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現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵第三十八 葛藤  註解(聞書・抄)

正法眼蔵第三十八 葛藤  註解(聞書・抄)

 

 釋迦牟尼佛の正法眼藏無上菩提を證傳せること、靈山會には迦葉大士のみなり。嫡々正證二十八世、菩提達磨尊者にいたる。尊者みづから震旦國に祖儀して、正法眼藏無上菩提を太祖正宗普覺大師に附囑し、二祖とせり。

 第二十八祖、はじめて震旦國に祖儀あるを初祖と稱ず、第二十九祖を二祖と稱ずるなり。すなはちこれ東土の俗なり。初祖かつて般若多羅尊者のみもとにして、佛訓道骨、まのあたり證傳しきたれり、根源をもて根源を證取しきたれり、枝葉の本とせるところなり。

詮慧

〇「祖儀」と云うは、儀式の「儀」也。非議定之議也。「東土俗なり」と云う(は)、土俗の「俗」也。僧俗の俗にあらず。

経豪

  • 如文、無殊子細。先ず仏法を談ずるには、有無の二見を離るる也。是を以て最初の参学とする也。諸法を有と談じ、諸法を無と談ず、共に有無を離れず。有句無句如藤椅樹(「王索仙陀婆」・注)(経文歟)、是は繋縛の義。樹倒藤枯(「行仏威儀」・注)と云う、是は解脱の詞と、打ち任すは皆心得なり。其れを祖門の所談に、如藤椅樹と云うも、更(なる)繋縛の詞にあらず。只樹倒藤枯の詞(は)同じき也。藤が藤に依ると心得也。是を以て、先(に)「葛藤」の大いなる姿とすべし。

 

 おほよそ諸聖ともに葛藤の根源を截斷する參學に趣向すといへども、葛藤をもて葛藤をきるを截斷といふと參學せず、葛藤をもて葛藤をまつふとしらず。いかにいはんや葛藤をもて葛藤に嗣續することをしらんや。嗣法これ葛藤としれるまれなり、きけるものなし。道著せる、いまだあらず。證著せる、おほからんや。

詮慧

〇「諸聖共に葛藤の根源を截断する、参学に趣向す」と云う、「聖」は参学人なるべし。未仏祖程の聖にはあらず。

〇「葛藤を以て葛藤をきる、葛藤を以て葛藤をまつう、葛藤を以て葛藤を嗣す」、嗣法是葛藤、是等は一こころなるべし。打ち任すは葛藤は繋縛の義にて、三界にのみ纏われたるを、截断すべき事と習う。葛藤の枝葉をきると云うは、たとえば麤惑細悪、見惑思惑、塵沙無明までも厭い捨つべし。「根源をきる」と云うは、三界の外に無実相、不断煩悩而入涅槃と談ずる程の事也。生死を厭うと云うは、頗る仏種を断ずとも云うべき也。

〇「葛藤の根源」と云いつれば、きるとのみ心得る(は)、教家の習い也。きるもやがて葛藤にてきるべし。「纏う」の義も樹を纏うにてはあるまじ。葛藤が葛藤を纏うなり、これを葛藤の解脱と云う也。

〇「截断」とは全機現と心得を仕う也。仏祖の法を不令断絶、是葛藤断也。仏祖の根源は不可截断とや云うべき。捨つべきものを截断するにてはなし。仏法を相続するを截断と仕うべし。仏法と煩悩とを、二に為して、煩悩を断ずべしと云わず。

経豪

  • 「諸聖ともに、葛藤の根源を截断するに参学に趣向す」とは、いづれもたとえば、煩悩を断じて、菩提を得んと云う参学には向かうと云えどもと云う心也。然而「以葛藤、葛藤をきるを截断と云うと参学せず、乃至葛藤を以て葛藤を纏うと不知」と云う也。いかにも打ち任すは截断する物がありて、仮令真言等の心地も、此の煩悩を断ぜんと趣向せんには、印契をも結び、密言等をも誦して、滅罪生善し、証大菩提すと談ず。乃至転経念誦等をも用いて、以是功力、彼を断ずる媒(なかだち)と心得なり。多分義如此。而此宗門には不然、其のゆえは、今の葛藤が則ち解脱なるようを談じ、今の葛藤が則ち解脱なるようを談じ、今の葛藤を以て截断とも談ず上は、努々以之対治彼とは不可談也。「嗣法これ葛藤と知れる事、実(に)まれなりべし」、「嗣法」と云うはいかさま(本当に・注)にも、師資相伝義なり。「葛藤の姿が嗣法」と云われん事、実(に)めづらしかるべし。

 

 先師古佛云、葫蘆藤種纏葫蘆。この示衆、かつて古今の諸方に見聞せざるところなり。はじめて先師ひとり道示せり。葫蘆藤の葫蘆藤をまつふは、佛祖の佛祖を參究し、佛祖の佛祖を證契するなり。たとへばこれ以心傳心なり。

詮慧 先師(如浄和尚)古仏段

〇「葫蘆藤種纏葫蘆」と云う、葫蘆と葫蘆との中に、藤種隔たりたるは非別義。一類の物を挙げて云う也。「仏祖の仏祖を参究し、証契する義、以心伝心となり」。

経豪

  • 是は天童寺衆詞(『如浄和尚語録』「大正蔵」四八・一二八b二〇・注)を被引載也。「ひさごのつるは、ひさごをまつう」とあり、余物不相交、それがそれなる道理也。葛藤葛藤をまつう道理如此なるべし。
  • 「以心伝心」と云う事を、又人の尋常に心得たる様は、教は赴機の説、言語更不可用。釈尊優曇華を拈じて、迦葉破顔微笑せし、是こそ「以心伝心」なれと云う也。相伝の義不爾、これは心も仏も、仏法の理に背く歟。「仏祖の仏祖を参究し、仏祖の仏祖を証契する、是則以心伝心也」、乃至三界唯一心、心外無別法と談ずる、以心伝心なるべし。

 

 第二十八祖、謂門人曰、時將至矣、汝等盍言所得乎。時門人道副曰、如我今所見、不執文字、不離文字、而爲道用。祖曰、汝得吾皮。尼總持曰、如我今所解、如慶喜見阿閦佛國、一見更不再見。祖曰、汝得吾肉。道育曰、四大本空、五陰非有、而我見處、無一法可得。祖曰、汝得吾骨。最後慧可、禮三拝後、依位而立。祖曰、汝得吾髓。果爲二祖、傳法傳衣。

 いま參學すべし、初祖道の汝得吾皮肉骨髓は、祖道なり。門人四員、ともに得處あり、聞著あり。その聞著ならびに得處、ともに跳出身心の皮肉骨髓なり、脱落身心の皮肉骨髓なり。知見解會の一著子をもて、祖師を見聞すべきにあらざるなり。能所彼此の十現成にあらず。

詮慧 四員門人言所解段

〇「第二十八祖、謂門人曰・・果為二祖、伝法伝衣」

此の詞は葛藤の字なし。ただし已前に嗣法を葛藤と見たり。今の四人この葛藤にて纏うべし。

〇「不執文字、不離文字、而為道用」と云う、此の「用」は体用の用にてはなし。教に云う体用は、月の空にかかれる体也、光は用也。しかるを「道用」と云う時は、道をやがて用うと仕う也。体にもたせる用にあらず。そもそも体相用と三に立つる時は、相をば中に置き、ただ二を空けて云う時は、相をば用に具して一に用う也。

〇「慶喜見阿閦佛國、一見更不再見」と云う、是は経文(『景徳伝灯録』達磨章「大正蔵」五一・二一九c一・注)より出でたり。「慶喜」は仏弟子(阿難・注)也。「一見して心得ぬる上、再見せず」と也。ただし此の「一見」の様も難知。千万無量御度もや見けん、「一見」と仕えばとて不可似我等一見一見して更不再見とあるも、心得たる所を指すか、覚束なし。

経豪

  • 是又如文。初祖の得と被仰得も、今の聞著も、尋常の聞著にあらざるなし。「跳出身心、脱落身心の上の皮肉骨髄なり」。只我等が知見解会の分に、祖師を准ずる事なかれと云うなり。

又「初祖の得皮肉骨髄」に付いて、人の常に思い付きたるは、此の皮肉骨髄は浅く、髄こそ勝れたれ。随二祖已伝法附衣し給い、是こそ勝れたれと思う、此の見解うぃ大いに被嫌也。御釈に分明也。実にも初祖の皮肉骨髄、更不可有勝劣浅深。得法の上の皮肉骨髄に、なしかは軽重あるべき勿論事也。世間にも皮が勝りて、骨髄は劣なる事多し、いわゆる虎鹿等是也。乃至亀は骨は上にて、肉髄等は下にありて、只衆生の見解に仰ぎて、皮の下に肉あり、肉が骨を包み、其の中に髄ありなんと思う(は)、見解の僻見を致す也。甚不可然事也。

初祖天竺にては廿八祖たり。震旦にては為初祖、達磨一体の上に、廿八祖与初祖に当つるなり。初祖の付きたるによりて、二祖は廿九祖と当るなり。

抑も仏法の方より談ずるには、初祖の皮肉骨髄、聊かも浅深軽重あるべからず勿論事也。理又顕然事也。得法悟道の初祖の皮肉骨髄に浅深を立つる。僻見を破せんれうにこそ、如此は被釈とも、二祖の抜群したる条は勿論事也。されば随祖道は一等也とも、四解必ずしも非可一等と受けらるるも、此の心地歟。尤如此事、可有用意事也、能々可了見。世間にも金にて人形を作りたらんは、足も手も胸も腹も頭(かしら)も金なるべし。一切に頭は勝れ、手足は次と不可云。皆金なるべし、況や於仏法の皮肉哉。

 

しかあるを、正傳なきともがらおもはく、四子各所解に親疎あるによりて、祖道また皮肉骨髓の淺深不同なり。皮肉は骨髓よりも疎なりとおもひ、二祖の見解すぐれたるによりて、得髓の印をえたりといふ。かくのごとくいふいひは、いまだかつて佛祖の參學なく、祖道の正傳あらざるなり。

 しるべし、祖道の皮肉骨髓は、淺深にあらざるなり。たとひ見解に殊劣ありとも、祖道は得吾なるのみなり。その宗旨は、得吾髓の爲示、ならびに得吾骨の爲示、ともに爲人接人、拈草落草に足不足あらず。たとへば拈花のごとし、たとへば傳衣のごとし。四員のために道著するところ、はじめより一等なり。祖道は一等なりといへども、四解かならずしも一等なるべきにあらず。四解たとひ片々なりとも、祖道はたゞ祖道なり。

経豪

  • 如文。見解はいかにもあれ、得吾は浅深軽重あるまじき心を、如此被釈也。
  • 是は自他を置いて、われ「接人」とも云い、「拈草落草とも足不足」とも此の「得吾髄」(の)姿(と)云うべきにあらず。ゆえに「拈花の如し、伝衣の如し」と云う也。迦葉は釈尊に蔵身し、破顔微笑の時は、釈尊は迦葉の蔵身せし程の「得吾骨」なるべし。
  • 御釈に聞きたり、無風情。祖師道は、はじめより一等也。「祖道は一等なれども、四解必ずしも一等なるべきにあらず」と云う也。如前云、是は四解を聊か受けらるる心地歟。

 

 おほよそ道著と見解と、かならずしも相委なるべからず。たとへば、祖師の四員の門人にしめすには、なんぢわが皮吾をえたりと道取するなり。もし二祖よりのち、百千人の門人あらんにも、百千道の説著あるべきなり。窮盡あるべからず。門人たゞ四員あるがゆゑに、しばらく皮肉骨髓の四道取ありとも、のこりていまだ道取せず、道取すべき道取おほし。しるべし、たとひ二祖に爲道せんにも、汝得吾皮と道取すべきなり。たとひ汝得吾皮なりとも、二祖として正法眼藏を傳附すべきなり。得皮得髓の殊劣によれるにあらず。また、道副道育總持等に爲道せんにも、汝得吾髓と道取すべきなり。吾皮なりとも、傳法すべきなり。祖師の身心は、皮肉骨髓ともに祖師なり。髓はしたしく、皮はうときにあらず。

 いま參學の眼目をそなへたらんに、汝得吾皮の印をうるは、祖師をうる參究なり。通身皮の祖師あり、通身肉の祖師あり、通身骨の祖師あり、通身髓の祖師あり。通身心の祖師あり、通身身の祖師あり、通心心の祖師あり。通祖師の祖師あり、通身得吾汝等の祖師あり。これらの祖師、ならびに現成して、百千の門人に爲道せんとき、いまのごとく汝得吾皮と説著するなり。百千の説著、たとひ皮肉骨髓なりとも、傍觀いたづらに皮肉骨髓の説著と活計すべきなり。もし祖師の會下に六七の門人あらば、汝得吾心の道著すべし、汝得吾身の道著すべし。汝得吾佛の道著すべし、汝得吾眼睛の道著すべし、汝得吾證の道著すべし。いはゆる汝は、祖なる時節あり、慧可なる時節あり。得の道理を審細に參究すべきなり。

 しるべし、汝得吾あるべし、吾得汝あるべし、得吾汝あるべし、得汝吾あるべし。祖師の身心を參見するに、内外一如なるべからず、渾身は通身なるべからずといはば、佛祖現成の國土にあらず。皮をえたらんは、骨肉髓をえたるなり。骨肉髓をえたるは、皮肉面目をえたり。たゞこれを盡十方界の眞實體と曉了するのみならんや、さらに皮肉骨髓なり。このゆゑに得吾衣なり、汝得法なり。これによりて、道著も跳出の條々なり、師資同參す。聞著も跳出の條々なり、師資同參す。師資の同參究は佛祖の葛藤なり、佛祖の葛藤は皮肉骨髓の命脈なり。拈花瞬目、すなはち葛藤なり。破顔微笑、すなはち皮肉骨髓なり。

 さらに參究すべし、葛藤種子すなはち脱體の力量あるによりて、葛藤を纏遶する枝葉花果ありて、回互不回互なるがゆゑに、佛祖現成し、公案現成するなり。

詮慧

〇「道著と見解と、必ずしも相委なるべからず」と云う、この「相委」の「委」の字は「くわし」と訓ず。この「くわし」は四人の所解が、必ず皮肉骨髄にあい当てて、理のあるべきにあらず。いま四員の門人あれば、皮肉骨髄と云う四字を仕うにてこそあれ、人に仰せて義が委しきにあらざる所を、「相委なるべからず」とは云う也。抑もこの四員の得法の事、宋朝より事起こりて、人々の了見あり。まことに世間の見に付かば、有其理ぬべし。皮肉骨髄を立つるには、皮へとて(とへて?)第一疎き物に喩う、髄は第一に、親しと聞こゆ。それに付けては、又すでに、慧可伝法伝衣無相違して、已に震旦の二祖と謂われ給う。又所解を述ぶるにも、言語に関わらず、只三拝依位而立なり。異なる得法ならんと被推度。しかれば皮肉骨髄を次第に深く立つべしと妄見するあり。非無謂、但慧可の得法勿論也、不可疑。今三人も初祖吾皮肉骨を得たりと被仰ぬる上は、不審なかりぬべし。初祖の皮肉骨いづれも不可棄。皮がわろかるべくは、わろき皮に包まれたらん髄も、最下劣の髄なるべし。尫(オウ、よわい・注)弱の獣だにも、豹虎熊鹿ごとき、皆取皮、髄を捨つ。しかれば獣にダニを取りたる、初祖の皮と云うべきか。不可然、凡そは赤心片々などと談ずるが如くならば、皮肉骨髄いづれとても取り難し。其上又「通身皮、通身肉、通身骨、通身髄」と云う、勿論事也。

〇たとえば「道副、道育、總持等」の見、殊劣あらんは知らず。初祖の皮肉骨髄を与えらるる事は、無勝劣と心得るを以て、相伝の正義とはする也。たとい二乗三乗か見まちまちなれども、仏一乗の法を説き御(おわ)します。迷妄の衆生杖木瓦石にて不軽大士を打ちしかども、皆行菩薩道、得作仏とも受記しましましき。しかれば初祖の皮肉骨髄は都て殊劣なしと可心得。

経豪

  • 是は如前云、祖言の汝得吾皮、乃至髄等の詞は一等なるべけれども、「道著と見解と、必ず一等なるべし」と云う義なき事を被釈也。
  • 汝得吾皮とこそ被仰たるを、今は此の汝得吾皮の道理が、「汝わが皮吾を得たり」と云う程の義也と云う心なりと、被釈也。已下如文。
  • 此義委載先段了。たとい髄を得たりと被仰はとて、伝法の義ありと心得所を、重ねて如此被示也。
  • 是は皮を得、肉を得、骨を得などと云えば猶各々なるようにも被心得ぬべし。所詮祖師の皮を得ると云うは、皮の外に物なく、全皮なるべし、尽十方界皮なるべし。ゆえに「通身皮の祖師あり」とは云わるる也。肉骨髄、乃至身心通祖師とも、以是等道理云うべき也。四人の門人ありしかば、今は皮肉骨髄とは被仰る也。百千無量の門人あらば、汝得身心とも、汝得眼耳鼻舌身意とも、無量無辺に被仰、聊かも不可相違。又「百千人の門人の門人に為道せんとき、只汝得吾皮」と許り被仰も、又骨肉髄なければ、欠けたりと不可思と也。凡そ祖師の皮肉骨髄と云うは、打ち任せたる人の思い習わしたるように、皮は上、肉は下、骨は肉の下に包まれたる物、髄は其の内に有りらんと重々を立てて不可思。肉と談ぜん時は、肉より外に又余物交わらず、全肉なるべし。仏祖も肉の外にはあるべからず、骨髄皮又あるべからず。さればこそ皮肉骨髄に勝劣なしとは談ずれ、肉骨髄等も又同之。
  • 「百千の説著ありて、皮肉骨髓と説著すとも、傍観はいたづらに、尋常の所談の皮肉骨髓の説著と可活計すべき也」と云う也。是は嫌う心地、解脱の理ならぬ心地なるべし。
  • 是は如前云、皮肉骨髄と許りあれば、此の四に限るべきかと覚えたり。仮令いくらの門人ありて、「汝得」の詞を許すとも、不可有不足。「吾心とも道著すべし、吾身とも、吾仏とも、吾眼睛とも、吾証とも道著すべし」となり。此理皮肉骨髄にゆめゆめ勝劣なき心地を如此被釈なり。
  • 是は汝与吾の無差別事を被釈也。「汝」と云う詞、打ち任すは、吾に対して云わるる也。我と云う詞も、対汝云うべし。しかるを今の「汝」は已汝亦如是、吾亦如是、乃至西天初祖亦如是と云うゆえに、汝与吾総て非二物相対義也。「汝」と云う時は、我は汝に蔵身し、我と云う時は、汝は我に蔵身するなり。かるがゆえに、初祖の「汝得」の御詞は、対四人門人被仰るに似たれども、只汝は汝を得、我は我を得る也。達磨は達磨を得たりと云う程の義也。釈尊優曇華の時、迦葉釈尊に蔵身し、破顔微笑の時、釈迦迦葉に蔵身せしが如し。達磨の時節には、慧可初祖に蔵身し、慧可なる時は、達磨二祖に蔵身する也。ゆえに如此云うなり。「得」の道理、又打ち任すは得るべき物を置きて、其れが彼に得るぞと心得。今は得は葛藤が葛藤を得る姿、今の全皮全肉全骨全髄なる道理を以て、「得」とは習う也。世間の所談に大いに相違すべき也。
  • 如前段云、「汝得の道理」を如此心得ぬる上は、「吾得汝、得吾汝、得汝吾」と、即心是仏を打ち替えて、あまた(数多)に被釈しように、上下して談ずとも、只同じ道理なるべきなり。
  • 実(に)祖師の身心は、内外一如なるべし。而(に)「一如なるべからず」と談ぜん、尤可違今理也。「渾身と通身」と、又不可違、渾身是千眼、通身是手眼も、只同じ詞也。而(に)渾身は身に総体にて、眼も耳も鼻も具足共此の上にあるように心得たり。是は総体の身と談ぜん時は、眼耳鼻舌身意等の六根もあるべからず。只身の外に不可有余物。眼と談ぜん時も、以眼外に身も鼻も耳もあるべからず。耳鼻舌等も亦々如此、この道理を今は「渾身とも通身とも」可談歟。如此不談ば、「仏祖現成の国土なるべからず」と云う也。又「仏祖現成の国土」と云えば、国土は別に有りて、其の内に仏祖もあるべきように聞こえたり、なしかは去るべき。仏祖を指して国土とも云うべきなり、身土不二などとも談ずるぞかし。但し是も身と土とを置きて不二と云うにはあらざるべし。
  • 是は今の皮肉骨髄の四、只一物なる上に、「皮を得たらん骨肉髄を得たる也」と云う、尤其謂あるべし。各別の物にこそ、一を得れば、残りは余るとも心得ぬべけれ。「骨肉髄の理」も只同心なるべし。又「尽十方界の真実体」と云えば、是は総てにて広く、其の上に皮肉骨髄は小さく、別物にてあらんずるように、被心得ぬべし。只「尽十方界真実体」と云う様に、尽十方界皮、尽十方界肉、尽十方界骨、尽十方界髄と可心得也。
  • 「得吾衣汝得法」の詞も、能々可思慮事也。打ち任せて心得ように、人ありて衣を得ると思い、忍ありて法を知識より得るとこそ思い付けたれ。今の「得吾衣汝得法」の心地非爾、「汝吾」の事、先段に委載之了。此の道理にて心得は、実(に)「得衣」も吾得衣などとは不可心得、全衣なるべし。衣現成せば、著用の人は衣に隠るべし。法又同法現成の時は、得法人又あるべからず。ゆえに以此理、まさしく五祖の法を伝じ給う。六祖に或僧、黄梅の意旨何人か得たると奉問時、会仏法人得たりと被仰に、汝得給いしやと重ねて問之時、吾不得と被仰き。重ねて僧など不得給うぞと奉問之時、証拠不可求外歟。法の至極する道理は可得人なき也。又「道著も跳出の条々、闍梨(聞著?)も跳出の条々」とあり、打ち任すは道著闍梨各別の問答と聞こゆ。但し今は「跳出の条々」とある上は、打ち任せたる凡見の道著闍梨なるまじき条勿論と聞こえたり。所詮今の道著は、不得闍梨道著也。今の聞著、又道著を不得闍梨なるべし。道著も闍梨も各々独立なるべし。「師資同参」と云うも、相並べて相対の義あるべからず。師の面目の外に物なく、弟子の面目の外に師あるべからず。是を「師資同参」とは云うべき也。今は以是等道理、「仏祖の葛藤」とは可談なり。「仏祖の葛藤」と云うは、又今の「皮肉骨髄」との一体なる分、今の御釈にても可心得也
  • 「葛藤の種子」と云えば、如尋常、葛藤の中に種子のあるように聞こゆ。非爾、葛藤は只葛藤を種子とする也。此の葛藤の功徳荘厳にて、「枝葉花果と成り」て談ずる也。皆是葛藤なるべし。葛藤の道理の外に、交わるべき物なき所を、「葛藤を纏遶す」とも仕うべき也。「回互不回互」とは、たがえにと云う心也。回互の理の上には、又不回互の理あるべし、例事也。此の道理の上に、「仏祖現成とも、公案現成とも」、談ぜらるる也。

 

 趙州眞際大師示衆云、迦葉傳與阿難、且道、達磨傳與什麼人。因僧問、且如二祖得髓、又作麼生。師云、莫謗二祖。師又云、達磨也有語、在外者得皮、在裡者得骨。且道、更在裏者得什麼。僧問、如何是得髓底道理。師云、但識取皮、老僧者裡、髓也不立。僧問、如何是髓。師云、與麼即皮也模未著。

 しかあればしるべし、皮也模未著のときは、髓也模未著なり。皮を模得するは、髓もうるなり。與麼即皮也模未著の道理を功夫すべし。如何是得髓底道理と問取するに、但識取皮。老僧遮裏、髓也不立と道取現成せり。識取皮のところ、髓也不立なるを、眞箇の得髓底の道理とせり。かるがゆゑに、二祖得髓、又作麼生の問取現成せり。迦葉傳與阿難の時節を當觀するに、阿難藏身於迦葉なり、迦葉藏身於阿難なり。しかあれども、傳與裡の相見時節には、換面目皮肉骨髓の行李をまぬかれざるなり。これによりて、且道、達磨傳與什麼人としめすなり。達磨すでに傳與するときは達磨なり、二祖すでに得髓するには達磨なり。この道理の參究によりて、佛法なほ今日にいたるまで佛法なり。もしかくのごとくならざらんは、佛法の今日にいたるにあらず。この道理、しづかに功夫參究して、自道取すべし、教佗道取すべし。

 在外者得皮、在裏者得骨、且道、更在裏者得什麼。

 いまいふ外、いまいふ裏、その宗趣もとも端的なるべし。外を論ずるとき、皮肉骨髓ともに外あり。裏を論ずるとき、皮肉骨髓ともに裏あり。

 しかあればすなはち、いま四員の達磨、ともに百千萬の皮肉骨髓の向上を條々に參究せり。髓よりも向上あるべからずとおもふことなかれ。さらに三五枚の向上あるなり。

 趙州古佛のいまの示衆、これ佛道なり。自餘の臨濟徳山大潙雲門等のおよぶべからざるところ、いまだ夢見せざるところなり。いはんや道取あらんや。近來の杜撰の長老等、ありとだにもしらざるところなり。かれらに爲説せば、驚怖すべし。

詮慧 真際大師段

〇「迦葉伝与阿難・・皮也模未著」

「二祖の得髄」の事を問う所に、「莫謗二祖」とあれば、初祖(摩訶迦葉・注)の阿難に伝与しましましし時も「謗」あるべきか。今心得べき様は無差別、善く伝えたる事をば、「謗」と仕うべき也。所詮今の伝与の姿、汝得吾皮肉骨髄と云う程に成りぬれば、伝うと云う事か。世間の法には変わるべきなり。達磨達磨に伝うとなり。

〇「在外者得皮、在裏者得骨と云いて、且道、更在裏者得什麽」と云う、是は「外に対して裏」と云い、「皮に対して骨」と説く。又骨に対して髄を説かば、骨よりもなお髄を「在裏」と云う也。但し内外も差別なく、骨髄も差別なからんには、「得髄底の道理」は、「識取皮」にてある。「老僧者裏、髄也不立」なりと云う。ゆえに又「皮也模未著」と云うにて可心得。

経豪

  • 此問答見于文。此の趙州の示衆のよう、尤不審也。達磨の法、二祖に伝与する条事旧了。「迦葉伝与阿難」すと知る程にて、趙州古仏程の祖師、事新しく争か「達磨伝与の人」を不審して、今可被出此詞乎。爰(に)知りぬ。未審の詞に非ずと云う事を。初祖の二祖に伝与の姿が、「什麽人」とは云わるるなり。全非不審詞、ここに「僧又問、如二祖得髄又作麽生」と云う詞も、只前の心地なるべし。「師云、莫謗二祖」云々、ここには達磨より二祖は法を伝与すると云う、一姿を今「謗」と云うべき歟。但し是は世間の謗心地也。只説衆生有仏性、亦謗仏法僧、説衆生無仏性、亦謗仏法僧(『仏性』「大正蔵」八二・九八b一四・注)程の「謗」なるべし。又莫謗仏祖好とも、莫妄想とも云いし程の「謗」と心得なり。「師又云、達磨也有語、在外者得皮、在裏者得骨。且道、更在裏者得什麼。僧問、如何是得髄底道理。師云、但識取皮、老僧者裏、髄也不立」也と云えば、打ち任せて人の心得たる道理なるべし。此の外内に対したる外にあらず。此の「裏」又外に対したるにあらず。「外」も什麽の道理、「裏」も什麽の道理なるべし。「僧問の如何是得髄の道理」と云うも、不審の詞にあらず。「如何の詞に得髄」の理極めたるなり。「師の但識取皮、老僧者裏、髄也不立」の詞は、実にも皮をだにも識取しぬれば、髄は如何にてもありなんと云う程の詞也。皮与髄一物にして、親しきがゆえに、又「僧問。如何是髄。師云、与麼即皮也模未著」也と云うは、此の「僧問」も非未審詞模未著。皮も髄も乃至骨肉等只一物一体なるあいだ、「如何是髄」と云わば、「即皮也」。如何是皮と云わん程の道理なるべしと云う心也。只所詮各別にあらざる義、一仏法の理が通じて、何れにも談ぜらるるに、障(さわ)る所なく、関わらぬようを、表わさるるなるべし。
  • 如前云、皮与髄全非勝劣義あいだ、「皮も模未著の時は、髄也模未著」と云わるる也。
  • 是は只如前段、皮与髄無差別。「皮を識取する時は、髄は不立也」と云う也。此の道理を「真箇の得髄底の道理とはすべし」とあり。此の道理なるゆえに、「二祖得髄又作麽生とは云わる」と云うは、非不審詞。此の髄の独立する姿を、「作麽生」と云う也。如此なる髄なるゆえに、凡夫所談の皮肉骨髄にはあらざる也。
  • 伝与次第委載先段了、又見于文。此道理なるゆえに、「相見時には、換面目皮肉骨髄の行李を不免也」とは、皮を談ずる時は、皮の外に物なく、肉骨髄又以同し、如此而面々を換えて談ずれども、其理只一也。皮の時は皮が法界を尽し、肉と談ずる時節には、肉の外に無余物、乃至骨髄も如此。この道理を「換面目皮肉骨髄の行李」とは云わるるなり。此理の落居する所が、「達磨伝与什麽人」とは云わるるなるべし。
  • 如文、無別子細。実にも「達磨伝与には達磨なるべし、二祖已得髄時は達磨なるべし」。此の上には、又二祖得髄の時は、二祖なるべしと云う理も非可違。已下如文。
  • 此の「外裏」如先云、是は打ち任せたる内外にあらず。今の皮骨を以て「外とも裏とも」可談也。
  • 「以皮肉骨髄、内外」と談ずる条、此の御釈に分明に聞こえたり。
  • 達磨は一人、門人は四人とこそ思う程に、「今は四員の達磨」と云う詞出で来たり。驚耳ように覚ゆ。但し師資の面目のよう、尤「四員の達磨」と云わるべし。達磨の皮肉骨髄を得る時は、皆達磨なるべき也。又髄は最結句至極にて、此の外には向上不可有と思う所を、如此被釈なり。実にも門人多くあらば、幾らも、六根をも、身心手足までも、授けられなまし。四人あるゆえに、皮肉骨髄をば被授之歟。然者「実(さら)に三五枚の向上あるべき」也。「三五枚」と云えば、日来存する三四の数と被心得ぬべし。是は其の数には関わるべからず、数多なるべし。已下如文、無殊子細。

 

 雪竇明覺禪師云、趙睦二州、是古佛なり。

 しかあれば、古佛の道は佛法の證験なり。自己の曾道取なり。

 雪峰眞覺大師云、趙州古佛。

 さきの佛祖も古佛の贊歎をもて贊歎す、のちの佛祖も古佛の贊歎をもて贊歎す。しりぬ、古今の向上に超越の古佛なりといふことを。

 しかあれば、皮肉骨髓の葛藤する道理は、古佛の示衆する汝得吾の標準なり。この標格を功夫參究すべきなり。

 また初祖は西歸するといふ、これ非なりと參學するなり。宋雲が所見かならずしも實なるべからず、宋雲いかでか祖師の去就をみん。たゞ祖師歸寂ののち、熊耳山にをさめたてまつりぬるとならひしるを、正學とするなり。

経豪

  • 是は無別事。只「趙州睦州二州は古仏也」と被讃嘆也。何れとなき人の詞にてもなし。かかる古仏の道は仏法の証験也と被讃嘆なり。
  • 無別子細。、如文。「趙州を古仏と被讃嘆」(する)詞を被釈なり。
  • 皮が皮を纏い、肉が肉を纏い、乃至骨髄を纏う道理を以て、「皮肉骨髄の葛藤する道理」とは云うべきなり。今の「汝得吾」の道理も、汝与吾のあわい、葛藤が葛藤を纏い、皮が皮を纏い、肉が肉を纏う程の、如吾のあわいなるべしと云うなり。
  • 如文。初祖円寂之後、「宋雲」と云う者、天竺より震旦に帰るゆえに、葱嶺と云う所にて、達磨の鞋の方々(かたがた)を持ちて正(まさ)しく逢い給いたりけり。汝が本国之国王今日崩れ給いぬと。初祖被仰たりける日を書き付けて、帰震旦、後尋ぬれば、初祖告げ給いける日時、聊かも無相違と云う説に付けて、如此被書也。所詮此義を被非也。門徒尤可存此義事歟。                                 葛藤(終)

2022年10月18日(タイ国にて)

 

これは筆者の勉学の為に作成したもので、原文(曹洞宗全書・註解全書)による歴史的かなづかい等は、小拙による改変である事を記す。