正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵身心学道について    竹 村 仁 秀

正法眼蔵身心学道について

竹 村 仁 秀

 

永平高祖道元褝師は主著「正法眼蔵」の中に「身心学道」の一巻を著わし、仏家修行者の真実の学道について説示しておられる。

学道と云うならば、平常は心の学道の如く考えられ、学道その物をして心の成長、発展の問題と結びつけて人格の陶治とする様に思考せられておるけれ共、道元禅師は、真実の学道とは身の学道である。いうならば、身心の学道でなければならぬとしている。従。て禅師の学道とは、仏祖の行李を学習することにあるのであって、身心両面の不二一体の参学を示しているのである。「身心学道」の冒頭に、

仏道は不道を擬するに不得なり、不学を擬するに転遠なり、南獄大慧褝師のいはく、修証はなきにあらす、汚染することえじ、仏道を学せざれば、すなはち外道・闡提等の道に堕在す、このゆえに前仏後仏かならず仏道を修行するなり

と示されて、仏道修行の功に酬いて、証を得るのではなく、あくまでも不汚染の修証でなければならない。修行をして不待、証を不期修行と参学せねばならない事の、本証妙修の真随を説示されたものである。これは、本覚門的修証観に立っ道元禅師の教えが非常に解りやすく如実に知見し得る所である。

さて、今ここに引用の本文であるが、仏道に不道、不学という言葉があるけれ共、仏道とは、大道を離れようとしても所詮離れられざる、一切処一切時が道なる故に迷うても、悟っても仏祖の大道を出するものではあり得ない。云うなれば「修証はなきにあらず」は修証一等、或は修証不二の本覚門的修証観を示し、「染汚することをえじ」は、不染汚の修証を云っているのである。対待なき真実の学道を云うのである。

従って、褝師からすれば、修といっても証と云っても一方究尽であって、一方証すれば一方はくらし、の如く修の時は修のみにて他方は一法もあり得ない。尽法界修の一元となる。不染汚の修証、つまり身心不二であって仏祖道における真実の学道とは、かかる身心の学習を云うのであって、衆生の立場を修行の出発的とすれば、見性待悟の禅となり、仏の立場より修行すれば道元褝の修行となるのである。初発心より現成公案にあって迷惑せず。顛到せざる自己を看取せよの立場である。

衆生を仏に変らすと云うのではなく、無限に仏を証しもていくのである。

褝師が已下に示される身心学道の全文も、かかる修証観から拈提されるのであって、一元的もの乂見方、捉え方が明確である。道元褝師の仏法の真随を示すものはかかる全一的かつ何物にも捉われず又束縛を受けず、自受用三昧を行くもので、遍界無障である。従ってここでは、心学道のみの参究に止めるが、身学道としても全くこのことは何ら異るものではない。つまり心学道と身学道は二つのものではなく、本来一つのものを説示する上に二つに分けて説いているのである。身心は不離不待であって、身心が二つならば、心常相滅の邪見とえらぶ所はない。本証妙修に立つ褝師が、かかる二元観に立つことはあり得ない。

  禅師が「心をもて学し、身をもて学すなり」と云っているのも、凡夫の具足せる慮知念覚の心を似って学ぶ法とか、或は穢身仏道を修行するのではなく、心は即ち身であるから、只身心学道と名付けたる為に、心の学、身の学と云うのであるが、「以法界を学し、以眼学し、以耳学し、以山学し、以見学し、以水学すとも無尽に云うべきなり、しかしてこの身則学なり、此心則学なり」なのである。

身とは学であり、心とは学なのだとされる。身と学とを初り離して考えるのではなく、心を学と二別せず、尽十方界を一顆の明珠として心一元に生きること、その時に自己は学としての身になり切り、心としての学になり切っている。従ってそれは心に徹底して生きること、それ自体が学なのであるとなる。従って褝師が「あらゆる諸心をもて学すなり」と云っても、諸心とは仏心を云っているのであって、質多心も汗粟駄心も皆我らが日頃具足したる心を云っているのではない。帰依とは心の外の何物でもないのであるから、前も後も習心なのであって、前後ありとはならない。菩提心の行李とは菩提心を発す為の行李を云うのではなく、自性清浄の自己の本心のめざめを云うのである。いわば、慮知心と菩提心の二心があるのではなく、仏心の共体的現実相を慮知心としているのであるから、菩提道を行ずることの上には、慮知心も衆生心もなく皆菩提心なのである。

しかし乍ら、この発菩提心は末だおこらすとも、菩提心をおこせし仏祖の法をならふことが、発菩提心であるとしている。そして菩提心とは赤心片片であり、古仏心であり、平常心であり、三界一心であるとされる。

そして、これらの心を放下し或は拈挙して学道する。それは心の上に思量すとも不思量すとも、尽十方界が心の究尽せる時節においては心の一元であるから、非思量と云うも同じことなのだとされるのである。つまり、心をもって放つとも拈挙(とる)とも云うもその心地は、 云うなれば心のありようを云うのである。その心の具体的姿としては、剃髪染衣も釈迦老子の王城を捨て檀特山に入山せる姿も皆心と心得るべきなのである。即ち、尽十方界にあらゆる一悉全てが心に外ならず、心外無外法の心地をかくの如く説いているのである。山に入る事、それは山と入とのあはひとしてみるならば、入山は世の所捨であって、これを非思量と心得るべきであり、又山からみれば、所入なる山も所捨と同格であって、紅爐上の調度なのである。つまりは、思量箇不思量底の道理を云い、更に非思量の道理を云ったものである。参本(1)に「所入所捨、斎挙頭兀兀地と」は、これを示すと考えられる。

その心は無辺際であって眼睛に団し来たる業識に弄し来たるを、暫二三斛とも千万端と云うも同事で、不依数量なるのである。以心の道理を眼睛とも業識と云うとも、それが真諦俗諦両門と区分して受けるべきではない。要は、学道を指すのであって二三斛千万端は学道を云うのであって、数量を示すのではない。心の参学に徹し切ること自体は尽界心一元、自己が徒らに凡夫としての一人間ではなく、尽法界の中に自己を帰し、自己に尽法界を帰すことなのであるから、そこは無辺際であって、数量真俗の区別観は存し得ないのである。(未完)

 1正法眼蔵註解全書第五巻三二六頁。

 

   これは『印度學佛教學研究』18 巻 (1969-1970) 2 号

Pdf資料をワード化したものであり、一部修訂を加えた。

 

(2022年10月 タイ国にて 二谷 記)