正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

 正法眼蔵 第二十 有時 註解(聞書・抄)

 正法眼蔵 第二十 有時 註解(聞書・抄)

 

古仏言

有時高高峰頂立、

有時深深海底行。

有時三頭八臂、

有時丈六八尺。

有時拄杖払子、

有時露柱灯籠。

有時張三李四、

有時大地虚空。

いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり。丈六金身これ時なり、時なるがゆゑに時の荘厳光明あり。いまの十二時に習学すべし。三頭八臂これ時なり、時なるがゆゑにいまの十二時に一如なるべし。十二時の長遠短促、いまだ度量せずといへども、これを十二時といふ。去来の方跡あきらかなるによりて、人これを疑著せざれどもしれるにあらず。衆生もとよりしらざる毎物毎事を疑著すること一定せざるがゆゑに、疑著する前程、かならずしもいまの疑著に符合することなし。ただ疑著しばらく時なるのみなり。

詮慧

〇この「時」の詞、世間に思うには、吾我の身心に付いてのみ心得、仍って時刻は別にて、少年より老年に至ると思う。その義には有るべからず、仏法の習いには、「高高峰頂立」と云う。これ「時」を云う也。頂□(寧+頁)と説き鼻孔と説かんも、又是程の「時」なるべし。「有時」と云うは即ち「これ」と云う程の心なり。「あるときの詞、すなわち、これなり」。即ち是「高高峰頂立・深深海底行」とも云うべし。

〇いま「有時」に八つの姿を出だす。但是は一物とも心得、万法とも心得べし。必ずしも不可限八也。

〇有時の「有」の字は、悉有の「悉」、若至の「若」に可心得。「時」と云う物を置きて、有とも無とも沙汰するにてはなき也。

〇「古仏言」とて、法を示さん時は、実相・真如などとぞ云うべきと覚ゆる処に「有時と談じて、高高峰頂立」と云うより、「有時大地虚空」と云うまで、八句を挙げて法を示す。此の詞ども(は)、世間の詞に似たれども、仏法にあらざらん詞、一つも出で来るべきにあらず。しかあれば、此の八句の内の「峰ぞ、海ぞ、三頭八臂、丈六八尺、拄杖払子、露柱灯籠、張三李四、大地虚空」の詞を以てこそ、法性・真如とも談ぜんずれ。この理をわたして、今者談ずべし。心を外に付くべからず。

〇「あるときは」とあれば、寅・卯とも覚えたれども、すでに「高高峰頂立」を「時」と心得、其の理を知るべし。

〇「有与時」(の)両字とは心得まじ。有とは時也。有の字(は)時に頂かれたれども、今は「有を時と取る。光明は時の荘厳となる。有も時、丈六金身も時なるゆえに」。

〇「十二時にて習学すべし」とは、世間の時刻にて習うべしとなり。但寅になり卯になりたればとて、寅の姿なし、卯の姿あらわれず。悟りの人を破らぬ事、水に日の宿るが如しと云う喩えばかりなり。午の時に云うには、尽界みな午なるべき喩え也。

経豪

  • 「有時」と云う詞を、打ち任せて心得には、有をば受けたる詞に仰ぎす時の詞をば、時に約して心得。仮令有時は問訊礼拝し、有時焼香礼仏し、有時は坐禅辦道すなどと、如此云う様に心得。然者「有時」(は)時与人)(の)各別になりぬ。其の内の各々作業、色々無尽なるべし。非仏法所談、是は尽十方界有時なるべし。「有時」(の)外(に)更に不可有別法。正法眼蔵第一『現成公案』に、「諸法仏法なる時節に、迷悟・修行・生死・諸仏・衆生あり」と云いし様に、「有時の時節に高高峰頂立あり、深深海底行あり、乃至大地虚空有り」と云うべき也。諸法(の)皆「有時」の道理なるべけれども、無尽期間(に)就祖師等(の)詞、今被挙八句歟。「有時高高峰頂立」と談ぜん時は、峰頂立の外(は)余物不可交、乃至各々(の)詞(は)、皆同之。尽十方界高高峰頂立、尽十方界深深海底行、尽十方界三頭八臂、乃至尽十方界大地虚空なるべし。如此道理なるゆえに、此の「有時」の姿が、「時すでに有也、有は皆時也」と云わるるなり。ゆえに普通に心得たる有時の詞には乖角也。是は「有」も尽十方界を以て有と仕い、「時」も以尽十方界、時と取る也。故に「有与時」(は)非可各別、只同物なり。
  • 是は如前云、「有時丈六金身」と云わん時は、丈六金身の外に、交わるべき物なき道理也。「時の荘厳光明あり」とは、時は本体に置きて、又其の上に、荘厳光明等の別に有らんずるように聞きたり。非爾、是はやがて時は時を以て荘厳光明とし、丈六金身は丈六金身を以て荘厳光明とするなり。全て非別物。「十二時に習学すべし」とは、午時は午時也。午時の外に余時不交、乃至自余時も可准之。但是は一時の内は、実(に)今の比量にも相順じつべし。然而午時の後は、猶未も申も次々の時あり。是は其の定めには不可心得。但又午時は午時にて究尽し、未時は未時にて究尽し、乃至自余時も如此談ぜば、高高峰頂立の時は高高峰頂立にて究尽し、深深海底行の時は深深海底行にて究尽せば、などが「十二時の習学にもせざらん」。然而打ち任せたる「十二時」の所談には、此の心地には聊か可異也。
  • 是は前の丈六金身の心地に聊かも不可違也。「一如なり」とは、相似たりと云う心地也。
  • 是は文に分明に聞こえたり。実にも世間の習い、「十二時のありさま、長遠短促」。いかなるゆえに、かかる道理也とも知らざれども、只昔より此の道理明らかなるによりて、かかると知る許り也。疑著する事はなけれども、知れる事なき条、無疑事也。「しらざる毎物毎事疑著する事、一定せざるがゆえに、疑著する前程も必ずしも、今の義著に符合せざるなり」、只所詮此の「疑著」と云うも「時なるなり」。時の外なる疑著にあらざるなり。

 

われを排列しおきて尽界とせり、この尽界の頭頭物物を、時々なりと覰見すべし。物々の相礙せざるは、時々の相礙せざるがごとし。このゆゑに同時発心あり、同心発時なり。および修行成道もかくのごとし。われを排列してわれこれをみるなり。自己の時なる道理、それかくのごとし。

恁麽の道理なるゆゑに、尽地に万象百草あり。一草一象おのおの尽地にあることを参学すべし。かくのごとくの往来は修行の発足なり。到恁麽の田地のとき、すなはち一草一象なり、会象不会象なり、会草不会草なり。正当恁麽時のみなるがゆゑに、有時みな尽時なり、有草有象ともに時なり、時々の時に尽有尽界あるなり。しばらくいまの時にもれたる尽有尽界ありやなしやと観想すべし。

詮慧

〇「同時発心」と云うは、百人千人の人が、同時に発心せんずるにてはなし。「時が発する」也。仍って「同心発時」とも云うべし。心と時と二つを置きて云うべきにあらざるゆえに、同時発尽界なるべし。尽界の高高峰とも、深深海とも云う、この「時なる」也。我と称する峰、我と称する海なり。吾我の我にてはなし。

〇「我を排列して、われこれをみる也」と云うは、やがて同心発の義也。吾我のわれにあらず。

〇「尽地に万象百草あり、一草一象あり」と云うは、この尽地は自にあたる自己の上に万象を表すに似たり。但尽地がやがて万象なれば、又一草一象も尽地なり。尽地を以て自己とするゆえに、「有時高高とも、有時深深」とも云う也。たとえば扇一つが上に置きて、万象百草と説くゆえに、扇も是什麽物恁麽来也。

〇「会草不会草とも云い、会象不会象」とも云うは、百草とも仕い、一草とも仕う程也。尽界の広きに各々の時あるにあらず。「時々に尽界あるなり」。

経豪

  • 此の「我」は仏法の我也。「排列し置きて」と云うは、物を数多(あまた)取り置きたるようには非ず。如文、只「我が尽界なる所を、排列」とは云うなり。「尽界の頭頭物物を、時々なりと覰見すべし」とは、尽界と時とが、各別の法にあらざる所が如此云わるるなり。
  • 物々も時々も、実に争か相礙せん。物々の究尽、時々の脱落の前には、更に相礙すべき物なし。相礙すべくは、物々は物々と相礙し、時は時と相礙すべき也。此の道理なるゆえに、「同時発心もあるべし、同心発時もあるべき」なり。同時成道の詞許りに拘わらざるべき道理を、如此被釈なり。
  • 「排列」(の)様(を)如前云う。尽界が尽界を見る程の道理なるべし。時が時を見る心地也。
  • 「尽地の万象百草あり、一草一象尽地にありなん」と云えば、普通の地に、草木の生えたるようには不可心得。やがて尽地を以て百草とも、万象一草一象とも談ず也。今の『有時』の草子には、はじめ「高高峰頂立、深深海底行、乃至第八大地虚空」などと被挙詞を以て、「尽地の万象とも、百草とも談ずる」筋もあるべし。然者打ち任せたる、百草一草には異(違)すべき也。
  • 此の「往来」は打ち任せて、仏法に往来と云う事は不可談。但或いは「有時高高峰頂立、深深海底行、乃至第八大地虚空」などと云う所を、しばらく「往来」と可談歟。「恁麽の田地」とは、田地をば所と云う心也。此の所と云う歟。又「一草一象」と許り「一」の字を戴くべきにあらぬ所を「会象とも不会象とも、会草不会草とも」云うべき道理を、如此被釈也。「正当恁麽時のみなるがゆえに、有時皆尽時也」とは、此の「有時」の道理が、始中終にも拘わらず、尽界有時の外に、交わる物のなく、有時独立の姿を云うなり。ゆえに「有時皆尽時也」と云わるるなり。
  • 是又「有時の有を、有草有象」と、「有」をいただかせて被書之。然而其の意(は)、前の会草会象に同じ。又「時々の時に尽有尽界」とあるは、「有時」とある詞を時を先に為し、「尽有尽界」と有を後に為さる。「有時」の詞を彼方(あなた)此方(こなた)へ上下して委しからん料りに被釈之。『仏性』の草子の時(の)、「仏々聻也、性々聻也」と云いし程の事也。如此上下すればとて、更に其の意不可違也。又「今の時にもれたる、尽有尽界ありやなしやと観想すべし」とは、此の有時の時に漏れたる、尽有尽界(が)、争かあるべき。但如此一筋を取り定めて談ずれば、一向無の見に落ちぬべし。漏るる時節もなどかなからん。「漏るる」時節と云うは、仮令有時高高峰頂立と談ずる時は、深深海底行、丈六八尺、乃至

三頭八臂もあるべからず。此の道理をしばらく「漏れたり」とも可談歟。又高高峰頂立と談ずる時は、惣て有時の至極する道理、此の外になければ、漏るる物なしと談ず也。会仏法の上に、不会仏法の上の不見仏程の義也。

 

しかあるを、仏法をならはざる凡夫の時節にあらゆる見解は、有時のことばをきくにおもはく、あるときは三頭八臂となれりき、あるときは丈六八尺となれりき。たとへば、河をすぎ、山をすぎしがごとくなりと。いまはその山河たとひあるらめども、われすぎたりて、いま玉殿朱楼に処せり、山河とわれと天と地となりとおもふ。

しかあれども、道理この一条のみにあらず。いはゆる山をのぼり河をわたりし時にわれありき、われに時あるべし。われすでにあり、時さるべからず。時もし去来の相にあらずは、上山の時は有時の而今なり。時もし去来の相を保任せば、われに有時の而今ある、これ有時なり。かの上山渡河の時、この玉殿朱楼の時を呑却せざらんや、吐却せざらんや。

三頭八臂はきのうの時なり、丈六八尺はけふの時なり。しかあれども、その昨今の道理、ただこれ山のなかに直入して千峰万峰をみわたす時節なり、すぎぬるにあらず。三頭八臂もすなはちわが有時にて一経す、彼方にあるににたれども而今なり。しかあれば、松も時なり竹も時なり。時は飛去するとのみ解会すべからず、飛去は時の能とのみは学すべからず。時もし飛去に一任せば間隙ありぬべし。有時の道を経聞せざるは、すぎぬるとのみ学するによりてなり。

要をとりていはば、尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時々なり。有時なるによりて吾有時なり。有時に経歴の功徳あり。いはゆる今日より明日へ経歴す、今日より今日に経歴す、明日より明日に経歴す。経歴はそれ時の功徳なるがゆゑに。古今の時、かさなれるにあらず、ならびつもれるにあらざれども、青原も時なり黄檗も時なり、江西も石頭も時なり。自他すでに時なるがゆゑに、修証は諸時なり。入泥入水おなじく時なり。いまの凡夫の見および見の因縁、これ凡夫のみるところなりといへども、凡夫の法にあらず、法しばらく凡夫と因縁せるのみなり。この時この有は、法にあらずと学するがゆゑに、丈六金身はわれにあらずと認ずるなり。われを丈六金身にあらずとのがれんとする、またすなはち有時の片々なり未証拠者の看看なり。

いま世界に排列せるむま・ひつじをあらしむるも、住法位の恁麽なる昇降上下なり。ねずみも時なり、とらも時なり、生も時なり、仏も時なり。この時、三頭八臂にて尽界を証し、丈六金身にて尽界を証す。それ尽界をもて尽界を界尽するを、究尽するとはいふなり。丈六金身をもて丈六金身するを、発心・修行・菩提・涅槃と現成する、すなはち有なり時なり。尽時を尽有と究尽するのみ、さらに剰法なし。剰法これ剰法なるがゆゑに、たとひ半究尽の有時も、半有時の究尽なり。たとひ蹉過すとみゆる形段も有なり。さらにかれにまかすれば、蹉過の現成する前後ながら有時の住位なり。住法位の活々地なる、これ有時なり。無と動著すべからず、有と強為すべからず。時は一向にすぐるとのみ計功して未到と解会せず。解会は時なりといへども、他にひかるる縁なし。去来と認じて、住位の有時と見徹せる皮袋なし。いはんや透関の時あらんや。たとひ住位を認ずとも、たれか既得恁麽の保任を道得せん。たとひ恁麽と道得せることひさしきを、いまだ面目現前を摸索せざるなし。凡夫の有時なるに一任すれば、菩提・涅槃もわずかに去来の相のみなる有時なり。

おほよそ籮籠とどまらず有時現成なり。いま右界に現成し左方に現成する天王天衆、いまもわが尽力する有時なり。その余外にある水陸の衆有時、これわがいま尽力して現成するなり。冥陽に有時なる諸類諸頭、みなわが尽力現成なり、尽力経歴なり。わがいま尽力経歴にあらざれば、一法一物も現成することなし、経歴することなしと参学すべし。経歴といふは、風雨の東西するがごとく学しきたるべからず。尽界は不動転なるにあらず、不進退なるにあらず経歴なり。経歴はたとへば春のごとし。春に許多般の様子あり、これを経歴といふ。外物

なきに経歴すると参学すべし。たとへば春の経歴はかならず春を経歴するなり。経歴は春にあらざれども、春の経歴なるがゆゑに、経歴いま春の時に成道せり。審細に参来参去すべし。経歴をいふに境は外頭にして、能経歴の法は東にむきて百千世界をゆきすぎて、百千万劫をふるとおもふは、仏道の参学これのみを専一にせざるなり。

詮慧

〇「時もし去来の相を保任せば」と云うは、尽界ともに去り、尽界ともに来る心得べき也。

〇「上山渡河の時、この玉殿朱楼の時を呑却し、吐却せざらんや」と云うは、高高峰頂立の時は、深深海底行を呑却せざらんやと云わんが如し。

〇「入泥入水」と云うは、尽界を人体とも仕い、三界を一心とも云う時は、何れを(も)「入泥とも入水とも」云うべき様なけれども、又和光利物とも、衆生を引導とも云わん時は、又

入泥入水と云われぬべきゆえなり。

〇「尽界」と云うは、尽地の事也。天王天衆も、皆尽地の上の所行なり。

経豪

  • 如文分明也。是は凡夫の見解を被挙之。不可用義也。
  • 凡見は如前段、心地也。われ山を過ぎ、河を渡りしかども、其の山河は有るらめども、我は今ここに住す。在国せし時も在りき、在京する今も在りなんと思う也。是は我と云う物を置いて談ず。又山河乃至、在居中住所を各々に儲(設?)けて云うなり。更に難云仏法。但其の上にも猶山を上り、河を渡りし時にも、我在りき。われに時あるべし、我已にありき。「時又去るべからざる」道理は、在りしぞかしと、凡見の上に猶、我与時(の)
    別ならざる時分は、あるぞかしと云わるるなり。況や今の「有時」の義(は)、不可順之。
  • 是は「去来」と云う事は、有時の時は総じて、只「上山の時は」、一向「上山の有時にてあり」。「時もし去来と話さば」、去も有時、来も有時なるべしと云う心地なり。「玉殿朱楼の時を呑却し、吐却せざらんや」とは、高高峰頂立の時は、深深海底行、已下大地虚空を皆「呑却」したるにてあるべきか。又高高峰頂立の有時もあり、深深海底行の有時もあり。乃至三頭八臂の有時も、丈六八尺、大地虚空等の有時の道理を、「吐却」とも可仕歟。如此無尽には云えども、此の道理(は)只一なるべし。
  • 「昨今」の詞、凡夫の思い付きたるに似たりように聞こゆ。今の昨今は、只以三頭八臂、「昨日とも今日とも」可談。「昨今」と云う詞は、吾我を置きて、其の上に昨今の詞を付けて談之。今の「有時の上の昨今」は、しかあるべからざる也。「昨今の道理、只是れ山の中に直入して、千峰万峰を見渡す時節也」とは、高高峰頂立と談ずる時は、峰頂立の外に又物あるべからざる所が、「山の中に直入して、千峰万峰を見渡す時節」とは云わるるなり。昨日より今日に移るとは難云。仍って「過ぎぬるに非ず」とは被決也。
  • 是は「三頭八臂」と談之。或いは丈六八尺、乃至拄杖払子、大地虚空などと談ずれば、「三頭八臂は過ぎて、彼方にて有るに似たれども、只而今なり」。努々(ゆめゆめ)是を談ずればとて、先には残り、後に有るに非ず。只三頭八臂の時は、前後際断し、丈六八尺の時は、又前後際断するなり。三頭八臂の時は、尽十方界森羅諸法、始中終、三頭八臂なるべし。余も亦不可准知之。此心を如此被釈なり。
  • 諸法有時ならん時は、実(に)松竹(の)争か時ならざるべき。勿論(の)事也。

問、今斯(ここ)に所被呼出、之松竹と者指何乎。

答、指尽界諸法、談松談竹也。庭前柏樹子と云いしに不可違也。

「時の飛去」と云うは、打ち任せて我々が思い付きたる、午(11―13時・注)前より未(13―15時・注)に移り、乃至申(15―17時・注)より酉(17―19時・注)に移る、是を「解会すべからず」おは被制也。如此「一任せば」、一定まことに「間隔はありぬべし」。午より未に移り、申より酉に移る間は間隔あるべし(を)、今の三頭八臂と談之。丈六八尺と談ずる時の間隔なき道理には不可及なり。

  • 是は如文。午より未、申より酉とのみ談ずる心地を、「過ぎぬるとのみ学するに依りて也」とは被嫌なり。
  • 排列と云うは、あまた(数多)物を並び居たる姿を云う歟。是は凡夫の見也。此の「つらなる」と云うは、只一法究尽の道理を列(つら)なると可云歟。又百草万象とも云い、諸法仏法なる時節に、迷悟諸仏衆生あり(の)、「あり」と云う詞(は)、蹔く「つらなる」と云うに似たれども、凡見所見の排列の義にあらず。「吾有時」と云う「吾」は、有時の吾也。ゆえに「有時なるによりて吾有時也」とは云わるる也。
  • 往来と云いし詞の、有時の上に談ぜしが如く、又「経歴」と云う詞(は)、有時の上に談ぜし時の義を被釈なり。「経歴」と云う事も、有時の道理の方よりは如何なるべきぞと、覚えたれども、「経歴」の詞を棄つれば、取捨の法に成りぬべし。此の詞を不棄、凡見には同ぜねばこそ、仏法を相承し参学するにてはあれ、「今日より明日へ経歴す」と云う詞は聞きなれたり。「今日より昨日に経歴す、乃至今日より今日に経歴し、明日より明日に経歴す」と云う詞は、不被心得。有時の道理を参学せずしては、此の経歴のようは難信者也。所詮今は、三頭八臂を以て昨今と仕い、丈六金身の上に、昨今の詞を付けて談ず也。
  • 「古今時、重なれるにあらず、並び積もれるにあらざれども」とは、過去七仏より始めて、西天二十八代、東土三十余代、代々重なり並び積もれるに似たれども、只我等が見解の如く数の積もり、代々を重ねたるにあらず。釈尊の時なるときは、迦葉は釈迦に蔵身にすれば、全く両人と分くべきにあらず、自余又如此。この有時の道理(も)如此なるべき也。数代の祖師と云うも、全て人々(が)重なれるにあらず。只一時の有時なり。ゆえに「青原も、黄檗も、乃至江西、石頭」も数多を挙げらるる様なれども、是皆「時」と談ずる時は、さらに差別なく、重なり積もれる義なし。故に「自他すでに時なるがゆえに」とはあるなり。又「修」は因位、「証」は果位とこそ思い付けたれ、是又凡見なり。「修証共に諸時なる」道理顕然なるべし。打ち任せては三身を談ずるにも、応身は衆生化度の応用を表す。法身こそ真実なれなどと常には談之歟。是は法報応共に時なるべし。更に法報応等に、滞るべからざるなり。
  • 「入泥入水」などと云えば、人ありて泥に入り、水に入らんするように聞こえたり。只しばらく、「有時を泥」とし、「水を有時」とせるなり。「入」の一字を不用得也。但又有時の道理を「入」と仕わんも、其理不可違。この道理なるゆえに、「入泥入水同じく時也」とはあるなり。又「今の凡夫の見、及び見の因縁は、凡夫の見の方よりこそ、凡夫の見る所也と云えども、凡夫の法にはあらざる也。法しばらく、凡夫を因縁せるのみ也」とは、此の「凡夫の見」と云うも、有時の方よりは有時なるべし。ゆえに「法の蹔く、凡夫を因縁せる」とは云わるる也。此理なるゆえに、凡夫所具の妄念邪念也と云えども、皆有時ならぬ法あるべからず。ゆえに法の方よりは不可棄、妄念邪念とも難云歟。皆解脱の法となるゆえに、尤憑敷事也。所詮有時の外に又回避の余地なき以道理、如此談ず也。
  • 是は世間の所談之、十二時皆有時なるを、凡夫は只世界所有法、皆妄法也と見るゆえに、「法にあらずと学する」とは云う也。有時の方よりは、森羅万像(は)、無非有時と談ず也。此の道理なるゆえに、「丈六金身をもわが外なる物と認ずる也」。丈六金身と、われと更非別物。「丈六金身(の)我にあらずと逃るるも、是有時の片々也」とあり、実にも有時の外に余る一法なき上は、此の「のがれんとする」も、有時の外なる物にあらず。「未証拠者の看々」とは、臨済の慧照大師の詞に、有此句被引載之。臨済(の)詞(に)云、「有一無位真人、常在汝等面門、出入するなり、初心未証拠者看々」(「赤肉団上有一無位真人、常従汝等諸人面門出入、未証拠者看々」(『臨済録』「大正蔵」四七・四九六c一〇・注)

所詮、丈六金身が丈六金身を見る程の「看々」なり。

  • 如文、可心得。此の「午未」(は)皆「住法位」の道理也、有時の道理也。「昇降上下」共に有時也。「ねずみも、とらも時也」と云う詞に付いて、二心あるべし。一つには「午未」時なるべくは、「ねずみも、とら」も共時なるべき道理。一つには「ねずみと、とら」と、強弱の至極なるべき喩え也(なる)べし。しかるを有時の上には、「ねずみ、とら」の差別あるべからず。ねずみも有時、寅も有時なるべき道理なり。又「生も仏も時也」と云う、衆生与仏、是又差別なき道理、事旧了。勿論の事也。
  • 「三頭八臂にて、尽界を証する」とは、此の尽界が三頭八臂なる道理を云う也。三頭八臂と尽界と云うと、更に差別なき也。此の道理が、「以尽界、尽界を尽界するを、究尽するとは云う也」とはある也。分明に聞こえたり。「尽界」と云う事は、尽界と云えば、猶いかにも打ち任せて、世界を置きて、是に遍したる様に被心得ぬべき所を、「尽界」と打ち替えせば、能所彼此なき道理が現るる也。全依・依全、乃至発菩提心菩提心発などと云いしが如し。又此の「丈六金身が、発心とも、修行とも、菩提とも、涅槃とも」云わるる也。全く別なる物がありて、如此各々に云わるべきにあらざる也。打ち任すは、「発心・修行・菩提・涅槃」等は、次第々々に浅きより深きに至る心地に談之。今の有時しかあるべからず。今は以有時談発心、以有時談修行、乃至菩提涅槃等も如此。此の道理を述べらるる時、「丈六金身を以て、丈六金身するを、発心・修行・菩提・涅槃と現成する也」とは云う也。丈六金身・発心・修行・有時等すべて、取り放たるまじきゆえに如此談ずなり。「尽時を尽有と究尽する」とは、有時の二文字を被釈なり。時も尽時なるべし、有も尽有なるべし。この時まことに剰法あるべからざる条顕然なり。たとい又剰法と云うとも、剰法を以て、剰法と可談なり。又「半究尽」と云う詞は、満したる姿を置きて、半と分くる詞にあらず。只有時の当体を「半究尽」と談ず也。いづれに対してか、日来の見解の半とは(不?)可心得。「半究尽の有時も、半有時の究尽」と云うも、只同心なるべし。「蹉過すると見ゆる形段も有也」とは、たといあやまり(蹉過)て見ゆる形段も、有時を離れたる事なしと云う理なり。「さらに彼に任すれば」とは、有を「彼」とは指す也。所詮有の道理に任すれば、「あやまり(蹉過)の現成する前後も、有時の住位なり。住法位の活鱍々なる、これ有時也」と云うなり。
  • 「無とも有とも、動著し強為すべからず」条、実に此の有時の上にはあるべからず。「時をば一向只すぐるとのみ計功して、未到と解会せず」とは、過ぎぬと許りは計功すれども、未到とは解会せぬなり。此の「解会又時也と云えども、他に引かるる縁なし」とは、此の解会も時也。しかれども時の道理、他に「被引縁なき理なる所」を如此被釈なり。
  • 「去来の法とのみ認じて、住位の有時と見徹せる皮袋なし」とは、去来の法とのみ思いて、有時の道理を見徹せざる皮袋を被嫌なり。「いわんや透関の時あらんや」とは、解脱の時を学せんやと云う心也。
  • 是は重々、人の思う所を被嫌也。たとい「住位とは思えども、既得恁麽の保任」とは誰が麗(うるわ)しく、有時の解脱の様を知らんと云うなり。
  • 是は「たとい恁麽と道得せること久しきを」、いかにも三頭八臂の姿も、又丈六八尺の形も、ふと現前せんずるように覚ゆる所を、如此指して云う也。「時は一向にすぐるのみ計功して」と云うより「摸索せざるなし」と云うまでは、人の悪しき見解を出して被嫌也。
  • 「凡夫の有時」とは、有時の焼香礼拝し、有時は坐禅辦道すなどと、有時をば惣てに蒙らしめて、其の外に別に所作の事のあらんずる様に思い付きたり。是を「凡夫の有時」とは指すなり。此の「凡夫の有時に一任する時は、菩提も、涅槃も、わずかに去来の法(相?)と同じき有時也」と被嫌。仏祖所談之有時(は)しかあるべからざるなり。
  • 如文。有時の道理の上に、「籮籠とどまらず、有時現成すべき」理(の)必然なり。
  • 「左右」の詞(の)
    ふと出で来たしたるように聞こゆ。但有時の上の左右なるべし。仏性の上に有無を談ぜしが如し。只所詮上界(の)
    「天王・天衆・水陸の衆、皆有時也」と云う心地なり。此の「わが」と云う我は、吾我の我にあらず、有時の我なるべし。
  • 「冥」は暗し、「陽」は明らかなる心歟。彼も是も、物々頭々皆有時なる道理也。「わが」と指すは有時の我なり。「現成」と云うも「経歴」と云うも、有時の上の現成・経歴也。ゆえに「一法一物」も有時(の)外のものの「現成する事なし」と云う心地也。
  • 如文。実にも普通には、此処(ここ)より彼処(かしこ)へ行(ゆ)くをこそ、「経歴」とは心得たれ。今は非此義。又「尽界は不動転・不進退なる」条、打ち任すは勿論(の)事也。但「不動転・不進退なる」を、必ずしも不可執。有時の道理(は)動不動に拘わるべき物にあらず。但倩案之に有時の道理こそ不動転とも云うべけれ。有時の外なる物なきゆえに、有時の道理こそ、又不進退とも談じぬべけれ。有時の外に進退すべき物なき故に、但今は世界に人の思う所に仰せて「あらず、あらず」とは蹔く被嫌也。
  • 是文に聞こえたり。春に様々の葉あれども、皆是春なり。余物なき道理に、いま有時の上(の)、動不動に拘わらぬ所を被引き合せて、如此被釈なり。喩えば春の時節には、万物皆春なり。例えば、有時の時節には、有時の経歴と仕う也。「外物なきに経歴すると参学すべし」とあり分明なり。又経歴(は)実(に)必ず春に限るべからず。「経歴いま春の時に成道せり」とは、成道の詞、耳に立つ様なれども、所詮心地は、春の時に成ぜりと云う心也。此の「経歴」と云うは、一師の下に参学するを遍参と談ぜしが如し。
  • 是は仮令、浄土・天堂、乃至地獄・餓鬼等を外に置きて、此の身が彼処に随業報生と思うぞ、経歴なるべき。打ち任せて人の思い付きたる経歴の様如此。此処より彼処へ生ずる間、「百千世界を行き過ぎて、百千万劫を経ると思う事を、仏道の参学専一にせざる」とは被嫌なり。実此義今祖門所談の「有時」の心地には天地懸隔なるべし。

 

薬山弘道大師、ちなみに無際大師の指示によりて江西大寂禅師に参問す。三乗十二分教、某甲ほぼその宗旨をあきらむ。如何是祖師西来意。かくのごとくとふに大寂禅師いはく、

有時教伊、揚眉瞬目、

有時不伊、揚眉瞬目。

有時教伊揚眉瞬目者是、

有時教伊揚眉瞬目者不是。

薬山ききて大悟し大寂にまうす、某甲かつて石頭にありし、蚊子の鉄牛にのぼれるがごとし。

大寂の道取するところ、余者とおなじからず。眉目は山海なるべし、山海は眉目なるゆゑに。その教伊揚は山をみるべし、その教伊瞬は海を宗すべし。是は伊に慣習せり、伊は教に誘引せらる。不是は不教伊にあらず、不教伊は不是にあらず。これらともに有時なり。山も時なり海も時なり。時にあらざれば山海あるべからず、山海の而今に時あらずとすべからず。時もし壊すれば山海も壊す、時もし不壊なれば山海も不壊なり。この道理に明星出現す、如来出現す、眼晴出現す、拈華出現すこれ時なり。時にあらざれば不恁麽なり。

葉県の帰省臨済の法孫なり、首山の嫡嗣なり。あるとき大衆にしめしていはく、

有時意到句不到、

有時句到意不到。

有時意句両倶到、

有時意句倶不到。

意・句ともに有時なり、到・不到ともに有時なり。到時未了なりといへども不到時来なり。意は驢なり、句は馬なり。馬を句とし、驢を意とせり。到それ来にあらず、不到これ未にあらず。有時かくのごとくなり。到は到に罣礙せられて不到に罣礙せられず。不到は不到に罣礙せられて到に罣礙せられず。意は意をさへ意をみる。句は句をさへ句をみる。礙は礙をさへ礙をみる。礙は礙を礙するなり、これ時なり。礙は他法に使得せらるといへども、他法を礙する礙いまだあらざるなり。我逢人なり、人逢人なり、我逢我なり、出逢出なり。これらもし時をえざるには、恁麽ならざるなり。

又、意は現成公案の時なり、句は向上関棙の時なり。到は脱体の時なり、不到は即此離此の時なり。かくのごとく辨肯すべし、有時すべし。

向来の尊宿ともに恁麽いふとも、さらに道取すべきところなからんや。いふべし、

意句半到也有時、

意句半不到也有時。

かくのごとくの参究あるべきなり。

教伊揚眉瞬目也半有時、

不教伊揚眉瞬目也錯錯有時。

恁麽のごとく参来参去、参到参不到する、有時の時なり。

詮慧

〇「かれをして(教伊)」と云えば、能所を置きたるに似たり。「揚眉瞬目」も、なにを眉とも目とも仕い、開(あ)くとも見るとも云うぞと覚えたれども、是皆有時を教伊とも、揚眉とも、瞬目とも云う也。「不教伊」と云えばとて、是もすべき事を置いて「せしめず」と云うにてはなし。「せしむ」と云うも、「せしめず」と云うも、一向有時が斯く云わるるなり。

〇尽十方界一尺眼と云う、「瞬目」なれば、なにを置きて見るべき。目とは云わぬなり。

〇已前に高高峰頂立、深深海底行などと八句の詞あり。是は「揚眉瞬目の上に、不教伊とも、教伊とも、是とも、不是」とも云う、相違に似たれども所詮一義也。無差別各々なり。詞の不同許り也。非見不聞。生如著袴、死如脱袴と云う詞あり。是は著脱は衣装の一法の上の詞也。高高峰頂立已下の詞は著袴、有時教伊揚眉瞬目は脱袴とも可心得。著袴は生、脱袴は死と、生死の二つに別と云わんにはあらざるなり。

〇身心一如と云うも、今の吾我の身心を談じて、身死すれば心も死すと云わんには、外道の断滅見是也。者是と云い、者不是と云う。是不是とて差別善悪のあるにてはなし。一切衆生悉有仏性者是、一切衆生悉有仏性者不是と云わんが如し。

〇「蚊子の鉄牛にのぼる」とは、いやしくて、あるにもあらざりしきと云う心也。

〇「眉目は山海なり、山海は眉目なるがゆえに」と云うは、これ有時の揚眉瞬目なる事を云うなり。更に山を揚眉に当て、海を瞬目に当てんと云うにはあらず。さては有時の意趣に相違すべし。「時もし壊すれば山海も壊す、もし不壊なれば山海も不壊也」と云うは、是は山海と時と同じなる事許りを挙ぐるなり。更に生滅を立てんとにはあらず。仏法の生滅は、生也全機現、死也全機現にてこそあれ。

〇葉県帰省禅師段。

「有時意到句不到、有時句到意不到。有時意句両倶到、有時意句倶不到」。此の段は「意と句と、到不到」を立てて云う。ただしこれも意・句・到・不到(の)、各別とにはあらず。「意・句ともに有時、到・不到ともに有時なり」と云う、ゆえに仏法の時は悟の時也、世間の時は迷悟の時なり。教には事は分別の方に取り、理は無分別の方に取る。この「到不到」の義は、たとえば心は三界不出余界とも、或いは又仏(は)出一心、不出三界と云わんが如し。

〇「意は驢なり、句は馬也」と云うは、是は一物に於いて、「到不到」の義を尽くるゆえに此の詞あり。古い詞に云う、驢未去、馬事到来は所詮(は)驢馬(は)共(に)馬也。去らざるに来たると仕う。只同事を云う也。しかれば「意句」(の)無差別(は)有時是なり。「到は来にあらず」と聞こゆ、ゆえに「不到を未」と不可心得。

〇有時の姿を以ては、各々に替われども、有時の一法なり。色未だ去らざるに、色到来すと云えば、やがて色即是空、空即是色なるように、「到不到」の義如此。「到は到に罣礙せられて、不到に罣礙せられず」と云うは、「罣礙」の詞は同じけれども、此の前後の罣礙は替わるべき也。「到が到に罣礙せらる」と云う、同物に罣礙せらるる事(は)、世間には不聞(の)習い也。仏法には如此、そのゆえに仏道には能所なし、相対なし。只一法を以て万法とも仕えば、「罣礙」の詞も同じ物を「罣礙」と仕うなり。ゆえに世間の罣礙の詞には不似なり。「不到に罣礙せられず」と云う、尤も其の故あり。到も不到も同じ有時なるゆえに、或礙或見と説く。皆此心也。先の「罣礙」の詞は、仏法の方に仕う、後の「罣礙」の詞は、世間に対して説くと心得なり。

〇「我逢人なり、人逢人なり、我逢我」と云う始め(の)「我逢人」と云う詞は、能所あるに似たり。しかあれども「人の人に逢い、我逢我」と云う(は)、顕然に無能所、聞くなり。

〇「即此離此」と云うは、これに即すると、これに離るると、ともに有時の上に仕う。「即」も「離」も各別には心得ぬなり。祖師の古い詞には「即此用離此用」(「挙、百丈再参馬祖。祖挙払子。丈云、即此用離此用」(『圜悟録』十六「大正蔵」四七・七九八b一二・注)と云うことあり。

永平寺和尚段。

「意句半到也有時、意句半不到也有時。教伊揚眉瞬目也半有時、不教伊揚眉瞬目也錯錯有時」。たとえば、已前の詞に「半」と云う字の出で来る、この道理一を表すなり。意到句不到と説くも、半分の道理を説く。教伊揚眉瞬目と云うも半分をこそ説け。是によりて、いま「半」の字を挙ぐる也。錯も不錯もただ有時なるなり。況や「錯々有時」とあり。錯まりを将て、錯まりに就くと云う事あり。此の道理あらわるる時、日来の我等が錯にはあらざるなり。所詮有時にあらざる法なき也。錯は半、錯々は全也。但又全か半を云うにはあらず。全半一也。所詮「半」と云う詞は、「意句と有時」とを指す分(の)
「半」とは云うなり。但此の半(は)非世間、半(は)親切全分なるを「半」と云うべし。又「有時」の二字は、句の首めにこそ置いて云いし程に、今は又、句の末に置く(は)如何、これは発菩提心と云うを菩提心発と云いし心地なり。

経豪

  • 是は大寂の詞なり。此の詞は釈尊与迦葉(の)、拈優曇華・破顔微笑の時を指すなり。此の詞は「教伊瞬目」は善し、「不教伊瞬目」は悪ししと云うと心得ぬべし。又教伊揚眉瞬目

者是は褒め、教伊揚眉瞬目者不是は嫌いたる詞かと覚ゆ。不可然、有時の上に取捨(の)義あるべからず。只所詮「教伊」も有時、「不教伊」も有時。「是」も有時、「不是」も有時也。初めの段には高高峰頂立、已下八種を被挙げて、有時の道理を被釈。今は「是・不是」の詞を付けて、得失あるように聞こえたれども、其の意(は)聊かも不可相違、只同心なるべし。

  • 如文。釈尊の拈優曇華、迦葉の破顔微笑は、只一時なる時節の在りしかども、釈尊も入涅槃し、迦葉も鶏足山に隠れ給いしとこそ思うに、今は尽十方界が釈尊の体、尽十方界が迦葉と談ずるゆえに、今の「眉目は山海なるべし、山海は眉目なるべし」とは云う也。仮令云わば尽界眉也、尽界目也とも云うべし。已に尽十方界沙門一隻眼とも云うゆえに。然者一時と思いし釈尊の拈優曇華、迦葉の破顔微笑、三世不断に于今間隔なき有時なる道理也。又「教伊揚は山を見るべし」とは、山海が眉目なるゆえに、その「教伊瞬は海を宗すべし」とは、同じ山海を以て眉目とするゆえに、「教伊瞬は海を宗すべし」と云うなり。「伊」と云うは、彼此に対したる伊にあらず、有時の「伊」也。「教」と云うも、只「伊」程に可心得。有時の「教」なるゆえに。
  • 是(の)「伊・教」(は)、只同心なるべし。如前云、只所詮「伊も教」も共に有時也。「慣習も誘引」も同心なり。
  • 如前云、「不是・不教伊」(は)共に嫌いたる詞、是(の)教伊瞬目は(と)取る詞と聞こゆ。今は「不是」も有時なるゆえに「不教伊」にあらず。「不教伊」も有時なる故に、「不是と嫌うにあらず」と云う也。
  • 是は無別子細。此の山海がやがて時なるときに、「山海の而今に時あらずとすべからず」とは云うなり。山海与時(は)、各別に取り放つまじき道理、如此云わるるなり。
  • 山海与時(の)不各別ように、明星与仏(は)全く別ならざる道理なる証拠に被引出なり。見明星悟道と云う事を、人の心得には、明星出現を見て、仏(は)成道し給うと思い習わしたり。蹔く能見所見あり、明星与仏(は)各別なるべし。今の有時の理には、大いに可相違。明星与成道仏(の)更不可各別。明星と談ぜん時は全明星也。更に能見所見あるべからず。ゆえに「此の道理に明星出現す」とは云う歟。又右に所被載之、有時の道理を「明星出現す」とも云う道理もあるべし。所詮只一一法、今の有時の道理ならずと云う事なしと可心得也。●是は「意与句、到と不到」との四(字)を表わさるる詞なり。教などとには、四句偈などと云いべけれども非爾。所詮意も句も、到も不到も「時なり」と云う也。故に「意句」ともに有時也。「到不到」共に有時也と云うなり。
  • 「到時未了也と云えども、不到時来也」とは、此の到がやがて時なるときに、未了也と云えども、不到時来也とは云わるるなり。「到と時」と全く別物ならざる道理が、「到時未了、不到時来」とは云わるるなり。驢与馬(は)只同物なり、驢事来去、馬事到来と云う詞あり。此の詞と「到時未了、不到時来」の詞とは只同心なり。実に此の道理(は)、到それ来にあらず、不到これ未にあらざるべし。有時(の)道理(は)如此と云う也。
  • 文に聞こえたり。只所詮「到」の究尽する時は、到が到に礙せらると云われ、句も意も各一法独立の時は、「句は句を礙え、意は意を礙ゆる」道理なるべし。
  • 是はあまりに委するとき、抑も一切の詞に、「礙すと云う礙」は、いかなるべき物ぞと不審なるべき所を、如此被釈也。「礙」と云う詞は、物を置きて其れに彼が礙えらるるとこそ、世間には談ずれ。是は意が意を礙すると云う程に当るべき歟。所詮一法究尽の道理が、如此無尽に云わるる也。又意が意を使得すと云う事あるとも、此の意がやがて句なる時に、「他法を礙す」とは難云歟。意がやがて句なるゆえに、「他法を礙する礙いまだあらず」とは云う也。
  • 右に所挙の一一(の)道理、有時の理ならずば、「恁麽ならざる也」と云うなり。
  • 此の「意・句・到・不」ともに解脱なるゆえに、或いは「現成公案の時なりとも、向上関棙の時也とも、乃至脱体の時なり、即此離此の時」とも云わるる也。有時を上に置きて談ずれば、猶いかにも有時の詞をば総てに置きて、其の下に造作の法あるべき心地ありぬべき所を、「有時すべし」とあれば、有時独立の姿があらわるるなり。
  • 此の両句は開山の御詞なり。「尊宿恁麽云えども、猶可道取所なからんや」と被書之。是は已前の詞に、半の詞を被書副、有時の詞の上に有りつるを下へ為されたる許り也(は)只同心なるべし。一法究尽する時は、いかに其の詞無尽に、其の面変わるとも、其理は不可違事也。半(の)詞出でたればとて、不満に対したる半とは不可心得。有時の半なるべし。又有時の上下するによりて、全道理の非可違れども、いかにも有時を頂けば旧見に被引て、惣て詞に被心得なり。有時の詞を下に付けて云えば、「意句半到、半不到」共に有時なる道理が、分明に聞こゆるなり。発菩提心菩提心発と談ぜしが如し。
  • 是又開山御詞也。是も前の詞に有時を下へ為し、「半錯」の詞を被付也。半詞(を)如前云、「錯」字(は)如先々所談。「錯」と云えば、あやまり悪しき詞と思い習わしたり。今の錯(は)非其義。我逢人、人逢人とら云う詞が、「錯々有時」とも云う同心なるべき歟。将錯就錯と云う詞あり、あやまりを以てあやまりに就くとは、唯仏与仏と云う程の詞なるべし。所詮今は以有時道理、錯と仕う也。

                                 (有時)終

これは筆者の勉学の為に作成したもので、原文(曹洞宗全書・註解全書)による歴史的かなづかい等は、小拙による改変である事を記す。

 

2022年6月下旬

バンコック近郊にて 二谷記