正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵第五十九「家常」を読み解く

正法眼蔵第五十九「家常」を読み解く

 

 おほよそ佛祖の屋裡には、茶飯これ家常なり。この茶飯の義、ひさしくつたはれて而今の現成なり。このゆゑに、佛祖茶飯の活計きたれるなり。

 大陽山楷和尚、問投子曰、佛祖意句、如家常茶飯。離此之餘、還有爲人言句也無。投子曰、汝道、寰中天子勅、還假禹湯堯舜也無。大陽擬開口。投子拈拂子掩師口曰、汝發意來時、早有三十棒分也。大陽於此開悟、禮拝便行。投子曰、且來闍梨。大陽竟不回頭。投子曰、子到不疑之地耶。大陽以手掩耳而去。

 しかあれば、あきらかに保任すべし、佛祖意句は、佛祖家常の茶飯なり。家常の麁茶淡飯は、佛意祖句なり。佛祖は茶飯をつくる。茶飯、佛祖を保任せしむ。しかあれども、このほかの茶飯力をからず、このうちの佛祖力をつひやさざるのみなり。還假堯舜禹湯也無の見示を、功夫參學すべきなり。

 離此之餘、還有爲人言句也無。この問頭の頂寧を參跳すべし。跳得也、跳不得也と試參看すべし。

 南嶽山石頭庵無際大師いはく、吾結草庵無寶貝。飯了從容圖睡快。

 道來道去、道來去する飯了は、參飽佛祖意句なり。未飯なるは未飽參なり。しかあるに、この飯了從容の道理は、飯先にも現成す、飯中にも現成す、飯後にも現成す。飯了の屋裡に喫飯ありと錯認する、四五升の參學なり。

 先師古佛示衆曰、記得、僧問百丈、如何是奇特事。百丈曰、獨坐大雄峰。大衆不得動著、且教坐殺者漢。今日忽有人問淨上座、如何是奇特事。只向佗道、有甚奇特事。畢竟如何。淨慈鉢盂、移過天童喫飯。

 佛祖の家裏にかならず奇特事あり。いはゆる獨坐大雄峰なり。いま坐殺者漢せしむるにあふとも、なほこれ奇特事なり。さらにかれよりも奇特なるあり、いはゆる淨慈鉢盂、移過天童喫飯なり。奇特事は條々面々みな喫飯なり。しかあれば、獨坐大雄峰すなはちこれ喫飯なり。鉢盂は喫飯用なり、喫飯用は鉢盂なり。このゆゑに淨慈鉢盂なり、天童喫飯なり。飽了知飯あり、喫飯了飽あり。知了飽飯あり、飽了更喫飯あり。しばらく作麼生ならんかこれ鉢盂。おもはくは、祗是木頭にあらず、黒如漆にあらず。頑石ならんや、鐵漢ならんや。無底なり、無鼻孔なり。一口呑虚空、虚空合掌受なり。

 先師古佛、ちなみに台州瑞巖淨土禪院の方丈にして示衆するにいはく、飢來喫飯、困來打眠。爐韛亙天。

 いはゆる飢來は、喫飯來人の活計なり。未曾喫飯人は、飢不得なり。

 しかあればしるべし、飢一家常ならんわれは、飯了人なりと決定すべし。困來は困中又困なるべし。困の頂寧上より全跳しきたれり。このゆゑに、渾身の活計に、都撥轉渾身せらるゝ而今なり。打眠は佛眼法眼、慧眼祖眼、露柱燈籠眼を假借して打眠するなり。

 先師古佛、ちなみに台州瑞巖寺より臨安府淨慈寺の請におもむきて、上堂にいはく、

  半年喫飯坐鞔峰  坐斷烟雲千萬重

  忽地一聲轟霹靂  帝郷春色杏花紅

 佛代化儀の佛祖、その化みなこれ坐鞔峰喫飯なり。續佛慧命の參究、これ喫飯の活計見成なり。坐鞔峰の半年、これを喫飯といふ。坐斷する烟雲いくかさなりといふことをしらず。一聲の霹靂たとひ忽地なりとも、杏花の春色くれなゐなるのみなり。帝郷といふは、いまの赤々條々なり。これらの恁麼は喫飯なり。鞔峰は瑞巖寺の峰の名なり。

 先師古佛、ちなみに明州慶元府の瑞巖寺の佛殿にして示衆するにいはく、黄金妙相、著衣喫飯、因我禮儞。早眠晏起。咦。談玄説妙太無端。切忌拈花自熱瞞。

 たちまちに透擔來すべし、黄金妙相といふは著衣喫飯なり、著衣喫飯は黄金妙相なり。さらにたれ人の著衣喫飯すると摸索せざれ、たれ人の黄金妙相なるといふことなかれ。かくのごとくするはこれ道著なり。因我禮儞のしかあるなり。我既喫飯、儞揖喫飯なり。切忌拈花のゆゑにしかあるなり。

 福州長慶院圓智禪師大安和尚、上堂示衆云、大安在潙山三十來年、喫潙山飯、屙潙山屎、不學潙山禪。只看一頭水牯牛。若落路入草便牽出。若犯人苗稼即鞭撻。調伏既久、可憐生、受人言語。如今變作箇露地白牛。常在面前、終日露回々地。趁亦不去也。

 あきらかにこの示衆を受持すべし。佛祖の會下に功夫なる三十來年は喫飯なり。さらに雜用心あらず。喫飯の活計見成するは、おのづから看一頭水牯牛の標格あり。

 趙州眞際大師、問新到僧曰、曾到此間否。僧曰、曾到。師曰、喫茶去。又問一僧、曾到此間否。僧曰、不曾到。師曰、喫茶去。院主問師、爲甚曾到此間也喫茶去、不曾到此間也喫茶去。師召院主。主應諾。師曰、喫茶去。

 いはゆる此間は、頂□(寧+頁)にあらず、鼻孔にあらず、趙州にあらず。此間を跳脱するゆゑに曾到此間なり、不曾到此間なり。遮裏是甚麼處在、祗官道曾到不曾到なり。このゆゑに、

 先師いはく、誰在畫樓沽酒處、相邀來喫趙州茶。

 しかあれば、佛祖の家常は喫茶喫飯のみなり。

 

 正法眼藏家常第五十九

 

  爾時寛元元年癸卯十二月十七日在越宇禪師峰下示衆

  同二年壬辰正月一日書冩之在峰下侍者寮 懷弉

 

正法眼蔵を読み解く家常」(二谷正信著)

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/kajou

 

詮慧・経豪による註解書については

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2020/02/28/000000

 

如浄語録(漢文)

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/nyojou-goroku

 

道元白山信仰ならびに吉峰・波著・禅師峰の関係についてー中世古 祥道

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2022/08/01/145341

 

禅研究に関しては、月間アーカイブをご覧ください

https://karnacitta.hatenablog.jp/

道元永平寺―『福井県史』通史編2中世より抜書(一部改変)

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2021/08/14/173407