正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

酒井得元 提唱 袈裟功徳

正法眼蔵 袈裟功徳 提唱(一)酒井得元

 

※原文

「義雲頌著」第四十一袈裟功徳 非色非空。霊山付属線連金、火不曾焼一提不起。

此土西天何隔針、古今苗秀福田地。

※提唱

今回から『袈裟功徳』の巻に入つてまいります。此の袈裟というのは前の巻に『伝衣』の巻というのがありました。『伝衣』の巻においてお袈裟のことについては述べられておりますけども、「十二巻本」の方の第二番目がこの『袈裟功徳』の巻で御座います。『袈裟功徳』の巻において徹底的に袈裟の意味をお説きになつておられます。何故袈裟ということをお説きになつているかと申しますと、その『出家功徳』の巻にこういうことが御座いましたね、剃髪染衣、頭を剃って袈裟を掛ける、これは涅槃の因に因せられる。剃髪染衣ををしなかったならば本当の仏道修行は出来ないと、こういうことがはつきりとお示しになつておられました。

仏道修行者は、頭を剃ってお袈裟をかけるということは、これは装飾じや御座いません。これが修行のまず一番初め、これが大事なんだよ。こういう姿になつてこそ初めて仏道修行が完成するという意味ですねこれは、つまり私達の修行は仏様を修行することで、凡夫が分の満足追求の為に修行することじゃ御座いませんでした。私達が満足感を得たからといって人間は救われるものでは御座いません。どんなに満足感を持ちましても、喜んでおりましても、それはその時の状態ですね。つまり申しますと晴天に会ったようなもの晴天というものは本当に喜んじゃおられません。直ぐにくたびれちゃうと同時に断水状態になっちゃいます。やっぱり雨が降らなきゃいけない、喜んでばっかりおったって救いじゃありません。喜んでおる時に調度良い具合に不幸があるから不満足があるから調度人間は救われるもんです。ですからして普通の修行というものは満足感の追求だけで終わっております。仏道修行は満足感の追求の修行じゃありません、その辺の事をよく心得ておいて頂きたい。それじゃ何だといいますと、私達の体そのものが全て私達のものじゃ無かったんだ。私達はこういうように生かしていただいてる、人間の体をこういうように生かしていただいてる。皆そうですよ、その中で私達は人生を送ってるだけに過ぎない。私達の人生というものはこの仏法の中で人生を送ってるだけにすぎません。そこで私達は何時でも人間に走ってしまいまして、人間に走るというのはどういうことかと申しますと、ただ満足感の追求だけです。考えてごらんなさい、不幸を求めてる人を私は見たことないものな。こういうような人生に明け

暮れておったってしょうがない。本当の仏法を修行するという所に私達は仏様への感謝の

道がある、又感謝の道という事がこういう人生を送れるのは仏様のお蔭ですから、それに感謝する生活というものが本当の人生であるわけです。そこで仏の修行をするのには仏様と同じ格好をしなきゃならん。そこで剃髪染衣ということがある訳だ。剃髪染衣が基本であるという事は、『出家』の巻に十分にお説きになっております。しかもその剃髪染衣するということが涅槃の因に因せらるということ、その中で袈裟というものがどういうものであるかという事が大事な問題になる。頭を剃るのは簡単ですけどもお袈裟というものは頂かなきやならん、そこで袈裟ということを特に喧しく言われております。

先ずこの巻は袈裟の意味というものを義雲の頌著から入ってまいりましょう。義雲の頌著第四十一『袈裟功徳』この「四十一」と申しますのは義雲禅師が編集されました「六十巻本」の順序でいきますと「四十一」で御座います。この本文では第二とありますけども何回か申し上げておりますように「十二巻本」の第二番目で御座います。私はここでもつてず―と吉祥講の眼蔵会では初めから実は七十五巻本の順序でず―とゃって参りました。そうしてこの前のところで「第七十五」の『出家』の巻で全部終わりました。それで十二巻本に入って参りました。十二巻本で一番初めが『出家功徳』の巻で御座いました。それで第二番目が『受戒』の巻でした。それで第二番目にこの『袈裟功徳』の巻に入ったわけです。義雲の頌著は一番初めに第四十一『袈裟功徳』「非色非空」という言葉があります。これが著語ですね、著語と言うのは禅宗でよくある言葉ですけども『袈裟功徳』の巻に対する本当の意味ですね。これをたった四字でもって表現された根本義です。そういう風に受け取って頂きたい。

つまり袈裟というものはどういうものかと申しますと、非色非空であるということです。つまりどういう意味かと申しますと、袈裟ということの本来の意味は不正色という色です。壊色、これはどういう色かといいますと、正色というのは青黄赤白黒五色ですね。これが色の根本ですね、この青黄赤白黒のどの色でもない混じった色ですね。魅力のある色じゃありませんぜこれは。ようするにインドの生活は熱帯地方ですから白ですね白が在家の人達ですね、それに対しまして出家者はそういう白じやなく色の付いた物を着るように成りました。その色もですね人間の魅力を惹くような色であってはならないところから不正色、壊色と申します。ですから素晴らしい色とか有りませんから袈裟にファッションはありません。デパートとはちよつと違いますよね、そういう意味におきまして非色と言いますのはそういう意味ですね。これは人間という奴は奴と言っちゃ変ですけどもまあ奴という言葉で通用させていただきましようこの際は、人間という者は変なものでどんな人でも人に見せたいという心があります。何でも自分を人に見て貰いたい。見せかけといいますかそういう本能が有るんですね。他の人よりは俺の方が綺麗だよって格好がしてみたいんだ。だからね変な格好だと恥ずかしがってね、そうしてこの人間という奴はね劣等感を持ってますよ。他人よりは綺麗な格好してると劣等感を持ってますからその反作用で威張りたがる。人間の本性は劣等感でしょうね。どうも人間て奴はどいつもこいつもえ威張りたがる。威張りたいという本能がこの辺にあるんですね。そこで人間の世界だけでしょうね飾りたてるのは。権威というのは飾りたてからくるのね。

今じゃあんまりそういうこと有りませんけども、昔の国王を見て御覧なさい。もうこんな大きな格好しやがって、しやがってじゃない、なさいまして頭の上に重い王冠なんて物かぶって、取ったら同じ顔でしよう。あれが面白いな、あれが権威というものでしょう。見せたがり、あれも実際いうと本能としての劣等感の反作用で威張るのね。

昔の軍人は大礼服を着てました、私初めて大礼服を見た時びつくりしました。羽の付いた大礼服で可笑しな格好だなと思つたよ。中学時代のことでしたね。あれが人間性というものだ。本当の仏の解脱というものはそういうものから超越するものでしよう。だから袈裟のことを非色というのはその為です。

それから空に非ず非空ですねこれは。この非空という事もつまり袈裟は何にも無いということじゃありません。現実に表すもんでなきゃならんから非空という言葉で表した。非色非空という言葉でもつて袈裟の存在の意味を表すと同時に、仏道修行の根本をここでもってよ―く捉えているという風に受け取って頂きたい。

それから霊山の付属線、金に連なる。実はお袈裟というものは、材料は何かと言いますと世の中で要らなくなった物がお袈裟の材料です。それで出来たのが糞掃衣になるわけですけども、先ず世の中の人達が要らなくなって捨てた物、そういう物を集めて来てそして丈夫なところだけ取って集めて縫い合わせて作つたものがお袈裟ですね。それでお袈裟というものはお釈迦様より代々伝えられてきたものでこれは仏祖正伝であります。お袈裟の伝わらないところには仏法は無いということになつておりますから、それで霊山の付属というわけだ。

霊山というのはお釈迦様の事を申します。それから線、金に連なるというのはどういうこ

とかと申しますというと、お袈裟というものは一針一針縫ってあります。お袈裟は日常着るものでありぼろ布を集めた物であります。形は田んぼの形に似せて作られたものでありますから、針目がず―と通ってますねそのことを線と言ったんですね、金に連なる。つまり申しますというと金は黄金の金と違いますよ。そこに修行者の誠が表れております。お袈裟のいちいち縫ってある糸目はどういうものかと申しますと、修行者の誠心がそこに表れているわけです。それを金に連なるという表現にしたわけだ。

それから火曾って焼かず提不起、お袈裟というものは曾って焼かずだ。つまり言うと永遠にお袈裟というものは焼くものでは御座いません。だからして昔から焼いたことありません。つまり言うと真実ですからそういうことになつてる。提不起と申しますのはこれは絶対的な存在でありますから私達にとつてお袈裟というものは、絶対的なもので御座います。仏教者にとって、お袈裟は絶対的なもので御座います。つまりお釈迦様を頂いているという意味において提不起という表現をしました。

西天此土何ぞ針を隔てん。全部仏教者はお袈裟というものを頂かなきゃならないことになっています。そこにおいて区別は御座いません。お袈裟に区別は御座いません。西天であろうが中国であろうが日本であろうがお袈裟というものは区別が御座いません。あってはならない。その意味において西天此土何ぞ針を隔てん。針ほどの隔たりもありません皆ぶっ続きです。

それから古今の苗秀福田地。福田衣とも申しますね。お袈裟を掛けて修行するところに初めて成仏行が行われます。つまり申しますとお袈裟を掛けて坐禅をする所に本当の成仏ということが成り立つ訳だ。これは仏法における永遠の真実ですからして古今苗秀つまり苗秀と申しますのは仏弟子の事ですね。これは皆仏弟子が育つのはこのお袈裟の中において育つという意味においてお袈裟を福田地という言葉で表した。だいたいお袈裟を福田衣と申しますけどね、福田衣を福田地に変えたんですね。お袈裟を掛けて修行するそれが成仏である。お袈裟を掛けて修行する、私達ですと坐禅する事が成仏であるという意味の事を、この言葉でもって表現されております。

 

正法眼蔵 袈裟功徳(二)提唱 酒井得元

 

※原文

面山述賛 第四十一袈裟功徳

述云、毘盧六大法身、標名大福田衣、自非宿善深広者、則終身不能値之一頂戴、吾輩即今日日披之、鳴呼甚希有哉。

賛言、一披著此妙服、則四大五蘊匪身心、菩提花芳発春杪、涅槃果甘熟秋林、目下合成法報化、機前超脱去来今、妙高山功徳突兀、香水海福智甚深。

(毘盧六大法身標して大福田衣と名づく、宿釜口深広なる者に非ざるよりは、即ち身を終るまで之に値て一頂戴する事能わず、吾が輩即今日日之を被す、鳴呼甚はだ希有なる哉、ひとたび此の妙服を披著すれば、則ち四大五蘊身心に匪ず、菩提の花芳しく春杪を発す、涅槃の果甘く秋林に熟す、目下合成す法報化、機前超脱す去来今、妙高山の功徳突兀として、香水海福智甚深)

※提唱

毘盧六大法身標して大福田衣と名づく、宿善深広なる者に非ざるよりは即ち身を終るまで之に値て一頂戴する事能わず、吾が輩即今日日之を被す鳴呼甚はだ希有なる哉。

毘虚六大法身これは毘盧舎那仏ですね、つまり仏様の事を毘盧六大法身という言葉で表

した訳ですね。仏様の中で裸の人は一人も居ません、皆仏様はお袈裟を掛けていらっしゃ

る。お袈裟の無いのは仏様じゃありません。だから大福田衣と申します。つまり仏様を包

んでいるのはお袈裟しか御座いません。お袈裟を別名仏衣と申します。お袈裟と巡りあえ

たという事は生まれ方が良かったのかも知れませんね。宿善深広に非ざるよりは。つまり生まれかたが善くなかったならば終身お袈裟に逢うことがなかっただろうな。この世の中の人達は皆仏法で生きているんですよ。つまり仏というのは尽十方界の真実でしょう、これは人種も何も区別御座いませんよ、この宇宙全体がみんな仏だもの。神様とは言いませんよ、仏法と神様とは一緒じゃありませんよ、全部の真実が仏でして。ところが皆お袈裟を掛けたら良さそうですけど仏縁に逢う人逢わない人があるものね。お袈裟と巡り逢って仏様の縁を頂いたという事は有り難いじゃないですか。 つまり宿善深広なる者に非ざるよりは、よほど運の良い者でなかったならば則ち身の終るまで之に値うて一頂戴すること能わず。運が良かったからお袈裟を頂くことが出来たんだ。吾が輩即今日日之を被す。毎日お袈裟を頂戴いている、あ―何と有り難いことだろうか。面山和尚がねお袈裟に巡り逢ったことに感謝している言葉ですね。これをもう一度賛で以って表現します。

ひとたび此の妙服を披著すれば則ち四大五蘊身心に匪ず。菩提の花芳しく春杪を発す涅槃の果甘く秋林に熟す。

私達のこの体ですよ、世の中でこんな大切なものは有りません。これ以上のものはあり

ません。人間という者はそんな事は考えたりもしません。人間はいつも満足を求め続けております。これが人生でしょう、それ以外何も考えたことないものね。世の中の実業家を考えてごらんなさい、儲ける事しか考えていないじゃないか。それで儲かったら〃これが俺の生き甲斐だ″とか何とか盛んに言ってるでしょうが。この人間世界のことは皆いっしょでしょうが。それが、ひとたびお袈裟を掛けたら、それによりまして始めて仏の教えを頂戴いたことになります。そう致しますと得手勝手は出来ませんものね、坐禅をしてお袈裟を掛けることによつて初めて仏を行ずる事が出来た訳だ。仏を行ずることが出来たということは初めて本当の姿に成り得たという事です。次に四大五蘊これは人生のこ事ですよ、人間の生活を四大五蘊と言ったんです。

菩提の花芳しく春杪を発す。菩提というのは真実の事を菩提と申します。心境じゃあり

ません心境というのは或る時の精神状態です、何時でも同じ精神状態なんて有り得ないでしょう。素晴らしい事ばっかりだったら疲れちゃうわ、つまり菩提という事は、お袈裟を掛

けて坐禅することによって真実を行じた事になります。それが本来の姿を行じたという事です。菩提の花が咲いたというのはこの事実を云うのね。そこで春杪を発す、新鮮な匂いを発する事が出来るじやないですか。それと同時に涅槃果甘く春杪に熟す。涅槃と云うのは普通の解釈では亡くなる事を言うのですが、「三十八巻」ある『涅槃経』には亡くなるという事はどこにも書いてありません。涅槃という意味は成就という意味でした。つまり成就というのはいつも申しております尽十方界の真実の事なんです。永遠の真実なんです。全てのものは永遠に存在してますよ、私はこれを真実してると言うんです。この真実してる状態が涅槃してる。お袈裟を掛けて坐禅する姿をここでは甘くとか熟すという美味しそうな言葉で表現してるんです。

目下合成す法報化、機前超脱す去来今、妙高山の功徳突兀として、香水海福智甚深。

目下というのはお袈裟を掛けて坐禅してる姿です。合成というのは実現する事です。何

を実現してるかというと法身報身化身、仏の三身のことを法報化と中します。 つまり完全

な仏様がそこに出現されているんだ、三法身が完全に成立しているということやね。機前

と申しますのは物の働きの事です。分かり易く申しますと、袈裟を掛けて坐禅することを

機前と言います。その事が去来今を超脱している。去来今というのは過去現在未来、これは三時ですね。三時とはどういうことか、私もこの三時については考えさせられましたよ。猫にね、お前の将来どうなるかと聞いて見た事があります。お前には理想が有るかと聞いたらニャンとも言わんかったな。猫には未来が無いんだな。学生に聞いてみると会社の社長に成りたいとかね、それぞれ各人が理想を持ってます。ところが大や猫には将来が無いらしいな、理想を持たない、未来が無いもの。ところが人間というのは過去を持ってますよ。犬や猫には履歴が無いものね、たまには瞼の母に会いたいと言っても良さそうだが、そんな素振り一遍も無いものね。人間だけですよ過去現在未来が有るのはね、これが人間性ですよ、過去現在未来が有るという事は人生上の問題だ。つまり私達の坐禅と云うのは絶対的な坐禅ですよ、人生を超越したものです。人生というのは私達が生きてる一つの風景にしかすぎません。私はね、この頃身体の生命活動を川の流れに喩えておりますよ。と云うのは私達の身体は一時も休まず生き続けておりますから、この事からして人生というものは川の水面に現れる波紋と同じですよ。人生が全てじゃありません、生きてるから人生が有るんだ。つまり生かされてる風景ですね。寝てる時悩んだこと有りますか、無いでしよう。仇討ちだって出来やしません人生が無いもの。そこで私達が坐禅をするということは、こういう人生を超越した真実を実現する事これを解脱というんです。妙高山の功徳突兀たり。妙高山の功徳と申し

ますのは解脱を言ったんです。仏の功徳を言ったんですよ。香水海福智甚深。香水海というのはお袈裟を掛けて坐禅している雰囲気を香水海と表現したものです。福智甚深これ以上の有り難いものが無いものですから福智甚深という表現をしたんですねこれは。私達が有り難いと思うのは、恵まれたり何か貰ったりすると有り難いと思いますけどね、本当の福智というのはね、生かして頂いている以上の福智は御座いません。この福智というものを本当に感ずることが出来るのは仏道です、

本当の仏道と申しますのはお袈裟を掛けて坐禅するところに始めて完全なものがある訳ですから、それでこういうような表現を面山和尚はしているわけです。面山和尚の気持ちも

こういう偈を読んでますと良く表れていますね。述賛はこれぐらいにしておきましよう。

 

正法眼蔵 袈裟功徳 提唱(三) 酒井得元

※原文

仏仏祖祖正伝の衣法、まさしく震旦国に正伝することは、嵩嶽の高祖のみなり。高祖は釈迦牟尼仏より第二十八代の祖なり。西天二十八伝、嫡嫡あひつたはれり。二十八祖、したしく震旦にいりて初祖たり。震旦国人五伝して、曹渓にいたりて三十三代の祖なり、これを六祖と称ず。第三十三代の祖大鑑禅師、この衣法を黄梅山にして夜半に正伝し、一生護持しまします。いまなほ曹渓山宝林寺に安置せり。諸代の帝王、あひつぎて内裡に奉請し、供養礼拝す、神物護持せるものなり。唐朝中宗・粛宗。代宗、しきりに帰内供養しき。奉請のとき、奉送のとき、ことさら救使をつかはし、みことのりをたまふ。代宗皇帝、あるとき仏衣を曹渓山におくりたてまつるみことのりにいはく、今遣鎮国大将軍劉崇景頂載而送。朕為之国宝。卿可於本寺如法安置専令下僧衆親承宗旨者厳加守護、勿令遺墜。

(今、鎮国大将軍劉崇景をして、頂戴して送ら遣む。朕之を国宝と為す。卿、本寺に於いて如法に安置して専ら僧衆の親しく宗旨を承くる者をして、厳かに守護を加えじめ、遺墜せしむること勿る可し。)

※提唱

まず此処で仏仏祖祖正伝の衣法。正伝というのはお袈裟の作り方ですね。やっぱりデタラメでやつたら困りますからね、人間の好みのデザインやつたら困りますから。そこで正伝の衣法ということが成り立つわけですね。お袈裟というのはファッションじゃ御座いませんからね、それでこういうふうなことが書いてある。

まさしく震旦国に正伝することは。実は後の方にも書いてありますが、本当の仏道修行というものが伝わったのは達磨さんからだつたんですね。これは私たちの信仰です。それまでの中国の仏法というものは教学だけですよ。その時分の中国人は西域の文化として学んでおったんでしょうね。その方面の学問研究だったんですね、本当の宗教としての仏法は伝わっていなかったらしいですね。本当の仏法の修行が伝わるのには、やつぱり袈裟というものが伝わらなきゃ仏法の修行は伝わらないという処から、こう言われてるんです。それは達磨さんからですよ、まあこれは禅宗が言う言葉です、他の宗旨ではこんなこと言いません。私ら禅宗の者には、これが何よりの正伝の仏法ですから。

嵩嶽の高祖のみなり。達磨さん以外の人たちは仏法を伝えていない、というのが禅宗の信仰です。

高祖は釈迦牟尼仏より第二十八代の祖なり。

この二十八代というのは、私は絶対的なことと思っておりましたが、インド仏教とかいろんな勉強をしましたらね、私達がいう二十八祖の系統なんて何処にも書いて無いものね。変だなと思って疑問を持ったことがありましたよ。二十八代というのは何時から始まったのか。そんなこと悩んでね、いろいろ調べましたよ。どうして達磨さんから、あ―いう系統が出てきたのか、他の宗派に有ってもよさそうですがね。私が思うのにはね、宝林寺あたりから決まったんじゃないかと了解していますがね。今では禅宗が創作した伝統じゃないかと思ってがすがね、これは。禅宗としましては、これを正伝としなくちゃなりませんからね。本当はこんな風に言うものじやありませんけどね。学問なんかやりますと、こんな風になっちゃう、仕方ない。

西天二十八伝嫡嫡あひつたはれり。二十八祖したしく震旦にいりて初祖たり。震旦というのは昔の中国を震旦と申します。この達磨伝記についても、いろいろ考えたことがありましたよ。南インドの香至国の王子。南インドって何処だか調べたけどわからないね。古い文献には達磨さんのことは詳しく書いてありません。宋の頃の『景徳伝燈録』になると詳しく書いてありましてね、見送られる景色まで書いてあるよ。ところが唐の時代の記録にそれが無いものね。ところが敦違から文献が出土しましてね、そこからいろんなことがわかりましてね。達磨さんが本当に存在したかどうか疑問符が出て来ましてね、敦違の文献が出るまでは、私ら本当に達磨さんの存在を信じていましたからね。今ではそんな熱は醒めましたがね。あ―いう文献は無くても構わないということに落ち着きましたから。

震旦国人五伝して曹渓にいたりて三十三代の祖なりこれを六祖と称す。曹渓というのは慧能禅師のことです、六祖慧能だ。その慧能さんは、お釈迦様から申しますと三十三代の方です。それを私達は六祖と称しております。

第三十三代の祖大鑑禅師。大鑑禅師これがお名前ですよ、大鑑慧能と申しますから大鑑と言います。この方が衣法を黄梅山にして夜半に正伝すという物語があります。黄梅山というのは、湖北省の東側で揚子江の北側でしてね、安徽省に近い所に黄梅があります。この黄梅山にして夜半、夜中に仏法を伝えたということがあります。こういう風に道元禅師はお書きになっています。

この六祖さんという方は、お父さんが范陽という所、今の北京あたりの官吏やっとった。中国の役人というのはよく流されるんですね。汚職か何かやったんだろうな、それで広東省に流された。広東省というのは、昔は相当野蛮な所だつたそうですね、熱帯地方ですから。慧能さんはそういう状況で、広東省新興県で生まれたんですね。それから父親が亡くなってしまった。それで母親を自分が働いて養ってきたわけだ。その時の商売が薪屋さんだったそうです。ある時薪売りの最中、説法を高くことが出来た。その説法が『金剛経』だったそうだ、素晴しい説法で初めて聞いたらしい。そこで説教師に何処で学ばれたかと聞くと、黄梅山で習ってきたと答えたそうだ。それで黄梅山に行ったという話ですよ、これは。

それでいろんな話がありましてね。母親が一人になるから、だれかがお金を出したとか、スポンサーができたとか、いろんなことが書いてあるが、とにかく黄梅山に行きました。黄梅山では坊さんじゃないから、一人前に扱ってくれない。ところが米搗き小屋の人夫として取り扱ってくれた。だからこの時、盧行者と呼ばれた。それで米搗き小屋で修行しておった、どんな修行だか知りませんよ、私は生きていませんから。それで八ケ月修行したと。その時認められたのね、五祖に。あ―素晴しい男だなと。あれを跡継ぎにと思ったらしい。それには何かしなければと思つたらしく、五祖が自分の門下に布令を出した。

お前さん達は皆よく修行した、その成果を偈に書いて持って来いと。私の気に入った偈が有ったら、その者を後継者にしようという布令を出した。そこには大衆一番の神秀上座という者がいた、神秀は経授師という職でいつも大衆を指導しておった。そういう兄弟子がいたせいで、他の者は尻込みして偈を書かなかった。そこで神秀上座は他の者が提出しない為、責任を感じ提出を決意し、五祖の部屋に行こうとするのですが、自信がない為、何回も何回も部屋の前を行つたり来たりしたそうだ。最後はとうとう部屋の前の壁に貼りつけて、自分の部屋で小さくなつていたという話が伝わっています。

夜が明けて壁の偈を見て五祖は褒めたそうです。その偈は「身是菩提樹、心如明鏡台、時時勤払拭、莫使有塵埃」。そうしたらその偶を皆が口ずさんでおった。つぎに米搗き小屋の番人さん、みんなが朝から大騒ぎだ、そこで神秀の偈を大衆から聞いた。そうしたら盧行者が言うには、俺にも偈が出来たと、ところが字が書けんからと、小僧に云って偈を書かせ壁に貼った。それは「菩提本無樹、明鏡亦非台、本来無一物、何処惹塵埃」。そしたら大衆は又大騒ぎで、米搗き小屋にあんな偉いのがおったかと、 つぎに六祖になるのは盧行者だと言い出した。その時五祖が来てその偈を破り捨て、皆を解散させてしまった。

その晩のこと、五祖がみずから米搗き小屋に行って、盧行者に尋ねた。″米は仕上がつたか″と、盧は″仕上がりました″、しかしまだ〃篩ってありません″と答えた。精米と糠に分けるでしょう、その糠を吹くことを篩うと云うんです。そしたら五祖が自の淵を三回ポンポンポンと打って行ってしまつた。その意味は夜中の三更に、俺の所に来いよと、いう指示ですね。そこで五祖の房に行った折に五祖に嗣法し、ただちに故郷に帰り七年或いは十七年という説がありますが、一般群集に混じり、表に出て来るなと言われた。嗣法の証拠として、お袈裟と応量器﹇鉄鉢﹈を手渡した。―衣鉢を伝うーという言葉は、この物語からはじまったのです。

その衣鉢と共に五祖が六祖を船に乗せて、自分で漕いで揚子江の向こう岸に渡したという話あるね。その時六祖が言うには、お師匠様に舟を漕がすのは、申しわけないと云うと、五祖が言うには、弟子を渡すのは師匠の務めだと言ったという物語です。

広東省に入る前に、大庚嶺という山がありますね、その時一部の大衆が追いかけて来て、大庚嶺の頂上で追い着いた。六祖は身の危機を覚え、衣鉢を大きな岩の上に置き、側方から見ていると(蒙山)道明が見つけ、奪い取ろうとするがどうにもこうにも岩から離れない。そこで六祖が出て道明に謂うには、物の為に来たのか法の為に来たのかと聞くと、恥入つて弟子にしてほしいと言うことになつてしまつた。それで何とか収まったという話があります。こういった話は私が中学の時、校長から聞いて印象に残っているんです。その時のことが、『六祖壇経』に詳しく出てきますよ。

この衣法を黄梅山にして夜半に正伝し一生護持しまします。いまなほ曹渓山宝林寺に安置せり。この宝林寺というのは広東省の潮州に今でもあります。諸代の帝王あひつぎて内裏に奉請し供養礼拝す。このお袈裟というものが、唐の皇室に於いて非常に尊敬されまして、供養されたということが、ここに書いてあります。神物護持せるものなり。唐朝中宗、粛宗、代宗、しきりに帰内供養しき。このお袈裟を宮中にいただいて供養したと。奉請のとき奉送のとき、ことさら勅使をつかはしみことのりをたまふ。勅使をつかはして、最大の礼を以て、もてなしたことです。代宗皇帝あるとき、仏衣を曹渓山におくりたてまつる、みことのりにいはく、今鎮国大将軍劉崇景を頂載して送らしめた、朕之を国宝と為す、卿本寺に於て如法に安置して、専ら僧衆の親しく宗旨を承わる者は、厳しく守護を加え遺墜せしむること勿れ。と勅使を給ふた。これほど左様にお袈裟というものが、唐に於いては大事にされた、というひとつの物語ですね。それによりまして、お袈裟の価値を述べられたわけです。次回から本論に入ってまいります。

 

正法眼蔵 袈裟功徳 提唱(四) 酒井得元

※原文

まことに無量恒河沙の三千大千世界を統領せんよりも、仏衣現在の小国に、王としてこれを

見責供養したてまつらんは、生死のなかの善生、最勝の生なるべし。仏化のおよぶところ、三千界、いづれのところか袈裟なからん。しかありといへども、嫡嫡面授の仏袈裟を正伝せるは、ただひとり嵩嶽の曩祖のみなり、旁出は佛袈裟をさづけられず。二十七祖の旁出、跋陀婆羅菩薩の伝、まさに肇法師におよぶといへども、仏袈裟の正伝なし。震旦の四祖大師、また牛頭山の法融禅師をわたすといへども、仏袈裟を正伝せず。しかあればすなはち、正嫡の相承なしといへども、如来の正法その功徳むなしからず、千古万古みな利益広大なり。正嫡相承せらんは、相承なきとひとしかるべからず。

※提唱

前回までは、お袈裟というものを唐の皇室が非常に尊敬をし、お袈裟を国宝だといい、お袈裟に対しいかに眼を開いていたかということを、御示しになっておりました。それを受けまして、まことに無量恒河沙の三千大千世界を統領せんよりも、仏衣現在の小国に王としてこれを見聞供養したてまつらんは、生死のなかの善生、最勝の生なるべし。

いってみますならば、 ″無量恒河沙の三千大世界〃といいますと、大変大きな世界ですよ。これを″統領″する、 つまり支配すること。 ″仏衣現在の小国に王として″と申しますと、お袈裟が現在あるということだ。 ″見聞供養″と申しますのは、仏道修行が行なわれ、お袈裟に対する供養が行なわれるということです。供養というのは後でお話しますけど、仏道修行に於いては供養ということは非常に重要なことですね。そうしますと、 ″小国に王としてこれを見聞供養したてまつらんは、生死のなかの善生、最勝の生なるべし。″何だかこの言葉、どこかに有つたような気がするな。これは「修証義」の中にこの言葉を引っぱってたんですよ、とんでもない所に引っぱってますよ、本当は此処になきやいけない言葉だこれは。ま―あれはあれ、これはこれだ。人生やってるのに、仏衣の存在している所で以て、生死をしてるということは善生であるし、 〃最勝の生なるべし。〃云うてみるならば、こんな幸福はありませんがね。私はあんまり幸福っていう言葉は好きじやありません。最初は幸福ということは大事な言葉だと思ってましたけど、仏法やつてますと、幸福なんてどうでもいいことだなこれは。それよりも、こういう風に生まれついてるってことが有り難いことだったんです。感謝の気持ちのところに、善生と最勝の生ということが大事だと気が付いたのです。

仏化のおよぶところ三千界いずれのところか袈裟なからん。

仏様の教化の及ぶところ、仏法が伝わっているところ、三千界いずれのところか、三千

界というのは三千大千世界という言葉が御座いまして、これは大宇宙といつてもいいですね。つまり、仏化の及ぶところはどんなに広いところであつても、必ずお袈裟がなきやならないんですよ。

しかありといへども、嫡嫡面授して仏袈裟を正伝せるは、ただひとり嵩嶽の彙祖のみなり。

嫡嫡″というのは正式に伝えること、面授というのはバトンの手渡しじやありません。師

匠と弟子とが直接に伝授するのが面授です。お袈裟というのは、そういうようなものでなきやいけないのねこれは。 ″仏袈裟を正伝せるはただ一人嵩嶽の曇祖のみなり。″これは達磨様だけしか、本当のお袈裟を伝えていなかったぞという意味です。と云いますのは、仏法というのは学問じやありませんこれは。思想でも御座いません。仏法の意味するところは、いつも申し上げています通り、私達がこういう風に生かされておる事実そのものです。その宇宙のありとあらゆるものは、皆何をしているかと申しますと、あなた方で申しますと、あなた方は自分で自分をやつてるんじやありません。心臓ひとつもね、自分で運転してるわけじゃないでしよう。それから脳で考えることにしたって、自分で脳を働かしてるんじやないでしょう。脳が機能して、いろんなことが浮かんでくる、浮かんできたのを捕まえて、こうしよう、ああしようと、いかにも自分でやっているようですけどね。それもさせてもらつてるんですよこれは。

これをね、「尽十方界の真実」と申しましてね、「真実してる」と表現しています。この事実が仏法です。何回も申しています通り、仏法は普通の宗教と違うんだ。一般的宗教は神様を創りまして神託させる。私達の仏法は宇宙の真実が教えで御座います。ですから仏法には多くの神さまが仏法に参じて修行いたします。他の宗教にはこんなことは考えられません。例えばキリスト教に回教が入りますか、中近束をご覧なさい。宇宙の真実を修行することが仏道です。ところがインドでは学問になりまして学派になりました。言葉がなかったら学問は成立しません。概念もありません。私が思うにはインドの言葉だけでは、それほど仏教は発達しなかっただろうと思います。インドから中国に仏教が伝播し、漢訳されたことにより発展したと思われます。

私は昔、『唯識』をやつておりましたが、あの学問の状態を見ますと驚く程綿密ですね、あれは言葉のせいですね。学問というのはそういうものです。ですから学問の世界は概念の世界ですから、どうしても実体に到達しないのね。達磨さんはお経を持って来なかった「手ぶら」で来たもんな、あの「手ぶら」というのがおもしろいな、これは。「手ぶら」が本当の仏法だもの、これを持って来て本物を示されたのね。それと同時に本当の修行のありかたをお示しになったわけだ。

当時学問仏教やっていた連中は、びつくり仰天しただろうな。達磨さんの修行は人間の修行じゃなかった、仏を行ずることだったんだ。それを「行仏」といいます、「行仏」には必ずお袈裟という物がなきや行仏にはなりません。

傍出は仏袈裟をさづけられず。

傍出″というのは学問的人間です。或いは本当の修行に到達しなかった者と云っていいでしょう。坐禅を教えておりましても、本当の坐禅をなかなかやってくれませんね、せっかく坐禅やっても人間性に暴走するんですね。私はたびたび人間性の暴走という言葉を使います。

つまり人間性・人格とはどういうものかと云いますと、他の動物と違いまして、人間は理想というものを持っておりましてそれを追求する。理想は人間の必需品じやないですか。なかには理想がないと「だめだ」という者がいたり、人間として生まれたからには立派な理想を持てと。道徳や倫理又は思想というものは、結局理想の持ち方を教える「人間学」なんだ。ところが仏法に入りましても仏法の理想というものを作りましてね、仏法という理想の為に修行する、大抵はそんなもんなんだ。道元禅師がここで″傍出〃とおっしゃるのはこれですね。正伝の仏法というのは人間性を超越すること。 つまり理想を超越したものでなければならない。理想というのは何回も申し上げる通り、人間の望むものです。つまりその理想により、人間が満足感を得るものです。理想を越えた修行というのは無所得無所悟。これは仏法の原則ですよ。無所得無所悟みんな言葉では知っているが、実際は見性とか悟りを追い求めてる。これが人間性というものだ。こういう見性禅も傍出ですね、そういう連中にはお袈裟は眼に入らない。つまりお袈裟はどういうところから出てくるかというと、正身端坐というところから出てくるね。正身端坐は仏行ですから、体つきまで仏様と同じ格好をするということです。「身も心も放ち忘れて仏の家に投げ入れる」。「供養諸仏」、これが坐禅の実態だ。

このお袈裟を大切にされたのは道元禅師ですよ。他宗の方では、お袈裟はひとつの衣装みたいなもんだ。私達のお袈裟は衣装じゃ御座いません、これは。信仰の問題です。袈裟を見せびらかしたりは決してしません。

二十七祖の傍出。跛陀婆羅菩薩の伝、まさに肇法師に及ぶといへども、仏袈裟の正伝なし。震旦の四祖大師、また牛頭山の法融禅師をわたすといへども、仏袈裟を正伝せず。

達磨様が二十八祖ですからそのお師匠さん、つまり般若多羅尊者です。その正系でない人が跛陀婆羅菩薩、この人の系統が中国に伝わり肇法師に伝わりました。肇法師というのは鳩摩羅什のお弟子さんで、非常に優れた人で、この人の著物を『肇論』と云っております。禅宗の人達はこの『肇論』をよく勉強しまして、その一つに『法蔵論』があります。私も京都時代にこの『法蔵論』はよく読みました。残念だな、肇法師には伝わっていません。

四祖大師、大医道信という方です。大満弘忍という五祖さんのお師匠さんです。四祖さんのお弟子さんに牛頭法融という人がいます。この「わたす」、というのは済度したということです。つまり法融禅師を指導したというけれども、仏袈裟をお伝えにはなつていなかった。申しますと思想的に伝わっただけでして、正伝の坐禅が伝わっていないという意味です。

しかあればすなはち、正嫡の相承なしといへども、如来の正法その功徳むなしかさず、千古万古みな利益広大なり。正嫡相承せらんは、相承なきとひとしかるべからず。

如来の正法。〃私はこの正法というものに引っかかりましてね、昔から。正法があるから

には邪法があるはずだ。邪法を皆はね除けてしまって、純粋なものが正法と考えたことがありました。実は本当の正法というのは、そういうことではありません。この正法の意味が理解できたのは、もちろん正法眼蔵のおかげですが、もう一つは『法華経』でした。『法華経』の宗旨は「諸法実相」ということですが、邪法が出てきません。どれもこれもが皆如来の姿になつておる。邪というのは人間の独断でして、此の世の中に存在するものは、自分勝手に存在するものは有りませんでした。全てのものは宇宙の真実として存在している。邪法というのは人間がいうことでして、「これこそが正法だ」というものは正法じゃありません。如来の正法は選び出すものじゃありません。如来の正法から申しますと、″正嫡の相承なしといへども″と、排斥はしません。本来は皆正法の御陰を蒙つてますよ。″千古万古″というのは永遠のことです。 〃利益広大″というのは、仏様のご利益を皆いただいております。〃正嫡相承せらんは相承なきとひとしかるべからず。″こういったことに気をつけて仏道修行をやっていただきたい、それが正嫡相承だな。相承なきとひとしかるべからず。とは勝

手なことをやつてはいけないということです。如来の正法とは、全てのことを受け入れなければ、如来の正法にはなりません。 

 

正法眼蔵 袈裟功徳 提唱(五) 酒井得元

※原文

しかあればすなはち、人(にん)・天(てん)、もし袈裟を受持せんは、仏祖相伝(そうでん)の正伝を伝受すべし。印度震旦、正法(しょうぼう)・像法(ぞうほう)のときは、在家なほ袈裟を受持す。いま遠方(おんぼう)辺土(へんど)の澆(ぎょう)季(き)には、剃除鬚髪して仏弟子と称する、袈裟を受持せず、いまだ受持すべきと信ぜず、しらず、あきらめず、かなしむべし。いはんや体(たい)・色(しき)・量(りょう)をしらんや、いはんや著用の法をしらんや。袈裟はふるくより解脱服(げだっぷく)と称す。業障(ごっしょう)・煩悩障(ぼんのうしょう)・報障(ほうしょう)等、みな解脱すべきなり。龍、もし一縷(いちる)をうれば、三熱をまぬかる、牛、もし一角にふるれば、その罪おのづから消滅す。諸仏成道のとき、かならず袈裟を著す。しるべし、最尊最上の功徳なりといふこと。まことに、われら辺地にむまれて末法にあふ、うらむべしといへども、仏仏嫡嫡(てきてき)相承の衣法にあふたてまつる、いくそばくのよろこびとかせん。いづれの家門か、わが正伝のごとく、釈尊の衣法、ともに正伝せる。これにあふたてまつりて、たれか恭(く)敬(ぎょう)供養(くよう)せざらん。たとひ一日に無量恒河(ごうが)沙(しゃ)の身命をすてても、供養したてまつるべし。なほ生生(しょうしょう)世世(せせ)の値遇(ちぐう)頂戴(ちょうだい)、供養恭敬を発願(ほつがん)すべし。われら、仏生国(ぶっしょうこく)をへだつること十万余里の山海(せんがい)はるかにして通じがたしといへども、宿善のあひもよほすところ、山海に擁(よう)塞(そく)せられず、辺鄙(へんぴ)の愚蒙、きらはるることなし。この正法にあふたてまつり、あくまで日夜に修習す、この袈裟を受持したてまつり、常(じょう)恒(ごう)に頂載護持す。ただ一佛二佛のみもとにして、功徳を修せるのみならんや、すでに恒河沙等の諸佛のみもとにして、もろもろの功徳を修習せるなるべし。たとひ自己なりといふとも、たふとぶべし、随喜すべし。祖師伝法の深(じん)恩(おん)、ねんごろに報謝すべし。畜類なほ恩を報ず、人類いかでか恩をしらざらん。もし恩をしらずば、畜類よりも愚なるべし。

お袈裟をいただくことが、仏祖の正伝を伝受することで、又しなければならない、ということを仏祖相伝の正法を伝受すべし、と説きます。印度震旦、正法像法のときは、在家なほ袈裟を受持す。お釈迦様が亡くなってから五百年を正法と言い、次の五百年を像法、その後は末法と呼ばれます。正法の時にはお釈迦様と同じ修行と教えと悟りが有ったといわれます。像法の時代になるとお釈迦様の香りが薄れ、悟りがなくなり、修行と教えだけが残ったと伝えられています。いよいよ末法になりますと、教えだけが残り、悟りと修行はなくなるという説があります。ちょうど末法が始まった頃は道元禅師が出生された鎌倉時代ですよ。(正確には平安時代中期「1052年」・永承七年八月廿八日条に長谷寺が焼失したと『春記』に記載)その時代には盛んに末法論が論ぜられ、こういう言い方は当時の仏教界の常識でした。いま遠方辺土の澆季には、剃除鬚髪して仏弟子と称ずる、袈裟を受持せず、いまだ受持すべきと信ぜず、しらず、あきらめず、かなしむべし。いはんや体・色・量をしらんや、いはんや著用の法をしらんや。体・色・量というのは袈裟の構造のことで、体は袈裟の材料で、色は袈裟の色です。お袈裟の色というのは壊色と申しまして、黒衣といいましても、純粋の黒光りする黒じゃありませんぜ。木蘭と申しましても、純粋の木蘭色というのはありません。青・黒・木蘭を如法色と申しておりまして、青色と申しますのは青みかかった青、黒色は黒みかかった色、木蘭という色は赤みかかった色、これが如法色という〔いろ〕です。次に量というのは大きさのことで、体全体を覆う程度で充分で、大きすぎても小さすぎてもいけません。三・五肘というのが原則で、肘というのは「ひじ」の長さで、ほかにノベチュウといったり、握り肘といったりします。遠方辺土の仏弟子と自称する連中は体・色・量や著用の法を全く知らないということです。

次に袈裟は、ふるくより解脱服と称す。業障・煩悩障・報障等、みな解脱すべきなり。ここに解脱という言葉が出てきました。障というのは邪魔ですぜ。業に邪魔され、煩悩に邪魔される。こういう邪魔というものを、全然ないようにしなさい、というふうに、解脱を理解しますが全く違います。お袈裟を著けている時には業障も、煩悩障も、報障も全然はたらかない、ということです。つまりは仏道修行をしていると云うことで、業障・煩悩障・報障はわかり易く云うと、人間生活をこう云ったんです。人生上の問題です。人生上の問題というものは、根本的問題じゃありませんぜ。人間だけですよ、自殺するほど悩むのは。坐禅というのは解脱を修行するものです。解脱を修行する処には、必ずお袈裟がなきゃならないものです。龍、もし一縷をうれば、三熱をまぬかる、牛、もし一角にふるれば、その罪、おのづから消滅す。諸仏成道のとき、かならず袈裟を著す。しるべし、最尊最上の功徳なりということ。一縷というのはお袈裟の布きれで、そのお蔭で、龍が悩みをなくしたという話があります。それから、牛の罪が消滅するという話が、お袈裟の文献に記載されていることだけを紹介して、次にいきます。

諸仏成道のとき、かならず袈裟を著す。諸仏成道、つまりお袈裟を著けて坐禅をしなければ、本当の仏行にはならないということです。私達の坐禅は悩みをなくするものでもなければ、気分を良くするものでもありません。本来のあり方を修行するものです。しるべし、最尊最上の功徳なりということ。まことに、われら邊地にむまれて末法にあふ、うらむべしといへども、仏仏嫡嫡相承の衣法にあふたてまつる、いくそばくのよろこびとかせん。いづれの家門か、わが正伝のごとく、釈尊の衣法、ともに正伝せる。これにあふたてまつりて、たれか恭敬供養せざらん。たとひ一日に無量恒河沙の身命をすてても、供養したてまつるべし、なほ正正世世の値遇頂載、供養恭敬を発願すべし。まことに、われら辺地に生まれて末法にあう。ちょうど帰国当時のことを、おっしゃっているのね、考えてみれば中国から見たら、日本は本当に辺鄙な所だったでしょうね。とにかく道元禅師は、仏仏嫡嫡相承の衣法にあうたてまつる、という仏法に巡り遭った。いくそばくのよろこびとかせん、これは喜んでも、喜びきれるものじゃないか、という意味です。いづれの家門かわが正伝のごとく、釈尊の衣法ともに正伝せる。日本に帰朝され、日本の仏教界を眺められた時、現世利益的仏教、つまり密教呪術が盛んだったことから、道元禅師はいづれの家門、と言われたのです。ただ一日でも無量無辺の命を捨ててでも、正伝の仏法衣法は供養しなければならない。生生世世、生まれ変わり、死に変わり、永遠ということだ。値遇頂載と言うのは、お袈裟をいただくことが、供養恭敬できるようにお願いしなさい、という意味です。われら、仏生国をへだつること十万余里の山海はるかにして通じがたしといへども、宿善のあひもよほすところ、山海に擁塞せられず、辺鄙の愚蒙、きらはるることなし。仏生国というのは印度だな、これは。道元禅師の書物を読んでおりますとね、印度は理想の国で、憧れてましたね。印度史を見ますと、その当時は滅茶苦茶でしたね、だけど道元禅師の頭の中にある印度は、仏生国ですからね。宿善のもよほすところ、よほど私達は生まれ方が良かったんだな、運が良かったんだな。この正法にあふたてまつり、あくまで日夜に修習す、どこまでも私達は修行することができるじゃないか。この袈裟を受持したてまつり、常恒に頂載護持す、永遠に私達は、この袈裟をいただいてお護りしたい、これは仏行をする者にとっては当然のことでしょう。

ただ一仏二仏のみもとにして、功徳を修せるのみならんや、すでに恒河沙等の諸仏のみもとにして、もろもろの功徳を修習せるなるべし。たとひ自己なりといふとも、たふとぶべし、随喜すべし。今日こういう風に、お袈裟に巡り遭って仏道修行ができるということは、生まれ変わり死に変わり、何回も何回も正法に遭っていたということですね。全てが仏様をいただいている、ということを道元禅師は間接的に表現されているんです「自己」といっても尊ぶべきですよ、「自己」ということは、道元禅師は親切に説かれています。この「自己」というのは自我意識の「自己」ではありません。道元禅師の「自己」は『現成公案』の、“仏道をならふというは自己をならふなり”の「自己」です。つまり「自己」は万法に証せらるる「自己」、万法というのは尽十方界の真実の「自己」です。祖師伝法の深恩、ねんごろに報謝すべし。畜類なほ恩を報ず、人類いかでか恩をしらざらん。もし恩をしらずば、畜類よりも愚なるべし。今日まで仏法が伝わったということに、感謝しなければならんな。お釈迦様の仏法は発明じゃありませんぜ、大地有情同時成道ですよ。特殊な体験じゃありませんよ。全てのものが成道の姿ですよ、つまりは尽十方界真実の姿だったんだ。自分だけが成道したんじゃありませんよ、自分の本来の姿に気がつかれたんです。これが祖師の伝法ですよ、それをお示しになった。もし恩を知らなかったら、畜類よりも愚かになってしまう、と御示しになられました。

 

正法眼蔵 袈裟功徳 提唱(六) 酒井得元

※原文

この仏衣仏法の功徳、その伝仏正法の祖師にあらざれば、余輩いまだあきらめず、しらず。諸仏のあとを欣求(ごんぐ)すべくば、まさにこれを欣楽(ごんぎょう)すべし。たとひ百千万代ののちも、この正伝を正伝とすべし。これ仏法なるべし、証験まさにあらたならん。水を乳にいるるに相似すべからず、皇太子の、帝位に即位するがごとし。かの合水の乳(にゅう)なりとも、乳をもちいんときは、この乳のほかにさらに乳なからむやは、これをもちいるべし。たとひ水を合せずとも、あぶらをもちいるべからず、うるしをもちいるべからず、さけをもちいるべからず。この正伝も、またかくのごとくならん。たとひ凡師の庸流(ようる)なりとも、正伝あらんは、用乳のよろしきときなるべし。いはんや仏仏祖祖の正伝は、皇太子の即位のごとくなるなり。俗、なをいはく、先王の法服にあらざれば服せず、仏子いづくんぞ仏衣にあらざらんを著せん。後漢(ごかん)、孝(こう)明(めい)皇帝、永平十年よりのち、西天・東地に往還(おうげん)する出家・在家、くびすをつぎてたえずといへども、西天にして仏仏祖祖正伝の祖師にあふといはず、如来より面授相承の系譜なし。ただ経(きょう)論師(ろんじ)にしたがふて、梵本(ぼんぽん)の経(きょう)教(ぎょう)を伝来せるなり。仏法正嫡(しょうてき)の祖師にあふ、といはず、仏袈裟相伝の祖師あり、とかたらず。あきらかにしりぬ、仏法の閫奥(こんおう)にいらざりけりといふことを。かくのごときのひと、仏祖正伝の旨(むね)、あきらめざるなり。釈迦牟尼如来正法眼蔵無上菩提を、摩詗迦葉に附授しましますに、迦葉仏正伝の袈裟、ともに伝授しまします。嫡嫡相承して曹溪山大鑑禅師にいたる、三十三代なり。その体(たい)・色(しき)・量(りょう)、親伝せり。それよりのち、青(せい)原(げん)・南岳(なんがく)の法孫、したしく伝法しきたり、祖宗の法を搭(たっ)し、祖宗の法を製す。浣洗の法、および受持の法、その嫡嫡(てきてき)面授の堂(どう)奥(おう)に参学せざれば、しらざるところなり。

;提唱;

私達がお袈裟を著ける、ということは報恩行がなければなりません。お袈裟をいただく基本は報恩行です。ですから畜類なほ恩を報ず人類いかでか恩を知らざらん、もし恩を知らずば畜類よりも愚なるべし。これまで説いた処までで、お袈裟の概念が決まったと思います。その上更にお袈裟の功徳を、説かれているわけです。

この仏衣仏法の功徳、その伝仏正法の祖師にあらざれば、余輩いまだあきらめず、しらず。諸仏のあとを欣求すべくば、まさにこれを欣求すべし。仏衣仏法の功徳というのは、本当に仏法を伝えた者でなければわかりません。佛衣仏法の功徳をいただいた者が、伝仏正法の祖師ということになります。言葉を変えていうなら、伝仏正法の祖師というのは、仏行ができる人、つまりは坐禅が仏行に徹していること。只管打坐が徹底していること。「只管打坐」とは「正法眼蔵涅槃妙心」です。謂うなれば「正法眼蔵涅槃妙心」とは、仏衣仏法の功徳、すなわちお袈裟の功徳ということです。余輩いまだあきらめず。他の連中にはこれがわかりません。諸仏のあとを欣求すべくばまさにこれを欣求すべし。仏様のあとを一生懸命、願い求めるというならば、仏衣をお願いしなさい、という意味です。たとひ百千万代ののちも、この正伝を正伝とすべし。永遠の仏法修行者の実態でございます。これは時代により変化するものではありません。証験まさにあらたならん。私達の修行というものは貯蓄が出来ませんぜ、これは。亦人間の体には、食い溜めが出来るものではありません。腹一杯食べても、次の日の朝には、食べなきゃならん。つまり我々の体は貯蔵が効かないということです。私もこれまで修行や勉強は、よくさぼりましたが、飯を食うことだけは、さぼりませんね。修行というのは続けなければなりませんよ、坐禅に卒業はありまぜん。仕上がりもありませんぜ、飯を食ってる間はさぼれません、呼吸してる間も同様です。証験というのは実践すること。水を乳に入るるに相似すべからず。薄めちゃいけませんよ、他の物が入るといけませんぜ。皇太子の、帝位に即位するがごとし。皇太子はそのまま天皇の位になるでしょう、あれと同じことです。これは政治問題の評論じゃありませんよ。かの合水の乳なりとも乳をもちいんときは、この乳のほかにさらに乳なからんにはこれをもちいるべし。合水というのは乳の中に水を入れたもので、乳に似ているけど純粋の乳じゃありません。しかし薄めてあっても乳は乳ですから、それを飲みなさい、という表現です。たとひ水を合せずとも、あぶらをもちいるべからず、うるしをもちいるべからず、さけをもちいるべからず。代用品がありません。お袈裟にも代用品がありませんし、仏道修行にも代用品の修行はありません。この正伝も、またかくのごとくならん。たとひ凡師の庸流なりとも、正伝あらんは、用乳のよろしきときなるべし。凡夫の者でも正伝あるならば、最も修行に適した時である、つまりは、正伝の時には好く修行しなさい、ということです。

いはんや仏仏祖祖の正伝は、皇太子の即位のごとくなるなり。仏仏祖祖の正伝というのは、元々正伝でなきゃ正伝にはなりませんし、皇太子でなきゃ天皇にはなれません、同じことです。俗、なをいはく、先王の法服にあらざれば服せず。昔の王様の着られたものでしか、着ちゃならんといいますね、これは中国の諺にあります。それと同じように、仏法は仏法以外のこと、お袈裟は袈裟以外の衣は、著けてはいけないということです。仏子いづくんぞ仏衣にあらざらんを著せん。仏子は代用品を掛けちゃいけません。後漢、孝明皇帝、永平十年よりのち、西天・東地に往還する出家・在家、くびすをつぎてたえずといへども、西天にして仏仏祖祖正伝の祖師にあふといはず、如来より面授相承の系譜なし。仏法が伝わった年代が、後漢の孝明皇帝の永平十年とされていまして、その頃には絶えず人々が、印度と中国を往復していたんでしょう。印度に行って正伝の祖師に遭った、ということは聞いていないと、当時は学問仏教ですからね。従いまして旁流の彼らには、面授相承の伝統がなかったというわけです。ただ経・論師にしたがふて、梵本の経教を伝来せるなり、仏法正嫡の祖師にあふ、といはず、仏袈裟相伝の祖師あり、とかたらず。あきらかにしりぬ、仏法の閫奥にいらざりけりということを。かくのごときのひと、仏祖正伝の旨、あきらめざるなり。私達は三蔵法師という言葉を聴いていますが、彼らは言語学の専門家で、彼らのことを経論師と呼ばれます。梵本、つまりサンスクリット本の経典を大量に持ってきた。彼らは学者ですから、正嫡の祖師には遭っていません。仏様の袈裟を伝えたということも聞いていません。三蔵法師と呼ばれる人達は、仏法の真髄にまで到達していなかった、学問の仏教までしか、達していなかったということですね。かくの如きの人達は、仏祖正伝、つまり仏法の主旨がわかっていなかった、と道元禅師はおっしゃっています。正伝の仏法と申しますのは、言葉を変えていいますと、尽十方界の真実なんですよ、これは。尽十方界の真実は概念じゃありませんぜ、実物ですぜ。この実物が仏法ですぜ、人間の考える思想じゃありませんぜ。

釈迦牟尼如来正法眼蔵無上菩提を、摩訶迦葉に附授しましますに、迦葉仏正伝の袈裟、ともに伝授しまします。嫡嫡相承して曹溪山大鑑禅師にいたる、三十三代なり。その体・色・量、親伝せり。それよりのち、青原・南嶽の法孫、したしく傳法しきたり、祖宗の法を搭し、祖宗の法を製す。正法眼蔵無上菩提」を摩訶迦葉に附授す、と申しますと、何かプレゼントしたように思うでしょうが、その時に迦葉仏正伝の袈裟ともに伝授しまします。私達は「正法眼蔵無上菩提」を「涅槃妙心」と呼んでおります。この正体は何だい。御前に遣るよというのが有るのか、お釈迦様はそういうものを所有していたのか?。伝法の最後に〔我に正法眼蔵涅槃妙心あり摩訶迦葉に付属す〕、と言われましたが、道元禅師は「吾有正法眼蔵涅槃妙心」(永平広録428参照)と言われ、吾有は、あなたが生きていることが「正法眼蔵涅槃妙心」であると説かれたわけです。意訳して云うならば、特別な精神状態ではなく、平常心そのものということです。私達の最も偉大なものは;この体ですよ:。科学者の云うミクロな世界、乃至マクロの世界、そんなものは偉大じゃありませんぜ。彼らの扱う世界は、自身の視覚の範囲内の現象ですから、何ともなく生きている此の事実、これ以上偉大なるものはありません。亦真の偉大さには驚くことなく、中途半端なものには驚くという特性があります。例えば都会の高層ビルを思い浮かべてください。新宿の何百メートルもの建物だと、真下からでは頂上が拝めず、首が痛くなりますが、駒沢大学の屋上から眺めますと、そんな実感は湧きません。小さいもんですよ、青空の大きさ・高さ、と比べると。そこから「平常心是道」という言葉に無量無辺を感じるんです。この事実を摩訶迦葉一人が体得し、同時に袈裟を伝授したということです。嫡嫡相承。代代伝わり慧能に至り三十三代、と同時に体・色・量、つまりお袈裟の実体も親伝しました。六祖には大勢のお弟子さんがいましたが、残ったのが青原行思と南嶽懷譲の二系統が伝法し、祖宗の法を塔しというのは、お袈裟を著けることで、祖宗の法を製すというのは、お袈裟を作ることです。浣洗の法、および受持の法、その嫡嫡面授の堂奥に参学せざれば、しらざるところなり。お袈裟も洗濯しなきゃなりません。ですから浣洗の法、および受持の法、つまり私達はどういうふうに、袈裟をいただいているかということ。嫡嫡面授の堂奥に参学せざれば、そこまでよく究めなければ、浣洗の法も受持の法もわかりませんね。

今回はこれで終わります。

 

正法眼蔵 袈裟功徳提唱(七)  酒井得元 

※原文

 袈裟言有三衣、五條衣七條衣、九條衣等大衣也。上行之流、唯受此三衣、不畜餘衣、唯用三衣、供身事足。

 若經営作務、大小行來、著五條衣。爲諸善事入衆、著七條衣。教化人天、令其敬信、須著九條等大衣。

 又在屏處、著五條衣、入衆之時、著七條衣。若入王宮聚落、須著大衣。

 又復調和熅煗之時、著五條衣、寒冷之時、加著七條衣、寒苦嚴切、加以著大衣。

 故往一時、正冬入夜、天寒裂竹。如來於彼初夜分時、著五條衣。夜久轉寒、加七條衣、於夜後分、天寒轉盛、加以大衣。

 佛便作念、未來世中、不忍寒苦、諸善男子、以此三衣、足得充身。

 

〔袈裟は、言く三衣有り、五条衣・七条衣。九条衣等の大衣なり。上行の流は、唯だ此の三衣のみを受けて、余衣を畜えず、唯だ三衣のみを用いて、供身事足す。若し経営作務、大小の行来には、五条衣を著す。 諸の善事を為し入衆するには、七条衣を著す。人天を教化し、其をして敬信せしむるには、須く九条等の大衣を著すべし。又屏処に在らんには、五条衣を著す。入衆の時には、七条衣を著す。若し王宮聚落に入るには、須く大衣を著すべし。又復調和熅煙の時は、五条衣を著す。寒冷の時は、七条衣を加著す。寒苦厳切なるには、加えて以て大衣を著す。故往の一時、正冬の夜に入りて、天、寒くして竹を裂く。如来、彼の初夜分の時に於て、五条衣を著す。夜久しく転た寒きには、七条衣を加う。夜の後分に於て、天寒転た盛んなるには、加うるに大衣を以てす。仏、便ち念を作さく、未来世の中に、寒苦を忍びざらん諸の善男子は、此の三衣を以て、足して充身することを得ん、と。〕

塔袈裟法(袈裟を塔ける法)

偏袒右肩、これ常途の法なり。通両肩塔の法あり、如来および耆年老宿の儀なり。両肩を通ず、というとも、胸臆をあらはすときあり、胸臆をおほふときあり。通両肩塔は、六十条衣以上の大袈裟のときなり。塔袈裟のとき、両端ともに左臀肩にかさねかくるなり。前頭は左端のうへにかけて、臀外にたれたり。大袈裟のとき、前頭を左肩より通して、背後にいだし、たれたり。このほか種種の著袈裟の法あり、久参咨問すべし。

※提唱

袈裟は言く三衣あり、五条衣・七条衣。九条衣等の大衣なり。

袈裟はどういうものかといいますと、五条衣、七条衣、九条衣、とが有る。条というのは田圃の区画のことです。

上行の流は、唯だ此の三衣のみを受けて、余衣を蓄えず、

修行のよくできた者は、五条と七条と九条の三領のみをいただいて余分な物は持っていない。

唯だ三衣のみを用いて、供身事足す。若し経営作務大小の行来には、五条衣を著す。

日常生活のことを、経営作務大小行来と表現したんです。日ごろは五条衣を著す。

諸の善事を為し入衆するには、七条衣を著す。

入衆は皆と共に修行することで、諸の善事を為すとは、修行することで、そういう時には七条衣を著す。

人天を教化し、其をして敬信せしむるには、須く九条等の大衣を著すべし。又屏処に在らんには、五条衣を著す。入衆の時には、七条衣を著す。

つまり人前に出ない時、内輪にいる時には、五条衣を著す。入衆の時、つまり大衆と修行している時には、七条衣を著す、ですから七条衣のことを入衆衣とも言います。

若し王宮聚落に入るには、須く大衣を著すべし。

大衣というのは九条衣以上ですよ、九条から二十五条まであります。九品の大衣と申しまして九種類あります。九条。十一条。十三条。十五条・十七条・十九条。二十一条。二十三条、それに二十五条です。

又復調和熅煗の時は、五条衣を著す。

つまり暖かい時には五条衣を著す。

寒冷の時は、七条衣を加著す。

つまり五条衣の上に七条衣を重ね着することです。

寒苦厳切なるには、加えて以て大衣を著す。

さらに厳しい時には、更に大衣を著ける。

故往の一時、正冬の夜に入りて、天、寒くして竹を裂く。如来、彼の初夜分の時に於いて、五条衣を著す。夜久しく転た寒きには、七条衣を加う。夜の後分に於いて、天寒転た盛んなるには、加うるに大衣を以てす。仏、便ち念を作さく、未来世の中に、寒苦を忍びざらん諸の善男子は、此の三衣を以て、足して充身することを得ん、と。

日常生活では五条衣で過ごし、寒くなったらその上に七条衣を重ね、耐え難い時には九条衣を著けて修行せよ、という意味です。

塔袈裟法(袈裟を塔ける法)

偏袒右肩、これ常途の法なり。通両肩塔の法あり、如来および耆年老宿の儀なり。両肩を通ず、といふとも、胸臆をあらはすときあり、胸臆をおほふときあり。通両肩塔は、六十条衣以上の大袈裟のときなり。塔袈裟のとき、両端ともに左臀肩にかさねかくるなり。前頭は左端のうへにかけて、臀外にたれたり。大袈裟のとき、前頭を左肩より通して、背後にいだし、たれたり。このほか種種の著袈裟の法あり、久参咨問すべし。

塔袈裟というのはお袈裟の掛け方です。偏袒右肩は右の肩を裸にした状態です。先日、日本仏教学会で比叡山に参りました折、チベット僧のダライ・ラマが来てました。十月で寒かったので通両肩塔でしたが、釈迦堂で礼拝する時には、右肩を出した偏袒右肩になり三拝し、そして我々にも挨拶したよ。偏袒右肩というのは、普通のやり方ですから常途の法と言います。通両肩塔と云いますと普段はやりませんが、説法する時とか、師匠の立場に立つた場合に行います。通両肩塔は両方の肩を覆うから通両といいます。

お袈裟の掛け方の原則は、左肩の上で両端が重なることです。これは偏祖右肩も通両肩塔も同じですよ。宗門では左肩に三ツ折に掛けますが、あれは明治の終わり頃からだそうです。昔は環がついてましたから掛け方が違います。

亦お袈裟に衫が有ったらいけませんよ。あれは曹洞宗だけですよ。法戦式で首座和尚が衫をつけてますが、あれも時代の流行でしょうか。通両肩塔は六十条衣以上の大袈裟のときなり。とありますが、通両肩塔は略して通肩と申します。六十条衣とありますが、お袈裟は奇数ですから六十条衣はありません。この条文には昔の人も困ったそうですが、五条衣は一長一短・七条衣は二長一短。九条衣は三長一短です。ですから五条衣は五の二葉掛けで十、七条衣は七の三葉掛けで二十一、九条衣は九の四葉掛けで三十六、と計算しまして十五条衣の三長一短で計算しますと、十五の四葉掛けで六十という数字が出てまいります。ですから六

十条衣というのは、十五条衣のお袈裟のことだと思われます。このほか種種の著袈裟の掛け方がありますが、久参咨問、具体的なことは師匠に久しく参じてたずねなさいという所で終わりましょう。

 

正法眼蔵 袈裟功徳提唱(八)酒井得元

:原文;

粱(りょう)・陳(ちん)・隋(ずい)・唐(とう)・宋(そう)、あひつたはれて数百歳のあひだ、大小両乗の学者おほく講経の業(ぎょう)をなげすてて、究竟(くきょう)にあらずとしりて、すすみて仏祖正伝の法を習学せんとするとき、かならず従来の幣(へい)衣(え)を脱落して、仏祖正伝の袈裟を受持するなり。まさしくこれ捨邪帰正なり。如来の正法は、西天すなはち法本(ほうほん)なり。古今の人師、おほく凡夫の情量・局量の小見をたつ。仏界・衆生界、それ有辺・無辺にあらざるがゆえに、大小乗の教行人理、いまの凡夫の局量にいるべからず。しかあるに、いたづらに西天を本とせず、震旦国にして、あらたに局量の小見を今案して仏法とせる道理、しかあるべからず。しかあればすなはち、いま発心のともがら、袈裟を受持すべくば、正伝の袈裟を受持すべし、今案の新作袈裟を受持すべからず。正伝の袈裟というは、少林・曹溪正伝しきたれる、如来の嫡嫡相承なり、一代も虧闕(きけつ)なし。その法子法孫の著しきたれる、これ正伝袈裟なり、唐土の新作は正伝にあらず。いま古今に、西天よりきたれる僧徒の所著の袈裟、みな仏祖正伝の袈裟のごとく著せり。一人としても、いま震旦新作の、律学のともがらの所製の袈裟のごとくなるなし。くらきともがら、律學の袈裟を信ず、あきらかなるものは抛却(ほうきゃく)するなり。おほよそ仏仏祖祖相伝の袈裟の功徳、あきらかにして信受しやすし。正伝、まさしく相承せり、本(ほん)様(よう)、まのあたりつたはれり、いまに現在せり。受持、あひ嗣法して、いまにいたる。受持せる祖師、ともにこれ証(しょう)契(かい)伝法(でんぼう)の師資なり。しかあればすなはち、仏祖正伝の作袈裟(さけさ)の法によりて作法すべし。ひとりこれ正伝なるがゆえに、凡聖・人天・龍神、みなひさしく証知しきたれるところなり。この法の流布にむまれあひて、ひとたび袈裟を身体におほひ、刹那・須臾も受持せん、すなはちこれ決定成無上菩提の護身(ごしん)符子(ふす)ならん。一句・一偈を信心にそめん、長劫光明の種子(しゅうじ)として、つひに無上菩提にいたる。一法・一善を身心にそめん、亦復(やくぶ)如是なるべし。

 

 ※提唱

仏法が中国に入ってまいりましてから、時が経過し宋の時代になるまでの何百年もの間に、大乗小乗の学問仏教の学者が本当の仏教に気付いて、講経、つまりお経の講義を止めてしまいました。仏教学を研究しておりますと、最後には学問では解決しない、ということがよくわかります。つまり仏法は思想ではありません。仏法の究竟は、尽十方界の真実まで行き着きます。真実というのは人間の考えることではありませんよ、概念や文字の世界じゃ考えつきません。究極は”“体”自身の真実を修行するということになります。私達の修行は、本当の仏を実践しなければなりませんから、気分の高揚や成仏の為の坐禅の修行では、わがままな暴走と同じです。坐禅の実践は仏を行ずることであり、この臭皮袋というものも、自分の持ち物ではありません。この自分というのが、体の中の一情景で人生ですよ。いわば波の動きのようなものですが、時として、私達はその波の振幅が、人生の全てと思い込みますが、時間の経過と共に、どんな大きな波も元にもどります。この事実を尽十方界の真実と言い、それを仏と称し、その実践が仏行と成り、只管打坐の修行へと行きつくのです。本気で教学をやっている連中でも、正法に眼が醒めてみるならば、坐禅せざるを得なくなるものです。着ているものも同様に、お釈迦様と同じお袈裟を著けて同じような修行をするはずです。袈裟と坐禅は不即不離の関係と言えるでしょう。ですから道元禅師は非常に袈裟を大切にするのは、右記の御教示からも窺がい知れるでしょう。他の祖師方には、このような『袈裟功徳』のような記述はありませんよ。

 次に如来の正法は、西天すなはち法本なり。といいますのは、印度が源流ですから法本と云ったんです。しかし考えてみると印度が特産じゃありませんぜ。宇宙全体が仏法ですから片寄っちゃいけませんね。一応その時の常識として、西天は法本と言われたんです。古今の人師、おほく凡夫の情量・局量の小見をたつ。古今の人師というのは、仏道を学んだ人達、お師匠のことでしょう。凡夫というのはどういうことかと云いますと、自分の目的を達する為には手段を選ばないというのが、情量・局量の小見です。つまり、自己本位にしか、物事を考えることしかできない者を凡夫と云い、本当の仏道者は、その自己本位を制御できる者。それで凡夫の情量・局量の小見をたつ。と言ったんです。仏界・衆生界、それ有辺・無辺にあらざるがゆえに、大小乗の教行人理、いまの凡夫の局量にいるべからず。仏界・衆生界それ有辺・無辺にあらざるがゆえに。つまり申しますと有辺とは範囲が決まっている、範囲が決まっていないのが無辺です。ところが仏界・衆生界には有辺無辺はありません。だからしてあらざるがゆえに。大小乗の教行人理というのは、仏法の教え・修行は、普通の人間(凡夫)とは違うんだということやね。しかあるに、いたずらに西天を本とせず、震旦国にして、あらたに局量の小見を今案して仏法とせる道理、しかあるべからず。何故このように、言われるかと申しますかというと、中国に仏教が伝来以来、勝手に教理の解釈をしまして、中国人的趣向に合わせ、本来の意味を改変してしまいました。そのことを言ってるんです。特に顕著なのが服装でした。それでお袈裟も変化させられました。お袈裟の本来の目的は、体を覆い寒暑を防ぐものでした。ところが中国に伝来してからは飾り物になり、ついには権威の象徴になってしまいました。そいうわけで、道理しかあるべからず、と言われたんです。しかあればすなはち、いま発心のともがら、袈裟を受持すべくば、正伝の袈裟を受持すべし。発心して本当の袈裟を受持しようとするなら、正伝の袈裟、つまり人間の虚構を超越したものでなければいけません。今案の新作袈裟を受持すべからず鎌倉時代にでも、いろんな袈裟が有ったんでしようね。正伝の袈裟というは、少林・曹溪、正傳しきたれる。少林は達磨さん、曹溪は六粗さん。如来の嫡嫡相承なり、一代も虧闕なし。ずーと坐禅をする者が掛けるもの、という意味です。その法子法孫の著しきたれる、これ正伝袈裟なり、唐土の新作は正伝にあらず。つまり唐の流行の袈裟は正伝じゃありませんぜ、これは。虚構が作りあげたものです。仏法も中国に来てから虚構になったんですね。と云いますのは政治に利用されたからです。(テープ四行程聞き取れず)

 おほよそ仏仏祖祖相伝の袈裟の功徳、あきらかにして信受しやすし。この信受しやすし、というのは、正しい修行が行われる時には、お袈裟に対する信仰というものが生じてくるものです。袈裟に対して、お拝をするという宗旨は、ほかに(曹洞宗以外)知りません。正伝まさしく相承せり。お袈裟をお拝するわけですから、お袈裟の内容が違ってくるのも当然です。本様まのあたりつたはれり。本当のお袈裟ということが出てくる。いまに現在せり、あひ嗣法して、いまにいたる。だんだんと伝わってきた。受持せる祖師、ともにこれ証契伝法の師資なり。お袈裟が伝わるということは、証契伝法の師資でなければ伝わらないな、師資というのは師匠と弟子との関係ですよ。わが宗門の証契伝法は只管打坐です。伝法というのは、切り紙とか仏祖の名前を書くとか、そんな変なもんじゃありませんぜ、これは。しかあればすなはち、仏祖正伝の作袈裟の法によりて作法すべし。仏祖正伝の作袈裟というのはファッション・流行じゃありませんから、他人の視線を気に懸ける必要はありません。お袈裟は見栄えの格好ではなく、正しく修行することが目的です。ひとりこれ正傳なるがゆえに、凡聖・人天・龍神、みなひさしく證知しきたれるところなり。本来なら皆知っていることだ、知っているけれども、それに入らないだけの話。この法の流布にむまれあひて、ひとたび袈裟を身体におほひ、刹那・須臾も受持せん、すなはちこれ決定成無上菩提の護身符子ならん。仏法の中に生まれ値うことができ、袈裟を掛け、僅かな時間でもいただこうじゃないか。少しの時間でも坐禅をする、ということにより行仏行が行われる。そこで決定成無上菩提ということは、決定的成仏ということが、袈裟を掛け坐禅することにより、初めて完成し体を守ってくれる。そこで護身符子という言葉が出てくるわけです。一句・一偈を信心にそめん、長劫光明の種子として、つひに無上菩提にいたる。一法・一善を身心にそめん、亦復如是なるべし。宗門では聞法ということに重きを置いています。自分勝手な解釈を止めて聞法する。これが宗門の修行の原則です。それで一句一偈を信心にそめん、一法一善を身心にそめん。と説かれ、亦復如是なるべし、と説かれます。この如是ということは、真実が大事だということです。うっかりしますと、真実を曲解してしまいます。真実というのは自分が感心するものじゃありませんよ。真実を体験したと申しますが、体験には真実がないんだ。このあたりのことは、よくよく考えてみて下さい。

今回はこれで終わります。

 

 正法眼蔵 袈裟功徳 提唱(九)   酒井得元

※原文

心念も刹那生滅し、無所住なり、身体も刹那生滅し、無所住なりといへども、所修の功徳、かならず熟脱のときあり。袈裟、また作にあらず、無作にあらず、有所住にあらず、無所住にあらず、唯仏与仏の究竟(くきょう)するところなりといへども、受持する行者、その所得の功徳、かならず成就するなり、かならず究竟するなり。もし宿善なきものは、一生・二生、乃至無量生を経歴(きょうりゃく)すといふとも、袈裟をみるべからず、袈裟を著すべからず、袈裟を信受すべからず、袈裟をあきらめしるべからず。いま震旦国・日本国をみるに、袈裟をひとたび身体に著することうるものあり、えざるものあり、貴賎によらず、愚痴によらず。はかりしりぬ、宿善によれりということ。しかあればすなはち、袈裟を受持せんは、宿善、よろこぶべし、積(しゃつ)功(く)累(るい)徳(とく)、うたがふべからず。いまだえざらんは、ねがふべし、今生いそぎ、、その、はじめて下種(あしゅ)せんことをいとなむべし。さはりありて受持することえざらんものは、諸仏如来・仏法僧の三宝に、慚愧(ざんぎ)・懺悔(さんげ)すべし。他国の衆生、いくばくかねがふらん、わがくにも震旦国のごとく、如来の衣法、まさしく正伝親臨せまし、と。おのれがくにに正伝せざること、慚愧ふかかるらん、かなしむうらみあるらむ。われらなにのさいあひありてか、如来世尊の衣法正伝せる法に、あふたてまつれる。宿殖(しゅくじき)般若の大功徳力なり。

※             提唱

心念も刹那生滅し、無所住なり、身体も刹那生滅し、無所住なりといへども、所修の功徳、ならず熟脱のときあり。心念というのは私達の生命現象です。刹那生滅し、全てのものは無所住で、決まったものはありません。天気みたいなものです。体も同様で、無所住ですから、昨日の顔と今日の顔では違ってます。常に新陳代謝してますから、昨日のふるもの持って、皆さんの前に出て来ませんよ。皆さんだって同じで、昨日の顔と今日の顔は同じじゃありません。このことを、身体も刹那生滅し無所住なり、と言ったんです。尽十方界の真実は、これですよ。所修の功徳と申しますのは、私達の真実というものは、常に活動していることが真実で、ある特定の時期が真実じゃありません。この坐禅修行は、刹那生滅・無所住である実体を修行することが、坐禅の根本です。ですから坐禅は、ある時の心境じゃありません。ただ黙って坐る。この体は大自然の一部ですから、一時も休まず動き続けています。それをそのまま実践するのが坐禅の修行です。それで、ある一つのことを一生懸命考えてね、あーいう心理状態になってやろう、もっと素晴しい心境になろうと、歯を食い縛ってがんばる。飯も食わずにがんばる。これが人間の異常状態で、まともなことは嫌いでね。人間ぐらい酔っ払うことが好きな動物はいませんぜ。猫も酔っ払うのね、マタタビ食べた時だけ。人間世界だけですよ、酒飲み、タバコのみがいるのは。坐禅もうっかりしますと、酔っ払いの坐禅になりがちです。その代表格が腰掛け坐禅だろうな。やはり坐禅は正身端坐する、ということは尽十方界真実人体の実体を修行すること。それが、身体も刹那生滅し、無所住なりといへども、所修の功徳、かならず塾脱のときあり。ということで、塾脱というのは黙って坐禅している時です。つまり生命現象をそのまま現ずることです。塾脱のときには人生問題は成り立ちません。道元禅師は只管打坐について、正身端坐を先とすべし然して後調息致心す、と言われます。(永平広録第五・三九〇条参照)正身端坐というのは姿勢ですぜ。その時に調息が行われます。息を調えると書きますけど、数息観ではありません。数息観は人為的なものですから、感心しません。脳というものは常に働いてますよ。皆さんも、この文章読みながらでも、いろんなことが頭をよぎるでしょう。ですから、壁一枚隔てた音が聞こえ、認識できるでしょう。寝入っていたら、頭に浮かんでもこなければ、隣の雑音も聞こえません。つまり本当の姿というものは、呼吸も頭の働きも、正身端坐することによって始めて実践することになるじゃないか。ですから道元禅師は、打坐は正法眼蔵涅槃妙心、と言われるんです。(永平広録第四・三〇四条参照)

 袈裟、また作にあらず、無作にあらず、有所住にあらず、無所住にあらず、唯仏与仏究竟するところなりといへども、受持する行者、その所得の功徳、かならず成就するなり、かならず究竟するなり。この作にあらず、無作にあらず。人間がどうとか云う問題じゃありませんぜ。つまり、どんな格好がいいだろうか、どういう衣装がいいか、そんなことは、そこにはありませんぜ。有所住にあらず、無所住にあらず。これも同じことを繰り返しただけです。次に唯仏与仏の究竟する。といいますのは、唯仏与仏、仏と仏とのみなり、と言うことでして、この世の中は仏以外のものは、一つとして存在しない、ということです。ですから特別な事物ではなく、全存在が仏という考えです。唯仏与仏には乃能究尽がセットになります。仏であることは不完全なものはなく、徹底的に仏である、というのが唯仏与仏乃能究尽で、これが道元禅師の信仰ですよ。これが仏道修行の原則だよ。受持する行者、その所得の功徳、かならず成就するなり。これは、だれでもがお袈裟をいただいて修行でき、行仏行が完成できる、ということです。これは信仰の問題ですから、究竟する、という信念を持たなきゃなりません。

 私の昔話で、こんなことがありました。香厳の「撃竹の話」を聞きまして、竹に小石を投げてその音を聞いて、どいうのが悟りの音かとやっていたんです。そうしたらね、和尚がやって来て、「お前何やってるんだ」、と云いますから、例の悟りの話をしたんです。そしたら私の師匠が云うのに、坐禅して悟れるのは、お釈迦様か道元禅師みたいな、特別な人間しか悟れないし、我々が坐禅をしても、だめだよと教えられました。これは意味が違いますよ。坐禅の悟りは体験じゃありませんよ。パチンコ的な頭で考える者には、なかなか呑み込めないことです。

 もし宿善なきものは、一生・二生、乃至無量生を経歴すといふとも、袈裟をみるべからず、袈裟を著すべからず、袈裟を信受すべからず、袈裟をあきらめしるべからず。よほど運が良くなければ、仏法に巡り遭えないわけです。人間は足の先から頭の先までパチンコ的考えですから、只管打坐といわれても、なかなかやれるものじゃありません。人間性に反しますから。人間性というのは、自分の好みに暴走することですから、そこで道元禅師は非常に言葉を費やして、そこのところを説明されています。いま震旦国・日本国をみるに、袈裟をひとたび身体に著することうるものあり、えざるものあり、貴賎によらず、愚痴によらず。はかりしりぬ、宿善によれりといふこと。つまり私達がお袈裟に縁が有るということは、運が良かった、といいますか。宿善といいますのは、生まれ方が良かった、幸運だった、という意味です。しかあればすなはち、袈裟を受持せんは、宿善、よろこぶべし、積功累徳、うたがふからず。お袈裟をいただくことができたということは、宿善よろこぶべし、ですね。前世に良い種を撒いた因縁で以って、お袈裟に巡り遭ったということですかね。積功累徳と申しますのは、これまでの修行の成果で、それを信じなければならない、ということです。いまだえざらんはねがふべし。まだお袈裟にお眼にかかってない者は、巡り遭いたいという願いをしてください。今生いそぎ、その、はじめて下種せんことをいとなむべし。つまり、お袈裟に巡り遭えるとうな下地を、ひとつ努力する必要があります。さはりありて受持することえざらんものは、諸仏如来・仏法僧の三宝に、慚愧・懺悔すべし。どうしてもお袈裟をいただくことができない者は、恥じ入って過去の罪悪を悔い改めなさい。他国の衆生、いくばくかねがふらん、わがくにも震旦国のごとく、如来の衣法、まさしく正伝親臨せまし、と。他国の衆生達も、お袈裟についてどれほどか、お願いすることであろう。「せまし」というのは、してくれますようにと願うことです。おのれがくにに正伝せざること、慚愧ふかかるらん、かなしむうらみあるらむ。自分の国に正伝のお袈裟が伝わって来ないというのは、恥ずかしく思わなくてはいけませんよ、又悲しんで、怨むこともあるでしょう。われらなにのさいはひありてか、如来世尊の衣法正伝せる法に、あふたてまつれる。宿殖般若の大功徳力なり。私達が、衣法正伝の法に値うことができたということは、前世に於いて真面目に修行してきた御陰じゃないか。感謝しなければなりません。これほど切実に、お袈裟に対する真心が大事だということを強調するわけです。

今回はこれで終わりましょう。

 

正法眼蔵 袈裟功徳 提唱(十)  酒井得元

※             原文

いま末法悪時世は、おのれが正伝なきをはぢず、他の正伝あるをそねむ。おもはくは、魔党ならむ。おのれがいまの所有・所住は、前業にひかれて真実にあらず。ただ正伝仏法を帰敬せん、すなはちおのれが学仏の実帰なるべし。おほよそしるべし、袈裟は、これ諸仏の恭(く)敬(ぎょう)帰依(きえ)しましますところなり、仏身なり、仏心なり。解脱服と称し、福田衣と称し、無相衣と称し、無上衣と称し忍辱衣と称し、如来衣と称し、大慈大悲衣と称し、勝(しょう)幡(ばん)衣(え)と称し、阿耨多羅三藐三菩提衣と称す、まことにかくにごとく受持頂戴すべし。かくのごとくなるがゆえに、心にしたがうてあらたむべきにあらず。その衣財、また絹(けん)・布(ふ)、よろしきにしたがうてもちいる。かならずしも、布は清浄なり、絹は不浄なるにあらず。布をきらうて絹をとる、所見なし、わらふべし。諸仏の常法、かならず糞掃衣を上品とす。

 糞掃に十種あり、四種あり。いはゆる、火焼・牛嚼(ごしゃく)・鼠噛(そこう)・死人衣等。五印度ノ人、如レキ此等衣、棄二ツ之ヲ巷野一二。事同二ジ糞掃二一、名二糞掃衣一ト。行者取レテ之ヲ、浣染縫冶、用以テ供レ身二。<五印度の人、此の如き等の衣、之を巷野に棄つ。事、糞掃に同じ、糞掃衣と名づく。行者、之を取って浣染縫冶して、用いて以て身に供ず>。そのなかに絹類あり、布類あり。絹・布の見をなげすてて、糞掃衣を参学すべきなり。糞掃衣は、むかし阿耨達池(あのくだつち)にして浣染せしに、龍王、賛嘆・雨(う)華(け)・礼拝しき。小乗教師、また化(け)糸(し)の説あり。よところなかるべし、大乗人、笑ふべし、いづれか化糸にあらざらん。なんぢ、化をきくみみを信ずとも、化をみる目を疑ふ。

※             提唱

いま末法悪時世は、おのれが正伝なきをはぢず、他の正伝あるをそねむ。おもはくは、魔党ならん。今の末法悪時世に於きましては、自分の所に依法正伝がないのを、少しも恥ずかしいとは思わない。他の方を嫉妬する、思うに、こういう連中は悪魔ですね。おのれがいまの所有・所住は、前業にひかれて真実にあらず。つまり申しますと、今現在というものは、前からの習慣に引っ張られますから、真実が行われない。ただ正伝仏法を帰敬せん。ですから、正しくなる為には、正伝の仏法に帰依しよう、と説かれます。すなはちおのれが学仏の実帰なるべし。要するに正伝の仏法は一生懸命に、尊敬することしか、あり得ないじゃないか。おほよそしるべし、袈裟は、これ諸仏の恭敬帰依しましますところなり。いままでの処をまとめて申しますと、袈裟とは、諸佛の恭敬帰依する所でありまして、信仰のない者は仏じゃありませんぜ、これは。仏身なり仏心なり。解脱服と称し、福田衣と称し、無相衣と称し、無上衣と称し、忍辱衣と称し、如来衣と称し、大慈大悲衣と称し、勝幢衣と称し、阿耨多羅三藐三菩提と称す。仏身は仏の体、仏心は仏の御心。解脱服は解脱の服。福田衣はお袈裟によって仏が生まれること。無相衣は形に囚われないこと。無上衣はこれ以上尊いことがないこと。忍辱衣は六波羅蜜の中で説かれ、凡情に耐え忍ぶこと。如来衣はお袈裟のところに仏の行があること。大慈大悲衣は自我はありません。全てのものを包容し、排斥するものは何もない、これが大慈大悲です。勝幢衣は正法の目印です。阿耨多羅三藐三菩提衣はお袈裟を掛け坐禅するこにより、無上正等正覚が実践されています。

 私達の只管打坐の坐禅は、「正法眼蔵涅槃妙心」を実践しているんです。「正法眼蔵涅槃妙心」の真実を訳しますと、阿耨多羅三藐三菩提です。この真実は皆さんが感激するものじゃありませんよ。本当に偉大なものには、感激ということは有り得ません。中途半端なことには気が引っ張られます。この日常生活での呼吸していること、心臓が拍動していることに感嘆する人、いないでしょう。この宇宙の偉大なる真実は、この六尺の体が実践してるんですよ。この体の働きは、素晴しいというよりは、これ以上のものは存在しませんぜ、これは。科学が発達しまして、何億光年先の天体を観測しましても、それは、観測者自身の生命内活動の一分野のことでしかありません。この生命活動を飛び越えることは絶対にできません。このことを、よく考えて下さい。これほど、偉大にも関わらず、一度として感激したこともなければ、喜んだこともない、平常心だ。仏法の極意は、平常心是道ですが、これほど偉大なものはないな。人間が云うところの、素晴しい、感激した、というのは興奮ですから、たいしたことありません。こいうことが阿耨多羅三藐三菩提の説明です。まことにかくのごとく受持頂戴すべし。私達のお袈裟は、こういう意味に於きまして、いただいてください。かくのごとくなるがゆえに、心にしたがうてあらたむべきにあらず。お袈裟をファッションにし、自分勝手な方法で作ってはだめだ、ということです。

 その衣財、また絹・布、よろしきにしたがうてもちいる。いよいよ、お袈裟の実体に入ってまいります。布というのは木綿のことです。よろしきに従う、というのは、その時々の状態で構わないという意味です。かならずしも、布は清浄なり、絹は不浄なるにあらず。つまり木綿は清浄で、絹は不浄である。四分律律宗では、絶対に絹は用いませんよ。絹の糸は繭を殺生したものですから、決して使用しません。布をきらうて絹をとる、所見なし、わらふべし。また逆に木綿を嫌って絹を好む、笑うべし、と道元禅師は説かれます。諸仏の常法、かならず糞掃衣を上品とす。諸佛の常法というのは、お袈裟の材料ですよ。どいうものかというと、必ず糞掃衣を上品とする、というのが原則です。糞掃衣に十種あり、四種あり。いはゆる、火焼・牛嚼・鼠嚙・死人衣等。いろんな説があるんですが、代表的な四種です。焼きかけた布きれ。半分焼けた着物なんか、着れませんから捨てるでしょう。そんなのを拾ってきて、使える部分だけ切り取り、縫い合わせたのが糞掃衣ですから。牛嚼というのは牛がかじったボロ布。鼠噛というのはねずみがかじった布。死人衣は、インドでは死人に新しい着物をきせ、近くの草原まで運んで、そこで裸にして刃物で手足等を切断して、鳥や獣に供養するそうです。一種の風葬・鳥葬ですね。その時に出た着物を、死人衣といいます。五印度人、如此等衣、棄之巷野。事同糞掃、名糞掃衣。行者取之、浣洗縫治、用以供身。インドでは、これら役に立たない者は、巷野に棄ててしまったんです。世間で役に立たないものを糞掃と呼び、衣にしたものを糞掃衣と云います。これは糞を掃除する衣、つまり穢いものを拭き取る、という意味もありますが、糞のように価値がなく捨てた衣、つまり魅力もなく誰も欲しがらない。というのが糞掃衣の意味するところです。行者取之、浣洗縫治、用以供身。行者は価値のなくなった糞掃衣を手に取り、きれいに洗って縫い合わせて、用いて以って身に供する。ということです。そのなかに絹類あり、布類あり。絹・布の見をなげすてて、糞掃を参学すべきなり。糞掃の中には、絹もあるでしょうし木綿もあるでしょう。そこでは糞掃として見て、材料として見るんじゃありませんから、絹であろうが木綿であろうが、そういう見方は捨てて、糞掃を参学すべきなり。すべてのものを一体として見ることです。もともとの価値を見ない。仏法というのは「唯仏与仏乃能究尽」でございました。これは全てのものが仏様です。紙くずであろうが石ころであろうが、又、汚れた汚物であろうが唯仏与仏から申しますと、それ自身が乃能究尽ですぜ。どんなものでも勝手に存在しているものはありません。別な謂い方をすれば、尽十方界真実が真実している姿ですよ。仏法者からしましたら、区別して見ちゃいけませんぜ。それが糞掃という言葉にあらわれたんです。糞掃が仏法の原則で、糞掃は「唯仏与仏乃能究尽」に置き換えても構いません。ですから品物により区別するのではなく、皆、平等に取り扱わなければなりません。糞掃衣は、むかし阿耨達池にして浣洗せしに、龍王、賛嘆・雨華・礼拝しき。こういう物語も伝わっています。小乗教師、また化糸の説あり。よところなかるべし、大乗人、笑ふべし、いづれか化糸にあらざらん。なんぢ、化をきくみみを信ずとも、化をもる目を疑ふ。化というのは、ものが生まれるのに卵胎・湿・化生という考えがあります。卵から生まれるもの。胎盤を通して生まれるもの。湿潤な所から生まれるもの。化生というのは、仏様や神様が姿を現すことを化生と呼び、この化生という生まれ方が一番尊いことだとされています。(化糸の説については『伝衣』にも記述・『法苑珠林』三十五・法服篇〔『大正新脩大蔵経』五十三巻五百六十一頁・中段参照〕よところなかるべし、何も根拠がありません。大乗人わらふべし、大乗からいうと滑稽ですよ。いづれか化糸にあらざらん、意味するところは、全てが化糸じゃないか、どんなものでも仏様の姿ですから「唯仏与仏乃能究尽」ですぜ。化糸でないものは、どこにもないじゃないか。なんぢ化をきくみみを信ずとも、化というものを耳で聞いているけれども、耳で聞いただけの話で、すべてのものに化を見ることはできないじゃないか。ということは、仏法に於いては特殊なものを選り好みしません。仏法者はどんな立場にあっても僻むということはあってはいけません。劣等感も持ってはいけませんし、人様を馬鹿にしちゃいけませんぜ。皆それぞれ有り難い存在でなきゃなりません。

 今回はこれまでにしましょう。 

 

正法眼蔵 袈裟功徳 提唱(十一)  酒井得元

※原文

 しるべし、糞掃をひろふなかに、絹(けん)に相似なる布(ふ)あらん、布に相似なる絹あらん。土俗万差にして、造化(ぞうけ)、はかりがたし、肉眼(にくげん)のよくしるところにあらず。かくのごとくの物をえたらん、絹・布と論ずべからず、糞掃と称すべし。たとひ人天の、糞掃と生長(しょうちょう)せるありとも、非情ならじ、糞掃なるべし。たとひ松(しょう)・菊(きく)の、糞掃と生長せるありとも、非情ならじ、糞掃なるべし。糞掃の、絹・布にあらず、金銀・珠玉(しゅぎょく)にあらざる道理を信受するとき、糞掃現成するなり。絹・布の見解(けんげ)、いまだ脱落せざれば、糞掃也未(ふんぞうやみ)夢見(むけん)在(ざい)〈糞掃も也(ま)た未(いま)だ夢にも見ざること在り〉なり。ある僧、かつて古仏にとふ、黄梅(おうばい)夜半(やはん)の伝衣、これ布なりとやせん、絹なりとやせん、畢竟(ひっきょう)じて、なにものなりとかせん。古仏いはく、これ布にあらず、これ絹にあらず。しるべし、袈裟は絹・布にあらざる、これ仏道の玄訓なり。商那和(しょうなわ)修(しゅ)尊者(そんじゃ)は、第三の附法蔵なり。むまるるときより衣と倶(とも)に生ぜり。この衣(え)、すなはち在家のときは俗服なり、出家すれば袈裟となる。また鮮(せん)白(びゃく)比丘尼、発願施氎(ほつがんせじょう)ののち、生生(しょうしょう)のところ、および中有、かならず衣と倶(く)生(しょう)せり。今日(こんにち)、釈迦牟尼仏にあふたてまつりて出家するとき、生得(しょうとく)の俗衣、すみやかに転じて袈裟となる、和修尊物におなじ。あきらかにしりぬ、袈裟は、絹・布等にあらざること。いはんや、仏法の功徳、よく身心諸法を転ずること、それかくのごとし。われら出家・受戒のとき、身心依正、すみやかに転ずる道理あきらかなれど、愚蒙にしてしらざるのみなり。諸仏の常法、ひとり和修・鮮白に加して、われらに加せざることなきなり。随分の利益(りやく)、疑ふべからざるなり。

※提唱

しるべし、糞掃をひろふなかに、絹に相似なる布あらん、布に相似なる絹あらん。土俗万差にして、造化、はかりがたし、肉眼のよくしるところにあらず。糞掃のなかでも絹に似た木綿もありますし、木綿に非常に似た絹もありますよ、これは。土俗万差と申しますのは、その土地・場所により風俗が違いまして、ある民族では、絹を木綿のように使っていることもある。あるいは、木綿が絹のように重宝がられる所もありますから、造化はかりがたし。で、これが正しいか、間違いかはわかりません。ですから私達の見方で判断してはいけません。かくのごとくの物をえたらん、絹・布と論ずべからず、糞掃と称すべし。かくの如くを得たらん。と申しますのは、何でも構わないということです。絹とか木綿とかは問題ではありません。これらを糞掃としていただきなさい、こういう意味合いです。たとひ人天の、糞掃と、生長せるありとも、有情ならじ、糞掃なるべし。人天の世界では、糞掃を馬鹿にしますけどね。有情ならじ、というのは、自分の感情でものを云っちゃいけなせんよ。穢いからとか、糞掃だとか、そんな感覚で判断してはいけません。この糞掃は、穢いという意味じゃありませんぜ。これは、袈裟の材料に対する、名詞のように取り扱っていただきたい。たとひ松・菊の、糞掃と生長せるありとも、非情ならじ、糞掃なるべし。松・菊といいますのは、美しいものの形容です。糞掃は穢いものとは限りませんよ。美しい糞掃があっても構いません。金襴だって糞掃ですよ。非情というのは、感情の問題じゃありません。松・菊は綺麗ですから感情に引っ張られます。そこで非情ならじ、というのは、美しいという感情が消えませんから、非情ならじ、と表現したんです。ところが、どんなに綺麗でもお袈裟になりますと、糞掃なるべし、となります。ところが金襴でピカピカ着飾っても、正法から見ますと糞掃です。糞掃の、絹・布にあらず、金銀・珠玉にあらざる道理を信受するとき、糞掃現成するなり。糞掃というのは、絹だの木綿だの、というものじゃありません。金銀・珠玉にあらざる道理というのは、一般的なきれい、きたない、という価値観を超越する時、お袈裟の材料の価値がある。糞掃というものは、これらの価値観とは次元を異にするものです。絹・布の見解、いまだ脱落せざれば、糞掃也未夢見在なり。絹だの木綿だのと、頭から離れない者にとっては、糞掃というものを夢にも見ることができぬ、ということです。ある僧、かつて古仏にとふ、黄梅夜半の伝衣、これ布なりとやせん、絹なりとやせん、畢竟じて、なにものなりとかせん。「黄梅夜半」といいますのは六祖ですね。六祖はまだ出家していなかったので、盧(ろ)行者(あんじゃ)と呼ばれていた。盧というのは彼の俗姓です。米搗き小屋の人夫やっとったんです、これは。六祖は広東省で、母親を養うために薪売りをやってたんです。ある時、薪売りの配達先で『金剛般若経』の講釈を聞いて感激し、説教師に何処で勉強されましたか。と伺うと、「黄梅山」にて勉強しました、と。「黄梅山」という言葉を聞くと同時に、いても立っても、いたたまれなく、そのまま「黄梅山」の五祖の所に駆け込んだそうだ。お坊さんとしてではなく、米搗きの人夫さんの立場ですよ。それから八ヶ月の間、一生懸命修行しておった。五祖は最初から六祖の器量を見抜いてをり、八ヶ月目にして、山内大衆に修行の成果を偈にして提出するよう命じたわけだ。ところが、山内には神秀という先輩格の上座がいたので一人もしなかった。神秀上座はそれを察して、偈を作り持って行ったのですが、直接手渡せなかった。万が一、五祖が認めてくれなかったら、と思うと躊躇し、何度か五祖の部屋の前まで行っては、を繰り返した。とうとう最後は直接五祖の房には行けず、前の廊下の壁に偈を貼り付け、自信がない為、自房で縮こまっていたんだ。夜が明け五祖が発見し、山内の大衆にこう云った。「身是菩提樹、心如明鏡台 時時勤払拭、莫使染塵埃。」この神秀の偈のように修行すれば、お前たちも得道するからな。この偈をよく覚えておけ、と云った。皆が神秀の偈をブツブツ呟いておったが、六祖はいつものように米搗きをして、何だか外の様子がいつもと違うので、小僧に聞いてみると、先ほどの出来事を教えてくれた。そして神秀の偈も教えてくれたので、その小僧に頼んで六祖自信の偈を書いてもらい、それを廊下の壁に貼った。「菩提本無樹、明鏡亦非台 本来無一物、何処有塵埃。」そうしますと、山内の者は皆驚いたそうです。あまりに素晴しい出来映えに。これは六祖になるに間違いない、と異口同音に皆いった。米搗き小屋に、生身の菩薩がいたとは知らなかったな。彼が六祖になったら、わしらが最初に指導して貰おうと云ってたそうだ。

そこに五祖が現れ、何だこんなもの、と云って皆の前で破り捨てた。それで皆が意気消沈して、各自の房に帰った。ということが『六祖檀経』に書いてありますよ。その晩五祖が米搗き小屋に来て、「米は搗き終わったか」、と聞いた。六祖は「はい、搗き終わりました」と答えるが、まだ「篩(ふ)くってありません」と答う。篩くってないというのは、米と糠とを分けてありません、という意味です。その後五祖は臼の淵を三回、ポンポンポンと叩いて帰ってしまった。それは今晩三更に、方丈に来なさい、という意味で、その晩嗣法が行われ、それが「伝衣嗣法」です。その時に達磨宗の六祖を証明され、同時に黄梅山を離れ、郷里に帰るよう云われた。それから七年或いは十年の間、俗界に紛れ、修行するよう云われたわけですが、そのことによって、仏法の幅が非常に広くなったのね。その時、五祖に嗣法した証拠として、袈裟と鉄鉢を伝授されたんです。そこから゙衣鉢を伝ゔという語源は、ここから生まれたんですね。

五祖から六祖に伝わったお袈裟の材料は木綿ですか絹ですか、いったい何でしようか。そこで、古仏いはく、これ布にあらず、これ絹にあらず。しるべし袈裟は絹・布にあらざる、これ仏道の玄訓なり。布や絹じゃなく、お袈裟はお袈裟だということを、言われたわけです。これが仏道の元ですよ。

 次に商那和修尊者は、第三の附法蔵なり。むまるるときより衣と倶に生ぜり。この衣、すなはち在家のときは俗服なり、出家すれば袈裟となる。また鮮白比丘尼、発願施氎ののち、生生のところ、および中有、かならず衣と倶生せり。今日、釈迦牟尼仏にあふたてまつりて出家するとき、生得の俗衣、すみやかに転じて袈裟となる、和修尊者におなじ。あきらかにしりぬ、袈裟は絹・布等にあらざること。いはんや、仏法の功徳、よく身心諸法を転ずること、それかくのごとし。われら出家・受戒のとき、身心依正、すみやかに転ずる道理あきらかなれど、愚蒙にしてしらざるのみなり。諸仏の常法、ひとり和修・鮮白に加して、われらに加せざることなきなり。随分の利益、うたがふべからざるなり。商那和修尊者という方は、お釈迦様から三代目の方です。摩訶迦葉・阿難陀、次いで商那和修という人です。この人、生まれてきた時、着物を着たまま生まれたそうだ。ですから倶生せり。どんな着物か知りませんよ。これに対しては、胎盤のまま出産した、との説もありますが、神秘的説話はそのまま聞いておきましょう。それから、成長するにつれて、着物も大きくなったそうだ。出家すれば、その着物がお袈裟になったそうです。変な話ですが、これが有名な商那和修の話です。次に鮮白比丘尼、別名、白浄比丘尼と申します。この人は、迦毘羅衛国の、瞿沙という長者の娘だそうです。非常に美人だったそうですが、この人も、白い布に包まれて生まれてきたそうだ。そして、成長するごとに白い着物も大きくなり出家と同時に、白布がお袈裟に変化したそうです。(『撰集百縁経』八・比丘尼品・『大正新脩大蔵経』四巻二百三十九頁中段、又は大智度論九、倶舎論九等参照)この鮮白比丘尼は一生涯、白布と共に生きていた、というのが発願施氎の段です。次に、今日釈迦牟尼仏(略)生得の俗衣すみやかに転じて袈裟となる(略)袈裟は絹・布等にあらざること。出家したならば、普通の着物では具合が悪いですから、俗衣がそのまま袈裟に変化したと云われたんです。われら出家・受戒のとき、身心依正云々。身心依正というのは、私達の体のことを身心と申します。依正と申しますのは、依報正報と申しまして、正報というのは私達の体のことをいってます。体を考えて御覧なさい。昨日もこの体、今日もこの体を維持しているでしょう。依報というのは、この体があるということは、周囲の環境と共に存在するわけです。そのことを、身心依正と言われたんです。別の言葉で申すなら、尽十方界真実人体、と表現しても構いません。私達の仏道修行とは、どういうことかと申しますと、尽十方界を実践することで、具体的表現として、只管打坐と言われたんです。またそれを出家・受戒とも言われ、すみやかに転ずる道理あきらかなれど、とは元の本来の姿に戻ることです。

 

正法眼蔵 袈裟功徳 提唱(十二)  酒井得元

  ※    原文

 かくのごとくの道理、あきらかに功夫参学すべし。善来得戒(ぜんらいとくかい)の披(ひ)体(たい)の袈裟、かならずしも布にあらず、絹にあらず、仏化難思(ぶっけなんし)なり。衣(え)裏(り)の宝珠は、算沙(さんしゃ)の所能にあらず。諸仏の袈裟の体・色・量の有量・無量、有相・無相、明らめ参学すべし。西天東地、古往今来の祖師、みな参学正伝せるところなり。祖祖正伝の、明らかにして疑ふところなきを見聞しながら、いたづらにこの祖師に正伝せざらんは、その意楽(いぎょう)ゆるしがたからん。愚痴のいたり、不信のゆえなるべし。実をすてて虚をもとめ、本をすてて末をねがふものなり。これ如来を軽忽(きょうこつ)したてまつるならん。菩提心をおこさんともがら、かならず祖師の相伝を伝受すべし。われら、あひがたき仏法にあふたてまつるのみにあらず、仏袈裟正伝の法孫として、これを見聞し、学習し、受持することをえたり。すなはちこれ、如来をみたてまつるなり、仏(ぶつ)説法をきくなり、仏光明にてらさるるなり、仏受用(ぶつじゅゆう)を受用するなり、仏心を単伝するなり、仏髄をえたるなり。まのあたり、釈迦牟尼仏の袈裟をおほはれたてまつるなり、釈迦牟尼仏、まのあたりわれに袈裟をさづけましますなり。ほとけにしたがふたてまつりて、この袈裟は、うけたてまつれり。

提唱

 かくのごとくの道理、あきらかに功夫参学すべし。善来得戒の披体の袈裟。この、善来得戒の披体の袈裟、というのは、『出家功徳』にも出てまいりました。その中には、酔っ払ったバラモンが、お釈迦様の処に来て、出家させてくれと頼みに来た、と。そして得度させてしまった。それを「善来得戒」と云ったんです。「善来」とは「よく来たな」という意味です。近くにいた仏様のお弟子たちが云うには、あんなバラモンを、なぜ得度させたんですか、と。お釈迦様はその時言うには、あのバラモンはこの機会、つまり酔っ払わなかったら、絶対に得度させてくれとは云わなかったはずだ、と。だから得度させたんだ、と言われた。そこで仏弟子が云うには、そんなことしても無駄じゃないですか、と。しかしながら、この剃髪染衣、つまり頭を剃ってお袈裟を掛けてやった、ということが重要なことで、この因縁によって、将来バラモンの成仏得道になるだろう、と言われたんです。この話の類話は、後段に蓮華色比丘尼の物語にも出てまいります。蓮華色は踊りのために、他の尼僧さんのお袈裟を奪って、ふざけたんですが、現世では地獄界に落ちたんですが、来世では前世での袈裟という縁で以って、坊さんに生まれ変わって、幾度となくり返し、最後は尼僧で得道するまでに成った、という因縁譚があります。前話にも酔婆羅門の因縁話がありましたが、どれも袈裟の不可思議性を述べたものです。

 そもそも、仏教というものは理論じゃありませんぜ。私(酒井得元老師)も昔は理論ばかり、やってましたよ。第一、私達のこの体というのは、理論じゃありません。尽十方界の真実は、理論じゃ有り得ません。理論というのは、人間が作った言葉の上での組織ですぜ、これは。理論には、必ず決まった法則がありまして、その法則に合致すると、「わかった」・「納得した」と云う。これが理論でしょう。

 昔、田辺元という哲学者が、師匠である西田幾多郎に対して、西田哲学には「論理」がない、と詰め寄ったことがありました。西田さんの方は禅をやってましたから、「絶対的」という概念がわかっていたんですが、田辺さんの方は理論ばかりやってますから、結局折り合わなかった。田辺元は「ことば」の中に於いてしか生きていられなかった。理論というのは、頭で考えたことですから、「考える」以上のことは考えられません。これは、生命活動の一つの表現にしかすぎませんから、それ以上のものの中で「生きている」ということが、「理論家」にはわからないんですね。こいうことは、仏法に於いては特に必要なんです。そのあたりのことは、よく承知しておいていただきたい。ですからお袈裟は単なる着物じゃありませんぜ、これは。善来得戒の披体の袈裟、かならずしも布にあらず、絹にあらず、仏化難思なり。人間というのは、どうしても着物を着なきゃならないでしょう。生きていられませんよ。その材料(質)は何でも構いません。本来は着るということが大事なんです。後段で材料のことが述べられていますが、その時々の状況で材料が違うだけです。木綿も絹も麻もない場所では、何を着ればいいんですか。そんな状況の場合には、獣の皮だって構いません。こういうことが、此の『袈裟功徳』の後ろにも書いてあります。つまり申しますと、私達人間は、着物を着なければ生きていけません。そこにお袈裟の原理がありますね。修行者というのは姿が大事ですからね、これは。そこで、仏化難思、という言葉がある。仏化というのは、仏道修行そのもののことを、仏化と説きます。これは思考以前のものだ。衣裏の宝珠は、算沙の所能にあらず。宝珠はお袈裟の価値で、お袈裟の有り難さというものは、私達が想像するよりも優れている、ということを、言ったものです。

 次に諸仏の袈裟の体・色・量の有量・無量、有相・無相、明らめ参学すべし。西天東地、古往今来の祖師、みな参学正伝せるところなり。祖祖正伝の、明らかにして疑ふところなきを見聞しながら、いたづらにこの祖師に正伝せざらんは、その意楽ゆるしがたからん。愚痴のいたり、不信のゆえなるべし。先ず諸仏の袈裟の体・色・量。この説仏の説というのは、眼蔵独特の表現で、『説心説性』で説かれる説と同じ意味で、説とは口で述べることではなく、説とは、仏の表現・表情と、とっていただきたい。仏の姿と云ってもいいですね。説仏というのは、仏様の概念じゃなくて、実物の仏のことを説仏と云うんだ。〔原本は諸仏とあるが、酒井老師の口述のまま記載す〕つまりお袈裟は単なる衣装じゃございません。衣装と人間とは一体の関係です。それから体・色・量の有量・無量、有相・無相、明らめ参学すべし。体というのは材料のこと。色というのは色あいのこと。量というのは大きさのこと。材料は糞掃、色は壊色、量は体に合致したもの。有量・無量・有相・無相というのは、袈裟の正体は決まったものはありません。と云いますのは、袈裟製作者により、体・色・量等がそれぞれ差違がありますから、有量・無量・有相・無相と述べられたわけです。そのことを、明らめ参学すべし。と言われます。次に西天東地、古往今来の祖師、みな参学正伝せるところなり。といいますのは、西天東地といいますのは印度、中国。古往今来は、昔から今に至るまでの祖師方。参学正伝というのは、参学は身体全身で仏道修行すること。これを参学と云うんです。正伝はバトンの受け渡しではなく、正しく修行することが、正伝の包含する意味です。この参学正伝するところには、必ず袈裟がなければ、参学正伝にはなりません。祖師正伝の、明らかにして疑ふところなきを見聞しながら、いたづらにこの祖師に正伝せざらんは、その意楽ゆるしがたからん。といいますのは、正伝には袈裟がある、ということを知りながら、お袈裟を著けないという、祖師の意楽は容赦しがたく、愚痴でありそうなった。また本来の自己を信ずることができないから、と解釈します。

 仏法に於ける【信】。亦道元禅に於ける【信】。とは如何なるものか考えてみましょう。対象を信ずる「信」じゃありません。宗門に於ける「信」とは只管打坐ですぜ、これは。つまりは只管打坐とは、尽十方界真実の実践が打坐であり、人間生活を一時たな上げし、真実人体を自覚する行為なのです。自我意識も生きている生命活動の、一時の表情にしかすぎません。自我意識は絶対的な価値はありませんぜ。昼間の綾模様のようなもので、満足だけでは腹は膨れませんし、不満足・不平があってこそ、満足が生かされるものです。表裏の関係を理解しなければなりません。只管打坐とは、「身をも心をも、はなちわすれて、仏のかたよりおこなはる」というのが、坐禅の姿です。心境じゃありませんぜ。「信、現成のところ、仏祖現成」。そこに、お袈裟があることを自覚していただきたい。他の宗門では袈裟は問題にされません。『袈裟功徳』のようなものは管見する限り、道元禅師以外説かれなかったと思います。

 実をすてて虚をもとめ、本をすてて末をねがふものなり。根本を忘れて、末の方に走るからですよ。これ如来を軽忽したてまつるならん。菩提心をおこさんともがら、かならず祖師の相伝を伝受すべし。われら、あひがたき仏法にあふたてまつるのみにあらず、仏袈裟正伝の法孫として、これを見聞し、学習し、受持することをえたり。私達は、こういう縁に巡り遭ってることに対し、感謝しなくてはならない。すなはちこれ、如来をみたてまつるなり。私達の坐禅は「仏」を実践することですよ。私達がこういう風に生きてるということは、その中で「人生」をやってますけど、この大自然の真実が如来の御姿ですよ。仏説法をきくなり、仏光明にてらさるるなり、仏受用を受用するなり。言葉を何回か言い変えてますけど、これが本当に仏法を、いただくことになるんだ。仏心を単伝するなり、仏髄をえたるなり。仏心も仏髄も皆同じですよ。まのあたり、釈迦牟尼仏の袈裟をおほはれたてまつるなり。私達が袈裟を掛けるということは、釈尊の袈裟に覆われているということです。釈迦牟尼仏、まのあたりわれに袈裟をさづけましますなり。ほとけにしたがふたてまつりて、この袈裟は、うけたてまつれり。私達はお袈裟を、仏様からいただいているんだ。袈裟を法衣店で買った人もいるでしょうが、各人、御縁が有って、お袈裟を入手したことは間接的にでも、仏様から頂載したことになるんです。

 

正法眼蔵 袈裟功徳 提唱(十三)  酒井得元

※             原文

 浣袈裟法〈袈裟を浣(あら)う法〉 

袈裟をたたまず、浄(じょう)桶(つう)にいれて、香(こう)湯(とう)を百沸して、袈裟をひたして、一時ばかりおく。またの法、清き灰(かい)水(すい)を百沸して、袈裟をひたして、湯のひややかになるをまつ。いまは、よのつねに灰湯をもちいる。灰(かい)湯(とう)、ここには、あくのゆ、といふ。灰湯さめぬれば、きよくすみたる湯をもて、たびたびこれを浣洗するあひだ、両手にいれてもみあらはず、ふまず。あか、のぞこほり、油、のぞこほるを、期(ご)とす。そののち、沈香(じんこう)・栴檀香(せんだんこう)等を冷水に和して、これをあらふ。そののち、浄(じょう)竿(かん)にかけてほす。よく、ほしてのち、摺襞(しょうへき)して、たかく安(あん)じて、焼香・散華して、右遶数帀(うにょうすうそう)して、礼拝したてまつる。あるいは三拝、あるいは六拝、あるいは九拝して、胡跪(こき)合掌して、袈裟を両手にささげて、くちに偈を誦(じゅ)してのち、たちて、如法に著(ちゃく)したてまつる。

 世尊告大衆言、我往昔在寶藏佛所時、爲大悲菩薩。爾時大悲菩薩摩訶薩、在寶藏佛前、而發願言、

 世尊、我成佛已、若有衆生入我法中出家著袈裟者、或犯重戒、或行邪見、若於三寶輕毀不信、集諸重罪、比丘比丘尼優婆塞優婆夷、若於一念中、生恭敬心、尊重僧伽梨衣、生恭敬心、尊重世尊或於法僧、世尊如是衆生、乃至一人、不於三乘得受記莂、而退轉者、則爲欺誑十方世界、無量無邊阿僧祇等、現在諸佛。必定不成阿耨多羅三藐三菩提。

 世尊、我成佛已來、諸天龍鬼神、人及非人、若能於此著袈裟者、恭敬供養、尊重讚歎。其人若得見此袈裟少分、即得不退於三乘中。

 若有衆生、爲飢渇所逼、若貧窮鬼神、下賤諸人、乃至餓鬼衆生、若得袈裟少分乃至四寸、即得飲食充足、隨其所願、疾得成就。

 若有衆生、共相違反、起怨賊想、展轉闘諍、若諸天龍鬼神、乾闥婆阿修羅迦樓羅緊那羅摩睺羅伽狗辨荼毘舎遮、人及非人、共闘諍時、念此袈裟、依袈裟力、尋生悲心、柔輭之心、無怨賊心、寂滅之心、調伏善心、還得清淨。

 有人若在兵甲闘訟斷事之中、持此袈裟少分至此輩中、爲自護故、供養恭敬尊重、是諸人等、無能侵毀觸嬈輕弄。常得勝也、過此諸難。

 世尊、若我袈裟、不能成就如是五事聖功徳者、則爲欺誑十方世界、無量無邊阿僧祇等、現在諸佛。未來不應成就阿耨多羅三藐三菩提作佛事也。没失善法、必定不能破壞外道。

 善男子、爾時寶藏如來、申金色右臂、摩大悲菩薩頂、讚言、善哉善哉、大丈夫、汝所言者、是大珍寶、是大賢善。汝成阿耨多羅三藐三菩提已、是袈裟服、能成就此五聖功徳、作大利益。

 善男子、爾時大悲菩薩摩訶薩、聞佛讚歎已、心生歡喜、踊躍無量。因佛申此金色之臂、長作合縵。其手柔輭、猶如天衣、摩其頭已、其身即變、状如僮子二十歳人。

 善男子、彼會大衆、諸天龍神乾闥婆、人及非人、叉手恭敬、向大悲菩薩、供養種々華、乃至伎樂而供養之、復種々讚歎已、黙然而住。

 如来在世より今日にいたるまで、菩薩・声聞の経・律のなかより、袈裟の功徳をえらびあぐるとき、かならずこの五聖功徳を、むねとするなり。

 まことにそれ、袈裟は三世諸仏の仏衣なり。その功徳無量なりといへども、釈迦牟尼仏の法のなかにして袈裟をえたらんは、余仏の法のなかにして袈裟をえんにも、すぐれたるべし。ゆえいかんとなれば、釈迦牟尼仏、むかし因地のとき、大悲菩薩摩訶薩として、宝蔵仏のみまへにして、五百の大願をたてましますとき、ことさらこの袈裟の功徳におきて、かくのごとく誓願をおこしまします。その功徳、さらに無量不可思議なるべし。しかあればすなはち、世尊の皮肉骨髄いまに正伝するといふは、袈裟衣なり。正法眼蔵を正伝する祖師、かならず袈裟を正伝せり。この衣を、伝持し頂載する衆生、かならず二・三生のあひだに得道せり。たとひ戯笑のため、利益のために身に著せる、かならず得道因縁なり。

※             提唱

 浣袈裟法 袈裟をたたまず、浄桶にいれて、香湯を百沸して、袈裟をひたして、一時ばかりおく。浣袈裟法とはお袈裟の洗濯法です。袈裟をたたまないで、お香を煮立てて、ひさし、しばらくおく。これが基本です。またの法、清き灰水を百沸して、袈裟をひたして、湯のひややかになるをまつ。いまは、よのつねに灰湯をもちいる。灰湯、ここには、あくのゆ、という。灰湯さめぬれば、きよくすみたる湯をもて、たびたびこれを浣洗するあひだ、両手にいれてもみあらはず、ふまず。あか、のぞこほり、油、のぞこほるを、期とす。戦時中、大中寺にいた時に、石鹸がない為、灰を使って此の文のようにやりましたよ。灰水を百沸して、灰を入れた水を煮立てるんです。袈裟をひたし、湯のひややかなるをまつ。というのは、普通は灰水をしばらく置くと、上澄みは透明になりますよ。よのつねに灰湯をもちいる。道元禅師の時代には、灰の湯を用いたんですね。灰湯さめぬれば、きよくすみたる湯をもて、煮立てますと、汚れは下に沈み、上澄みは透明ですよ。両手にいれてもみあらはず、ふまず。手でもみ洗いや、踏み洗いは、いけません。あか、のぞこほり、油、のぞこほるを、期とす。自然と垢は落ちますよ。そののち、沈香栴檀香等を冷水に和して、これをあらふ。そののち、浄竿にかけてほす。よく、ほしてのち、摺襞して、たかく安じて、焼香・散華して、右遶数帀して、礼拝したてまつる。インド仏教では、尊敬する者に対しては、右回りに巡るという行法があって、遶行はその名残りです。あるいは三拝、あるいは六拝、あるいは九拝して、胡跪合掌して、袈裟を両手にささげて、くちに偈を誦してのち、たちて、如法に著したてまつる。偈を誦して、とありますが、大哉解脱服、無相福田衣、披奉如来教、広度諸衆生。の偈文を唱えてのち、立って如法に袈裟を掛けなさい。と言われます。

 次に段が変わりまして、五聖功徳について述べています。この五聖功徳は、お袈裟の本には必ず出てまいります。出典は『悲華経』です。(悲華経〔八〕・諸菩薩授記品・『大正新脩大蔵経』三巻・二百二十頁・上段)

 世尊、大衆に告げて言く、我れ往昔、宝蔵仏の所に在りし時、大悲菩薩たり。爾の時に大悲菩薩摩訶薩、宝蔵仏の前に在りて、発願して言く、世尊、我れ成仏し巳らんに、若し衆生の、我が法中に入りて、出家して袈裟を著する者有らんに、或いは重戒を犯し、或いは邪見を行じ、若しは三宝に於て軽毀して信ぜず、諸の重罪を集めたらん比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、若し一念の中に於いて、恭敬の心を生じて、僧伽梨衣を尊重し、恭敬の心を生じて、世尊或いは法僧を尊重せん、世尊、是の如くの衆生は、乃至一人も、三乗に於いて記莂を受くることを得ずして退転する者ならば、則ち為れ十方世界、無量無辺阿僧祇等の現在の諸仏を欺誑す、必定して阿耨多羅三藐三菩提を成ぜじ。世尊、我れ成仏せしより巳来、諸の天龍・鬼神・人及び非人、若し能く此の著袈裟の者に於いて、恭敬供養し、尊重讃歎せん、其の人、若し此の袈裟の少分を見ることを得ば、即ち三乗の中に不退なることを得ん。若し衆生有りて、飢渇の為に逼まられ、若しは貧窮の鬼神、下賤の諸人、乃至餓鬼の衆生、若し袈裟の少分、乃至四寸を得ば、即ち飲食充足することを得ん、其の所願に随いて疾く成就することを得ん。若し衆生有りて、共に相違反し、怨賊の想を起こして、展転闘諍し、若しは諸の天龍・鬼神・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅緊那羅・摩睺羅伽・狗弁荼・毘舎遮・人及び非人、共に闘諍せん時、此の袈裟を念ぜば、袈裟の力に依りて、尋いで悲心・柔軟の心・無恩賊の心・寂滅の心・調伏の善心を生じて、還た清浄なることを得ん。人有りて、若し兵甲・闘訟・断事の中に在らんに、此の袈裟の少分を持して、此の輩の中に至らんに、自護の為の故に、供養し恭敬し尊重せん、是の諸人等、能く侵毀・触嬈・軽弄すること無くして、常に他に勝つことを得て、此の諸難を過ぎん。世尊、若し我が袈裟の、是の如くの五事の聖功徳を成就すること能わざるは、則ち為れ十方世界、無量無辺阿僧祇等の現在の諸仏を欺誑し、未来にも応に阿耨多羅三藐三菩提を成就して、仏事を作すべからず。況んや善法を失し、必定して外道を破壊すること能わじ。善男子、爾の時に宝蔵如来、金色の右臂を申べて、大悲菩薩の頂を摩でて讃めて言く、善哉善哉、大丈夫、汝が言う所は、是れ大珍宝なり、是れ大賢善なり。汝、阿耨多羅三藐三菩提を成じ巳りぬ。是の袈裟服は、能く此の五聖功徳を成就して、大利益を作す。善男子、爾の時に大悲菩薩摩訶薩、仏の讃歎を聞き巳りて、心に歓喜を生じ、踊躍無量なり。因みに仏、此の金色の臂を申ぶるに、長指合縵にして、その手の柔軟なること、猶天衣の如し。其の頭を摩で巳るに、その身即ち変じて、状、童子二十歳の人の如し。彼の会の大衆、諸天・龍神乾闥婆、人及び非人、叉手恭敬して、大悲菩薩に向いて、種種の華を供養し、乃至伎楽して之を供養す。復た種種に讃歎し巳りて、黙然として住す。

これが『悲華経』の引用文ですよ。

 如来在世より今日にいたるまで、菩薩・声聞の経・律のなかより、袈裟の功徳をえらびあぐるとき、かならずこの五聖功徳を、むねとするなり。お袈裟については、必ず五聖功徳ということが述べられています。『伝衣』の巻にも出てまいります。これがお袈裟に対する信仰ですね。まことにそれ、袈裟は三世諸仏の伝衣なり。その功徳無量なりといへども、釈迦牟尼仏の法のなかにして袈裟をえたらんは、余仏の法のなかにして袈裟をえんにも、するれたるべし。ゆえいかんとなれば、釈迦牟尼仏、むかし因地のとき、大悲菩薩摩訶薩として、宝蔵仏のみまへにして、五百の大願をたてましますとき、ことさらこの袈裟の功徳におきて、かくのごとく誓願をおこしまします。その功徳、さらに無量不可思議なるべし。しかあればすなはち、世尊の皮肉骨髄いまに正伝するといふは、袈裟衣なり。正法眼蔵を正伝する祖師、かならず袈裟を正伝せり。この衣を、伝持し頂戴する衆生、かならず二、三生のあひだに得道せり。たとひ戯笑のため、利益のために身に著せる、かならず得道因縁なり。私達のお袈裟は、信仰でなければいけません、これは。信仰の成り立つところに、袈裟が存在するということが述べられております。後半にいう、世尊の皮肉骨髄いまに正伝するといふは、袈裟衣なり。正法眼蔵を正伝する祖師、かならず袈裟を正伝せり。というのは、私達の坐禅は必ず、袈裟をいただけなければ坐禅になりません。袈裟がなければ仏行・行仏には生り得ません。たとひ戯笑のため、利益のために身に著せる、かならず得道因縁なり。という言葉通り、冗談で袈裟を掛けても、得道の因縁になるんだ。要するに、「お袈裟に縁が有る」という事実が非常に重要なことです。皆さんも、このように『袈裟功徳』の巻を拝読し、共に勉強しているということは、たいへんなことなんですよ、これは。

 

正法眼蔵 袈裟功徳 提唱(十四)  酒井得元

※             原文

 龍樹祖師曰、復次佛法中出家人、雖破戒墮罪、罪畢得解脱、如優鉢羅比丘尼本生經中説。佛在世時、此比丘尼、得六神通阿羅漢。入貴人舎、常讚出家法、語諸貴人婦女言、姉妹、可出家。諸貴婦女言、我等少壯容色盛美、持戒爲難、或當破戒。比丘尼言、破戒便破、但出家。問言、破戒當墮地獄、云何可破。答曰、墮地獄便墮。諸貴婦女笑之言、地獄受罪、云何可墮。比丘尼言、我自憶念本宿命時、作戲女、著種々衣服而説舊語。或時著比丘尼衣、以爲戲笑。以是因縁故、迦葉佛時、作比丘尼。時自恃貴姓端正生憍慢、而破禁戒。破禁戒罪故、墮地獄受種々罪。受畢竟値釋迦牟尼佛出家、得六神通阿羅漢道。以是故知。出家受戒、雖復破戒、以戒因縁故、得阿羅漢道。若但作惡無戒因縁、不得道也。我乃昔時世々墮地獄、從地獄出爲惡人。惡人死還入地獄、都無所得。今以證知、出家受戒、雖復破戒、以是因縁可得道果。

〈龍樹祖師日く、復(ま)た次に仏法中の出家人は、破戒して罪に堕(だ)すと雖(いえど)も、罪畢(おわ)りて解脱を得(う)、優鉢羅比丘尼本生経(うっぱらげびくにほんしょうきょう)の中に説くが如し。仏、在世の時、此の比丘尼、六神通阿羅漢(ろくじんつうあらかん)を得たり。貴人(きにん)の舎(いえ)に入りて、常に出家の法を讃(さん)して、諸(もろもろ)の貴人婦女(きにんぶにょ)に語りて言く、姉妹(しまい)、出家すべし。諸の貴婦女言く、我等少(わか)くして容色盛美なり、持戒は難しと為(な)す、或いは当(まさ)に破戒すべし、比丘尼の言く、戒を破(は)せば便ち破せ、但(た)だ出家せよ。問うて言く、破戒せば、当(まさ)に地獄に堕(だ)すべし、云(い)何(かん)ぞ破(は)すべけん。答えて言く、地獄に堕さば便(すなわ)ち堕せ。諸の貴婦女、之れを笑いて言く、地獄にては罪を受く、云(い)何(かん)ぞ堕すべけん。比丘尼言く、我れ自ら本宿(ぼんしゅく)命(みょう)を憶念(おくねん)するに、時に戯女(けにょ)と作(な)り、種種の衣服(えぶく)を著して旧語を説く。或る時、比丘尼(びくに)衣(え)を著して、以(もっ)て戯笑を為す。是の因縁を以ての故に、迦葉仏(かしょうぶつ)の時、比丘尼と作(な)りき。時に自ら貴姓(きしょう)端(たん)正(せい)なるを恃(たの)んで憍慢を生じて、禁(こん)戒(かい)を破す。禁戒を破する罪の故に、地獄に堕して種種の罪を受く。受け畢竟(おわ)りて、釈迦牟尼仏に値(あ)いて出家し、六神通阿羅漢道を得たり。是れを以ての故に知りぬ、出家・受戒せば、復(ま)た破戒すと雖も、戒の因縁を以ての故に、阿羅漢道を得(う)。若し但(た)だ作悪(さあく)して戒の因縁無きには、得道せざるなり、と。我れ乃ち昔時、世世(せせ)に地獄に堕し、地獄より出でては悪人為(た)りき。悪人死して還(ま)た地獄に入りて、都(すべ)て所得無し。今、以て証知す、出家受戒せば、復(ま)た破戒すと雖も、是の因縁を以て、道果を得べきことを。〉

 この蓮華(れんげ)色(しき)、阿羅漢得道の初因、さらに他の功にあらず、ただこれ袈裟を戯笑(けしょう)のためにその身に著せし功徳によりて、いま得道せり。二生(にしょう)、迦葉仏(かしょうぶつ)の法にあふたてまつりて比丘尼となれり、三生(さんしょう)に、釈迦牟尼仏にあふたてまつりて大阿羅漢となり、三明(みょう)・六通を具足せり。三明とは、天眼(てんげん)・宿命(しゅくみょう)・漏尽(ろじん)なり。六通とは、神境通・他心通・天眼通・天(てん)耳(に)通・宿命通・漏尽通なり。まことにそれ、ただ作悪(さあく)の人(ひと)とありしとき、むなしく死して地獄にいる。地獄よりいで、また作(さ)悪人(あくにん)となる。戒の因縁あるときは、禁戒(こんかい)を破(は)して地獄におちたりといへども、つひに得道の因縁なり。いま、戯笑のため袈裟を著せる、なほこれ三生に得道す。いはんや無上菩提のために、清浄の信心をおこして袈裟を著せん、その功徳、成就せざらめやは。いかにいはんや、一生のあひだ受持したてまつり、頂戴したてまつらん功徳、まさに広大無量なるべし。

 もし菩提心をおこさん人、いそぎ袈裟を受持頂戴すべし。この好世(こうせ)にあふて仏種をうえざらん、かなしむべし。南洲の人身(にんしん)をうけて、釈迦牟尼仏の法にあふたてまつり、仏法嫡嫡(てきてき)の祖師にむまれあひ、単伝直指(たんでんじきし)の袈裟をうけたてまつりぬべきを、むなしくすごさん、かなしむべし。いま袈裟正伝は、ひとり祖師正伝これ正嫡(しょうてき)なり、余師の、かたを斉(ひと)しくすべきにあらず。相承(そうじょう)なき師にしたがふて袈裟を受持する、なほ功徳甚(じん)深(じん)なり。いはんや嫡嫡面授しきたれる正師に受持せん、まさしき如来の法子法孫ならん、まことに如来の皮肉骨髄を正伝せるなるべし。おほよそ袈裟は、三世十方の諸仏正伝しきたれること、いまだ断絶せず。十方三世の諸仏菩薩・声聞縁覚、おなじく護持しきたれるところなり。

 袈裟をつくるには、麁(そ)布(ふ)を本(ほん)とす。麁布なきがごときは、細(さい)布(ふ)をもちいる。麁(そ)・細(さい)の布(ふ)、ともになきには、絹素(けんそ)をもちいる。絹(けん)・布(ふ)、ともになきがごときは、綾(りょう)羅(ら)等をもちうる、如来の聴許(ちょうこ)なり。絹布・綾羅等の類、すべてなきくには、如来また皮袈裟(ひけさ)を聴許しまします。

 おほよそ袈裟、そめて青(せい)・黄(おう)・赤(しゃく)・黒(こく)・紫色(ししょく)ならしむべし、いづれも色(しき)のなかの壊(え)色(じき)ならしむ。如来は、つねに肉色(にくじき)の袈裟を御(ぎょ)しましませり、これ袈裟(けさ)色(しき)なり。初祖相伝の仏袈裟は、青(せい)黒色(こくしょく)なり、西天の屈眴(くつじゅん)布(ふ)なり。いま、曹渓山(そうけいざん)にあり。西天、二十八伝し、震旦、五伝せり。いま曹渓古仏の遺(ゆい)弟(てい)、みな仏衣の故実を伝持せり、余僧のおよばざるところなり。

 おほよそ衣(え)に三種あり。一者糞掃(ふんぞう)衣(え)、二者毳(さい)衣(え)、三者衲(のう)衣(え)なり。糞掃は、さきにしめすがごとし。毳(せい)衣者(えとは)、鳥獣細(ちょうじゅうさい)毛(もう)、これをなづけて毳(せい)とす。行者若シ無二キニハ糞掃ノ可一レキ得、取レテ此ヲ為レス衣ト。衲衣ハ者、朽故破弊ルヲ、縫衲シテ供レズ身ニ。。不レ著二セ世間ノ好衣一ヲ〈行者(ぎょうじゃ)、若し糞掃の得べき無きには、此(これ)を取りて衣(え)と為す。衲衣は、朽故破弊(きゅうこはへい)せるを縫衲(ほうのう)して身に供(くう)ず。世間の好衣を著せず〉。

※             提唱

※              『大智度論』の文章から見てまいりましょう。(大正新脩大蔵経・二十五巻・百六十一頁・上段)

※先ずこの物語は、仏在世の時に蓮華色比丘尼が六神通、阿羅漢を得たと。それで貴人の家に行き、出家の法を讃歎しておった。そこで貴婦女に向かって出家せよ、と云うが、姉妹が云うには、私達は若くして容色盛んだと。持戒するは難し、破戒に及んでしまう、と。そこで蓮華色が云うには、破戒しても構わない。ただ出家しなさい、と。姉妹が云うには破戒すれば地獄行きだと。蓮華色云うには、地獄に堕ちたら、それでもいいと。姉妹は笑い、どのようにして地獄に堕ちずに居られよか、と。蓮華色は自分の経歴を述ぶるに、はじめは遊女となって、色々な着物を掛けて皆を喜ばしてた。ある時、袈裟を掛けて踊り、周囲の笑いを誘った。こ蓮華色は大変人気があったらしいです。この因縁で以て比丘尼となるが、驕慢生じ、破戒し地獄行きだ。そして、お釈迦様の時代に生まれ変わり、出家し六神通を得、また阿羅漢道も得たと。出家・受戒すれば、たとへ破戒しても、罪を補えば、後生に得道の道果を得。出家・受戒の因縁を受けていなかったならば、到底得道の因縁もなかっただろう。にと。『袈裟功徳』の前は『受戒』の巻でしたが、これで『受戒』との関係は、おわかりになることでしょうし、袈裟との関係もあります。宗門においては、これが信仰の要になっております。

※この蓮華色の得道は他の功罪に依るのではなく、ただ戯れに掛けた袈裟の功徳だと。ニ生の時、迦葉仏比丘尼。三生の時、釈迦牟尼仏で大阿羅漢となり神通を得た。これはお袈裟の御陰だったんです。仏道に因縁が有った、ということが大事なことです。冗談で袈裟を著けて三生に得道したのですから、無上菩提のために袈裟を掛けたなら、その功徳は成就しないはずがない。と。

菩提心が起こったら、急いで袈裟を拝受してください。いい時代にいて、仏の因縁を得ないというのは悲しいことで、また、袈裟を頂くことができるのに、見過ごしてしまうことも、また悲しいことです。祖師正伝これ正嫡なり。祖師正伝ということは、只管打坐のことですよ。相承なき師から袈裟を受持しても、功徳は甚深というわけです。皆が皆、正伝の袈裟ばかりに巡りあえるわけにもいきません。法衣屋のお袈裟でも功徳甚深だ。仏教者に袈裟を持たない者はおりません。南方のスリランカでも北方のチベットでも、袈裟の呼び名は違っても、皆奉持しています。

※袈裟を作る材料は麁布でいいんだ。麁というのはオソマツということです。その麁布がない時には細布を用いる。細というのは上等という意味です。世間とは逆ですね。麁・細、共にない時には絹素、お蚕を用いなさい、と。それもない時には綾羅を使いなさい。綾羅とは金襴みたいなものです。これらは代理がないので仕方ないから、如来が許した、と。それすらなかったら、皮の袈裟を許した、と言われます。

※お袈裟は、染めて青・黄・赤・黒・紫の五色いづれかの色にしなさい。この色を壊色と名づけます。壊色と申しますと、青みかかった穢い色・紫かかった穢い色ということです。如来は肉色の袈裟を著けるそうで、肉色とは茶色かかった色で、木欄です。達磨さんの袈裟は青黒色で、インド木綿だそうです。青黒・木欄・如法色という言葉があります。

※お袈裟には三種あり。一つは糞掃、次に毳衣、これは毛織物です。それから衲衣、これはボロです。行者は糞掃が手に入らない時には、鳥獣細毛の衣を著け、それすら入手不可の時はボロ布を縫い合わせ、著せよ。と示されています。

 

正法眼蔵 袈裟功徳 提唱(十五)  酒井得元

※             原文

具壽鄔波離、請世尊曰、大徳世尊、僧伽胝衣、條數有幾。

 佛言、有九。何謂爲九、謂、九條、十一條、十三條、十五條、十七條、十九條、二十一條、二十三條、二十五條。

 其僧伽胝衣、初之三品、其中壇隔、兩長一短、如是應持。次三品、三長一短、後三品、四長一短。過是條外、便成破衲。

 鄔波離、復白世尊曰、大徳世尊、有幾種僧伽胝衣。佛言、有三種、謂上中下。上者豎三肘、横五肘。下者豎二肘半、横四肘半。二内名中。鄔波離白世尊曰、大徳世尊、嗢羅僧伽衣、條數有幾。佛言、但有七條、壇隔兩長一短。鄔波離白世尊曰、大徳世尊、七條復有幾種。佛言、有其三品、謂上中下。上者三五肘、下各減半肘、二内名中。鄔波離白世尊曰、大徳世尊、安婆娑衣、條數有幾。佛言、有三、謂上中下。上者三五肘、中下同前。佛言、安婆娑衣、復有二種。何爲二。一者豎二肘、横五肘。二者豎二、横四。

 僧伽胝者、訳爲重複衣。嗢羅僧伽者、訳爲上衣。安婆娑者、訳爲内衣。又云下衣。

 又云、僧伽梨衣、謂大衣也。云、入王宮衣、説法衣。欝多羅僧、謂七條衣。中衣、又云、入衆衣。安陀會、謂五條衣。云、小衣。又云、行道衣、作務衣。

※〈具寿鄔波離(ぐじゅうぱり)、世尊に請して日く、大徳世尊、僧伽胝衣(そうぎゃちえ)は条数幾(いくば)くか有る。仏言く、九有り。何を謂(い)いてか九と為す。謂(いわ)く、九条・十一条・十三条・十五条・十七条・十九条・二十一条・二十三条・二十五条なり。其の僧伽胝衣、初めの三品は、其の中の壇隔(だんきゃく)は、両長一短なり、是(かく)の如く持すべし。次の三品(さんぼん)は、三長一短、後の三品は、四長一短。是の条を過ぐるの外(ほか)は、便ち破衲(はのう)と成る。鄔波離、復(ま)た世尊に白(もう)して日く、大徳世尊、幾種の僧伽胝衣か有る。仏言く、三種有り、謂く、上・中・下なり。上(じょう)は竪(たて)三肘(ちゅう)、横五肘。下(げ)は竪二肘半、横四肘半。二者の内を中と名づく。鄔波離、世尊に白して日く、大徳世尊、嗢旦羅僧伽(うったらそうぎゃ)衣(え)、条数幾くか有る。仏言く、ただ七条のみ有り、壇隔は両長一短なり。鄔波離、世尊に白して日く、其れに三品有り、謂く上・中・下なり。上は三五肘、下は各半肘を減ず、二の内を中と名づく。鄔波離、世尊に白して日く、大徳世尊、安旦婆娑(あんだばさ)衣(え)、条数幾くか有る。仏言く、五条有り、壇隔は一長一短なり。鄔波離、復た世尊に白して言く、安旦婆娑衣、幾種か有る。仏言く、三有り、謂く上・中・下なり。上は三五肘、中・下は前に同じ、各半を減ず。

※仏言く、安旦婆娑、復た二種有り。何をか二と為す、一は竪二肘、横五肘。二は竪二肘、横四肘。僧伽胝は、訳して重複衣と為す。嗢旦羅僧伽は、訳して上衣と為す。安旦婆娑は、訳して内衣(ないえ)と為す、又、下衣(げえ)と云う。又云く、僧伽(そうぎゃ)梨(り)衣(え)は、謂く大衣なり、亦た、入(にゅう)王宮(おうぐう)衣(え)と云い、又、説法衣と云う。鬱(うつ)多羅(たら)僧(そう)は、謂く七条衣なり、中衣と云い、又、入(につ)衆(しゅ)衣(え)と云う。安陀会(あんだえ)は、謂く五条衣なり、小衣と云い、又、行(ぎょう)道(どう)衣(え)、作務衣(さむえ)と云う。〉

※この三衣、かならず護持すべし。又、僧伽胝衣に、六十条の袈裟あり、かならず受持すべし。

※おほよそ、八万歳より百歳にいたるまで、寿命の増・減にしたがふてそう、身量の長・短あり。八万歳と一百歳と、ことなることあり、といふ、また、平等なるべし、といふ。そのかに、平等なるべし、といふを正伝とせり。仏(ぶつ)と人(にん)と、身量はるかにことなり、人身(にんしん)ははかりつべし、仏身はつひにはかるべからず。このゆえに、迦葉仏(かしょうぶつ)の袈裟、いまの釈迦牟尼仏、著(じゃく)しましますに、長(ながき)にあらず、ひろきにあらず。今(こん)釈迦牟尼仏の袈裟、弥勒如来、著しましますに、みじかきにあらず、せばきにあらず。仏身の、長・短にあらざる道理、あきらかに観見し、決断し、照了し、警察(きょうさつ)すべきなり。梵王の、たかく色界にある、その仏頂をみたてまつらず。目連、はるかに光明(こうみょう)幡(ばん)世界にいたる、その仏声(ぶっしょう)をきはめず。遠(おん)・近(ごん)の見聞(けんもん)ひとし、まことに不可思議なるものなり。如来の一切の功徳、みなかくのごとし。この功徳を念じたてまつるべし。

※袈裟を裁縫するに、割截(かつせつ)衣(え)あり、揲(じょう)葉(よう)衣(え)あり、襵(しょう)葉(よう)衣(え)あり、縵(まん)衣(え)あり、ともにこれ作法なり。その所有(しょう)にしたがふて受持すべし。仏言、三世仏袈裟、必定却刺。

※その衣財をえんこと、また清浄を善なりとす。いはゆる糞掃衣を最上清浄とす。三世の諸仏、ともにこれを清浄としまします。そのほか、信心檀那(だんな)の所施の衣、また清浄なり。あるいは浄財をもて、いちにしてかふ、また清浄なり。作衣(さえ)の日限ありといへども、いま末法澆(まっぽうぎょう)季(き)なり、遠方(おんぽう)・辺邦(へんぽう)なり。信心のもよほすところ、裁縫をえて、受持せんにはしかじ。

※在家の人天なれども、袈裟を受持することは、大乗最極(さいごく)の秘訣なり。いまは、梵王・釈王、ともに袈裟を受持せり、欲(よく)・色(しき)の勝躅(しょうちょく)なり、人間には勝(しょう)計(け)すべからず。在家の菩薩、みなともに受持せり、震旦国には粱(りょう)の武(ぶ)帝(てい)、隋の煬(よう)帝(だい)、ともに袈裟を受持せり、代宗(だいそう)・粛宗(しゅくそう)、ともに袈裟を著し、僧家(そうけ)に参学し、菩薩戒を受持せり。その余の居士(こじ)・婦女等の、受袈裟・受仏戒のともがら、古今の勝躅なり。日本国には、聖徳太子、袈裟を受持し、法華(ほっけ)・勝鬘(しょうまん)等の諸経講説のとき、天雨宝華(てんうほうけ)の奇(き)瑞(ずい)を感得す。それよりこのかた、仏法、わがくにに流通(るづう)せり。天下の摂籙(しょうろく)なりといへども、すなはち人天の導師なり、ほとけのつかひとして、衆生の父母(ぶも)なり。いまわがくに、袈裟の体(たい)・色(しき)量ともに訛謬(かびょう)せりといへども、袈裟の名字(みょうじ)を見聞する、ただこれ聖徳太子の御(おん)ちからなり。そのとき、邪(じゃ)をくだき正(しょう)をたてずば、今日(こんにち)、かなしむべし。のちに聖(しょう)武(む)皇帝、また袈裟を受持し、菩薩戒をうけまします。しかあればすなはち、たとひ皇位なりとも、たとひ臣下なりとも、人身(にんしん)の慶(けい)幸(こう)、これよりもすぐれたるあるべからず。

※有言、在家受持袈裟、一名単縫、二名俗服。乃未用却刺針而縫也。又言、在家趣道場時、具三法衣・楊枝・澡水・食器・坐具、応如比丘修行浄行。〈有るが言く、在家の受持する袈裟は、一に単縫と名づけ、二に俗服と名づく。乃ち未だ却刺針して縫うことを用いざるなり。又言く、在家の、道場に趣く時は、三法衣・楊枝・澡水・食器・坐具を具し、応に比丘の如くに浄行を修行すべし。〉

※古得の相伝、かくのごとし。ただし、いま仏祖単伝しきたれるところ、国王・大臣・居士・士民にさづくる袈裟、みな却(きゃく)刺(し)なり。盧(ろ)行者(あんじゃ)、すでに仏袈裟を正伝せり、勝躅なり。おほよそ袈裟は、仏弟子の標(ひょう)幟(し)なり。もし袈裟を受持しをはりなば、毎日に頂戴したてまつるべし。頂上に安じて、合掌してこの偈を誦す、

※大哉(だいさい)解脱服(げだつふく)、無相(むそう)福田(ふくでん)衣(え)、披奉(ひぶ)如来(にょらい)教(きょう)、広度(こうど)諸衆生(しょしゅじょう)。

※しかうしてのち著すべし。袈裟におきては、師想・塔想をなすべし。浣衣頂戴のときも、この偈を誦するなり。

※仏言、剃頭著袈裟、諸仏所加護、一人出家者者、天人所供養。

※あきらかにしりぬ、剃頭著袈裟よりこのかた、一切諸仏に加護せられたてまつるなり。この諸仏の加護によりて、無上菩提の功徳円満すべし。この人をば、天衆・人衆ともに供養するなり。

※提唱

※具寿鄔波離、これはウパリ尊者ですね。ウパリが世尊を拝請して云うには、僧伽胝衣は条数が何条あるかと。九つある、と。九から二十五までの奇数条あります。九条・十一条・十三条は両長一短の壇隔で、十五条・十七条・十九条は三長一短の壇隔で、二十一条・二十三条・二十五条の袈裟は四長一短の壇隔になります。これ以上の袈裟は破衲と成り、袈裟として扱いません。次に僧伽胝衣は何種類ありますか、と。上・中・下の三種あり。上は竪三肘、横五肘、と決まってますが、肘は寸法ではなく、その人の体に合った長さです。次に鄔波離が世尊に、嗢旦羅僧伽衣の条数は何条か、と。これは七衣のみで、壇隔は両長一短で、それにも上・中・下の三品ある、と。次に安旦婆娑衣、これは普通は安旦衣と略します。条数は五条あって、壇隔は一長一短で、これも上・中・下と三品あります。安旦衣には二種あり、一つは竪五肘、横五肘。いま一つは竪五肘、横四肘で、内衣ともいいます。僧伽胝は大衣で裏がありますから、重複衣といい、嗢旦羅僧伽は上衣ともいいます。また僧伽梨衣は説法衣とも、入王宮衣とも、鬱多羅僧は入衆衣とも供養衣とも、安陀会は作務衣と、それぞれ謂い方があります。

※この三衣を護持しなさい。僧伽胝衣に六十条の袈裟と有りますが、これは十五条衣のことです。おほよそ八万歳より百歳にいたるまで、寿命の増・減にしたがふて、身量の長短あり。~仏身の、長・短にあらざる道理、あきらかに観見し、決断し照了し警察すべきなり。という文章は、説話として取り扱うのではなく、尽十方界真実人体の仏として観ると皆平等ですから、形態の違いで、このような文章になったわけです。梵王の、たかく色界にある、その仏頂をみたてまつらず。~この功徳を念じたてまつるべし。という梵王は梵天で、先程と同じく尽十方界真実の世界を表したもので、光明幡世界も此界の世界も同等性を述べたものです。

※次は袈裟の構造で、袈裟の裁縫には割截・揲葉・襵葉・縵衣があります。三世諸仏の袈裟は却し針で縫います。糸が切れても全て解けない為です 

※その衣財をえんこと、また清浄を善なりとす。~作衣の日限ありといへども、受持せんにはしかじ。裁縫の日数は律に書いてありますが、信心で袈裟縫しているので、気に止めず裁縫しなさい、と言ってます。

※在家の人でも、袈裟を受持することが、大乗の極みと言い、袈裟は仏弟子の標幟なり、とし、毎日、頂上に安じて、〈大哉解脱服、無相福田衣、披奉如来教、広度諸衆生〉と、合掌しこの偈を誦す。         

袈裟功徳―終わり

 

これにて酒井老師の提唱録は終られますが、最後の眼蔵本文を附して擱筆とす。二谷 拝。

  世尊告智光比丘言、法衣得十勝利。

 一者、能覆其身、遠離羞恥、具足慚愧、修行善法。

 二者、遠離寒熱及以蚊蟲惡獣毒蟲、安穏修道。

 三者、示現沙門出家相貌、見者歡喜、遠離邪心。

 四者、袈裟即是人天寶幢之相、尊重敬禮、得生梵天

 五者、著袈裟時、生寶幢想、能滅衆罪、生諸福徳。

 六者、本制袈裟、染令壞色、離五欲想、不生貪愛。

 七者、袈裟是佛淨衣、永斷煩惱、作良田故。

 八者、身著袈裟、罪業消除、十善業道、念々増長。

 九者、袈裟猶如良田、能善増長菩薩道故。

 十者、袈裟猶如甲胄、煩惱毒箭、不能害故。

 智光當知、以是因縁、三世諸佛、縁覺聲聞、清淨出家、身著袈裟、三聖同坐解脱寶牀。執智慧剣、破煩惱魔、共入一味諸涅槃界。

 爾時世尊、而説偈言、

  智光比丘應善聽  大福田衣十勝利

  世間衣服増欲染  如來法服不如是

  法服能遮世羞恥  慚愧圓滿生福田

  遠離寒暑及毒蟲  道心堅固得究竟

  示現出家離貪欲  斷除五見正修行

  瞻禮袈裟寶幢相  恭敬生於梵王福

  佛子披衣生塔想  生福滅罪感人天

  肅容致敬眞沙門  所爲不染諸塵俗

  諸佛稱讚爲良田  利樂群生此爲最

  袈裟神力不思議  能令修植菩提行

  道芽増長如春苗  菩提妙果類秋實

  堅固金剛眞甲胄  煩惱毒箭不能

  我今略讚十勝利  歴劫廣説無有邊

  若有龍身披一縷  得脱金翅鳥王食

  若人渡海持此衣  不怖龍魚諸鬼難

  雷電霹靂天之怒  披袈裟者無恐畏

  白衣若能親捧持  一切惡鬼無能近

  若能發心求出家  厭離世間修佛道

  十方魔宮皆振動  是人速證法王身

 この十勝利、ひろく佛道のもろもろの功徳を具足せり。長行偈頌にあらゆる功徳、あきらかに參學すべし。披閲してすみやかにさしおくことなかれ。句々にむかひて久參すべし。この勝利は、たゞ袈裟の功徳なり、行者の猛利恒修のちからにあらず。

 佛言、袈裟神力不思議。

 いたづらに凡夫賢聖のはかりしるところにあらず。

 おほよそ速證法王身のとき、かならず袈裟を著せり。袈裟を著せざるものの法王身を證せること、むかしよりいまだあらざるところなり。その最第一清淨の衣財は、これ糞掃衣なり。その功徳、あまねく大乘小乘の經律論のなかにあきらかなり。廣學咨問すべし。その餘の衣財、またかねあきらむべし。佛々祖々、かならずあきらめ、正傳しましますところなり、餘類のおよぶべきにあらず。

 中阿含經曰、復次諸賢、或有一人、身淨行、口意不淨行、若慧者見、設生恚惱、應當除之。諸賢或有一人、身不淨行、口淨行、若慧者見、設生恚惱、當云何除。諸賢猶如阿練若比丘、持糞掃衣、見糞掃中所棄弊衣、或大便汚、或小便洟唾、及餘不淨之所染汚、見已、左手執之、右手舒張、若非大便小便洟唾、及餘不淨之所汚處、又不穿者、便裂取之。如是諸賢、或有一人、身不淨行、口淨行、莫念彼身不淨行。但當念彼口之淨行。若慧者見、設生恚惱、應如是除。

 これ阿練若比丘の、拾糞掃衣の法なり。四種の糞掃あり、十種の糞掃あり。その糞掃をひろふとき、まづ不穿のところをえらびとる。つぎには大便小便、ひさしくそみて、ふかくして浣洗すべからざらん、またとるべからず。浣洗しつべからん、これをとるべきなり。

 十種糞掃衣

 一、牛嚼衣。二、鼠噛衣。三、火燒衣。四、月水衣。

 五、産婦衣。六、神廟衣。七、塚間衣。八、求願衣。

 九、王職衣。十、往還衣。

 この十種、ひとのすつるところなり、人間のもちゐるところにあらず。これをひろうて袈裟の淨財とせり。三世諸佛の讚歎しましますところ、もちゐきたりましますところなり。

 しかあればすなはち、この糞掃衣は、人天龍等のおもくし擁護するところなり。これをひろうて袈裟をつくるべし。これ最第一の淨財なり、最第一の清淨なり。いま日本國、かくのごとくの糞掃衣なし、たとひもとめんとすともあふべからず、邊地小國かなしむべし。たゞ檀那所施の淨財、これをもちゐるべし。人天の布施するところの淨財、これをもちゐるべし。あるいは淨命よりうるところのものをもて、いちにして貿易せらん、またこれ袈裟につくりつべし。かくのごときの糞掃、および淨命よりえたるところは、絹にあらず、布にあらず。金銀珠玉、綾羅綿繍等にあらず、たゞこれ糞掃衣なり。この糞掃は、弊衣のためにあらず、美服のためにあらず、たゞこれ佛法のためなり。これを用著する、すなはち三世の諸佛の皮肉骨髓を正傳せるなり、正法眼藏を正傳せるなり。この功徳、さらに人天に問著すべからず、佛祖に參學すべし。

袈裟功徳(終)

 

この提唱録は福井県吉田郡永平寺町松岡春日1―64 清涼山 天龍寺が発行する季刊誌「枯木」に記録されたものを、二谷が「枯木」誌よりワード化し編集したものである。本文中に於ける旧漢字と新漢字の交錯など乱雑な作業となってしまった事を謝する次第である。