正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

十二巻本 第八「三時業」を読み解く    二谷正信

   十二巻本 第八「三時業」を読み解く

二谷正信

  一

 第十九祖鳩摩羅多尊者、至中天竺國、有大士、名闍夜多。問曰、我家父母、素信三寶。而甞縈疾瘵、凡所営事、皆不如意。而我鄰家、久爲栴陀羅行、而身常勇健、所作和合。彼何幸、而我何辜。尊者曰、何足疑乎、且善惡之報有三時焉。凡人但見仁夭、暴壽、逆吉義凶、便謂亡因果虚罪福。殊不知、影響相隨、毫釐靡忒。縱經百千萬劫、亦不磨滅。時闍夜多、聞是語已、頓釋所疑。

 鳩摩羅多尊者は、如來より第十九代の附法なり。如來まのあたり名字を記しまします。たゞ釋尊一佛の法をあきらめ正傳せるのみにあらず、かねて三世の諸佛の法をも曉了せり。闇夜多尊者、いまの問をまうけしよりのち、鳩摩羅多尊者にしたがひて、如來の正法を修習し、つひに第二十代の祖師となれり。これもまた、世尊はるかに第二十祖は闇夜多なるべしと記しましませり。しかあればすなはち、佛法の批判、もともかくのごとくの祖師の所判のごとく習學すべし。いまのよに因果をしらず、業報をあきらめず、三世をしらず、善惡をわきまへざる邪見のともがらに群すべからず。

 

「第十九祖鳩摩羅多尊者、至中天竺国、有大士、名闍夜多。問曰、我家父母、素信三宝。而甞縈疾瘵、凡所営事、皆不如意。而我鄰家、久為栴陀羅行、而身常勇健、所作和合。彼何幸、而我何辜」(『景徳伝灯録』二「大正蔵」五一・二一二c二五)<第十九祖鳩摩羅多尊者、中天竺国に至るに、大士有り、闍夜多と名づく。問うて曰く、我が家の父母は、素(もと)より三宝を信ず。而も甞(むかし)より疾瘵(やまひ)に縈(まつ)われ、凡そ営む所の事、皆な不如意なり。而も我が鄰家、久しく栴陀羅の行を為して、而も身は常に勇健なり、所作和合す。彼れ何の幸かある、而も我れ何の辜(つみ)かある>

 「闍夜多(しゃやた)」は、第二十祖として定位される。「大士」は、菩薩の通称。「栴陀羅(せんだら)」は、カースト上位のバラモンクシャトリヤ・ヴァイシャ・シュ―ドラと最下位の階層である。

「尊者曰、何足疑乎、且善悪之報有三時焉。凡人見仁夭、暴寿、逆吉義凶、便謂亡因果虚罪福。殊不知、影響相随、毫釐靡忒。縱経百千万劫、亦不磨滅」(「同」c二八、―部「但」は原「恒」)<尊者曰く、何ぞ疑うに足らん乎、且く善悪の報いに三時有り。凡そ人は但だ仁は夭に、暴は寿き、逆は吉く義は凶なりとのみ見て、便ち因果を亡じ罪福虚しと謂えり。殊に知らず、影響相随いし、毫釐も忒(たが)うこと靡(な)きを。縱い百千万劫を経るも、亦た磨滅せず>

 此処は全文が『深信因果』と同文ではあるが、『深信因果』では…部「何足疑乎」は故意的に除外したのであろう。

「時闍夜多、聞是語已、頓釈所疑」(「同」二一三a三)<時に闍夜多、是の語を聞き已りて、頓に所疑を釈す>

「鳩摩羅多尊者は、如来より第十九代の附法なり。如来まのあたり名字を記しまします。たゞ釈尊一仏の法を明らめ正伝せるのみにあらず、兼ねて三世の諸仏の法をも曉了せり。闇夜多尊者、今の問を設けしより後、鳩摩羅多尊者に随ひて、如来の正法を修習し、つひに第二十代の祖師となれり」

 「如来名字を記し」については、『景徳伝灯録』二「伽耶舎多」章での「昔世尊記日、吾滅後一千年有大士、出現於月氏」(「大正蔵」五一・二一二c一一)が該当されよう。

 「如来の正法を修習」については、「同録」での「汝雖已信三業―略―与諸仏同矣」(「大正蔵」二一三a四)が比定されようか

「これもまた、世尊はるかに第二十祖は闇夜多なるべしと記しましませり。しかあれば則ち、仏法の批判、もともかくの如くの祖師の所判の如く習学すべし。今の世に因果を知らず、業報を明らめず、三世を知らず、善悪をわきまへざる邪見の輩に群すべからず」

 十八祖伽耶舎多―一九祖鳩摩羅多―二十祖闇夜多と定位されるは、世尊よりの授記の真実態を謂わんとするもので、そこで「仏法の批判」とは「旃陀羅行」であろうが、それに対する正しい判断は、仏祖単伝の習学であろう。

 

   二

 いはゆる善惡之報有三時焉といふは、

 三時、

 一者順現法受。二者順次生受。三者順後次受。

 これを三時といふ。

 佛祖の道を修習するには、その最初より、この三時の業報の理をならひあきらむるなり。しかあらざれば、おほくあやまりて邪見に墮するなり。たゞ邪見に墮するのみにあらず、惡道におちて長時の苦をうく。續善根せざるあひだは、おほくの功徳をうしなひ、菩提の道ひさしくさはりあり、をしからざらめや。この三時の業は、善惡にわたるなり。

 第一順現法受業者、謂若業此生造作増長、即於此生受異熟果、是名順現法受業。

 いはく、人ありて、あるいは善にもあれ、あるいは惡にもあれ、この生につくりて、すなはちこの生にその報をうくるを、順現法受業といふ。

 惡をつくりて、この生にうけたる例。

 曾有採樵者、入山遭雪、迷失途路。時會日暮、雪深寒凍、將死不久。即前入一蒙密林中、乃見一羆。先在林内。形色青紺、眼如雙炬。其人惶恐、分當失命。此實菩薩現受羆身。見其憂恐、尋慰諭言、汝今勿怖。父母於子或有異心、吾今於汝終無惡意。

 即前捧取、將入窟中、温燸其身、令蘇息已、取諸根果、勸隨所食。恐冷不消、抱持而臥。如是恩養經於六日。至第七日天晴路現。人有歸心。羆既知已、復取甘果飽而餞之。送至林外慇懃告別。人跪謝曰、何以報。羆言、我今不須餘報、但如比日我護汝身、汝於我命、亦願如是。其人敬諾、擔樵下山、逢二獵師。問曰、山中見何蟲獣。樵人答曰、我亦不見餘獣、唯見一羆。獵師求請、能示我不。樵人答曰、若能與三分之二、吾當示汝。獵師依許、相與倶行、竟害羆命、分肉爲三。樵人兩手欲取羆肉、惡業力故、雙臂倶落。如珠縷斷、如截藕根。獵師危忙、驚問所以、樵人恥愧、具述委曲。是二獵師、責樵人曰、佗既於汝有此大恩、汝今何忍行斯惡逆。怪哉、汝身何不糜爛。於是獵師、共其肉施僧伽藍。時僧上座、得妙願智、即時入定、觀是何肉、即知是與一切衆生作利樂者、大菩薩肉。即時出定、以此事白衆。衆聞驚歎、共取香薪焚燒其肉。収其餘骨、起窣堵婆禮拝供養。如是惡業、待相續、或度相續、方受其果。

 かくのごとくなるを、惡業の順現法受業となづく。おほよそ恩をえては報をこゝろざすべし、佗に恩しては報をもとむることなかれ。いまも恩ある人を逆害をくはへんとせん、その惡業かならずうくべきなり。衆生ながくいまの樵人のこゝろなかれ。林外にして告別するには、いかゞしてこの恩を謝すべきといふといへども、やまのふもとに獵師にあふては二分の肉をむさぼる。貪欲にひかれて大恩所を害す。在家出家、ながくこの不知恩のこゝろなかれ。惡業力のきるところ、兩手を斷ずること、刀剣のきるよりもはやし。

 この生に善をつくりて、順現法受に善報をえたる例。

 昔健駄羅國迦膩色迦王、有一黄門、恒監内事。暫出城外、見有群牛、數盈五百、來入城内。問駈牛者、此是何牛。答言、此牛將去其種。於是黄門即自思惟、我宿惡業受不男身、今應以財救此牛難。遂償其債悉令得脱。善業力故、令此黄門即復男身。深生慶悦、尋還城内、侍立宮門。附使啓王、請入奉覲。王令喚入、怪問所由。於是黄門、具奏上事。王聞驚喜、厚賜珍財、轉授高官、令知外事。如是善業、要待相續、或度相續、方受其果。

 あきらかにしりぬ、牛畜の身、をしむべきにあらざれども、すくふ人、善果をうく。いはんや恩田をうやまひ、徳田をうやまひ、もろもろの善を修せんをや。かくのごとくなるを、善の順現法受業となづく。善により惡によりて、かくのごとくのことおほかれど、つくしあぐるにいとまあらず。

 第二順次生受業者、謂若業此生造作増長、於第二生受異熟果、是名順次生受業。

 いはく、もし人ありて、この生に五無間業をつくれる、かならず順次生に地獄におつるなり。順次生とは、この生のつぎの生なり。餘のつみは、順次生に地獄におつるもあり。また順後次受のひくべきあれば、順次生に地獄におちず、順後業となることもあり。この五無間業は、さだめて順次生受業に地獄におつるなり。順次生、また第二生とも、これをいふなり。

 

「いはゆる善悪之報有三時焉と云ふは、三時、一者順現法受。二者順次生受。三者順後次受。これを三時と云ふ」

 「善悪之報有三時焉」(『景徳伝灯録』二(「大正蔵」五一・212c二九)は前段での語言を承けての「一者順現法受」の引用経典は『大毘婆沙論』百十四での「有三業。謂順現法受業。順次生受業。順現法受業」(「大正蔵」二七・五九二a一七)からの援用である。

「仏祖の道を修習するには、その最初より、この三時の業報の理を習ひ明らむるなり。しかあらざれば、多くあやまりて邪見に堕するなり。たゞ邪見に堕するのみにあらず、悪道におちて長時の苦を受く。続善根せざる間は、多くの功徳を失なひ、菩提の道ひさしくさはりあり、惜しからざらめや。この三時の業は、善悪にわたるなり」

 前半は『修証義』に援用され、聞き及んだ語調であり、「続善根」は継続するに意義があるのであり、「三時の業」とは、人間の善悪の観念ではなく、生涯にわたり随伴するものである。

第一順現法受業、謂若業此生造作増長、於此生受異熟果、是名順現法受業」(「同」a二三、―部「第一」は原なし、―部「者」は原なし、―部「即」は原「則」)<第一に順現法受業は、謂く若し業を此生に造作増長して、即ち此生に於て異熟果を受く、是れを順現法受業と名づく>

「謂はく、人ありて、或いは善にもあれ、或いは悪にもあれ、この生に作りて、則ちこの生にその報を受くるを、順現法受業と云ふ」

 謂う処は、生存中に因果の結果が確認されること。

「悪を作りて、この生に受けたる例。曾()有採樵者、入山遭雪、迷失途路。時会日暮、雪深寒凍、将死不久。即前入一蒙密林中、乃見一羆。先在林内。形色青紺、眼如双炬。其人惶恐、分当失命。此実菩薩現受羆身。見其憂恐、尋慰諭言、汝今勿怖。父母於子或有異心、吾今於汝終無悪意」(「同」五九二b三、―部「聞」は原あり)<曾て採樵(きこり)の者有りて、山に入りて雪に遭い、途路を迷失す。時に日暮に会いて、雪深く寒凍し、将に死せんと久しからず。即ち前(すす)んで一の蒙密林の中に入るに、乃ち一の羆(ひぐま)を見る。先より林の内に在り。形色青紺にして、眼は双つの炬(ともしび)の如し。其の人惶恐し、当に失命すべきと分かり。此れは実に菩薩の羆の身を現受せるなり。其の憂恐するを見て、尋いで慰諭して言く、汝は今怖るる勿れ。父母は子に於て或(も)しは異心有るも、吾れは今、汝に於て終(つい)に悪意無けん>

「即前捧取、将入窟中、温其身、令蘇息已、取諸根果、勧随所食。恐冷不消、抱持而臥。如是恩養経於六日。至第七日天晴路現。人有帰心。羆既知已、復取甘果飽而餞之。送至林外慇懃告別」(「同」b九、―部「燸」は原「煖」)<即ち前んで捧取して、将って窟の中に入り、其の身を温燸(あたた)めて、蘇息せしめ已りて、諸の根果を取りて、勧めて所食に随わしむ。冷にして消すを恐りて、抱持して臥せり。是の如く恩養して六日を経たり。第七日に至り天晴れ路現ず。人に帰(かえんなん)の心有り。羆既に知り已りて、復た甘果を取りて飽かしめて之に餞(はなむけ)とせり。送りて林外に至りて慇懃に別れを告ぐ>

「人跪謝曰、何以報。羆言、我今不須余報、但如比日我護汝身、汝於我命、亦願如是」(「同」b一四)<人、跪(ひざまづ)いて謝して曰く、何を以てか報ぜん。羆言く、我れ今余の報を須(もと)めず、但だ比日(ひごろ)我が汝の身を護りしが如く、汝我が命に於ても、亦た願わくは是の如くすべし>

「其人敬諾、擔樵下山、逢二獵師。問、山中見何虫獣。樵人答、我亦不見余獣、唯見一羆。獵師求請、能示我不。樵人答曰、若能与(我)三分之二、吾当示汝」(「同」b一六、―部「曰」は原「言」、―部「示我」は原「相示」、―部「我」は原あり)<其の人敬諾し、擔樵(たんしょう・たき木をかついで)山を下るに、二(ふたり)の獵師に逢えり。問うて曰く、山中に何(いか)なる虫獣をか見る。樵人答えて曰く、我れ亦た余の獣を見ず、唯一の羆を見る。獵師求請すらくは、能く我れに示すべしや不(いな)や。樵人答えて曰く、若し能く三分之二を与えば、吾れ当に汝に示すべし>

「獵師依許、相与倶行、竟害羆命、分肉為三。樵人両手欲取羆肉、悪業力故、双臂倶落。如珠縷断、如截藕根。獵師忙、驚問所以、樵人恥愧、具述委(「同」b一九、―部「危」は原「荒」、―部「曲」は原「由」)<獵師依許し、相与(くみ)て倶(とも)に行き、竟(つい)に羆の命を害せり、肉を分ちて三と為す。樵人両手をもて羆の肉を取らんと欲うに、悪業力の故に、双(ふたつ)の臂、倶に落つ。珠(たま)の縷(繋ぎ糸)の断ずるが如く、藕(はす)の根の截(き)るるが如し。獵師危忙し、驚いて所以を問う、樵人恥愧(はぢ)て、具さに委曲を述ぶ>

「是二獵師、責樵人曰、他既於汝有此大恩、汝今何忍行斯悪逆。怪哉、汝身何不糜爛」(「同」b二三)<是の二(ふたり)の獵師、樵人を責めて曰く、他(かれ)は既に汝に於て此の大恩有り、汝は今何ぞ斯の悪逆を行ずるに忍びん。怪しき哉、汝が身何ぞ糜爛(びらん)せざる>

「於是獵師、共()其肉施僧伽藍」(「同」b二五、―部「持」は原あり)<是(ここ)に於て獵師は、共に其の肉を僧伽藍に施す>

「時僧上座、得妙願智、時入定、観是何肉、知是与一切衆生作利楽者、大菩薩肉。時出定、以此事白衆。衆驚歎、共取香薪焚燒其肉。収其余骨、起窣堵婆礼拝供養」(「同」b二六、―部「即」は原「則」、―部「即」は原「則」、―部「即」は原「尋」、―部「聞」は原「皆」)<時に僧の上座、妙願智を得て、即時に入定して、是れ何の肉ぞと観ずるに、即ち是れ一切衆生の与(ため)に利楽を作す者、大菩薩の肉なることを知れり。即時に出定して、此の事を以て衆に白す。衆聞いて驚歎し、共に香薪を取りて其の肉を焚燒す。其の余骨を収めて、窣堵婆を起てて礼拝供養せり>

「如是悪業、待相続、或度相続、方受其果」(「同」c一)<是の如きの悪業は、相続を待って、或いは相続に度りて、方に其の果を受く>

「かくの如くなるを、悪業の順現法受業と名づく。おほよそ恩を得ては報を志すべし、他に恩しては報を求むることなかれ。今も恩ある人を逆害を加へんとせん、その悪業必ず受くべきなり。衆生永く今の樵人の心なかれ」

 まるで童話などに登場するような場面設定でありますが、「樵人」の年令や社会経験などを考慮しても、謂わば恩を仇で返す行為は、世の東西を問わず、必ず「順現法受業」の報いは、事象は様々な様態で現出するものであろう。

「林外にして告別するには、如何がしてこの恩を謝すべきと云ふと言へども、山の麓に獵師に逢ふては二分の肉を貪る。貪欲に引かれて大恩所を害す。在家出家、長くこの不知恩の心なかれ。悪業力の斬る所、両手を断ずること、刀剣の斬るよりも速し」

 まさに舌長六寸の族の如くに、転々に心を変えるは、出家・在家・男・女・老・若に関係なく、気を引き締めなくてはならず、また旅の恥はかき捨てなる諺も、一考すべきでありましょう。

「この生に善を作りて、順現法受に善報を得たる例。昔健駄羅国迦膩色迦王、有一黄門、恒監内事。暫出城外、見有群牛、数盈五百、来入城内。問牛者、此是何牛」(「同」五九三・a一五、―部「駈」は原「駆」)<昔、健駄羅国迦膩色迦王に、一(ひとり)の黄門有りて、恒に内事を監す。暫く城外に出でて、群牛有るを見るに、数は五百に盈(た)れり、城内に来入す。駈牛の者に問う、此れは是れ何の牛ぞ>

 「健駄羅国」とは、ガンダーラの音写語であり、釈尊在世の十六大国の一国である。ガンダーラ王国は紀元前六世紀から十一世紀まで存続した国家であり、一世紀~五世紀には仏教を信奉したクシャナ朝で最盛期を迎える。「迦膩色迦王」とは、カニシカ王(在位128―151)で、クシャナ王朝の第三世に当る。マガダ国の馬鳴菩薩(第十二祖)の教化で仏教に帰依し、仏教興隆に尽力す。「黄門」とは、宦官(かんがん)を指す。つまり去勢された官吏であるが、他にも浄身・浄人・仙人・寺人などとも称される。元来は「黄門」は役人を指していたが、総して宮仕へする役人を云う。この風習は実に清朝末期の二十世紀初頭まで実行されたが、現今では想像だに出来ぬ蛮行であったものである。

「答言、此牛将去其種」(「同」a一七)<答えて言く、此の牛は将に其の種を去らん(去勢)>

「於是黄門自思、我宿悪業受不男身、今応以財救此牛難。遂償其悉令得脱。善業力故、令此黄門復男身。深生慶悦、尋還城内、立宮門。附使啓王、請入奉覲。王令喚入、怪問所由。於是黄門、具奏上事。王聞驚喜、厚賜珍財、転授高官、令知外事」(「同」a一八、―部「即」は原「則」、―部「惟」は原「忖」、―部「債」は原「価」、―部「侍」は原「佇」)<是に於て黄門即ち自ら思惟す、我れ宿悪業に不男の身を受く、今応に財を以て此の牛の難を救うべし。遂に其の債を償い悉く得脱せしむ。善業力の故に、此の黄門をして即ち男身に復せしめん。深く慶悦を生じ、尋いで城内に還って、宮門に侍立す。使に附して王に啓し、入りて奉覲せんことを請う。王は喚び入れしめ、怪んで所由を問う。是に於て黄門は、具さに上の事を奏す。王聞きて驚喜して、厚く珍財を賜い、転(うた)た高官を授けて、外事を知らしめき>

 「不男」とは、男性機能のない男子。「外事」とは、後宮関連ではなく、一般の政治関係の仕事。

「如是善業、要待相続、或度相続、方受其果」(「同」a二四<是の如くの善業は、要(かなら)ず相続を待って、或いは相続を度りて、方に其の果を受く>

「明らかに知りぬ、牛畜の身、惜しむべきにあらざれども、救ふ人、善果を受く。謂はんや恩田を敬ひ、徳田を敬ひ、諸々の善を修せんをや。かくの如くなるを、善の順現法受業と名づく。善により悪によりて、かくの如くのこと多かれど、尽し挙ぐるに暇あらず」

 喩え畜類であっても、慈悲心で救う人の善果は保障される。ましてや父母等の恩田や阿羅漢等の徳田を敬い、善果を得るは必然的である。このような事例の善業を順現法受業と云うが、一つ一つ列挙するには及ばないであろう。

第二順次生受業、謂若業此生造作増長、於第二生受異熟果、是名順次生受業」(「同」五九三b四、―部「第二」が原なし、―部「者」は原なし)<第二に順次生受業者、謂わく若し業を此の生に造作し増長して、第二生に於て異熟果を受くるを、是れを順次生受業と名づく>

「謂はく、もし人ありて、この生に五無間業を作れる、必ず順次生に地獄に落つるなり。順次生とは、この生の次の生なり。余の罪は、順次生に地獄に落つるもあり。また順後次受の引くべきあれば、順次生に地獄に落ちず、順後業となることもあり。この五無間業は、定めて順次生受業に地獄に落つるなり。順次生、また第二生とも、これを云ふなり」

 「五無間業」の語が唐突に出現するが、次段に説く伏線的意味合いで附言するが、原文の『大乗義章』では「五逆」としての記載である。この「五無間業」は、人間としての最低限の社会規範ではあろうが、道元の生きた中世武家社会では、日常的に最悪業が頻発していた状況から、鎌倉幕府北条時頼にも、このような説法が行われたと推察されるが、如何せん彼らには馬耳東風であったのだろう。

 

   三

 五無間業

  一者殺父、二者殺母、三者殺阿羅漢、四者出佛身血、五者

  破和合僧。

 この五無間業のなかに、いづれにても一無間業をつくれるもの、かならず順次生に地獄に墮するなり。あるいはつぶさに五無間業ともにつくるものあり、いはゆる迦葉波佛のときの華上比丘これなり。あるいは一無間をつくるものあり、いはゆる釋迦牟尼佛のときの阿闍世王なり。そのちゝをころす。あるいは三無間業をつくれるものあり、釋迦牟尼佛のときの阿逸多これなり。ちゝをころし、母をころし、阿羅漢をころす。この阿逸多は在家のときつくる、のちに出家をゆるさる。

 提婆達多、比丘として三無間業をつくれり。いはゆる破僧出血殺阿羅漢なり。あるいは提婆達兜といふ。此翻天熟。その破僧といふは、

 將五百新學愚蒙比丘、吉伽耶山作五邪法而破法輪僧、身子厭之眠熟、目連擎衆將還。提婆達多眠起發誓、誓報此恩捧縱三十肘、廣十五肘石、擲佛。山神以手遮石、小石迸傷佛足、血出。

 もしこの説によらば、破僧さき、出血のちなり。もし餘説によらば、破僧出血の前後、いまだあきらめず。この拳をもて蓮華色比丘尼をうちころす。この比丘尼は阿羅漢なり。これを三無間業をつくれりといふなり。

 破僧罪につきては、破羯磨僧あり、破法輪僧あり。破羯磨僧は三洲にあるべし、北洲をのぞく。如來在世より、法滅のときにいたるまでこれあり。破法輪僧はたゞ如來在世のみにあり。餘時はたゞ南洲にあり、三洲になし。この罪、最大なり。この三無間業をつくれるによりて、提婆達多、順次生に阿鼻地獄に墮す。かくのごとく五逆つぶさにつくれるものあり、一逆をつくれるものあり。提婆達多がごときは三逆をつくれり。ともに阿鼻地獄に墮すべし。その一逆をつくれるがごとき、阿鼻地獄一劫の壽報なるべし。具造五逆のひと、一劫のなかにつぶさに五報をうくとやせん、また前後にうくとやせん。

 先徳曰く、阿含涅槃同在一劫、火有厚薄と。

 あるいはいはく、唯在増苦増と。

 いま提婆達多、かさねて三逆をつくれり、一逆つくれる人の罪には三倍すべし。しかあれども、すでに臨命終のときは南無の言をとなへて惡心すこしきまぬかる。うらむらくは具足して南無佛と稱ぜざること。阿鼻にしてははるかに釋迦牟尼佛に歸命したてまつる。續善ちかきにあり。なほ阿鼻地獄に四佛の提婆達多あり。

 瞿伽離比丘は千釋出家の時、そのなかの一人なり。調達瞿伽離、二人出城門のとき、二人のれる馬、たちまちに仆倒し、二人のむまよりおち、冠ぬげておちぬ。ときのみる人、みないはく、この二人は佛法におきて益をうべからず。

 この瞿伽離比丘、また倶伽離といふ。此生に舎利弗目犍連を謗ずるに、無根の波羅夷をもてす。世尊みづからねんごろにいさめましますにやまず。梵王くだりていさむるにやまず。二尊を謗ずるによりて、次生に墮すべし。又、いまに續善根の縁にあはず。

 四禪比丘、臨命終のとき謗佛せしによりて四禪の中陰かくれて阿鼻地獄に墮せり。かくのごとくなるを順次生受業となづく。

 この五無間業を、なにによりて無間業となづく。そのゆゑ五あり。

 一者趣果無間。故名無間。捨此身已、次身即受。故名無間

 二者受苦無間。故名無間。五逆之罪、生阿鼻獄一劫之中、受苦相續無有樂間。因從果稱名無間業。

 三者時量無間故、名無間。五逆之罪、生阿鼻獄。決定一劫時不斷故。故名無間。

 四者壽命無間。故名無間。五逆之罪、生阿鼻獄。一劫之中、壽命無絶。因從果稱名爲無間。

 五者身形無間。故名無間。五逆之罪、生阿鼻獄。阿鼻地獄、縱廣八萬四千由旬、一人入中身亦遍滿。一切人入、身亦遍滿。不相障礙。因從果号名曰無間。

 第三順後次受業者、謂若業此生造作増長、墮第三生、或墮第四生、或復過此、雖百千劫、受異熟果、是名順後次受業。

 いはく、人ありて、この生に、あるいは善にもあれ、あるいは惡にもあれ、造作しをはれりといへども、あるいは第三生、あるいは第四生、乃至百千生のあひだにも、善惡の業を感ずるを、順後次受業となづく。菩薩の三祇劫の功徳、おほく順後次受業なり。かくのごとくの道理しらざるがごときは、行者おほく疑心をいだく。いまの闍夜多尊者の在家のときのごとし。もし鳩摩羅多尊者にあはずは、そのうたがひ、とけがたからん。行者もし思惟それ善なれば、惡すなはち滅す。それ惡思惟すれば、善すみやかに滅するなり。

 室羅筏國昔有二人、一恒修善、一常作惡。修善行者、於一身中、恒修善行、未甞作惡。作惡行者、於一身中、常作惡行、未甞修善。修善行者、臨命終時、順後次受惡業力故、歘有地獄中有現前、便作是念、我一身中、恒修善行、未甞作惡、應生天趣、何因縁有此中有現前。遂起念言、我定應有順後次受惡業今熟故、此地獄中有現前。即自憶念一身已來所修善業、深生歡喜。由勝善思現在前故、地獄中有即便隱歿、天趣中有歘爾現前。從此命終、生於天上。

 この恒修善行のひと、順後次受のさだめてうくべきがわが身にありけるとおもふのみにあらず、さらにすゝみておもはく、一身の修善もまたさだめてのちにうくべし。ふかく歡喜すとはこれなり。この憶念まことなるがゆゑに、地獄の中有すなはちかくれて、天趣の中有たちまちに現前して、いのちをはりて天上にむまる。この人もし惡人ならば、命終のとき、地獄の中有現前せば、おもふべし、われ一身の修善その功徳なし、善惡あらんにはいかでかわれ地獄の中有をみん。このとき因果を撥無し、三寶を毀謗せん。もしかくのごとくならば、すなはち命終し、地獄におつべし。かくのごとくならざるによりて、天上にむまるゝなり。この道理、あきらめしるべし。

 作惡行者、臨命終時、順後次受善業力故、歘有天趣中有現前、便作是念、我一身中常作惡行、未甞修善、應生地獄、何縁有此中有現前。遂起邪見、撥無善惡及異熟果。邪見力故、天趣中有尋即隱歿、地獄中有歘爾現前。從此命終、生於地獄。

 この人いけるほど、つねに惡をつくり、さらに一善を修せざるのみにあらず、命終のとき、天趣の中有の現前せるをみて、順後次受をしらず、われ一生のあひだ惡をつくれりといへども、天趣にむまれんとす。はかりしりぬ、さらに善惡なかりけり。かくのごとく善惡を撥無する邪見力のゆゑに、天趣の中有たちまちに隱歿して、地獄の中有すみやかに現前し、いのちをはりて地獄におつ。これは邪見のゆゑに、天趣の中有かくるゝなり。

 しかあればすなはち、行者かならず邪見なることなかれ。いかなるか邪見、いかなるか正見と、かたちをつくすまで學習すべし。

 まづ因果を撥無し、佛法僧を毀謗し、三世および解脱を撥無する、ともにこれ邪見なり。まさにしるべし、今生のわが身、ふたつなしみつなし。いたづらに邪見におちて、むなしく惡業を感得せん、をしからざらんや。惡をつくりながら惡にあらずとおもひ、惡の報あるべからずと邪思惟するによりて、惡報の感得せざるにはあらず。惡思惟によりては、きたるべき善報も轉じて惡報のきたることもあるなり。惡思惟は無間によれり。

 

五無間業一者殺父、二者殺母、三者殺阿羅漢、四者出仏身血、五者破和合僧」(『大乗義章』七(「大正蔵」四四・八a二五、―部「五無間業」は原「五逆罪」、―部「一者」が原「謂」、―部「二者」は原なし、―部「三者」は原なし、―部「四者」は原なし、―部「五者」は原なし) 

「この五無間業の中に、いづれにても一無間業を作れる者、必ず順次生に地獄に堕するなり。或いはつぶさに五無間業ともに作る者あり、いはゆる迦葉波仏の時の華上比丘これなり。或いは一無間を作る者あり、いはゆる釈迦牟尼仏の時の阿闍世王なり。その父を殺す」

 「迦葉波仏の時の華上比丘」の出典は、『観経疏伝通記』では「迦葉仏時華上比丘具造五業、及断善根」(「大正蔵」五七・六六八a三)と記載あり。「阿闍世王」に関しては、マガダ国(ビハール州)の王(在位、紀元前五世紀初頭)であるが、自身の父親であるビンビサーラを殺害し王位を得たとし、「一無間業」とする。ビンビサーラも阿闍世(アジャータシャトル)も釈尊の初期仏教に深き関わった人物で、阿闍世は釈尊の滅後二十四年後に亡じたと伝えあり。

「あるいは三無間業を作れる者あり、釈迦牟尼仏の時の阿逸多これなり。父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺す。この阿逸多は在家のとき作る、後に出家を許さる」

 「阿逸多」に関しては、『法華文句記』二下にて「波羅奈有長者子、名阿逸多殺父害母殺阿羅漢、焚燒僧坊。後欲出家」(「大正蔵」三四・一八八a二五)との文言が見出される。

提婆達多、比丘として三無間業を作れり。いはゆる破僧出血殺阿羅漢なり。あるいは提婆達兜といふ。此翻天熟」

 この文の出典は『妙法蓮華経文句』八下での「故知二師深得経意。提婆達多亦名達兜此翻天熟」(「大正蔵」三四・一一五a二)に該当しよう。なお「提婆達多」に関しては、森章司氏による『提婆達多(Devadatta)の研究』(中央学術研究所・原始仏教聖典資料による釈尊伝の研究)に詳論される。

「その破僧といふは、将五百(新学愚蒙比丘、吉伽耶山作五邪法而破法輪僧)、身子厭之眠熟目連衆将還。(提婆達多眠起発誓誓報此恩捧(縦)三十肘広十五肘(石)、擲仏山神以手遮(石)、小石迸傷仏足血出<五百の新学愚蒙の比丘を将(ひき)いて、吉伽耶(きがや)山に五邪法を作し而して法輪僧を破す、身子(舎利弗の義訳)は、之を厭いて眠熟せしめ、目連は衆を擎(ささ)げて将(まさ)に還らしむ。提婆達多は眠りより起きて誓いを発し、此の恩に報いんと誓い、縦三十肘、広十五肘の石を捧げて、仏に擲(なげう)つ。山神は手で以って石を遮り、小石迸(ほとばし)りて仏の足を傷つけ、血出づ>

 この出典も同じく『妙法蓮華経文句』八下ではあろうが前半部に附言された語があることから、原文を掲げよう。

「其破僧将五百比丘去。身子厭之眠熟目連擎衆将還眠起発誓誓報此怨捧三十肘石広十五肘擲仏山神手遮小石迸傷仏足血出」(「同」a三、―部は同文、( )は附言)

「もしこの説によらば、破僧さき、出血のちなり。もし余説によらば、破僧出血の前後、いまだ明らめず。この拳をもて蓮華色比丘尼を打ち殺す。この比丘尼は阿羅漢なり。これを三無間業を作れりと云ふなり」

 「拳をもて蓮華色比丘尼を打ち殺す」は前の『妙法蓮華経文句』での「拳花色比丘尼死」(「同」a七を引用したものである。「蓮華色比丘尼」については、『袈裟功徳』に於いても説かれ簡略な解説を付言したが、今ここで再度記載す。「王舎城(ラージギル)の人で、この町で結婚し一女を生んだが、夫が彼女(蓮華色)の母との密通を知り、婚家を去り波羅奈(バラナシ)城に行き、そこで長者に嫁いだが、後にこの長者は一人の若い女を妾としが、この女は彼女が最初の結婚で産んだ自身の娘であった事実から摩訶波闍波提比丘尼釈尊の義母)について出家得度し、比丘尼となる」。

「破僧罪につきては、破羯磨僧あり、破法輪僧あり。破羯磨僧は三洲にあるべし、北洲を除く。如来在世より、法滅の時に至るまでこれあり。破法輪僧はただ如来在世のみにあり。余時はただ南洲にあり、三洲になし。この罪、最大なり。この三無間業を作れるによりて、提婆達多、順次生に阿鼻地獄に堕す」

 「破羯磨僧・破法輪僧」に関しては、『大乗義章』七にて「破羯磨僧在三天下。除欝単越、彼無僧故。破法輪僧唯在閻浮不在余方」(「大正蔵」四四・六〇九b二八)を参照されたい。

「かくの如く五逆具さに造れる者あり、一逆を作れる者あり。提婆達多が如きは三逆を作れり。ともに阿鼻地獄に堕すべし。その一逆を造れるが如き、阿鼻地獄一劫の寿報なるべし。具造五逆の人、一劫の中に具さに五報を受くとやせん、また前後に受くとやせん」

 この文言も前述同様に『大乗義章』七での「有人俱造五逆是人為当一劫之中具受五報為当前後」(「大正蔵」四四・六一〇b一三)に相当するもので、中間の文言は道元自身のものと思われる。

「先徳曰く、阿含涅槃同在一劫、火有厚薄と。あるいはいはく、唯在増苦増と」

 「先徳曰く、阿含涅槃同在一劫、火有厚薄」<阿含・涅槃に同じく一劫在り、火に厚薄有り>に関する出典も『大乗義章』七の「如阿含中、同在一劫火有厚薄涅槃亦然」(「同」b一四)ではあるが、「阿含・涅槃」を同列に改変される。

 「唯在増苦増」<唯だ増苦増す在り>の出典は数種考えられるが、ここでは『法華文句記』八之四での「無間一劫熟、堕罪増苦増」(「大正蔵」三四・三一三b八)とする。

「いま提婆達多、重ねて三逆を造れり、一逆造れる人の罪には三倍すべし。しかあれども、すでに臨命終の時は南無の言を唱へて悪心少しき免かる。恨むらくは具足して南無仏と称ぜざること。阿鼻にしては遥かに釈迦牟尼仏に帰命したてまつる。続善近きにあり。なほ阿鼻地獄に四仏の提婆達多あり」

 この処も出典籍があると思われるが、残念ながら不見出である。ともかくも「提婆達多」に関する記述に終始し、三逆は結果であるから後戻りは不可能であるから、「南無」を臨終の時にでも唱えることを勧められる。さらに拘樓仏・拘那牟尼・迦葉仏・釈迦仏の各時代に於いても「提婆達多」なる人物は必ず居るのである。

「瞿伽離比丘は千釈出家の時、その中の一人なり。調達瞿伽離、二人出城門の時、二人乗れる馬、忽ちに仆倒し、二人のむまより落ち、冠ぬげて落ちぬ。時の見る人、皆いはく、この二人は仏法におきて益を得べからず」

 この出典籍は『法華玄義釈籤』四での「乃令千釈種出家入道、此千種釈出城之時、提婆達多瞿伽離其馬仆其冠脱衆人皆云是二人者必於仏法無大利、此亦地獄之前相也」(「大正蔵」三三・八四一a六)が該当されよう。なお・・部「調達」は提婆達多の異名ではあるが、「調達・瞿伽離」と記載する文献は『沙弥塞部和醯五分律』十三での「如調達瞿伽離受罪」(「大正蔵」二二・九三c一二)のみである。

「この瞿伽離比丘、また倶伽離と云ふ。此生に舎利弗・目犍連を謗ずるに、無根の波羅夷をもてす。世尊みづから懇ろに諫めましますに止まず。梵王くだりて諫むるに止まず。二尊を謗ずるによりて、次生に堕すべし。又、いまに属善根の縁にあはず」

 この出典も幾つか考えられるが、『大智度論』十三での「梵天王聴仏説已、忽然不現即還天上。爾時倶迦離到仏所、頭面礼仏足却住一面。仏告倶伽離舍利弗目揵連心浄柔軟。汝莫謗不敢不信―略―叫喚嗥哭其夜即死、入大蓮華地獄」(「大正蔵」二五・一五七c四)に比定されよう。

「四禅比丘、臨命終のとき謗仏せしによりて四禅の中陰かくれて阿鼻地獄に堕せり。かくの如くなるを順次生受業と名づく。この五無間業を、何によりて無間業と名づく」

 ここに来て「四禅比丘」を登場させるは第十『四禅比丘』の巻が念頭にあり、その伏線であろう。この出典の的確な典籍は見当らないが、『維摩経略疏』七での「四禅比丘、謂是四果、臨終見生処謗無涅槃即堕地獄」(「大正蔵」三八・六五六a二四)を挙げよう。

「そのゆゑ五あり。一者趣果無間。故名無間。捨此身已、次身即受。故名無間」(『大乗義章』七)<一つには趣果無間なり。故に無間と名づく。此の身を捨し已りて、次の身を即ち受く。故に無間と名づく>

 出典は間違いないが、初めに異同あるため原文を記す。「五何故名無間業、釈有四義。一趣果無間故日無間故成実言捨此身已次身即受故名無間」(「大正蔵」四四・六〇八b四)

「二受苦無間。故名無間。五逆之罪、生阿鼻獄一劫之中、苦相続無有楽間。因従果称名無間業」(「同」b六、―部「者」は原なし、―部「故名無間」は原なし、―部「受」が原「苦」)<二つには受苦無間なり。故に無間と名づく。五逆の罪、阿鼻獄に生ずる一劫の中、受苦相続して楽間有る無し。因って果に従って称して無間業と名づく>

「三時量無間名無間。五逆之罪、生阿鼻獄。決定一劫時不断故故名無間」(「同」b八、―部「者」は原なし、―部「時量」は原「寿命」、―部「故」は原なし、―部「名無間」は原なし、―部「決定」は原なし、―部「時不断故」は原「之中寿命無絶」、―部「故名」は原「因従果因名為」)<三つには、時量無間の故に、無間と名づく。五逆の罪は、阿鼻獄に生ず。決定して一劫時に不断なるが故に。故に無間と名づく>

者寿命無間。故名無間。五逆之罪、生阿鼻獄。一劫之中、寿命無絶。因従果名為無間」(「同」b九、―部「四」は原「三」、―部「故名無間」は原なし、―部「称」は原「因」)<四つには寿命無間なり。故に無間と名づく。五逆の罪は、阿鼻獄に生ず。一劫の中、寿命絶ゆる無し。因って果に従って名を称じて無間と為す>

身形無間。故名無間。五逆之罪、生阿鼻獄。阿鼻地獄、縦横八万四千由旬、一人入中身亦遍満。一切人入、身亦遍満。不相障礙。因従果号名曰無間」(「同」b九、―部「五」は原「四」、―部「者」は原なし、―部「故名無間」は原なし)<五つには身形無間なり。故に無間と名づく。五逆の罪は、阿鼻獄に生ず。阿鼻地獄は、縦横に八万四千由旬なり、一人中に入るも身亦た遍満す。一切人入るも、身亦た遍満す。相障礙せず。因って果に従って号を名づけて無間と曰う>

 道元は「五者」とするが、『大乗義章』原文では「四義」とする。「三者」は実質なく、「四者」は三、「五者」は四である。この差異は道元自身によるものか、あるいは書写のミスかは判断できず。

第三順後次受業者、謂若業此生造作増長、堕第三生、或堕第四、或復過此、雖百千劫、受異熟果、是名順後次受業」(『阿毘達磨大毘婆沙論』百十四(「大正蔵」二七・五九三b六、―部「第三」は原なし、―部「生」は原なし、―部「雖百千劫」は原なし)<第三に順後次受業とは、謂わく若し業を此生に造作し増長して、第三生に堕し、或いは第四生に堕し、或いは復た此れを過ぎて、百千劫なりと雖も、異熟果を受く、是れを順後次受業と名づく>

 これあ先述の「順次生受業」に続くものが、途次「提婆達多」に関する無間業を論じた為、ここに位置づけられる。

「謂はく、人ありて、この生に、或いは善にもあれ、或いは悪にもあれ、造作し終れりと云へども、或いは第三生、或いは第四生、乃至百千生の間にも、善悪の業を感ずるを、順後次受業と名づく。菩薩の三祇劫の功徳、多く順後次受業なり。かくの如くの道理知らざるが如きは、行者多く疑心を抱く。今の闍夜多尊者の在家の時の如し。もし鳩摩羅多尊者に会はずは、その疑ひ、解け難からん。行者もし思惟それ善なれば、悪すなはち滅す。それ悪思惟すれば、善すみやかに滅するなり」

 此処に提示される問いは、当に筆者をも含めた多くの現代人の案ずる所であろう。現生は信ずる外ない真実態の世界ではあるが、「次生

第三生、第四生、百千生」となると、俄かには信じ難い思考法である。

 「鳩摩羅多・闍夜多」問答の「頓釈所疑」を援用する思弁法は、様々な経典類を引用されるが、すべて聯関する関係性を表態する手法であろう。

「室羅筏国昔有二人、一恒修善、一常作悪。修善行者、於一身中、恒修善行、未甞作悪。作悪行者、於一身中、常作悪行、未甞修善」(『阿毘達磨大毘婆沙論』六十九(「大正蔵」二七・三五九c二一)<室羅筏国に昔二(ふたり)の人有り、一(ひとり)は恒に善を修す、一は常に悪を作す。修善を行ずる者は、一身の中に於て、恒に善行を修して、未だ甞て悪を作さず。悪行を作す者は、一身の中に於て、常に悪行を作して、未だ甞て善を修せず>

 「室羅筏(しらば)国」はシュラバスティの音写語で舎衛国。古代十六大国の中のコーサラ国の首都。

「修善行者、臨命終時、順後次受悪業力故、歘有地獄中有現前、便作是念、我一身中、恒修善行、未甞作悪、応生天趣、何因縁有此中有現前。遂起念言、我定応有順後次受悪業今熟故、此地獄中有現前」(「同」c二四)<善行を修する者は、臨命終の時に、順後次受の悪業の力の故に、歘(たちまち)に地獄の中有有りて現前するに、便ち是の念を作す、我れ一身の中に、恒に善行を修す、未だ甞て悪を作さず、応に天趣に生ずべきに、何の因縁にてか此の中有有りて現前す。遂に念を起して言く、我れ定んで応に順後次受の悪業有りて今熟すべきが故に、此の地獄の中有を現前す>

「即自憶念一身已来所修善業、深生歓喜。由勝善思現在前故、地獄中有即便隠歿、天趣中有歘爾現前。従此命終、生於天上」(「同」c二八)<即ち自ら一身已来の所修の善業を憶念して、深く歓喜を生ず。勝善思し現在前するに由るが故に、地獄の中有は即便ち隠歿し、天趣の中有は歘爾(たちまち)に現前す。此れより命終して、天上に於て生ず>

「この恒修善行の人、順後次受の定めて受くべきが我が身に有りけると思ふのみにあらず、さらに勧みて思はく、一身の修善も又定めて後に受くべし。深く歓喜すとはこれなり。この憶念まことなるがゆゑに、地獄の中有便ち隠れて、天趣の中有歘ちに現前して、命終りて天上にむまる」

 ここは単に「毘婆沙論」の要約ではあるが、とにかく我々も「恒修善行」には心掛けるよう日々精進しては居るが、如何せん哉、知らず知らずの無意識下での「悪行」は、吐息同様どうにも収束できない。

「この人もし悪人ならば、命終の時、地獄の中有現前せば、思ふべし、われ一身の修善その功徳なし、善悪あらんには如何でか我れ地獄の中有を見ん。この時因果を撥無し、三宝を毀謗せん。もしかくの如くならば、すなはち命終し、地獄に堕つべし。かくの如くならざるによりて、天上にむまるるなり。この道理、明らめ知るべし」

 誰しもが自身の命終を思わぬ者は居ないだろう(特に齢を重ねるに従い)が、「中有」を認得する時点では呼吸が終了し臨終であろうから、其の意識機能はと穿鑿したくはなるが、此処では文意の如くに「因果撥無・三宝毀謗」を反省をし、「道理を明らめる」ことに努めるべきであろう。

 なお、「中有」の言を強調する辺りの語法からして、『道心』に於ける「中有」の言と連関するものであろう。

「作悪行者、臨命終時、順後次受善業力故、歘有天趣中有現前、便作是念、我一身中常作悪行、未甞修善、応生地獄、何縁有此中有現前。遂起邪見、撥無善悪及異熟果。(若有善悪異熟果者、我不応然。由謗因果)邪見力故、天趣中有尋即隠歿、地獄中有歘爾現前。従此命終、生於地獄」(『阿毘達磨大毘婆沙論』六十九(「大正蔵」二七・三六〇a二、―部「若有善悪異熟果者、我不応然。由謗因果」は原あり)<悪行を作れる者は、命終に臨む時、順後次受の善業力の故に、歘ちに天趣の中有有りて現前するに、便ち是の念を作さく、我れ一身の中に常に悪行を作る、未だ甞て善を修せず、応に地獄に生ずべし、何に縁りてか此の中有が有りて現前する。遂に邪見を起して、善悪及び異熟果を撥無す。邪見力の故に、天趣の中有尋で即ち隠歿し、地獄の中有歘ち爾に現前す。此れより命終して、地獄に生ぜり>

「この人生ける程、常に悪を作り、さらに一善を修せざるのみにあらず、命終の時、天趣の中有の現前せるを見て、順後次受を知らず、われ一生のあひだ悪を作れりと云へども、天趣にむまれんとす。測り知りぬ、さらに善悪なかりけり。かくの如く善悪を撥無する邪見力のゆゑに、天趣の中有忽ちに隠歿して、地獄の中有速やかに現前し、命終りて地獄に落つ。これは邪見のゆゑに、天趣の中有隠るるなり」

 因果の結果は歴然として居り、この「天趣の中有の現前を見て」、後には「天趣の中有が隠るる」とは、如何なる存在が介在しているのだろうか。

「しかあれば便ち、行者必ず邪見なることなかれ。如何なるか邪見、如何なるか正見と、形を尽くすまで習習すべし。まづ因果を撥無し、仏法僧を毀謗し、三世および解脱を撥無する、ともにこれ邪見なり。まさに知るべし、今生のわが身、二つなし三つなし。いたづらに邪見に落ちて、虚しく悪業を感得せん、惜しからざらんや。悪を作りながら悪にあらずと思ひ、悪の報あるべからずと邪思惟するによりて、悪報の感得せざるにはあらず。悪思惟によりては、来たるべき善報も転じて悪報の来たることもあるなり。悪思惟は無間によれり」

 此処では三時業に因んで、「因果の撥無・仏法僧の毀謗・解脱の撥無」の邪見・邪思惟の原因は「無間」による、と説く。

 

   四

 皓月供奉、問長沙景岑和尚、古徳云、了即業障本來空、未了應須償宿債。只如師子尊者二祖大師、爲什麼得償債去。長沙云、大徳不識本來空。皓月云、如何是本來空。長沙云、業障是。皓月又問、如何是業障。長沙云、本來空是。皓月無語。

長沙便示一偈云、

  假有元非有 假滅亦非無 涅槃償債義 一性更無殊

 長沙景岑は南泉の願禪師の上足なり。久しく參學のほまれあり。まゝに道得是あれども、いまの因縁は渾無理會得なり。ちかくは永嘉の語を會せず、つぎに鳩摩羅多の慈誨をあきらめず。はるかに世尊の所説、ゆめにもいまだみざるがごとし。佛祖の道處すべてつたはれずは、たれかなんぢを尊崇せん。

 業障とは三障のなかの一障なり。いはゆる三障とは、業障報障煩惱障なり。業障とは五無間業をなづく。皓月が問、このこゝろなしといふとも、先來いひきたること、かくのごとし。皓月が問は、業不亡の道理によりて順後業のきたれるにむかふてとふところなり。長沙のあやまりは、如何是本來空と問するとき、業障是とこたふる、おほきなる僻見なり。業障なにとしてか本來空ならん。つくらずは業障ならじ。つくられば本來空にあらず。つくるはこれつくらぬなり。業障の當體をうごかさずながら空なりといふは、すでにこれ外道の見なり。業障本來空なりとして放逸に造業せん、衆生さらに解脱の期あるべからず。解脱のひなくは、諸佛の出世あるべからず。諸佛の出世なくは、祖師西來すべからず。祖師西來せずは、南泉あるべからず。南泉なくは、たれかなんぢが參學眼を換卻せん。また如何是業障と問するとき、さらに本來空是と答する、ふるくの縛馬答に相似なりといふとも、おもはくはなんぢ未了得の短才をもて久學の供奉に相對するがゆゑに、かくのごとくの狂言を發するなるべし。

 のち偈にいはく、涅槃償債義、一性更無殊。

 なんぢがいふ一性は什麼性なるぞ。三性のなかにいづれなりとかせん。おもふらくは、なんぢ性をしらず。涅槃償債義とはいかに。なんぢがいふ涅槃はいづれの涅槃なりとかせん。聲聞の涅槃なりとやせん、支佛の涅槃なりとやせん、諸佛の涅槃なりとやせん。たとひいづれなりとも、償債義にひとしかるべからず。なんぢが道處さらに佛祖の道處にあらず。更買草鞋行脚すべし。師子尊者二祖大師等、惡人のために害せられん、なんぞうたがふにたらん。最後身にあらず、無中有の身にあらず、なんぞ順後次受業のうくべきなからん。すでに後報のうくべきが熟するあらば、いまのうたがふところにあらざらん。あきらかにしりぬ、長沙いまだ三時業をあきらめずといふこと。參學のともがら、この三時業をあきらめんこと、鳩摩羅多尊者のごとくなるべし。すでにこれ祖宗の業なり、癈怠すべからず。

 このほか不定業等の八種の業あること、ひろく參學すべし。いまだこれをしらざれば、佛祖の正法つたはるべからず。この三時業の道理あきらめざらんともがら、みだりに人天の導師と稱ずることなかれ。

 

皓月供奉、問長沙岑和尚、古徳云、了即業障本来空、未了応須償宿債。只如師子尊者二祖大師、為什麼得償債去(『景徳伝灯録』三「慧可伝別記」(「大正蔵」五一・二二一a一七、―部「景」は原なし)<皓月供奉、長沙の景岑和尚に問う、古徳云く、了ずれば即ち業障本来空なり、未だ了ぜずは応に須く宿債を償うべし。只だ師子尊者・二祖大師の如きは、什麼と為してか償債を得去るや>

 「皓月供奉」とは、宮中の内道場に供奉して読誦などの役目を勤める僧を云う。中国では唐の粛宗の至徳元年(756)元皎が任ぜられたのに始まる。

「長沙云、大徳不識本来空。皓月云、如何是本来空。長沙云、業障是。皓月又問、如何是業障。長沙云、本来空是。皓月無語」(「同」a一八、―部「皓月」は原「彼」、―部「皓月」は原なし、―部「皓月」は原「彼」)<長沙云く、大徳は本来空を識らず。皓月云く、如何が是れ本来空。長沙云く、業障是れなり。皓月又問う、如何が是れ業障。長沙云く、本来空是れなり。皓月に語無し>

「長沙便示一偈云、仮有元非有、仮滅亦非無。涅槃償債義、一性更無殊」(「同」a一九)<長沙便ち一偈を示して云く、仮(かり)の有も元の有に非ず、仮の滅も亦無に非ず。涅槃償債の義、一性更に殊なる無し>

「長沙景岑は南泉の願禅師の上足なり。久しく参学の誉れあり。ままに道得是あれども、今の因縁は渾無理会得なり。近くは永嘉の語を会せず、次に鳩摩羅多の慈誨を明らめず。はるかに世尊の所説、夢にも未だ見ざるが如し。仏祖の道処すべて伝はれずは、たれか汝を尊崇せん」

 長沙景岑(―868)と言えば南泉普願(748―834)に法を承けた十七人の第一席に列する禅僧であり、その威風堂々とした説法の様子は『景徳伝灯録』十(「大正蔵」五一・二七四a八)にて記載あり。

 「旧草本」での「長沙景岑」の時には正しい仏法観を表明するが、この話則にては「業障と空」の混乱が見られ、理解不能であるが、これは『深信因果』での永嘉玄覚(675―713)が示した「撥因果」とする、とは理解して居ないからであり、また「鳩摩羅多」についても、「当巻」冒頭での「不磨滅」とする所は、慈誨を明かにしない辺りは仏々祖々と言われる人々も、「世尊の所説を、夢にも未だ見ざる」とうである。因みに「長沙景岑」に関連する話頭を挙ぐるに『仏性』(蚯蚓両段)・『光明』(尽十方界是沙門)・『渓声山色』(転山河大地)・『諸法実相』(尽十方界真実人体)『十方』(尽十方界是沙門)と五巻に亘って長沙を登壇させるが、いづれも長沙の言を賛辞されるが、この変化は、晩年に至りての対機説法的な手法を用いる、「新草本」の特徴であろう。

「業障とは三障の中の一障なり。いはゆる三障とは、業障・報障・煩悩障なり。業障とは五無間業を名づく。皓月が問、この心なしと云ふとも、先来云ひ来たること、かくの如し。皓月が問は、業不亡の道理によりて順後業の来たれるに向ふて問ふ所なり。長沙の誤りは、如何是本来空と問する時、業障是と答ふる、多きなる僻見なり。業障何としてか本来空ならん。作らずは業障ならじ。作られば本来空にあらず。作るはこれ作らぬなり。業障の当体を動かさずながら空なりと云ふは、すでにこれ外道の見なり」

 これ程までに「長沙」を叱責する理由は、「空・業障」を同等視するものではあるが、然るに此の話頭の出典元は「慧可伝別記」である。正式な「長沙」の上堂説法等による識見は、『景徳伝灯録』十での「大正蔵」五一・二七四a八~「同」二七六b四までの3000字以上に上る文言には一言も「空・業障」に関わる語法は無い事実を、重要視すべきであろう。

「業障本来空なりとして放逸に造業せん、衆生さらに解脱の期あるべからず。解脱の日なくは、諸仏の出世あるべからず。諸仏の出世なくは、祖師西来すべからず。祖師西来せずは、南泉あるべからず。南泉なくは、たれか汝が参学眼を換却せん。また如何是業障と問する時、さらに本来空是と答する、古くの縛馬答に相似なりと云ふとも、思はくは汝未了得の短才をもて久学の供奉に相対するがゆゑに、かくの如くの狂言を発するなるべし」

まづは「縛馬答」の出典であるが、『阿毘達磨倶舎論』八での「今此所言同縛馬答。猶如有問、縛馬者誰。答言馬主、即彼復問、馬主是誰。答言縛者」(「大正蔵」二九・四一c一三)であり「馬と縛る者と馬主」とは一体である様を譬うものである。

 「業障」=「空」→「解脱なし・諸仏なし・祖師西来なし」=南泉存在せず→長沙自身も居ない。とのロジックとなり得るが、この元々の失意は、長沙自身の未了得で以て「業障・空」を同等とする「狂言を発する」ことが原因である。との拈提となる。

「のち偈に云はく、涅槃償債義、一性更無殊。汝が云ふ一性は什麼性なるぞ。三性の中にいづれなりとかせん。思ふらくは、なんぢ性を知らず。涅槃償債義とは如何に。汝が云ふ涅槃はいづれの涅槃なりとかせん。声聞の涅槃なりとやせん、支仏の涅槃なりとやせん、諸仏の涅槃なりとやせん。たとひいづれなりとも、償債義に等しかるべからず。汝が道処さらに仏祖の道処にあらず」

 次いで「涅槃償債義、一性更無殊」つまり「涅槃」=「負債を償う」とは、一つの真実態(一性)としては同等、との長沙の言辞を批判されるものである。「一性」とは、真実ならしめる其の本体、とでも謂うべきものは善性・悪性・無記性(三性)のいづれかと問い質す。次いで「涅槃」=「償債義」と思っている以上は、仏祖の道う処には適わず、と言及する。要するに、長沙には「性」も「涅槃」も「償債義」も会得せず、と断罪するもの歟。

「更買草鞋行脚すべし。師子尊者二祖大師等、悪人の為に害せられん、何ぞ疑ふに堪らん。最後身にあらず、無中有の身にあらず、何ぞ順後次受業の受くべきなからん。すでに後報の受くべきが熟するあらば、今の疑ふ処に在らざらん。明らかに知りぬ、長沙いまだ三時業を明らめずと云ふこと。参学の輩、この三時業を明らめんこと、鳩摩羅多尊者の如くなるべし。すでにこれ祖宗の業なり、癈怠すべからず」

 「更買草鞋行脚」については、『王索仙陀婆』冒頭則の拈提にて「世尊と不同参ならば、更買草鞋行脚、進一歩始得」(「大正蔵」八二・二七〇c二一)と示されるが、『王索仙陀婆』が示衆された寛元三年(1245)十月二十二日からは、少なくとも五年の歳月を経ての使用である。

 「師子尊者・二祖大師、悪人の為に害せられん」に関しては、「師子尊者」つまり釈迦仏より第二十四祖に当るわけだが、『景徳伝灯録』二では「王即揮刀断尊者首、湧白乳高数尺」(「大正蔵」五一・二一五a一六)<王即ち刀を揮(ふる)いて尊者の首を断つに、白乳湧くこと高さ数尺>と記載あり。「二祖大師」は、つまり二十九祖慧可であるが、『祖堂集』では「瞿令扶委事由非理損害而終」(七十八頁)と記載あり。因みに『景徳伝灯録』には当該記事は見当らず。

 「三時業を明らめんこと、鳩摩羅多尊者の如くなるべし」とは、先ほどは「鳩摩羅多の慈誨を明らめず」と鳩摩羅多の非を示されるが、此処では「善悪之報有三時」と提示される鳩摩羅多の言明を「祖宗の業」と称賛するものだが、何やら道元自身に混乱が生じているような文体であるようだ。

「このほか不定業等の八種の業あること、広く参学すべし。未だこれを知らざれば、仏祖の正法伝はるべからず。この三時業の道理明らめざらん輩、妄りに人天の導師と称ずることなかれ」

 「不定業等の八種の業」とは、『大乗義章』七にて「於三時中、過縁便受、不遇不受、名不定。或為八、向前四業。望果各有定与不定、故有八也」(「大正蔵」四四・六〇四a三)を示唆す。その「八種」を示すに「➀定受果報➁受果不定➂定受果報➃受報不定⑤定受果報➅受報不定⑦定得果報⑧受報不定(「同」a七)と記載あり。

 

   五

 世尊言、假令經百劫、所作業不亡。因縁會遇時、果報還自受。汝等當知、若純黒業得純黒異熟、若純白業得純白異熟、若黒白業得雜異熟。是故汝等、應離純黒及黒白雜業、當勤修學純白之業。時諸大衆、聞佛説已、歡喜信受。

 世尊のしめしましますがごときは、善惡の業つくりをはりぬれば、たとひ百千萬劫をふといふとも不亡なり。もし因縁にあへばかならず感得す。しかあれば、惡業は懺悔すれば滅す。また轉重輕受す。善業は隨喜すればいよいよ増長するなり。これを不亡といふなり。その報なきにはあらず。

 

世尊言、仮経百劫、所作業不亡。因縁会遇時、果報還自受」(『大宝積経』五十七(「大正蔵」一一・三三五b一四、―部「世尊言」は原なし、―部「令」は原「使」)<世尊言く、仮令(たとい)百劫を経るも、所作の業は亡ぜじ。因縁会遇せん時、果報還って自ら受く>

「汝等当知、若純黒業得純黒異熟、若純白業得純白異熟、若黒白業得雑異熟。是故汝等、応離純黒及黒白雑業、当勤修学純白之業」<汝等当に知るべし、若し純黒業なれば 純黒の異熟を得ん、若し純白業なれば純白の異熟を得ん、若し黒白業なれば雑の異熟を得ん。是の故に汝等、応に純黒及び黒白の雑業を離るべし、当に純白の業を勤修学すべし>

と記載されるが、引用典籍と考えられる文言には相当に差異がある為、ここに該当箇所を記す。

「如是苾芻若純黒業得純黒報、若純白業得純白報、若雑業者当受雑報。是故汝等離純黒雑業、修純白

業」(「大正蔵」一一・三三六c一七)

 なお、偈文「仮令」~「如是苾芻」との間には、2400字余りにわたり「毘鉢尸仏より釈迦仏の弟子中善護根門最第一」などの因縁譚が説かれる。

「時諸大衆、聞仏説已、歓喜信受」

 この文言は、道元による造語と思われる。

「世尊の示しましますが如きは、善悪の業作り終はりぬれば、たとひ百千万劫を経と云ふとも不亡なり。もし因縁に会へば必ず感得す。しかあれば、悪業は懺悔すれば滅す。また転重軽受す。善業は随喜すればいよいよ増長するなり。これを不亡と云ふなり。その報なきにはあらず」

 これが「当巻」での最終語話となる。先の偈にて述べられる如くに、人間により成された善悪の業は、百千万劫を経過すれども消滅せず、とは信じ難い思考である。つまり人間である個体が消尽すれば、その人間が為した因果は亡ずと考えるのが自然であろう。しかるに輪廻転生により仮に次生の人間に転生し、その業因により業果が次生の身に顕現し、悪業を受く、とは如何にも理不尽のようにも感ずるが、もし此処で云う「百千万劫」は人間の一生に喩うもので、悪業は悔い改めれば、そこには「転重軽受」と云う形で生涯に現前し、「善業は随喜・増長するを不亡」として、現世に生ずるを「報なきにはあらず」と解し得るが、如何なものであろう歟。

(終)

2023年6月5日、タイ国仏誕節(ヴィサカブーチャ)を2日過ぎし日、擱筆