正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

十二巻本 第四「発菩提心」を読み解く                          二谷正信

 

   十二巻本 第四「発菩提心」を読み解く

                         二谷正信

はじめに

当『発菩提心』は「新草本」に位置づけられるが、「旧草本」での六十三巻に当る巻にも『発菩提心』と称される巻がある。同称であることから「旧草本」では「発無上心」と表記されることもある。両巻ともども「菩提心」に関する論考である為、通底はするものの文体構造は明らかな相違がみられる。また引用経典に於いても、当巻で援用される経典類は『大毘婆沙論』や『倶舎論』等を使用することから、鎌倉行化以降の著作であることは明白であると考えられるようだが、拈提部に当る文章の表現法は「新草本」とは異なり、むしろ「旧草本」である七十五巻に近接するようである。

 

  一

 おほよそ、心三種あり。

 一者質多心、此方稱慮知心。二者汗栗多心、此方稱草木心。三者矣栗多心、此方稱積聚精要心。

 このなかに、菩提心をおこすこと、かならず慮知心をもちゐる。菩提は天竺の音、ここには道といふ。質多は天竺の音、ここには慮知心といふ。この慮知心にあらざれば、菩提心をおこすことあたはず。この慮知をすなはち菩提心とするにはあらず、この慮知心をもて菩提心をおこすなり。菩提心をおこすといふは、おのれいまだわたらざるさきに、一切衆生をわたさんと發願しいとなむなり。そのかたちいやしといふとも、この心をおこせば、すでに、一切衆生の導師なり。

 この心、もとよりあるにあらず、いまあらたに歘起するにあらず。一にあらず、多にあらず。自然にあらず、凝然にあらず。わが身のなかにあるにあらず、わが身は心のなかにあるにあらず。この心は、法界に周遍せるにあらず。前にあらず、後にあらず。なきにあらず。自性にあらず、佗性にあらず。共性にあらず、無因性にあらず。しかあれども、感應道交するところに、發菩提心するなり。諸佛菩薩の所授にあらず、みづからが所能にあらず、感應道交するに發心するゆゑに、自然にあらず。

 この發菩提心、おほくは南閻浮の人身に發心すべきなり。八難處等にもすこしきはあり、おほからず。菩提心をおこしてのち、三阿僧祇劫、一百大劫修行す。あるいは無量劫おこなひてほとけになる。あるいは無量劫おこなひて、衆生をさきにわたして、みづからはつひにほとけにならず、たゞし衆生をわたし、衆生を利益するもあり。菩薩の意樂にしたがふ。

 おほよそ菩提心は、いかゞして一切衆生をして菩提心をおこさしめ、佛道に引導せましと、ひまなく三業にいとなむなり。いたづらに世間の欲樂をあたふるを、利益衆生とするにはあらず。この發心、この修證、はるかに迷悟の邊表を超越せり。三界に勝出し、一切に抜群せり。なほ聲聞辟支佛のおよぶところにあらず。

 

「おほよそ、心三種あり。一者質多心、此方称慮知心。二者汗栗多心、此方称草木心。三者矣栗多心、此方称積聚精要心」

 まずは出典籍を上げるに『摩訶止観』一上である。これは「旧草本」『身心学道』にても「その諸心といふは、質多心汗栗多心矣栗多心等なり」(「大正蔵」八二・一五八b一三)と示す。原文にて示すと「質多者天竺音、此方言、即慮知也。天竺又称汗栗駄、此方称是草木也。又称矣栗駄、此方是積聚精要者為心也」(「大正蔵」四六・四a二〇)

 因みに「質多(しった)」は通常の心・マインドの意、「汗栗多(かりだ)」は精神・心臓の意であるが、筆者昔日ネパールに遊学(放浪)の折には「質多(citta)」の語と共に「モン(mon)」というネパール語を使用したが、日本語訳にすると、チッタは意志、モンは知性と訳されるようだが、「心」に関する類義語は数多く話され、訳語する難解さがある。

「このなかに、菩提心をおこすこと、必ず慮知心を用ゐる。菩提は天竺の音、ここには道と云ふ。質多は天竺の音、ここには慮知心と云ふ。この慮知心にあらざれば、菩提心をおこすことあたはず。この慮知を即ち菩提心とするにはあらず、この慮知心をもて菩提心をおこすなり。菩提心をおこすと云ふは、おのれ未だ度らざる先に、一切衆生を度さんと発願しいとなむなり。その形いやしといふとも、この心をおこせば、すでに、一切衆生の導師なり」

 ここでの標題は「発菩提心」と掲げるので、「菩提心をおこす」とは必ず慮知心つまりチッタ(質多)心であるが、先述するように質多心とは意志とも意訳されることから、自身の能動的気持ちで菩提心はおこすものである。「菩提は天竺の音、ここには道と云ふ」は原文での「菩提者天竺音也、此方称道」(「同」a二〇)を和訳したもので、「この慮知心にあらざれば云々」は冒頭語の逆説となる。「この慮知を即ち菩提心あらず」↔「この慮知心を菩提心」は一見同語句を対語の如くに記すが、「慮知」と「慮知心」の違いを解き明かすもので、そこには「心」という実体を同期しなければ、「菩提心」という道心は生まれない事を説く。「菩提心」以下は『修証義』で採用する文句である。

「この心、もとより有るにあらず、いまあらたに歘起するにあらず。一にあらず、多にあらず。自然にあらず、凝然にあらず。わが身のなかにあるにあらず、わが身は心の中に有るにあらず。この心は、法界に周遍せるにあらず。前にあらず、後にあらず。無きにあらず。自性にあらず、他性にあらず。共性にあらず、無因性にあらず。しかあれども、感応道交する処に、発菩提心するなり。諸仏菩薩の所授にあらず、みづからが所能にあらず、感応道交するに発心するゆゑに、自然にあらず」

 「この心」とは菩提心つまり道心を云うが、これは相対的な有無の関係、能所の二項分立的なものでも無く、定量化・数値化でき得るものでもない。この処を『身心学道』にては「発菩提心は、有にあらず無にあらず、善にあらず悪にあらず、無記にあらず。報地によりて縁起するにあらず、天有情はさだめてうべからざるにあらず」(「大正蔵」八二・一五九b五)と記す。「感応道交する処に、発菩提心する」との見解は、縁起の法則つまり関係性を示すものであろうが、しかしながら、そこでは眼前にAとAが在ったとしても必ずしもAとAとの関係性が生じるわけではない。眼前には認得しないAの内外に在るB・Cと感応道交する事象を「みづからが所能にあらず、自然にあらず」と言明するものであろう。

 「感応道交」に関連するフレーズとして『身心学道』には「感応道交して菩提心をおこしてのち、仏祖の大道に帰依し、発菩提心の行季を習学するなり」と記述される。また『帰依仏法僧宝』では「この仏法僧の功徳、必ず感応道交するとき成就するなり」などと各巻の聯関性が窺える。

「この発菩提心、多くは南閻浮の人身に発心すべきなり。八難処等にも少しきはあり、多からず。菩提心をおこしてのち、三阿僧祇劫、一百大劫修行す。あるいは無量劫おこなひてほとけになる。あるいは無量劫おこなひて、衆生を先に度して、みづからはつひにほとけにならず、たゞし衆生を度し、衆生を利益するもあり。菩薩の意楽にしたがふ」

 「南閻浮の人身」とは、須弥山(ヒマラヤ)の四方(東西南北)にある四大洲を云い、東を弗婆提(ほつばだい)、西を瞿陀(ぐだに)、北を鬱単越(うったんおつ)、南を閻浮提(えんぶだい)とする。その南閻浮つまり現在のインド大陸が人間の居住地とする処から「南閻浮の人身」と云う。この考えは中華思想に於ける北狄・南蛮。東夷・西戎とも通ずるものがあろう。

 「八難処」とは➀地獄(naraka)➁畜生(tiraccha nayomi)➂餓鬼(peta)➃長寿天(digghayu-deva)⑤辺地(paccantapada)➅聾盲瘖瘂(indriya-vekalla)⑦世智辯聡(miccha-dassana)⑧仏前仏後(tathagatanam anuppada)を云い、これらの所にも菩提心を生ずる者も少しは居るが多くはない。と説明するが、具体事例を示してもらいたい所存である。

 「三阿僧祇劫・一百大劫」も途轍もない時間を示すが、インド人の思考法には「空(sunya)」→「空性(sunyata)つまりtaを付加することで、抽象名詞化し、空(くう)なさしめる根源を説明する為に、「阿僧祇劫」と云う天文学的数値が必要になる訳である。「あるいは無量劫」以下は『修証義』に引用される語句であり説明は省略する。

「おほよそ菩提心は、いかゞして一切衆生をして菩提心をおこさしめ、仏道に引導せましと、ひまなく三業にいとなむなり。いたづらに世間の欲楽をあたふるを、利益衆生とするにはあらず。この発心、この修証、はるかに迷悟の辺表を超越せり。三界に勝出し、一切に抜群せり。なほ声聞辟支仏のおよぶ処にあらず」

 菩提心」という実態は在るものではなく、他衆を「仏道に引導」しようとしても相手方に「菩提心」が植え付けられるはずもなく、そこでは自分自身の身口意の三業を継続的に眼前現成させる外、方途はないであろう。単なる抜苦与楽的な即物的手法にては「利益衆生」とは覚束ない。そこでは百尺竿頭進一歩を以て「迷悟の辺表を超越」しなければ、話は前に進まない。これは単なる概念的産物ではなく、実際に脚を踏み出す行為そのものが「一切に抜群せり」であり、その証左として「声聞辟支仏」つまり自身の得分の領域しか考えない連中の「およぶ処にあらず」となるのである。

 

   二

 迦葉菩薩、偈をもて釋迦牟尼佛をほめたてまつるにいはく、

  發心畢竟二無別  如是二心先心難

  自未得度先度佗  是故我禮初發心

  初發已爲天人師  勝出聲聞及縁覺

  如是發心過三界  是故得名最無上

 發心とは、はじめて自未得度先度佗の心をおこすなり、これを初發菩提心といふ。この心をおこすよりのち、さらにそこばくの諸佛にあふたてまつり、供養したてまつるに、見佛聞法し、さらに菩提心をおこす、霜上加霜なり。

 いはゆる畢竟とは、佛果菩提なり。阿耨多羅三藐三菩提と初發菩提心と、格量せば劫火螢火のごとくなるべしといへども、自未得度先度佗のこころをおこせば、二無別なり。

  毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就佛身

 これすなはち如來の壽量なり。ほとけは發心修行證果、みなかくのごとし。

 衆生を利益すといふは、衆生をして自未得度先度佗のこゝろをおこさしむるなり。自未得度先度佗の心をおこせるちからによりて、われほとけにならんとおもふべからず。たとひほとけになるべき功徳熟して圓滿すべしといふとも、なほめぐらして衆生の成佛得道に回向するなり。この心、われにあらず、佗にあらず、きたるにあらずといへども、この發心よりのち、大地を擧すればみな黄金となり、大海をかけばたちまちに甘露となる。これよりのち、土石砂礫をとる、すなはち菩提心を拈來するなり。水沫泡焔を參ずる、したしく菩提心を擔來するなり。

 しかあればすなはち、國城妻子、七寶男女、頭目髓腦、身肉手足をほどこす、みな菩提心の鬧聒々なり、菩提心の活々なり。いまの質多慮知の心、ちかきにあらず、とほきにあらず、みづからにあらず、佗にあらずといへども、この心をもて、自未得度先度佗の道理にめぐらすこと不退轉なれば、發菩提心なり。

 しかあれば、いま一切衆生の我有と執せる草木瓦礫、金銀珍寶をもて菩提心にほどこす、また發菩提心ならざらめやは。心および諸法、ともに自佗共無因にあらざるがゆゑに、もし一刹那この菩提心をおこすより、萬法みな増上縁となる。おほよそ發心得道、みな刹那生滅するによるものなり。もし刹那生滅せずは、前刹那の惡さるべからず。前刹那の惡いまださらざれば、後刹那の善いま現生すべからず。この刹那の量は、たゞ如來ひとりあきらかにしらせたまふ。一刹那心、能起一語、一刹那語、能説一字も、ひとり如來のみなり。餘聖不能なり。

 おほよそ壯士の一彈指のあひだに、六十五の刹那ありて五蘊生滅すれども、凡夫かつて不覺不知なり。怛刹那の量よりは、凡夫もこれをしれり。一日一夜をふるあひだに、六十四億九萬九千九百八十の刹那ありて、五蘊ともに生滅す。しかあれども、凡夫かつて覺知せず。覺知せざるがゆゑに菩提心をおこさず。佛法をしらず、佛法を信ぜざるものは、刹那生滅の道理を信ぜざるなり。もし如來の正法眼藏涅槃妙心をあきらむるがごときは、かならずこの刹那生滅の道理を信ずるなり。いまわれら如來の説教にあふたてまつりて、曉了するににたれども、わづかに怛刹那よりこれをしり、その道理しかあるべしと信受するのみなり。世尊所説の一切の法、あきらめずしらざることも、刹那量をしらざるがごとし。學者みだりに貢高することなかれ。極少をしらざるのみにあらず、極大をもまたしらざるなり。もし如來の道力によるときは、衆生また三千界をみる。おほよそ本有より中有にいたり、中有より當本有にいたる、みな一刹那一刹那にうつりゆくなり。かくのごとくして、わがこゝろにあらず、業にひかれて流轉生死すること、一刹那もとゞまらざるなり。かくのごとく流轉生死する身心をもて、たちまちに自未得度先度佗の菩提心をおこすべきなり。たとひ發菩提心のみちに身心ををしむとも、生老病死して、つひに我有なるべからず。

 

「迦葉菩薩、偈をもて釈迦牟尼仏をほめたてまつるにいはく、発心畢竟二別、如是二心先心難。自未得度先度他、是故我礼初発心。初発已為天人師、勝出声聞及縁覚。如是発心過三界、是故得名最無上」(『大般涅槃経』三十「大正蔵」一二・五九〇a一七、―部「無」は原「不」、―部「天人」は原「人天」)<発心と畢竟と二つは別無し、是の如くの二心は先の心難し。自らは未だ度るを得ざるに先に佗を度す、是の故に我れは初発心を礼す。初発は已に天人師と為り、声聞及び縁覚に勝出す。是の如くの発心は三界に過ぎたり、是の故に最無上と名づくを得る>

「発心とは、はじめて自未得度先度他の心をおこすなり、これを初発菩提心と云ふ。この心をおこすより後、更にそこばくの諸仏にあふたてまつり、供養したてまつるに、見仏聞法し、更に菩提心をおこす、霜上加霜なり」

 「自未得度先度他」に関しては「当巻」のみの使用で十一か所のて用いられる。この「自未得度先度他」とは菩薩行とも慈悲行とも称せられ、これを「初発菩提心」とするが、この初発の繰り返しが「供養であり見仏聞法」であることを「霜上加霜」と表現する。つまり「霜の上に霜が加えられる」とは、菩提心の積み重ねを云うが、この語句は『真字三百則』下七十二則、また『永平広録』では建長三年(1251)十二月頃の上堂(473)、建長四年(1252)六月の上堂(507)の最晩年に提示されることから、「当巻」の執筆時期も推察されよう。

「いはゆる畢竟とは、仏果菩提なり。阿耨多羅三藐三菩提と初発菩提心と、格量せば劫火蛍火の如くなるべしと云へども、自未得度先度他のこころをおこせば、二無別なり」

 偈頌で説く処の「発心畢竟」の畢竟とは、結局の処は「仏果菩提」を得る。謂う処のさとりを意味し、別語では「阿耨多羅三藐三菩提」を指すが、その「仏果菩提」と「初発菩提心」とを秤にかける(格量)とすると、結果としての「仏果」=「劫火」、原因としての「初発」=「蛍火」と一般論としては考えがちではあろうが、「自未得度先度他」と云う道心から俯瞰すれば、ビッグバン(劫火)の光量も蛍の光量も

「二無別」である。

「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身」(『法華経如来寿量品「大正蔵」九・四四a三) これすなはち如来の寿量なり。ほとけは発心修行証果、みなかくのごとし」

此処で謂う処の「発心」は「是(かく)の念」であり、「修行」は「衆生(もろもろの生き様)」であり、「証果」とは「仏身(真実体)」となる事実を「発心・修行・証果」の等価態であり、三無差別を云う。

衆生を利益すと云ふは、衆生をして自未得度先度他の心をおこさしむるなり。自未得度先度他の心をおこせるちからによりて、われ仏にならんと思ふべからず。たとひ仏になるべき功徳熟して円満すべしと云ふとも、なほ巡らして衆生の成仏得道に回向するなり」

 「衆生を利益」とは衆生を救う事ではあるが、単なる世間の欲楽を与えるとは異なる。「自未得度先度他」=「ほとけ」ではあろうが、下座行に徹しきる菩薩行で以て「衆生の成仏得道」に向わせる(回向)ちからが大切である。

「この心、われにあらず、他にあらず、来たるにあらずと云へども、この発心より後、大地を挙すればみな黄金となり、大海を掻けば忽ちに甘露となる。これより後、土石砂礫をとる、すなはち菩提心を拈来するなり。水沫泡焔を参ずる、親しく菩提心を擔来するなり」

 これは菩提心の無所住を云うものですが、「大地を挙すればみな黄金となり、大海を掻けば忽ちに甘露となる」に関する検索を試みたが、この明言は道元独自の創出語であろうと思われるが、漢詩文にするなら「挙大地為皆黄金、掻大海為忽甘露」の如く対句を成し麗文である。

「しかあれば即ち、国城妻子、七宝男女、頭目髄脳、身肉手足をほどこす、みな菩提心の鬧聒々なり、菩提心の活なり。いまの質多慮知の心、近きにあらず、遠きにあらず、みづからにあらず、他にあらずと云へども、この心をもて、自未得度先度他の道理にめぐらすこと不退転なれば、発菩提心なり」

 「国城妻子」に関しては、「当巻」以外では『供養諸仏』のみの使用となる、また『永平広録』での使用例を見るに建長二年(1250)六月もしくは七月頃の上堂(381)では『賢愚経』四に於ける長文の経文を引用するなかで、「国城妻子」(「大正蔵」四・三七七b五)が見出せる。また同じ『賢愚経』を用いた巻に『洗面』がある。この巻は道元が興聖時代から一貫して示衆した巻であり、その提示ごとに書き加えられていたのであろう。最初は延元元年(1239)十月に興聖宝林寺、二度目は寛元元年(1243)十月吉峰寺、三回目が建長二年(1250)正月永平寺に於いて提唱されたと記録される。つまり「国城妻子」は明らかに『賢愚経』からの引用であることは間違いなく、当巻『発菩提心』および『供養諸仏』執筆の時期は「建長二年正月~六・七月の間」と限定される根拠が此処にある。

 「菩提心の活鱍々」とは、まるで菩提心と云う観念的な言葉に、「頭目髄脳、身肉手足」を付与し、水を得た魚のようなピチピチと勇躍するかのように、生命を吹き込んだかのような表現態である。なお「活鱍々」なる語は『行仏威儀』『一顆明珠』『有時』『法性』『梅花』『見仏』『三十七品菩提分法』『優曇華』『三昧王三昧』『安居』そして当『発菩提心』にと、当初から晩年に至るまで一貫して、単なる文字列に生命を注入するマントラとも云うべき語とも謂えよう。

 「いまの質多慮知の心」とは通常、我々が慮(おもんぱか)る想い、と規定できよう。このマインドは分析学的に分類されるカテゴリーの問題ではなく、この心の「不退転」なる行状が「発菩提」に直結される。

 冒頭では「質多、汗栗多、矣栗多」の心三種を掲げたが、仏道に参随するとは、学問的考察も重要ではあろうが、まずは眼前の「質多心」を究竟せよとの指示だと思われる。

「しかあれば、いま一切衆生の我有と執せる草木瓦礫、金銀珍宝をもて菩提心にほどこす、また発菩提心ならざらめやは。心および諸法、ともに自他共無因にあらざるがゆゑに、もし一刹那この菩提心をおこすより、万法みな増上縁となる」

 つまり常日頃の心の積み重ねが菩提心であるなら、我々の執著する対象である「草木瓦礫、金銀珍宝」を以て菩提心に施与するならば、これも「菩提心」の一形態であろう。

 「心および諸法」とは、全界に於ける事物事象は、それぞれに独立した存在ではあるが、互いの関係性により諸法の聯関が生じる、これを「増上縁」と明言されたのであろう。私の貧弱なイメージを示すに、特定(ウラン235)の原子核(心)に中性子(刹那)が吸収(菩提心)されることで連鎖反応(増上縁)が生じ、そのエネルギーは1gのウランで一世帯消費エネルギー換算で二年分が生じる。まさに尽十方界悉皆菩提心となろう。

 「一刹那」の量を『阿毘達磨倶舎論』十二では「一刹那量、衆縁和合法得自体頃」(「大正蔵」二九・六二a二一)<一刹那量は、法の自体を得る頃(あいだ)>と規定する。「増上縁」とは、原因となる縁(因縁)、因縁の継続(等無間縁)、因縁の対象(所縁縁)の関係性を増長させる縁を云う。

「おほよそ発心・得道、みな刹那生滅するによるものなり。もし刹那生滅せずは、前刹那の悪去るべからず。前刹那の悪未だ去らざれば、後刹那の善いま現生すべからず。この刹那の量は、たゞ如来ひとり明らかに知らせたまふ。一刹那心、能起一語、一刹那語、能説一字も、ひとり如来のみなり。余聖不能なり」

 この「刹那生滅」とは絶え間なく生死を繰り返す様を云うものだろうが、今時の流行(はやり)の用語を使用するなら、まさに動的平衡(dynamic equilibrium)が適切な用例ではなかろうか。「発心・得道」を人生に喩うなら、生れて終命するまで一瞬(刹那)たりとも停滞することなく、真実なる人体の維持恒常に努める動作を云う。この「刹那生滅」の動作が止めば、それは死を意味し増上縁の途絶である。

「一刹那心、能起一語、一刹那語、()能説一字」<一刹那の心は、能く一語を起し、一刹那の語は能く一字を説く>(『阿毘達磨大毘婆沙論』十五(「大正蔵」二七・七二b二三、―部「不」は原あり)。この「刹那心」という微妙な認識は、ひとり如来のみが説き得るもので、他の聖人たちの説かざるものである。と示すが、「余聖」とは具体的には誰を指すものであろうか。たとえば下世話な論述であろうが、当時浄土宗を引導して居た聖人か、それとも栄西とも親交があった華厳の聖人は、または京都東福寺に入寺して居た円爾弁円の聖人か、これらの僧たちは、道元在世には世間に出世し、共々に仏法の名の元に少なからずの影響を与えた「余聖」であるからであり、敢えてこのように問いかけてみた。

「おほよそ壮士の一弾指のあひだに、六十五の刹那ありて五蘊生滅すれども、凡夫かつて不覚不知なり。怛刹那の量よりは、凡夫もこれを知れり。一日一夜をふるあひだに、六十四億九万九千九百八十の刹那ありて、五蘊ともに生滅す。しかあれども、凡夫かつて覚知せず。覚知せざるがゆゑに菩提心をおこさず」

 「一弾指六十五の刹那」の出典は少し前(一刹那量)に示した『俱舎論』十二にて「如壮士一弾指頃六十五刹那」(「大正蔵」二九・六二a二二)と示され、この六十五刹那間に「五蘊」(色・受・想・行・識)つまり我々の身体を構成する組織が「生滅」し続けているが、「凡夫」の我々には「不覚不知」である。具体事例を示すならば、血液の一成分である赤血球は一秒間に300万個作られると同時に、同数の赤血球がアポトーシス自死)やオートファジー(自食)の作用により破壊されている御蔭で、人体の隅々にまで酸素が供給されて「不覚不知」なる日常底が保持されるわけである。

 「怛刹那」に関しては、『雑阿毘曇心論』二では「百二十刹那名一怛刹那、六十怛刹那名一羅婆、七千二百刹那也」(「大正蔵」二八・八八七b九)

 「六十四億九万九千九百八十の刹那」に関する経典は、『阿毘達磨大毘婆沙論』三十九には「謂一昼夜総有六十四億九万九千九百八十刹那五蘊生滅」(「大正蔵」二七・二〇二c七)が該当するであろう。

 「凡夫かつて覚知せず。覚知せざるがゆゑに菩提心をおこさず」と導かれるが、筆者の浅はかな考察力からしても云える事であるが、これらの刹那生滅を覚知し得たなら、恐らくは人間生活は営まれないであろう事は自明の理である。此処では凡夫と如来をを対比的に論ずる事で、如来の優位性導くものであろうが、ここでは敢えて「凡夫の覚知せずとも菩提心おこす」と書き改めたいものである。

 数字の遊びになるが6400099980が一日の刹那数であるから一時間は266670832刹那、一分は4444513刹那、一秒は74075刹那と算出できる。いま世界の標準時計での一秒の定義は、セシウム133原子が振動する9192631770(刹那)であり、先の6400099980とは何の関連もない数字ではあるが、古代インド人の思考法(抽象名詞の奥底に潜む深淵性)には脱帽である。

「仏法を知らず、仏法を信ぜざる者は、刹那生滅の道理を信ぜざるなり。もし如来正法眼蔵涅槃妙心を明らむるが如きは、必ずこの刹那生滅の道理を信ずるなり。今われら如来の説教にあふたてまつりて、曉了するに似たれども、わづかに怛刹那よりこれを知り、その道理しかあるべしと信受するのみなり」

 此処でも筆者は道元の筆致を評することになるが、これは現代語訳でもなく、注解書でもなく、私自身の視点視座から、現代的なる知見で以て、八百年前の人間道元を俯瞰するものであるから、当然ながら批判めいた論調になるが、宗祖道元を論破しているものでは無い事は勿論である。

 冒頭文言から推察すると、「仏法」↔「世法」には飛び越えられない垣根があり、「仏法」=善、「世法」=不善。世法→仏法に進むべく方向路を世俗にて出世する僧が担う、というような路線図が青写真として描かれているような印象を受ける文体であり表現法である。つまり「刹那生滅の道理」は、釈尊の教え(縁起の法)を知らなくても、身体が承知している事実である。謂うなれば、日中は誰しも呼吸を意識しようが、夜間の熟睡に於いても呼吸に意識を集中して念(サティ)の行法に励む行者は恐らくは居ないだろう。このように「刹那生滅の道理」は、尽界としての真実なる人体は、子宮内の胎児の時から一瞬たりとも停滞せずの生命活動は、仏法・キリスト法・ユダヤ法・イスラム法とは問わないのである。もちろん道元の立場からは「仏法を知らず不信の者は、刹那生滅の道理を信ぜざる」と言わざる得ない状況下での発信法であろう。

「世尊所説の一切の法、明らめず知らざることも、刹那量を知らざるが如し。学者みだりに貢高することなかれ。極少を知らざるのみにあらず、極大をもまた知らざるなり」

 この文言は、先ほどの私の話術に対し、「貢高」つまり驕り高ぶるな、高慢になるな、はたまた福井弁〔永平寺〕にてのこっぺな族(やから)と諭されているようで面映(おもは)ゆい気分であります。

「もし如来の道力による時は、衆生また三千界を見る。おほよそ本有より中有に至り、中有より当本有に至る、みな一刹那一刹那に移りゆくなり。かくの如くして、わがこゝろにあらず、業にひかれて流転生死すること、一刹那もとゞまらざるなり。かくの如く流転生死する身心をもて、たちまちに自未得度先度他の菩提心をおこすべきなり。たとひ発菩提心の道に身心を惜しむとも、生老病死して、つひに我有なるべからず」

 「本有より中有に至り、中有より当本有に至る」の表現態は、晩年に至りて用いられた語法のようである。まず『道心』では五回に亙り「いまだ後の生にむまれざらんそのあいだ、中有と云ふことあり」(「大正蔵」八二・三〇六a一八)、「中有にて死して、また中有の身をうけて七日あり」、「中有をすぎて」、「中有までも後生までも」と記録されるが、一般に道元の代表的著作である「正法眼蔵」と謂われる、特に「七十五巻本」であるが、哲学思惟の考察に特異性があり、独自な漢文体と日本和文体との融合が見られる処から、宗門関係者よりは禅哲学から考察した井筒俊彦(1914―1993)のような学者が、魅力を感じ英文ないし日本文にて著述されているものと比べると、はるかに此の「中有」なる語は異質ではあるが、興聖・吉峰時代には弁用せず、宝治二年(1248)三月鎌倉より帰山してより建長四年(1252)十月頃までの五年間に限定され記述が認められるは、一人の人間道元として見る上では実に興味深い「中有」語である。なお此の「中有」の出典籍は『三時業』に引用される『阿毘達磨大毘婆沙論』の閲覧により援用されたと考えられる。

 聊か「中有」に関する説明に時間を割いたが、これは迦葉菩薩による「発心」に対する偈頌の拈提でありますから最後の纏めとしては、「流転生死する」生身の「身心」でありますから、一刻も早く「自未得度先度他の菩提心」を経て「生老病死」しても「我有」という実態は残闕なし、との意でありましょう。

 

   三

 衆生の壽行生滅してとゞまらず、すみやかなること、

 世尊在世有一比丘、來詣佛所、頂禮雙足、卻住一面、白世尊言、衆生壽行、云何速疾生滅。佛言、我能宣説、汝不能知。比丘言、頗有譬喩能顯示不。佛言、有、今爲汝説。譬如四善射夫、各執弓箭、相背攅立、欲射四方、有一捷夫、來語之、曰汝等今可一時放箭、我能遍接、倶令不墮。於意云何、此捷疾不。比丘白佛、甚疾、世尊。佛言、彼人捷疾、不及地行夜叉。地行夜叉捷疾、不及空行夜叉。空行夜叉捷疾、不及四天王天捷疾。彼天捷疾、不及日月二輪捷疾。日月二輪捷疾、不及堅行天子捷疾。此是導引日月輪車者。此等諸天、展轉捷疾。壽行生滅、捷疾於彼。刹那流轉、無有暫停。

 われらが壽行生滅、刹那流轉捷疾なること、かくのごとし。念々のあひだ、行者この道理をわするゝことなかれ。この刹那生滅、流轉捷疾にありながら、もし自未得度先度佗の一念をおこすごときは、久遠の壽量、たちまちに現在前するなり。三世十方の諸佛、ならびに七佛世尊、および西天二十八祖、東地六祖、乃至傳佛正法眼藏涅槃妙心の祖師、みなともに菩提心を保任せり、いまだ菩提心をおこさゞるは祖師にあらず。

 

衆生の寿行生滅してとゞまらず、速やかなること」

 これは次に説く経文の語りを、冒頭に問いかけの形で提示する。

世尊在世有一比丘、来詣仏所、頂礼雙足、却住一面、白世尊言、衆生寿行、云何速疾生滅」(『阿毘達磨大毘婆沙論』百三十六、―部「世尊在世」は原なし、―部「比丘」は原「苾芻」、―部「衆生」は原なし、)<世尊在世に一比丘有り、仏の所に来り詣りて、雙足を頂礼し、却って一面に住して、世尊に白して言く、衆生の寿行は、云何(いかん)が速疾(すみやか)に生滅するや>

「仏言、我能宣説、汝不能知。比丘言、頗有譬喩能顕示不。仏言、有、今為汝説。譬如四善射夫、各執弓箭、相背攅立、欲射四方、有一捷夫、来語之、曰汝等今可一時放箭、我能遍接、倶令不堕。於意云何、此捷疾不」(「同」b二三、―部「比丘」は原「苾芻」)<仏言く、我れ能く宣説するも、汝の知る能わず。比丘言く、頗る譬喩の能く顕示する有や不や。仏言く、有り、今汝が為に説かん。譬えば四(よたり)の善射夫は、各(おのおの)に弓箭を執り、相い背きて攅(あつま)り立ちて、四方を射んと欲すに、一(ひとり)の捷夫が有りて、来りて之に語りて、汝等今一時に箭を放つべし、我れ能く遍く接(と)りて、倶に堕せざらんと曰うが如し。意に於て云何、此れは捷疾ならや不や>

比丘白仏、甚疾、世尊。仏言、彼人捷疾、不及地行叉。地行夜叉捷疾、不及空行叉。空行夜叉捷疾、不及四天王天捷疾。彼天捷疾、不及日月捷疾日月二輪捷疾、不及堅行天子捷疾。此是導引日月輪車者。此等諸天、展転捷疾。寿行生滅、捷疾於彼。刹那流転、無有暫停」(「同」b二七、―部「比丘」は原「苾芻」、―部「夜」は原「薬」、―部「夜叉」は原なす、―部「天王天」は原「大王衆天」、―部「捷疾」は原なし、―部「二」は原なし、―部「日月」は原なし)<比丘仏に白す、甚だ疾(はや)し、世尊。仏言く、彼の人の捷疾は、地行夜叉には及ばず。地行夜叉の捷疾なるは、空行夜叉には及ばず。空行夜叉の捷疾なるは、四天王天の捷疾なるに及ばず。彼の天の捷疾なるは、日月二輪の捷疾なるに及ばず。日月二輪の捷疾なるは、堅行天子の捷疾なるに及ばず。此れは是れ日月の輪車を導引する者なり。此等の諸天、展転して捷疾なり。寿行の生滅は、彼よりも捷疾なり。刹那に流転し、暫くも停るは有る無し>「寿行生滅」とは、寿命のうつりゆく様。「善射夫」は弓をよく射る者。「地行夜叉」とは、地上のみを走る鬼。「空行夜叉」とは、空中を飛行できる悪鬼。「日月二輪」とは太陽と月。

「われらが寿行生滅、刹那流転捷疾なること、かくの如し。念々のあひだ、行者この道理を忘るゝことなかれ。この刹那生滅、流転捷疾にありながら、もし自未得度先度他の一念をおこす如きは、久遠の寿量、忽ちに現在前するなり。三世十方の諸仏、ならびに七仏世尊、および西天二十八祖、東地六祖、乃至伝仏正法眼蔵涅槃妙心の祖師、皆ともに菩提心を保任せり、いまだ菩提心をおこさゞるは祖師にあらず」

 まさに無常甚深の喩言の下では誰一人として例外は無いのであるから、「自未得度先度他」の重要性は理解する者ではあるが、先ほども「刹那生滅」の項で述べたが、筆者としては現に我々が現今生命を維持し続ける原因は、宗教的・社会的背景ではなく、すでに此の真実人体としての身体自身が「自らは未だ得度せざるに先に他を度す」を認得するからこそ、結果として「刹那・流転・捷疾」を認知出来るのではなかろうか。

 道元は常套語として、「三世十方仏、七仏世尊、西天二十八祖、東地六祖、仏正法眼蔵涅槃妙心」は皆々、道心保持者であるから名が列記されるが、ここで拡大解釈を図ることで、尽界に在する衆生が「菩提心を保任」するからこそ、過去の諸尊は「現在前するなり」と読み解くは論理的には如何でありましょう歟。

 

   四

 禪苑清規一百二十問云、發悟菩提心否。

 あきらかにしるべし、佛祖の學道、かならず菩提心を發悟するをさきとせりといふこと。これすなはち佛祖の常法なり。發悟すといふは、曉了なり。これ大覺にはあらず。たとひ十地を頓證せるも、なほこれ菩薩なり。西天二十八祖、唐土六祖等、および諸大祖師は、これ菩薩なり。ほとけにあらず、聲聞辟支佛等にあらず。いまのよにある參學のともがら、菩薩なり、聲聞にあらずといふこと、あきらめしれるともがら一人もなし。たゞみだりに衲僧衲子と自稱して、その眞實をしらざるによりて、みだりがはしくせり。あはれむべし、澆季祖道癈せること。

 しかあればすなはち、たとひ在家にもあれ、たとひ出家にもあれ、あるいは天上にもあれ、あるいは人間にもあれ、苦にありといふとも、樂にありといふとも、はやく自未得度先度佗の心をおこすべし。衆生界は有邊無邊にあらざれども、先度一切衆生の心をおこすなり。これすなはち菩提心なり。

 一生補處菩薩、まさに閻浮提にくだらんとするとき、覩史多天の諸天のために、最後の教をほどこすにいはく、菩提心是法明門、不斷三寶故。

 あきらかにしりぬ、三寶の不斷は菩提心のちからなりといふことを。菩提心をおこしてのち、かたく守護し、退轉なかるべし。

 

「禅苑清規一百二十問云、発悟菩提心否。明らかに知るべし、仏祖の学道、必ず菩提心を発悟するを先とせりと云ふこと。これすなはち仏祖の常法なり。発悟すと云ふは、曉了なり。これ大覚にはあらず。たとひ十地を頓証せるも、なほこれ菩薩なり」

 本則では「発悟せりや否や」と問い掛ける形ではありますが、このような発話に対する答話の定型句のようでありまして、例えば時折文末に「歟(か)」を付加して何々でしょうか、との問い質す文句が見られるが、このような場合は、ほとんどが断定と判断すべき文章の飾り詞的意味合いになる。ですから「必ず菩提心を発悟するを先とせり(は)、仏祖の常法なり」と断言するのであります。ただし「発悟」すると云っても、それは仏世尊(大覚)ではないのであり、菩薩であると。

「西天二十八祖、唐土六祖等、および諸大祖師は、これ菩薩なり。ほとけにあらず、声聞辟支仏等にあらず。今の世にある参学のともがら、菩薩なり、声聞にあらずと云ふこと、明らめ知れるともがら一人もなし。たゞ妄りに衲僧衲子と自称して、その真実を知らざるによりて、妄りがはしくせり。憐れむべし、澆季祖道癈せること」

 「西天二十八祖、唐土六祖」等は祖師と呼ばれはするが、あくまでも人間の範疇での菩薩であり、ほとけを強調する。また「衲僧・衲子」との呼称を高声に云う族(やから)を「澆季」つまり道義が薄れて、人情が軽薄になった末世と化し、「祖道癈せり」と嘆くは、余程に在宋時にも、また在京周辺もしくは永平寺に参学する雲徒を指しての詞であるかも知れない。ただ此等「新草本」が執筆の動機とも考えられる、道元在鎌倉での永平寺山内の様子を推察するに、やはり一部の本覚ボコリを自称する悪徒を眼中に於いての文章とも受け止められよう。

「しかあれば即ち、たとひ在家にもあれ、たとひ出家にもあれ、あるいは天上にもあれ、あるいは人間にもあれ、苦にありと云ふとも、楽にありと云ふとも、はやく自未得度先度他の心をおこすべし。衆生界は有辺無辺にあらざれども、先度一切衆生の心をおこすなり。これすなはち菩提心なり」

 ここは『修証義』に援用された文句であるが、その前後の文言は『発菩提心』からのツマミ喰い文体であるが、明治期の宗門関係者は、どうして「自未得度先度他の心をおこすべし」と明言しながら、「これすなはち菩提心なり」を付言しなかったのであろうか。

「一生補処菩薩、まさに閻浮提にくだらんとする時、覩史多天の諸天のために、最後の教をほどこすに云はく、菩提心是法明門、不断三宝故。明らかに知りぬ、三宝の不断は菩提心のちからなりと云ふことを。菩提心をおこして後、固く守護し、退転なかるべし」

 「一生補処菩薩」の引用典籍は『仏本行集経』六である「一生補処菩薩大士、在兜率宮、欲下託生於人間者、於天衆前、要須宣暢説此一百八法明門」(「大正蔵」三・六八〇c二六)からの引用であり、「菩提心是法明門、不断三宝故」は同経「正定、是法明門、得無散乱三昧故。菩提心、是法明門、不断三宝。依倚、是法明門、不楽小乗故」(「同」六八一c二七)からの援用である。また此の『仏本行集経』が「新草十二巻」での十一巻目となる『一百八法明門』に聯関する。

 

   五

 佛言、云何菩薩守護一事。謂、菩提心菩薩摩訶薩、常勤守護是菩提心、猶如世人守護一子。亦如瞎者護餘一目。如行曠野守護導者。菩薩守護菩提心、亦復如是。因護如是菩提心故、得阿耨多羅三藐三菩提。因得阿耨多羅三藐三菩提故、常樂我淨具足而有。即是無上大般涅槃。是故菩薩守護一法。

 菩提心をまぼらんこと、佛語あきらかにかくのごとし。守護して退轉なからしむるゆゑは、世間の常法にいはく、たとひ生ずれども熟せざるもの三種あり。いはく、魚子菴羅果發心菩薩なり。おほよそ退大のものおほきがゆゑに、われも退大とならんことを、かねてよりおそるゝなり。このゆゑに菩提心を守護するなり。

 菩薩の初心のとき、菩提心を退轉すること、おほくは正師にあはざるによる。正師にあはざれば正法をきかず、正法をきかざればおそらくは因果を撥無し、解脱を撥無し、三寶を撥無し、三世等の諸法を撥無す。いたづらに現在の五欲に貪著して、前途菩提の功徳を失す。

 あるいは天魔波旬等、行者をさまたげんがために、佛形に化し、父母師匠、乃至親族諸天等のかたちを現じて、きたりちかづきて、菩薩にむかひてこしらへすゝめていはく、佛道長遠、久受諸苦、もともうれふべし。しかじ、まづわれ生死を解脱し、のちに衆生をわたさんには。行者このかたらひをきゝて、菩提心を退し、菩薩の行を退す。まさにしるべし、かくのごとくの説はすなはちこれ魔説なり、菩薩しりてしたがふことなかれ。もはら自未得度先度佗の行願を退轉せざるべし。自未得度先度佗の行願にそむかんがごときは、これ魔説としるべし、外道説としるべし、惡友説としるべし。さらにしたがふことなかれ。

「仏言、云何菩薩守護一事。謂、菩提心菩薩摩訶薩、常勤守護是菩提心、猶如世人守護一子。亦如瞎者護余一目。如行野守護導者。菩薩守護菩提()心、亦復如是。因護如是菩提心故、得阿耨多羅三藐三菩提。因得阿耨多羅三藐三菩提、常楽我浄具足而有。即是無上大般涅槃。是故菩薩守護一法」(『大般涅槃経』二十五「大正蔵」一二・二一五a二九、―部「曠」は原「壙」、―部「之」は原あり、―部「故」は原なし)<仏言く、云何が菩薩一事を守護せん。謂く、菩提心なり。菩薩摩訶薩は、常に勤めて是の菩提心を守護すること、猶お世人の一子を守護するが如し。亦た瞎者の余の一目を護るが如し。曠野を行くに導者を守護するが如し。菩薩の菩提心を守護するも、亦た復た是の如し。是の如くの菩提心を護るに因るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得る。阿耨多羅三藐三菩提を得るが因るが故に、常楽我浄の具足して有る。即ち是れ無上大般涅槃なり。是の故に菩薩は一法を守護すべし>

 「瞎者」とは片眼の人。「導者」とは道案内人。「常楽我浄」とは涅槃の意であり、阿耨菩提の実体。

菩提心をまぼらん事、仏語明らかにかくの如し。守護して退転なからしむるゆゑは、世間の常法に云はく、たとひ生ずれども熟せざるもの三種あり。いはく、魚子菴羅果発心菩薩なり。おほよそ退大のものおほきがゆゑに、われも退大とならんことを、かねてより怖るゝなり。このゆゑに菩提心を守護するなり」

 「世間の常法に熟せざるもの三種」の出典籍は『大智度論』四に於ける「菩薩発魚子菴樹華、三事因時多、成果時甚少」(「大正蔵」二五・八八a一〇)の文言を、「魚子・菴羅果・発心菩薩なり」と言い換えたのであろう。

 「退大」とは大業を退失して二乗に堕するを云うわけで、常に我々の周辺では「退大」の懸念がある故、『涅槃経』での「菩提心を守護する」ことが重要となる。

「菩薩の初心の時、菩提心を退転すること、多くは正師に会はざるによる。正師に会はざれば正法を聞かず、正法を聞かざれば恐らくは因果を撥無し、解脱を撥無し、三宝を撥無し、三世等の諸法を撥無す。いたづらに現在の五欲に貪著して、前途菩提の功徳を失す」

 此処で注目すべき語句は「因果撥無」であろう。「菩提心退転」→「正師不会・正法不聞」の結果として「因果撥無・解脱撥無・三宝撥無」つまり因果も解脱も三宝も撥(はら)い無くす。と云うは『大修行』にて説く「撥無因果なるべからず」(「大正蔵」八二・二五七a七)とは矛盾するように思われるが、同じ話則を挙した『深信因果』では「撥無因果のあやまりなり、不昧因果は明らかに深信因果なり」(「大正蔵」八二・二九四b二七)とするを紹介するに留める。

「あるいは天魔波旬等、行者を妨げんが為に、仏形に化し、父母師匠、乃至親族諸天等の形を現じて、来たり近づきて、菩薩に向ひてこしらへ勧めて云はく、仏道長遠、久受諸苦、もとも愁ふべし。しかじ、まづわれ生死を解脱し、のちに衆生をわたさんには。行者この語らひを聞きて、菩提心を退し、菩薩の行を退す。まさに知るべし、かくの如くの説は即ちこれ魔説なり、菩薩知りて従ふことなかれ。もはら自未得度先度他の行願を退転せざるべし。自未得度先度他の行願に背かんが如きは、これ魔説と知るべし、外道説と知るべし、悪友説と知るべし。更に従ふことなかれ」

 「天魔波旬」の「天魔」とは他化自在天を指し、第六天魔王とも云う。「波旬」とはパーリ語「papi-mant」の音写語であり、悪意(パーパ)のある者の意。時には魔波旬(マーラ・パーピマント)とも呼ばれる。

 「仏道長遠、久受諸苦」については『法華経』授化城喩品に説く「若衆生但聞一仏乗者、則不欲見仏、不欲親近。便作是念、仏道長遠久受懃苦。乃可得成仏」(「大正蔵」九・二六a一七)の文章を捩ったものでしょうか。

 特段このように、修行に於いては自身の内外の諸々の関係から、魔と称する者が邪魔する様式は釈迦時代と云うより、新たな息吹の考えの教えが台頭する時には、必ず通過すべき状況なのかも知れない。その典型が道元が生きた中世仏教界であり、天台もしくはそれらに附随する教団が暴力的な破壊行為によって、安住の地と願った京都を追い出され、辺地なる越の国に移錫せざる得なかった意味も含有されると思われる。

 

   六

 魔有四種。一煩惱魔、二五衆魔、三死魔、四天子魔。煩惱魔者、所謂百八煩惱等、分別八萬四千諸煩惱。五衆魔者、是煩惱和合因縁、得是身。四大及四大造色、眼根等色、是名色衆。百八煩惱等諸受和合、名爲受衆。大小無量所有想、分別和合、名爲想衆。因好醜心發、能起貪欲瞋恚等心、相應不相應法、名爲行衆。六情六塵和合故生六識、是六識分別和合無量無邊心、是名識衆。死魔者、無常因縁故、破相續五衆壽命、盡離三法識熱壽故、名爲死魔。天子魔者、欲界主、深著世樂、用有所得故生邪見、憎嫉一切賢聖、涅槃道法。是名天子魔。魔是天竺語、秦言能奪命者。雖死魔實能奪命、餘者亦能作奪命因縁、亦奪智恵命。是故名殺者。問曰、一五衆魔接三種魔、何以故別説四。答曰、實是一魔、分別其義故有四。上來これ龍樹祖師の施設なり、行者しりて勤學すべし。いたづらに魔嬈をかうぶりて、菩提心を退轉せざれ、これ守護菩提心なり。

 

「魔有四種。煩悩魔、五衆魔、死魔、天子魔」(『大智度論』七十六「大正蔵」二五・五三三c二一、―部「一二三四」は原なし)<魔に四種有り。一つは煩悩魔、二つは五衆魔、三つは死魔、四つは天子魔>

「煩悩魔者、所謂百八煩悩等、分別八万四千諸煩悩」(同)c二二)<煩悩魔は、所謂百八煩悩等、分別するに八万四千の諸の煩悩なり>

「五衆魔者、是煩悩()和合因縁、得是身。四大及四大造色、眼根等色、是名色衆。百八煩悩等諸受和合、名為受衆。大小無量所有想、分別和合、名為想衆。因好醜心発、能起貪欲瞋恚等心、相応不相応法、名為行衆。六情六塵和合故生六識、是六識分別和合無量無辺心、是名識衆」(「同」c二三、―部「業」は原あり)<五衆魔は、是れ煩悩和合の因縁にして、是の身を得。四大及び四大の造色、眼根等の色、是れを色衆と名づく。百八煩悩等の諸受和合せるを、名づけて受衆と為す。大小無量の所有の想、分別和合せるを、名づけて想衆と為す。好醜の心の発るに因って、能く貪欲・瞋恚等の心、相応不相応の法を起すを、名づけて行衆と為す。六情・六塵を和合するが故に六識を生ず、是の六識・分別和合すれば無量無辺の心あり、是れを識衆と名づく>

「死魔者、無常因縁故、破相続五衆寿命、尽離三法識寿故、名為死魔」(「同」五三四a二、―部「熱」は原「断」)<死魔は、無常因縁の故に、相続せる五衆の寿命を破り、三法なる識・熱・寿を尽離するが故に、名づけて死魔と為す>

「天子魔者、欲界主、深著世、用有所得故生邪見、憎嫉一切賢聖、涅槃道法。是名天子魔」(「同」a四、―部「楽」は原「間」)<天子魔は、欲界の主として、深く世楽に著し、有所得を用いての故に邪見を生じ、一切賢聖、涅槃の道法に憎嫉す。是れを天子魔と名づく>

「魔是天竺語、秦言能奪命者。雖死魔実能奪命、余者亦能作奪命因縁、亦奪智恵命。是故名殺者」(「同」a六、―部「是天竺語」は原なし)<魔は是れ天竺の語、秦には能奪命者と言う。死魔は実に能く命を奪うと雖も、余の者も亦た能く奪命の因縁を作し、亦た智恵の命を奪う。是の故に殺者と名づく>

「問曰、一五衆魔接三種魔、何以故別説四。答曰、実是一魔、分別其義故有四」(「同」a八)<問うて曰く、一の五衆魔に三種の魔を接す、何を以ての故に別にして四と説くや。答えて曰く、実に是れ一魔なり、其の義を分別するが故に四有り>

「上来これ龍樹祖師の施設なり、行者知りて勤学すべし。いたづらに魔嬈をかうぶりて、菩提心を退転せざれ、これ守護菩提心なり」

 最後に「魔」に対する説明と警告でありましょうが、この話則は前出の「天魔波旬」に附随してのものでありましょうが、聊か新鮮味に欠け、拈提文にしても単なる語呂合わせ的解釈となったは残念である。

(終)

  2023年5月1日 雨季のバンコック北郊にて記す