正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

詮慧・経豪 正法眼蔵第五十六 見仏 (聞書・抄)

詮慧・経豪 正法眼蔵第五十六 見仏 (聞書・抄)

釈迦牟尼仏、告大衆言、若見諸相非相、即見如来。いまの見諸相と見非相と、透脱せる体達なり。ゆゑに見如来なり。

この見仏眼すでに参開なる現成を見仏とす。見仏眼の活路、これ参仏眼なり。

自仏を佗方にみ、仏外に自仏をみるとき、条々の蔓枝なりといへども、見仏を参学せると、見仏を辦肯すると、見仏を脱落すると、見仏を得活すると、見仏を使得すると、日面仏見なり、月面仏見なり。

恁麼の見仏、ともに無尽面無尽身無尽心無尽手眼の見仏なり。

而今脚尖に行履する発心発足よりこのかた、辦道功夫、および証契究徹、みな見仏裏に走入する活眼睛なり、活骨髄なり。

しかあれば、自尽界佗尽方、遮箇頭那箇頭、おなじく見仏功夫なり。

詮慧

〇先ず「見仏」と云うに付けては、仏をよそに置いて、我が眼にて、仏の色相を奉り拝み見んずる事と思う。是が大いなる僻見にてある也。仏法には能所彼此の差別なきを正見とする故に、諸相を権見にして非相と見んを実見とも云うべからず。非相を権見にして諸相と見んを実見とも云うべからず。故に仏の言句には「若見諸相非相、即見如来」と被仰、ただ諸相(は)如来、非相(も)如来、二如来也、但又非一非異如来也。凡そは諸相ならぬ一物なし、ゆえに非相と云わるるぞ。又世間の相を、世間の如くにあらずと見ん。是も見如来ぞなどと云う義もありぬべし。但「体達也」と云うに、見諸相も非相も、ともに見あるべき也、これ「見如来なり」。有念無念を云う時、有念は衆生の方、無念は仏の方と云う。念を以て諸法を照らし、念の無なる時、外境を得んずる事なければ、仏といわんと云う義もあり。見諸相は境を分別するに似たり。「非相を見如来」と云えば、非相を無念にあてて、「諸相を非と」云わん時は、いまの如く見諸相・見非相を並べて云われぬなり。諸相を劣にして非相は勝れたりと云うべからず。「見諸相・見如来」も分別に非ず。已前の「非」の字は、会不会と可心得也。見諸相・見非相・見如来と可体脱、非能見非所見。已前の三見肩を等しむべし、是三無差別の如く可心得。仏は観見法界草木国土、悉皆成仏と被仰。又大地有情同時成道とも被仰。此の時、諸相を見非相を見ん共に見仏なるべし。恁麽也不得、不恁麽也不得、恁麽不恁麽総不得、又総得もあるべき也。

〇「自仏を他方にみ、仏外に自仏をみるとき、条々の蔓枝也と云えども、見仏を参学せる」という、これ非相の詞に符合せば、非の字を本として、非他方非自仏とぞ云いぬべけれども、すでに「見諸相・見非相」ともに「透脱」と談ずる後は、「他方」と云うも「自仏」と云うも、「条々の蔓枝」と云うも、只蔓々の見仏也。

経豪

  • 「見仏」と云う事、打ち任すは三十二相八十種好の御姿を奉拝を見仏すとは名づけたり。是はまことに、無下に仏法には不及、見仏の道理なるべし。諸相を見て是は相にあらず、森羅万象皆仏体なれば、此れ諸仏は是如来也と見る。是はまことに前の義に習ぶれば、甚深の義とも云いぬべし。されば小量の一辺は、しかの如くも参学すべしと許さる。但仏意の道成は、しかあらずとて、是も猶祖門の見仏の義には許され難し。其の故は、諸相を相にあらずと見る、猶能見所見を離れず、親切の見仏にあらず。いまの「諸相・非相」を諸相如来・非相如来と談ずれば、能見所見を離れ、是非の非にあらざる也。『坐禅箴』のとき、非定相仏の詞をやがて是非の非に心得を、非の詞を仏の荘厳として、やがて非定相仏と談ぜし程の心地也。此の故に「透脱せる体脱(達)也」とはあるなり。又此の理を「見如来」とは談ずなりとあり。
  • 仏の外に能見の人と云う事は総て不可有。「見仏」と云うは仏ならぬ法、一法としてもなしと知るを見仏と云う。其の道理は、仏が仏を見仏するなり。仏身が見仏なる也。此理のあらわるる所を、「見仏眼の参開」とも云うなり。「見仏眼の活路、これ参仏眼也」とは、今の見仏眼の道理が、辺際なく、解脱なる所を「活路」とは仕う也。是を「参仏眼」と談ずべし。
  • 今の「自仏・他方・仏外」等の詞、所詮自も他も外も、皆「見仏」の上の自他内外なるべしと云う也。「条々の蔓枝」とは、見仏の道理が「参学」とも「辦肯」とも「使得す」とも、無量無辺の道理の談ぜらるる所を、「条々蔓枝」とは云う也。此の外無尽の詞あるべし、かるが故に如此談ずれども、只理は同じき所が「日面」とは云う也。明らかなる理の同じき所を「日面・月面」とは仕う也。祖師の常に仕い付きたる詞也。ここには「見仏」を仏見とあり、例(の)上下して被書之其心如例。
  • 是は「見仏」と云う詞に付けては、「眼」と云う詞こそ、相応の詞とは聞こゆれども、今の「見仏」の道理(は)「眼」許りに拘わるべからず。所詮「無尽面・無尽身・無尽心・無尽手眼」が皆「見仏」とは云わるべき也。又これ見仏の道理なるべき也。
  • 今の祖門所談の見仏の姿、「脚尖行履」とは云わるべき也。所詮「発心修行」も「辦道功夫」も、乃至「証契究徹」、皆是見仏の道理也と云う也。此の心を「見仏裏に走入す」とは、脚尖の詞に付けて、被呼出歟。此理まことに「活眼睛なるべし、活骨髄なるべし」。
  • 是又同前段心。所詮自他尽界、尽方ここもかしこも皆「見仏」なりと云うなり。

 

如来道の若見諸相非相を拈来するに、参学眼なきともがらおもはくは、諸相を相にあらずとみる、すなはち見如来といふ。そのおもむきは、諸相は相にはあらず、如来なりとみるといふとおもふ。まことに小量の一辺は、しかのごとくも参学すべしといへども、仏意の道成はしかにはあらざるなり。しるべし、諸相を見取し、非相を見取する、即見如来なり。如来あり、非如来あり。

経豪

  • 「参学眼なき輩」の所見御釈に分明なり。私詞不可入、聊か此見許さるる方もあるが、然而「仏意の道成、しかあらず」と被嫌無術事也。「諸相を見取し、非相を見取する、即見如来也」とあり、如前云う諸相如来、非相如来の道理現成するを「即見如来」とは可談也。ゆえに「如来あり、非如来あり」とは被決也。

 

清涼院大法眼禅師云、若見諸相非相、即不見如来。いまこの大法眼道は、見仏道なり。これに法眼道あり、見仏道ありて、通語するに、競頭来なり、共出手なり。法眼道は耳処に聞著すべし、見仏道は眼処聞声すべし。

しかあるを、この宗旨を参学する従来のおもはくは、諸相は如来相なり、一相の如来相にあらざる、まじはれることなし。この相を、かりにも非相とすべからず。もしこれを非相とするは捨父逃逝なり。この相すなはち如来相なるがゆゑに、諸相は諸相なるべしと道取するなりといひきたれり。まことにこれ大乗の極談なり、諸方の所証なり。しかのごとく決定一定して、信受参受すべし。さらに随風東西の軽毛なることなかれ。諸相は如来相なり、非相にあらずと参究見仏し、決定証信して受持すべし。諷誦通利すべし。

かくのごとくして、自己の耳目に見聞ひまなからしむべし。自己の身心骨髄に脱落ならしむべし。自己の山河尽界に透脱ならしむべし。これ参学仏祖行李なり。

自己の云為にあれば、自己の眼睛を発明せしむべからずとおもふことなかれ。自己の一転語に転ぜられて、自己の一転仏祖を見脱落するなり。これ仏祖の家常なり。

詮慧

〇法眼禅師段。是は「不」の一字加うる許りなり。同じく「仏言不見如来」と云うを「見仏道」とする也。

〇「従来のおもわくは」と云うより「自己の見聞ひまなからしむべし」と云うまでは、教えの心地なり。「参学仏祖行李也」と云うまでは、宗門の事を挙ぐるなり。

〇抑も教えの方の詞を、あながちに「決定一定して信受参受すべし、随風東西の軽毛なることなかれ」など教えらるべしとは覚えねども、一方を取れと云う心地なるべし。諸相は無常の法、見仏の談には不可及などと云う輩あるに合わすれば、諸法実相などという方を「大乗の極談也、諸方の所証也」などと云わるる也。但宗門の方に猶不及事は、非相の詞も不心得、不見如来の義も不足なる事を嫌と底に心を付けて、親切に可心得と也。「自己骨髄に脱落ならしむべし、自己の山河尽界に透脱ならしむべし」と問う時こそ残る所もなけれ、これを「参学仏祖の行李也」という。参学の屋裏に両部典釈ありと云いて、参見典と参不見典と、是をつらねて活眼睛という。所詮諸相も見仏、非相も見仏、不見も又見如来也と決定すべき也。

経豪

  • 仏言与祖言、不の一字加えたる許り也。其の解は無違事、見仏の上の不見仏の理、不始于今事也。「大法眼道は見仏道也」とは、此の仏祖の詞の通ずる道理が、「競頭来也、共出手也」とは云わるる也、只同事なる道理也。又「法眼道は耳処に聞著すべし、見仏道は眼処に聞声すべし」とは、法眼道は法眼道にてあるべし、見仏道は見仏道にてあるべしと云う心なり。耳処聞著、眼処聞声(の)詞(は)、例事なるべし。以眼処聞声と談ずるゆえ也。
  • 如文。「随風東西の軽毛」とは、古き名目也。只所詮かろき鳥毛などは、随風あなたこなたへ、定まらず飛び散る也。其の定めに一理を不決定して、とかく人云えば定まらず、一順に落居せぬ所を如此云う也。如右云の道理を、「決定一定、信受参受すべし」と云う也。右に所出の義を如此、「大乗の極談也」と、蹔く褒めらるるなり。
  • 右に所挙の諸相は如来相也と云う義、返々大乗の極談と褒めらる。然而能見所見の義を離れず、力之如何となれば「諸相を如来相」と見る、是能見所見を免かれざるなり。「自己の面目にひまなかるべし」と云うより、離能見所見たる、仏祖所談の義なるべき也。如此してとは、先の詞の諸相を如来相と云う詞を如此云也。所詮「自己の身心骨髄・自己の山河尽界を、如来相と透脱ならしむるを、参学仏祖行李」と可談也。
  • 是は前に「諸相は如来相也、一相の如来相に非ざる、交われる事なし。この相を仮りにも非相とすべからず、もしこれを非相とするは、捨父逃逝也」と云う詞を取りて、自己の詞なればとて、「自己の眼睛を発明せしむべからずと思う事なかれ」と云う也。先の詞を法の理の方より見れば、其の詞(は)少しも不違也と云う心地也。但彼は見不見の心地也未失。然而詞は彼も是も不違也。『法性』の草子に法性には開花葉落あるべからずと云う詞は、打ち任せては心色見聞の可及にあらずと心得て如今談じ、祖門の方よりは法性は法性なり、開花葉落は開花葉落なり。ゆえに法性は開花葉落に非ずと談之。心地は天地懸隔したれども、詞は更不違、此道理なるべし。或いは又外道二乗の鼻祖鼻末無常也と云えども、彼等不可究尽などと云いし程の理なるべし。「自己の云為」也と云うとも「自己の一転語に転ぜられ、自己の一転仏祖を見脱落する也」とあり。如文。

 

このゆゑに、参取する隻条道あり。いはゆる諸相すでに非相にあらず、非相すなはち諸相なり。非相これ諸相なるゆゑに、非相まことに非相なり。喚作非相の相ならびに喚作諸相の相、ともに如来相なりと参学すべし。

詮慧

〇「隻条道あり」と云うは、一隻と説く、又漫々と説く。この二つの詞を連ねて「隻条道」と云う也。「諸相すでに非相にあらず」と説くは、条々の義、非相すでに「諸相也」と説くは一隻の義也。

経豪

  • 此の「見仏」の上に参取する道、あまたありと云う也。それと云うは、右に彼是あぐる詞共を如此指也。所詮諸相与非相、全非各別也。諸相如来、非相如来也。「非相」が嫌う詞にあらず。「非相これ諸相」なれば、この非相はまことの非相なるべき也。所詮「非相と喚び作す相も、諸相と喚び作す相」も、彼是共に只「如来相なりと参学すべし」と云う也。ゆえに此非、是非の非を離れたるなり。

 

参学の屋裏に両部の典籍あり。いはゆる参見典と参不見典となり。これ活眼睛の所参学なり。もしいまだこれらの典籍を著眼看の参徹せざれば参徹眼にあらず、参徹眼にあらざれば見仏にあらず。

見仏に諸相処見、非相処見あり。吾不会仏法なり。不見仏に諸相処不見、非相処不見あり。会仏法人得なり。法眼道の八九成、それかくのごとし。

詮慧

〇「見仏に諸相処見、非相処見あり、吾不会仏法也、不見仏に諸相処不見、非相処不見あり、会仏法人得也」という、不見の方に会をつけ、見の方に不会をつくる事、頗る相違の法に似たり。但これ見不見と云えばとて、世間の如く不心得べし。会不会とて、皆ともに仏法に取る時には、是は共に「見仏」の義を演説するなり。

経豪

  • 此の「典」の詞、立耳様也。所詮此の御釈の心地は、仏道は即見如来也。法眼道は即見如来也。是を「両部の典釈」とは云う也。「参見典と参不見典」などとの詞、事々敷くようなれども、見不見の仏道、法眼道の不の詞を如此被釈なり。是を「活眼睛の所参学也」とは云う也。已下如文。
  • 是は「諸相処見、非相処見あり」とは、諸相の所が見なる理、非相の姿が見なる所を、如此被釈也。「吾不会仏法也」とは、六祖に黄梅意旨何人得たると云うに、「会仏法人得たり」と、六祖答え給うに、重ねて和尚又得たりや否やと被問いて、吾不得とあり。重ねて又など不得ぞと被問いて、不会仏法のゆえにとあり。其の事を「吾不会仏法也」とは、被書載也。大方は五祖の法を正伝して、仏法附衣し給い、六祖に黄梅の意旨、何人か得たると、問いのようも不普通。然而此問答、打ち任せたる准凡見は、まことに驚かぬべし。今の問答更非尋常問答、会不会の理を表わさんが為也。次(に)「不見仏に諸相処不見、非相処不見あり、会仏法人得也」とあり、是も只如前云うの理なるべし、聊かも不可違。前の詞に会仏法の詞を付け、今の後(の)詞に不会仏法とぞ在りたき様に覚えたれども、詮は会不会が少しも非得失、別ならざる上は、誤まりて如此談ぜん。親切の理あらわるべき也。是は今の会不会の道理程に、諸相非相のあわいも可心得と云い、証文に被引出也。「法眼道の八九成」とは、即不見如来の詞を如此云也。八九成又、十成に不可有勝劣也。

 

しかありといへども、この一大事因縁、さらにいふべし、若見諸相実相、即見如来

かくのごとくの道取、みなこれ釈迦牟尼仏之所加被力なり。異面目の皮肉骨髄にあらず。

経豪

  • 此御釈。不被驚疑、尤有謂と聞こゆ。まことに「諸相を実相」と見ん、「即見如来」の道理なるべし。不可有不審。是は故方丈の御詞也。
  • 是は開山の御自讃の御詞かと聞こゆ。然而理の及ぶ所、まことに唯仏与仏の所詮なるべし。「異面目の皮肉骨髄に非ず」とは、唯仏与仏の外に、又可交ものなき所の道理を如此云也

 

爾時釈迦牟尼仏、在霊鷲山。因薬王菩薩告大衆言、若親近法師、即得菩薩道。随順是師学、得

見恒沙仏いはゆる親近法師といふは、二祖の八載事師のごとし。しかうしてのち、全臂得髄なり。南嶽の十五年の辦道のごとし。師の髄をうるを親近といふ。

菩薩道といふは、吾亦如是、汝亦如是なり。如許多の蔓枝行李を即得するなり。

即得は、古来より現ぜるを引得するにあらず、未生を発得するにあらず、現在の漫々を策把するにあらず、親近得を脱落するを即得といふ。このゆゑに、一切の得は即得なり。

随順是師学は、猶是侍者の古蹤なり、参究すべし。この正当恁麼行李時、すなはち得見の承当あり。そのところ、見恒沙仏なり。

恒沙仏は、頭々活々聻なり。あながちに見恒沙仏をわしりへつらふことなかれ。まづすべからく随師学をはげむべし。随師学得仏見なり。

詮慧

〇薬王菩薩段・・得見恒沙仏。「親近得を脱落あし。するを即得と云う」いう、尽十方界真実人体と体脱する「吾亦如是、汝亦如是也」。この時を「親近得」と云うべき也。此れ「脱落即得」なり。

〇「随順是師学」と云うは、師に随って学して見仏せんずるにてはなし。やがてここを見仏と云う也。

〇「蔓枝行李」と云うは、親近即得の様を、さまざま挙ぐるを、「蔓枝」と仕う也。「行李」はありさま也。

〇「猶是侍者」という、侍者と云えば、只徒らに師に仕うる許りにてはなし。伝法の仁を云い、ゆえに「随順是師学」なり。

経豪

  • 是は経文なり。「親近法師」と云うは、たとえば師に給仕し、或いは焼香礼拝するなどを親近と云うべきか。此の親近法師は因にて、此の親近の功に酬いて、「菩薩道を得る」是果也と経文は聞こえたり。但今の御釈に「親近法師」と云うは、二祖南嶽等の古へを引いて、是を親近と云うとあり。実(に)親近法師の姿(は)、尋常に思うに似たれども、初祖与二祖、六祖与南嶽(の)如く、全臂得髄の理を得、南嶽十五年の辦道、師の髄を得し所を「若親近法師」とは取るべきなり。実(に)此の親近の様、尤も尽深なり。
  • 是は「菩薩道」と云う詞を被釈。今の菩薩と仏と不可有差別。此の若親近法師と菩薩道とのあわい、「吾亦如是、汝亦如是」なるべし。若親近法師を「即得菩薩道」とは談ず也。「菩薩道」と云えば、猶妙覚果満の位も、此の外に残りたるように聞こゆ。此の菩薩道と云わるる外に、又残る所なき道理を「如許多の蔓枝行李を即得する也」とは云うなり。
  • 是は「即得」の詞を被釈なり。「得」と云う事を打ち任せて心得には、日来なかりつるものを得る所を「即得」と談ず。今の「得」は「古来より現じて、引得するにあらず、未生を発得するに非ず、現在の漫々を策把するにあらず」(は)、三世に拘わらぬ即得なるべし。親近法師の姿を、即得とは取る也。ゆえに「親近得を脱落するを即得と云う」とはある也。ゆえに一切の「得」と云う事、此即得の理の如なるべしと云う也。
  • 前には若親近法師、即得菩薩道の文を被釈。次(に)「随順是師学、得見恒沙仏」の詞を、ここよりは被釈也。是は若親近の詞、又即得菩薩道の句と、「随順」の詞と「得見恒沙仏」との、句との替目許也。其の意趣聊かも不可異也。「随順是師学」の心得よう、若親近法師の所談に不可違。「猶是侍者」とは古き詞也。是はたとえば人に被問うて、猶是侍者と答えたりし事あり。是も只尋常に侍者たれば侍者と云うにあらず。師の下にて髄を得たりと云う心地の詞に仕う也。仍って今此の古き詞を被引出也。此の「随順是師学」の姿、「吾亦如是、汝亦如是」なるべし。故に彼是の理符合するなり。此の随順是師学を「得見」とは談ずる也。能見所見ありて、是を彼が得見するとは不可談。「見」の詞出で来れば、いかにも眼の能と旧見指出、是は随順の姿が得見なるべき也。「見恒沙仏」と云えば、いくらもいりいりとある仏を、奉見らんずる様に被心得(は)非爾。此の「随順是師学」の道理を、やがて「見恒沙仏」とは可談也。
  • 所詮、頭々皆恒沙仏ならずと云う事なし。此の道理を「活鱍々聻也」とは云う也。恒沙仏をよそに置いて、是を拝見せんずると思う事なかれと云う心也。見恒沙仏をば見恒沙仏を以て可見なり。其の外見るべき物なき也。
  • 随師の理が、則ち「見恒沙仏」なる上は、「随師学をはげまば、得仏見」の理は、その上に明らむべしと云う也。見仏を得見仏とあり、例事也。「得見仏」と云えば、猶旧見に滞りぬべし。「得仏見」と談ずれば、能見所見なき也。

 

釈迦牟尼仏、告一切証菩提衆言、深入禅定、見十方仏。尽界は深なり、十方仏土中なるがゆゑに。これ広にあらず、大にあらず、小にあらず、窄にあらず。

挙すれば随佗挙す、これを全収と道す。これ七尺にあらず、八尺にあらず、一丈にあらず。全収無外にして入之一字なり。

この深入は禅定なり、深入禅定は見十方仏なり。深入裏許無人接渠にして得在なるがゆゑに、見十方仏なり。

設使将来、佗亦不受のゆゑに、仏十方在なり。

深入は長々出不得なり、見十方仏は只見臥如来なり。禅定は入来出頭不得なり。

真龍をあやしみ恐怖せずは、見仏の而今、さらに疑著を抛捨すべからず。

見仏より見仏するゆゑに、禅定より禅定に深入す。

この禅定見仏深入等の道理、さきより閑工夫漢ありて造作しおきて、いまの漢に伝受するにはあらず。而今の新条にあらざれども、恁麼の道必然なり。

一切の伝道受業かくのごとし。修因得果かくのごとし。

詮慧

〇深入禅定・・見十方仏段。「深入禅定」と、見十方仏と随順是師学と同じ詞なるべし。

〇「深入禅定」の所を「見仏」と取る、欲知仏性義(と)云いし時は、欲知の詞をこそ、仏性と談ぜしが同事也。又明見仏性の所に、定慧等学の学あるなりと云う同事也。

〇「全収無外にして入之一字也」という、「挙すれば随他挙す、これを全収と道」と云えば、無情説法・無情得聞程の詞也。「随他」と挙すれば無残所随他となり、ゆえに「全収」と仕う。深入禅定が見仏ならんは、入之一字も不用得也と云う。「随他挙」と云うは、不被挙る一法なき也。随他は尽界事也。挙すれば説法なり。

〇「深入裏許無人接渠にして」と云う、深入の詞ありとも人はなし。「接渠」とは、かれを接すとも、これを接すとも云う心地也。「得在なるがゆゑに、見十方仏也」という、此時可入人もなし、見るべき仏も不可有。「得在」と云うも何を得、何かあると云うにてはなし。

〇「深入は長々出不得」という、「長々」と仕うは無際限(の)詞也。「入」と云えども、出する事不得と云う。「将来他亦不受」の詞に同じ。

〇「見十方仏は只見臥如来也」と云う、此の「臥如来」の詞は、即見臥如来と云いし詞を取る也。但此の見境を置いては、不見如来の道理を「見」とは仕うべし。かの師の臥たりし時、即見臥如来と云うは、あやまりて境の姿と心得る方もありぬべし。今の「只見臥如来」こそ、あやまるべからざる道理は表わるれ、其の故に臥たる如来に又相対ゆえに。『柏樹子』の草子に、臥如来の事有也。

〇「入来出頭不得也」と云う、入事のなきにはあらず、出事えざると也。さきの詞に同じ。

〇真龍段。色相の仏と云うは、まことの仏を色にて説くなり。いまの「見仏」こそ、まことの仏を談ずれ、この時は可見仏もなしと云うべし。

〇「閑工夫漢ありて」というは、是はいたづらに功夫せし者の事也。

〇「修因得果如此」という、深入禅定程に心得べし。「修因」を定めて「果を得」とは云わず。得果の「得」は深入の「入」也。

経豪

  • 是は安楽行品(「大正蔵」九・三九下・注)文なり。「証菩提衆」の詞、経文には無之。被書加歟、但法華会上に列せん輩、天龍八部人非人等類までも、皆証菩提衆なるべし。今の経文は、外道の入禅定、過去の八万劫、未来八万劫を此の禅定の力に依りて見し様には不可心得、「深入」と「禅定」と、各別の物にあらず。又入禅定の人も不可有、此の禅定に入力に依りて、十方の仏を奉見てと、打ち任せては心得。今義非爾、御釈分明也。「尽界は深也」とあり、先日来心得たりつる、深の義に違する条顕然也。「十方仏土中なるがゆえに」とあり、十方仏土、深の外に又別に物あるべからず。浅に対したる深に、あらざる条顕然也。「広にあらず大小にあらず」とあり、尤も謂あり。今の「深」の姿、大小等に拘わるべき物に非ず。勿論事也。
  • これは深入ならば深入に挙し、禅定ならば禅定に挙し、乃至十方仏土ならば十方仏土に挙するを、「随他挙す」とは可云也。たとえば深入ならば深入の外に物なく、乃至禅定又十方仏土の外に、又交わる物なく、それはそれに任せたる詞也。ゆえに「全収と道す」と云う也、此義又「七尺八尺一丈にあらざるべし」。全収の外に物なき理を、「全収無外」とは云う也。「入之一字」の道理も、此の入出入の「入」にあらざる所を云う也。仮令深入禅定は隠るる程の理を「全収無外入之一字也」とは云うべきなり。
  • 御釈分明也。深入を禅定と談ず也、此の深入禅定の姿を見十方仏とは談ず也。此の「深入裏」とは、人ありて深く禅定に可入とこそ被心得を、今は此の禅定裏に総て一人も接すべき物なき道理を、「見十方仏」と云う也とあり、旧見に大いに違する也。此理尤親切也。
  • 是は古き詞なり。祖師に或人仏法を尋ぬるに、九十一転語まで法の理を述べれども総てあたらず。結句の詞に、如今云「設使将来、他亦不受」の道理にあたるべきか。「深入裏許無人接渠」の理にも不可背也。仏十方仏の上下(の)例、親切義也。
  • 此の「深入」の姿、いづくまでも無際限、ゆえに長々の道理也。今の入出入の入にあらざるゆえに、「長々出不得也」という、「見十方仏は只見臥如来也」とは、打ち任すは見十方仏と云えば、十方に此れ金色なる仏体光明、朗らかなる姿を、感見せんずるように覚ゆ、非爾。「只見臥如来」の姿、「見十方仏」なるべし。是は趙州の臥たりしを、問答の事ありき。其の事を今被書載也。「禅定は入来出頭不得也」とは、此禅定の姿、又出入等の理を離れたる禅定也、ゆえに如此云也。禅定を抑えて、見十方仏と談ずる上は、争か出入の儀あるべきや。
  • 「真龍彫龍」の事、先々沙汰旧了。所詮真龍を恐怖せば、取捨の法に成りぬべし。真龍彫龍ともに、雲雨の能あるべきゆえ也。深入禅定と見十方仏とを、打ち任せて凡見に仰ぎて談ぜんは真龍をば恐れ、彫龍を愛する理に同じかるべし。深入の所が見十方仏なる道理、現前せん時、共に雲雨の能ある理には落ちつくべき也。其の事を如此被書載たるなり。見仏の而今、さらに疑著を抛捨すべき也とぞ有りぬべき。「すべからず」とある詞、不被心得。但此の御詞に付けて、二つの義も有りぬべし。又此の道理(を)深入禅定と云うべきか、見十方仏と云うべきかの心を「疑著」と云うべきか。是は是什麽物恁麽来、説似一物即不中に義にあたるべし。此の道理は又、只尋常の疑著には不可似歟と云う義もあるべし。先の義は猶、世情にまぎるる分もありぬべき歟。
  • 此の道理の所落居、如此いわるべき也。深入と禅定と見仏とのあわい、只一体なるゆえに。
  • 如文。「禅定見仏深入等の理が、人ありて始めて造作して、今の人に伝受するにはあらず」と云うは、此理は総てには今の悟を得る人の上に、此理を始めて得ると心得る所を如此被嫌也。此理には非ざれども、如此の道理は必然と云うなり。
  • 此詞許りに不可限。「一切の伝道受業」の理、皆如此なるべしと云う也。又「修因感果」と云う事、此因によりて此果を感ずと云う。因も円満し果も円満して、前後なきを「修因感果」とは宗門には談ずる也。ゆえに此の深入禅定と見十方仏との所談のように、修因感果も可心得と云う也。

 

釈迦牟尼仏、告普賢菩薩言、若有受持、読誦正憶念、修習書写、是法華経者、当知是人、則見釈迦牟尼仏、如従仏口、聞此経典。おほよそ一切諸仏は、見釈迦牟尼仏、成釈迦牟尼仏するを成道作仏といふなり。かくのごとくの仏儀、もとよりこの七種の行処の条々よりうるなり。

七種行人は、当知是人なり、如是当人なり。これすなはち見釈迦牟尼仏処なるがゆゑに、したしくこれ如従仏口、聞此経典なり。

釈迦牟尼仏は、見釈迦牟尼仏よりこのかた釈迦牟尼仏なり。

これによりて舌相あまねく三千を覆す、いづれの山海か仏経にあらざらん。このゆゑに書写の当人、ひとり見釈迦牟尼仏なり。

仏口はよのつねに万古に開す、いづれの時節か経典にあらざらん。このゆゑに、受持の行者のみ見釈迦牟尼仏なり。

乃至眼耳鼻等の功徳もまたかくのごとくなるべきなり。および前後左右、取捨造次、かくのごとくなり。いまの此経典にむまれあふ、見釈迦牟尼仏をよろこばざらんや、生値釈迦牟尼仏なり。

身心をはげまして受持読誦、正憶念、修習書写是法華経者則見釈迦牟尼仏なるべし、

如従仏口、聞此経典、たれかこれをきほひきかざらん。いそがず、つとめざるは、貧窮無福慧の衆生なり、修習するは当知是人、則見釈迦牟尼仏なり。

詮慧

〇仏言段・・聞此経典。如従自身、聞此経典とも可心得歟。

〇「七種の行処」と云うは、「受・持・読・誦・正憶念・修習・書写」是なり。又五種とも云う。この時は、「受持・読誦・正憶念・修習・書写」也。「受」と云うは、依人受之なり。「持」と云うは、受後持つなり。「読」と云うは向文字読之也、修習なり。「誦」と云うは空に誦也、修習なり。解と云うは悟なり。「正憶念也」と云うは、説法の義也、修習なり。是等皆福業也。今十方仏土中・唯有一乗法ならんには、国土世界、法華経の言句ならざるなし。誰ありてか読誦書写もすべき、その人々を置いて、受持読誦と云うべからず。受持読誦已下法華経の実体なる也。七種・五種、皆唯有一乗法と一一に心地也。更無能所。此時「見釈迦牟尼仏也」この見に釈迦牟尼仏となるを「見」とは云うなり。

〇「見釈迦牟尼仏処」と云う、この「処」は別の処にはあらず。右に説く所の義が「処」とは云わるるなり。

〇「聞此経典」と云うは『法華経』なるべし。但山海等を「経」と云い、十方仏土中・唯有一乗法と云わん上は、いかなる経と別に難云、「見釈迦牟尼仏」是なり。

経豪

  • 此の経文は「七種の行の功に依りて見釈迦牟尼仏、如従仏口聞此経典」と見えたり、今の所談は非爾。一切諸仏は釈迦牟尼仏に蔵身して、余の諸仏ここには不可出現。只釈迦牟尼仏釈迦牟尼仏なる所を、「見釈迦牟尼仏とも、成釈迦牟尼仏」とも云う也。此の道理なるを、「成道作仏とは云う也」とあり。不可有不審、但此の道理、必ず(しも)釈迦一仏に不可限。あみだを談ぜん時も薬師乃至普賢文殊等を談ぜん時も、皆如此なるべし。其の時は釈迦は、彼の諸仏菩薩に可蔵身也。今釈迦牟尼仏を出す所は娑婆の教主たり、ゆえに沙希如此談也。「如此の仏儀」とは、前の一切諸仏は、見釈迦牟尼仏、成釈迦牟尼仏等の詞を指す也。又「七種の行処の条々よりうる」とは、如前云此の七種の功に依りて、奉見仏とは不可心得也。此の七種の当体をやがて見釈迦牟尼仏とは談ずる也。此七種の数を「条々」とは指す歟。受持の姿を「見釈迦牟尼仏」と談じ、乃至読誦修習書写等の姿を「見釈迦牟尼仏」と談ずる所を、「条々よりうる也」とは云うなり。
  • 「当知是人」とあれば、人を置いて此人に仰ぎて知るべしと云うと見えたり、非爾。此の当知の「当」は当体の当也。かるがゆえに、「如是当人也」とあり。七種の当体也、此の七種の姿が「見釈迦牟尼仏」と云わるる也。仏の所説を人ありて聞くとは不可心得。能聞所聞、非仏法所談ゆえ也。此の「七種行人」の当体を見釈迦牟尼仏と談ずる所を、又やがて「如従仏口聞此経典」とは談ず也。此の道理「したしく、これ如従仏口聞此経典」とは云うなり。実(に)能説の法を置いて聞かんよりは、七種の上に置いてやがて、如従仏口聞此経典と談ぜん、尤も親しかるべし。
  • 是は無別子細。只釈迦一仏の外に、余仏不可交心地を如此談ず也。
  • 是は小阿弥陀経の説相、六方の証誠の広長舌を述べて、三千大千世界を覆と見たり。舌が大いに広く成りて、雲の空に覆いたる様に覚えたり、不可然。「いづれの山海か仏経に非ざらん」とあり、この山海(は)仏舌なり、「故に書写の当人ひとり、見釈迦牟尼仏也」とあり。「舌相」とある上は、此の読誦とぞ云いぬべき。但此の「書写」とある殊(に)親切の義也。舌の上には読誦の詞たよりありなどと云わば、旧見に止みぬべし。書写と云い、更に此の理に不可向背道理なるべし。横に云えば「何れの山海か仏経にあらざらん」という、竪に論ずれば、又「いづれの時節か経典にあらざらん」という。所詮横竪共に仏経ならず経典ならぬ時節なしと云う也。三世九世尽十方界、仏口にあらずと云う事なし。此の道理が「見釈迦牟尼仏」とは云わるる也。
  • 是は必ず(しも)、仏口許りに不可限。「眼耳鼻等、乃至前後左右も取捨造次」と云うも、皆此れ仏口程の丈に可心得と也。已下如文。
  • 「身心を励まして」と云えば、人有りて此の「七種の行」を可修行と云うように、旧見に帰りて動(ややもすれ)ば被心得ぬべし。又其の定に文の面は見えたり。此分も一往、其の理なかるべきにあらず。所詮此の七種条々、皆身心なるべし。此理を「見釈迦牟尼仏」と談ず也。
  • 「不急不勤は、貧窮無福慧の衆生」と被嫌、「修習するは当知是人、則見釈迦牟尼仏也」と褒めらる。謗讃の詞と見えたり、ここの意已実如此なるべし。但向貧窮無福慧の衆生と云えばとて、嫌わずべきにあらず。是一往の義也。見釈迦牟尼仏の時、貧窮無福慧とて、嫌い除くべきにあらず、是れ「則見釈迦牟尼仏」あるべし。

 

釈迦牟尼仏、告大衆言、若善男子善女人、聞我説寿命長遠、深心信解、則為見仏、常在耆闍崛山、共大菩薩諸声聞衆囲遶説法。又見此娑婆世界、其地瑠璃。坦然平正。この深心といふは娑婆世界なり。信解といふは無廻避処なり。誠諦の仏語、たれか信解せざらん。

この経典にあひたてまつれるは、信解すべき機縁なり。深心信解是法華、深心信解寿命長遠のために、願生此娑婆國土しきたれり。

如来の神力慈悲力寿命長遠力、よく心を拈じて信解せしめ、身を拈じて信解せしめ、尽界を拈じて信解せしめ、仏祖を拈じて信解せしめ、諸法を拈じて信解せしめ、実相を拈じて信解せしめ、皮肉骨髄を拈じて信解せしめ、生死去来を拈じて信解せしむるなり。これらの信解、これ見仏なり。

しかあればしりぬ、心頭眼ありて見仏す、信解眼をえて見仏す。たゞ見仏のみにあらず、常在耆闍崛山をみるといふは、耆闍崛山の常在は、如来寿命と一斉なるべし。

しかあれば、見仏常在耆闍崛山は、前頭来も如来および耆闍崛山ともに常在なり、後頭来も如来および耆闍崛山ともに常在なり。菩薩声聞もおなじく常在なるべし、説法もまた常在なるべし。

娑婆世界、其地瑠璃、坦然平正をみる、娑婆世界をみること動著すべからず、高処高平、低処低平なり。

この地はこれ瑠璃地なり、これを坦然平正なるとみる目をいやしくすることなかれ。瑠璃為地の地はかくのごとし。

この地を瑠璃にあらずとせば、耆闍崛山耆闍崛山にあらず、釈迦牟尼仏釈迦牟尼仏にあらざらん。

其地瑠璃を信解する、すなはち深信解相なり、これ見仏なり。

詮慧

〇聞我説寿命長遠段・・坦然平正。「説寿命長遠」という、久遠実成と顕本する時の仏の寿を今示八相と説き、仏の八十年の寿命を数えて説くと云わん甚無詮。今の説は、不説遠近長短也、深心信解・国土若しくは此経を寿命と説く也。説と云う寿命なり、無情説法・無情得聞程の道理也。「深心信解する」と云うは、三界唯一心と体脱する心なるべし。

〇「誠諦の仏語、たれか信解せざらん」という、誠諦の仏語なれば信解すとは不可心得。但一方の道理なれども、ここをば「たれか信解せざらん」の二字をば、仏語という二字に取り替えて心得べし。仏語は仏語にあらざらんと云うと可心得。

〇「経典にあう」という、已前の道理どもを挙ぐ。

〇「心頭眼」と云う、これ世間の眼にあらず、見仏する眼をいう也。右にいう深心の「心」を「心頭眼」と云うなり。「前頭来、後頭来」と云うは、無前後詞也。仏向上の如し。

〇「常在耆闍崛山を見ると云うは、耆闍崛山の常在は、如来寿命と一斉なるべし」という、身土不二と説く上は不可疑哉。

〇「高処高平、低処低平」というは、諸法を実相と説き、三界を一心と説くこれなり。高下あることを云うは、凡夫の詞也、不及談。「瑠璃地」という事、遠く西方を不可尋。娑婆国土すでに瑠璃地と説く、この瑠璃世界にある。瑠璃を地に敷きたらんは、只世間に相対の地、仏国土と取り難し。内外無瑕の心也。西方浄土の瑠璃、何と可心得乎。水鳥樹林も苦・空・無我・無常を説くと云う、是は小乗に談ずる名目なり。如何強不可取証也。諸法を実相という(は)、此の諸法・娑婆国土の事也。厭娑婆国土を願生浄土捨父逃逝の義と云いつべし。三界唯一心と聞いて信解する也。「深心とは娑婆世界、信解は無廻避処なり」、願生浄土と云わず願生娑婆国土と説く也。この願の仏は我等を指す也。

経豪

  • 如今経文者、釈尊寿命長遠を説き給うを聞いて、深心信解すと見えたり。但「深心と云うは娑婆世界なり、信解と云うは無廻避処也」とあり、此の「深心」此の「信解」のよう、日来の旧見相違したる条已(に)顕然也。信解ならぬ処あるべからず、ゆえに「無廻避処」なりとは云う也。所詮今の「寿命長遠」と「深心信解」と、「見仏」と「常在」と、「耆闍崛山」と「大菩薩」と、「諸声聞衆」と「説法」と「娑婆世界」と、「其地瑠璃坦然平正」の姿とが、皆一体なるなり。相互に取り違えて談ぜん不可相違也。「この深心と云うは娑婆世界也」と云うは、尽十方也と云う道理なるべし。
  • 此の信解をやがて、機縁と談ず也、非各別。「深心信解」と云えば、法華与人、各別にて人有りて、深く信解を発すとこそ心得るに、深心信解の当体、「是法華也」とあり、不可疑。又仏の我寿命長遠を説き給うを、能聴の人有りて深心信解すとこそ、経文を見たるを、深心信解寿命長遠の為にとあり。旁御釈分明也。「願生此娑婆國土」と云うも、人ありて願して此娑婆国土に生と不可心得。此娑婆国土は尽十方界なり、此娑婆国土を指して、願とも生とも可然也。
  • 是は「如来の神力、慈悲力、寿命長遠、已下心身、尽界仏祖、諸法実相、皮肉骨髄、生死去来等を拈じて、信解せしむ」とは、各々に所挙の心身、乃至生死去来までを、皆「信解」と談ず也。是等の信解、これ「見仏也」と云えり、又「信解」と「見仏」と非異事を。
  • 是は先に見仏と云う詞出で来ぬ。見仏と云う詞は、いかさまにも眼に対して云う詞也。それを眼許りに付けて見ると云う道理あるべきにあらず。「心頭眼ありて見仏す」とは、心頭眼をも見仏と談ずべし、「信解眼をえて見仏する」道理もあるべしと云う也。又見仏と云う許りに不可限、「常在耆闍崛山」と釈尊と非各別。之は見仏と云わずとも、耆闍崛山を見ると云わん、見仏なるべしと云う也。又「常在」の詞、仏耆闍崛山に常在すと心得を、此の「常在は如来寿命と一斉なるべし」とあり、此れ寿命又仏の道理也。仍って「常在と如来寿命と一斉也」とは云わるる也。
  • 「見仏・常在・耆闍崛山」は只一体也。常在と耆闍崛山と各別にて、仏彼に常在すとは不可心得。此の三つが只一体一物なる也。「前頭後頭」と云う詞は、前後「共に常在なり」と云うなり。「菩薩声聞も同じく常在也」と。又仏の説法入滅して御て後は留まり、又菩薩声聞も、現(に)槃涅槃後は、不列仏会と思う所を、菩薩声聞も常在也。説法も常在也と云うなり、菩薩声聞説法等の道理常在なるべし。見耆闍崛とも云うべし、耆闍崛山は劫初よりの山也。仏は今の釈尊前後あるに似たり、而今耆闍崛山と、仏とは久近の義あるべからず。仏も耆闍崛山も只等しき所が、「前頭来ともに如来及び耆闍崛山ともに常在也。後頭来も如来及び耆闍崛山ともに常在也」とは、初中後共に常在也と云う也。
  • 此の娑婆世界の地が青く、瑠璃などのように成らんずるを見んずる様に心得たり。「娑婆世界を其地瑠璃」と談ずる也。然者其地の「地」も天に対したる地にあらず。又「坦然平正」と云えばとて、地をすぐに而も氷の張りたるよう成らんずるように不可思。ゆえに「高処高平、低処低平」とあり。全高全平、全低全平の道理なるべし。
  • 如文。凡見の目は卑しかるべし。如今「其地瑠璃・坦然平正」と見ん目、実(に)卑しかるべからず。
  • 実(に)如今云、瑠璃為地道理を明らめざらんは、今の義皆破れなむず。然者又耆闍崛山も、耆闍崛山にあらざるべし。釈迦牟尼も、釈迦牟尼仏にあらざるべき道理顕然なるべき也。
  • 「其地瑠璃を信解」とは、此地信解也。「深信解相」と云うも此道理なり。以此理今は「見仏」談ず也。

 

釈迦牟尼仏、告大衆言、一心欲見仏、不自惜身命。時我及衆僧、倶出霊鷲山。いふところの一心は、凡夫二乗等のいふ一心にあらず。見仏の一心なり。見仏の一心といふは、霊鷲山なり、及衆僧なり。

而今の箇々、ひそかに欲見仏をもよほすは、霊鷲山心をこらして欲見仏するなり。

しかあれば、一心すでに霊鷲山なり、一身それ心に倶出せざらんや。倶一身心ならざらんや。身心すでにかくのごとし、寿者命者またかくのごとし。

かるがゆゑに、自惜を霊鷲山の但惜無上道に一任す。このゆゑに我及衆僧、霊鷲山倶出なるを、見仏の一心と道取す。

詮慧

〇不自惜身命段・・倶出霊鷲山。いま云う「我・衆僧・霊鷲山」、この三つは、心仏及衆生是三無差別の義の如し。「一心欲見仏」という、此の「一心」は見心也、心身一如の義なるべし。身上無上道と体脱するは不自惜身命也。身を捨つればとて、岸より落ち、樹より落ち、入火入水自害するにてはあるべからず。不自惜身命は所詮三界唯一心と惜しまざるべし。山川天地と惜しまざるべし、虚空と惜しまぬ也。他(に)又惜しむと云わん時は、一心を惜しみ、霊鷲山を惜しむべし。心は身、身は霊鷲山なるゆえに、仍って「倶出霊鷲山」は一心に出づるなり。但一身也とも云う。「自惜を霊鷲山の但惜無上道に一任す」という、「我及衆僧、霊鷲山倶出なるを、見仏の一心と道取す」と云うなり。

経豪

  • 此の経文の面、「一心」に強ち盛心に仏を奉見と不自惜身命すれば、仏及衆僧倶出霊鷲山見え給うと被心得ぬべし。但「云う所の一心は、凡夫二乗等の一心に非ずとて、一心は見仏の一心、見仏の一心と云うは、霊鷲山及衆僧也」とあり、非可驚不審。
  • 霊鷲山則一心なる上は、「欲見仏」と云うは、「霊鷲山心発(をこら)して欲見仏する」道理なるべし。それと云うは此の霊鷲山、則見仏なるがゆえに。
  • 是は「一心が霊鷲山ならん」には、一心もなんぞ一心ならざらん、乃至「倶一身心ならざらんや」と云う也。身心如此一心なるべくは、「寿者命者も又如此」なるべしと云う也。
  • 寿量品には一心欲見仏、不自惜身命(「大正蔵」九・四三中・注)とあり、勧持品には我不愛身命、但惜無上道(「大正蔵」九・三六下・注)とあり。不惜身命とあると不愛身命とあるとは只同心歟。不惜と云うも不愛と云うも、更非得失浅深義。所詮「一心欲見仏、不自惜身命」と云うを、見仏の志懃切にして身命を惜しまざる程の心と心得るを、今は「見仏の一心とは霊鷲山也」とあり。ゆえに霊鷲山心を以て惜しむとも愛せずとも可談也。不可限霊鷲山、以「見仏」一心とし、「我及」も一心なるべし、「衆僧」も一心なるべし。今は「見仏の一心は、霊鷲山也」とある詞に付けて、今は霊鷲山は経ぬしに成りたるに似たり。不可限霊鷲山也。衆僧の但惜無上道も、我及の但惜無上道もあるべき也。

 

釈迦牟尼仏、告大衆言、若説此経、則為見我、多宝如来、及諸化仏。説此経は、我常住於此、以諸神通力、令顛倒衆生、雖近而不見なり。

この表裡の神力如来に、則為見我等の功徳そなはる。

詮慧

〇若説此経・・雖近而不見なり。此衆生に見せしめんこそ、仏の神通とも云いぬべけれども、即不見如来というが如し。此不見は習うべし。不見を改めて見に為さんは、猶仏の神力に不足也。我常住於此、以諸神通力、令顛倒衆生、雖近而不見(「大正蔵」九・四三中・注)と知るこそ神通力なれ。神力ならでは、雖近とも不見とも、不可知衆生也。凡そ法華の筵には、顛倒の衆生と云う物不可有、二乗声聞そらなし。争か顛倒の衆生あるべき、不見は法眼禅師の即不見如来の義なり。実相を説くを方便品と云うが如し。但これも又方便と実相と二つあるにあらず、方便と云うも実相の方便なるべし。「表裏の神力如来には則為見我等の功徳なり」雖近而不見という。「近」の字も「神通」と云う詞も、世間の詞の如く心得には都て不当也。神通と云うも『神通』も草子に事ふりぬ。「近」と云うも遠近の近にあらぬ也。「不見」と云うも、見に対したる不見にはあらず。はじめに即不見如来とありし所にて可心得。仏の御本意(は)、神通力のあらわるる所、雖近而不見なるべし。若親近法師には、即得菩薩道也。仏の神通力にては、凡夫に令見仏んずるこそ、神通なるべけれと思うは、仏の道には暗し。三界の見を離れざるべし、所詮「見」の様、我等が日来の存知に可替と取りふするなり。

経豪

  • 此の「若説此経」の功に依りて、「為見我多宝如来、及諸化仏す」と、打ち任すは心得たり。是は「若説此経」の道理を、未明時の事也。此の説此経の道理、三世九世尽十方界、皆「説此経」也。能説所説能聞所聞あるべからず。「説此経」の道理を以て、「我」とも「多宝如来」とも「化仏」とも談ず也。又御釈の詞、返々不被心得様に覚ゆ、其の故は「説此経は、我常住於此、以諸神通力、令顛倒衆生、雖近而不見」とあり、是は諸の神通を以て、令顛倒衆生可令見とこそあるべきに、「而不見」とあり。甚だ相違して聞こゆ。「顛倒の衆生」と云えば、仏見には黒白相違して、さかさまなる衆生と常には心得ぬべし。ゆえに、かかる衆生なるゆえに、「而不見」とあると心得ぬべし。しかには非ず、此の顛倒の衆生と云わるる「衆生」は迷中又迷の漢と云いし程の衆生なるべし。此れ顛倒仏祖と云わん程の顛倒なるべし、ゆえに此「顛倒の理」が「不見」と云わるる也。更に悪しく成りて不見なるにあらず。「我」とは釈尊御事歟。「住於此」とは仏の御住所と聞こゆ。今の我と住所と各別にあらず、法界の道理を「我」とも「住」とも仕う也。
  • 此の「表裏」の詞は、上には「則為見我」とあり、後には「而不見」と云う。是は例(えば)見不見の詞を「表裏」とは指すなり、此の表裏を、又今は「神力如来」と談ず也。此の「神力如来に、則為見我等の功徳備わる」とは、見不見の「見」と、則為見我等の「見」が一なる所を「備わる」とは云うなり。

 

釈迦牟尼仏、告大衆言、能持是経者、則為已見我。亦見多宝仏、及諸分身者。この経を持することかたきゆゑに、如来よのつねにこれをすゝむ。もしおのづから持是経者あるは、すなはち見仏なり。はかりしりぬ、見仏すれば持経す。持経のもの、見仏のものなり。

しかあればすなはち、乃至聞一偈一句受持するは、得見釈迦牟尼仏なり。亦見多宝仏なり、見諸分身仏なり、伝仏法蔵なり、得仏正眼なり、得見仏命なり、得仏向上眼なり、得仏頂□(寧+頁)眼なり、得仏鼻孔なり。

経豪

  • 前段の若説此経の「説」と、今の「能持是経」の「持」と、唯同心なるべし。此の「持」(は)、全法華の姿を以て「持」と談ず也。人ありて此経を持せんとにはあらず、ゆえに「則為已見我、亦見多宝仏、及諸分身者」の道理も、前段の「則為見我、多宝如来、及諸化仏」の理に不可違なり。又「持是経者」の理(は)、則ち「見仏」なるべし。又「見仏すれば持経す、持経の物、見仏の物也」とは、此経を持すれば、此物に依りて、見仏すと心得る所を、「見仏すれば持経す」と云えば、「見仏」と「持経」とが前後に拘らず、一体なる理あらわるる也。持経と見仏と唯同じきゆえに「持経の物、見仏の物也」とは云わるる也。
  • 今所伝の一偈一句、非凡見一偈一句。尽十方界一偈なり、尽十方界一句也。此の道理を受持すとは仕う也。此の一偈一句の道理を「得見釈迦牟尼仏」とも、乃至「諸分身仏」とも談ず也。此理許りに滞るべきにあらざる道理が、「伝仏法蔵」とも「得仏正眼」とも、乃至「得仏鼻孔」とも云わるる也。

 

雲雷音宿王華智仏、告荘厳王言、大王当知、善知識者、是大因縁。所謂化導、令得見仏、発阿耨多羅三藐三菩提心。いまこの大会は、いまだむしろをまかず。

過去現在未来の諸仏と称ずといへども、凡夫の三世に准的すべからず。

いはゆる過去は心頭なり、現在は拳頭なり、未来は脳後なり。

しかあれば、雲雷音宿王華智仏は、心頭現成の見仏なり。見仏の通語いまのごとし。

化導は見仏なり、見仏は発阿耨多羅三藐三菩提心なり。発菩提心は見仏の頭正尾正なり。

詮慧

〇雲雷王段・・発阿耨多羅三藐三菩提心。親近法師得阿耨多羅の義也。又三世を云うに「過去心頭なり、現在拳頭也、未来脳後」という此道理を明かすなり。「発」と云うも以可発為機などと云う様には不可心得。やがて阿耨多羅発なり見仏也。「化」と云うも、又無三世、三界を一心と化し、諸法を実相と化し、尽十方界人体と化する。是仏化なるゆえに、無三世なり見仏の義如此。

経豪

  • 「雲雷音宿王華智仏」とは、過去無量無数劫の久遠の仏也。妙荘厳王の二子の教訓に依りて妙荘厳王。忽ちに改邪見参仏所、出家得道しき。「善知識者、是大因縁」と云うは、此の因縁也。化導せられて発阿耨多羅三藐三菩提の後、見仏すべしと思い習わしたり。是は化導を則ち「見仏」と談ず也。阿耨菩提の当体、即見仏なるべし。「いまこの大会は、いまだ筵(むしろ)を巻かず」とは、雲雷音宿の王華仏の説法、争か今まで筵を巻かざらん、頗不能信用。但説法の姿、如此可被談也。仏体与説法(は)只一体也。然者仏体の上の前後始中終、総て浅深あるべからざるゆえに、此の道理あるなり。
  • 吾我の上に所立の三世にあらざるべし。ゆえに凡夫の三世に不可準的とはある也。
  • 今の「心頭・拳頭・脳後」(は)只同物也。此の上は過去は脳後、未来は拳頭と云わんも不可相違。三世の上に心頭・拳頭・脳後と談ず也。ゆえに取り違えて談ずも無相違也。
  • 雲雷音を今は「心頭現成の見仏」と談ず也。「見仏の通語」とは、段々の受持読誦等の詞を、皆「見仏」と談ずるを「通語」とは云う也。受持等を因として、後に見仏すべしとは云わざる也。
  • 如文。「化導」の姿を「見仏」と談ず也。如前云う、阿耨菩提見仏なるべし。発菩提心と同じき故に「頭正尾正」とは云うなり。

 

釈迦牟尼仏言、諸有修功徳、柔和質直者、則皆見我身、在此而説法。あらゆる功徳と称ずるは、拕泥帯水なり、随波逐浪なり。これを修するを吾亦如是、汝亦如是の柔和質直者といふ。これら泥裏に見仏しきたり、波心に見仏しきたる、在此而説法にあづかる。しかあるに、近来大宋国に禅師と称ずるともがらおほし。仏法の縦横をしらず、見聞いとすくなし。わづかに臨済雲門の両三語を諳誦して、仏法の全道とおもへり。仏法もし臨済雲門の両三語に道尽せられば、仏法今日にいたるべからず。臨済雲門を仏法の為尊と称じがたし。いかにいはんやいまのともがら、臨済雲門におよばず、不足言のやからなり。かれら、おのれが愚鈍にして仏経のこゝろあきらめがたきをもて、みだりに仏経を謗ず。さしおきて修習せず。外道の流類といひぬべし。仏祖の児孫にあらず、いはんや見仏の境界におよばんや。孔子老子の宗旨になほいたらざるともがらなり。仏祖の屋裡児、かの禅師と称ずるやからにあひあふことなかれ。たゞ見仏眼の眼睛を参究体達すべし。

詮慧

〇諸有修功徳段・・在此而説法。「我身」の所に説法也。立ち

帰りて見れば、「柔和質直者」が則ち我見我身也。柔和質直がやがて、仏体なるゆえに。「功徳と称ずるは、拕泥帯水也、随波逐浪也。是を修するを、吾亦如是、汝亦如是の柔和質直者という、これら泥裏に見仏しきたり、波心に見仏す」という、法華一乗には、拕泥も随波もあるべからず。然而諸法実相と拕泥し、実相と随波するなり。

経豪

  • 仏祖を指して、「柔和質直者」とは可談。諸有修功徳の当体、柔和質直者の当体を「則皆見我身」とは談ず也。「拕泥帯水・随波逐浪」とは和光利物などと云う程に思い付きたり。但ここの道理は、「吾亦如是、汝亦如是」の道理を以て、拕泥帯水・随波逐浪とは談ず也。所詮「見仏」の上の拕泥帯水・随波逐浪なるべし。此の道理を「吾亦如是、汝亦如是の柔和質直者と云う」とあり。不可有不審。
  • 此の「泥裏波心」とは、拕泥帯水の泥裏、随波逐浪の波心也。所詮是等皆「見仏也」と云う也。此の道理を以て、「在此而説法にあづかる」とは云う也。已下如文。

 

先師天童古仏挙、波斯匿王問賓頭盧尊者、承聞尊者、親見仏来、是否。尊者以手策起眉毛示之。先師頌云、策起眉毛答問端、親曾見仏不相瞞。至今応供四天下、春在梅梢帯雪寒。いはゆる見仏は、見自仏にあらず、見佗仏にあらず、見仏なり。一枝梅は見一枝梅のゆゑに、開花明々なり。

いま波斯匿王の問取する宗旨は、尊者すでに見仏なりや、作仏なりやと問取するなり。尊者あきらかに眉毛を策起せり、見仏の証験なり、相瞞すべからず。

至今していまだ休罷せず。応供あらはれてかくるゝことなし。親曾の見仏たどるべからず。

詮慧

〇天童段・・以手策起眉毛。「先師頌云、春在梅梢帯雪寒」、九億の衆生の内、三億の衆生見仏と云うも今の「見仏」の義也。ただ三十二相許りを見たるにてはなし。賓頭盧は諸有修功徳、柔和質直なり。仍って「見仏也」という。但九億皆見仏と云う義あり、三億を見る事は勿論。三億聞見仏と聞不可有勝劣、ゆえに見仏すと云うべし。三億不見不聞と云うも、今の即不見如来ぞ。見非相ぞ、非如来すと云う心地にては九億皆見仏と云うべし。

〇「春在梅梢帯雪寒」という、所詮仏と賓頭盧は、名異なれども、無差別程に、春と冬と梅とは在るべきを、今の風情に被取寄也。

経豪

  • 「見仏」と云う事は、いかにも能見所見の儀なくて、見仏と云う事、打ち任すは不可有。但今の見仏の義、非爾。ゆえに「見自仏にあらず、見他仏にあらず、見仏也」とあり。見仏は見仏が見仏する也。見仏の外に交物なきゆえに、此の定めに「一枝梅は、見一枝梅」なるべし。此の「一枝梅」は「見仏」なり、只尋常の梅華などと不可心得。一枝梅の外に余物なき、一枝梅なるべし。ゆえに「開花明々也」とは云うなり。この一枝梅の明らかなる所を、開花明々とは云う也。此の「一枝梅と見一枝梅と見仏」との道理、不可有相違となり。
  • 仏の説法五十年之間、随逐奉仕して、片時も仏辺を不奉離。賓頭盧尊者に対して、争か仏を奉見すや否やとは問すべき。始めてもあるべき理にあらず。是は尊者の姿は、見仏と云うべきか、作仏なるべきかと問取する也。何れにもあたるべき也。見仏の理をも不可背、作仏の理逃れるべからざる也。尊者眉毛を策起する姿が則ち「見仏」の道理なる也。ゆえに「見仏の証験」かくれずと云う也。
  • 是は雲雷音王仏の説法、いま此の大会、いまだむしろをまかずと云いしが如く、此の「眉毛策起、見仏の証験」の理、「至今して休罷せず」と云わるる也。「応供」とは仏の十号の名也。人天の供を可請給いき故に応供と名(づく)也。今「春在梅梢帯雪寒し」と云う道理が、今は応供にあたるべきがゆえに、「応供あらわれて、かくるる事なし」とは云うなり。

 

かの三億家の見仏といふは、この見仏なり。見三十二相にはあらず。見三十二相は、たれか境界をへだてん。この見仏の道理をしらざる人天声聞縁覚の類おほかるべし。

たとへば、払子を豎起するおほしといへども、払子を豎起するはおほきにあらずといふがごとし。

経豪

  • 「三億家」とは、九億の内、三億の衆生は仏を奉見、今三億の衆生は正しく、仏出世し給うと聞きながら、正しく奉見事はなかりき。今三億の衆生は、仏出世し給うと云う名字をも不聞、況や奉見仏事不思寄き、是を三億家とは云う也。但此の「三億家の見仏」の様、只尋常の色相荘厳の仏を奉見とこそ思うに、今の御釈には「三億家の見仏と云うは、この見仏也。見三十二相にはあらず、見三十二相は、たれか境界を隔てん」とあり、親曾見仏と見えたり。大いに不審也。然而定(んで)子細あるらん、追可一決事也(此事御聞書に委細也。不可有疑、奥に書載之、可見之)。
  • 是はたとえば示法について、払子をあぐる姿は同じけれども、真実に法の理に叶いて挙ぐる事多きにあらず。見仏の様も、只色相荘厳の仏を見る事多しと云えども、策起眉毛の親曾見仏は少なしと云う喩えに被引出也。

 

見仏は被仏見成なり。たとひ自己は覆蔵せんことをおもふとも、見仏さきだちて漏泄せしむるなり。これ見仏の道理なり。

恒河沙数量の身心を功夫して、審細にこの策起眉毛の面目を参究すべし。

たとひ百千万劫の昼夜、つねに釈迦牟尼仏に共住せりとも、いまだ策起眉毛の力量なくは、見仏にあらず。たとひ二千余載よりこのかた、十万余里の遠方にありとも、策起眉毛の力量したしく見成せば、空王以前より見釈迦牟尼仏なり。見一枝梅なり、見梅梢春なり。

しかあれば、親曾見仏は礼三拝なり、合掌問訊なり。破顔微笑なり、拳頭飛霹靂なり、跏趺坐蒲団なり。

経豪

  • 「見仏」と云うは、仏に見成せらるる也。自己ありて仏を奉見とは、不可心得。仏に見成せらるる道場也。ゆえに「自己は覆蔵せん事を思うとも」、覆蔵せらるべき道理なき也、其の故は見仏ならぬ時刻なきゆえに、いかにけにあらずと思うとも、「見仏さきだちて、漏泄せしむる也」とは云う也。
  • 「如恒河沙」と云えば、その事となく、身心の多からざらんずる様に聞こゆれども非爾。只身心を費やしても功夫参学すべき也。
  • 如文。「百千万劫の昼夜、つねに釈迦牟尼仏に共住すとも、この策起眉毛の力量なくば、見仏にあらず」と被嫌、尤其謂あり。「たとい二千余載よりこのかた、千(十)万余里の遠方にありとも、此の策起眉毛の力量したしく見成せば、空王以前よりの見釈迦牟尼仏なるべし」と被許也。「見一枝梅也」とあるを何事ぞと覚えたれども、見釈迦牟尼仏と見一枝梅との理等しきゆえに、如此いわゆる也。又「見梅梢春」とある詞、不被心得。但春の時節に、梅梢開華の道理あるべきかと覚ゆる所を、梅梢より春は出で来るぞと談ずれば、梅梢と春とのあわい解脱せらるる也。
  • 是は無別子細。只策起眉毛許りを、「親曾見仏」と取るべきにあらず。「礼三拝」も「合掌問訊」も、乃至「跏趺坐蒲団」も皆是「親曾見仏」の道理なるべしと云う也。

 

賓頭盧尊者、赴阿育王宮大会斎。王行香次、作礼問尊者曰、承聞尊者、親見仏来、是否。尊者以手撥開眉毛曰、会麼。王曰、不会。尊者曰、阿那婆達多龍王、請仏斎時、貧道亦預其数。いはゆる阿育王問の宗旨は、尊者親見仏来是否の言、これ尊者すでに尊者なりやと問取するなり。ときに尊者すみやかに眉毛を撥開す。これ見仏を出現於世せしむるなり、作仏を親見せしむるなり。

阿那婆達多龍王請仏斎時、貧道亦預其数といふ、しるべし、請仏の会には、唯仏与仏、稲麻竹葦すべし。四果支仏のあづかるべきにあらず。たとひ四果支仏きたれりとも、かれを挙して請仏のかずにあづかるべからず。

尊者すでに自称す、請仏斎時、貧道またそのかずなりきと。無端にきたれる自道取なり。見仏なる道理あきらかなり。

請仏といふは、請釈迦牟尼仏のみにあらず、請無量無尽三世十方一切諸仏なり。請諸仏の数にあづかる無諱不諱の親曾見仏なり。見仏見師、見自見汝の指示、それかくのごとくなるべし。阿那婆達多龍王といふは、阿耨達池龍王なり。阿耨達池、こゝには無熱悩池といふ。

経豪

  • 此の「阿育王」は、仏入滅後已後百年を経て、後の王なり。在世は波斯匿王也、問答詞、如文。「策起眉毛」も「撥開眉毛」も只同事也。此の尊者はまゆう療育園長くして、膝上までかかれり異相なるべし。見仏の理を顕わさるるも、毎度に以眉毛被答。又此の「会・不会」の詞も、例(えば)得失の義不可有。又尊者の「請仏斎時、貧道亦預其数」と被仰、まぎるる所なく、貧道仏也と「自道取」せらる。実にも「請仏斎せん時」は、仏ならぬ物非可交。今(の)「貧道亦預其数」の詞(は)、まぎるる所にあらず。「王問の宗旨は、尊者親見仏来是否の言」は如文。尊者はたとえば仏なるべしや、尊者なるべしやと問う也。尊者眉毛撥開の姿(は)、「見仏を出現於世せしむ」とあり、是れ則ち「見」の道理なるべし。
  • 如文。「請仏斎時」は実(に)「四果支仏」面にて、いかにも此衆に不可交なり。
  • 実(に)「貧道其数」の詞(は)、見仏なる道理あきらか也。「無端に来たれる自道取なるべし」、見仏の至極なる道理なるべし。
  • 「請釈迦牟尼仏」は只釈尊一仏に不可限、「請無量無尽三世十方一切諸仏」の道理なるべし。「無諱不諱」とは、はばからず自讃と云う心地なり。「貧道其数に預」と云う詞が「無諱不諱」とは云わるるなり。「見仏・見師・見自・見汝の指示それ如此」とは、此の「師・自・汝」等はやがて仏と同じき師自汝なるべし。
  • 如文無殊子細也。

 

保寧仁勇禅師頌曰、我仏親見賓頭盧、眉長髪短雙眉麁。阿育王猶狐疑、唵摩尼悉哩蘇嚧。この頌は、十成の道にあらざれども、趣向の参学なるがゆゑに拈来するなり。

詮慧

〇保寧仁勇禅師段・・唵摩尼悉哩蘇嚧。「我仏親見賓づる」と保寧は頌す、「王は狐疑」とつ

かう。この上は無別詞ゆえに、「唵まにしり」と云う也。。このだらにには、別の理のこもる

とは云わざるなり、此梵語必ずしも釈するに不可及。喝もあぐる拳頭をあぐる程の詞也。「狐

疑」とは見仏すや、いなや、と云う詞を疑と云う。しかれども、やがて狐疑の所、「見仏」を説く也。仏が「びんづる」かと疑えば、やがて「見仏」也。

経豪

  • 此の「保寧」は、臨済より八代の末、楊岐の方会の弟子也。今の保寧仁勇の詞は「我仏親

見びんづる」とあり、先段には賓頭盧、仏を親見すと云う道理尤もあるべき也。「眉長髪短」

とは、尊者の相貌の事也。「阿育王猶狐疑す」とは、尊者親見仏来是否の詞を、暫く「狐疑」

とは云うなり。然而始終疑うべきにあらず、即不中の理なるべし。「唵摩尼しりそろ」の呪

梵語也、只所詮無辺際。「我仏親見」の道理、狐疑の姿が如此云わるる也。又「十成の道

にあらざれども」とあり、いたく被許したる分はなけれども、「趣向の参学なるがゆえに」

とあり。聊か趣向の分はあるべきかと見えたり。此の「唵摩尼」の真言を、真言の方より付

字義釈せば、「唵」とは三身義也。「摩尼」は宝部接属之詞、「悉哩そろ」は成就の詞、或い

は又満足の義也。

 

趙州真際大師、因僧問、承聞和尚、親見南泉、是否。師曰、鎮州出大蘿蔔頭。

いまの道現成は、親見南泉の証験なり。

有語にあらず、無語にあらず。下語にあらず、通語にあらず。策起眉毛にあらず、撥開眉毛にあらず、親見眉毛なり。

たとひ軼才の独歩なりとも、親見にあらずよりは、かくのごとくなるべからず。

この鎮州出大蘿蔔頭の語は、真際大師の鎮州竇家園真際院に住持なりしときの道なり。のち

に真際大師の号をたてまつれり。かくのごとくなるがゆゑに、

見仏眼を参開するよりこのかた、仏祖正法眼蔵を正伝せり。正法眼蔵の正伝あるとき、仏見雍

容の威儀現成し、見仏ここに巍々堂々なり。

詮慧

〇趙州段・・大蘿蔔頭。この詞を親曾見仏と詞に引き寄せるなり。鎮州竇家園より、出大

蘿蔔の道理、同じ程の義なり。

経豪

  • 前には尊者(は)仏を親見すや否やと云い、又仏(は)尊者を親見すと云う義も出で来ぬ。

ここには又「趙州南泉を見是否や」と云わる。仏祖の皮肉まことに通ずる上は、祖師の師を

見是否と云う道理尤もあるべき也。此の答えに趙州、「鎮州出大蘿蔔頭」とあり。今の答詞、

大いに驚耳目ように聞こゆ、但今の「出蘿蔔頭」の姿、策起眉毛にも撥開眉毛にも、不可違。

此の「蘿蔔頭」の姿、趙州なるべきか、南泉なるべきか、又眉毛なるべきか、即不中の道理

なるべし。阿育王猶狐疑と云う詞も是等なるべし。「いまの道」とは、鎮州出蘿蔔頭を指す

歟。「親見南泉の証験」とあり、尤可信者也。

  • 是は親見蘿蔔也とぞありぬべきを、「親見眉毛」とあり、不被心得ように聞こゆ。但眉毛

と蘿蔔頭と親切なる道理の上に、如此談ずれば、眉毛も蘿蔔頭と、一なる理もあらわれ、蘿

蔔の眉毛なる姿もかくれず、親切の理かくれぬなり。

  • 是は無別子細。いかなる才学人也とも、此の親見仏の道理を不知人は、此の「出大蘿蔔頭」

の語あるべからずと讃嘆詞也。今の詞ふと指し出でたるように聞こゆ。其時趙州鎮州竇家園

と云う所に、住持したりし故に、「鎮州竇家園」(趙州蘿蔔の答えにこの釈ある歟)の詞は出

で来たる也。

  • 「見仏」と云う詞に付けて、「見仏眼を参開する」とあり、又見仏眼に付けて、「仏祖正法

眼蔵」とたよりあるに付けて被書出歟。只所詮「見仏の理を参開する」と云うは、「仏祖正

法眼蔵を正伝するなり。正法眼蔵の正伝あるとき、仏見雍容の威儀現成する」とは、仏見の

理の外に又余物なく、見仏の道理、全界に満足したる心地を云う也。見仏を仏見と上下せら

る例事也。「見仏」と云えば、旧見猶残る。「仏見」と云えば、仏与見(の)各別ならぬ道理

あきらかに聞こゆるなり。

見仏(終)

 

これは筆者の勉学の為に作成したもので、原文(曹洞宗全書・註解全書)による歴史的かなづかい等は、小拙による改変である事を記す。