正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵 第三十 看経   註解(聞書・抄)

正法眼蔵 第三十 看経   註解(聞書・抄)

 

 阿耨多羅三藐三菩提の修證、あるいは知識をもちゐ、あるいは經巻をもちゐる。知識といふは、全自己の佛祖なり。經巻といふは、全自己の經巻なり。全佛祖の自己、全經巻の自己なるがゆゑにかくのごとくなり。自己と稱ずといへども我儞の拘牽にあらず。これ活眼睛なり、活拳頭なり。

詮慧

〇「或いは知識を用い、或いは経巻を用いる」とは、「知識」とは人に仰せ、「経巻」とは法に仰す。今は「自己」と云う、自己は全也、大地有情同時成道の時、「全自己なり」。知識も成道となり、実相と云い唯心と云う、是れ「全自己の経也」。

〇「知識は全自己の仏祖也、経巻は全自己の経巻也」と云う、此の「看経」の様、打ち任すは「経」と又「見る」人と二つと覚ゆれども、能所自他なきゆえに、「全自己」と云う也。たとい「看」と云い、「経」と置けども、只「全自己」の道理のみ也。看の所に経はあり、経の所に看はあるなり。

〇「知識」と云えば、汝得吾皮肉骨髄也、これ「全自己」なり。「経巻」と云えば、諸法実相なり(これ全自己なり)。是等を知らずして、只知識経巻と云う事無詮事也。

経豪

  • 仏法と云う事は、総名にて、此内大小・権実・区々分れたり。今「阿耨多羅三藐三菩提」と云わるるは、究竟極妙の理を云うなり。是を「修証」する時、「経巻・知識を用いる」なりと云う也。先ず世間には祖門の仏法は不用経巻、不随知識と云う義、今の詞には相違せり。但し経巻知識の談じ様こそ違いたれ。是は又不承正師口伝者、難治事也。「知識と云うは、全自己の仏祖なり」と云う、打ち任すは僧一人を祖師と名づけたり。此の知識法を開演して衆生を化すると心得。今の「全自己の仏祖」とは、能化所化不可有、法界皆仏祖なるべし。以尽十方界、全自己の知識とは談ず也。「全自己の経巻」と云うも、又同之。是又打ち任すは紙朱軸の経巻、此の内に大小権実等の義を説くを「経巻」と名づけたり、今義是には不可滞、如知識可心得。此の全自己の知識を以て、やがて「経巻」と取るなり。知識与経巻、全非別物べし。
  • 如文。「自己と云えば」とて、我ぞ汝ぞと云う自己にあらずと云うなり。先の祖師の眼睛・拳頭、無辺際にして可尽法界、ゆえに「活眼睛也、活拳頭也」とは云うなり。此の眼睛、此の拳頭(は)、今の知識、経巻と等しかるべし。

 

 しかあれども、念經看經誦經書經受經持經あり。ともに佛祖の修證なり。しかあるに、佛經にあふことたやすきにあらず。於無量國中、乃至名字不可得聞なり、於佛祖中、乃至名字不可得聞なり、於命脈中、乃至名字不可得聞なり。佛祖にあらざれば、經巻を見聞讀誦解義せず。佛祖參學より、かつかつ經巻を參學するなり。このとき、耳處眼處舌處鼻處身心塵處、到處、聞處、話處の聞持受説經等の現成あり。爲求名聞故、説外道論議のともがら、佛經を修行すべからず。そのゆゑは、經巻は若樹若石の傳持あり、若田若里の流布あり。塵刹の演出あり、虚空の開講あり。

詮慧

〇華厳を見ん時は、三界唯一心と見る、是れ「名字不可得聞」なるべし。法華を見ん時は、唯有一乗法と見る。これ名字不可得聞也。「於無量国中、乃至名字不可得聞」と云うは、この無量国の注となりて、「於仏祖中とも於命脈中(此の命脈とは仏祖の命脈也)とも」云わるる也。無量の国の方にては、仏祖経巻なき国もありぬべしと云えども、「仏祖中の名字不可得聞」はあるべからずと聞こゆ。しかあれども仏祖中なるこそ、名字不可得聞なれども云うべき也。「名字不可得聞」と説くこそ、仏祖の本意なれ。この外の経巻不可有。

〇「為求名聞、外道等」を嫌えば、又取捨の法あるかと覚ゆれども、名聞の者外道を争か嫌わざらん、嫌わずば悪向けの者と成りぬべし。又嫌うと云えども、名聞者外道も、「若樹若石」の流布の方よりは漏らさず、「塵刹演出、虚空の開講」の上にて名聞也。外道なるにてこそあれ、捨てずと云えども、悪名聞くと隔つなり。

経豪

  • 前に談ずる「知識経巻」の様にては、「念経・看経・誦経・書経・受経・持経等」も無詮ようにこそ覚ゆれども、此の上に今の「経」共を用いん。殊甚深なるべし、一法に留めて法の理には背くづれ。如前云、「知識経巻」を心得て、其の上に「看経・誦経・書経・受経・持経等」せん。更不可背此理也。随寺院にも、さて有りなんの義ならねばこそ、誦経看経などと云う作法もくれぐれと説かるれ、顕然の事也。
  • 法華経』((「安楽行品」「大正蔵」九・三八下・注)に逢う事、余りに甚深の経にて、無量国中にも、乃至名字を聞く事得ずとら云う義も、一筋あるべき歟。今義は祖門の本意には可違歟。所詮此の「無量国中、乃至於仏祖中、於命脈中」が則ち法華の当体と談ずるゆえに、「不可得聞」とは法華の法華を可聞也。此の道理が知識経巻と云う事は有りとも、祖師西来已前は見聞せりけるゆえに、「非仏祖は見聞読誦解義せず」とはあるなり。
  • 此の所云の「耳処・眼処・舌処・鼻処・身心塵処・到処・聞処・話処」、何れも「聞・持・受・説経すべし」と云う也。打ち任すは耳処にてこそ聞と云う事はあれ、舌処にてこそ説経等はあるべきを、所右挙一一の「耳処・・乃至話処等にて、聞・持・受・説経等の現成あり」と云うなり。此道理は今の「耳処・眼処・・乃至話処等」が悉法華なるゆえに、如此被談也。
  • 如文。此の族曾て今の「仏経の理」をば不可知なり。
  • 若樹若石、乃至若田若里は、法華の流布すべき所とこそ思い習いたるを、今は此の「若樹若石、若田若里の姿」が、皆法華なるべし。全て此所は「法華の流布す」とは不心得。法華の外に若樹若石も若田若里も不可有、ゆえに「若樹若石は塵刹の演出なるべし、虚空の開講あり」。

 

 藥山曩祖弘道大師、久不陞堂。院主白云、大衆久思和尚慈誨。

 山云、打鐘著。院主打鐘、大衆才集。山陞堂、良久便下座、歸方丈。院主隨後白云、和尚適來聽許爲衆説法、如何不垂一言。山云、經有經師、論有論師、爭怪得老僧。

 曩祖の慈誨するところは、拳頭有拳頭師、眼睛有眼睛師なり。しかあれども、しばらく曩祖に拝問すべし、爭怪得和尚はなきにあらず、いぶかし、和尚是什麼師。

詮慧 薬山弘道大師段

〇「薬山・・争怪得老僧」、此の事字ごとに、心得べき型あり。只世間の情量に任せば、前後の詞(に)相違する型ありぬべし。其の故は阿耨多羅三藐三菩提の修証、或いは知識を用い、あるいは経巻を用いると云いて、その知識をば全自己の仏祖也。経巻は全自己の経巻也と云う上は、今「薬山曩祖」なれば、全自己の経巻の条不可疑。然者「久不陞堂」とあるも、いたづらなる懈怠とは争か不可疑。虚空の開講とあれば、「不陞堂」の暇なき歟。「院主、大衆」又不可有自他、全自己なる故に。又「和尚慈誨」何と定め難し。於仏祖中、乃至名字不可得聞とも、於命脈中、乃至名字不可得聞とも説く。「打鐘する」慈誨もあらん。「良久して下座、帰方丈」(も)和尚慈誨也。「不垂一言、なんぞ為衆説法の聴許する所あらざらん」と、まづ取り伏せて、知識の様も可心得。

〇「経に有経師、論に有論師」と云う、経論等を別にして、師をも出すべからず。経と師と論と師とは夢中説夢也。応以仏身得度者程の詞なり。凡そ経論師の大切とはなけれども、「拳頭に有拳頭師、払子に有払子師(眼睛に有眼睛師?)」と云う心地を挙ぐる也。たとえば、先に耳・眼・舌・鼻・身心・聞話・持・受・説等の現成を説きつるが如く、今の「拳頭師、眼睛師」は説くなり。しかれば耳師・眼師・舌師・鼻師とも云うべし。「経有経師」と云う心地(は)全自己なり。「拳頭師、眼睛師」と云う(は)、未聞事也。但し如此談ずる心地は、「経に経師あり」と云う同じ丈を出す也。始めに念経・看経・誦経・書経・受経・持経ありと云うも、「経に経師あり」と云う心地なれば、全自己と也。

〇「和尚是什麽師」と云うは、たとえば三界唯一心と説く時、三界はなきにあらず。如何ならんかこれ三界とも云わんが如し。又応以仏身得度者、即現而為説法と云わんが如し。

〇凡(ふつう)は「院主白云、大衆久思和尚慈誨」と云い、其の時「打鐘著」と云う、これ慈誨也。「打鐘、大衆才集。陞堂下座、帰方丈」、これこそ併(あわ)せて慈誨なるを諳(そら)んじて、「如何不垂一言」とは云うなり。打鐘著よりすでに説法し尽す也、全自己とこれらを云うなり。

〇「為衆説法は、不垂一言也」、是は則ち名字不可得聞の道理には叶うべき也。「為衆」はやがて「説法」なり、不可有能聴所聴也。不語話の時、即聞などと云う事を明らめずば、草木山河の説法はそるべき也。

経豪

  • 此の問答様、如文。所詮此の道理は、今「薬山の陞堂、下座、帰方丈」(の)詞が、「為衆説法」の義にてあるべきか。祖門の説法強ち高座して、挙声説経するを説法と許り不可云。此の姿尤も「為衆説法の理」なるべし。此の時は僧も院主も打鐘の姿も、皆「陞座の理」なるべし。山(の)詞に「経有経師、論有論師」とは、経に経師も有り、論に論師もあり、何ぞ老僧を怪しむと也。経もあり、論もあり、是も皆「説法の理」也。我計りが無言なるをば、何ぞや怪しむと云う也。
  • 此の経有経師、論有論師と云う詞は、「拳頭有拳頭師、眼睛有眼睛師」と云う程の詞也と云う也。仏祖の所有之拳頭眼睛不可有辺際義なり。
  • 是は開山の御詞也。「和尚是什麼師」は、此の和尚当体(を)、経にても論じても拳頭にても眼睛にても、何れにてもあるべき道理を、如此被述常事也。

 

 韶州曹谿山、大鑑高祖會下、誦法花經僧法達來參。高祖爲法達説偈云、

  心迷法華轉 心悟轉法華 誦久不明己 與義作讎家

  無念念即正 有念念成邪 有無倶不計 長御白牛車

 しかあれば、心迷は法花に轉ぜられ、心悟は法花を轉ず。さらに迷悟を跳出するときは、法花の法花を轉ずるなり。

 法達、まさに偈をきゝて踊躍歡喜、以偈贊曰、

  經誦三千部 曹谿一句亡 未明出世旨 寧歇累生狂

  羊鹿牛權設 初中後善揚 誰知火宅内 元是法中王

 そのとき高祖曰、汝今後方可名爲念經僧也。

 しるべし、佛道に念經僧あることを。曹谿古佛の直指なり。この念經僧の念は、有念無念等にあらず、有無倶不計なり。たゞそれ從劫至劫手不釋巻、從昼至夜無不念時なるのみなり。從經至經無不經なるのみなり。

詮慧 韶州曹谿山大鑑高祖段

〇「韶州曹谿山、大鑑高祖会下、誦法花経僧法達来参・・有無倶不計、長御白牛車」、此の段は今の看経の証拠を挙ぐるなり。凡そは依文不依義は、世間の常の習い也。ゆえに日来の有無の詞に依りて、執見を為す間、一向不依義を執すべしと云うにあらず。今の心地(は)文にも依らず、義にも依らざるべし。

〇「心迷法華転、心悟転法華」と云うは、心の上に迷悟を立つ。この迷悟は世界我等が常に談ずる迷悟にあらず。「転法華、法華転」とて、打ち替うる程の迷悟なり、差別也。誦して久しく明らめざりつる所を、今は「心迷、心悟」共に法華也と心得也。「誦久不明己」と云うは、只我等が読経事を指す也。ゆえに「義と讎家と」なるとは云う也。

〇無念有念、正邪の有無倶不計と云うとき正なり。この「正」は無念を正と云う正にはあらず。打ち聞く所は、無念の念正なり。有念の念成(正?)邪」と云う時に、現前に邪正ありとこそ覚ゆれども仏法を談ずる前には、迷悟是非の差別を不立、ゆえに「心迷法華転、心悟転法華」と云う。「羊鹿牛」車の三を云うまでこそあれ、「長御白牛車」と云う上は、「有無倶不計」とあれば、有無を解脱したるゆえに、「不計」と云うかと了見もありぬべし。この有無はもとより、世間の情を離れたり。ゆえに有無を劣に為して計らぬにてはなし。この有無は計らざる有無と心得うべし。

〇「初中後善揚」と云うは、仏法には此の三時皆「善」と云う也。ゆえに「誰知火宅内、元是法中王」とは云う。この「善」は前後三三の「三三」を「善」と云うなり。

〇誰知火宅内、元是法中王と云う「元法中王」とは、やがて此の三界の「火宅」を指すなり。

〇「念経僧」と云う、此の「念」すでに有無を解脱する念なり。「経」は「従経至経無不経なるのみ也」と云う、「従昼至夜無不念時なり」。

〇「従劫至劫」と云うは、所詮心迷心悟、転法華、法華転と云う事を述ぶるゆえに、「従経至経不経なり」。若念経の時、中を、従劫至劫と心得は、時劫に、被転たるものなるべし。又しかにはあらず。

経豪

  • 是又高祖与法達問答如文。「心迷の時は被法華転、心悟の時は転法華」、是れ則ち超越三世九世、跳出迷悟する法華の道理、如此なるべし。此理の所落居は、只法華の法華を転ずるなり。
  • 是又文に聞こえたり。「累生狂」とは、物狂いなる事を云うなり。「初中後善揚」とは、法華は初善中善後善、法華ならずと云う事なし、此の心也。抑も法華の道理、三世隠顕に拘わらず。法華ならぬ時節蹔くも不可有、法達こそ「未明出世旨」とも、法華の方よりは、三千部読誦の法華経、何ぞ心迷法華転、心悟転法華の道理を背すにと云う。一義もあるべけれども、ここには只如今文、「経誦三千部、曹谿一句亡ず」と云う義にてあるべき也。
  • 法達が偈後、高祖如此被許しけり。
  • 如文。詮は「有念無念を離れたる」を、可為念経僧歟。
  • 「従劫至劫」経ならずと云う事なく、「従昼至夜」念ならずと云う時なし。此の道理は又「従経至経不経」と云う道理也。是は先師御詞也。

 

 第二十七祖東印度般若多羅尊者、因東印度國王、請尊者齋次、國王乃問、諸人盡轉經、唯尊者爲甚不轉。祖曰、貧道出息不隨衆縁、入息不居蘊界、常轉如是經、百千萬億巻、非但一巻兩巻。

 般若多羅尊者は、天竺國東印度の種草なり。迦葉尊者より第二十七世の正嫡なり。佛家の調度ことごとく正傳せり。頂□(寧+頁)眼睛、拳頭鼻孔、拄杖鉢盂、衣法骨髓等を住持せり。われらが曩祖なり、われらは雲孫なり。いま尊者の渾力道は、出息の衆縁に不隨なるのみにあらず、衆縁も出息に不隨なり。衆縁たとひ頂□(寧+頁)眼睛にてもあれ、衆縁たとひ渾身にてもあれ、衆縁たとひ渾心にてもあれ、擔來擔去又擔來、たゞ不隨衆縁なるのみなり。不隨は渾隨なり。このゆゑに築著磕著なり。出息これ衆縁なりといへども、不隨衆縁なり。無量劫來、いまだ入息出息の消息をしらざれども、而今まさにはじめてしるべき時節到來なるがゆゑに不居蘊界をきく、不隨衆縁をきく。衆縁はじめて入息等を參究する時節なり。この時節、かつてさきにあらず、さらにのちにあるべからず。たゞ而今のみにあるなり。

 蘊界といふは、五蘊なり。いはゆる色受想行識をいふ。この五蘊に不居なるは、五蘊いまだ到來せざる世界なるがゆゑなり。この關棙子を拈ぜるゆゑに、所轉の經たゞ一巻兩巻にあらず、常轉百千萬億巻なり。百千萬億巻はしばらく多の一端をあぐといへども、多の量のみにあらざるなり。一息出の不居蘊界を百千萬億巻の量とせり。しかあれども、有漏無漏智の所測にあらず、有漏無漏法の界にあらず。このゆゑに、有智の知の測量にあらず、有知の智の卜度にあらず。無智の知の商量にあらず、無知の智の所到にあらず。佛々祖々の修證、皮肉骨髓、眼睛拳頭、頂□(寧+頁)鼻孔、拄杖拂子、□(足+孛)跳造次なり。

詮慧 般若多羅尊者段

〇「第二十七祖東印度般若多羅尊者、因東印度国王、請尊者斎次、国王乃問、・・非但一巻両巻」。これ不触事而知、不対縁而照の義なり。争か我等、衆縁和合の身を持ちながら、「出息不随衆縁」ならん。入息も、又々如此、然者世間の読誦様には変るべし。此の出入息の転経の百千万巻は、さらに員の多小(少?)に関わるべからず。ゆえに「非但一巻両巻」とは云う也。「常転如是経」とは、今の「不随衆縁、不居蘊界」なり、出息経なり、入息経なり。「不随衆縁」は尽十方界真実人体の人なり、三界唯一心也。衆縁と談ずるも「不随衆縁」なるべし、不触事而知是なり。打ち任し心得には、「人(尽?)転経す、尊者何としてか不転」と被問、答うには、「貧道出息不随衆縁、入息不居蘊界、常転如是経」とあれば、尊者なべて人には異にして、不随衆縁にもあり、不居蘊界にてもあるなり。ゆえに経を読むとこそ見えねども、読むなりなどと云いぬべけれども、今の義は異なり。争か衆縁和合の身、出づる域、随わざらん。今はこの経が不随衆縁なるなり。「衆縁たとい渾身にてもあれ、擔来擔去」とある時に、不随縁と経は心得るなり。経というものを余所に置きて、読とは不可云。烈焔互天仏説法、互天烈焔法説仏と云うにて可心得。経と誦する人と、非一非二、仏祖の上には無経也。

五蘊五陰と云い替えたるは、只同事也。旧訳新訳の相違なり。

〇「有智の知の測量にあらず、有知の智の卜度にあらず。無智の知の商量にあらず、無知の智の所到にあらず」と云う、此の「智与知」之間、能々可心得。衆生の慮知念覚の知を不可用。ゆえに「仏々祖々の修証、皮肉骨髄、眼睛拳頭、頂□(寧+頁)鼻孔、拄杖払子、□(足+孛)跳造次也」と云う。先に般若多羅尊者は、第二十七世の正嫡也。仏家の調度悉正伝せりと云う。頂□(寧+頁)眼睛、拳頭鼻孔、拄杖鉢盂、衣法骨髄等を住持せりと云う。此義をいづくにても忘るべ可らず。

経豪

  • 尊者の様、文に明らけし。今の「出息の衆縁に不隨なる」とは、香を嗅ぎて是に不被礙を「衆縁に不隨」と心得を、是は非爾。此の出息をやがて衆縁と談ずる間、不随なる道理也。又此の「不随なるのみに非ず、衆縁も出息に不随也」とは、只同事なるべし。所詮出息と衆縁とを、各別に思う事を被嫌なり。
  • 「衆縁」と云うに付けて、「頂□(寧+頁)眼睛にても、渾身にてもあれ、擔来擔去、又擔来ただ不随衆縁」とは、何れとも云え、只「不随衆縁也」と云う心地也。それが、かかる故に不随とは云わず、只「不随衆縁の道理」也。但し不随と云えばとて、又只物に随わずと許り、世間の様に不可心得。此の「不随は渾随の道理」也、即不中の道理也。不随の上は、渾随の義あるべき也。故に「不随は渾随也」と云う也。「築著磕著」とは、つき当てかき当つる義也。所詮何れにも当たり義を云う歟。
  • 「出息を衆縁なりと云えども、不隨衆縁也」とは、強為の法にあらず。只不随衆縁の独立する姿を表すなり。物に関わりて不随とは云わず、已下如文。「而今」とは、此の不随衆縁の理の現るる時刻を指す也。
  • 是は「衆縁はじめて入息等を参究する時節」は、前後の論を超越して、只解脱の理のみ也と云う心地なるべし。
  • 是は前には、出息不随衆縁の義を被釈、是は入息不居蘊界の詞を被釈也。入息尤も蘊界に居すべきかとこそ覚えたれ。但し此の入息の当体即五蘊なる上は、五蘊に不居なる道理なるべし。入息を五蘊と談ずるゆえに、「五蘊未到来」の時節とも云いつべし。
  • 如文。所右挙の道理を「関棙子」とは指すなり。此の出息の不随衆縁、入息の不居蘊界なる道理を以て、「常転如是経、百千万億巻、但一巻両巻」とは、尊者は被仰たりと也。「百千万億巻」と云えば、多少の数を挙げて似たりと云えども、多くの量のみにあらず、八九成程の数なるべし。
  • 如文。「一息出の不居蘊界の理程に、百千万億巻の道理」をも可心得。只打ち任せたる数の百千万億にては不可有也。

東印度国王は徳勝王と云う。般若多羅尊者と者、婆羅門子也。南天竺不如密多の弟子也。密多南印度国王、堅固王の太子也。

入息を五蘊と談ず、ゆえに入息ない間、不居蘊界と云う也。出息は衆縁仍不随衆縁なり。

 

 趙州觀音院眞際大師、因有婆子、施淨財、請大師轉大藏經す。師下禪床、遶一匝、向使者云、轉藏已畢。使者廻擧似婆子。婆子曰、比來請轉一藏、如何和尚只轉半藏。

 あきらかにしりぬ。轉一藏半藏は婆子經三巻なり。轉藏已畢は趙州經一藏なり。おほよそ轉大藏經のていたらくは、禪床をめぐる趙州あり、禪床ありて趙州をめぐる。趙州をめぐる趙州あり、禪床をめぐる禪床あり。しかあれども、一切の轉藏は遶禪床のみにあらず、禪床遶のみにあらず。

詮慧

〇「趙州観音院真際大師、因有婆子、施浄財・・如何和尚只転半蔵」

「禅床を下匝」、只看経の一の面目也、故に相互廻と云う。向色経巻読、其の詞は、世間転経の義なり。「下禅床遶一匝する」、是は仏法の談なり。すでに上に為衆説法と云う所には、不垂一言と説く、読経の所には、不出息と説く。是等にて心得には、世間の読経は読文字許り、其の経の本意は「下禅床遶一匝」これ也。

〇「おおよそ転大蔵経のていたらくは、禅床をめぐる趙州あり、禅床ありて趙州をめぐる。趙州をめぐる趙州あり、禅床をめぐる禅床あり」と云うは、出息不随衆縁、入息不居蘊界の道理なり。「禅床下を下りて遶一匝」と云うも、世間の詞に付きては不可心得。すでに先師の御詞には、「禅床をめぐる趙州あり、禅床ありて趙州をめぐる。趙州をめぐる趙州あり、禅床をめぐる禅床あり」と云う。すべて彼此能所なきなり。又この転大経は、禅床を遶るには限らざるべし。

〇「半蔵一蔵」事、全半の詞、已に此の宗門に談じ古す所なり。全与半、不差別、無勝劣也。

経豪

  • 問答次第、委しく見于文。看経(は)打ち任せたる様にはなくて、「遶禅床の姿を半蔵」とは云う歟。此の婆子も実に力量なくては、争か此詞あるべき。「婆子経三巻」とは、転一蔵と半蔵と婆子とを、蹔く「三巻」とは云う歟。又「趙州経一蔵」とは、以祖師、名経歟(三巻は前三三後三三の心地歟、故三巻は半蔵なり、一蔵一も、数量の一にあらざれば、半の心もある歟。故に一も半も転蔵也)。
  • 今の「転大蔵経」の様、趙州与禅床あわい、尤如此道理あるべき也。
  • 実に今の「転大蔵経の道理」、只禅床をめぐり禅床にめぐらるる許りの道理に留まるべきにあらず、無尽の理あるべき也。

 

 益州大隋山神照大師、法諱法眞、嗣長慶寺大安禪師。因有婆子、施淨財、請師轉大藏經。師下禪床一匝、向使者曰、轉大藏經已畢。使者歸擧似婆子。婆子云、比來請轉一藏、如何和尚只轉半藏。

 いま大隋の禪床をめぐると學することなかれ、禪床の大隋をめぐると學することなかれ。拳頭眼睛の團圝のみにあらず、作一圓相せる打一圓相なり。しかあれども、婆子それ有眼なりや、未具眼なりや。只轉半藏たとひ道取を拳頭より正傳すとも、婆子さらにいふべし、比來請轉大藏經、如何和尚只管弄精魂。あやまりてもかくのごとく道取せましかば、具眼睛の婆子なるべし。

詮慧 益州大隋山神照大師段(法諱法真、嗣長慶寺大安禅師)

〇「因有婆子、施浄財・・如何和尚只転半蔵」、先には相互にめぐると説く。此段には「めぐるとのみ学する事なかれ」と云う也。是にめぐるに汚染せられぬべきゆえなり。今の義すでに転経と云う上は、めぐると云う詞を別に為すべきにあらず。今の経の様が禅床を遶るを転経と云う。師の詞も婆子が詞も、一字あり替わる事はなけれども、今了見するに、先師御釈し替えらる。そのゆえは、「禅床の大随をめぐると学する事なかれ。拳頭眼睛の団圝のみにあらず」とあり。先段には婆子の見を許すに似たり。今は又「未具眼なりや」と被不審。婆子が詞、替わるべきならねども、同事を挙ぐるなれば、先を真似したる疑いもなかるべきにあらぬゆえに、「弄精魂」ともなどか云いさらんとなり。「禅床をめぐる」と云う経もあり、「拳頭眼睛の団圝」とも云う。今は又「弄精魂」とも云う時に、具眼の所には残る詞あるべからず。

〇「団圝」と云うは、まろ(丸)しと云う心地なり。是も「転」に付けたる詞なり。ゆえに「団欒のみにあらず」と云うなり。法性のにみあらず、真如のみにあらず、有仏性のみにあらず、無仏性のみにあらずと云うは、やがてこれのみと説く心なり。

〇「作一円相、打一円相」と云うは(夢中説夢なり、頭上安頭の心なるべし)、この「作」は作業にあらず。やがてただ一円相打つと云う詞これなり。

〇「只管弄精魂」と云うは(下禅床心地なり、又転大蔵経の心地なり)、この「弄精魂」いたづらなる精魂にはあらず。精魂を指して転大蔵経と云わんとにはあらず(先には禅床をめぐると云い、後には拳頭眼睛と云い、又精魂とも云うなり)。ただ転大蔵経を心得る時の詞に、「弄精魂」とは云わるるなり。

経豪

  • 是は前の趙州の段に、只祖師の名字の談じたる許りなり。聊かも不違也。御釈の詞の違いたる様なれども、是又其意同じかるべし。
  • 前趙州段には、禅床をめぐり、禅床趙州を廻ると云う。ここには「大随の禅床を廻ると学する事なかれ、禅床の大随を廻ると学する事なかれ」と云う、面の詞変われども、只同理なり。又禅床をめぐり、めぐらずの沙汰をば差し置きて、只一円相を作ると談ずる道理も又あるべき所を被釈也。此の禅床をめぐり、禅床の祖師を廻る姿が「一円相せる打一円相」の道理なる也。
  • 是は婆子をしばらく受けて、「有眼未具眼也や」と被不審也。
  • 此の「転大蔵経の理」、必ず(しも)禅床をめぐり、禅床にめぐらるる理許りにて止むべきにあらず。又「転半蔵」と許り云う義にも不可止、婆子其の物ならば云うべし。「比来請転大蔵経、如何和尚只管弄精魂」とは、如前云、只転半蔵経の詞許りにて不可有。かかる詞もありぬべしと、先師被仰也。此の「弄精魂」とは、此の祖師の精魂不可有辺際、以尽界可為精魂、此精魂又転大蔵経なるべし。如此婆子云わば、其の力量あらわれぬべしと云う也。

 

 高祖洞山悟本大師、因有官人、設齋施淨財、請師看轉大藏經。大師下禪床向官人揖。官人揖大師。引官人倶遶禪床一匝、向官人揖。良久向官人云、會麼。官人云、不會。大師云、我與汝看轉大藏經、如何不會。

 それ我與汝看轉大藏經、あきらかなり。遶禪床を看轉大藏經と學するにあらず、看轉大藏經を遶禪床と會せざるなり。しかありといへども、高祖の慈誨を聽取すべし。

 この因縁、先師古佛、天童山に住せしとき、高麗國の施主、入山施財、大衆看經、請先師陞座のとき擧するところなり。擧しをはりて、先師すなはち拂子をもておほきに圓相をつくること一匝していはく、天童今日、與汝看轉大藏經。便擲下拂子下座。

 いま先師の道處を看轉すべし、餘者に比準すべからず。しかありといふとも、看轉大藏經には、壱隻眼をもちゐるとやせん、半隻眼をもちゐるとやせん。高祖の道處と先師の道處と、用眼睛、用舌頭、いくばくをかもちゐきたれる。究辨看。

詮慧

〇此段の詞、不異先段。「遶禅床を看転大蔵経と学するにあらず、看転大蔵経を遶禅床と会せず」と云う、たとえば、彼是同じと説くは、猶相待妙の心地なり。彼とも云わず、是とも云わずと説けば、絶待妙に当るかと聞こゆ。かく説くも猶相待妙の心地を以て、対せざらんを円と云わんずるように聞こゆ。この宗門には然らず。「遶禅床を看転大蔵経と学するにあらず、看転大蔵経を遶禅床と会せざる」を「看転大蔵経」と云うなり。

天台の義に妙を立つと云えども、此上猶「相待妙、絶待妙」(『法華玄論』二「大正蔵」三四・三七一c二七・注)と立て相待妙を捨てて絶待妙を取る。抑も非待妙非絶妙ありなんや、然而天台釈妙と云う許りにては、相待も絶待も共に非本意。まして三妙の位を立てんこと不可然歟、ゆえに天台の義にも聞こえず。但し他門にこそ談ぜね、此門にはなどかなからん。全機と談ずるこそ、非待非絶なれ。又遶禅床を看転大蔵経と不学して、遶禅床し、看転大蔵経を遶禅床と会せざるを看転大蔵経と云う心なり。

〇諸法実相と説く、経やがて如文字。諸法実相と読む理には叶えども、理をば知らず。義に達する文字の沙汰は斯くにはあるまじ、経と聞く時は能所あり。「我与汝看転大蔵経」と云う時に、看転経の本意には、我与大地有情同時成道の我与なり。吾亦如是、汝亦如是の汝なるべし、これこそ実相なれ。

〇天童は挙先因縁、「以払子円相を作る」、是れ遶禅床。「擲下払子下座」す、是又自禅床下に同じ。

〇「看転大蔵経には、壱隻眼を用いるや、半隻眼を用いるや」と云う、「看」の字に付けて、「眼」の字を云う。しかるに「高祖道、先師道処と、用眼睛、用舌頭」と云う、しかあれば、一隻眼を用いると聞こゆる方もあれども、又不用の道理あるべし。ゆえに「用いるとやせん」とは云うなり。「一隻眼を用いる歟」と、受けて云う心は、「我と汝」と云う心地也。「用眼睛」は看経の「看」に付けて、「用舌頭」は転読に付くかと聞こゆれども、二にはあらざるべし。究辨と云うがゆえに、「究辨看」と云うは、高祖先師共に「究辨する」と云うなり。

経豪

  • 此段、又趙州大随段に大略同之。但し此段には「官人与大師、二人遶禅床事、揖事、会麽詞、不会詞、我与汝詞」等の加えたる許り也。但し此の詞添えたればとて、聊かも理も違いたる事不可有、只同心なるべし。
  • 此の「我与汝」の詞、吾亦如是、汝亦如是の「我与汝」也。「遶禅床を強ち看転大蔵経と不可学」。只看経大蔵経をば、看経大蔵経にて置かんの心地也。いづれの義も看転大蔵経の理に有るべからざらん上は、遶禅床を執して、看経大蔵経とせしと云う義なり。是を又斯く云えばとて、嫌いて捨つる義には不可有。所詮此の両三段の意趣、様々なるべし。其の故は一には禅床をめぐり、禅床にめぐらる。禅床をめぐる禅床有りと云う心地一筋。又一には大随の禅床を廻ると学する事なかれと云う義一。又次には「遶禅床を看転大蔵経と学する事なかれ、看転大蔵経を遶禅床と会せざるなり」と云う義、如此区なる様なれども、総て勝劣浅深義あるべからず、只同理なるべし。
  • 如文。所詮「擲下払子も下座の姿も先師の姿も」皆看転大蔵経の理なるべし。
  • 此の「一隻眼」とは、沙門一隻眼の「眼」なるべし。半隻眼又多少の義に非ず。一隻の上の半隻なるべし。洞山の詞、先師の詞を「用眼睛、用舌頭」と云うなり。「いくばくか用い来たれる」とは、いくばくも用い来たる道理なるべし、即不中義也。

 

 曩祖藥山弘道大師、尋常不許人看經。一日、將經自看、因僧問、和尚尋常不許人看經、爲甚麼卻自看。師云、我只要遮眼。僧云、某甲學和尚得麼。

 師云、儞若看、牛皮也須穿。

 いま我要遮眼の道は、遮眼の自道處なり。遮眼は打失眼睛なり、打失經なり、渾眼遮なり、渾遮眼なり。遮眼は遮中開眼なり、遮裡活眼なり、眼裡活遮なり、眼皮上更添一枚皮なり。遮裡拈眼なり、眼自拈遮なり。しかあれば、眼睛經にあらざれば遮眼の功徳いまだあらざるなり。

 牛皮也須穿は、全牛皮なり、全皮牛なり、拈牛作皮なり。このゆゑに、皮肉骨髓、頭角鼻孔を牛浮の活計とせり。學和尚のとき、牛爲眼睛なるを遮眼とす、眼睛爲牛なり。

〇「曩祖薬山弘道大師、尋常不許人看経・・師云、你若看、牛皮也須穿」。

「我只要遮眼」と云うは、すでに「遮眼の自道処と云う、遮眼は打失眼睛、打失経、渾眼遮、渾遮眼」と云えば、看経の詮なきように聞こゆ。眼を遮らん物を見ましきとこそ聞こゆれ。実も世間に眼に見て読む経は、今の看経の方よりは、眼に遮るとも云いつべし。「遮眼」と云うは、一隻眼を用いるや、半隻眼を用いるとやせんと云う所に顕わなり。

〇「某甲学和尚得麼」と云うは、先の洞山悟本大師段に、我与汝看経大蔵経と云う詞と可心得。

〇「遮眼は遮中開眼」と云うは、遮中に開眼と云いつる時に、開眼上は世間に云う遮りとは不可云。

〇「眼皮上更添一枚皮」と云うは、無別事。只眼となり、以眼睛を礙ゆると也。眼の外に牛皮を談ずる所を、「更添一枚」とは云うなり。

〇「眼睛経」とは、今の看経なり。

〇「牛皮也須穿」と云うは、「牛為眼睛」と云う也。この時を牛皮をも見通すと云うべし。「遮眼」と云うも、「牛為眼睛」なるべし。「牛皮」と云う事、何事に被取り寄せたるぞと覚ゆれば、厚くして通り難きとも云え。是はその義あるまじき見の様なれども、遮眼の開見なる程に、「眼」と「皮」とを各別せずして、心得るに通るべしとは、つがう脱落の義也。

経豪

  • 師与僧問答、聞于文たり。又師の看経を僧に被問て、「我只要遮眼」とあり。「我」と云うは、薬山事歟。「遮眼を要す」とは、眼に遮えられたりと云う也。「それ(某甲)」と云うは、全眼なる理なるべし。打ち任せたる「看経」と云うは、以眼看経、尋常事也。是は以眼看経と談ず。是仏祖の看経の道理也。「牛皮也須穿」と云う詞ふと指し出でて、立耳ように聞こえれども是皆又「遮眼の道理」なるべし。奥に委しく可被釈。「遮眼の自道処」とは、薬山の道とこそ覚ゆるを、所詮今は薬山も遮眼なるべし、仍て「遮眼の自道処」とは云う也。
  • 「遮眼は打失眼睛也」とあり、「打失」と云えば失せたるように聞こゆ。非其義、只全眼睛なる姿を、「打失眼睛」とは云う也。「打失経」又同じ全経を云う也。又「渾眼遮也、渾遮眼也」などと被釈之也。とかく面は替えて云わるれども、所落居は全眼の理なるべし。
  • 是は「皮」の詞は牛に付けて被云い出したれども、只「眼」と云う心地也。「添一枚」と云う詞は、打失眼睛なるべきか、打失経なるべきかと云う程の詞也。「添」と云う詞も、眼睛与経を二枚とも重ぬとも云えども、其心只同事也。
  • 如文。非尋常牛条顕然なり。
  • 是等の詞等、皆牛に付けたる詞共なれば、被引載とも、世間の牛の調度とは不可心得。「皮」も全皮、「肉」も全肉なるべし。「骨髄頭角鼻孔鼻」同前なり。
  • 如文。所詮此の「牛を以て眼睛」とし、「遮眼の道理」とすべき也。

 

 冶父道川禪師云、

  億千供佛福無邊 爭似常將古教看

  白紙上邊書墨字 請君開眼目前觀

 しるべし、古佛を供ずると古教をみると、福徳齊肩なるべし、福徳超過なるべし。古教といふは、白紙のうへに墨字を書せる、たれかこれを古教としらん。當恁麼の道理を參究すべし。

詮慧

〇この段の心を見るには、「億千の供仏福無辺」は劣にして、「古教」をば勝ると云うべき歟。福無辺なれば、古教を看るに似たらんとて、供仏を勝りたると可云歟。但し「争似常将古教看」と云う時に、古教勝ると覚ゆ。其の上ただ「白紙に書墨字」と、いたずらに見んこそあらぬ。すでに「請は君開眼して目前観」すべしと云う時に、古教を見んにも二様を心得て、世間に其の義を明らめたる事もなくて、白紙の上の墨字を見ると、又開眼して今の看経の心地にて見んと二なるべし。又看経の義に落居しぬる供仏と、古教と二なることなし。牛皮と云いて看と云うも一なるべし、この看経の義、再三証明する詞也。

〇億千の諸法福無辺、争似常将実相談と云わんが如し。億千の三界も似一心とも云うべし。「古教」は勝れ、「供仏」は劣と云うべからず。

〇「福徳斉肩なるべし、福徳超過なるべし」と云うは、此詞難心得。「斉肩」と云うは斉(ひと)しと云うなり。「超過」と云うは超ゆるなり。然而世間の斉と超とにはあらず、ゆえに共に可用也。

〇「古教と云うは、白紙の上に墨字を書せる」と云うは、「古教」と云わん上には、白紙はいか程を取り、墨字は何程と分け難し、只是「古教」なり。白紙と文(墨?)字とは、別に置きて、この草子もしは巻軸の書にてあるを、古教と総名に付けんとにはあらず。白紙も墨字も古教となり。

〇出息不随衆縁、入息不居蘊界は、白紙と墨字と不可心得。

〇「白紙の上に墨字を書せる、たれか是を古教と知らん」と云う、打ち任せて、紙に書き付けたる文字をこそ、古教とは知る習いたれども、誰知ると云われぬる上は、心を付けて見るべし。誰知らんと云う内にも心あるべし。この看経を云うに、供仏古教の差別勝劣なし、教を紙ぞ文字ぞと分くべきなし。又人ありて読むとも不可云、此の時は非吾非誰べし。然者「誰かこれを古い教と知らん」とも云うべし。

〇「開眼目前観」とは、此の「開眼」は心眼白紙に書ける文字を読みにてはなし。遮眼ほどの道理を心得よとなり。

経豪

  • 如文。億千供仏よりも、此経を読誦せん功徳勝るべしと、経には説之。今川老の詞も、此経を頌する文なり。「君開眼目前観」とは、「君」とは仏祖とも云う程の詞歟。今の看経をも、「君」と可云歟。「開眼」者全眼心なるべし。「目前観」も以全眼理、可心得。
  • 此詞、参差すと聞こゆ。「斉肩」の詞の打ち任せたる道理にはあらぬべきを、「福徳超過」すと云えばとて、勝劣の義にあらず。看経の上の「斉肩超過」なるべし。又経に已に古仏を供養よりも、猶福徳超過すとあれば、経の文を不違。如此被載たれども、更非浅深勝劣義也。仏を供養する時も、経を讃嘆する時も、此仏経を讃嘆する時は、余経余仏には不及と談之。然而是又仏の上、経の上の勝劣取捨不可有。是程の超過なるべし。
  • 是は全経の道理が如此云わるる也。能知人不可有故也。

川老金剛経注頌云(金剛経能除業障分第十六を頌する文也)、此品文は、須菩提我念過去無量阿僧祇劫、於然燈仏前、得値八百四千万億那由他諸仏、悉皆供養承事無空過者、若復有人於後末世、能受持読誦此経所得功徳、於我所供養諸仏功徳、百分不及一千万億分、乃至算数譬喩所不能及云々(『金剛般若波羅蜜経』「大正蔵」八・七五〇c二七・注)

 

 雲居山弘覺大師、因有一僧、在房内念經。大師隔窓問云、闍梨念底、是什麼經。僧對曰、維摩經。師曰、不問儞維摩經、念底是什麼經。此僧從此得入。

 大師道の念底是什麼經は、一條の念底、年代深遠なり、不欲擧似於念なり。路にしては死蛇にあふ、このゆゑに什麼經の問著現成せり。人にあうては錯擧せず、このゆゑに維摩經なり。おほよそ看經は、盡佛祖を把拈しあつめて、眼睛として看經するなり。正當恁麼時、たちまちに佛祖作佛し、説法し、説佛し、佛作するなり。この看經の時節にあらざれば、佛祖の頂□(寧+頁)面目いまだあらざるなり。

 現在佛祖の會に、看經の儀則それ多般あり。いはゆる施主入山、請大衆看經、あるいは僧衆自發心看經等なり。このほか、大衆爲亡僧看經あり。

 施主入山、請僧看經は、當日の粥時より、堂司あらかじめ看經牌を僧堂前および諸寮にかく。粥罷に拝席を聖僧前にしく。ときいたりて僧堂前鐘を三會うつ、あるいは一會うつ。住持人の指揮にしたがふなり。

 鐘聲罷に、首座大衆、搭袈裟、入雲堂、就被位、正面而坐。

 つぎに住持人入堂、向聖僧問訊燒香罷、依位而坐。

 つぎに童行をして經を行ぜしむ。この經、さきより庫院にとゝのへ、安排しまうけて、ときいたりて供達するなり。經は、あるいは經函ながら行じ、あるいは盤子に安じて行ず。大衆すでに經を請じて、すなはちひらきよむ。

 このとき、知客いまし施主をひきて雲堂にいる。施主まさに雲堂前にて手爐をとりて、さゝげて入堂す。手爐は院門の公界にあり。あらかじめ裝香して、行者をして雲堂前にまうけて、施主まさに入堂せんとするとき、めしによりて施主にわたす。手爐をめすことは、知客これをめすなり。入堂するときは、知客さき、施主のち、雲堂の前門の南頬よりいる。

 施主、聖僧前にいたりて、燒一片香、拝三拝あり。拝のあひだ、手爐をもちながら拝するなり。拝のあひだ、知客は拝席の北に、おもてをみなみにして、すこしき施主にむかひて、叉手してたつ。

 施主の拝をはりて、施主みぎに轉身して、住持人にむかひて、手爐をさゝげて曲躬し揖す。住持人は椅子にゐながら、經をさゝげて合掌して揖をうく。施主つぎにきたにむかひて揖す。

 揖をはりて、首座のまへより巡堂す。巡堂のあひだ、知客さきにひけり。巡堂一匝して、聖僧前にいたりて、なほ聖僧にむかひて、手爐をさゝげて揖す。このとき、知客は雲堂の門限のうちに、拝席のみなみに、おもてをきたにして叉手してたてり。

 施主、揖聖僧をはりて、知客にしたがひて雲堂前にいでて、巡堂前一匝して、なほ雲堂内にいりて、聖僧にむかひて拝三拝す。拝をはりて、交椅につきて看經を證明す。交椅は、聖僧のひだりの柱のほとりに、みなみにむかへてこれをたつ。あるいは南柱のほとりに、きたにむかへてもたつ。

 施主すでに座につきぬれば、知客すべからく施主にむかひて揖してのち、くらゐにつく。あるいは施主巡堂のあひだ、梵音あり。梵音の座、あるいは聖僧のみぎ、あるいは聖僧のひだり、便宜にしたがふ。

 手爐には、沈香箋香等の名香をさしはさみ、たくなり。この香は、施主みづから辨備するなり。

 施主巡堂のときは、衆僧合掌す。

 つぎに看經錢を俵す。錢の多少は、施主のこゝろにしたがふ。あるいは綿、あるいは扇等の物子、これを俵す。施主みづから俵す、あるいは知事これを俵す、あるいは行者これを俵す。俵する法は、僧のまへにこれをおくなり、僧の手にいれず。衆僧は、俵錢をまへに俵するとき、おのおの合掌してうくるなり。俵錢、あるいは當日の齋時にこれを俵す。もし齋時に俵するがごときは、首座施食ののち、さらに打槌一下して、首座施財す。

 施主回向の旨趣を紙片にかきて、聖僧の左の柱に貼せり。雲堂裡看經のとき、揚聲してよまず、低聲によむ。あるいは經巻をひらきて文字をみるのみなり。句讀におよばず、看經するのみなり。

 かくのごとくの看經、おほくは金剛般若經、法華經普門品安樂行品、金光明經等を、いく百千巻となく、常住にまうけおけり。毎僧一巻を行ずるなり。看經をはりぬれば、もとの盤、もしは函をもちて、座のまへをすぐれば、大衆おのおの經を安ず。とるとき、おくとき、ともに合掌するなり。とるときは、まづ合掌してのちにとる。おくときは、まづ經を安じてのちに合掌す。そののち、おのおの合掌して、低聲に回向するなり。

 もし常住公界の看經には、都監寺僧、燒香禮拝巡堂俵錢、みな施主のごとし。手爐をさゝぐることも、施主のごとし。もし衆僧のなかに、施主となりて大衆の看經を請ずるも、俗施主のごとし。燒香禮拝巡堂俵錢等あり。知客これをひくこと、俗施主のごとくなるべし。

 聖節の看經といふことあり。かれは、今上の聖誕の、假令もし正月十五日なれば、先十二月十五日より、聖節の看經はじまる。今日上堂なし。佛殿の釋迦佛のまへに、連床を二行にしく。いはゆる東西にあひむかへて、おのおの南北行にしく。東西床のまへに檯盤をたつ。そのうへに經を安ず。金剛般若經仁王經法華經最勝王經金光明經等なり。堂裡僧を一日に幾僧と請じて、齋前に點心をおこなふ。あるいは麺一椀、羹一杯を毎僧に行ず。あるいは饅頭六七箇、羹一分、毎僧に行ずるなり。饅頭これも椀にもれり。はしをそへたり、かひをそへず。おこなふときは、看經の座につきながら、座をうごかさずしておこなふ。點心は、經を安ぜる檯盤に安排せり。さらに棹子をきたせることなし。行點心のあひだ、經は檯盤に安ぜり。點心おこなひをはりぬれば、僧おのおの座をたちて、嗽口して、かへりて座につく。すなはち看經す。粥罷より齋時にいたるまで看經す。齋時、三下鼓響に座をたつ。今日の看經は齋時をかぎりとせり。

 はじむる日より、建祝聖道場の牌を、佛殿の正面の東の簷頭にかく、黄牌なり。また佛殿のうちの正面の東の柱に、祝聖の旨趣を、障子牌にかきてかく、これ黄牌なり。住持人の名字は、紅紙あるいは白紙にかく。その二字を小片紙にかきて、牌面の年月日の下頭の貼せり。かくのごとく看經して、その御降誕の日にいたるに、住持人上堂し、祝聖するなり。これ古來の例なり。いまにふりざるところなり。

 また僧のみづから發心して看經するあり。寺院もとより公界の看經堂あり。かの堂につきて看經するなり。その儀、いま清規のごとし。

詮慧

〇「雲居山弘覚大師、因有一僧、在房内念経・・念底是什麼経。此僧従此得入」、

「念底是什麼経は、一条の念底、年代深遠なり、不欲挙似於念なり」と云う、念底経なり、念底を経と指すゆえに、年代深遠は念底の外の経也。一条なるゆえに年代深遠なるなり。「一条の念底と云う、年代深遠」なるゆえに、念底経は経を別に置きて念ずるにはあらず。やがて経を「念底是什麼経」と云う也。「不欲挙似於念」と云うは、物を挙げて、この物を念ずと云うにはあらず、ゆえに「不欲挙似於念」也。

〇「路にしては死蛇に逢う」と云うは、これ古き詞也。死蛇逢路、人皆死と云う也。先に念底是什麼経と云う時、只一条にて、又ものなし、これかたかた死する義也。かたかた死すと云うは、経と念と人にあらざる義を云う也。仍て此の「死蛇」の詞出で来るなり。

〇「人に逢うては錯挙せず」と云うは、此の「人に逢う」と云うは、両人相逢にてはなし。人には逢えども「錯挙せず」と云う心地は、人と維摩経とを能所に置かぬ故を説く也。

経豪

  • 打ち任すは、念は悪業の能なり。経を転読するを聞きて、「闍梨念底是什麼経」と問するも不普通。僧余りのままに維摩経を読むは、其の様を答うるに、又「師不問維摩経、念底是什麼経」と、又押し返し被問、得入したりけると文には聞こえたり。先ず此の大師の問いは、今の看経を念ずと云う也。此念無際限れば、此の以道理、「念底是什麼経」とは被問なり。一経を指して不審の義不可有、何れの経にも当るべき也。『法華』(「大正蔵」九・一a一・注)『華厳』(「大正蔵」九・三九五a一・注)『大集方等(大方等大集?)』(「大正蔵」一三・一a一・注)経、乃至今の『維摩経』(「大正蔵」一四・五一九a一・注)総て当らずと云う事不可有。即不中経なるべし、ゆえに汝が読む経は、尽界経ならずと云う事なき道理也と、喩えは被示也。此の時は祖師も今の僧も皆念経なるべし。
  • 「大師の念底是什麼経」と被仰る「念底」の詞は「年代深遠」とは、総て尽法界無際限と云う詞也。念を挙似する人にあるべからず、此道理を「不欲挙似於念」とは云う也。
  • 是は死蛇に逢大路、人喪身失命すと云う詞あり、其心也。詮は此の毒蛇に逢う人は皆喪身失命すと云うは、毒蛇の外に物なし。此道理を今は「什麽経の現前する」に被引寄也。「什麽経」者全経なるべし、ゆえに「死蛇に逢う」道理なるべし。「人に逢う」と云うは、今の大師歟。此の今の「維摩経と被答たる」、大師の本意に相違の答なるように聞こえたれども、「什麽経」の道理の上に、維摩経此道理に可背や、更維摩経の理あるべからず。ゆえに如此云うなり。
  • 所詮、今の「仏祖所談の看経の姿」と云うは、如今可心得。
  • 是は此の看経の理現前する時、「作仏とも、説法とも、諸仏とも、仏作」とも、可談也。此の外無尽の詞も、此上に可談也、其心なり。
  • 如文。「此の看経の時節を持って、仏祖の頂□(寧+頁)とも面目」とも可談。又此の道理ならでは、仏祖頂□(寧+頁)眼睛と云う道理あらざる也と云うなり。
  • 是は寺院の看経の法則を、くれぐれと被談。無指沙汰上、委しく文に見えたり。

 

 高祖藥山弘道大師、問高沙彌云、汝從看經得、從請益得。高沙彌云、不從看經得、亦不從請益得。師云、大有人、不看經、不請益、爲什麼不得。高沙彌云、不道佗無、只是佗不肯承當。

 佛祖の屋裡に承當あり、不承當ありといへども、看經請益は家常の調度なり。

詮慧 高祖薬山弘道大師段

〇「問高沙弥云・・只是也不肯承当」。この「得不得」の詞は、すべて今の「看経」の様が、世間の得不得に替わるべき謂われ也。ただこれ「為什麼不得看経も、不得請益も、不得不看経も、不得不請益」も、不得の道理なり。ゆえに「他になしといわず、ただこれ他の承当にがえんとせず(不道他無、只是他不肯承当)とは云う也。

〇「承当不承当」と云うは、会不会と仕う程の事也。「承当も不承当も、看経請益」も、不得の調度なり、看経不得請益と云うべきなり。

経豪

  • 薬山与高沙弥問答、如文。薬山は「得請益、得看経」かと問い、高沙弥は「不得看経、亦不得請益」と云う、是は問答の不審を被答えたるに似たり。看経の道理の得不得に関わらぬ道理を今は被述なり。其れに重ねて大師「大有人、不看経、不請益、為什麼不得」とは、看経もせず、請益もせずと云うは、はばかる人もあるになと。其れは得ざるぞと被仰たる様に聞こゆ。是も不爾、看経の上に不看経、請益の上に不請益と云う道理を重ねて被述也。其れに高沙弥の答えに、「不道他無、只是他不肯承当」とは、他人に此道理の無しと云うにはあらず。「只是他の不肯承当也」と云う答えに聞こえたり。是も「不道の看経なる道理、不肯なる道理、承当なる姿」一一に看経の理を述ぶるなり、更非別詞なり。
  • 「仏祖の屋裡の承当不承当あり」の詞にて、前の不道不肯等の詞の有るべき分も可了見事也。

看経(終)

2022年8月20日(終)

 

これは筆者の勉学の為に作成したもので、原文(曹洞宗全書・註解全書)による歴史的かなづかい等は、小拙による改変である事を記す。