正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

『正法眼蔵行持』と時間について 石井修道

【講演会】

正法眼蔵行持』と時間について

                         石井   修道

ただ今ご紹介いただきました駒澤大学の石井修道でございます。駒澤大学の仏教学部長と共に禅研究所の所長も現在兼ねておりまして、こちらの愛知学院大学の禅研究所とも長いおつきあいがあり、日頃、大変にお世話になっております。私はこちらの研究所の活動の一つに常々羨望の眼で見続けていることがございます。それはこちらで継続的に行われている資料調査や史跡探訪という活動のことですが、私どもは全く行ってはおりません。細々ながら『駒澤大学禅研究所年報』を発行しておりますが、今回はこちらの活発な活動報告の『愛知学院大学禅研究所紀要』に、私の講演が活字化されるということで、その責務を充分果たせるかどうかいささか心許なく思っておりますが、諸先生とは親しくさせていただいている方々ばかりですので、ご依頼をお断りすることなく参った次第でございます。演題を選んだ理由は後ほど述べますが、しばらく「『正法眼蔵行持』と時間について」と題してお話しさせていただきたいと思います。

  その演題に触れる前に、私の研究史におきまして、本日は二〇〇六年の師走の一日ですが、先月、とても悲しい出来事に出会ってしまい、いまだに頭の中はそのことで一杯であります。悲しい出来事とは、私を禅の研究者として育てていただいた柳田聖山先生が、十一月八日にお亡くなりになったことです。「久嚮聖山」の題目で追悼文を書きまして、季刊誌『禅文化』二〇〇七年春号︵通巻二〇三号︶に掲載されることになっています。その中にも書いたことですが、今までの私の研究生活のすべてに亘って、柳田先生からご指導いただきましたので、頭から先生のことが離れないのも当然のことかもしれません。

  実は今回の演題にもそのことが絡んで参ります。今回の演題を選んだのは、曹洞宗大本山永平寺の祖山傘松会の発行する月刊誌『傘松』に、「『正法眼蔵行持』に学ぶ」のタイトルで、道元禅師七百五十回の大遠忌の年の二〇〇二年一月︵第七〇〇号︶より二〇〇五年六月︵第七四一号︶までの三年半の四十二回に亘って連載したものを、一書にまとめて、『道元禅師  正法眼蔵行持に学ぶ』として禅文化研究所より発行することにしております。ほとんどその校正も終えました︵二〇〇七年二月十六日に発行︶。その著の「あとがき」も草稿を書き終えていたのですが、急に柳田聖山先生がお亡くなりになったので、先生のことを「二〇〇六年十一月二十一日太祖降誕会の日」に追加したばかりだったのです。更に一書にまとめるに当たり、「道元の全機と道環」︵『松ヶ岡文庫研究年報』第十七号、二〇〇三年三月︶と「なぜ道元禅は中国で生まれなかったか」︵中国語翻訳以前の元原稿、河北禅学研究主辦『中国禅学』第四号、中華書局、二〇〇六年九月︶の二つの論文を附録といたしました。今回の演題の時間論は『全機』と密接に関係し、『行持』の「道環」と結びつけて論じようと思っている次第です。そのような個人的なことと関連しながら、今日の話を進めて参りたいと思います。

  周知のように、『行持』は熊本県玉名市の広福寺に道元禅師の真筆が現存しております。それは『行持』全体で言えば、下巻に相当します。上巻には示衆の年月日はありませんが、下巻には「仁治三年︵一二四二︶四月五日、書于観音導利興聖宝林寺」の奧書があって、示衆の大体の年月が予想でき、恐らく上巻も下巻にそれほど間を置かずに続いて撰述されたものと考えられます。そして『行持』と言えば、宗門人にとって、私もそうであったように、『修証義』の「行持報恩」が、誰しも浮かんでくるものと考えられます。しかも、次の文などは誰しも強烈な出会いとして印象深いものがあったのではないでしょうか。

   徒らに百歳生けらんは恨むべき日月なり、悲むべき形骸なり。設い百歳の日月は声色の奴婢と馳走すとも、其中一日の行持を行取せば、一生の百歳を行取するのみに非ず、百歳の佗生をも度取すべきなり。此一日の身命は尊ぶべき身命なり、貴ぶべき形骸なり。︵『修証義』第三〇節、岩波文庫本一―三三〇頁参照。以下、『正法眼蔵』は岩波文庫本を使用する︶

 ここには、時間論と深く関連するのですが、私は時間と言えば、松本史朗先生が『禅思想の批判的研究』︵大蔵出版、一九九四年一月︶でA図やC図ではない鋭角的図︵B︶を図示され(図は略す)、この著の「書評」︵『駒澤大学仏教学部論集』第二十五号、一九九四年一〇月︶を書いたこともあって、その説明文が脳裏から離れることはないのです。

   縁起説が指示する危機的な宗教的時間とは﹆このような空間的な“もの”の時間︵実は無時間︶とは、全く異質なものである。この縁起説が指示する時間を図示したものがBであるが、このBは、abc等の直線と、それらの直線を明確に区別する角からなっている。そこに示されるabc等は、十二支縁起の「無明」「行」「識」等の諸法を表したものといえる。ここで何よりも重要なことは、abcのそれぞれが一定の長さをもった時間を有しているということである。つまり、aは一定の時間のあいだaとして変わることなくとどまった後、突如急激にbに変わるのである。このときbには最早aの名残りは全く存在しない。bはaとは全く異質な、かつて予測もできなかったものとして突然現われるのである。従って、aとbとは連続しておらず前後が隔絶しているのである。それ故、bがaにもどることなど全然不可能である。このようなaからbへの変化は、「鋭角的」という語によって表現されてよいと思われるが、この「鋭角的」変化が可能なのは、abc等の諸法︵dharma︶が実は“もの”ではなく“属性”︵property︶であり、“言葉”によって明確に限定づけられた観念︵idea︶であるからに他ならない。︵同書六一三頁︶

 このように考えてきた私にとって、『行持上』の冒頭にある「道環」の語の意味するものは、改めて検討しなおさねばならないと思って、新説を提示することを試みてみたのです。私は冒頭の文を仮に二段に分け、句読点も検討し、訂正しております。

  ︵A ︶仏祖の大道、かならず無上の行持あり、道環して断絶せず。発心・修行・菩提・涅槃、しばらくの間隙あらず、行持道環なり。

  ︵B ︶このゆゑに、みづからの強為にあらず、他の強為にあらず、不曾染汚の行持なり。

  ︹私訳︺

  ︵A ︶仏や、正法の伝持者である祖師の絶対の道(さとり)は、必然に迷える衆生の想像を絶する「覚者の行いの持続︵行持︶」が存し、「マコトのはたらき︵道環︶」として断絶することはない。発心・修行・成道︵菩提︶・入滅︵涅槃︶は、一なるものとして、その間に少しのすきまもない。これが「覚者の行いの持続」の「マコトのはたらき」なのである。

  ︵B ︶「覚者の行いの持続はマコトのはたらき」であるから、自から強いて作為するものでも無ければ、他から強いて作為させられるものでも無いので、証を期待することは一度たりともない覚者の行いの持続である。

  従来、どのように考えられてきたかは、私も大いに参考にした安良岡康作氏の『正法眼蔵・行持』︵講談社学術文庫︶の語釈などが代表的と言ってよいでしょう。

  「道環」の「道」は仏道、「環」は、元来、輪(わ)の形をした玉の意であるが、転じて、広く、輪の形をした物。ここでは、「道環す」という動詞を形作って、仏道が、輪の形のように、めぐりめぐって尽きることなく連続し、継起し、続行されてゆくありさまを形容している。

 この理解は松本先生の図である円相で、時間論として問題があるのではないかと思いつつも、ただ、私にとってはそんなに簡単に解決できる問題ではなかったのであります。そこで注釈書を参考にしたのですが、詮慧の『正法眼蔵聞書』の「道環」の語釈は次のようになっていたのであります。

   道環して断絶せずと云ウは、教・行・証ノ一なる道理を道環と云ウべし。菩提ニ到ル証は、船・いかだも入ラズ。発心・修行モ皆ナ道環ナリ。発心の時、修行の時と各オノ別ナルニアラザルを道環と云ウべし。︵『曹洞宗全書  注解一』三六一頁︶

 私はこの文に接した時に「恐らくこの解釈は、その後に継承されてはいないように見受けられる」と思い、特に、ここで言う「一なる道理について」、『全機』︵一二四二年十二月十七日示衆︶と関連させてみてはどうかと思ったのであります。つまり、『全機』の語の重要な背景となった圜悟克勤︵一〇六三― 一一三五︶の語に注目してみたのであります。

    圜悟禅師克勤和尚云、

    「生也全機現、死也全機現」。   

この道取、あきらめ参究すべし。︵a︶参究すといふは、生也全機現の道理、はじめをはりにかゝはれず、尽大地、尽虚空なりといへども、生也全機現をあひ罣礙せざるのみにあらず、死也全機現をも罣礙せざるなり。︵b︶死也全機現のとき、尽大地、尽虚空なりといへども、死也全機現をあひ罣礙せざるのみにあらず、生也全機現をも罣礙せざるなり。︵c︶このゆゑに、生は死を罣礙せず、死は生を罣礙せざるなり。尽大地、尽虚空、ともに生にもあり、死にもあり。しかあれども、一枚の尽大地、一枚の尽虚空を、生にも全機し、死にも全機するにはあらざるなり。︵同二―八四~五頁︶

  ︹私訳︺

    圜悟禅師克勤和尚は云われた、

    「「生」、それも全機現︵すべての秘められたハタラキの現われ︶であり、

    「死」、それも全機現である」と。

 この表現尽くされた言葉を、明らかにし、究めなければならない。︵a︶究めるというのは、「「生」、それも全機現であり」という道理は、初めも関わらなければ、終わりも関わらず、無限の大地と無辺の大空であるといっても、「「生」、それも全機現である」ことを互いにさまたげないばかりでなく、「「死」、それも全機現である」ことをもさまたげるものではない。︵b︶「「死」、それも全機現である」の時、無限の大地と無辺の大空であるといっても、「「死」、それも全機現である」ことを互いにさまたげないばかりでなく、「「生」、それも全機現である」ことをもさまたげないのである。︵c︶このことから、生は死をさまたげることはなく、死は生をさまたげることはないのである。無限の大地と無辺の大空とは、共に生にもあり、死にもあるのである。そうではあるが、一つの無限の大地と、一つの無辺の大空とを、生においても全機をなし、死においても全機をなすのではないのである。

 道元禅師はこの圜悟の語を説示する前に、その前文には喩えを出しておられます。

  生といふは、たとへば、人のふねにのれるときのごとし。このふねは、われ帆をつかひ、われかぢをとれり。われさををさすといへども、ふねわれをのせて、ふねのほかにわれなし。われふねにのりて、このふねをもふねならしむ。この正当恁麼時を功夫参学すべし。この正当恁麼時は、舟の世界にあらざることなし。天も水も岸もみな舟の時節となれり、さらに舟にあらざる時節とおなじからず。このゆゑに、生はわが生ぜしむるなり、われをば生のわれならしむるなり。舟にのれるには、身心依正、ともに舟の機関なり。尽大地、尽虚空、ともに舟の機関なり。生なるわれ、われなる生、それかくのごとし。︵同二―八三~四頁︶

  ︹私訳︺

   生というのは、たとえば、人が舟に乗った時のようである。この舟は、わたしが帆をあやつり、わたしが舵(かじ)を取るのである。わたしが棹(さお)をさすといっても、舟がわたしを乗せて行くのであり、舟の外にわたしは存在しない。わたしが舟に乗っていて、この舟を舟たらしめているのである。正にこの時を考え学ぶがよい。正にこの時は、すべてが舟の世界でないものはない。天も水も岸もすべてが舟の時となっているのであり、舟でない時と絶対に異なっている。このことから﹆わたしが生を生じさせたものであり、生がわたしをわたしとさせるものである。舟に乗った時には、自己身心(そのもの)と環境世界︵依正︶とは、共に舟の機関なのである。無限の大地と﹆無辺の大空とは、共に舟の機関なのである。この生であるわたしと、わたしであるこの生とは、正しくこのようなのである。

この舟の喩えを読むと、誰もが『現成公案』︵一二三三年中秋のころ書︶を思い出すのではないかと考えますが、その文の続きは道元禅師の時間論でよく話題になる「薪」と「灰」の関係にも突き当たると思われるのであります。

人、はじめて法をもとむるとき、はるかに法の辺際を離劫せり。法すでにおのれに正伝するとき、すみやかに本分人なり。

  人、舟にのりてゆくに、めをめぐらして岸をみれば、きしのうつるとあやまる。目をしたしく舟につくれば、ふねのすゝむをしるがごとく、身心を乱想して万法を辦肯するには、自心自性は常住なるかとあやまる。もし行李をしたしくして箇裏に帰すれば、万法のわれにあらぬ道理あきらけし。

  たき木、はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後ありといへども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて﹆のちありさきあり。かのたき木はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり。このゆゑに不生といふ。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり。このゆゑに不滅といふ。生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば、冬と春とのごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。︵同一―五五~六頁︶

この「薪」と「灰」の関係の文を『正法眼蔵聞書』ではどのように釈しているでありましょうか。

前後はただ薪にも有ルべし、灰にも有ルべし。薪ト灰トの前後と(ヲ)論ずべきにあらねば、前後際断せりと云フナリ。仏法に都テ前後を立ツることなきいはれもきこゆ、已に生の死に成ルと云はざるは、仏法の習ヒなれば、ゆえに不生と云ヒ、死の生にならざれば、不滅と云フナリ。薪にも前後なし、灰にも前後なし。薪、薪を証せしとき、前後何に対して定ムベキカ。薪ト灰トの喩を聞キては外道の見には、たきぎ、はいとなりぬるのち、さらに薪とならぬことばをひきて、死して後、生をうくまじと心得る是レ邪見なり。只ダはい一時、たきぎ一時あるべき証拠ばかりにひかるるナリ。

生死の喩に﹆ひきなして心得るは僻見ナリ。

  薪はさき、灰は後と心えず、只ダ全薪全灰と云フテ、生也全機現、死也全機現の詞にあはすべき歟(カ)。然シテ今は只ダ薪ト灰トをともに、全生の方にも、全死の方にもとるべし。或ル人云ク、「人のしぬる後、さらに生とならず。しかあるを生の死になるとはいはざるは、仏法のさだまれる習ヒなり。此ノ故に不生と云ふとある事如何。生の死にならぬいはれあらば、不死とこそ云フべけれ。不生の詞あたらぬ様にきこゆ」。答フ、「是に二の義も有ぬべし。生の上にも、不生不滅の理あり。死の上にも、不生不滅のことはりありぬべし。是レ一。次には世間にこそ、生と死と輪転の法とも云へ、仏法には生也全機現、死也全機現と云へば、全機の心を取リてこそ、不生とはいはめ、と云フ義もありぬべし。不生といふに何ノ難か有ランヤ」。

  此ノ道理よくよく心得べし。生の死せずとはいへば、不死といひ、死不生といへば、不生と云フべしと心得むは、大イに生死にくらき時の事なるべし。不生の生なればこそ、不死とはいへ、不死の死なればこそ、不生とはいゑ。この生則ち不死といへばとて、不死と云はば、生の理をのぶるにあらず。此ノ死の不生なれば不生と云べくば、死の理を云にあらざるべし。

  縦横の義、立ツベカラズ。只ダ春と談ずる時、尽十方界春なり。夏と談ずる時、尽十方界夏と云フべし。︵同一―一〇~一頁︶

明らかに『現成公案』の解釈に、『全機』との関連を付して、解釈していることが判ります。この『聞書』の文を経豪の『正法眼蔵抄』ではどのように継承しているでありましょうか。   

 是レも喩となるナリ。実にも薪灰と成りぬる後、更ニ薪とならず。しかるを生は先、死は後と思フならはしたなり。又タ死シて後、再ブ生を受ケズと談ズ、是レ断見の外道ナリ。灰身滅智して、心(身)智共にはいをいずと談ズルは二乗ナリ。是レは薪は薪の法位に住してさき有リ後有リ、前後有リと云へども前後際断せりと有リ。是レ則チ生也全機現、死也全機現の道理にをちつくナリ。但ダ人の死する時、更ニ生とならず、死の生とならざる、法輪のさだまれる仏転ナリと云フを﹆あしく人心得て、口伝を受ケざる輩は此ノ詞を見テハ、断見の外道が説と同じぬべし。更ニ義有ルベカラザルナリ。死也全機現の道理なれば、人の死する後、更ニ生とならずといはるる尤モ其ノ謂ヒあり。生也全機現の道理なれば、生の死になるといはざる理ナリ。此ノ心地をば得ズして、此ノ文を見ば、一定あやまりも有ぬべし、能(ヨ)ク能ク斟酌スベシ。此ノ道理なる故、生も一時の位、死も一時の位と云ふ。尤モ全機生死の道理に相イ叶フモノナリ。又タ冬と春との如し。冬の春と成ルとをもはず、春の夏となるといはぬナリとあるも今の道理ナリ。生死を引キかけて生は前、死は後ナリとは云フベカラザルナリ。生は生の前後﹆死は死の前後と云フベシ。是レを前後有リと云へども、前後際断せりと云フ。此ノ生死﹆世間の生死と思フベカラズ。最前に諸法ノ仏法なる時節、生あり死ありと云ヒつる生死ナリ。

  輪転生死と習フ時は、不生不滅とはとかず。仏道に不生と云フは、総て生ずることのなきとはいはず。死が生になるとこそとかね。死なしとにはあらず。生より死になると、とかざるゆへに、小乗の不生は無後業と云フにひとしめて、不生の道理ときこゆ。死は一定あるべし。但ダ是レをば滅と仕(ツカ)ふ小乗の理を証したる心地ナリ。その上、已に三明六通の大羅漢と成リぬるとき、世間に思フが如くの死を解脱したるにてあるなり。灰と成リぬる後、たき木とならずと云フを小乗の滅なりと心得ルは僻見なり。前後は生にも死にも仕フなり。︵同―九~一〇頁︶

『抄』もこのように『全機』と関連して釈しているのであります。先の『現成公案』の「生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり」とは、『全機』の中心テーマである「生也全機現、死也全機現」とか、あるいは冒頭の「その現成のとき、生の全現成にあらずといふことなし、死の全現成にあらずといふことなし」と当然関連して捉えてよいでありましょう。更に『現成公案』は「たき木、はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後ありといへども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず」の文を、松本先生が「aは一定の時間のあいだaとして変わることなくとどまった後、突如急激にbに変わるのである。このときbには最早aの名残りは全く存在しない。bはaとは全く異質な、かつて予測もできなかったものとして突然現われるのである。従って、aとbは連続しておらず前後が隔絶しているのである。それ故、bがaにもどることなど全然不可能である。このようなaからbへの変化は、「鋭角的」という語によって表現されてよいと思われる」と時間論を表現しておられたのには、道元禅師のこの『現成公案』の文を念頭に置いておられたのではないかと思われます。このような時間論を前提として私は道環を考えて行きたいのであります。

そこで、圜悟の語は『全機』だけではなく、『身心学道』︵一二四二年重陽日示衆︶にも引用されているので、その箇所を更に確認しておきましょう。

   「生死去来、真実人体」といふは、いはゆる生死は凡夫の流転なりといへども、大聖の所脱なり。超凡越聖せん、これを真実体とするのみにあらず。これに二種七種のしなあれど、究尽するに、面々みな生死なるゆゑに恐怖すべきにあらず。ゆゑいかんとなれば、いまだ生をすてざれども、いますでに死をみる。いまだ死をすてざれども、いますでに生をみる。生は死を罣礙するにあらず、死は生を罣礙するにあらず、生死ともに凡夫のしるところにあらず。生は栢樹子のごとし。死は鉄漢のごとし。栢樹はたとひ栢樹に礙せらるとも﹆生はいまだ死に礙せられざるゆゑに学道なり。生は一枚にあらず、死は両疋にあらず。死の生に相対するなし、生の死に相待するなし。

   圜悟禅師いはく、「生也全機現、死也全機現。逼塞太虚空、赤心常片々︿生や全機現なり、死や全機現なり。太虚空に逼塞(ひっそく)し、赤心常に片々たり﹀」。

   この道著、しづかに功夫点撿すべし。︵同一―一三七~八頁︶

 道環をどのように解釈するかを問題として、『全機』などと関連して見てきたのでありますが、道環の語は、『行仏威儀』︵一二四一年十月中旬記︶にも見出せますので、この別の巻から「道環」はどのように考えられるかを見てみたいと思います。

  了生達死の大道すでに豁達するに、ふるくよりの道取あり、「大聖は生死を心にまかす、生死を身にまかす、生死を道にまかす、生死を生死にまかす」。

   この宗旨あらはるゝ、古今の時にあらずといへども行仏の威儀忽(こつ)爾(じ)として行尽するなり。道環として生死身心の宗旨すみやかに辦肯するなり。行尽明尽、これ強為の為にあらず。迷頭認影に大似なり、回光返照に一如なり。その明上又明の明は、行仏の弥綸なり。これ行取に一任せり。︵同一―一六五~六頁︶

  ︹私訳︺

  生死(まよい)から悟りへ達成した絶対の道(さとり)が無限の広がりまで到ると、古来から言われてきた言葉がある、「偉大な聖人︵仏︶は生死を心にまかせ、生死を身にまかせ、生死を道そのものにまかせ、生死を生死そのものにまかす」と。

  その根本義が顕現するのは、過去でもなく、現在でもなく、覚者が行じつづけるマコトの仏のはたらきが、ひょいと徹底的に行じられた時である。その時、「マコトのはたらき」として、覚者の「生死」が「身心」である根本義をそのまままに明らかに肯うのである。徹底した「行」と徹底した「智慧」は﹆強いて作為するはたらきではない。行が仏である迷の徹底︵迷中又迷=迷頭認影︶や、悟の徹底︵悟上得悟=回向返照︶と同じである。その明らかにした上に明らかにした悟の徹底は、行が仏であるところに行きわたっている。すなわち行ずるところにまかされているのである。 

ここに見られる『行仏威儀』の文は、私にとっては後半に非常に難解な部分があり、『行持』の冒頭をどう理解するかに決定的な参考にならないところもありますが、道環と生死身心とが関連して説かれていることだけは確実に言えることであります。このように『行仏威儀』の巻でも道環の語は使用されていることが判ってはいますが、『行持』には、冒頭に続いて道環の語がありますので、更にその文を検討することにしましょう。

   (第一︶この行持の功徳、われを保任し、他を保任す。その宗旨は、わが行持、すなはち十方の匝地漫天、みなその功徳をかうむる。他もしらず、われもしらずといへども、しかあるなり。

   (第二︶このゆゑに、諸仏諸祖の行持によりてわれらが行持見成し、われらが大道通達するなり。われらが行持によりて諸仏の行持見成し、諸仏の大道通達するなり。われらが行持によりて、この道環の功徳あり。

   ︵第三︶これによりて、仏仏祖祖、仏住し、仏非し、仏心し、仏成じて断絶せざるなり。   

︵第四︶この行持によりて日月星辰あり、行持によりて大地虚空あり、行持によりて依正身心あり、行持によりて四大五蘊あり。行持これ世人の愛処にあらざれども、諸人の実帰なるべし。

  ︹私訳︺

   ︵第一︶この道環の仏行の持続︵行持︶がもたらす功徳︵よい行いの報い︶は、自己を保ち、他己を保つのである。その根本の趣旨は、自己の行持が、尽十方世界のあまねく自他を利益するのである。たとい他己が知覚せず、自己が知覚しなくとも、そうなのである。

   ︵第二︶このことから、諸仏諸祖が行持することで自他の行持が目の前に顕れ、︵仏祖としての︶自他が大道を達成するのである。一方、自他が行持することで諸仏の行持が目の前に顕れ、諸仏が大道を完成するのである。自他が行持することによりて、この道環の功徳があることになるのである。

   ︵第三︶この道環の功徳によりて、仏仏祖祖は、仏として生き、仏そのものをも超え、仏の心をもち﹆仏の身を成して、断絶することはないのである。

   ︵第四︶この道環の行持によりて日・月・星が存在し、行持によりて大地・大空が存在し、行持によりて環境世界︵依報︶と身心︵正報︶が存在し、行持によりて一切の構成要素︵四大五蘊︶が存在する。この仏行の持続︵行持︶は俗世間の人の愛好するところではないが、︵目の前で法を聞いている︶諸君らの真実のすわりであらねばならない。

  私は二つ目の道環の語のある文を四分割した第二だけに限らず、『行持』の冒頭を継承しながら、全体が道環と関わっていると解釈したいと思うのであります。

今度は冒頭の︵A︶の道環の語を離れて、同じ文中にある発心・修行・菩提・涅槃の語に注目して、道環について更に考えてみることにいたしましょう。『正法眼蔵』には類似の表現を含めてこれらの語は多く使用されていますが、例えば『即心是仏』︵一二三九年五月二十五日示衆︶には、次のようにあります。

  かくのごとくなるがゆゑに、即心是仏、不染汚即心是仏なり。諸仏、不染汚諸仏なり。しかあればすなはち、即心是仏とは、発心・修行・菩提・涅槃の諸仏なり。いまだ発心・修行・菩提・涅槃せざるは即心是仏にあらず。たとひ一刹那に発心修証するも即心是仏なり、たとひ一極微中に発心修証するも即心是仏なり、たとひ無量劫に発心修証するも即心是仏なり、たとひ一念中に発心修証するも即心是仏なり、たとひ半拳裏に発心修証するも即心是仏なり。しかあるを、長劫に修行作仏するは即心是仏にあらずといふは、即心是仏をいまだ見ざるなり、いまだしらざるなり、いまだ学せざるなり。即心是仏を開演する正師を見ざるなり。

   いはゆる諸仏とは釈迦牟尼仏なり。釈迦牟尼仏これ即心是仏なり。過去・現在・未来の諸仏、ともにほとけとなるときは、かならず釈迦牟尼仏となるなり。これ即心是仏なり。︵同一―一四八~九頁︶

ここでも発心・修行・菩提・涅槃は、円相のように繰り返されることを意味してはいないと言えるのではないかと思います。私は『行持』の冒頭を二段に分け、いままでは前半を見てきましたが、更にこの『即心是仏』の最初の文を参照しますと、後半とも密接な関係があることになると思われます。その語は「不曾染汚の行持」ということであります。不染汚の修証ということになれば、『辦道話』が代表的な作品であり、道元禅の特色と言われる証上の修=本証妙修とも関わってくることはよくご存じのことと思います。

それ、修証はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり。仏法には、修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆゑに、初心の弁道すなはち本証の全体なり。かるがゆゑに、修行の用心をさづくるにも、修のほかに証をまつおもひなかれとをしふ、直指の本証なるがゆゑなるべし。すでに修の証なれば、証にきはなく、証の修なれば、修にはじめなし。ここをもて、釈迦如来・迦葉尊者、ともに証上の修に受用せられ、達磨大師・大鑑高祖、おなじく証上の修に引転せらる。仏法住持のあと、みなかくのごとし。

  すでに証をはなれぬ修あり、われらさいはひに一分の妙修を単伝せる、初心の辦道すなはち一分の本証を無為の地にうるなり。しるべし、修をはなれぬ証を染汚せざらしめんがために﹆仏祖、きりに修行のゆるくすべからざるとをしふ。妙修を放下すれば本証手の中にみてり、本証を出身すれば妙修通身におこなはる。︵岩波文庫一―二八~九頁︶

その内容は『正法眼蔵随聞記』の方が判りやすいと思い、私はしばしば論文の中で引用して参りました。

  ただ身心を仏法になげすてて、更に悟道得法までものぞむ事なく修行しゆく、是レを不染汚の行人と云フなり。︵『正法眼蔵随聞記』巻六、ちくま学芸文庫―三九四頁︶

『行持』の冒頭の「道環」の言わんとする内容を検討してきた結果、私は「環」の語がもつ「輪の形をした玉」に引きずられて解釈すべきではないと思っています。道環とは、『全機』や『現成公案』を介して考えると、時間論であると同時に、生死の問題でもあろうと思われます。生死と言えば、道元禅師には『生死』の巻がありますし、今までに検討してきた時間論と密接に関係しますので、その点を最後に確認しておきたいと思います。

生より死にうつると心うるは、これあやまりなり。生はひとときのくらゐにて、すでにさきあり、のちあり。かるがゆゑに、仏法の中には、生すなはち不生といふ。滅もひとときのくらゐにて、又さきあり、のちあり。これによりて、滅すなはち不滅といふ。生といふときには、生よりほかにものなく、滅といふときは滅のほかにものなし。かるがゆゑに、生きたらばたゞこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべし。いとふことなかれ、ねがふことなかれ。

   この生死は、すなはち仏の御いのちなり。これをいとひすてんとすれば、すなはち仏の御いのちをうしなはんとするなり。これにとどまりて生死に著すれば、これも仏の御いのちをうしなふなり、仏のありさまをとどむるなり。いとふことなく、したふことなき、このときはじめて仏のこゝろにいる。たゞし、心をもてはかることなかれ、ことばをもていふことなかれ。ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる。たれの人か、こゝろにとゞこほるべき。︵同四―四六七~八頁︶ 

私は道環の語が宏智正覚︵一〇九一― 一一五七︶の語と関係すること、その宏智の語は『莊子︵内篇︶』の斉物論篇とも関連するのではないかと述べたことがありますが、道環の理解は、道元禅師の時間論や修証論や生死観と密接であるし、それらのことを解明することは、道元禅の根本に関わることであるということは、今日の話の中から汲み取っていただけたのではないかと思っております。私自身がまだ不充分な把握しかできないところもあった為にお聞き苦しいところが多かったかもしれません。今後も続けてこの問題に取り組んで行きたいと考えておりますので、どうぞご忌憚のないご意見を賜ることができれば幸いに存じます。長い間、ご静聴下さいましてありがとうございました。これにて私の話を終わりにしたいと存じます。

 

これは石井修道氏論文をpdfからワードに変換し直し、

一部修訂を加えた。(2022年 タイ国にて 二谷記)