汝悪患、悉皆除瘥」(「同」a二九)<爾の時に世尊、手で以て水を掬(すく)い、龍女に告げて言く、此の水を名づけて瞋陀留脂薬和と為す。我れ今誠実に言を発して汝に語らん、我れ往昔に於て、鴿(はと)を救わんが為の故に、身命を棄捨すも、終(つい)に疑念して慳惜の心を起さざる。此の言が若し実ならば、汝が悪患をして、悉皆に除瘥(いえ)しむべし>

「時仏世尊、以口含水、灑彼盲龍婦女之身、一切悪患臭処皆瘥。既得瘥已、作如是説言、我今於仏、乞受三帰」(「同」b四)<時に仏世尊は、口を以て水を含み、彼の盲龍婦女の身に灑ぐに、一切の悪患臭処は皆な瘥(い)えたり。既に瘥ゆるを得已りて、是の如くの説を作して言く、我れ今仏に於て、三帰を受くるを乞う>

「是時世尊、即為龍女授三帰依(「同」b六)<是の時に世尊は、即ち龍女の為に三帰依を授く>

「この龍女、昔は毘婆尸仏の法の中に比丘尼となれり。禁戒を破すと云ふとも、仏法の通塞を見聞すべし。今はまのあたり釈迦牟尼仏に値ひたてまつりて三帰を乞受す、ほとけより三帰を受けたてまつる、厚殖善根と云ふべし。見仏の功徳、必ず三帰によれり」

 これを読解となると、二十一世紀に生れ学校教育で育った我々に、毘婆尸仏の世界を語られても答えようがない。つまりは世の中の構造は関係性の生滅により顕現すると考えれば、我々の眼前に於いても遥か昔のビッグバンと謂われる痕跡が確認できる此の事実は、まさに「龍女」―「過去世」―「毘婆尸仏」―「釈迦牟尼仏」の連続態の上に「三帰」=「厚殖善根」=「見仏」=「功徳」の果報が表態化したと解すれば、左程に驚く事でもあるまい。

「我ら盲龍にあらず、畜身にあらざれども、如来を見たてまつらず、ほとけに従ひたてまつりて三帰を受けず、見仏はるかなり、はぢつべし。世尊みづから三帰を授けまします、知るべし、三帰の功徳、それ甚深無量なりと云ふこと。天帝釈の野干を拝して三帰を受けし、みな三帰の功徳の甚深なるによりてなり」

 ここでは道元は経文の要約から一転して、自身の立場に替えて「われら」と切り出し、「盲龍・畜身」でもない我々が「三帰を受けず」とする理由として、如来に全方位に在するのではあるが、こちら(われら)の眼識の不備から見ようとせず、その結果として「見仏はるかなり」と、如来やほとけと啐啄同期せよ、と説得する語言が「三帰の功徳の甚深なる」に聯関する文意ではなかろう歟。

 

   六

 佛在迦毘羅衛尼拘陀林時、釋摩男來至佛所、作如是言云、何名爲優婆塞也。佛即爲説、若有善男子善女人、諸根完具、受三歸依、是即名爲優婆塞也。釋摩男言、世尊、云何名爲一分優婆塞。佛言、摩男、若受三歸、及受一戒、是名一分優婆塞。

 佛弟子となること、かならず三歸による。いづれの戒をうくるも、かならず三歸をうけて、そののち諸戒をうくるなり。しかあればすなはち、三歸によりて得戒あるなり。

 法句經云、昔有天帝、自知命終生於驢中、愁憂不已曰、救苦厄者、唯佛世尊。便至佛所、稽首伏地、歸依於佛。未起之間、其命便終生於驢胎。母驢鞚斷、破陶家坏器。器主打之、遂傷其胎、還入天帝身中。佛言、殞命之際、歸依三寶、罪對已畢。天帝聞之得初果。

 おほよそ世間の苦厄をすくふこと、佛世尊にはしかず。このゆゑに、天帝いそぎ世尊のみもとに詣す。伏地のあひだに命終し、驢胎に生ず。歸佛の功徳により、驢母の鞚やぶれて陶家の坏器を踏破す。器主これをうつ、驢母の身いたみて託胎の驢やぶれぬ。すなはち天帝の身にかへりいる。佛説をきゝて初果をうる、歸依三寶の功徳力なり。

 しかあればすなはち、世間の苦厄すみやかにはなれて、無上菩提を證得せしむること、かならず歸依三寶のちからなるべし。おほよそ三歸のちから、三惡道をはなるゝのみにあらず、天帝釋の身に還入す。天上の果報をうるのみにあらず、須陀洹の聖者となる。まことに三寶の功徳海、無量無邊にましますなり。世尊在世は人天この慶幸あり、いま如來滅後、後五百歳のとき、人天いかゞせん。しかあれども、如來形像舎利等、なほ世間に現住しまします。これに歸依したてまつるに、またかみのごとくの功徳をうるなり。

 未曾有經云、佛言、憶念過去無數劫時、毘摩大國徙陀山中、有一野干。而爲師子所逐欲食。奔走墮井不能得出。經於三日、開心分死、而説偈言、

  禍哉今日苦所逼  便當没命於丘井

  一切萬物皆無常  恨不以身飴師子

 南無歸依十方佛、表知我心淨無己。

 時天帝釋聞佛名、肅然毛豎念古佛。自惟孤露無導師、耽著五欲自沈没。即與諸天八萬衆、飛下詣井、欲問詰。乃見野干在井底、兩手攀土不得出。

 天帝復自思念言、聖人應念無方術。我今雖見野干形、斯必菩薩非凡器。仁者向説非凡言、願爲諸天説法要。於時野干仰答曰、汝爲天帝無教訓。法師在下自處上、都不修敬問法要。法水清淨能濟人、云何欲得自貢高。天帝聞是大慚愧。給侍諸天愕然笑、天王降趾大無利。天帝即時告諸天、愼勿以此懷驚怖。是我頑蔽徳不稱、必當因是聞法要。即爲垂下天寶衣、接取野干出於上。諸天爲設甘露食、野干得食生活望。非意禍中致斯福。心懷勇躍慶無量。野干爲天帝及諸天、廣説法要。

 これを天帝拝畜爲師の因縁と稱ず。あきらかにしりぬ、佛名法名僧名のきゝがたきこと、天帝の野干を師とせし、その證なるべし。いまわれら宿善のたすくるによりて、如來の遺法にあふたてまつり、昼夜に三寶の寶号をきゝたてまつること、時とともにして不退なり。これすなはち法要なるべし。天魔波旬なほ三寶に歸依したてまつりて患難をまぬかる、いかにいはんや餘者の、三寶の功徳におきて積功累徳せらん、はかりしらざらめやは。

 おほよそ佛子の行道、かならずまづ十方の三寶を敬禮したてまつり、十方の三寶を勸請したてまつりて、そのみまへに燒香散華して、まさに諸行を修するなり。これすなはち古先の勝躅なり、佛祖の古儀なり。もし歸依三寶の儀、いまだかつておこなはざるは、これ外道の法なりとしるべし、または天魔の法ならんとしるべし。佛々祖々の法は、かならずそのはじめに歸依三寶の儀軌あるなり。

 

仏在迦毘羅衛尼拘陀林時、釈摩男来至仏所、作如是言云、何名為優婆塞也。仏即為説、若有善男子善女人、諸根完具、受三帰依、是即名為優婆塞也。釈摩男言、世尊、云何名為一分優婆塞。言、摩男、若受三帰、及受一戒、是名一分優婆塞」(大般涅槃経』三十四「大正蔵」一二・五六八b九、―部「仏在」は原なし、―部「仏」は原「我」)<仏が迦毘羅衛尼拘陀林に在し時、釈摩男、仏の所に来至して、是の如くの言を作して云く、何をか名づけて優婆塞と為す也。仏即ち為に説く、若し善男子善女人有りて、諸根完具し、三帰依を受けん、是れを即ち名づけて優婆塞と為す也。釈摩男言く、世尊、云何が名づけて一分の優婆塞と為すや。仏言く、摩男、若し三帰を受け、及び一戒をも受けば、是れを一分の優婆塞と名づく>

仏弟子となること、必ず三帰による。いづれの戒を受くるも、必ず三帰を受けて、そののち諸戒を受くるなり。しかあれば則ち、三帰によりて得戒あるなり」

 こちらも『修証義』にそのまま援用され、文意の如くではありますが、「諸戒」とは、比丘としての具足戒最澄らが定めた大乗十重禁戒のほかに、優婆塞・優婆夷としての五戒(パンチャ・シーラ)さらに数条の戒則である近事戒などの戒則がある。

「法句経云、昔有天帝、自知命終生於驢中、愁憂不已、救苦厄者、唯仏世尊。便至仏所、稽首伏地、帰依於仏。未起之間、其命便終生於驢胎。母驢鞚断、破()陶家坏器。器主打之、遂傷其胎、還入天帝身中。仏言、殞命之際、帰依三宝、罪対已畢。天帝聞之得初果」(『止観輔行伝弘決』四之二「大正蔵」四六・二五九c二一、―部「日」は原「云」、―部「他」は原あり)<法句経云く、昔天帝有り、自ら命終して驢中に生ずを知り、愁憂已まずして曰く、苦厄を救う者は、唯仏世尊のみなり。便ち仏所に至り、稽首伏地し、仏に帰依す。未だ之に起たざる間に、其の命は便ち終り驢胎に生ぜり。母の驢は鞚(くつわ)断たれて、陶家の坏器を破りつ。器主之を打つに、遂に其の胎を傷(やぶ)り、天帝の身中に還り入れり。仏言く、殞命の際は、三宝に帰依すれば、罪対已に畢りぬ。天帝は之を聞いて初果を得たり>

 『法句経』原典は「大正蔵」四・五七五b一九)にあり。

「おほよそ世間の苦厄を救ふこと、仏世尊にはしかず。このゆゑに、天帝いそぎ世尊のみもとに詣す。伏地のあひだに命終し、驢胎に生ず。帰仏の功徳により、驢母の鞚破れて陶家の坏器を踏破す。器主これを打つ、驢母の身いたみて託胎の驢破れぬ。便ち天帝の身にかへり入る。仏説を聞きて初果を得る、帰依三宝の功徳力なり」

 この部位は本則話の和訳ですが、ここで扱う「驢(ろば)」に注目を引く。現代人では自身の次生が驢馬に生れ変る、とは思うまいが、数千年前の思いでは、輪廻転生などが誠しやかに信じられて居たからこその思考だろうが、昔のインドなどでは人間の重労働の代替として驢馬や、牛・馬などが人間と同水準の価値を担っていたことから、生活に近しい動物と人間との相互聯関性を以てしての、「天帝」―「驢」―「仏」の関係性の中に「帰依於仏」と置換したものだろう。

「しかあれば便ち、世間の苦厄すみやかに離れて、無上菩提を証得せしむること、必ず帰依三宝の力なるべし。おほよそ三帰の力、三悪道を離るるのみにあらず、天帝釈の身に還入す。天上の果報を得るのみにあらず、須陀洹の聖者となる。まことに三宝の功徳海、無量無辺にましますなり。世尊在世は人天この慶幸あり、いま如来滅後、後五百歳の時、人天いかがせん。しかあれども、如来形像舎利等、なほ世間に現住しまします。これに帰依したてまつるに、また神の如くの功徳を得るなり」

 「帰依三宝」の功徳力を強調するものではありますが、実際の現実社会では文面通りに事が為ったならば、歓喜勇躍であります。ここでは標題に示す如くに「三宝に帰依」する功徳力の説明でありますから仕方がないが、出家に於いても同様である。出家が目的ではなく、出家はあくまで機縁を得る手段に過ぎず、出家後の行動が大切になる。と同様に、ここにも「帰依三宝」してよりの行業行履が重要となろう。

「未曾有経(上巻、仏言、憶念過去無数劫時、毘摩大国徙陀山中、有一野干。而為師子所逐欲食。奔走堕井不能得出。経於三日、開心分死」(「同」二七二a二五、―部「上巻」は原あり、―部「云」が原なし)<未曾有経に云く、仏言く、過去無数劫時を憶念するに、毘摩大国徙陀山中に、一野干有り。而も師子に逐われる所に食われんと為す。奔走して井に堕ちて出づる得るを能わず。三日を経て、開心し死を分かる>

 「野干」については一般には狐とするが、ジャッカルであろう。梵語srgala(シュリガーラ)を訳したもので、他には悉伽羅・射干・夜干とも訳される。ガンジス中流域では紀元前後にはジャッカルとライオン(師子)とが共存した文献である。南方熊楠の『十二支考』「猴」にても「野干」をジャッカルと比定する。

「而説偈言、禍哉今日苦所逼、便当没命於丘井。一切万物皆無常、恨不以身飴師子。南無帰依十方仏、表知我心浄無己」(「同」a二八)<而も偈を説いて言く、禍(わざわい)哉、今日苦に逼(せま)る所は、便ち当に命を丘井に没せん。一切万物は皆無常、恨むは身を以て師子に飴(か)わざりしを。南無帰依十方仏、我が心浄にして己れ無きを表らかに知れ>

「時天帝釈聞仏名、肅然毛豎念古仏。自惟孤露無導師、耽著五欲自沈没。即与諸天八万衆、飛下詣井、欲問詰。乃見野干在井底、両手攀土不得出」(「同」b二)<時に天帝釈は仏の名を聞いて、肅然として毛豎ちて古仏を念う。自ら惟(おも)うに孤露にして導師無く、五欲に耽著して自ら沈没す。即ち諸天の八万衆と与(とも)に、飛下して井に詣(いた)りて、問詰せんと欲えり。乃ち野干の井底に在りて、両手もて土を攀(よ)じれども出で得ざるを見る>

「天帝復自思念言、聖人応念無方術。我今雖見野干形、斯必菩薩非凡器。仁者向説非凡言、願為諸天説法要」(「同」b六)<天帝復た自ら思念して言く、聖人は応に方術無からんと念うべし。我れ今野干の形を見ると雖も、斯れは必ず菩薩にして凡器に非ざらん。仁者向説するは凡言に非ず、願わくは諸天の為に法要を説け>

「於時野干仰答曰、汝為天帝無教訓。法師在下自処上、都不修敬問法要。法水清浄能済人、云何欲得自貢高」(「同」b八)<時に野干仰いで答えて曰く、汝は天帝と為して教訓無し。法師は下に在りて自らは上に処す、都て敬を修せず法要を問う。法水清浄にして能く人を済(すく)う、云何が自ら貢高ならんを欲得すや>

「天帝聞是大慚愧。給侍諸天愕然笑、天王降趾大無利」(「同」b一一)<天帝は是れを聞いて大いに慚愧す。給侍の諸天は愕然として笑う、天王降趾すれども大いに利の無し>

「天帝即時告諸天、慎勿以此懷驚怖。是我頑蔽徳不称、必当因是聞法要」(「同」b一二)<天帝即ち時に諸天に告ぐ、慎んで此れを以て驚怖を懷く勿れ。是れ我が徳を頑蔽して称せず、必ず当に是れに因りて法要を聞くべし>

「即為垂下天宝衣、接取野干出於上。諸天為設甘露食、野干得食生活望。非意禍中致斯福。心懷勇躍慶無量。野干為天帝及諸天、広説法要(「同」b一四、―部「野干・・」は原なし)<即ち天宝衣の為に垂下して、野干を接取して上に出す。諸天は甘露の為に食を設け、野干の食するを得て活望を生ず。意に非ず禍中に斯の福を致す。心に勇躍を懷きて慶び無量なり。野干は天帝及び諸天の為に、広く法要を説く>

 此の「未曾有経」の原典は『仏説未曾有因縁経』上「大正蔵」一七・五七六c二一)に該当する。

「これを天帝拝畜為師の因縁と称ず。明らかに知りぬ、仏名法名僧名の聞き難きこと、天帝の野干を師とせし、その証なるべし。いま我ら宿善の助くるによりて、如来の遺法にあふたてまつり、昼夜に三宝の宝号を聞きたてまつること、時と共にして不退なり。これ便ち法要なるべし。天魔波旬なほ三宝に帰依したてまつりて患難をまぬかる、如何に云はんや余者の、三宝の功徳におきて積功累徳せらん、はかり知らざらめやは」

 この「天帝拝畜為師の因縁」とは何を喩うものであろうか。ここでの経文の趣意は、天類・人類・畜類に分類し不可逆的に分割しがちではあるが、そこに「帰依三宝」という行法を導入すれば、天界と畜界との交流も可であり得るを、喩う経意ではなかろう歟。さらには「天魔波旬」でさえも「三宝に帰依」すれば患難(げんなん)を免れる、と注記するは第四『発菩提心』で使用した「天魔波旬」を援用する辺りは「新草十二巻」の聯関性に繋がるものである。因みに「天魔波旬」は「新草十二巻」のみの使用で、「旧草」では「外道天魔」が『阿羅漢・諸法実相・仏経・安居』の各巻で使われ、『伝衣』では「天魔外道」として書き分けられる。

「おほよそ仏子の行道、必ずまづ十方の三宝を敬礼したてまつり、十方の三宝を勧請したてまつりて、そのみまへに焼香散華して、まさに諸行を修するなり。これ便ち古先の勝躅なり、仏祖の古儀なり。もし帰依三宝の儀、未だ曾て行なはざるは、これ外道の法なりと知るべし、または天魔の法ならんと知るべし。仏々祖々の法は、必ずその初めに帰依三宝の儀軌あるなり」

 これで最後部に当るので概説的・包括的説明となり、仏道の道場に於いては「帰依三宝」は入門の基本的かつ重要な行持を「古儀・儀軌」と称するものである。

(終)

 

2023年5月13日 タイ国盤谷北郊にて記す