正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

十二巻本 第九「四馬」を読み解く    二谷正信

   十二巻本 第九「四馬」を読み解く

二谷正信

 

   序

「四馬」とは四頭の馬の性質を学仏者の性根の利鈍に喩え、仏法を暁了することの遅速あるを云うのである。此の「四馬」に対し義雲(1253―1333)は『六十巻本正法眼蔵』では第三十九に列し、その著語では「舟行岸移<舟行き岸移る>」と、「四馬」に対する総体的視眼を示される。また頌にては「鉄鞭挙処徹毛骨、趯倒四山坦路通。調御婆心誰測度、履空走地快追風<鉄鞭挙する処は毛骨に徹す、趯倒して四山坦路通ず。調御の婆心は誰か測度せん、空を履き地を走りて快に追風す>」

いま一つ『面山述賛』では「一有多種、二無両般。一念信解、即得究竟。所以道、発心畢竟二無別、甚深哉」<一に多種有り、二に両般無し。一念信解すれば、即ち究竟を得。所以道う、発心畢竟は二に別無しと、甚深なる哉>と、四馬と品が分れても、毛に触れ皮骨にさはる道理で、生を知れば死は知れるから、四つに分れても実の両般はなく、一念信解の処で生を知れば、其侭に即得究竟の死は知れるなり、と説かれる。

 

  一

 世尊一日、外道來詣佛所問佛、不問有言、不問無言。世尊據坐良久。外道禮拝讚歎云、善哉世尊、大慈大悲、開我迷雲、令我得入。乃作禮而去。外道去了、阿難尋白佛言、外道以何所得、而言得入、稱讚而去。世尊云、如世間良馬、見鞭影而行。

 祖師西來よりのち、いまにいたるまで、諸善知識おほくこの因縁を擧して參學のともがらにしめすに、あるいは年載をかさね、あるいは日月をかさねて、まゝに開明し、佛法に信入するものあり。これを外道問佛話と稱ず。しるべし、世尊に聖黙聖説の二種の施設まします。これによりて得入するもの、みな如世間良馬見鞭影而行なり。聖黙聖説にあらざる施設によりて得入するも、またかくのごとし。

 龍樹祖師曰、爲人説句、如快馬見鞭影、即入正路。

 あらゆる機縁、あるいは生不生の法をきゝ、三乘一乘の法をきく、しばしば邪路におもむかんとすれども、鞭影しきりにみゆるがごときは、すなはち正路にいるなり。もし師にしたがひ、人にあひぬるがごときは、ところとして説句にあらざることなし、ときとして鞭影をみずといふことなきなり。即坐に鞭影をみるもの、三阿僧祇をへて鞭影をみるものあり、無量劫を經て鞭影をみ、正路にいることをうるなり。

 

世尊一日、外道来詣仏所問仏()、不問有言、不問無言」(『景徳伝灯録』二十七「大正蔵」五一・四三四c六、―「世尊一日」は原なし、―「来詣仏所」は原なし、―「云」は原あり)<世尊一日、外道は仏の所に来詣し仏に問う、有言は問わず、無言は問わず>

「世尊拠坐良久。外道礼拝讃歎云、善哉世尊、大慈大悲、開我迷雲、令我得入」(「同」c七、―部「拠坐」は原なし、―部「讃歎」は原なし)<世尊は拠坐し良久す。外道は礼拝し讃歎して云く、善哉世尊、大慈大悲、我が迷雲を開き、我をして得入す>

乃作礼而去。外道去、阿難尋白、外道以何所、而言得入、称讃而去世尊云、如世間良馬、見鞭影而行」(「同」c八、―部「乃作礼而去」は原なし、―部「了」は原「已」、―部「尋白」は原「問」、―部「言」は原「云」、―部「得」は原「証」、―部「称讃而去」は原なし、―部「世尊」は原「仏」)<乃ち作礼して去りぬ。外道去り了りて、阿難尋いで仏に白して言く、外道は何の所得を以てか、而も得入すと言い、称讃して去るや。世尊云く、世間の良馬の、鞭影を見て行くが如し>

「祖師西来より後、今に至るまで、諸善知識多くこの因縁を挙して参学の輩に示すに、或いは年載を重ね、或いは日月を重ねて、ままに開明し、仏法に信入する者あり。これを外道問仏話と称ず。知るべし、世尊に聖黙聖説の二種の施設まします。これによりて得入する者、みな如世間良馬見鞭影而行なり。聖黙聖説にあらざる施設によりて得入するも、またかくの如し」

 この「外道問仏話」は達磨より現今(1250年頃)に至るまで多くの指導者が問題提起として修行者に示し、しばしば悟道し仏法に入門する手立てとして役立った古則公案であると、この「外道問仏話」を位置づける。また「聖黙聖説」に関しては、『観音玄義記』一にて「是則離言依言皆順至理、聖黙聖説俱有大益。故起信問日・・」(「大正蔵」三四・八九四b八)と記され、「聖黙聖説」が検索にヒットした経典は、この『観音玄義記』のみである。この「聖黙聖説」の接化法にて得入する参学人は、「世間で云う良馬が、鞭影の気配を感じて行く」ようであると、主従関係での啐啄同期的に作用する仏法を会得しなさいと、導く道元禅師(以下、道元と略称する)の親切語であろう。なお木村清孝著『正法眼蔵全巻解説』によれば聖黙聖説と、それにあらざる得入すると導く考え方は、「禅思想解釈の枠組みとして、一般的に使われる頓悟説・漸悟説などの通用などでは処理できない独自性ときめの細かさを有していることが見て取れよう」(四九一頁)との見解を示さる。

 また『無門関』三十二則にては頌における「不渉階梯、懸崖撒手」(「大正蔵」四八・二九七b二)から察すると、雲門は頓悟の立場であったと推察される。さらには『碧巌録』六十五則本則話(「大正蔵」四八・一九五b二六)にても取り挙げられる。

 因みに筆者の案ずる「外道の作礼」の意味する処は、良久する世尊による現身説法する無言が、真実世界を有言する態度として「開我迷雲」したものと解する次第である。

龍樹祖師曰為人説句、如快馬見鞭影、即入正路」(『妙法蓮華経玄義』一下「大正蔵」三三・六八七a二〇、―部「龍樹祖師曰」は原「中論云」、―部「為人説句」は原「為向道人説四句」)<龍樹祖師曰く、人の為に句を説くに、快馬の鞭影を見て、即ち正路に入るが如し>

「あらゆる機縁、或いは生不生の法を聞き、三乗一乗の法を聞く、しばしば邪路に赴かんとすれども、鞭影しきりに見ゆるが如きは、すなはち正路に入るなり。もし師に従ひ、人に会ひぬるが如きは、所として説句にあらざることなし、時として鞭影を見ずと云ふことなきなり。即坐に鞭影を見るもの、三阿僧祇を経て鞭影を見る者あり、無量劫を経て鞭影を見、正路に入ることを得るなり」

 此の娑婆世界に於ては「生不生・三乗一乗」に渡る機縁が聯関し、凡夫には如何とも成し得ずに、邪路に向う事あるは普通である。然るに「正」↔「邪」の道を選択する分岐路にては、「鞭影」と云う好縁が「師との遭遇であったり、大力量人との出会い」であると、一期一会的意味合いも醸し出す文体構成であり、此処でも頓悟(即坐)漸悟(三阿僧祇)を問題にしているようにも見えるが、「鞭影」と云う仏道により「正路」に入るを強調する文意であろう。

 

   二

 雜阿含經曰、佛告比丘、有四種馬、一者見鞭影、即便驚悚隨御者意。二者觸毛、便驚悚隨御者意。三者觸肉、然後乃驚。四者徹骨、然後方覺。初馬如聞佗聚落無常、即能生厭。次馬如聞己聚落無常、即能生厭。三馬如聞己親無常、即能生厭。四馬猶如己身病苦、方能生厭。

 これ阿含の四馬なり。佛法を參學するとき、かならず學するところなり。眞善知識として人中天上に出現し、ほとけのつかひとして祖師なるは、かならずこれを參學しきたりて、學者のために傳授するなり。しらざるは人天の善知識にあらず。學者もし厚殖善根の衆生にして、佛道ちかきものは、かならずこれをきくことをうるなり。佛道とほきものは、きかず、しらず。

 しかあればすなはち、師匠いそぎとかんことをおもふべし、弟子いそぎきかんとこひねがふべし。いま生厭といふは、

  佛以一音演説法 衆生隨類各得解

  或有恐怖或歡喜 或生厭離或斷疑

なり。

 

「雑阿含曰、仏告比丘、有四種馬、一者見鞭影、即便驚悚随御者意。二者触毛、便驚悚随御者意。三者触肉、然後乃驚。四者徹骨、然後方覚。(経合喩云)初馬如聞他聚落無常、即能生厭。次馬如聞己聚落無常、即能生厭。三馬如聞己親無常、即能生厭。四馬猶如己身病苦、方能生厭」(『止観輔行伝弘決』二之五「大正蔵」四六・二一二a二〇、―部「経」は原なし、―部「驚悚・・」は原「能如上」、―部「経合喩云」は原あり)<雑阿含経に曰く、仏、比丘に告ぐ、四種の馬有り、一つには鞭影を見るに、即便ち驚悚(きょうしょう)して御者(ぎょしゃ)の意に随う。二つには毛に触るれば、便ち驚悚して御者の意に随う。三つには肉に触れて、然して後乃ち驚く。四つには骨に徹れて、然して後方に覚す。初めの馬は、他の聚落の無常を聞きて、即ち能く厭(えん)を生ずるが如し。次の馬は、己(おの)が聚落の無常を聞きて、即ち能く厭を生ずるが如し。三つ目の馬は、己が親の無常を聞きて、即ち能く厭を生ずるが如し。四つ目の馬は、猶お己が身の病苦によりて、方に能く厭を生ずるが如し>

「これ阿含の四馬なり。仏法を参学する時、必ず学する所なり。真善知識として人中天上に出現し、ほとけの使ひとして祖師なるは、必ずこれを参学し来たりて、学者のために伝授するなり。知らざるは人天の善知識にあらず。学者もし厚殖善根の衆生にして、仏道近き者は、必ずこれを聞くことを得るなり。仏道遠き者は、聞かず、知らず」

 「阿含の四馬、必ず学する所なり」とは、仏法を参学する時には必ず必要最小限の知識である。との確認でありましょうが、俗言では「阿含」は小乗経文で、「法華」は大乗経文と言い張る学人もあるようであるが、道元が説く仏法では、明らかに世間の標準には値いしないものであろう。その証左には「旧草本」に於ける『三十七品菩提分法』を見れば了解できよう。

 また此の表記は第五『供養諸仏』での「仏法は有部すぐれたり、そのなか、僧祇律もとも根本なり」(「大正蔵」八二・二九〇a九)にも通ずるものあり。

 因みに本則出典は『止観輔行伝弘決』からの「雑阿含経」文ではあるが、その『雑阿含経』三十三では「如是我聞、一時仏住王舎城迦蘭陀竹園。爾時世尊告諸比丘、世有四種良馬・・」(「大正蔵」二・二三四a一六)との記載あり。

「しかあれば便ち、師匠急ぎ説かんことを思ふべし、弟子急ぎ聞かんと冀ふべし。いま生厭と云ふは、仏以一音演説法、衆生随類各得解。或有恐怖或歓喜、或生厭離或断疑なり」

 此処で示さる偈文の出典を『維摩経』からとする著物もあるが、筆者の推考では前言に『止観輔行伝弘決』の使用例から見て、此の偈文出典籍は『摩訶止観』一上(「大正蔵」四六・二b二七)「仏以一音演説法(仏は一音を以て法を演説するに)、衆生随類各得解(衆生は類に随い各解を得る)。或有恐怖或歓喜(或いは恐怖する有り或いは歓喜し)、或いは厭離を生じ或いは疑いを断ず」であると断言する。

 

   三

 大經曰、佛言、復次善男子、如調馬者、凡有四種。一者觸毛、二者觸皮、三者觸肉、四者觸骨。隨其所觸、稱御者意。如來亦爾、以四種法、調伏衆生。一爲説生、便受佛語。如觸其毛隨御者意。二説生老、便受佛語。如觸毛皮、隨御者意。三者説生及以老病、便受佛語。如觸毛皮肉隨御者意。四者説生及老病死、便受佛語。如觸毛皮肉骨、隨御者意。

 善男子、御者調馬、無有決定。如來世尊、調伏衆生、必定不虚。是故号佛調御丈夫。

 これを涅槃經の四馬となづく。學者ならはざるなし、諸佛ときたまはざるおはしまさず。ほとけにしたがひたてまつりてこれをきく、ほとけをみたてまつり、供養したてまつるごとには、かならず聽聞し、佛法を傳授するごとには、衆生のためにこれをとくこと、歴劫におこたらず。つひに佛果にいたりて、はじめ初發心のときのごとく、菩薩聲聞、人天大會のためにこれをとく。このゆゑに、佛法僧寶種不斷なり。

 かくのごとくなるがゆゑに、諸佛の所説と菩薩の所説と、はるかにことなり。しるべし、調馬師の法におほよそ四種あり。いはゆる觸毛觸皮觸肉觸骨なり。これなにものを觸毛せしむるとみえざれども、傳法の大士おもはくは、鞭なるべしと解す。しかあれども、かならずしも調馬の法に鞭をもちゐるもあり、鞭をもちゐざるもあり。調馬かならず鞭のみにはかぎるべからず。たてるたけ八尺なる、これを龍馬とす。このむまととのふること、人間にすくなし。また千里馬といふむまあり、一日のうちに千里をゆく。このむま五百里をゆくあひだ、血汗をながす、五百里すぎぬれば、清涼にしてはやし、このむまにのる人すくなし。とゝのふる法、しれるものすくなし。このむま、神丹國にはなし、外國にあり。このむま、おのおのしきりに鞭を加すとみえず。

 しかあれども、古徳いはく、調馬かならず鞭を加す。鞭にあらざればむまとゝのほらず。これ調馬の法なり。いま觸毛皮肉骨の四法あり、毛をのぞきて皮に觸することあるべからず。毛皮をのぞきて肉骨に觸すべからず。かるがゆゑにしりぬ、これ鞭を加すべきなり。いまこゝにとかざるは文の不足なり。

 諸經かくのごときのところおほし、如來世尊調御丈夫またしかあり。四種の法をもて、一切衆生を調伏して、必定不虚なり。いはゆる生を爲説するにすなはち佛語をうくるあり、生老を爲説するに佛語をうくるあり、生老病を爲説するに佛語をうくるあり、生老病死を爲説するに佛語をうくるあり。のちの三をきくもの、いまだはじめの一をはなれず。世間の調馬の、觸毛をはなれて觸皮肉骨あらざるがごとし。生老病死を爲説すといふは、如來世尊の生老病死を爲説しまします、衆生をして生老病死をはなれしめんがためにあらず。生老病死すなはち道ととかず、生老病死すなはち道なりと解せしめんがためにとくにあらず。この生老病死を爲説するによりて、一切衆生をして阿耨多羅三藐三菩提の法をえしめんがためなり。これ如來世尊、調伏衆生、必定不虚、是故号佛調御丈夫なり。

 

大経曰、仏言、復次善男子、如調馬者、凡有四種。一者触毛、二者触皮、三者觸触肉、四者触骨。随其所触、称御者意。如来亦爾、以四種法、調伏衆生。一為説生、便受仏語。如触其毛随御者意。二説生老、便受仏語。如触毛皮、随御者意。三者説生及以老病、便受仏語。如触毛皮肉随御者意。四者説生及老病死、便受仏語。如触毛皮肉骨、随御者意」(『大般涅槃経』十八「大正蔵」三・四六九b一、―部「大経曰仏言」は原なし、―部「調」は原「御」、―部「便」は原「令」)<大経に曰く、仏言く、復た次に善男子、調馬者の如き、凡そ四種有り。一つには触毛、二つには触皮、三つには触肉、四つには触骨。其の触るる所に随って、御者の意に称(かな)う。如来も亦た爾(しか)なり、四種の法を以て、衆生を調伏す。一つには為に生を説くに、便ち仏語を受く。其の毛に触るれば御者の意に随うが如し。二っつには生老を説くに、便ち仏語を受く。毛・皮に触るれば、御者の意に随うが如し。三つには生及び以老・病を説くに、便ち仏語を受く。毛・皮・肉に触るれば御者の意に随うが如し。四つには生及び老・病・死を説くに、便ち仏語を受く。毛・皮・肉・骨に触るれば、御者の意に随うが如し>

「善男子、御者調馬、無有決定。如来世尊、調伏衆生、必定不虚。是故号仏調御丈夫」(「同」b八)<善男子、御者の馬を調うるに、決定有る無し。如来世尊は、衆生を調伏するに、必定して虚しからず。是の故に仏を調御丈夫と号す>

「これを涅槃経の四馬と名づく。学者習はざるなし、諸仏説き給はざるおはしまさず。ほとけに従ひたてまつりてこれを聞く、ほとけを見たてまつり、供養したてまつるごとには、必ず聴聞し、仏法を伝授するごとには、衆生の為にこれを説くこと、歴劫に怠たらず。つひに仏果に至りて、はじめ初発心の時の如く、菩薩声聞、人天大会の為にこれを説く。このゆゑに、仏法僧宝種不断なり」

 先ほどは「阿含の四馬」として四種の仏法の立場を示されたが、此処では「涅槃経の四馬」として説かれるが、殊に「調馬」に重点が置かれる。ですから本則話にて示されるように、原文では「如馬者」から意図的に「如調馬者」に改変してまで『涅槃経』に拘わるのであろう。ここでも「四馬を習わない修行者(学者)は居ないのであり、このこと仏法僧の三宝の種が不断に維持されている状況っと説かれる。

「かくの如くなるがゆゑに、諸仏の所説と菩薩の所説と、遥かに異なり。知るべし、調馬師の法におほよそ四種あり。いはゆる触毛触皮触肉触骨なり。これ何ものを触毛せしむると見えざれども、伝法の大士思はくは、鞭なるべしと解す」

 「調馬師」なる語が此処にて登場するが、「調馬」とは、つまり仏・仏法・仏道を意味するわけであるから、前にも言及したように、原文では「馬」とあるを「調馬」に改めて、仏者が行う調御法に四種の「触毛触皮触肉触骨」ありとし、その手段には「鞭」の不可欠さを説かんとする文意となる。

「しかあれども、必ずしも調馬の法に鞭を用ゐるもあり、鞭を用ゐざるもあり。調馬必ず鞭のみには限るべからず。立てる丈八尺なる、これを龍馬とす。このむま調のふること、人間に少なし」

 然あれども此の「鞭」の使用は固定的な絶対性は帯びず、例えば人に応じて接化法が異なるようなものである。喩えに八尺の身長の馬を「龍馬(りょうめ)」と云うが、このような馬には「鞭」では及ばないかも知れず、調馬する人間も少数であるように。

「また千里馬と云ふむま(馬)あり、一日のうちに千里を往く。このむま五百里を往く間、血汗を流す、五百過ぎぬれば、清涼にして早し、このむまに乗る少なし。調ふる法、知れる者少なし。このむま、神丹国にはなし、外国にあり。このむま、おのおの頻りに鞭を加すと見えず」

 「鞭」を使用しなくても済む二例目を「千里馬(せんりめ)」として紹介する。ここでの「五百里・血汗・清涼」に関する文献は検索できず。

「しかあれども、古徳いはく、調馬必ず鞭を加す。鞭にあらざればむま(馬)調のほらず。これ調馬の法なり。いま触毛皮肉骨の四法あり、毛を除きて皮に触することあるべからず。毛皮を除きて肉骨に触すべからず。かるがゆゑに知りぬ、これ鞭を加すべきなり。いまこゝに説かざるは文の不足なり。諸経かくの如きのところ多し」

 そうではあるが、「調馬には必ず鞭を使用し、鞭でなければ調馬はできない」と古徳が云う。と書き添えられるが、この出典元を調べてみたが不詳。此処で説く「触毛皮肉骨の四法」とあるが、この喩えは「汝得皮肉骨髄」の例と同じく、段階論を述べるものではなく、「毛を除きて皮に触するあらず。毛皮を除きて肉骨に触すべからず」の如く「毛・皮・肉・骨」の一味態を論ずる処に注目すべきである。

如来世尊調御丈夫またしかあり。四種の法をもて、一切衆生を調伏して、必定不虚なり。いはゆる生を為説するに則ち仏語を受くるあり、生老を為説するに仏語を受くるあり、生老病を為説するに仏語を受くるあり、生老病死を為説するに仏語を受くるあり。後の三を聞く者、未だ初めの一を離れず」

 此の処も前述の「毛・皮・肉・骨」を「生・老・病・死」に置き換えての論述であり、「後の三を聞く者、未だ初めの一を離れず」とは、「生」は生だけで存在する訳ではなく、「死」は「生」とも「老」とも聯関する訳であるから、「生」×4、「老」×4、「病」×4、「死」×4の16通りの関係性が生じるのであろう。

「世間の調馬の、触毛を離れて触皮肉骨あらざるが如し。生老病死を為説す云ふは、如来世尊の生老病死を為説しまします、衆生をして生老病死を離れしめんが為にあらず。生老病死すなはち道と説かず、生老病死すなはち道なりと解せしめんが為に説くにあらず。この生老病死を為説するによりて、一切衆生をして阿耨多羅三藐三菩提の法得しめんが為なり。これ如来世尊、調伏衆生、必定不虚、是故号仏調御丈夫なり」

 これにて本巻の結語となるが、少々混乱を招く表現法であろうと思われる。いま「生老病死」を掲げて説くは「如来世尊」であるが、これは衆生に対し「生老病死」から離れさす為でも、また「生老病死」を仏道であると説くものではない、と言う。つまり「生老病死」は苦の原因ではなく、一種の現成公案であるから、「阿耨多羅三藐三菩提」つまり仏果菩提(悟り)を一切衆生に対し、得法せしめん為の方便として「生老病死」を扱うのである。このように衆生を導く方途を、本話の最後部で示した「如来世尊が、衆生を調え導くに、必ず虚しくはなく、このことから仏を調御丈夫と名づける」と言う、と本話を結語される。

(終)

2023年6月14日 雨期に入るタイ国にて擱筆