正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵随聞記

正法眼蔵随聞記 一

01示に云く、はづべくんば明眼の人をはづべし。予、在宋の時、天童浄和尚、侍者に請ずるに云く、「外国人たりといへども元子器量人なり。」と云ってこれを請ず。

予、堅く是を辞す。その故は、「和国にきこえんためも、学道の稽古のためも大切なれども、衆中に具眼の人ありて、外国人として大叢林の侍者たらんこと、国に人なきがごとしと難ずる事あらん、尤もはづべし。」といひて、書状をもてこの旨を伸べしかば、浄和尚、国を重くし、人をはづることを許して、更に請ぜざりしなり。

 

02示に云き、有る人の云く、「我れ病者なり、非器なり、学道にたへず。法門の最要をききて、独住隠居して、性をやしなひ、病をたすけて、一生を終へん。」と云うに、

示に云く、先聖必ズしも金骨にあらず、古人豈皆上器ならんや。滅後を思へば幾ばくならず、在世を考ふるに人皆俊なるにあらず。善人もあり、悪人もあり。比丘衆の中に不可思議の悪行するものあり、最下品の器量もあり。然れども、卑下して道心をおこさず、非器なりといって学道せざるなし。今生もし学道修行せずは、何れの生にか器量の物となり、不病の者とならん。ただ身命をかへりみず発心修行する、学道の最要なり。

 

03示に云く、学道の人、衣食を貪ることなかれ。人々皆食分あり、命分あり。非分の食命を求むとも来るべからず。況んや学仏道の人には、施主の供養あり、常の乞食に比すべからず。常住物これあり、私の営みにもあらず。菓・乞食・信心施の三種の食、皆是れ清浄食なり。その余の田商仕工の四種は、皆不浄邪命の食なり。出家人の食分にあらず。

昔一人の僧ありき。死して冥界に行きしに、閻王の云く、「この人、命分未だ尽きず。帰すべし。」と云ひしに、有る冥官の云く、「命分ありといへども、食分既に尽きぬ。」王の云く、「荷葉を食せしむべし。」と。然しより蘇りて後は、人中の食物食することをえず、ただ荷葉を食して残命をたもつ。

然れば出家人は、学仏の力によりて食分も尽くべからず、白毫の一相、二十年の遺恩、歴劫に受用すとも尽くべきにあらず。行道を専らにして、衣食を求むべきにあらざるなり。身躰血肉だにもよくもてば、心も随いて好くなると、医法等に見る事多し。況んや学道の人、持戒梵行にして仏祖の行履にまかせて、身儀ををさむれば、心地も随いて整なり。学道の人、言を出さんとせん時は、三度顧みて、自利、利他のために利あるべければ是レを言ふべし。利な(か)らん時は止べし。是ノごとき、一度にはしがたし。心に懸けて漸々に習ふべきなり。

 

04雑話の次、示に云く、学道の人、衣食に労することなかれ。この国は辺地小国なりといへども、昔も今も顕密二道に名を得、後代にも人に知られたる人、いまだ一人も衣食に饒なりと云ふ事を聞かず。皆貧を忍び他事をわすれて一向その道を好む時、その名をも得るなり。況んや学道の人は、世度を捨ててわしらず。何としてか饒なるべき。

大宋国の叢林には、末代なりといへども、学道の人千万人の中に、あるいは遠方より来り、あるいは郷土より出で来るも、多分皆貧なり。しかれども愁とせず、ただ悟道の未だしき事を愁て、あるいは楼上若しくは閣下に、考妣を喪せるがごとくにして道を思ふなり。親り見しは、西川の僧、遠方より来リし故に所持物なし。纔に墨二、三箇の直両三百、この国の両三十にあたれるをもて、唐土の紙の下品なるは、きはめて弱きを買ひ取り、あるいは襖あるいは袴に作りて着れば、起居に壊るる〈音〉してあさましきをも顧りみず、愁ず。人、「自ら郷里にかへりて道具装束せよ。」と言フを聞イて、「郷里遠方なり。路次の間に光陰を虚シくして学道の時を失ハん事」を愁て、更に寒を愁ずして学道せしなり。

然れば大国にはよき人も出来るなり。伝え聞く、雪峰山開山の時は、寺貧にしてあるいは絶烟あるいは緑豆飯をむして食して日を送って学道せしかども、一千五百人の僧、常に絶えざりけり。昔の人もかくのごとし。今もまた此のごとくなるべし。僧の損ずる事は多く富家よりおこれり。

如来在世に調達が嫉妬を起しし事も、日々五百車の供養より起れり。ただ自を損ずる事のみにあらず、また他をしても悪を作さしめし因縁なり。真の学道の人、なにとしてか富家なるべき。直饒浄信の供養も、多くつもらば恩の思を作して報を思ふべし。この国の人は、また我がために利を思ひて施を至す。笑って向へる者に能くあたる、定まれる道理なり。他の心に随はんとせば、是れ学道の礙なるべし。ただ飢を忍び寒を忍びて、一向に学道すべきなり。

 

05一日示に云く、古人云く、「聞くべし、見るべし。」と。また云く、「〈経〉ずんば見るべし、〈見〉ずんばきくべし。」と。言は、きかんよりは見るべし。見んよりは〈経〉べし。いまだ〈経〉ずんば見るべし。いまだみずんば聞くべしとなり。

また云く、学道の用心、本執を放下すべし。身の威儀を改むれば、心も随って転ずるなり。先ず律儀の戒行を守らば、心も随って改まるべきなり。宋土には俗人等の常の習ひに、父母の孝養のために、宗廟にして各集会して泣くまねをするほどに、終には実に泣くなり。学道の人も、はじめより道心なくとも、ただ強て道を好み学せば、終には真の道心もおこるべきなり。

初心の学道の人は、ただ衆に随って行道すべきなり。修行の(用)心故実等を学し知らんと思ふ事なかれ。用心故実等も、ただ一人山にも入り市にも隠れて行ぜん時、錯なくよく知りたらばよしと云ふ事なり。衆に随って行ぜば、道を得べきなり。譬へば舟に乗りて行くには、故実を知らず、ゆくやうを知らざれども、よき船師にまかせて行けば、知りたるも知らざるも彼岸に到るがごとし。善知識に随いて衆と共に行じて私なければ、自然に道人なり。学道の人、若し悟を得ても、今は至極と思うて行道を罷る事なかれ。道は無窮なり。さとりてもなほ行道すべし。良遂座主、麻谷に参ぜし因縁を思ふべし。

 

06示に云く、学道の人は後日を待って行道せんと思ふ事なかれ。ただ今日今時を過ごさずして、日々時々を勤むべきなり。

爰にある在家人、長病あり。去年の春の比相契りて云く、「当時の病療治して、妻子を捨て、寺の辺に庵室を構へて、一月両度の布薩に逢ひ、日々の行道、法門談義を見聞して、随分に戒行を守りて生涯を送らん。」と云ひしに、その後種々に療治すれば少しき減気在りしかども、また増気在りて、日月空しく過ごして、今年正月より俄に大事になりて、苦痛次第に責むるほどに、思ひきりて日比支度する庵室の具足運びて造るほどの隙もなく、苦痛逼るほどに、先づ人の庵室を借りて移り居て、纔に一両月に死去しぬ。前夜、菩薩戒を受け、三宝に帰して、臨終よくて終りたれば、在家にて狂乱して、妻子に愛を発して死なんよりは尋常なれども、去年思ヒよりたりし時、在家を離れて寺に近づきて、僧に馴れて一年行道して終りたらば勝れたらましと存ずるにつけても、仏道修行は後日を待つまじきと覚ゆるなり。身の病者なれば、病を治して後に好く修行せんと思はば、無道心の致す処なり。四大和合の身、誰か病なからん。

古人必ずしも金骨にあらず。ただ志の到りなれば、他事を忘れて行ずるなり。大事身に来れば小事は覚えぬなり。仏道を大事と思うて、一生に窮めんと思うて、日々時々を空しく過ごさじと思ふべきなり。

古人の云く、「光陰虚しく度ることなかれ」と。若しこの病を治せんと営むほどに除ずして増気して、苦痛弥逼る時は、痛みの軽かりし時行道せでと思ふなり。然れば、痛みを受けては重くならざる前にと思ひ、重くなりては死せざる前にと思ふべきなり。病を治するに除るもあり、治するに増ずるもあり。また、治せざるに除くもあり、治せざれば増ずるもあり。これ能々思ひ入るべきなり。また行道の居所等を支度し、衣鉢等を調へて後に行ぜんと思ふ事なかれ。貧窮の人、世をわしらざれ。衣鉢の資具乏しくして死期日々に近づくは、具足を待って、処を待って行道せんと思ふほどに、一生空しく過ごすべきおや。ただ衣鉢等なくんば、在家も仏道は行ずるぞかしと思うて行ずべきなり。また衣鉢等はただあるべき僧躰の荘なり。

実の仏道は其れにもよらず。得来らばあるに任ずべし。あながちに求むる事なかれ。ありぬべきをもたじと思ふべからず。わざと死せんと思うて治せざるもまた外道の見なり。仏道には「命を惜シむ事なかれ。命を惜シまざる事なかれ。」と云ふなり。より来らば灸治一所瀉薬一種なんど用ひん事は、行道の礙ともならず。行道を指置いて、病を先とし、後に修行せんと思ふは礙なり。

 

07示に云く、海中に龍門と云ふ処あり。浪頻に作なり。諸の魚、波の処を過ぐれば必ず龍と成るなり。故に龍門と云ふなり。

今は云く、彼の処、浪も他処に異ならず、水も同じくしははゆき水なり。然れども定まれる不思議にて、魚この処を渡れば必ず龍と成るなり。魚の鱗も改まらず、身も同じ身ながら、忽に龍と成るなり。衲子の儀式も是れをもて知るべし。処も他所に似たれども、叢林に入れば必ず仏となり祖となるなり。食も人と同じく(食し、衣も人と同じく)服し、飢を除き寒を禦ぐ事も同じけれども、ただ頭を円にし衣を方にして斎粥等にすれば、忽に衲子となるなり。成仏作祖も遠く求むべからず。ただ叢林に入ると入らざるとなり。龍門を過ぐると過ぎざるとなり。

また云く、俗の云く、「我れ金を売れども人の買ふ事無ければなり。」と。仏祖の道も是のごとし。道を惜しむにあらず、常に与ふれども人の得ざるなり。道を得ることは根の利鈍には依らず。人々皆法を悟るべきなり。ただ精進と懈怠とによりて得道の遅速あり。進怠の不同は志の到ると到らざるとなり。志の到らざる事は、無常を思はざるに依るなり。念々に死去す、畢竟暫くも止らず。暫くも存ぜる間、時光を虚しくすごす事なかれ。「倉の鼠食に飢ゑ、田を耕す牛の草に飽かず。」と云ふ意は、財の中に有れども必ずしも食に飽かず、草の中に栖めども草に飢うる。人も是のごとし。仏道の中にありながら、道に合ざるものなり。希求の心止まざれば、一生安楽ならざるなり。道者の行は善行悪行皆おもはくあり。人のはかる処にあらず。

昔恵心僧都、一日庭前に草を食する鹿を人をして打ちおはしむ。時に人有り、問うて云く、「師、慈悲なきに似たり。草を惜しんで畜生を悩ます。」僧都云く、「我れ若し是れを打たずんば、この鹿、人に馴れて悪人に近づかん時、必ず殺されん。この故に打つなり。」と。鹿を打つは慈悲なきに似たれども、内心の道理、慈悲余れる事是のごとし。

 

08一日示に云く、人、法門を問ふ、あるいは修行の方法を問ふ事あらば、衲子はすべからく実を以て是れを答フベシ。若しくは他の非器を顧み、あるいは初心未入の人意得べからずとて、方便不実を以て答ふべからず。菩薩戒の意は、直饒小乗の器、小乗の道を問ふとも、ただ大乗を以て答ふべきなり。如来一期の化儀も尓前方便の権教は実に無益なり。ただ最後実教のみ実の益あるなり。然れば、他の得不得をば論ぜず、ただ実を以て答ふべきなり。若し此の中の人(これ)を見ば、実徳を以て是れをうる事を得べし。仮徳を以て是れをうる事を得べし。外相仮徳を以て是れを見るべからず。

昔、孔子に一人有って来帰す。孔(子)問うて云く、「汝何を以てか来って我れに帰する。」彼の俗云く、「君子参内の時是れを見しに仰々として威勢あり。依つて是れに帰す。」と。孔子、弟子をして乗物・装束・金銀・財物等を取り出して是れを与へき。「汝我れに帰するにあらず。」と。

また云く、宇治の関白殿、有る時鼎殿に到って火を焼く処を見る。鼎殿見て云く、「何者ぞ、左右なく御所の鼎殿へ入るは。」と云っておひ出されて後、さきの悪き衣服を脱ぎ改めて、仰々として取り装束して出給ふ時に、前の鼎殿、遥にみて恐れ入ってにげぬ。時に殿下、装束を竿に掛けられて拝せられけり。人、是れを問ふ。「我れ人に貴びらるるも我が徳にあらず。ただこの装束の故なり。」と。愚かなる者の人を貴ぶ事是のごとし。経教の文字等を貴ぶ事もまた是のごとし。

古人云く、「言、天下に満ちて口過無く、行、天下に満ちて怨悪を亡ず。」と。是れ則ち言ふべき処を言ひ、行ふべき処を行ふ故なり。至徳要道の行なり。世間の言行は私然を以て計らひ思ふ。恐らくは過のみあらん事を。衲子の言行は先証是れ定まれり。私曲を存ずべからず。仏祖行ひ来れる道なり。学道の人、各自ら己が身を顧みるべし。身を顧みると云ふは、身心何やうに持つべきぞと顧みるべし。然るに衲子は、則ち是れ釈子なり。如来の風儀を慣ふべきなり。身口意の威儀、皆千仏行じ来れる作法あり。各その儀に随ふべし。俗なほ「服、法に応じ、言、道に随ふべし。」と云へり。一切私を用ふるべからず。

 

09示に云く、当世学道する人、多分法を聞く時、先ず好く領解する由を知られんと思うて、答の言の好からんやうを思ふほどに、聞くことは耳を過ごすなり。詮ずる処道心なく、吾我を存ずる故なり。ただすべからく先づ我れを忘れ、人の言はん事を好く聞いて、後に静かに案じて、難もあり不審もあらば、逐ても難じ、心得たらば逐って帰すべし。当座に領(解)する由を呈せんとする、法を好くも聞かざるなり。

 

10示に云く、唐の太宗の時、異国より千里の馬を献ず。帝是れを得て喜ばずして自ら思はく、「直饒千里の馬なりとも、独り騎って千里に行くとも、従ふ臣なくんばその詮なきなり。」と。因みに魏徴を召してこれを問ふ。徴云く、「帝の心と同じ。」と。依りて彼の馬に金帛を負せて還さしむ。今は云く、帝なほ身の用ならぬ物をば持たずして是れを還す。

況んや衲子は衣鉢の外の物、決定して無用なるか。無用の物、是れを貯へて何かせん。俗なほ一道を専らにする者は、田苑荘園等を持する事を要とせず。ただ一切の国土の人を百姓眷属とす。地相法橋子息に遺嘱するに、「ただ道を専らにはげむべし。」と云へり。況んや仏子は、万事を捨て、専ら一事をたしなむべし。是れ用心なり。

 

11示に云く、学道の人、参師聞法の時、能々窮めて聞き、重ねて聞いて決定すべし。問ふべきを問はず、言ふべきを言はずして過ごしなば、我が損なるべし。師は必ず弟子の問ふを待って発言するなり。心得〈経〉たる事をも、幾度も問うて決定すべきなり。師も、弟子に能々心得たるかと問うて、云ひ聞かすべきなり。

 

12示に云く、道者の用心、常の人に殊なる事有り。故建仁寺の僧正在世の時、寺絶食す。有る時一人の檀那請じて絹一疋施す。僧正悦びて自ら取って懐中して、人にも持せずして、寺に返りて知事に与へて云く、「明旦の浄粥等に作さる(べし)。」然るに俗人のもとより所望して云く、「恥がましき事有って絹二三疋入る事あり。少々にてもあらば給はるべき」よしを申す。僧正則ち先の絹を取り返して則ち与へぬ。

時にこの知事の僧も衆僧も思ひの外に不審す。後に僧正自ら云く、「各、僻事にぞ思はるらん。然れども、我れ思はくは、衆僧面々仏道の志ありて集まれり。一日絶食して餓死すとも、苦しかるべからず。俗の世に交はれるば、指当りて事闕らん苦悩を助けたらんは、各々のためにも、一日の食を去って人の苦を息めたらんは、利益勝れたるべし。」と。道者の案じ入れたる事、是のごとし。

 

13示に云く、仏々祖々皆本は凡夫なり。凡夫の時は必ず悪業もあり、悪心もあり。鈍もあり、癡もあり。然れども皆改めて知識に従ひ、教行に依リしかば、皆仏祖と成りしなり。今の人も然るべし。我が身おろかなれば、鈍なればと卑下する事なかれ。今生に発心せずんば何の時をか待つべき。好むには必ず得べきなり。

 

14示に云く、俗の帝道の故実を言ふに云く、「虚襟にあらざれば忠言を入れず。」と。言は己見を存ぜずして、忠臣の言に随いて、道理に任せて帝道を行なふなり。衲子の学道の故実もまた是のごとくなるべし。若し己見を存ぜば、師の言耳に入らざるなり。師の言耳に入わざれば、師の法を得ざるなり。

また、ただ法門の異見を忘るるのみにあらず、また世事を返して、飢寒等を忘れて、一向に身心を清めて聞く時、親しく聞くにてあるなり。是のごとく聞く時、道理も不審も明らめらるるなり。真実の得道と云ふも、従来の身心を放下して、ただ直下に他に随ひ行けば、即ち実の道人にてあるなり。これ第一の故実なり。

 

正法眼蔵随聞記 二

01一日示に云く、『続高僧伝』の中に、ある禅師の会に一僧あり。金像の仏と、また仏舎利とを崇め用ひて、衆寮等にも有りて、常に焼香礼拝し恭敬供養す。

有る時禅師の云く、「汝が崇むる処の仏像舎利は、後には汝がために不是あらん。」と。その僧肯ず。師云く、「是れ天魔波旬の付処なり。早く是れを捨てざらんや。」その僧憤然として出づれば、師、僧の後に云ひ懸けて云く、「汝、箱を開いて是れを見るべし。」(僧)、怒りながら是れを開いて見れば、果して毒蛇蟠つて臥せり。是れを思ふに、仏像舎利は如来の遺骨なれば恭敬すべしといへども、また一へに是れを仰ぎて得悟すべしと思はば、還りて邪見なり。天魔毒蛇の所領と成る因縁なり。

仏説に功徳あるべしと見えたれば、人天の福分と成る事、生身と斉し。惣て三宝の境界、恭敬すれば罪滅し功徳を得る事、悪趣の業をも消し、人天の果をも感ずる事は実なり。是れによりて仏の悟りを得たりと執するは僻見なり。仏子と云ふは、仏教に順じて、直に仏位に到らんためには、ただ教に随いて功夫弁道すべきなり。その教に順ずる実の行と云ふは、即ち今の叢林の宗とする只管打坐なり。是れを思ふべし。また云く、戒行持斎を守護すべければとて、また是れをのみ宗として、是れを奉公に立て、是れに依りて得道すべしと思ふもまた是れ非なり。

ただ衲僧の行履、仏子の家風なれば従ひゆくなり。是れを能事と云へばとて、あながち是れをのみ宗とすべしと思ふは非なり。然ればとて、また破戒放逸なれと云ふにあらず。若しまた是のごとく執せば邪見なり、外道なり。ただ仏家の儀式、叢林の家風なれば随順しゆくなり。

是れを宗とすと、宋土の寺院に住せし時も、衆僧に見ゆべからず。実の得道のためにはただ坐禅功夫、仏祖の相伝なり。是れに依りて一門の同学五根房、故用祥僧正の弟子なり、唐土の禅院にて持斎を固く守りて、戒経を終日誦せしをば、教へて捨てしめたりしなり。

弉公問うて云く、叢林学道の儀式は百丈の清規を守るべきか。然るに、彼にはじめに「受戒護戒をもて先とす。」と見えたり。また今の伝来、相承の根本戒をさづくと見えたり。当家の口決面授にも、西来相伝の戒を学人に授く。是れ則ち今の菩薩戒なり。然るに今の戒経に、「日夜に是れを誦せよ。」と云へり。何ぞ是れを誦するを捨てしむるや。

師云く、然り。学人最も百丈の規縄を守るべし。然るにその儀式は護戒坐禅等なり。「昼夜に戒を誦し、専ら戒を護持す。」と云ふ事は、古人の行李にしたがうて祗管打坐すべきなり。坐禅の時何の戒か持たれざる、何の功徳か来らざる。古人の行じおける処の行履、皆深き心あり。私の意楽を存せずして、ただ衆に従いて、古人の行履に任せて行じゆくべきなり。

 

02一日示に云く、人その家に生まれ、その道に入らば、先づその家の業を修すべし、知るべきなり。我が道にあらず、自が分にあらざらん事を知り修するは即ち非なり。今、出家の人として、即ち仏家に入り、僧道に入らば、すべからくその業を習ふべし。その儀を守ると云ふは、我執を捨て、知識の教に随ふなり。

その大意は、貪欲無きなり。貪欲無からんと思はば先ずすべからく吾我を離るべきなり。吾我を離るるには、観無常是れ第一の用心なり。世人多く、我れは元来人に能しと言はれ思はれんと思ふなり。それが即ちよくも成り得ぬなり。

ただ我執を次第に捨て、知識の言に随ひゆけば昇進するなり。「理を心得たるように云へども、しかありと云へども、我れはその事が捨て得ぬ。」と云いて執し好み修するは、弥沈淪するなり。禅僧の能く成る第一の用心は祇管打坐すべきなり。利鈍賢愚を論ぜず、坐禅すれば自然に好くなるなり。

 

03示に曰く、広学博覧はかなふべからざる事なり。一向に思ひ切って、留るべし。ただ一事に付いて用心故実をも習ひ、先達の行履をも尋ねて、一行を専らはげみて、人師先達の気色すまじきなり。

 

04ある時、弉、師に問うて云く、「如何なるか是れ不昧因果底の道理」。師云く、「不動因果なり」。云く、「なにとしてか脱落せん」。師云く、「因果歴然なり」。云く、「是のごとくならば、果引き起すや」。師云く、「惣て是のごとくならば、南泉猫児を截る事、大衆已に道得す。即ち猫児を斬却し了りぬ。後に趙州草鞋ヲ脱して載き出し、また一段の儀式なり」。

また云く、我れ若し南泉なりせば即ち道ふべし、「道ひ得たりとも即ち斬却せん。道不得なりとも即ち斬却せん。何人か猫児を争ふ、何人か猫児を救ふ。」と。大衆に代って道はん、「既に道得す。請ふ、和尚猫児を斬らん(ことを)。」と。また大衆に代って道はん、「南泉ただ一刀両段のみを知りて一刀一段を知らず。」と。弉云く、「如何なるか是れ一刀一段」。師云く、「大衆道不得、良久不対ならば、泉、道ふべし、大衆已に道得すと云って猫児を放下せまし」。

古人云く、「大用現前して軌則を存せず。」と。また云く、「今の斬猫は是れ即ち仏法の大用、あるいは一転語なり。若し一転語にあらずは、山河大地妙浄明心とも云ふべからず。また即心是仏とも云ふべからず。即ちこの一転語の言下にて、猫児が躰仏身と見、またこの語を聞いて学人も頓に悟入すべし」。また云く、「この斬猫即ち是れ仏行なり。喚んで何とか道ふべき。喚んで斬猫とすべし」。また云く、「是れ罪相なりや」。云く、「罪相なり。何としてか脱落せん」。云く、「別。並び具す」。云く、「別解脱戒とは是のごときを道ふか」。云く、「然なり」。また云く、「但し是のごとき料簡、直饒好事なりとも無からんにはしかじ」。

弉問うて云く、「犯戒と言ふは、受戒以後の所犯を道ふか、ただしまた未受以前の罪相をも犯戒と道ふべきか」。師答えて云く、「犯戒の名は受後の所犯を道ふべし。未受以前所作の罪相をばただ罪相、罪業と道いて、犯戒と道ふべからず」。問うて云く、「四十八軽戒の中に、未受戒の所犯を犯と名づくと見ゆ。如何」。答えて云く、「然らず。彼の未受戒の者、今受戒せんとする時、所造の罪を懺悔する時、今の戒に望めて十戒を授くるに、軽戒を犯せるを犯すと云ふなり。以前初造の罪を犯戒と云ふにあらず」。問ふて云く、「今受戒せん時、所造の罪を懺悔せんために、未受の者をして懺悔せしむるに、十重四十八軽戒を教へて読誦せしむべし。と見えたり。また下の文に、未受戒の前にして説戒すべからず。と云へり。二度の相違如何」。答えて云く、「受戒と誦戒とは別なり。懺悔のために戒経を誦ずるはなほ是れ念経なるが故に、未受の者、戒経を誦せんとす。彼がために戒経を説かん事、咎有るべからず。下の文には利養のための故に、未受の前に是れを説くことを修せんとす。最も是れを教ふべし」。問うて云く、「受戒の時は七逆の懺悔すべしと見ゆ。如何」。答えて云く、「実に懺悔すべし。受戒の時許さざる事は、且く抑止門とて抑ふる儀なり。また上の文は、破戒なりとも還得受せば清浄なるべし。懺悔すれば清浄なり。未受には同じからず」。問うて云く、「七逆既に懺悔を許さばまた受戒すべきか、如何」。答えて云く、然なり。故僧正自ラ立つ所の義なり。既に懺悔を許さばまた是れ受戒すべし。逆罪なりとも悔いて受戒せば授くべし。況んや菩薩は、直饒自身は破戒の罪を受くとも、他のために受戒せしむべし」。

 

05夜話に云く、悪口をもて僧を呵嘖し、毀呰する事なかれ。悪人不当なりと云ふとも、左右無く悪毀る事なかれ。先づ何にわるしと云ふとも、四人已上集会し(行)ずべければ、僧の躰にて国の重宝なり。最も帰敬すべき者なり。住持長老にてもあれ、若しくは師匠知識にてもあれ、不当ならば慈悲心老婆心にて能教訓し誘引すべきなり。その時直饒打つべきをば打ち、呵嘖すべきをば呵嘖すとも、毀呰謗言の心を起すべからず。

先師天童浄和尚住持の時、僧堂にて衆僧坐禅の時、眠りを警むるに履を以て是れを打ち謗言呵嘖せしかども、僧皆打たるる事を喜び、讃嘆しき。ある時、また上堂の次でには、常に云く、「我れ已に老後の今は、衆を辞し、庵に住して老を扶けて居るべけれども、衆の知識として各々の迷ひを破り、道を助けんがために住持人たり。是れに因りてあるいは呵嘖の言を出し、竹篦打擲等の事を行ず。是れ頗る恐れあり。然れども、仏に代りて化儀を揚ぐる式なり。諸兄弟、慈悲をもてこれを許し給へ。」と言へば、衆僧流涕しき。是のごとき心を以てこそ、衆をも接し化をも宣ぶべけれ。住持長老なればとて猥りに衆を領じ、我が物に思うて呵嘖するは非なり。況んやその人にあらずして人の短を謂ひ、他の非を謗るは非なり。能々用心すべきなり。他の非を見て、わるしと思うて、慈悲を以てせんと思はば、腹立つまじきやうに方便して、傍の事を言ふやうにてこしらふべし。

 

06また物語に云く、故鎌倉の右大将、始め兵衛佐にて有リし時、内府の辺に一日はれの会に出仕の時、一人の不当人在りき。その時、大納言のおほせて云く、「是れを制すべし。」(大)将の云く、「六波羅におほせらるべし。平家の将軍なり。」大納言の云く、「近々なれば。」大将の云く、「その人にあらず。」と。是れ美言なり。この心にて、後に世をも治めたりしなり。今の学人もその心あるべし。その人にあらずして人を呵する事なかれ。

 

07 夜話に云く、昔、魯の仲連と云ふ将軍ありて、平原君が国に有りて能く朝敵を平らぐ。平原君賞して数多の金銀等を与へしかば、魯の仲連辞して云く、「ただ将軍の道なれば敵を討つ能を成す已而。賞を得て物を取らんとにはあらず。」と謂って、敢て取らずと言ふ。魯仲連が廉直とて名よの事なり。

俗なほ賢なるは、我れその人としてその道の能を成すばかりなり。代りを得んと思はず。学人の用心も是のごとくなるべし。仏道に入りては仏道のために諸事を行じて、代りに所得あらんと思ふべからず。内外の諸教に、皆無所得なれとのみ進むるなり。心を取る。

法談の次に示して云く、直饒我れ道理を以て道ふに、人僻事を言ふを、理を攻めて言ひ勝つは悪きなり。次に、我れは現に道理と思へども、「我が非にこそ。」と言いて負けてのくもあしばやなると言ふなり。ただ人をも言ヒ折らず、我が僻事にも謂ひおほせず、無為にして止めるが好きなり。耳に聴き入れぬようにて忘るれば、人も忘れて怒らざるなり。第一の用心なり。

 

08示に云く、無常迅速なり、生死事大なり。暫く存命の間、業を修し学を好まんには、ただ仏道を行じ仏法を学すべきなり。文筆詩歌等その詮なきなり。捨つべき道理左右に及ばず。仏法を学し仏道を修するにもなほ多般を兼ね学すべからず。況んや教家の顕密の聖教、一向に擱くべきなり。

仏祖の言語すら多般を好み学すべからず。一事を専らにせん、鈍根劣器のものかなふべからず。況んや多事を兼ねて心想を調へざらん、不可なり。

 

09示に云く、昔、智覚禅師と云いし人の発心出家の事、この師は初めは官人なり。富に誇るに正直の賢人なり。有る時、国司たりし時、官銭を盗んで施行す。旁の人、是れを官奏す帝、聴いて大いに驚き恠しむ。諸臣皆恠しむ。罪過已に軽からず。死罪に行なはるべしと定まりぬ。爰に帝、議して云く、「この臣は才人なり、賢者なり。今ことさらこの罪を犯す、若し深き心有らんか。若し頚を斬らん時、悲しみ愁たる気色有らば、速やかに斬るべし。若しその気色無くんば、定めて深き心有り。斬るべからず。」勅使ひきさりて斬らんと欲する時、少しも愁の気色無し。返りて喜ぶ気色あり。自ら云く、「今生の命は一切衆生に施す。」と。使、驚き恠しんで返り奏聞す。帝云く、「然り。定めて深き心有らん。この事有るべしと兼ねて是れを知れり。」と。仍ってその故を問ふ。師云く、「官を辞して命を捨て、施を行じて衆生に縁を結び、生を仏家に稟けて一向に仏道を行ぜんと思ふ。」と。帝、是れを感じて許して出家せしむ。仍って延寿と名を賜ひき。殺すべきを、是を留むる故なり。今の衲子も是れほどの心を一度発すべきなり。命を軽くし生を憐れむ心深くして、身を仏制に任せんと思ふ心を発すべし。若し前よりこの心一念も有らば、失はじと保つべし。これほどの心一度発さずして、仏法を悟る事はあるべからず。

 

10夜話に云く、祖席に禅話を覚り得る故実は、我が本より知り思ふ心を、次第に知識の言に随いて改めて去くなり。仮令仏と云ふは、我が本知りたるやうは、相好光明具足し、説法利生の徳有りし釈迦弥陀等を仏と知りたりとも、知識若し仏と云ふは蝦蟇蚯蚓ぞと云はば、蝦蟇蚯蚓を、是れらを仏と信じて、日比の知恵を捨つるなり。この蚯蚓の上に仏の相好光明、種々の仏の所具の徳を求むるもなほ情見改まらざるなり。ただ当時の見ゆる処を仏と知るなり。

若し是のごとく言に従って、情見本執を改めてもて去けば、自ら合ふ処あるべきなり。

然るに近代の学者、自らが情見を執して、己見にたがふ時は、仏とはとこそ有るべけれ、また我が存ずるやうにたがへば、さは有るまじなんどと言いて、自が情量に似たる事や有ると迷ひありくほどに、おほかた仏道の昇進無きなり。

また身を惜しみて、「百尺の竿頭に上って手足を放ちて一歩進め。」と言ふ時は、「命有りてこそ仏道も学せめ。」と云いて、真実に知識に随順せざるなり。能々思量すべし。

 

11夜話に云く、人は世間の人も、衆事を兼ね学して何れも能もせざらんよりは、ただ一事を能して、人前にしてもしつべきほどに学すべきなり。況んや出世の仏法は、無始より以来修習せざる法なり。故に今もうとし。我が性も拙なし。高広なる仏法の事を、多般を兼ぬれば一事をも成ずべからず。一事を専らにせんすら本性昧劣の根器、今生に窮め難し、努々学人一事を専らにすべし。

弉問うて云く、「若し然らば、何事いかなる行か、仏法に専ら好み修すベき」。

師云く、「機に随ひ根に随ふべしと云へども、今祖席に相伝して専らする処は坐禅なり。この行、能く衆機を兼ね、上中下根等しく修し得べき法なり。我れ大宋天童先師の会下にしてこの道理を聞いて後、昼夜定坐して極熱極寒には発病しつべしとて諸僧暫く放下しき。我れその時自ら思はく、直饒発病して死ぬべくとも、なほただ是れを修すべし。病まずして修せずんば、この身労しても何の用ぞ。病して死なば本意なり。大宋国の善知識の会にて修し死にて、よき僧にさばくられたらん、先づ結縁なり。日本にて死なば是れほどの人々に如法仏家の儀式にて沙汰すべからず。修行して未だ契はざる先に死せば、好き結縁として生を仏家にも受くべし。修行せずして身を久しく持つても詮無きなり。何の用ぞ。況んや身を全くし病作らずと思ふほどに、知らず、また海にも入リ、横死にも逢はん時は後悔如何。是のごとく案じつづけて、思ひ切って昼夜端坐せしに、一切に病作らず。如今各々も一向に思ひ切りて修して見よ。十人は十人ながら得道すべきなり。先師天童のすすめ是のごとし」。

 

12示に云く、人は思ひ切りて命をも捨て、身肉手足をも斬る事は中々せらるるなり。然れば、世間の事を思ひ、名利執心のためにも、是のごとく思ふなり。ただ依り来る時に触れ、物に随いて心器を調ふる事難きなり。学者、命を捨つると思うて、暫く推し静めて、云ふべき事をも修すべき事をも、道理に順ずるか順ぜざるかと案じて、道理に順ぜばいひもし、行じもすべきなり。

 

13示に云く、学道の人、衣粮を煩はす事なかれ。ただ仏制を守りて、心を世事に出す事なかれ。仏言く、「衣服に糞掃衣あり、食に常乞食あり。」と。何れの世にかこの二事尽くる事有らん。無常迅速なるを忘れて徒らに世事に煩ふ事なかれ。露命の暫く存ぜる間、ただ仏道を思うて余事を事とする事なかれ。

ある人問うて云く、「名利の二道は捨離しがたしと云へども、行道の大なる礙なれば捨てずんばあるべからず。故に是れを捨つ。衣粮の二事は小縁なりと云へども行者の大事なり。糞掃衣、常乞食、是れは上根の所行、また是れ西天の風流なり。神丹の叢林には常住物等あり。故にその労なし。我が国の寺院には常住物なし。乞食の儀も即ち絶えたり、伝はらず。下根不堪の身、如何がせん。

しからば予がごときは、檀那の信施を貪らんとするも虚受の罪随ひ来る。田商仕工を営むも是れ邪命食なり。ただ天運に任せんとすれば果報また貧道なり。飢寒来らん時、是れを愁として行道を碍つべし。ある人諌めて云く、「汝が行儀太あらじ。時機を顧みざるに似たり。下根なり、末世なり。是のごとく修行せばまた退転の因縁と成リぬべし。あるいは一檀那をも相語らひ、若しくは一外護をも契りて、閑居静所にして一身を助けて、衣粮に労する事無くして仏道を行ずべし。是れ即ち財物等を貪るにあらず。時の活計を具して修行すべし。と。この言を聞くと云へども未だ信用せず。是のごとき用心如何。」

答へて云く、「夫れ衲子の行履は仏祖の風流を学ぶべし。三国ことなりと云へども、真実学道の者未だ是のごとき事有らず。ただ心を世事にいだす事なかれ。一向に道を学すべきなり。仏言く、「衣鉢の外は寸分も貯えざれ。乞食の余分は、飢えたる衆生に施す。」と。

直饒受け来るとも寸分も貯ふべからず。況んや馳走有らんや。外典に云く、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。」と。直饒飢ゑ死に寒え死にすとも、一日一時なりとも仏教に随ふべし。万劫千生幾回か生じ幾回か死せん。皆是れ是のごとき世縁妄執なり。今生一度仏制に順いて餓死せん、是れ永劫の安楽なるべし。何に況んや未だ一大蔵教の中にも、三国伝来の仏祖有りて一人も餓ゑ死に寒え死にたるを聞かず。世間衣粮の資具は生得の命分なり。求むるに依りて来らず、求めずとも来らざるにもあらず。正に任運として心をおく事なかれ。末法なり、下根なりと云いて、今生に(心を)発さずは何れの生にか得道せん。直饒空生迦葉のごとくにあらずとも、ただ随分に学道すべきなり。

外典に云く、「西施毛嬙にあらざれども色を好む者は色を好む。飛兎緑耳にあらざれども馬を好む者は馬を好む。龍肝豹胎にあらざれども味を好む者は味を好む。」と。ただ随分の賢を用ふるのみなり。俗なほこの儀有り。(僧)また是のごとくなるべし。況んやまた仏二十年の福分を以て末法の我等に施す。是れに因りて天下の叢林、人天の供養絶えず。如来神通の福徳自在なる、なほ馬麦を食して夏を過ごしましましき。末法の弟子豈是れを慕はざらんや。問うて云く、破戒にして空しく人天の供養を受け、無道心にして徒らに如来の福分を費やさんよりは、在家人にしたがうて在家の事を作して、命いきて能く修道せん事、如何。答へて云く、誰か云いし破戒無道心なれと。ただ強ひて道心をおこし、仏法を行ずべきなり。何に況んや持戒破戒を論ぜず、初心後心をわかたず、斉しく如来の福分を与ふとは見えたり。未だ破戒ならば還俗すべし、無道心ならば修行せざれとは見えず。誰人か初めより道心ある。ただ是のごとく発し難きを発し、行じ難きを行ずれば自然に増進するなり。人々皆仏性有るなり。徒らに卑下する事なかれ。また云く、文選に云く、「(一)国は一人の為に興り、先賢は後愚の為に廃る」と。文。言ふ心は、国に賢一人出来らざれば賢の跡廃るとなり。是れを思ふべし。

 

14雑話の次でに云く、世間の男女老少、多く雑談の次で、あるいは交会淫色等の事を談ず。是れを以て心を慰めんとし興言とする事あり。一旦心も遊戯し、徒然も慰むと云ふとも、僧は尤も禁断すべき事なり。俗なほよき人、実しき人の、礼儀を存じ、げにげにしき談の時出来らぬ事なり。ただ乱酔放逸なる時の談なり。況んや僧は、専ら仏道を思ふべし。希有異躰の乱僧の所言なり。

宋土の寺院なんどには、惣て雑談をせざれば、左右に及ばず。我が国も、近ごろ建仁寺の僧正存生の時は、一向あからさまにも是のごとき言語出来らず。滅後も在世の門弟子等少々残り留まりし時は、一切に言はざりき。近ごろ七八年より以来、今出の若人達時々談ずるなり。存外の次第なり。

聖教の中にも、「麁強の悪業は人をして覚悟せしむ、無利の言説は能く正道を障ふ。」と。ただ打ち出し言ふ語すら利無き言説は障道の因縁なり。況んや然のごとき言説のことばに引かれて、即ち心も起りつべし。尤も用心すべきなり。わざとことさらいでかくなんいはじとせずとも、あしき事と知りなば漸々に退治すべきなり。

 

15夜話に云く、世人多く善事を成す時は人に知られんと思ひ、悪事を成す時は人に知られじと思ふに依りて、この心冥衆の心にかなはざるに依りて、所作の善事に感応なく、密に作す所の悪事には罰有るなり。己に依りて返りて自ら思はく、善事には験なし、仏法の利益なしなんど思へるなり。是れ即ち邪見なり。

尤も改むべし。人も知らざる時は潜に善事を成し、悪事を成して後は発露して咎を悔ゆ。是のごとくすれば即ち密々に成す所の善事には感応有り、露れたる悪事は懺悔せられて罪滅する故に、自然に現益も有るなり。当果をも知るべし。爰に有る在家人、来りて問うて云く、「近代在家人、衆僧を供養じ仏法を帰敬するに多く不吉の事出来るに因りて、邪見起りて三宝に帰(敬)せじと思ふ、如何。」と。答えて云く、即ち衆僧、仏法の咎にあらず。即ち在家人の自が誤なり。

その故は、仮令人目ばかり持戒持斉の由現ずる僧をば貴くし、供養じ、破戒無慚の僧の飲酒肉食等するをば不当なりと思うて供養せず。この差別の心、実に仏意に背けり。因りて帰敬の功も空しく、感応無きなり。戒の中にも処々にこの心を誡めたり。僧と云はば、徳の有無を択ばず、ただ供養すべきなり。殊にその外相を以て内徳の有無を定むべからず。末世の比丘、聊か外相尋常なる処と見ゆれども、また是れに勝りたる悪心も悪事もあるなり。仍て、好き僧、悪しき僧を差別し思ふ事無くて、仏弟子なれば此方を貴びて、平等の心にて供養帰敬もせば、必ず仏意に叶いて、利益も速疾にあるべきなり。また冥機冥応、顕機顕応等の四句有る事を思ふべし。また現生後報等の三時業の事も有り。此等の道理能々学すべきなり。

 

16夜話に云く、若し人来りて用事を云ふ中に、あるいは人に物を乞ひ、あるいは訴訟等の事をも云はんとて、一通の状をも所望する事出来有るに、その時、我れは非人なり、遁世篭居の身なれば、在家等の人に非分の事を謂はんは非なりとて、眼前の人の所望を叶へぬは、その時に臨み思量すべきなり。実に非人の法には似たれども、然有らず。その心中を捜るに、なほ我れは遁世非人なり、非分の事を人に云はば人定めて悪しく思ひてんと云ふ道理を思うて聞かざらんは、なほ是れ我執名聞なり。ただ眼前の人のために、一分の利益は為すべからんをば、人の悪しく思はん事を顧みず為すべきなり。この事非分なり、悪しとてうとみもし、中をも違はんも、是のごとき不覚の知音中違ん、何か悪かるべき。顕には非分の僻事をすると人には見ゆれども、内には我執を破りて名聞を捨つる、第一の用心なり。

仏菩薩は、人の来りて云ふ時は、身肉手足をも斬るなり。況んや人来りて一通の状を乞はん、少分の悪事の名聞ばかりを思ウてその事を聞かざらんは我執の咎なり。人は「ひじりならず、非分の要事云ふ人かな」と、所詮無く思ふとも、我れは名聞を捨て、一分の人の利益とならば、真実の道に相応すべきなり。古人もその義あるかと見ゆる事多し。予もその義を思ふ。少々檀那知音の思ひ懸けざる事を人に申し伝へてと云ふをば、紙少分こそ入れ、一分の利益をなすは、やすき事なり。

弉問うて云く、「この事、実に然なり。但し善き事に人の利益とならん事を、人にも云ひ伝へんはさるべし。若し僻事を以て人の所帯を取らんと思ひ、あるいは人のために悪しき事を云ふをば、云ひ伝ふべき乎、如何」。

師答へて云く、「理非等の事は我が知るべきにあらず。ただ一通の状を乞へば与ふれども、理非に任せて沙汰すべき由、云ふ人にも、状にも載すべし。請け取りて沙汰せん人こそ、理非をば明らむべけれ。我が分上にあらず。是のごとき事を理を枉げて人に云はん事、また非なり。また現の僻事なれども、我れを大事にも思ふ人の、この人の云はん事は善悪違へじと思ふほどの知音檀那の処へ、僻事を以て不得心の所望をなさば、其れをば、今の人の所望をば、一往聞くとも、彼の状にも、去り難く申せば申すばかりなり、道理に任せて沙汰有るべしと云ふべきなり。一切に是(のごとく)なれば、彼も此れも遺恨有るべからざるなり。是のごとき事、人に対面をもし、出来る事に任せて能々思量すべきなり。所詮は事に触れて名聞我執を捨つべきなり」。

 

17夜話に云く、今の世、出世間の人、多分は善事をなしては、かまへて人に識られんと思ひ、悪事をなしては人に知られじと思ふ。此れに依りて内外不相応の事出来る。相構へて内外相応し、誤りを悔い、実徳を蔵して、外相を荘らず、好事をば他人に譲り、悪事をば己に向ふる志気有るべきなり。

問うて云く、「実徳を蔵し外相を荘らざらん事、実に然るべし。但し、仏菩薩の大悲は利生を以て本とす。無智の道俗等、外相の不善を見て是れを謗難せば、謗僧の罪を感ぜん。実徳を知らずとも外相を見て貴び供養せば、一分の福分たるべし。是れ等の斟酌いかなるべきぞ。答へて云く、外相を荘らずと云いて、即ち放逸ならば、また是れ道理にたがふ。実徳をかくすと云いて在家等の前に悪行を現ぜん、また是れ破戒の甚しきなり。ただ希有の道心者の由を人に知られんと思ひ、身に在る失を人に知られじと思ふ。諸天善神及び三宝の冥に知見する処を愧ぢずして、人に貴びられんと思ふ心を誡むるなり。ただ時に臨み事に触れて興法のため利生のため、諸事を斟酌すべきなり。「擬して後言ひ、思うて後行じて率暴なる事なかれ。」となり。所詮は一切の事に臨みて、道理を案ずべきなり。

念々に留まらず日々に遷流して、無常迅速なる事、眼前の道理なり。知識経巻の教を待つベからず。念々に明日を期する事なかれ。当日当時許と思うて、後日は甚だ不定なり、知り難ければ、ただ今日ばかりも身命の在らんほど、仏道に順ぜんと思ふべきなり。仏道に順ぜん者は、興法利生のために、身命を捨テ諸事を行じ去なり。問うて云く、仏教の進めに順いて乞食等を行ずべき歟、如何」。

答へて云く、「然るべし。但し、是れは土風に順いて斟酌有るべし。なにとしても、利生も広く、我が行も進むかたに就くべきなり。是れ等の作法、道路不浄にして、仏衣を着けて行歩せば穢つべし。また人民貧窮にして次第乞食も叶ふべからず。行道も退くべく、利益も広からざる歟。ただ土風を守りて、尋常に仏道を行じ居たらば、上下の輩自ら供養を作すべし。自行化他成就せん。是のごとき事も、時に臨み事に触れて、道理を思量して、人目を思はず自の益を忘れ、仏道利生の方によきやうに計らふべし」。

 

18示に云く、学道の人、世情を捨つべきに就いて重々の用心有るべし。世を捨て、家を捨て、身を捨て、心を捨つるなり。能々思量すべきなり。世を遁れて山林に隠居し、我が重代の家を絶やさず、家門親族の事を思ふも有り。家を遁捨して親族の境界をも捨離すれども、我が身に苦しき事を為さじと思ひ、病発しつべき事を、仏道をも行ぜじと思ふは、未だ身を捨てざるなり。また身をも惜まず難行苦行すれども、心仏道に入らずして、我が心に違く事をば、仏道なれども為じと思ふは、心を捨てざるなり。

 

正法眼蔵随聞記 三

01示に云く、行者先ず心を調伏しつれば、身をも世をも捨つる事は易きなり。ただ言語に付き行儀に付きて人目を思ふ。この事は悪事なれば人悪く思ふべしとて作さず、我れこの事をせんこそ仏法者と人は見めとて、事に触れ能き事をせんとするもなほ世情なり。然ればとて、また恣に我意に任せて悪事をするは一向の悪人なり。所詮は悪心を忘れ、我が身を忘れ、ただ一向に仏法のためにすべき也。向カひ来らん事にしたがいて用心すべきなり。初心の行者は、先づ世情なりとも人情なりとも、悪事をば心に制して、善事をば身に行ずるが、即ち身心をすつるにて有るなり。

 

02示に云く、故僧正建仁寺に御せし時、独の貧人来りて道うて云く、「我が家貧にして絶煙数日に及び、夫婦子息両三人餓死しなんとす。慈悲をもて是れを救ひ給へ。」と云ふ。その時、房中に都て衣食財物等無りき。思慮をめぐらすに計略尽きぬ。時に薬師の仏像を造らんとて、光の料に打ちのべたる銅少分ありき。これを取って自ら打ち折りて束円めて彼の貧客に与へて云く、「是れを以て食物をかへて、餓を塞ぐベし。」と。彼の俗悦んで退出ぬ。門弟子等難じて云く、「正しく是れ仏像の光なり。以て俗人に与ふ、仏物己用の罪如何。」僧正答ヘて云く、「実に然るなり。但し、仏意を思ふに、身肉手足モ分つて衆生に施すべし。現に餓死すべき衆生には、直饒全躰を以て与ふとも仏意に叶ふべし。また我れこの罪に依りて縦悪趣に堕すべくとも、ただ衆生の餓ゑを救ふべし。」云々。

先達の心中のたけ、今の学人も思ふべし、忘るる事なかれ。またある時、僧正の門弟の僧云く、「今の建仁寺の寺屋敷河原に近し。後代に水難有りぬべし。」僧正云く、「我等後代の亡失これを思ふべからず。西天の祇園精舎も礎計留れりしかども、寺院建立の功徳失すべからず。また当時一年半年の行道、その功莫大なるべし。」と。今これを思ふに、寺院の建立は実に一期の大事なれば、未来際をも兼ねて難無きやうにとこそ思ふべけれども、さる心中にも、是のごとき道理を存ぜられし心のたけ、実にこれを思ふべし。

 

03夜話に云く、唐の太宗の時、魏徴奏して云く、「土民、帝を謗ずる事あり。」帝の云く、「寡人仁ありて人に謗ぜられば愁と為すべからず。仁無くして人に褒らればこれを愁ふベし。」と。俗なほ是のごとし。僧は尤もこの心有るべし。慈悲あり、道心ありて愚癡人に謗ぜられ譏らるるはくるしかるべからず。無道心にして人に有道と思はれん、是れを能々慎むべし。

また示に云く、隋の文帝の云く、「密々の徳を修して〈称〉ぐるをまつ。」と。言ふ心は、能き道徳を修してあぐるをまちて民を厳うするとなり。僧なほ及ばざらん、尤も用心すべきなり。ただ内々に道業を修せば自然に道徳外に露れ、人に知られん事を期せず望まず、ただ専ら仏教に随ひ祖道に順ひ行けば、人自ら道徳に帰するなり。此に学人の誤まり出来るやうは、人に貴びられて財宝出来たるを以て道徳彰たると自らも思ひ、人も知るなり。是れ即ち天魔波旬の心に付きたると知るべし。尤も思量すべし。教の中にも、是れをば魔の所為と云ふなり。未だ聞かず、三国の例、財宝に富み、愚人の帰敬を以て道徳と為すべしとは。

道心と云ふは、昔より三国皆貧にして身を苦しめ、省約して慈有り道有るを実の行者と云ふなり。徳の顕はるると云ふも、財宝に饒に、供養に誇るを云ふにあらず。徳の顕はるるに三重あるべし。先ずは、その人、その道を修するなりと知らるるなり。次には、その道を慕ふ者出来る。後にはその道を同じく学し同じく行ずるなり。是れを道徳の顕はるると云ふなり。

 

04夜話に云く、学道の人は人情をすつべきなり。人情を捨つると云ふは、仏法を順じ行ずるなり。世人多くは小乗根性なり。善悪を弁じ是非を分ち、是を取り非を捨つるはなほ是れ小乗の根性なり。ただ世情を捨つれば仏道に入るなり。仏道に入るには善悪を分ち、よしと思ひ、あししと思ふ事を捨て、我が身よからん、我が心何と有らんと思ふ心を忘れ、よくもあれあしくもあれ、仏祖の言語行履に順ひ行くなり。

我が心によしと思ひ、また世人のよしと思ふ事、必ずよからず。然れば、人目も忘れ、心をも捨て、ただ仏教に順ふ行くなり。身も苦しく、心も患とも、我が身心をば一向に捨てたるものなればと思うて、苦しく愁つべき事なりとも、仏祖先徳の行履ならば為すべきなり。この事は能き事、仏道に叶うたりと思ふとも、なしたく行じたくとも、仏祖の心になからん事をなすべからず。是れ即ち法門をも能く心得たる事にて有るなり。

我が心も、また本より習ひ来れる法門の思量をばすてて、ただ今見る処の祖師の言語行履に次(第)に心を移しもて行くなり。是のごとくすれば、知恵もすすみ、悟りも開くるなり。元来学する所の教家の文字の功も、捨つべき道理あらば捨て、今の義につきて見るべきなり。法門を学する事はもとより出家得道のためなり。我が学する所多年の功を積めり、何ぞやすく捨てんとなほ心深く思ふ、即ちこの心を生死繋縛の心と云ふなり。能々思量すべし。

 

05夜話に云く、故建仁寺の僧正の伝をば顕兼の中納言入道書いたるなり。その時辞する言に云く、「儒者に書かせらるべきなり。その故は、儒者は元来身を忘れて、幼きより長るまで学問を本とす。故に書いたる物に誤り無きなり。只人は、身の出仕交衆を本として、かたはら事に学問をするあひだ、自らよき人あれども、文筆の道にも誤り出来るなり。」と。

これを思ふに、昔の人は外典の学問も身を忘れて学するなり。また云く、故胤僧正云く、「道心と云ふは、一念三千の法門なんどを胸中に学し入れて持ちたるを道心と云ふなり。なにとなく笠を頚に懸けて迷ひありくをば、天狗魔縁の行と云ふなり。」と。

 

06夜話に云く、故僧正云く、「衆各用ゐる所の衣粮等の事、予が与ふると思ふ事なかれ。皆是れ諸天の供ずる所なり。我れは取り次ぎ人に当りたるばかりなり。また各々一期の命分具足す。奔走する事なかれ。」と常にすすめられければ、是れ第一の美言と覚ゆるなり。

また大宋宏智禅師の会下、天童は常住物千人の用途なり。然れば、堂中七百人、堂外三百人にて千人につもる常住物なるによりて、長老の住したる間、諸方の僧雲集して堂中千人なり。その外五、六百人ある間、知事、宏智に訴へ申すに云く、「常住物は千人の分なり。衆僧多く集まりて用途不足なり。枉げてはなたれん(ことを)。」と申ししかば、

宏智云く、「人々皆口有り。汝が事に干らず。歎く事なかれ」云々。今これを思ふに、人皆生得の衣食有り。思ふによりても出来らず、求めずとも来らざるにあらず。在家人すらなほ運に任せ忠を思ひ孝を学ぶ。何に況んや出家人は惣て他事を管ぜず。釈尊遺付の福分あり、諸天応供の衣食あり。また天然生得の命分あり。求め思はずとも、任運として有るべき命分なり。直饒走り求めて財をもちたりとも、無常忽に来たらん時如何。故に学人はただ宜余事に心を留めず、一向に道を学すべきなり。またある人云く、「末世辺土の仏法興隆は、衣食等の外護の外に累なくて修行せば、其れに付いて有相著我の諸人集まり学せんほどに、その中に若し一人の発心の人も出来るべし。故に閑居浄処を構へ、衣食具して仏法修行せば利益も弘かるべし。」と。

今は思ふに然らず。直饒千万人、利益につき財欲にふけりて聚まりたらん、一人なからんになほ(お)とるべき。悪道の業因の自ら積みて仏法の気分無き故なり。清貧艱難してあるいは乞食し、あるいは果蓏等を食して、恒に飢饉して学道せば、是れを聞いて若し一人も来り学せんと思人有らんこそ実の道心者、仏法の興隆ならめと覚ゆる。艱難貧道によりて一人も無からんと、衣食饒にして諸人聚まりて仏法なからんと、ただ八両と半斤となり。また云く、当世の人、多く造像起塔等の事を仏法興隆と思へり。また非なり。直饒高堂大観珠を磨いて金をのべたりとも、是れに因りて得道の者あるべからず。ただ在家人の財宝を仏界に入れて善事をなす福分なり。小因大果を感ずる事あれども、僧徒のこの事を営むは仏法興隆にあらざるなり。ただ草庵樹下にても、法門の一句をも思量し、一時の坐禅をも行ぜんこそ、実の仏法興隆にてあれ。今僧堂を立てんとて勧進をもし、随分に労する事は、必ずしも仏法興隆とは思はず。ただ当時学道する人も無く、徒らに日月を送る間、ただあらんよりもと思ふて、迷徒の結縁ともなれかし、また当時学道の輩の坐禅の道場のためなり。また、思ひ始めたる事のならずとても、恨み有るべからず。ただ柱一本なりとも立て置きたらば、後来も思ひ企てたれども成らざり鳬(けり)と見んも苦思すべからざるなり。

またある人すすみて云く、「仏法興隆のため関東に下向すべし。」と。

答へて云く、「然らず。若し仏法に志あらば、山川江海を渡りても来りて学すべし。その志なからん人に往き向かいてすすむとも、聞き入れん事不定なり。ただ我が資縁のため人を誑惑せん、財宝を貪らんためか。其れは身の苦しければ、いかでもありなんと覚ゆるなり。また云く、学道の人、教家の書籍及び外典等学すべからず。見るべき語録等を見るべし。その余は且く是れを置くべし。今代の禅僧、頌を作り法語を書かん料に文筆等を好む、是れ即ち非なり。頌作らずとも、心に思はん事を書いたらん。文筆調はずとも、法門を書くべきなり。是れをわるしとて見たがらぬほどの無道心の人は、好き文筆を調へ、いみじき秀句ありとも、ただ言語計を翫んで、理を得べからず。我れも本幼少の時より好み学せし事にて、今もややもすれば、外典等の美言案ぜられ、文選等も見らるるを、詮無き事と存ずれば、一向に捨つべき由を思ふなり」。

 

07一日示に云く、我れ在宋の時、禅院にして古人の語録を見し時、ある西川の僧の道者にて有りしが、我れに問うて云く、「なにの用ぞ。」云く、「郷里に帰りて人を化せん。」僧云く、「なにの用ぞ。」云く、「利生のためなり。」僧云く、「畢竟じて何の用ぞ。」と。

予、後にこの理を案ずるに、語録公案等を見て、古人の行履をも知り、あるいは迷者のために説き聞かしめん、皆是れ自行化他のために無用なり。只管打坐して大事を明らめ、心の理を明らめなば、後には一字を知らずとも、他に開示せんに、用ひ尽くすべからず。故に彼の僧、畢竟じて何の用ぞとは云ひけると、是れ真実の道理なりと思うて、その後語録等を見る事をとどめて、一向に打坐して大事を明らめ得たり。

 

08夜話に云く、真実内徳無うして人に貴びらるべからず。この国の人は真実の内徳をばさぐりえず、外相をもて人を貴ぶほどに、無道心の学人は、即ちあしざまにひきなされて、魔の眷属と成るなり。人にたっとびられじと思はん事、やすき事なり。中々身をすて世をそむく由を以てなすは、外相計の仮令なり。ただなにとなく世間の人のやうにて、内心を調へもてゆく、是れ実の道心者なり。

然れば、古人云く、「内空しくして外したがふ。」といひて、中心は我が身なくして外相は他にしたがひもてゆくなり。我が身わが心と云ふ事を一向にわすれて、仏法に入りて、仏法のおきてに任せて行じもてゆけば、内外ともによく、今も後もよきなり。仏法の中にも、そぞろに身をすて、世をそむけばとて、すつべからざる事をすつるは非なり。此土の仏法者、道心者を立つる人の中にも、身をす(て)たればとて、人はいかにも見よと思うて、ゆゑなく身をわろくふるまひ、あるいはまた世を執せぬとて、雨にもぬれながらゆきなんどするは、内外ともに無益なるを、世間の人は即ち是れを貴き人、世を執せぬなんどと思へるなり。中々仏制を守りて、戒、律儀をも存じ、自行他行仏制に任せて行ずるをば、名聞利養げなると人も管ぜざるなり。其れがまた我がためには、仏教にも順ひ、内外の徳も成るなり。

 

09夜話に云く、学道の人、世間の人に、知者もの知りと〈知〉られては無用なり。真実求道の人の一人も有らん時は、我が知るところの仏祖の法を説かざる事あるべからず。直饒我れを殺さんとしたる人なりとも、真実の道を聞かんと、真の心を以て問はんには、怨心を忘れて為に是れを説くべきなり。その外は、教家の顕密及び内外の典籍等の事、知りたる気色して全く無用なり。

人来りて是のごとき事を問ふに、知らずと答へたらんに一切苦しかるベからざるなり。其れを、物しらぬはわろしと人も思ひ、愚人と自らも覚ゆる事を傷れて、もの知らんとて博く内外典を学し、剰へ世間世俗の事をも知らんと思うて、諸事を好み学し、あるいは人にも知られたる由をもてなす、極めたる僻事なり。学道のために真実に無用なり。知りたるを知らざる気色するも六借し、やうがましければ、かへりてたうと気色にてあしきなり。もとより知らざらん、一の事なり。我れ幼少の昔、紀伝等を好み学して、其れが今も伝法するまでも、内外の書籍ひらき、方言を通ずるまでも、大切の用事、また世間のためにも尋常なり。俗なんども尋常の事に思ヒたる、かたがた用事にて有れども、今倩(つらつら)思ふに学道の碍にてあるなり。ただ聖教をみるとも、文に見ゆる所の理を次第にこころえてゆかば、その道理をえつべきを、先づ文章に対句韵声なんどを見て、よき、あしきぞと心に思うて、後に理をば見るなり。

然らばなかなか知らずして、はじめより道理を心得てゆかばよかるべきなり。法語等を書くも、文章におほせて書かんとし、韵声たがへば礙へられなんどするは、知りたる咎なり。語言文章はいかにもあれ、思ふままの理をつぶつぶと書きたらば、後来も文章わろしと思ふとも、理だにもきこえたらば、道のためには大切なり。余の才学も是のごとし。

伝ヘ聞く故高野の空阿弥陀仏は、元は顕密の碩徳なりき。遁世の後、念仏の門に入りて後、真言師ありて来りて密宗の法門を問ひけるに、彼の人答ヘて云く、「皆忘れをはりぬ。一事もおぼえず。」とて答へられざりけるなり。これらこそ道心の手本となるべけれ。などか少々おぼえでも有るべき。しかあれども、無用なる事をば云はざりけるなり。一向念仏の日はさこそ有るべけれと覚ゆるなり。今の学者もこの心有るべし。直饒元教家の才学等有りとも、皆わすれたらん、よき事なり。況んや今学する事、努々有るべからず。宗門の語録等、なほ真実参学の道者はみるべからず。その余は是れを知るべし。

 

10夜話に云く、今この国の人は、多分あるいは行儀につけ、あるいは言語につけ、善悪是非、世人の見聞識知を思うて、その事をなさば人あしく思ひてん、その事は人よしと思ひてん、乃至向後までもと執するなり。

是れまた全く非なり。世間の人、必ずしも善とする事あたはず。人はいかにも思はば思へ、狂人とも云へ、我が心に仏道に順じたらば作し、仏法にあらずは行ぜずして一期をもすごさば、世間の人はいかに思ふとも、苦しかるべからず。遁世と云ふは、世人の情を心にかけざるなり。ただ仏祖の行履、菩薩の慈行を学行して、諸天善神の冥にてらす処に慚愧して、仏制に任セて行じもてゆかば、一切くるしかるまじきなり。

さればとてまた、人のあししと思ひ云はん、苦しからずとて、放逸にして悪事を行じて人をはぢずあるは、是れまた非なり。ただ人目にはよらずして、一向に仏法によりて行ずべきなり。仏法の中にはまた、しかのごとくの放逸無慚をば制するなり。

また云く、世俗の礼にも、人の見ざる処、あるいは暗キ室の中なれども、衣服等をもきかふる時、坐臥する時にも、放逸に陰処なんどをも蔵さず無礼なるをば天に慚ぢず鬼にも慚ぢずとてそしるなり。ひとしく人の見る時と同じく、蔵すべき処をも隠し、慚ずべき処をもはづるなり。仏法の中にもまた戒律是のごとし。しかあれば、道者は内外を論ぜず明暗を択ばず、仏制を心に存して、人の見ず知らざればとて、悪事を行ずべからざるなり。

 

11一日学人問うて云く、「某甲なほ学道心に繋けて年月を運ぶといへども、未だ省悟の分有らず。古人多く道ふ、聡明霊利に依らず、有知明敏をも用ひずと。しかあれば、我が身下根劣智なればとて卑下すべきにもあらずと聞えたり。若し故実用心の存ずべきやうありやいかん。」

示に云く、「しかあり。有智高才を須ひず霊利弁聡に頼らず。実の学道あやまりて盲聾癡人のごとくになれとすすむ。全く多聞高才を用ひざるが故に下々根劣器ときらふべからず。実の学道はやすかるべきなり。しかあれども、大宋国の叢林にも、一師の会下に数百千人の中に、実の得道得法の人は僅一二なり。しかあれば、故実用心も有るべき事なり。今これを案ずるに、志之至ると至らざるとなり。真実志を至して随分に参学する人、また得ずと云ふ事無きなり。その用心のやう、何事を専らにし、その行を急にすべしと云ふ事は次の事なり。先づ欣求の志の切なるべきなり。たとへば重き宝をぬすまんと思ひ、強き敵をうたんと思ひ、高き色にあはんと思ふ心あらん人は、行住坐臥、事にふれをりにしたがひて、種々の事はかはり来れども、其れに随ひて隙を求め、心に懸くるなり。この心あながちに切なるもの、とげずと云ふ事なきなり。是のごとく道を求むる志切になりなば、あるいは只管打坐の時、あるいは古人の公案に向かはん時、若しくは知識に向かはん時、実の志をもてなさんずる時、高くとも射つべく、深くとも釣リぬべし。是れほどの心発さずして、仏道と云ふほどの一念に生死の輪廻をきる大事をば如何が成ぜん。若しこの心有らん人は、下知劣根をも云はず、愚鈍悪人をも謂はず、必ず悟道すべきなり。またこの志を発さば、ただ世間の無常を思ふべきなり。この言またただ仮令に観法なんどにすべき事にあらず。また無き事を造りて思ふべき事にもあらず。真実の眼前の道理なり。人のをしへ、聖教の文、証道の理を待つべからず。朝に生じて夕に死し、昨日見し人今日無き事、眼に遮り耳に近し。是れは他の上にて見聞きする事なり。我が身にひきあてて道理を思ふ事を。直饒七旬八旬に命を期すべくとも、遂に死ぬべき道理有らば、その間の楽しみ悲しみ、恩愛怨敵を、思ひ〈解〉けば何にてもすごしてん。ただ仏道を思うて衆生の楽を求むべし。況んや我れ年長大せる人、半ばに過ぎぬる人、余年幾なれば学道ゆるくすべき。この道理もなほのびたる事なり。世間の事をも仏道の事をも思へ。明日、次の時よりも、何なる重病をも受けて、東西も弁ぜず、重苦のみかなしみ、またいかなる鬼神の怨害をも受けて頓死をもし、何なる賊難にも逢ひ、怨敵も出来りて殺害奪命せらるる事もや有らん、真実に不定なり。然れば、これほどにあだなる世に、極めて不定なる死期を、いつまで〈生〉きたるべしとて種々の活計を案じ、剰へ他人のために悪をたくみ思うて、徒らに時光を過ごす事、極めて愚かなる事なり。この道理真実なれば、仏も是れを衆生のために説き、祖師の普説法語にもこの道理をのみ説く。今の上堂請益等にも、無常迅速、生死事大を云ふなり。返々もこの道理を心に忘れずして、ただ今日今時許と思うて、時光を失はず学道に心を入るべきなり。その後真実に易きなり。性の上下、根の利鈍、全く論ずべからず」。

 

12夜話に云く、人多く遁世せざる事は、我身を貪るに似て我身を思はざるなり。是れ即ち遠慮無きなり。また是れ善知識に逢はざるに依るなり。たとひ名聞を思ふとも、仏祖の名を得て古徳後賢是れを聞いて悦ばしめん。たとひ利養を思ふとも常楽の益を得、龍天の供養を得べし。

 

13夜話に云く、古人云く、「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり。」と。今の学道の人、この心有るべきなり。広劫多生の間、幾回か徒らに生じ、徒らに死せし。まれに人界に生まれて、たまたま仏法に逢ふ時、何にしても死に行くべき身を、心ばかりに惜しみ持つとも叶ふベからず。遂に捨行く命を、一日片時なりとも仏法のためすてたらば、永劫の楽因なるべし。

後の事、明日の活計を思うて捨つべき世を捨てず、行ずべき道を行ぜずして、あたら日夜を過ごすは口惜しき事なり。ただ思ひ切りて、明日の活計なくは飢ゑ死にもせよ。寒え死にもせよ、今日一日道を聞いて仏意に随いて死なんと思ふ心を先づ発すべきなり。その上に道を行じ得ん事は一定なり。この心無くて世を背き道を学するやうなれども、なほしり足を踏みて、夏冬の衣服等の事をした心にかけ、明日明年の活命を思うて仏法を学せんは、万劫千生学すともかなふべしとも覚えず。またさる人もや有らんずらん、存知の意趣、仏祖の教には有るべしともおぼえざるなり。

 

14夜話に云く、学人は必ずしも死ぬべき事を思ふべし。道理は勿論なれども、たとへばその言は思はずとも、しばらく先づ光陰を徒らにすぐさじと思うて、無用の事をなして徒らに時をすぐさで、詮ある事をなして時をすぐすべきなり。そのなすべき事の中に、また一切の事、いづれか大切なると云ふに、仏祖の行履の外は皆無用なりと知るべし。

 

15或る時弉問うて云く、「衲子の行履、旧損の衲衣等を綴り補うて捨てざれば物を貪惜するに似たり。旧きを捐(す)て、新しきに随いて用れば、新しきを貪惜する心有り。二つながら咎あり。畢竟じて如何が用心すべき」。

答ヘて云く、「貪惜貪求の二つをだにもはなるれば、両頭倶に失無からん。但し、やぶれたるをつづりて久しからしめて、あたらしきを貪らずんば可なり」。

 

16夜話の次に弉公問うて云く、「父母の報恩等の事、作すべき耶」。

示に云く、「孝順は尤も用ふる所なり。但し、その孝順に在家出家之別在り。在家は孝経等の説を守りて生をつかふ。死につかふる事、世人皆知れり。出家は恩を棄て無為に入りて、無為の家の作法は、恩を一人に限らず、一切衆生斉しく父母の恩のごとく深しと思うて、作す所の善根を法界にめぐらす。別して今生一世の父母に限らず。是れ則ち無為の道に背かざるなり。日々の行道時々の参学、ただ仏道に随順しもてゆかば、其れを真実の孝道とするなり。忌日の追善中陰の作善なんど、皆在家に用ふる所なり。衲子は父母の恩の深き事をば実のごとく知るべし。余の一切また同じく重くして知るべし。別して一日をしめて殊に善を修し、別して一人をわきて回向をするは仏意にあらざる歟。戒経の「父母兄弟死亡の日」の文は、暫く在家に蒙らしむ歟。大宋の叢(林)の衆僧、師匠の忌日にはその儀式あれども、父母の忌日は是れを修したりとも見えざるなり」。

 

17一日示に云く、人の鈍根と云ふは、志の到らざる時の事なり。世間の人、馬より落つる時、未だ地に落ちざる間に種々の思ひ起る。身をも損じ、命をも失するほどの大事出来たる時、誰人も才覚念慮を起すなり。その時は、利根も鈍根も同じく物を思ひ、義を案ずるなり。

然れば、明日死に、今夜死ぬべしと思ひ、あさましき事に逢うたる思ひをなして切にはげみ、志をすすむるに、悟りをえずと云ふ事無きなり。中々世智弁聡なるよりも、鈍根なるやうにて切なる志を出す人、速やかに悟りを得るなり。

如来在世の周利盤特は、一偈を読誦する事は難かりしかども、根性切なるによりて一夏に証を取りき。ただ今ばかり我が命は存ずるなり。死なざる先に悟りを得んと、切に思うて仏法を学せんに、一人も得ざるは有るべからざるなり。

 

18一夜示に云く、大宋の禅院に麦米等をそろへて、あしきをさけ、よきを取りて飯等にする事あり。是れをある禅師云く、「直饒我が頭を打ち破る事七分にすとも、米をそろふる事なかれ。」と、頌に作りて戒めたり。この心は、僧は斎食等を調へて食する事なかれ。ただ有るにしたがひて、よければよくて食し、あしきをもきらはずして食すべきなり。ただ檀那の信施、清浄なる常住食を以て餓を除き、命をささへて行道するばかりなり。味を思うて善悪をえらぶ事なかれと云ふなり。今我が会下の諸衆、この心あるべし。

因みに問うて云く、「学人若し自己仏法なり、也外に向いて求むべからず。」と聞いて、深くこの語を信じて、向来の修行参学を放下して、本性に善悪業をなして一期を過ごさん、この見如何」。

示に云く、「この見解、語と理と相違せり。外に向いて求むべからずと云いて、行をすて、学を放下せば、行をもて求むる所有りと聞えたり、求めざるにあらず。ただ行学本より仏法なりと証して、無所求にして世事悪業等の我が心に作したくとも作さず、学道修行の懶きをもなして、この行を以て果を得きたるとも、我が心先より求むる事無くして行ずるをこそ、外に向いて求むる事無しと云ふ道理には叶ふべけれ。南岳の磚を磨して鏡を求めしも、馬祖の作仏を求めしを戒めたり。坐禅を制するにはあらざるなり。坐はすなわち仏行なり。坐は即ち不為なり。是れ即ち自己の正躰なり。この外別に仏法の求むべき無きなり」。

 

19一日請益の次に云く、近代の僧侶、多く世俗にしたがふべしと云ふ。思ふに然らず。世間の賢すらなほ民俗に随ふ事を穢れたる事と云いて、屈原のごときは「皆酔へり。我れは独醒めたり。」とて、民俗に随はずしてつひに滄浪に没す。況んや仏法は、事々皆世俗に違背せるなり。俗は髪をかざる、僧は髪をそる、俗は多く食す、僧は一食するすら、皆そむけり。然して後、還って大安楽人なり。故に一切世俗に背くべきなり。

 

20一日示に云く、治世の法は、上天子より下庶民に至るまで各皆その官に居する者、その業を修す。その人にあらずしてその官をするを乱天の事と云ふ。政道天意に叶ふ時、世清み民康きなり。故に帝は三更の三点におきさせ給うて、治世する時としませり。たやすからざる事、ただ職のかはり、業の殊なるばかりなり。国王は自思量を以て治道をはからひ、先規をかんがへ、有道の臣を求めて政天意に相合する時、是れを治世と云ふなり。若し是れを怠れば天に背き世を乱し、民を苦しむるなり。其れより以下、諸侯大夫人士庶民、皆各所官の業有り。其れに随ふを人と云ふなり。其れに背く、天を乱す事を為して天之刑を蒙るなり。

然れば、学人も世を離れ家を出ればとて、徒らに身をやすくせんと思ふ事、暫くも有るべからず。利有るに似て後大害有るなり。出家人の法は、またその職を収め、その業を修すべきなり。世間の治世は先規有道を嗜み求むれども、なほ先達知識のたしかに相伝したるなければ、自らし、たがふる事も有るなり。仏子はたしかなる先規教文顕然なり。また相承伝来の知識現在せり。我れに思量あり。四威儀の中において一々に先規を思ひ、先達にしたがひ修行せんに、必ず道を得べきなり。

俗は天意に合せんと思ひ、衲子は仏意に合せんと修す。業等しくして得果勝れたり。一得永得、大安楽のために、一世幻化の身を苦しめて仏意に随はんは、行者の志に在るべし。然りと雖も、またすぞろに身を苦しめ、作すべからざる事を作せと仏教にはすすむる事無きなり。戒行律儀に随ひゆけば、自然に身安く行儀も尋常に、人目も安きなり。ただ、今案の我見の安立をすてて、一向仏制に順ふべきなり。

また云く、我れ大宋天童禅院に居せし時、浄老住持の時は、宵は二更の三点まで坐禅し、暁は四更の二点三点よりおきて坐禅す。長老ともに僧堂裏に坐す。一夜も闕怠なし。その間衆僧多く眠る。長老巡り行いて睡眠する僧をばあるいは拳を以て打ち、あるいはくつをぬいで打チ恥しめ勧めて睡りを覚す。なほ睡る時は照堂に行き、鐘を打ち、行者を召して燭を燃しなんどして卒時に普説して云く、「僧堂裏にあつまり居して徒らに眠りて何の用ぞ。然れば何ぞ出家入叢林する。見ず麼、世間の帝王官人、何人か身をやすくする。王道を収め忠節を尽くし、乃至庶民は田を開き鍬をとるまでも、何人か身をやすくして世をすごす。是れをのがれて叢林に入りて虚く時光を過ごす、畢竟じて何の用ぞ。生死事大なり、無常迅速なり。教家も禅家も同じくすすむ。今夕明旦、何なる死をか受け何なる病をかせん。且く存ずるほど、仏法を行ぜず眠り臥して虚しく時を過ごさん、尤も愚かなり。故に仏法は衰へ去くなり。諸方仏法のさかりなりし時は、叢林皆坐禅を専らにせり。近代諸方坐をすすめざれば、仏法澆薄しもてゆくなり。」

是のごとく道理を以て衆僧をすすめて坐禅せしめし事、親しくこれを見しなり。今の学人も彼の風を思ふべし。

またある時、近仕の侍者等云く、「僧堂裡の衆僧眠りつかれ、あるいは病も発り、退心も起りつべし。坐久き故歟。坐禅の時尅を縮らればや。」と申しければ、長老大いに諫めて云く、「然るべからず。無道心の者、仮名に僧堂に居するは、半時片時なりともなほ眠るべし。道心ありて修行の志あらんは、長からんにつけ喜び修せんずるなり。我れ若かりし時、諸方の長老を歴観せしに、是のごとくすすめて眠る僧をば拳のかけなんとするほど打ちせめしなり。今は老後になりて、よわくなりて、人をも打得せざるほどに、よき僧も出来らざるなり。諸方の長老も坐を緩くすすむる故に、仏法は衰微せるなり。弥々打つべきなり。」とのみ示されしなり。

 

21また云く、得道の事は心をもて得るか、身を以て得るか。教家等にも「身心一如」と云いて、「身を以て得」とは云へども、なほ「一如の故に」と云ふ。正しく身の得る事はたしかならず。今我が家は、身心倶に得るなり。その中に、心をもて仏法を計校する間は、万劫千生にも得べからず。心を放下して、知見解会を捨つる時、得るなり。

見色明心、聞声悟道のごときも、なほ身を得るなり。然れば、心の念慮知見を一向すてて、只管打坐すれば、今少し道は親しみ得るなり。然れば道を得る事は、正しく身を以て得るなり。是れによりて坐を専らにすべしと覚ゆるなり。

 

正法眼蔵随聞記 四

01示に曰く、学道の人、身心を放下して一向に仏法に入るべし。古人云く、「百尺竿頭上なほ一歩を進む。」と。何にも百尺の竿頭に上りて足を放たば死ぬべしと思うて、つよくとりつく心の有るなり。

其れを思ひ切りて一歩を進ムと云ふは、よもあしからじと思ひきりて、放下するように、度世の業より始めて、一身の活計に至るまで、何にも捨て得ぬなり。其れを捨てざらんほどは、何に頭燃をはらひて学道するやうなりとも、道を得る事叶はざるなり。思ひきり、身心倶に放下すべし。

 

02ある時比丘尼云く、「世間の女房なんどにも、仏法とて学すれば、比丘尼の身には少々の不可ありとも何で叶はざルべきと覚ゆ。如何。」と云ひし時、

示に云く、「この義然るべからず。在家の女人その身ながら仏法を学んでうる事はありとも、出家人の出家の心なからんは得べからず。仏法の人をえらぶにはあらず、人の仏法に入らざればなり。出家在家の儀、その心異ねるべし。在家人の出家の心有らば出離すべし。出家人の在家の心有らば二重の僻事なり。作す事の難きにはあらず。よくする事の難きなり。出離得道の行は、人ごとに心にかけたるに似たれども、よくする人の難きなり。生死事大なり、無常迅速なり、心をゆるくする事なかれ。世をすてば実に世を捨つべきなり。仮名は何にてもありなんとおぼゆるなり」。

 

03夜話に云く、世人を見るに果報もよく、家をも起す人は、皆正直に、人のためにもよきなり。故に家をも持ち、子孫までも絶えざるなり。心に曲節あり人のためにあしき人は、たとひ一旦は果報もよく、家をたもてるやうなれども、始終あしきなり。縦ひまた一期はよくてすぐせども、子孫未だ必ずしも吉ならざるなり。また人のために善き事を為して、彼の主に善しと思はれ悦びられんと思うてするは、悪しきに比すれば勝れたれども、なほ是れは自身を思うて、人のために実に善きにあらざるなり。主には知られずとも、人のためにうしろやすく、乃至未来の事、誰がためと思はざれども、人のためによからん料の事を作し置きなんどするを、真の人のため善きとは云ふなり。

況んや衲僧は、是れには超えたる心を持つべきなり。衆生を思ふ事親疎をわかたず、平等に済度の心を存じ、世、出世間の利益、都て自利を憶はず、人に知られず主に悦ばれず、ただ人のため善き事を心の中になして、我れは是のごとくの心もちたると人に知られざるなり。

この故実は、先づすべからく世を棄て身を捨つべきなり。我が身をだにも真実に捨離しつれば、人に善く思はれんと云ふ心は無きなり。然れどもまた、人は何にも思はば思へとて、悪しき事を行じ、放逸ならんはまた仏意に背く。ただ好き事を行じ人のためにやすき事をなして代りを思ふに我がよき名を留めんと思はずして、真実無所得にて、先生の事をなす、即ち吾我を離るる第一の用心也。この心を存ぜんと欲はば先づすべからく無常を念ふべし。

一期は夢のごとし。光陰移り易し。露の命は待ちがたうして、時は人を知らぬならひなれば、ただ暫くも存じたるほど、聊かの事につけても人のためによく、仏意に順はんと思ふべきなり。

 

04夜話に云く、学道の人は尤も貧なるべし。世人を見るに、財有る人は先づ瞋恚恥辱の二難定めて来るなり。財有れば人是れを奪ひ取らんと欲ふ。我れは取られじと欲る時、瞋恚忽ちに起る。あるいは之れを論じて問注対決に及び、遂には闘諍合戦を致す。是のごとくの間に、瞋恚起り恥辱来るなり。貧にして而も貪らざる時は、先ずこの難を免る。安楽自在なり。証拠眼前なり。教文を待つべからず。

加之先人後賢之れを譏り、諸天仏祖皆之れを恥ぢしむ。而るを、愚人と為財宝を貯はへ、瞋恚を懐き、愚人と成らん事、恥辱の中の恥辱なり。貧にして而も道を思ふ者は先賢後聖之仰ぐ所、仏祖冥道之喜ぶ所なり。仏法陵遅し行く事眼前に近し。予、始め建仁寺に入りし時見しと、後七八年に次第にかはりゆく事は、寺の寮々に各々塗籠をし、器物を持ち、美服を好み、財物を貯へ、放逸之言語を好み、問訊、礼拝等陵遅する事を以て思ふに、余所も推察せらるるなり。

仏法者は衣鉢の外は財をもつべからず。何を置かんために塗籠をしつらふべきぞ。人にかくすほどの物を持つべからず。持たずは返ってやすきなり。人をば殺すとも人には殺サれじなんどと思ふ時こそ、身もくるしく、用心もせらるれ。人は我れを殺すとも我れは報を加へじと思ひ定めつれば、先づ用心もせられず、盗賊も愁へられざるなり。時として安楽ならずと云ふ事無し。

 

05一日示に云く、宋土の海門禅師、天童の長老たりし時、会下に元首座と云ふ僧有りき。この人、得法悟道の人なり。長老にもこえたり。有る時、夜、方丈に参じて焼香礼拝して云く、「請ふらくは師、後堂首座を許せ。」門、流涕して云く、「我れ小僧たりしより未だ是のごとくの事を聞かず、汝禅僧として首座長老を所望する事を。汝已に悟道せる事は、先規を見るに我れにも超えたり。然るに首座を望む事、昇進のためか。許す事は前堂をも乃至長老をも許すべし。余の未悟僧は之れを察するに、(余りあり)。仏法の衰微、是れを以て知リぬべし。」と云いて流涕悲泣す。爰に僧恥ぢて辞すと雖も、なほ首座に補す。その後首座、こも事を記録して自ら恥ぢしめ師の美言を彰はす。今之れを案ずるに、昇進を望み、物の首となり、長老にならん事をば、古人是れを恥ぢしむ。ただ道を悟らんとのみ思うて余事有るべからず。

 

06一夜示に云く、唐の太宗即位の後、旧き殿に栖み給へり。破損せる間、湿気あがり、風霧〈侵〉して玉躰侵さるべし。臣下造作すべき由を奏しければ、帝の云く、「時、農節なり。民定めて愁有るべし。秋を待ちて造るべし。湿気に侵されば地に受けられず、風雨に侵されば天に叶はざるなり。天地に背かば身有るべからず。民を煩はさずんば自ら天地に叶ふべし。天地に叶はば身を犯すべからず。」と云いて、終に宮を作らず、古き殿に栖み給へり。

況んや仏子は、如来の家風を受け、一切衆生を一子のごとく憐れむべし。我れに属する侍者所従なればとて、呵責し煩はすべからず。何に況んや同学等侶耆年宿老等を恭敬する事、如来のごとくすべしと、戒文分明なり。然れば今の学人も、人には色に出て知られずとも、心中に上下親疎を別たず、人のためによからんと思ふべきなり。大小の事につけて、人をわづらはし心を傷す事有るべからざるなり。

如来在世に外道多く如来を謗じ悪むも有りき。仏弟子問うて云く、「本より柔和を本とし慈を心とす。一切衆生等しく恭敬すべし。何の故にか是のごとく随はざる衆生有る。」仏言く、「我れ昔衆を領ぜし時、多く呵責羯磨をもて弟子をいましめき。是れに依りて今是のごとし。」と。律中に見えたり。

然れば即チ住持長老として衆ヲ領ジたりとも、弟子の非をただしいさめんとて呵責の言を用ふべからず。柔和の言を以ていさめすすむとも、随ふべくは随ふべきなり。況んや衲子は、親疎兄弟等のためにあらき言を以て人をにくみ呵責する事は、一向に止むべきなり。能々用意すべきなり。

 

07また云く、衲子の用心、仏祖の行履を守るべし。第一には財宝を貪るべからず。如来慈悲深重なる事、喩へを以て推量するに、彼の所為行履、皆是れ衆生のためなり。一微塵許も衆生利益のためならずと云ふ事無し。

その故は、仏は是れ輪王の太子にてまします。一天をも御意にまかせ給ひつべし。財を以て弟子を哀み、所領を以て弟子をはごくむべくんば、何の故にか捨てて自ら乞食を行じ給ふべき。決定末世の衆生のためにも、弟子行道のためにも、利益の因縁有るべきが故に、財宝を貯へず、乞食を行じ給へり。然りしより以来、天竺漢土の祖師の由、また人にも知られしは、皆貧窮乞食せしなり。

況んや我が門の祖々、皆財宝を畜ふべからずとのみすすむるなり。教家にもこの宗を讃たるに、先づ是れをほめ、記録の家にもこの事を記して讃むるなり。未だ財宝に富み饒にして仏法を行ぜし事を聞かず。皆よき仏法者と云ふは、あるいは布衲衣、常乞食なり。禅門によき僧と云はれはじめおこるも、あるいは教院、律院等に雑居せし時も、禅僧の異をば身をすて貧人なるを以て異せりとす。宗門の家風、先ずこの事を存ずべし。聖教の文理を待つべからす。

我が身にも田園等を持ちたる時も有りき。また財宝を領ぜし時も有りき。彼の時の身心と、このごろ貧しくして衣盂に乏しき時とを比するに、当時の心勝れたりと覚ゆ。是れ現証なり。

また云く、古人云く、「その人に似ずしてその風を語ることなかれ。」と。言ふ心は、その人徳を学ばず知らずして、その人の失なるを、その人はよけれども、その事あしきなり、(あしき)事をよき人もすると思ふべからず。ただその人の徳を取り失を取ることなかれ。君子は徳を取りて失を取らずと云へる、この心なり。

 

08一日示に云く、人は必ず陰徳を修すべし。必ず冥加顕益有るなり。たとい泥木塑像の麁悪なりとも、仏像をば敬礼すべし。黄紙朱軸の荒品なりとも、経教をば帰敬すべし。破戒無慚の僧侶なりとも僧躰をば信仰すべし。内心に信心をもて敬礼すれば、必ず顕福を蒙るなり。破戒無慚の僧なれば、疎相麁品の経なればとて、不信無礼なれば必ず罰を被るなり。しかあるべき如来の遺法にて、人天の福分となりたる仏像・経卷・僧侶なり。故に帰敬すれば益あり、不信なれば罪を受くるなり。

何に希有に浅増くとも、三宝の境界をば恭敬すべきなり。禅僧は善を修せず功徳を要せずと云いて悪行を好む、きはめて僻事なり。先規未だ是のごとくの悪行を好む事を聞かず。

丹霞天然禅師は木仏をたく、是れこそ悪事と見えたれども、是れも一段の説法施設なり。この師の行状の記を見るに、坐するに必ず儀あり、立するに必ず礼あり、常に貴き賓客に向かふがごとし。暫時の坐にも必ず跏趺し、叉手す。常住物を守る事眼睛のごとくす。勤修するもの有れば必ず加す。小善なれども是れを重くす。常図の行状勝れたり。彼の記をとどめて今の世までも叢林ノ亀鏡とするなり。しかのみならず、諸の有道の師、先規悟道の祖、見聞するに皆戒行を守り威儀を調ふ。たとひ小善と云ふとも是れを重くす。未だ聞かず、悟道の師の善根を忽諸する事を。

故に学人祖道に随はんと思はば必ず善根をかろしめざれ。信教を専らにすべし。仏祖の行道は必ず衆善の集まる所なり。諸法皆仏法なりと体達しつる上は、悪は決定悪にて仏祖の道に遠ざかり、善は決定善にて仏道の縁となる。知るべし、若し是のごとくならば何ぞ三宝の境界を重くせざらんや。

また云く、今仏祖(の道)を行ぜんと思はば、所期も無く所求も無く、所得も無くして無利に先聖の道を行じ、祖々の行履を行ずべきなり。所求を断じ、仏果をのぞむべからず。さればとて修行をとどめ、本の悪行にとどまらば、還りて是れ所求に堕し、棄臼にとどまるなり。全く一分の所期を存ぜずして、ただ人天の福分とならんとて、僧の威儀を守り、済度利生の行儀を思ひ、衆善を好み修して、本の悪をすて、今の善にとどこほらずして一期行じもてゆけば、是れを古人も漆桶を打破する底と云ふなり。仏祖の行履是のごとくなり。

 

09一日僧来りて学道之用心を問ふ次に示に云く、「学道の人は先づすべからく貧なるべし。財多ければ必ずその志を失ふ。在家学道の者、なほ財宝にまとはり、居所を貪り、眷属に交はれば、直饒その志ありと云へども障道の縁多し。古来俗人の参ずる多けれども、その中によしと云へども、なほ僧には及ばず。僧は三衣一鉢の外は財宝を持たず、居所を思はず、衣食を貪らざる間、一向に学道す。是れは分々皆得益有るなり。その故は、貧なるが道に親しきなり。龐公は俗人なれども僧におとらず禅席に名を留めたるは、彼の人参禅の初め、家の財宝を以ちて出でて海にしづめんとす。人之れを諫めて云く、「人にも与へ、仏事にも用ふべし。」他に対へて云く、「我れ已にあたなりと思うて是れをすつ。焉んぞ人に与ふべき。財は身心を愁しむるあたなり。」と。遂に海に入れ了りぬ。而して後、活命のためにはいかきをつくりて売りて過ぎ鳧(けり)。俗なれども是のごとく財をすててこそ禅人とも云はれけれ。何に況んや一向に僧はすつべきなり」。

僧の云く、「唐土には寺院定まり、僧祇物あり、常住物等ありて僧のために行道の縁となる。その煩無し。この国はその儀無ければ、一向棄置せられても、中々行道の違乱とならん。是のごとく、衣食の資縁を思ひあててあらばよしと覚ゆ、如何」。

示に云く、「然らず。中々唐土よりこの国の人は無理に人を供養し、非分に人に物を与ふる事有るなり。先づ人はしらず、我れはこの事を行じて道理を得たるなり。一切一物も思ひあてがふ事もなくて、十年余過ぎ送りぬ。一分も財をたくはへんと思ふこそ大事なれ。僅の命を送るほどの事は、何とも思ひ畜へねども、天然として有るなり。人皆生分有り。天地之れを授く。我れ走り求めざれども必ず有るなり。況んや仏子は、如来遺属の福分あり。求めざれども自ら得るなり。ただ一向に道を行ぜば是れ天然なるべし。是れ現証なり」。

また云ク、「学道の人、多分云く、若しその事をなさば世人是れを謗ぜんかと。この条甚だ非なり。世間の人何とも謗ずとも、仏祖の行履、聖教の道理にてだにもあらば依行すべし。世人挙げて褒るとも、聖教の道理にあらず、祖師も行ぜざらん事ならば依行すべからず。その故は、世人親疎我れをほめそしればとて、彼の人の心に随ひたりとも、我が命終の時、悪業にもひかれ悪道に趣かん時、何にも救ふべからず。喩へば皆人に謗られ悪るとも、仏祖の道にしたがうて依行せば、その冥、実に我れをばたすけんずれば、人のそしればとて、道を行ぜざるべからず。また是のごとく謗讃する人、必ずしも仏道に通達し、証得せるにあらず。何としてか仏祖の道を善悪をもて判ずべき。然も世の人情には順ふべからず。ただ仏道に依行すべき道理あらば、一向に依行すべきなり」。

 

10また僧云く、「某甲老母現在せり。我れは即ち一子なり。ひとへに某甲が扶持にて度世す。恩愛もことに深し。順孝の志も深し。是れに依りて聊か世に順ひ人に随いて、他の恩力をもて母の衣糧にあづかる。若し遁世籠居せば一日の活命も存じ難し。是れに依りて世間に存り。一向仏道に入らざらん事も難治なり。若しなほただすてて道に入るべき道理有らば、その旨何なるべきぞ」。

示に云く、「この事難治なり。他人のはからひにあらず。ただ我れ能く思惟して、誠に仏道に志あらば、何なる支度方便をも案じて、母儀の安堵活命をも支度して仏道に入らば、両方倶によき事なり。こはき敵、ふかき色、おもき宝なれども、切に思ふ心ふかかれば、必ず方便も出来るやうもあるべし。是れ天地善神の冥加も有りて必ず成るなり。曹渓の六祖は新州の樵人、たき木を売りて母を養ひき。一日市にして客の金剛経を誦ずるを聞いて発心し、母を辞して黄梅に参ず。銀三十両を得て母儀の衣糧にあてたりと見えたり。是れも切に思ひける故に天の与へたりけるかと覚ゆ。能々思惟すべし。是れ一の道理なり。母儀の一期を待ちて、そノ後障碍無く仏道に入らば、次第本意のごとくして神妙なり。知らず、老少は不定なれば、若し老母は久しく止まつて我れは前に去る事も出来らん時は、支度相違せば、我れは仏道に入らざる事をくやみ、老母は許さざる罪に沈みて、両人共に益なくして互ひに罪を得ん時如何。若し今生を捨て仏道に入りたらば、老母直饒餓死すとも、一子を放して道に入れしむる功徳、豈得道の良縁にあらざらんや。我れも広劫多生にも捨て難き恩愛を、今生人身を受けて仏教に遇へる時捨てたらば、真実報恩者の道理、何ぞ仏意に叶はざらん哉。一子出家すれば七世の〈親〉得道すと見えたり。何ぞ一世の浮生の身を思つて永劫安楽の因を空しく過ごさんやと云ふ道理もあり。是れを能々自らはからふべし」。

 

正法眼蔵随聞記 五

01一日参学の次、示に云く、「学道の人、自解を執する事なかれ。縦ひ所会有りとも、若しまた決定よからざる事もあらん、また是れよりもよき義もや有らんと思うて、ひろく知識を訪ひ、先人の言をも尋ぬべきなり。また先人の言なれども堅く執する事なかれ。若し是れもあしくもや有らん、信ずるにつけてもと思うて、勝れたる事あらば次第につくべきなり。

昔忠国師の会に、有る供奉来れりしに、国師問うて云く、「南方の草の色如何。」奉云く、「黄色なり。」また、国(師)の童子の有りけるに問へば、同じく童子も「黄色なり。」と答へしかば、国師、供奉に云く、「汝が見、童子にこえず。汝も黄色なりと云ふ。童子も黄色なりと云ふ。是れ同見なるべし。然れば、童子、国皇の師として真色を答へし、汝が見所常途にこえず。」と。

後来、有る人云く、「供奉が常途に越えざる、何のとがか有らん。童子と同じく真色を説く。是れこそ真の知識たらめ。」と云いて、国師の義をもちゐず。故に知りぬ、古人の言をもちゐず、ただ誠の道理を存ずべきなり。疑心はあしき事なれども、また信ずまじき事をかたく執して、尋ぬべき義をもとぶらはざるはあしきなり」。

 

02また示に云く、学人第一の用心は、先ず我見を離るべし。我見を離ると者、この身を執すべからず。縦ひ古人の語話を窮め、常坐鉄石のごとくなりと雖も、この身に著じて離れざらん者、万劫千生仏祖の道を得べからず。いかに況んや権実の教法、顕密の聖教を悟得すと雖も、この身を執する之心を離れず者、徒らに他の宝を数ヘて自ら半銭之分無し。ただ請ふらくは学人静坐して道理を以てこの身之始終を尋ぬべし。

身躰髪膚父母之二滴、一息に駐りぬれば山野に離散して終に泥土を作る。何を以ての故にか身を執せんや。況んや法を以て之れを見れば十八界之聚散、何の法をか定めて我身と為ん。教内教外別なりと雖も、我身之始終不可得なる事、之れを以て行道之用(心)と為る事、是れ同じ。先づこの道理を達する、実に仏道顕然なる者なり。

 

03一日示に云く、古人云く、「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる。」と。よき人に近づけば、覚えざるによき人となるなり。昔、倶胝和尚に使へし一人の童子のごときは、いつ学し、いつ修したりとも見えず、覚えざれども、久参に近づいしに悟道す。坐禅も自然に久しくせば、忽然として大事を発明して坐禅の正門なる事を知る時も有るベし。

 

04嘉禎二年臘月除夜、始めて懐弉を興聖寺の首座に請ず。即ち小参の次、秉払を請ふ。初めて首座に任ず。即ち興聖寺最初の首座なり。

小参に云く、「宗門の仏法伝来の事、初祖西来して少林に居して機をまち時を期して面壁して坐せしに、その年の窮臘に神光来参しき。初祖、最上乗の器なりと知りて接得す。衣法ともに相承伝来して児孫天下に流布し、正法今日に弘通す。初めて首座を請じ、今日初めて秉払をおこなはしむ。衆のすくなきにはばかる事なかれ。身、初心なるを顧みる事なかれ。汾陽は纔に六七人、薬山は不満十衆なり。然れども仏祖の道を行じて是れを叢林のさかりなると云ひき。見ずや、竹の声に道を悟り、桃の花に心を明らめし、竹豈利鈍有り、迷悟有らんや。花何ぞ浅深有り、賢愚有らん。花は年々に開くれども皆悟道するにあらず。竹は時々に響けども聴く者ことごとく証道するにあらず。ただ久参修持の功にこたへ、弁道勤労の縁を得て悟道明心するなり。是れ竹の声の独り利なるにあらず、また花の色のことに深きにあらず。竹の響き妙なりと云へども自らの縁を待ちて声を発す。花の色美なりと云へども独り開くるにあらず。春の時を得て光を見る。学道の縁もまた是のごとし。人々皆道を得る事は衆縁による。人々自ら利なれども道を行ずる事は衆力を以てするが故に、今心を一つにして参究尋覓すべし。玉は琢磨によりて器となる。人は練磨によりて仁となる。何の玉かはじめより光有る。誰人か初心より利なる。必ずみがくべし、すべからく練るべし。自ら卑下して学道をゆるくする事なかれ。古人云く、「光陰虚しくわたる事なかれ。」と。今問ふ、時光はをしむによりてとどまるか、をしめどもとどまざるか。また問ふ、時光虚しく度らず、人虚しく渡るべからず。時光をいたづらに過ごす事なく学道をせよと云ふなり。是のごとく参究、同心にすべし。我れ独り挙揚せんに容易にするにあらざれども、仏祖行道の儀、皆是のごとくなり。如来にしたがいて得道するもの多けれども、また阿難によりて悟道する人もありき。新首座非器なりと卑下する事なく、洞山の麻三斤を挙揚して同衆に示すべし」と云いて、座をおりて、再び鼓を鳴らして、首座秉払す。是れ興聖最初の秉払なり。弉公三十九の年なり。

 

05一日示に云く、俗人の云く、「何人か厚衣を欲せざらん、誰人か重味を貪らざらん。然れども、みちを存ぜんと思ふ人は、山に入り雲に眠り、寒きを忍び餓ゑをも忍ぶ。先人くるしみ無きにあらず。是れを忍びてみちを守れば、後人是れを聞いてみちをしたひ、徳をこふるなり。」と。

俗の賢なる、なほ是のごとし。仏道豈、然らざらんや。古人も皆金骨にあらず、在世もことごとく上器にあらず。大小の律蔵によりて諸比丘をかんがふるに、不可思議の不当の心を起すも有りき。然れども、後には皆得道し羅漢となれり。しかあれば、我等も悪くつたなしと云へども、発心修行せば得道すべしと知りて、即ち発心するなり。古へも皆苦をしのび寒をたへて、愁ながら修道せしなり。今の学者、くるしく愁ふるとも、ただ強て学道すべきなり。

 

06学道の人、悟りを得ざる事は、即ち古見を存ずる故なり。本より誰教へたりとも知らざれども、心と云へば念慮知見なりと思ひ、草木なりと云へば信ぜず。仏と云へば相好光明あらんずると思うて、瓦礫と説けば耳を驚かす。即ちこの見父も相伝せず、母も教授せず。ただ無理に久しく人の言ふにつきて信じ来れるなり。然れば、今も仏祖決定の説なれば、心を改めて、草木と云へば草木を心としり、瓦礫を仏と云へば即ち本執をあらため去ば、真に道を得べきなり。

古人云く、「日月明らかなれども浮雲之れを掩ふ、叢蘭茂せんとするとも秋風之れを吹き破る。」と。貞観政要に之れを引いて賢王と悪臣とに喩ふ。

今は云く、「浮雲掩へども久しからず、秋風やぶるともひらくべし。臣わろくとも王の賢久しくは転ぜらるべからず。今仏道を存せんも是のごとくなるべし。何に悪をしばらくをかすとも、堅く守り、久しくたもたば、浮雲もきえ、秋風もとどまるべきなり」。

 

07一日示に云く、学人初心の時、道心有りても無くても、経論聖教等よくよく見るべく、学ぶべし。我れ初めてまさに無常によりて聊か道心を発し、あまねく諸方をとぶらひ、終に山門を辞して学道を修せしに、建仁寺に寓せしに、中間に正師にあはず、善友なきによりて、迷いて邪念をおこしき。教道の師も先づ学問先達にひとしくよき人(と)なり、国家に知られ、天下に名誉せん事を教訓す。よりて教法等を学するにも、先ずこの国の上古の賢者にひとしからん事を思ひ、大師等にも同じからんと思うて、因みに高僧伝、続高僧伝等を披見せしに、大国の高僧、仏法者のやうを見しに、今の師の教へのごとくにはあらず。また我がおこせる心は、皆経論伝記等には厭ひ悪みきらへる心にて有りけりと思ふより、漸く心つきて思ふに、道理をかんがふれば、名聞を思ふとも当代下劣の人によしと思はれんよりも、上古の賢者、向後の善人を恥づべし。ひとしからん事を思ふとも、この国の人よりも唐土天竺の先達高僧を恥づべし。かれにひとしからんと思ふべし。乃至諸天冥衆、諸仏菩薩等を恥ぢ、かれにひとしからんとこそ思ふべきに、道理を得て後には、この国の大師等は、土〈瓦〉のごとく覚えて、従来の身心皆改めぬ。また云く、愚癡なる人はその詮なき事を思ひ云ふなり。此につかはるる老尼公、当時いやしげにして有るを恥づるかにて、ともすれば人に向いては昔上郎にて有りし由をかたる。喩へば今の人にさありけりと思はれたりとも、何の用とも覚えず。甚だ無用なりと覚ゆるなり。皆人のおもはくは、この心有るかと覚ゆるなり。道心無きほども知らる。此らの心を改めて、少し人には似べきなり。

またあるいは入道の極めて無道心なる、去り難き知音にて有るに、道心おこらんと仏神に祈祷せよと云はんと思ふ。定めて彼腹立して中たがふ事有らん。然れども道心をおこさざらんには、得意にてもたがひに詮なかるべし。

 

08示に云く、「三覆して後に云へ」と云ふ心は、おほよそ物を云はんとする時も、事を行はんとする時も、必ず三覆して後に言ひ行ふべし。先儒多くは三たび思ひかへりみるに、三たびながら善ならば言ひおこなへと云ふなり。宋土の賢人等の心は、三覆をばいくたびも覆せよと云ふなり。言よりさきに思ひ、行よりさきに思ひ、思ふ時に必ずたびごとに善ならば、言行すべしとなり。衲子もまたかならずしかあるべし。

我れながら思ふ事も云ふ事も、主にも知られずあしき事も有るべき故に、先づ仏道にかなふやいなやとかへりみ、自他のために益有りやいなやと能々思ひかへりみて後に、善なるべければ、行ひもし言ひもすべきなり。行者若しこの心を守らば、一期仏意にそむかざるべし。

昔年建仁寺に初めて入りし時は、僧衆随分に三業を守りて、仏道のため利他のためならぬ事をば言はじ、せじと各々心を立てしなり。僧正の余残有りしほどは是のごとし。今年今月はその儀無し。今の学者知るべし、決定して自他のため仏道のために詮有るべき事ならば、身を忘れても言ひもし行ひもすべきなり。その詮なき事をば言行すべからず。宿老耆年の言行する時は、若臘にては言を交ふべからず。仏制なり、能々これを忍ぶべし。身を忘れてみちを思ふ事は俗なほこの心なり。

昔、趙の藺相如(りんしょうじょ)と云ひし者は、下賤の人なりしかども、賢によりて趙王にめしつかはれて、天下を行ひき。趙王の使として趙璧と云ふ玉を秦国へつかはされしに、かの璧を十五城にかへんと秦王云ひし故に、相如に〈持〉たしめてつかはすに、

余の臣下議して云く、「これほどの宝を相如ほどのいやしき人にもたせつかはす事、国に人なきに似たり。余臣の恥なり。後代のそしりなるべし。路にしてこの相如を殺して玉を奪ひ取れ。」と議しけるを、

時の人、相如にかたりて、「この使を辞して命を守るべし。」と云ひければ、

相如云く、「某甲敢て辞すべからず。相如、王の使として玉をもち秦に向かふに、倭臣のためにころさると後代に聞えん、我がために悦びなり。我が身は死すとも、賢の名はのこるべし。」と云いて、終に向かひぬ。

余臣この言を聞いて、「我等この人をうちえん事有るべからず。」とて留まりぬ。

相如、終に秦王にまみえて、璧を秦王に与へしに、秦王十五城を与へまじき気色を見て、はかり事を以て秦王に語りて云く、「その玉、きず有り。我れ是れを示さん。」と云いて、玉を乞ひ得て後相如云く、

「王の気色を見るに、十五城を惜しめる気色あり。然れば我が頭この玉をもて銅柱にあててうちわりてん。」と云いて、怒れる眼を以て王をみて、銅柱のもとによる気色、まことに玉をも犯しつべかりし。時に秦王云く、「汝玉をわる事なかれ。十五城与ふべし。相はからはんほど、汝璧をもつべし。」と云ひしかば、

相如ひそかに人をして璧を本国にかへしぬ。また湯池にて趙王と秦王と共にあそびしに、趙王は琵琶の上手なり。秦王命じて弾ぜしむ。趙王相如にも云ひあはせずして即ち琵琶を弾ぜし時に、相如、命にしたがへる事をいかりて、我れ行きて秦王に簫をふかしめんとて、秦王に告げて云く、

「王は簫の上手なり。趙王聞かんとねがふ。王、ふき給ふべし。」と云ひしかば、秦王是れを辞せしかば、相如云く、「若し辞せば王をうつべし。」と云いて近づく。時に秦の将軍剣をぬかずしてかへりしかば、秦王終に簫を吹くと云へり。

また後に、大臣として天下を行ひし時に、かたはらの大臣我れにかさむ事をそねみて打たんとす。時に相如、所々ににげかくれ、わざと参内の時は参内せず、おぢおそれたる気色なり。

時に相如が家人、「かの大臣を打たん事、やすき事なり。何の故にかおぢかくれ給ふ。」相如云く、「我れ彼れをおづるにあらず。我れ目をもて秦の(将)をも退け、秦の玉をも奪ひき。彼の大臣打つべき事、云ふにもたらず。然れども、軍をおこし、つはものをあつむる事、敵国のためなり。今、左右の大将として国を守る、若し二人中たがひて軍を興さば、一人死せば隣国の一方かけぬる事をよろこびて、軍を興すべし。故に二人ともに全くして国を守らんと思ふによりて、かれと軍を興さず。」と。彼の大臣、この言をかへり聞いて恥ぢて来り拝して、二人和して国を治む。相如、身を忘れ道を存ずる事是のごとし。

仏道を存ぜん事も、かの相如が心のごとくなるべし。「若しみち有りては死すとも、み(ち)なうしていくる事なかれ。」と云ふなり。また云く、善悪と云ふ事定め難し。世間の綾羅錦繍をきたるをよしと云ひ、麁布糞掃をわるしと云ふ、仏法には是れをよしとし清しとす。金銀錦綾をわ(る)しとし穢れたりとす。是のごとく一切の事にわたりて皆然り。

予がごときは聊か韵声をととのへ、文字をかきまぐるを、俗人等は尋常なる事に云ふも有り。またある人は、出家学道の身として是のごとき事知れると、そしる人も有り。何れを定めて善ととり悪とするべきぞ。

文に云く、「ほめて白品の中に有るを善と云ふ。そしりて黒品の中におくを悪と云ふ。」と。また云く、「苦をうくべきを悪と云ひ、楽を招くべきを善と云ふ。」と。是のごとく子細に分別して、真実の善をとりて行じ、真実の悪を見てすつべきなり。僧は清浄の中より来れば、物も人の欲をうご(か)すまじき物をもてよしとし、きよしとするなり。

また云く、世間の人多分云く、「学道の志あれども世のすゑなり、人くだれり。我が根劣なり。如法の修行に堪ふべからず。ただ随分にやすきにつきて結縁を思ひ、他生に開悟を期すべし。」と。

今は云く、この言ふ事は、全く非なり。仏法に正像末を立つ事、しばらく一途の方便なり。真実の教道はしかあらず。依行せん、皆うべきなり。在世の比丘必ずしも皆勝れたるにあらず。不可思議に希有に浅増しき心〈根〉、下根なるもあり。仏、種々の戒法等をわけ給ふ事、皆わるき衆生、下根のためなり。

人々皆仏法の機なり。非器なりと思ふ事なかれ。依行せば必ず得ベきなり。既に心あれば善悪を分別しつべし。手足あり、合掌行歩にかけたる事あるべからず。仏法を行ずるに品をえらぶべきにあらず。人界の生は皆是れ器量なり。余の畜生等の性にては叶ふべからず。学道の人はただ明日を期する事なかれ。今日今時ばかり、仏に随いて行じゆくべきなり。

 

09示に云く、俗人の云く、「城を傾くる事は、うちにささやき事出来るによる。」また云く、「家に両言有る時は針をもかふ事なし。家に両言無き時は金をもかふべし。」と。俗人なほ家をもち城を守るに同心ならでは終に亡ぶと云へり。

況んや出家人は、一師にして水乳の和合せるがごとし。また六和敬の法あり。各々寮々を構へて身心を隔て、心々に学道の用心する事なかれ。一船に乗りて海を渡るがごとし。心を同じくし、威儀を同じくし、互ひに非をあげ是をとりて、同じく学道すべきなり。是れ仏(在)世より行じ来れる儀式なり。

 

10示に云く、楊岐山の会禅師、住持の時、寺院旧損してわづらい有りし時に、知事申して云く、「修理有るべし。」会云く、「堂閣やぶれたりとも露地樹下には勝れたるべし。一方やぶれてもらば一方もらぬ所に居して坐禅すべし。堂宇造作によりて僧衆得悟すべき者、金玉をもてもつくるべし。悟りは居所の善悪によらず。ただ坐禅の功の多少に有るべし。」と。

翌日の上堂に云、「楊岐はじめて住するに屋壁疎なり。満床にことごとくちらす雪の珍珠。くびを縮却してそらに嗟嘘す。かヘりて思ふ古人の樹下に居せし事を。」と。ただ仏道のみにあらず。政道も是のごとし。

太宗は〈居家〉をつくらず。龍牙云く、「学道は先づすべからく貧を学すべし。貧を学して貧なる後に道まさにしたし。」と云へり。昔釈尊より今に至るまで、真実学道の人、一人も宝に饒なりとは、聞かず見ざる処なり。

 

11一日ある客僧の云く、「近代の遁世の法、各々斎料等の事、かまへて、後、わづらひなきやうに支度す。これ小事なりと云へども学道の資縁なり。かけぬれば事の違乱出来る。今この御様を承り及ぶに、一切その支度無く、ただ天運にまかすと。実にかくの如くならば、後時の違乱あらん。如何。」

示に云く、「事皆先証あり。敢て私曲を存ずるにあらず。西天東地の仏祖皆是のごとし。私に活計を至さん、尽期有るべからず。またいかにすべしとも定相なし。この様は、仏祖皆行じ来れるところ、私なし。若し事闕如し絶食せば、その時こそ退し、方便をもめぐらさめ。かねて思ふべきにあらず」。

 

12示に云く、伝へ聞く、実否を知らざれども、故持明院中納言入道、ある時秘蔵の太刀をぬすまれたりけるに、さぶらひ(侍)の中に犯人有りけるを、余のさぶらひ沙汰し出してまゐらせたりしに、入道の云く、「是レは我が〈太刀〉にあらず、ひが事なり。」とてかへしたり。決定その太刀なれども、さぶらひの恥辱を思うてかへされたりと、人皆是れを知りけれども、その時は無為にて過ぎし。故に子孫も繁昌せり。

俗なほ心あるは是のごとし。況んや出家人は、必ずこの心有るべし。出家人は財物なければ智恵功徳をもて宝とす。他の無道心なるひが事なんどを直に面にあらはし、非におと(す)べからず。方便を以てかれ腹立つまじきやうに云ふべきなり。「暴悪なるはその法久しからず。」と云ふ。

たとひ法をもて呵責すれども、あらき言なるは法も久しからざるなり。小人と云ふは、いささか人のあらき言に即ち腹立して、恥辱を思ふなり。大人はしかあらず。たとひ打ちたりとも報を思はず。国に小人多し。つつしまずはあるべからず。

 

正法眼蔵随聞記 六

01一日示に云く、仏法のためには身命ををしむ事なかれ。俗なほみちを思へば、身命をすて親族をかへりみず忠節をつくす。是れを忠臣とも賢者とも云ふなり。

昔、漢の高祖、隣国と軍を興す。時に有る臣下の母、隣国に有りき。官軍も二心有らんかと疑ひき。高祖も若し母を思うて敵国へ〈去〉る事もや有らんずらん、若し〈去〉るならば軍やぶるべしとあやぶむ。ここに母も、我が子若し我れ故に二心もや有らんずらんと思うて、いましめて云く、

「我れによりて我が国に来る事なかれ。我れによりて軍の忠をゆるくする事なかれ。我れ若し〈生〉きたらば汝二心もこそ有らん。」と云いて、剣に身をなげてうせしかば、その子、もとより二心なかりしかば、その軍に忠節を至す志深かりけると云ふ。

況んや衲子の仏道を行ずる、必ず二心なき時、真に仏道にかなふべし。仏道には、慈悲智恵もとよりそなはれる人もあり。たとひ無けれども、学すればうるなり。ただ身心を倶に放下して、三宝の海に廻向して、仏法の教へに任せて私曲を存ずる事なかれ。漢の高祖の時、ある賢臣の云く、「政道の理乱は縄の結ほれるを解くがごとし。急にすべからず。能々結び目をみて解くべし。」と。

仏道も是のごとし。能々道理を心得て行ずべきなり。法門をよく心得る人は、必ず道心ある人のよく心得るなり。いかに利智聡明なる人も、無道心にして吾我をも離れず、名利をも捨て得ざる人は、道者ともならず、正理をも心得ぬなり。

 

02示に云く、学道の人は吾我のために仏法を学する事なかれ。ただ仏法のために仏法を学すべきなり。その故実は、我が身心を一物ものこさず放下して、仏法の大海に廻向すべきなり。その後は一切の是非を管ずる事無く、我が心を存ずる事なく、成し難き事なりとも仏法につかはれて強ひて是れをなし、我が心になしたき事なりとも、仏法の道理になすべからざる事ならば放下すべきなり。あなかしこ、仏道修行の功をもて代りに善果を得んと思ふ事なかれ。ただ一たび仏道に廻向しつる上は、二たび自己をかへりみず、仏法のおきてに任せて行じゆきて、私曲を存ずることなかれ。

先証皆是のごとし。心にねがひてもとむる事無ければ即ち大安楽なり。世間の人にまじはらず、己が家ばかりにて生長したる人は、心のままにふるまひ、おのれが心を先として人目を知らず、人の心をかねざる人、必ずあしきなり。学道の用心も是のごとし。衆にまじはり、師に随ひて我見を立せず、心をあらため行けば、たやすく道者となるなり。学道は先づすべからく貧を学すべし。なほ利をすてて一切へつらふ事なく、万事なげすつれば、必ずよき僧となるなり。

大宋によき僧と人にも知られたる人は、皆な貧道なり。衣服もやつれ、諸縁ともしきなり。往日天童山の書記道如上座と云ひし人は、官人宰相の子なり(し)かども、親族にもむつびず、世利をもむさぼらざりしかば、衣服のやつれ、破壊したる、目もあてられざりしかども、道徳人に知られて、大寺の書記ともなりしなり。予、かの人に問うて云く、「和尚は官人の子息、富貴の孫なり。何ぞ身に近づくるもの皆下品にして貧道なる。」これ答ヘて云く、「僧となれればなり。」

 

03一日示に云く、俗人の云く、「財はよく身を害す。昔も之れ有り、今も之れ有り。」と。言ふこころは、昔一人の俗人あり。一人の美女をもてり。威勢ある人これを〈請〉ふ。かの夫、是れを惜しむ。終に軍を興してかこめり。彼のいへ既にうばひとられんとする時、かの夫(云く)、「なんぢがために命をうしなふべし。」かの女云く、「我れ汝がために命をうしなわん。」と云いて、高楼よりおちて死ぬ。その後、かの夫うちもらされて、命遁れし時いひし言なり。

昔、賢人、州吏として国を行なふ。時に息男あり、父を拝してさる時、一疋の絹をあたふ。息の云く、「君、高亮なり。この絹いづくよりか得たる。」父云く、「俸禄のあまり有り。」息かへり皇帝に参らす。(帝)はなはだその賢を感ず。かの息男申さく、「父はなほ名をかくす。我れはなほ名をあらはす。父の賢すぐれたり。」と。この心は、一疋の絹は是れ少分なれど賢人は私用せざる事、聞こえたり。また、まことの賢人はなほ賢の名をかくして、俸禄なれば使用するよしを云ふ。

俗人なほ然り。学道の衲子、私を存ずる事なかれ。またまことの道を好まば、道者の名をかくすべきなり。また云く、仙人ありき。有る人問うて云く、「如何がして仙をえん。」仙の云く、「仙を得んと思はば道をこのむべし。」と。然あれば、学人仏祖を得んと思はば、すべからく祖道を好むべし。

 

04示に云く、昔、国皇有り。国ををさめて後、諸臣に告ぐ。「我れよく国を治む。賢なり。」

諸臣皆云く、「帝は甚だよくをさむ。」一臣ありて云く、「帝、賢ならず。」帝云ク、「故如何。」臣云ク、「国を打ち取りし時、帝の弟にあたへずして息にあたふ。」帝の心にかなはずしておひたてられて後、また一臣に問ふ、「朕よく仁なりや。」臣云く、「甚だよく仁なり。」

帝云ク、「その故如何。」云く、「仁君には忠臣有り、忠臣には直言あるなり。前の臣、はなはだ直言なり。是れ忠臣なり。仁君にあらずばえじ。」即ち帝、これを感じて前の臣をめしかへされぬ。

また云く、、秦の始皇の時、太子、花園をひろげんとす。臣の云く、「尤もなり。もし花園をひろうして鳥類多くは、鳥類をもて隣国の軍をふせいつべし。」よりてその事とどまりぬ。また宮殿をつくり、柱をぬらんとす。臣の云く、「最も然るべし。柱をぬりたらば敵はとどまらん。」よりてその事もとどまりぬ。云ふ心は、儒教の心は是のごとし。たくみに言を以て悪事をとどめ、善事をすすめしなり。衲子の人を化する善巧としてその心あるべし。

 

05一日僧問うて云く、「智者の無道心なると、無智の有道心なると、始終如何。」

示に云く、「無智の有道心、始終退する事多し。智恵有る人、無道心なれどもつひに道心をおこすなり。当世現証是れ多し。しかあれば、先づ道心の有無をいはず、学道勤労すべきなり」。

また云く、「内外の書籍に、まづしうして居所なく、あるいは滄浪の水にうかび、あるいは首陽の山にかくれ、あるいは樹下露地に端坐し、あるいは塚間深山に草庵する人あり。また富貴にして財多く、朱漆をぬり、金玉をみがき、宮殿等をつくるもあり。倶に書籍にのせたりと云へども、褒めて後代をすすむるには皆貧にして無財なるを以て本とす。そしりて来業をいましむるには、財多きをば驕奢のものと云いてそしるなり」。

 

06示に云く、学人、人の施をうけて悦ぶ事なかれ。またうけざる事なかれ。故僧正云く、「人の供養を得て悦ぶは制にたがふ。悦ばざるは檀那の心にたがふ。」と。是の故実は、我れに供養ずるにあらず、三宝に供ずるなり。故に彼の返り事に云ふべし。「この供養、三宝定めて納受あるらん。申しけがす。」と云ふべきなり。

 

07示に云く、ふるく云く、「君子の力牛に勝れたり。しかあれども、牛とあらそはず。」と。

今の学人、我れ智恵を学人にすぐれて存ずとも、人と諍論を好む事なかれ。また悪口をもて人を云ひ、怒目をもて人を見る事なかれ。今の世の人、多く財をあたへ恩をほどこせども、瞋恚を現じ、悪口を以て謗言すれば必ず逆心を起すなり。

 

08示に云く、真浄の文和尚、衆に示して云く、「我れ昔雪峰とちぎりを結びて学道せし時、雪峰同学と法門を論じて、衆寮に高声に諍談す。つひにたがひに悪口に及ぶ。よりて喧嘩す。事散じて、峰、真浄にかたりて云く、「我れ汝と同心同学なり。契約あさからず。何が故に我れ人とあらそふに口入れせざる。」浄、揖して恐惶せるのみなり。その後、「かれも一方の善知識たり、我れも今住持たり。そのかみおもへらく、法門論談すら畢竟じて無用なり。況んや諍論は定めて僻事なるべし。我れ争いて何の用ぞと思ひしかば、無言にして止りぬ。」と。

今の学人も門徒も、その跡を思ふべし。学道勤労の志有らば、時光を惜しんで学すべし。何の暇にか人と諍論すべき。畢竟じて自他ともに無益なり。何に況んや世間の事においては、無益の論をすべからず。君子の力は牛にもすぐれたり。しかれども牛と相ひ争はず。我れ法を知れり、彼れにすぐれたりと思ふとも、論じて彼を難じ負かすべからず。

若し真実に学道の人有りて法を問はば、惜しむべからず。ために開示すべし。然れども、なほ其れも三度問はれて一度答ふべし。多言閑語する事なかるべし。この咎は身に有り。是れ我れを諫らるると思ひしかば、その後人と法門を諍論せず。

 

09示に云く、古人多くは云く、「光陰虚しく度る事なかれ。」と。あるいは云く、「時光徒に過ごす事なかれ。」と。学道の人、すべからく寸陰を惜しむべし。露命消えやすし、時光すみやかに移る。暫く存ずる間に余事を管ずる事無く、ただすべからく道を学すべし。

今時の人、あるいは父母の恩すてがたしと云ひ、あるいは主君の命そむきがたしと云ひ、あるいは妻子の情愛離れがたしと云ひ、あるい眷属等の活命我れを存じがたしと云ひ、あるいは世人謗つつべしと云ひ、あるいは貧しうして道具調へがたしと云ひ、あるいは、非器にして学道にたへじと云ふ。

是のごとき等の世情をめぐらして、主君父母をもはなれず、妻子眷属をもすてず、世情にしたがひ、財色貪るほどに、一生虚しく過ごして、まさしく命の尽くる時にあたりて後悔すべし。すべからく閑に坐して道理を案じて、終にうち立たん道を思ひ定むべし。主君父母も我れに悟りを与ふべきにあらず。恩愛妻子も我がくるしみをすくふべからず。財宝も死をすくはず。世人終に我れをたすくる事なし。非器なりと云いて修せずは、何の劫にか得道せん。ただすべからく万事を放下して、一向に学道すべし。後時を存ずる事なかるべし。

 

10一日示に云く、学道はすべからく吾我をはなるべし。たとひ千経万論を学し得たりとも、我執をはなれずはつひに魔坑におつ。

古人云く、「仏法の身心なくは、焉んぞ仏となり祖とならん。」と。我をはなると云ふは、我が身心をすてて、我がために仏法を学する事無きなり。ただ道のために学すべし。身心を仏法に放下しつれば、くるしく愁ふれども、仏法にしたがつて行じゆくなり。乞食をせば人是れをわるしと思はんずるなんど、是のごとく思ふほどに、何にも仏法に入り得ざるなり。世情の見をすべて忘れて、ただ道理に任せて学道すべきなり。我が身の器量をかへりみ、仏法にもかなふまじきなんど思ふも、我執をもてる故なり。人目をかへりみ、人情をはばかる、即ち我執の本なり。ただすべからく仏法を学すべし、世情に随ふ事なかれ。

 

11一日弉問うて云く、「叢林の勤学の行履と云ふは如何。」

示に云く、只管打坐なり。あるいは閣上、あるいは楼下にして常坐をいとなむ。人に交はり物語をせず、聾者のごとく唖者のごとくにして常に独坐を好むなり。

 

12一日参ノ次に示に云く、泉大道の云く、「風に向いて坐し、日に向いて眠る。時の人の錦被たるにまされり。」と。

 このことば、古人の語なれどもすこし疑ひ有り。時の人と云ふは、世間貪利の人を云ふか。若し然らば、敵対尤もくだれり。何ぞ云ふにたらん。若し学道の人を云ふか。然らば何ぞ錦を被ると云はん。この心をさぐるに、なほ被を重くする心有りやと聞ゆ。聖人はしからず。金玉と瓦礫とひとしくす。執する事なし。故に釈迦如来、牧牛女が乳の粥を得ても食し、馬麦を得ても食す。何も(ひ)としくす。

 法に軽重なし。情愛に浅深あり。今の世に金玉を重しとて人の与ふれども取らず、木石をば軽しとて是レを愛するも有り。思ふべし、金玉も本来土中より得たり、木石も大地より得たり。何ぞ一つをば重しとて取らず、一つをば軽しとて愛せん。この心を案ずるに、重きを得て執すべき心有らんか。軽きを得て愛する心有らば、とがひとしかるべし。是れ学人の用心すべき事なり。

 

13示に云く、先師全和尚入宋せんとせし時、本師叡山の明融阿闍梨、重病に沈み、すでに死なんとす。そノ時この師云く、「我れ既に老病に沈み、死去せんとする事近きにあり。汝一人老病をたすけて、冥路をとぶらふべし。今度の入唐暫く止りて、死去の後その本意をとげらるべし。」と。

 時に先師、弟子及び同朋等をあつめて商議して云く、「我れ幼少の時双親の家を出でて後、こノ師の覆育を蒙りて今成長せり。世間養育の恩尤も重し。また出世ノ法門の事、大小権実の教文、因果をわきまへ是非を知りて、等輩にもこえ、名誉を得たる事も、また仏法の道理を知りて、今入宋求法の志をおこすまでも、彼の恩にあらずと云ふ事無し。然るに今年すでに窮老して、重病の床に臥し給へり。余命存じがたし。後会期すべきにあらず。よりてあながちに是れをとどむ。彼の命もそむき難し。今身命を顧みず入宋求法するも、菩薩の大悲利生のためなり。彼の命にそむき、宋土にゆかん道理如何。各々存知をのべらるべし。」

 時に人々皆云く、「今年の入宋止るべし。老病已に窮れり、死去定なり。今年ばかり止りて、明年の入唐尤も然るべし。彼の命をもそむかず、重恩をも忘れず、今一年半年の入唐の遅々、何のさまたげか有らん。師弟の本意も相違せず、入宋の本意も如意なるべし。」時に我れ、末臘にて云く、「仏法の悟り、今はさて有りなんとおぼしめさるる義ならば、御とどまり然るべし。」

 先師の云く、「然あるなり。仏法修行のみち、是れほどにてさても有りなんと存ず。始終是のごとくならば、さりとも出離、などかと存ず。」我れ云く、「その義ならば御とどまり有るべし。」

 時に先師、皆の議をはりて云く、「各々の議定、皆とどまるべき道理なり。我が所存は然らず。今度止りたりとも、決定死ぬべき人ならば、其れによりて命のぶべからず。また、我れとどまりて看病外護せんによりて、苦痛もやむべからず。また最後に我があつかひ勧めんによりて決定生死を離るべき道理にもなし。ただ一旦命に随ひたるうれしさばかりか。是れによりて出離得道のために一切無用なり。誤りて求法の志を〈障〉へて、罪業の因縁となるべし。然るに、若し入唐求法の志を遂げて、一分の悟りをもひらきたらば、一人有漏の迷情にこそたがふとも、多人得道の縁となるべし。功徳若し勝れば、また師の恩報じつべし。たとひまた渡海の間に死にて本意をとげずとも、求法の志をもて死せば、玄奘三蔵のあとをも思ふべし。一人のためにうしなひやすき時を空しくすぐさん事、仏意にかなふべからず。よりて今度の入唐、一向に思ひきりをはりぬ。」とて、終に入宋しき。

 先師にとりて真実の道心と存ぜし事、是等の心なり。然れば、今の学人も、あるいは父母のため、あるいは師匠のために、無益の事を行じて、徒らに時を失ひ、勝れたる道を指おきて、光陰をすぐす事なかれ。

 時に弉公云く、真実求法のためには、有漏の父母師僧の障縁をすつべき道理、然るべし。但し、父母恩愛等のかたをば一向に捨離すとも、また菩薩の行を存ぜん時、自利をさしおきて、利他をさきとすべきか。然ルるに老病にしてまた他人のたすくべきもなく、我れ一人その人にあたりたるを、自らの修行を思ツて彼をたすけずは、菩薩の行にそむくか。また大士の善行を嫌ふべからず。縁に対し事に随いて、仏法を存ずべきか。若し是れらの道理によらば、またゆいてたすくべきか、如何。

 示に云く、利他の行も自行の道も、劣なるをすてて、すぐれたるを取るは大士の善行なり。老病をたすけんとて水菽の孝を至すは、今生暫時の妄愛迷情の悦びばかりなり。背きて無為の道を学せんは、たとひ遺恨はありとも、出世の縁となるべし。是れを思へ、是れを思へ。

 

14一日示に云く、世間の人、自ら云く、「某甲師の言を聞くに、我が心にかなはず。」と。

我れ思ふに、この言非なり。その心如何。若し聖教等の道理を心得をし、すべてその心に違する、非なりと思ふか。若し然らば、何ぞ師に問ふ。またひごろの情見をもて云ふか。若し然らば、無始より以来の妄念なり。

 学道の用心と云ふは、我が心にたがへども、師の言、聖教のことばならば、暫く其れに随いて、本の我見をすてて改めゆく、この心、学道の故実なり。

 我れ当年傍輩の中に我見を執して知識をとぶらひし、我が心に違するをば、心得ずと云いて、我見に相叶ふを執して、一生虚しく仏法を会せざりしを見て、知発して、学道は然るべからずと思うて、師の言に随いて、暫く道理を得き。その後看経の次に、ある経に云く、「仏法を学せんとおもはば、三世の心を相続する事なかれ。」と。知りぬ、先の念を記持せずして、次第に改めゆくべきなり。書に云く、「忠言は耳にさかふ。」と。我がために忠なるべき言、耳に違するなり。違すれども強て随はば、畢竟じて益あるべきなり。

 

15一日雑話の次に云く、人の心元より善悪なし。善悪は縁に随いておこる。仮令、人発心して山林に入る時は、林家はよし、人間はわるしと覚ゆ。また退心して山林を出る時は、山林はわるしと覚ゆ。是れ即ち決定して心に定相なくして、縁にひかれてともかくもなるなり。故に善縁にあへばよくなり、悪縁に近づけばわるくなるなり。我が心本よりわるしと思ふことなかれ。ただ善縁に随ふべきなり。また云く、人の心は決定人の言に随ふと存ず。

 大論に云く、「喩へば愚人の手に摩尼を以てるがごとし。是れを見て、『汝下劣なり、自ら手に物をもてり。』と云ふを聞いて思はく、『珠は惜しし、名聞は有り。我れは下劣ならじ。」と思ふ。思ひわづらひて、なほ名聞に引かれて、人の言について珠をおいて、後に下人に取らしめんと思ふほどに珠を失ふ。」と云ふ。

 人の心は是のごとし。一定此の事我がためによしと思へども、人の語につく事あり。されば、いかにも本よりあしき心なりとも、善知識にしたがひ、良き人の久しく語るを聞けば、自然に心もよくなるなり。悪人にちかづけば、我が心にわるしと思へども、人の心に暫く随ふほどに、やがて真実にわるくなるなり。また、人の心、決定してものをこの人にとらせじと思へども、あながちにしひて切に重ねて云へば、にくしと思ひながら与ふるなり。決定して与へんと思へども、便宜あしくて時すぎぬれば、さてやむ事も有り。

 然らば、学人道心なくとも、良き人に近づき、善縁にあふて、同じ事をいくたびも聞き見るべきなり。この言一度聞き見れば、今は見聞かずともと思ふ事なかれ。道心一度発したる人も、同じ事なれども、聞くたびにみがかれて、いよいよよきなり。況んや無道心の人も、一度二度こそつれなくとも、度々重なれば、霧の中を行く人の、いつぬるるとおぼえざれども、自然に恥る心もおこり、真の道心も起るなり。

 故に、知りたる上にも聖教をまたまた見るべし、聞くべし。師の言も、聞きたる上にも聞きたる上にも重ね重ね聞くべし。弥深き心有るなり。道のためにはさはりとなりぬべき事をば、かねて是れに近づくべからず。善友にくるしくわびしくとも近づき、行道すべきなり。

 

16示に云く、大恵禅師、ある時尻に腫物を出す。医師是れを見て、「大事の物なり。」と云ふ。恵云く、「大事の物ならば死すべしや。」医云く、「ほとんどあやふかるべし。」恵云く、「若し死ぬべくは弥坐禅すべし。」と云いて、なほ強盛に坐したりしかば、かの腫物うみつぶれて、別の事なかりき。

 古人の心是のごとし。病を受けては弥坐禅せしなり。今の人の病なからん、坐禅ゆるくすべからず。病は心に随いて転ずるかと覚ゆ。世間にしやくりする人、虚言をもし、わびつべき事をも云ひつけつれば、其れをわびしき事に思ひ、心に入れて、陳ぜんとするほどに、忘れてその病止るなり。我れも当時入宋の時、船中にして痢病をせしに、悪風出来りて船中さわぎし時、病忘れて止まりぬ。是れを以つて思ふに、学道勤学して他事を忘れば、病もおこるまじきかと覚ゆるなり。

 

17示に云く、俗の野諺に云く、「唖せず聾せざれば家公とならず。」と。云ふ心は、人の毀謗をきかず、人の不可を云はざればよく我が事を成ずるなり。是のごとくなる人を、家の大人とす。是れ即ち俗の野諺なりと云へども、取つて衲僧の行履としつべし。他のそしりにあはず、他のうらみにあはず、いかでか我が道を行ぜん。徹得困の者、是れを得べし。

 

18示に云く、大恵禅師の云く、「学道はすべからく人の千万貫銭をおへらんが、一文をももたざらん時、せめら(れ)ん時の心のごとくすべし。若しこの心有らば、道を得る事易し。」と云へり。

 信心銘に云く、「至道かたき事なし、但揀択を嫌ふ。」と。揀択の心を放下しつれば、直下に承当するなり。揀択の心を放下すと云ふは、我を離るるなり。所謂我が身仏道をならんために仏法を学する事なかれ。ただ仏法のために仏法を行じゆくなり。たとひ千経万論を学し得、坐禅〈床〉をやぶるとも、この心無くは、仏祖の道を学し得べからず。ただすべからく身心を仏法の中に放下して、他に随うて旧見なければ、即ち直下に承当するなり。

 

19示に云く、春秋に云く、「石の堅き、是れをわれどもその堅きを奪ふべからず。丹のあかき、是れをわれどもそのあかき事を奪ふべからず。」と。玄沙因に僧問ふ、「如何なるか是れ堅固法身。」沙云く、「膿滴々地。」と。けだし同じ心なるべきか。

 

20示に云く、古人云く、「知因識果の知事に属して、院門の事すべて管せず。」と。言ふ心は、寺院の大小の事、すべからく管せず、ただ工夫打坐すべしとなり。また云く、「良田万頃よりも薄芸身にしたがふるには如かず。」「施恩は報をのぞまず、人に与へておうて悔ゆる事なかれ。」「口を守る事鼻のごとくすれば、万禍及ばず。」と云へり。「行堅き人は自ら重ぜらる。才高き人は自ら伏せらる。」「深く耕して浅く種うる、なほ天災あり。自ら利して人を損ずる、豈果報なからんや。」

 学道の人、話頭を見る時、目を近づけ力をつくして能々是れを看るべし。

 

21示に云く、古人の云く、「百尺の竿頭に更に一歩を進むべし。」と。この心は、十丈のさをのさきにのぼりて、なほ手足をはなちて即ち身心を放下せんがごとし。是れについて重々の事あり。

 今の世の人、世を遁れ家を出たるに似れども、行履をかんがふれば、なほ真の出家にては無きも有り。所謂出家と云ふは、先づ吾我名利をはなるべきなり。是れをはなれずしては、行道頭燃をはらひ、精進手足をきれども、ただ無理の勤苦のみにて、出離にあらざるも有り。大宋国にも離れ難き恩愛をはなれ、捨て難き世財をすてて、叢林に交はり、祖席を〈経〉れども、審細にこの故実を知らずして行じゆくによりて、道をもさとらず、心をも明らめずしてきたづらに一期をすぐすも有り。

 その故は、人の心のありさま、初めは道心をおこして、僧にもなり知識に随へども、仏とならん事をば思ハずして、身の貴く、我が寺の貴き由を施主檀那にも知られ、親類境界にも云ひ聞かせ、何にもして人に貴がられ、供養ざられんと思ひ、あまつさへ僧ども不当不善なれども我れ独り道心も有り、善人なるやうを、方便して云ひ聞かせ、思い知らせんとするやうもあり。是れは言ふに足ラざルの人、五闡提等の在世の悪比丘のごとく、決定地獄の心ばえなり。是れを物もしらぬ在家人は、道心者、貴き人、なんど思ふもあり。

 このきはをすこしたち出でて、施主檀那をも貪らず、親類恩愛をもすてはてて、叢林に交はり行道するも有れども、本性懶惰懈怠なる者は、ありのままに懈怠ならん事もはづかしきかして、長老首座等の見る時は相構へて行道する由をして、見ざる時は事にふれてやすみ、いたづらならんとするも有り。是れは在家にしてさのみ不当ならんよりはよけれども、なほ吾我名利のすてられぬ心ばへなり。

 またすべて師の心をもかねず、首座兄弟の見不見をも思はず、つねに思はく、仏道は人のためならず、身のためなりと云いて、我が身心にて仏になさんと真実にいとなむ人も有り。是れは以前の人々よりは真の道者かと覚ゆれども、是れもなほ吾我を思いて、我が身よくなさんと思へる故に、なほ吾我を離れず。また諸仏菩薩に随喜せられんと思ひ、仏果菩提を成就せんと思へる故に、名利の心なほ捨てられざるなり。

 是レまではいまだ百尺の竿頭をはなれず、とりつきたるごとし。ただ身心を仏法になげすてて、更に悟道得法までものぞむ事なく修行しゆく、是れを不染汚の行人と云ふなり。「有仏の処にもとどまらず、無仏の処をもすみやかにはしりすぐ。」と云ふ、このこころなるべし。

 

22示に云く、衣食の事、兼ねてより思ひあてがふ事なかれ。たとひ乞食の処なりとも、失食絶煙の時、その処にして乞食せん、その人に用事云はんなんど思ひたるも、即ち物をたくはへ、邪食にて有るなり。衲子は雲のごとく定まれる住処もなく、水のごとく流れゆきてよる所もなきを、僧とは云ふなり。直饒衣食の外に一物ももたずとも、一人の檀那をもたのみ、一類の親族をも思ひたらんは、即ち自他ともに結縛の事にて、不浄食にてあるなり。

 是のごとき不浄食等をもてやしなひもちたる身心にて、諸仏の清浄の大法を悟らん、心得んと思ふとも、何にもかなふまじきなり。たとへば藍にそめたる物はあをく、檗にそめたるものは〈黄〉なるがごとくに、邪命食をもてそめたる身心は即ち邪命身なり。この身心をもて仏法をのぞまば、沙をおして油をもとむるがごとし。ただ時にのぞみて、ともかくも道理にかなふやうにはからふべきなり。兼ねて思ひたくはふるは皆たがふ事なり。能々思量すべきなり。

 

23示に云く、学人各々知るべし、人々一の非あり。僑奢是れ第一の非なり。内外の典籍に同じく是れをいましむ。外典に云く、「貧しくしてへつらはざるは有れども、富みておごらざるは無し。」と云いて、なほとみを制しておごらざる事を思ふなり。この事大事なり。能々是れを思ふべし。我ガ身下賤にして人におとらじと思ひ、人にすぐれんと思はば慢心のはなはだしきものなり。是れはいましめやすし。仮令世間に財宝ゆたかに、福力もある人、眷属も囲遶し、人もゆるす、かたはらの人のいやしきが、此れを見て卑下する、このかたはらの人の卑下をつつしみて、自躰福力の人、いかやうにすべき。僑心なけれども、ありのままにふるまへば、傍らの賤しき、此れをいたむ。すべての大事なり。是れをよくつつしむを、偏奢をつつしむと云ふなり。我が身〈富〉めれば、果報にまかせて、貧賤の見うらやむをはばからざるを僑心と云ふなり。

 古人の云く、「貧家の前を車に乗りて過ぐる事なかれ。」と云へり。然れば、我が身車にのるべくとも、貧人の前をば憚るべしと云へり。外典に是のごとし、内典もまた是のごとし。

然るに、今の学人僧侶は、知恵法文をもて宝とす。是れを以ておごる事なかれ。我れよりおとれる人、先人傍輩の非義をそしり非するは、是れ僑奢のはなはだしきなり。

 古人云く、「智者の辺にしてはまくるとも、愚人の辺にしてかつべからず。」と。我が身よく知りたる事を、人のあしく知りたりとも、他の非を云ふはまた是れ我が非なり。法文を云ふとも、先人の愚をそしらず、また愚癡、未発心の人のうらやみ卑下しつべき所にては、能々是れを思ふべし。

 建仁寺に寓せしとき、人々多く法文を問ひき。非も咎も有りしかども、この儀を深く存じて、ただありのままに法の徳をかたりて、他の非を云はず、無為にてやみき。愚者ノ執見深きは、我が先徳の非を云へば、瞋恚をおこすなり。智恵ある人の真実なるは、法のまことの義をだにも心得つれば、云はずとも、我が非及び我が先徳の非を思ひ知り、あらたむるなり。是のごとき事、能々思ひ知るべし。

 

24示に云く、学道の最要は坐禅是れ第一なり。大宋の人多く得道する事、皆坐禅の力なり。一文不通にて無才愚鈍の人も、坐禅を専らにすれば、多年の久学聡明の人にも勝れて出来する。然れば、学人祗管打坐して他を管ずる事なかれ。仏祖の道はただ坐禅なり。他事に順ずべからず。

 弉問うて云く、打坐と看話とならべて是れを学するに、語録公案等を見るには、百千に一つはいささか心得られざるかと覚ゆる事も出来る。坐禅は其れほどの事もなし。然れどもなほ坐禅を好むべきか。

示に云く、公案話頭を見て聊か知覚あるやうなりとも、其れは仏祖の道にとほざかる因縁なり。無所得、無所悟にして端坐して時を移さば、即チ祖道なるべし。古人も看話、祗管打坐ともに進めたれども、なほ坐をば専ら進めしなり。また話頭を以て悟りをひらきたる人有りとも、其れも坐の功によりて悟りの開くる因縁なり。まさしき功は坐にあるべし。

 

 先師永平弉和尚学地に在りし日、学道の至要聞くに随いて記録す。所以に随聞と謂ふ。雲門室中の玄記のごとく、永平の宝慶記のごとし。今六冊を録集して巻を記し仮名正法眼蔵拾遺分の内に入る。六冊倶に嘉禎年中の記録なり。

 康暦二年五月初三日宝慶寺浴主寮に於て書す焉。

   三州旛頭郡中島山 長円二世暉堂が写しなり。

 寛永二十一甲申歳八月吉祥日

 

 

水野 弥穂子 訳

正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫から抜書(一部改変)