正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵第七十二「安居」を読み解く

正法眼蔵第七十二「安居」を読み解く

 

 先師天童古佛、結夏小參云、平地起骨堆、虚空剜窟籠。驀透兩重關、拈卻黒漆桶。

 しかあれば、得遮巴鼻子了、未免喫飯伸脚睡、在這裏三十年なり。すでにかくのごとくなるゆゑに、打併調度、いとまゆるくせず。その調度に九夏安居あり。これ佛々祖々の頂寧面目なり。皮肉骨髓に親曾しきたれり。佛祖の眼睛頂寧を拈來して、九夏の日月とせり。安居一枚、すなはち佛々祖々と喚作せるものなり。

 安居の頭尾、これ佛祖なり。このほかさらに寸土なし、大地なし。夏安居の一橛、これ新にあらず舊にあらず、來にあらず去にあらず。その量は拳頭量なり、その様は巴鼻様なり。しかあれども、結夏のゆゑにきたる、虚空塞破せり、あまれる十方あらず。解夏のゆゑにさる、迊地を裂破す、のこれる寸土あらず。このゆゑに結夏の公案現成する、きたるに相似なり。解夏の籮籠打破する、さるに相似なり。かくのごとくなれども、親曾の面々ともに結解を罣礙するのみなり。萬里無寸草なり、還吾九十日飯錢來なり。

 黄龍死心和尚云、山僧行脚三十餘年、以九十日爲一夏。増一日也不得、減一日也不得。

 しかあれば、三十餘年の行脚眼、わづかに見徹するところ、九十日爲一夏安居のみなり。たとひ増一日せんとすとも、九十日かへりきたりて競頭參すべし。たとひ減一日せんとすといふとも、九十日かへりきたりて競頭參するものなり。さらに九十日の窟籠を跳脱すべからず。この跳脱は、九十日の窟籠を手脚として勃跳するのみなり。九十日爲一夏は、我箇裏の調度なりといへども、佛祖のみづからはじめてなせるにあらざるがゆゑに、佛々祖々、嫡々正稟して今日にいたれり。

 しかあれば、夏安居にあふは諸佛諸祖にあふなり。夏安居にあふは見佛見祖なり。夏安居ひさしく作佛祖せるなり。この九十日爲一夏、その時量たとひ頂寧量なりといへども、一劫十劫のみにあらず、百千無量劫のみにあらざるなり。餘時は百千無量等の劫波に使得せらる、九十日は百千無量等の劫波を使得するゆゑに、無量劫波たとひ九十日にあふて見佛すとも、九十日かならずしも劫波にかゝはれず。

 しかあれば參學すべし、九十日爲一夏は眼睛量なるのみなり。身心安居者それまたかくのごとし。夏安居の活鱍々地を使得し、夏安居の活鱍々地を跳脱せる、來處あり、職由ありといへども、佗方佗時よりきたりうつれるにあらず、當處當時より起興するにあらず。來處を把定すれば九十日たちまちにきたる、職由を摸索すれば九十日たちまちにきたる。凡聖これを窟宅とせり、命根とせりといへども、はるかに凡聖の境界を超越せり。思量分別のおよぶところにあらず、不思量分別のおよぶところにあらず、思量不思量の不及のみにあらず。

 世尊在摩竭陀國、爲衆説法。是時將欲白夏、乃謂阿難曰、諸大弟子、人天四衆、我常説法、不生敬仰。我今入因沙臼室中、坐夏九旬。忽有人、來問法之時、汝代爲我説、一切法不生、一切法不滅。言訖掩室而坐。

 しかありしよりこのかた、すでに二千一百九十四年〈當日本寛元三年乙巳歳〉なり。堂奥にいらざる兒孫、おほく摩竭掩室を無言説の證據とせり。いま邪黨おもはくは、掩室坐夏の佛意は、それ言説をもちゐるはことごとく實にあらず、善巧方便なり。至理は言語道斷し、心行處滅なり。このゆゑに、無言無心は至理にかなふべし、有言有念は非理なり。このゆゑに、掩室坐夏九旬のあひだ、人跡を斷絶せるなりとのみいひいふなり。これらのともがらのいふところ、おほきに世尊の佛意に孤負せり。

 いはゆる、もし言語道斷、心行處滅を論ぜば、一切の治生産業みな言語道斷し、心行處滅なり。言語道斷とは、一切の言語をいふ。心行處滅とは、一切の心行をいふ。いはんやこの因縁、もとより無言をたうとびんためにはあらず。通身ひとへに泥水し入草して、説法度人いまだのがれず、轉法拯物いまだのがれざるのみなり。もし兒孫と稱ずるともがら、坐夏九旬を無言説なりといはば、還吾九旬坐夏來といふべし。

 阿難に勅令していはく、汝代爲我説、一切法不生、一切法不滅と代説せしむ。この佛儀、いたづらにすごすべからず。おほよそ、掩室坐夏、いかでか無言無説なりとせん。しばらく、もし阿難として當時すなはち世尊に白すべし、一切法不生、一切法不滅。作麼生説。縱説恁麼、要作什麼。かくのごとく白して、世尊の道を聽取すべし。

 おほよそ而今の一段の佛儀、これ説法轉法の第一義諦、第一無諦なり。さらに無言説の證據とすべからず。もしこれを無言説とせば、可憐三尺龍泉剣、徒掛陶家壁上梭ならん。

 しかあればすなはち、九旬坐夏は古轉法輪なり、古佛祖なり。而今の因縁のなかに、時將欲白夏とあり。しるべし、のがれずおこなはるゝ九旬坐夏安居なり、これをのがるゝは外道なり。

 おほよそ世尊在世には、あるいは忉利天にして九旬安居し、あるいは耆闍崛山靜室中にして五百比丘ともに安居す。五天竺國のあひだ、ところを論ぜず、ときいたれば白夏安居し、九夏安居おこなはれき。いま現在せる佛祖、もとも一大事としておこなはるゝところなり。これ修證の無上道なり。梵網經中に冬安居あれども、その法つたはれず、九夏安居の法のみつたはれり。正傳まのあたり五十一世なり。

 清規云、行脚人欲就處所結夏、須於半月前掛搭。所貴茶湯人事、不倉卒。

 いはゆる半月前とは、三月下旬をいふ。しかあれば、三月内にきたり掛搭すべきなり。すでに四月一日よりは、比丘僧ありきせず。諸方の接待および諸寺の旦過、みな門を鎖せり。しかあれば、四月一日よりは、雲衲みな寺院に安居せり、庵裡に掛搭せり。あるいは白衣舎に安居せる、先例なり。これ佛祖の儀なり、慕古し修行すべし。拳頭鼻孔、みな面々に寺院をしめて、安居のところに掛搭せり。

 しかあるを、魔儻いはく、大乘の見解、それ要樞なるべし。夏安居は聲聞の行儀なり、あながちに修習すべからず。かくのごとくいふともがらは、かつて佛法を見聞せざるなり。阿耨多羅三藐三菩提、これ九旬安居坐夏なり。たとひ大乘小乘の至極ありとも、九旬安居の枝葉花菓なり。

 四月三日の粥罷より、はじめてことをおこなふといへども、堂司あらかじめ四月一日より戒臘の榜を理會す。すでに四月三日の粥罷に、戒臘牌を衆寮前にかく。いはゆる前門の下間の窓外にかく。寮窓みな櫺子なり。粥罷にこれをかけ、放參鐘ののち、これををさむ。三日より五日にいたるまでこれをかく。をさむる時節、かくる時節、おなじ。

 かの榜、かく式あり。知事頭首によらず、戒臘のまゝにかくなり。諸方にして頭首知事をへたらんは、おのおの首座監寺とかくなり。數職をつとめたらんなかには、そのうちにつとめておほきならん職をかくべし。かつて住持をへたらんは、某甲西堂とかく。小院の住持をつとめたりといへども、雲水にしられざるは、しばしばこれをかくして稱ぜず。もし師の會裏にしては、西堂なるもの、西堂の儀なし。某甲上座とかく例もあり。おほくは衣鉢侍者寮に歇息する、勝躅なり。さらに衣鉢侍者に充し、あるいは燒香侍者に充する、舊例なり。いはんやその餘の職、いづれも師命にしたがふなり。佗人の弟子のきたれるが、小院の住持をつとめたりといへども、おほきなる寺院にては、なほ首座書記、都寺監寺等に請ずるは、依例なり、芳躅なり。小院の小職をつとめたるを稱ずるをば、叢林わらふなり。よき人は、住持をへたる、なほ小院をばかくして稱ぜざるなり。榜式かくのごとし。

 某國某州某山某寺、今夏結夏海衆、戒臘如後。

  陳如尊者

  堂頭和尚

   建保元戒

    某甲上座    某甲藏主

    某甲上座    某甲上座

   建保二戒

    某甲西堂    某甲維那

    某甲首座    某甲知客

    某甲上座    某甲浴主

   建暦元戒

    某甲直歳  某甲侍者

    某甲首座    某甲首座

    某甲化主    某甲上座

    某甲典座  某甲堂主

   建暦三戒

    某甲書記  某甲上座

    某甲西堂    某甲首座

    某甲上座    某甲上座

 右、謹具呈、若有誤錯、各請指揮。謹状。

  某年四月三日、堂司比丘某甲謹状

 かくのごとくかく。しろきかみにかく。眞書にかく、草書隷書等をもちゐず。かくるには、布線のふとさ兩米粒許なるを、その紙榜頭につけてかくるなり。たとへば、簾額のすぐならんがごとし。四月五日の放參罷にをさめをはりぬ。

 四月八日は佛生會なり。

 四月十三日の齋罷に、衆寮の僧衆、すなはち本寮につきて煎點諷經す。寮主ことをおこなふ。點湯燒香、みな寮主これをつとむ。寮主は衆寮の堂奥に、その位を安排せり。寮首座は、寮の聖僧の左邊に安排せり。しかあれども、寮主いでて燒香行事するなり。首座知事等、この諷經におもむかず。たゞ本寮の僧衆のみおこなふなり。

 維那、あらかじめ一枚の戒臘牌を修理して、十五日の粥罷に、僧堂前の東壁にかく、前架のうへにあたりてかく。正面のつぎのみなみの間なり。

 清規云、堂司預設戒臘牌、香華供養〈在僧堂前設之〉。

 四月十四日の齋後に、念誦牌を僧堂前にかく。諸堂おなじく念誦牌をかく。至晩に、知事あらかじめ土地堂に香華をまうく、額のまへにまうくるなり。集衆念誦す。

 念誦の法は、大衆集定ののち、住持人まづ燒香す。つぎに知事頭首、燒香す。浴佛のときの燒香の法のごとし。つぎに維那、くらゐより正面にいでて、まづ住持人を問訊して、つぎに土地堂にむかうて問訊して、おもてをきたにして、土地堂にむかうて念誦す。詞云、

 竊以薫風扇野、炎帝司方。當法王禁足之辰、是釋子護生之日。躬裒大衆、肅詣靈祠、誦持萬徳洪名、回向合堂眞宰。所祈加護得遂安居。仰憑尊衆念。

 清淨法身毘盧遮那佛  金打

 圓滿報身盧遮那佛   同

 千百億化身釋迦牟尼佛 同

 當來下生彌勒尊佛   同

 十方三世一切諸佛   同

 大聖文殊師利菩薩   同

 大聖普賢菩薩     同

 大悲觀世音菩薩    同

 諸尊菩薩摩訶薩    同

 摩訶般若波羅蜜    同

 上來念誦功徳、竝用回向、護持正法、土地龍神。伏願、神光協贊、發揮有利之勲。梵樂興隆、亦錫無私之慶。再憑尊衆念。

 十方三世一切諸佛 諸尊菩薩摩訶薩 摩訶般若波羅蜜

 ときに鼓響すれば、大衆すなはち雲堂の點湯の座に赴す。點湯は庫司の所辨なり。大衆赴堂し、次第巡堂し、被位につきて正面而坐す。知事一人行法事す。いはゆる燒香等をつとむるなり。

 清規云、本合監院行事。有改維那代之。

 すべからく念誦已前に冩牓して首座に呈す。知事、搭袈裟帶坐具して首座に相見するとき、あるいは兩展三拝しをはりて、牓を首座に呈す。首座、答拝す。知事の拝とおなじかるべし。牓は箱に複秋子をしきて、行者にもたせてゆく。首座、知事をおくりむかふ。

 牓式

   庫司今晩就

   雲堂煎點、特爲

   首座

   大衆、聊表結制之儀。伏冀

   衆慈同垂

   光降。

  寛元三年四月十四日  庫司比丘某甲等謹白

 知事の第一の名字をかくなり。牓を首座に呈してのち、行者をして雲堂前に貼せしむ。堂前の下間に貼するなり。前門の南頬の外面に、牓を貼する板あり。このいた、ぬれり。

 殻漏子あり。殻漏子は、牓の初にならべて、竹釘にてうちつけたり。しかあれば、殻漏子もかたはらに押貼せり。この牓は如法につくれり。五分許の字にかく、おほきにかゝず。殻漏子の表書は、かくのごとくかく。

   状請 首座 大衆    庫司比丘某甲等謹封

 煎點をはりぬれば、牓ををさむ。

 十五日の粥前に、知事頭首、小師法眷、まづ方丈内にまうでて人事す。住持人もし隔宿より免人事せば、さらに方丈にまうづべからず。

 免人事といふは、十四日より、住持人、あるいは頌子あるいは法語をかける牓を、方丈門の東頬に貼せり。あるいは雲堂前にも貼す。

 十五日の陞座罷、住持人、法座よりおりて堦のまへにたつ。拝席の北頭をふみて、面南してたつ。知事、近前して兩展三拝す。

 一展云、此際安居禁足、獲奉巾瓶。唯仗和尚法力資持、願無難事。

 一展、叙寒暄、觸禮三拝。

叙寒暄云者、展坐具三拝了、収坐具、進云、即辰孟夏漸熱。法王結制之辰、伏惟、堂頭和尚、法候動止萬福、下情不勝感激之至。

 かくのごとくして、その次、觸禮三拝。ことばなし、住持人みな答拝す。

 住持人念、此者多幸得同安居、亦冀某〈首座監寺〉人等、法力相資、無諸難事。

 首座大衆、同此式也。

 このとき、首座大衆、知事等、みな面北して禮拝するなり。住持人ひとり面南にして、法座の堦前に立せり。住持人の坐具は、拝席のうへに展ずるなり。

 つぎに首座大衆、於住持人前、兩展三拝。このとき、小師侍者、法眷沙彌、在一邊立。未得與大衆雷同人事。

 いはゆる一邊にありてたつとは、法堂の東壁のかたはらにありてたつなり。もし東壁邊に施主の垂箔のことあらば、法鼓のほとりにたつべし、また西壁邊にも立すべきなり。

 大衆禮拝をはりて、知事まづ庫堂にかへりて主位に立す。つぎに首座すなはち大衆を領して庫司にいたりて人事す。いはゆる知事と觸禮三拝するなり。

 このとき小師侍者法眷等は、法堂上にて住持人を禮拝す。法眷は兩展三拝すべし、住持人の答拝あり。小師侍者、おのおの九拝す。答拝なし。沙彌九拝、あるいは十二拝なり。住持人合掌してうくるのみなり。

 つぎに首座、僧堂前にいたりて、上間の知事床のみなみのはしにあたりて、雲堂の正面にあたりて、面南にて大衆にむかうてたつ。大衆面北して、首座にむかうて觸禮三拝す。首座、大衆をひきて入堂し、戒臘によりて巡堂立定す。知事入堂し、聖僧前にて大展禮三拝しておく。つぎに首座前にて觸禮三拝す。大衆答拝す。知事、巡堂一迊して、いでてくらゐによりて叉手してたつ。

 住持人入堂、聖僧前にして燒香、大展三拝起。このとき、小師於聖僧後避立。法眷隨大衆。

 つぎに住持人、於首座觸禮三拝。

 いはく、住持人、たゞくらゐによりてたち、面西にて觸禮す。首座大衆答拝、さきのごとし。

 住持人、巡堂していづ。首座、前門の南頬よりいでて住持人をおくる。

 住持人出堂ののち、首座已下、對禮三拝していはく、此際幸同安居、恐三業不善、且望慈悲。

 この拝は、展坐具拝三拝なり。かくのごとくして首座書記藏主等、おのおのその寮にかへる。もしそれ衆寮僧は、寮主寮首座已下、おのおの觸禮三拝す。致語は堂中の法におなじ。

 住持人こののち、庫堂よりはじめて巡堂す。次第に大衆相隨、送至方丈。大衆乃退。

 いはゆる住持人まづ庫堂にいたる、知事と人事しをはりて、住持人いでて巡堂すれば、知事しりへにあゆめり。知事のつぎに、東廊のほとりにあるひとあゆめり。住持人このとき延壽院にいらず。東廊より西におりて、山門をとほりて巡寮すれば、山門の邊の寮にある人、あゆみつらなる。みなみより西の廊下および諸寮にめぐる。このとき、西をゆくときは北にむかふ。このときより、安老勤舊前資頤堂單寮のともがら、淨頭等、あゆみつらなれり。維那首座等あゆみつらなるつぎに、衆寮の僧衆あゆみつらなる。巡寮は、寮の便宜によりてあゆみくはゝる。これを大衆相送とはいふ。

 かくのごとくして、方丈の西階よりのぼりて、住持人は方丈の正面のもやの住持人のくらゐによりて、面南にて叉手してたつ。大衆は知事已下みな面北にて住持人を問訊す。この問訊、ことにふかくするなり。住持人、答問訊あり。大衆退す。

 先師は方丈に大衆をひかず、法堂にいたりて、法座の堦前にして面南叉手してたつ、大衆問訊して退す、これ古往の儀なり。

 しかうしてのち、衆僧おのおのこゝろにしたがひて人事す。

 人事とは、あひ禮拝するなり。たとへば、おなじ郷間のともがら、あるいは照堂、あるいは廊下の便宜のところにして、幾十人もあひ拝して、同安居の理致を賀す。しかあれども、致語は堂中の法になずらふ。人にしたがひて今案のことばも存ず。あるいは小師をひきゐたる本師あり、これ小師かならず本師を拝すべし、九拝をもちゐる。法眷の住持人を拝する、兩展三拝なり。あるいはたゞ大展三拝す。法眷のともに衆にあるは、拝おなじかるべし。師叔師伯、またかならず拝あり。隣單隣肩みな拝す、相識道舊ともに拝あり。單寮にあるともがらと、首座書記藏主知客浴司等と、到寮拝賀すべし。單寮にあるともがらと、都寺監寺維那典座直歳西堂尼師道士等とも、到寮到位して拝賀すべし。到寮せんとするに、人しげくして入寮門にひまをえざれば、牓をかきてその寮門におす。その牓は、ひろさ一寸餘、ながさ二寸ばかりなる白紙にかくなり。かく式は、

  某寮   某甲

   拝 賀

 又の式

  巣雲   懷昭等

   拝 賀

 又の式

  某甲

   禮 賀

 又の式

  某甲

   拝 賀

 又の式

  某甲

   禮 拝

かくしき、おほけれど、大旨かくのごとし。しかあれば、門側にはこの牓あまたみゆるなり。門側には左邊におさず、門の右におすなり。この牓は、齋罷に、本寮主をさめとる。今日は、大小諸堂諸寮、みな門簾をあげたり。

 堂頭庫司首座、次第に煎點といふことあり。しかあれども、遠島深山のあひだには省略すべし。たゞこれ禮數なり。退院の長老、および立僧の首座、おのおの本寮につきて、知事頭首のために特爲煎點するなり。

 かくのごとく結夏してより、功夫辦道するなり。衆行を辦肯せりといへども、いまだ夏安居せざるは佛祖の兒孫にあらず、また佛祖にあらず。孤獨園靈鷲山、みな安居によりて現成せり。安居の道場、これ佛祖の心印なり、諸佛の住世なり。

 解夏七月十三日、衆寮煎點諷經。またその月の寮主これをつとむ。

 十四日、晩念誦。

 來日陞堂。人事巡寮煎點、竝同結夏。唯牓状詞語、不同而已。

 庫司湯牓云、庫司今晩、就雲堂煎點、特爲首座大衆、聊表解制之儀。状冀衆慈同垂光降。

                 庫司比丘某甲  白

 土地堂念誦詞云、切以金風扇野、白帝司方。當覺皇解制之時、是法歳周圓之日。九旬無難、一衆咸安。誦持諸佛洪名、仰報合堂眞宰。仰憑大衆念。

 これよりのちは結夏の念誦におなじ。

 陞堂罷、知事等、謝詞にいはく、伏喜法歳周圓、無諸難事。此蓋和尚道力廕林、下情無任感激之至。

 住持人謝詞いはく、此者法歳周圓、皆謝某首座監寺人等法力相資、不任感激之至。

 堂中首座已下、寮中寮主已下、謝詞いはく、九夏相依、三業不善、惱亂大衆、伏望慈悲。知事頭首告云、衆中兄弟行脚、須候茶湯罷、方可隨意如有緊急縁事、不在此限。

 この儀は、これ威音空王の前際後際よりも頂寧量なり。佛祖のおもくすること、たゞこれのみなり。外道天魔のいまだ惑亂せざるは、たゞこれのみなり。三國のあひだ、佛祖の兒孫たるもの、いまだひとりもこれをおこなはざるなし。外道はいまだまなびず、佛祖一大事の本懷なるがゆゑに、得道のあしたより涅槃のゆふべにいたるまで、開演するところ、たゞ安居の宗旨のみなり。西天の五部の僧衆ことなれども、おなじく九夏安居を護持してかならず修證す。震旦の九宗の僧衆、ひとりも破夏せず。生前にすべて九夏安居せざらんをば、佛弟子比丘僧と稱ずべからず。たゞ因地に修習するのみにあらず、果位の修證なり。大覺世尊すでに一代のあひだ、一夏も闕如なく修證しましませり。しるべし、果上の佛證なりといふこと。

 しかあるを、九夏安居は修證せざれども、われは佛祖の兒孫なるべしといふは、わらふべし。わらふにたへざるおろかなるものなり。かくのごとくいはんともがらのこと葉をばきくべからず。共語すべからず、同坐すべからず、ひとつみちをあゆむべからず。佛法には、梵壇の法をもて惡人を治するがゆゑに。

 たゞまさに九夏安居これ佛祖と會取すべし、保任すべし。その正傳しきたれること、七佛より摩訶迦葉におよぶ。西天二十八祖、嫡々正傳せり。第二十八祖みづから震旦にいでて、二祖大祖正宗普覺大師をして正傳せしむ。二祖よりこのかた、嫡々正傳して而今に正傳せり。震旦にいりてまのあたり佛祖の會下にして正傳し、日本國に正傳す。すでに正傳せる會にして九旬坐夏しつれば、すでに夏法を正傳するなり。この人と共住して安居せんは、まことの安居なるべし。まさしく佛在世の安居より嫡々面授しきたれるがゆゑに、佛面祖面まのあたり正傳しきたれり。佛祖身心したしく證契しきたれり。かるがゆゑにいふ、安居をみるは佛をみるなり、安居を證するは佛を證するなり。安居を行ずるは佛を行ずるなり、安居をきくは佛をきくなり、安居をならふは佛を學するなり。

 おほよそ九旬安居を、諸佛諸祖いまだ違越しましまさざる法なり。しかあればすなはち、人王釋王梵王等、比丘僧となりて、たとひ一夏なりといふとも安居すべし。それ見佛ならん。人衆天衆龍衆、たとひ一九旬なりとも、比丘比丘尼となりて安居すべし。すなはち見佛ならん。佛祖の會にまじはりて九旬安居しきたれるは見佛來なり。われらさいはひにいま露命のおちざるさきに、あるいは天上にもあれ、あるいは人間にもあれ、すでに一夏安居するは、佛祖の皮肉骨髓をもて、みづからが皮肉骨髓に換卻せられぬるものなり。佛祖きたりてわれらを安居するがゆゑに、面々人人の安居を行ずるは、安居の人人を行ずるなり。恁麼なるがゆゑに、安居あるを千佛萬祖といふのみなり。ゆゑいかんとなれば、安居これ佛祖の皮肉骨髓、心識身體なり。頂寧眼睛なり、拳頭鼻孔なり。圓相佛性なり、拂子柱杖なり、竹篦蒲團なり。安居はあたらしきをつくりいだすにあらざれども、ふるきをさらにもちゐるにはあらざるなり。

 世尊告圓覺菩薩、及諸大衆、一切衆生言、若經夏首三月安居、當爲清淨菩薩止住。心離聲聞、不假徒衆。至安居日、即於佛前作如是言。我比丘比丘尼、優婆塞優婆夷某甲、踞菩薩乘修寂滅行、同入清淨實相住持。以大圓覺爲我伽藍、心身安居。平等性智、涅槃自性、無繋屬故。今我敬請、不依聲聞、當與十方如來及大菩薩、三月安居。爲修菩薩無上妙覺大因縁故、不繋徒衆。善男子、此名菩薩示現安居。

 しかあればすなはち、比丘比丘尼、優婆塞優婆夷等、かならず安居三月にいたるごとには、十方如來および大菩薩とともに、無上妙覺大因縁を修するなり。しるべし、優婆塞優婆夷も安居すべきなり。この安居のところは大圓覺なり。しかあればすなはち、鷲峰山孤獨園、おなじく如來の大圓覺伽藍なり。十方如來及大菩薩、ともに安居三月の修行あること、世尊のをしへを聽受すべし。

 世尊於一處、九旬安居、至自恣日、文殊倐來在會。迦葉問文殊、今夏何處安居。文殊云、今夏在三處安居。迦葉於是集衆白槌欲擯文殊。纔擧犍槌、即見無量佛刹顯現、一々佛所有一々文殊、有一々迦葉、擧槌欲擯文殊。世尊於是告迦葉云、汝今欲擯阿那箇文殊。于時迦葉茫然。

 圜悟禪師拈古云、

  鐘不撃不響 鼓不打不鳴 迦葉既把定要津 文殊乃十方坐斷

  當時好一場佛事 可惜放過一著

 待釋迦老子道欲擯阿那箇文殊、便與撃一槌看、佗作什麼合殺。

 圜悟禪師頌古云、

  大象不遊兎徑 燕雀安知鴻鵠 據令宛若成風 破的渾如囓鏃

  徧界是文殊 徧界是迦葉 相對各儼然 擧椎何處罰 好一箚

  金色頭陀曾落卻

 しかあればすなはち、世尊一處安居、文殊三處安居なりといへども、いまだ不安居あらず。もし不安居は、佛及菩薩にあらず。佛祖の兒孫なるもの安居せざるはなし、安居せんは佛祖の兒孫としるべし。安居するは佛祖の身心なり、佛祖の眼睛なり、佛祖の命根なり。安居せざらんは佛祖の兒孫にあらず、佛祖にあらざるなり。いま泥木素金七寶の佛菩薩、みなともに安居三月の夏坐おこなはるべし。これすなはち住持佛法僧寶の故實なり、佛訓なり。

 おほよそ佛祖の屋裏人、さだめて坐夏安居三月、つとむべし。

 

 正法眼藏第七十二

 

  爾時寛元三年乙巳夏安居六月十三日在越宇大佛寺示衆

 

正法眼蔵を読み解く安居」(二谷正信著)

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/ango

 

詮慧・経豪による註解書については

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2020/03/12/000000

 

如浄語録(漢文)

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/nyojou-goroku

 

禅研究に関しては、月間アーカイブをご覧ください

https://karnacitta.hatenablog.jp/

 

道元永平寺―『福井県史』通史編2中世より抜書(一部改変)

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2021/08/14/173407