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現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵第七二 安居 註解(聞書・抄)

 

詮慧・経豪 正法眼蔵第七二 安居 註解(聞書・抄)

先師天童古仏、結夏小参云、平地起骨堆、虚空剜窟籠。驀透両重関、拈却黒漆桶。

詮慧

〇「先師天童古仏―黒漆桶、平地起骨堆」と云う。一年三百六十日四季の間、別に不可有、取捨而今結夏九旬と取る、これを「平地骨堆」と云う。夏九旬は骨堆となるべし、平地は三百六十日也。

〇「虚空剜窟籠」と云う子細、同上地に付けて云う時は、骨堆と出だし空に付けて云う時は、窟籠を出だすなり。

〇「驀透両重関」と云う、骨堆と窟籠と、この二を両重関と仕う也。

〇「拈却黒漆桶」と云う。これ解脱の詞に仕う、古より云い来也。

経豪

  • 是は天童結夏時の小参(大正四八・一二九a)御詞を被載歟。「平地起骨堆、虚空に剜窟籠」と云う詞は、虚空の辺際なきに剜窟籠。「平地に起骨堆」とは、平地にわづかなる土を置きなんとする程に心得て、一年中は三珀五十余日也。一夏と云うは九十日、わづかの光陰などを思いぬべき所を如此云わるる也。文の面は如此聞きたり、然而仏祖所談の「平地起骨堆、虚空剜窟籠」、全勝劣浅深軽重多少あるべからず。平地も骨堆も、虚空も窟籠も、只同じだけなるべし。然者九十日はわづかなる時分、所残の日数は多かるべしなどと努々不可心得。此の九十日、多少増減に拘わるべきに非ず、三世九世無量無数劫などと云う程の道理なるべし。「驀透両重関、拈却黒漆桶」すとは、解脱の理也と心得ぬべき也。此の条不可然。如此談ずれば、前の両重の詞、悪しく成りて捨てらるべし。然者取捨に関わる咎ありぬべし。此の両重の詞がやがて、黒漆桶の道理なるなり。如此心得は、一夏九十日の外の月日、全取捨勝劣の義を解脱する也。

 

しかあれば、得遮巴鼻子了、未免喫飯伸脚睡、在這裏三十年なり。すでにかくのごとくなるゆゑに、打併調度、いとまゆるくせず。その調度に九夏安居あり。これ仏々祖々の頂□(寧+頁)面目なり。皮肉骨髄に親曾しきたれり。

詮慧

〇「未免喫飯伸脚睡、在這裏三十年」と云う、無量劫も皆、結夏の這裏也となり。

経豪

  • 「得遮巴鼻子了未―三十年也」とは、得遮巴鼻子とは右の道理を得つればと云うなり。「未免喫飯―三十年也」とは、ただ喫飯伸脚睡在這裏三十年と云えば、ただいたづらに如此して、三十年あるべきかと聞こゆ。争(か)仏祖の行儀さる事はあるべき。仏祖の喫飯の姿、伸脚睡在這裏の道理、先々沙汰旧了。所詮坐禅辦道功夫の姿を以て、如此可談也、三十年なるべし。祖師の詞に常三十年と云う事を被仕、別に就之所表あるべからず。如此ある調度いとまゆるくせざる中に、詮は今は九夏安居と云う義ありと云う也。

 

仏祖の眼睛頂□(寧+頁)を拈来して、九夏の日月とせり。

安居一枚、すなはち仏々祖々と喚作せるものなり。安居の頭尾、これ仏祖なり。このほかさらに寸土なし、大地なし。夏安居の一橛、これ新にあらず旧にあらず、来にあらず去にあらず。

経豪

  • 今は以九夏安居、仏々祖々の頂□(寧+頁)面目とし、皮肉骨髄也と可談也。「仏祖の眼睛頂□(寧+頁)を拈来して、九夏の日月とせり」とあり、分明に聞きたり。
  • 如御釈、無別子細。以安居談仏祖之条分明なり。「安居の頭尾」とは、首尾と云うなり。安居の外に、余れる不可有寸土、勿論事也。又此の一夏安居、打ち任せては四月に結夏し、七月に解夏すれば、去来とこそ見たれども今の安居の姿、新にあらず旧にあらず、非来非去と云わるべき道理也。

 

その量は拳頭量なり、その様は巴鼻様なり。

しかあれども、結夏のゆゑにきたる、虚空塞破せり、あまれる十方あらず。解夏のゆゑにさる、迊地を裂破す、のこれる寸土あらず。このゆゑに結夏の公案現成する、きたるに相似なり。解夏の籮籠打破する、さるに相似なり。

詮慧

〇結夏を罣礙するのみ成と云う。彼此こそ罣礙と云う事はあれども、これは夏ならぬ寸土なしと云う程に成りぬれば、結夏は開夏を罣礙し、開夏結夏を罣礙すれば如此云也。

〇「虚空塞・迊地裂破」これは虚空剜窟籠・平地起骨堆、程の詞也。無別相歟。

〇結解と云う、結夏と開夏との事を引き合わせて云う也。

経豪

  • 「拳頭量・巴鼻様」とあり、此の拳頭・巴鼻共に可尽法界故に、此の安居の証據に被引出歟。
  • 是は右の道理、「結夏の故に来たる」となり、所詮「来」と云うも「去」と云うも「虚空塞破」と談ずるも、「迊地裂破」と云うも、皆結夏安居の上に可談なり。故に「あまれる十方あらず」と云い、「のこれる寸土あらず」と云う也。如前云、「結夏の現成は、来たるに相似」なれども、今の結夏の姿は、「籮籠打破」するなり、去るに相似なれども、親曾の面々ともに、結解を罣礙する也と云うなり。結夏は来に相似なり、解夏は去に相似なれども、此の結夏の姿共に、旧見の去来にあらざる所を親曾の面々ともに、結解を罣礙するのみ也とは云うなるべし。此の結解を親曾の去来が罣礙したる理なるべし。

 

かくのごとくなれども、親曾の面々ともに結解を罣礙するのみなり。万里無寸草なり、還吾九十日飯銭来なり。

詮慧

〇結解と云う結夏と開夏との事を引き合わせて云う也。

〇「還吾九十日飯銭来」と云う。一夏の九旬を空(しく)過さんは、いたづらなれば飯銭を還せと也。但、この吾は誰に対するにてなき時に還すと云うも、ただ夏を還すなるべし。

経豪

  • 「万里無寸草」とは、一法究尽の理、又此の外に物なき所を云う也。又「還吾九十日」とは、『仏性』の草子に、「還我仏性来」と云いし詞に同じき也。今の安居の外に物なき所が、還吾九十日とは云わるる也。「飯銭来」と云う詞は、九旬は別にて、行人此外にあるに似たり。但今の「我」と「九旬」と「飯」と「銭」と、取り放たれぬ所の道理が、還吾九十日飯銭来と云わるる也。

 

黄龍死心和尚云、山僧行脚三十余年、以九十日為一夏。増一日也不得、減一日也不得。しかあれば、三十余年の行脚眼、わづかに見徹するところ、九十日為一夏安居のみなり。

たとひ増一日せんとすとも、九十日かへりきたりて競頭参すべし。たとひ減一日せんとすといふとも、九十日かへりきたりて競頭参するものなり。さらに九十日の窟籠を跳脱すべからず。この跳脱は、九十日の窟籠を手脚として勃跳するのみなり。

九十日為一夏は、我箇裏の調度なりといへども、仏祖のみづからはじめてなせるにあらざるがゆゑに、仏々祖々、嫡々正稟して今日にいたれり。しかあれば、夏安居にあふは諸仏諸祖にあふなり。夏安居にあふは見仏見祖なり。夏安居ひさしく作仏祖せるなり。

詮慧 死心和尚段

〇「山僧行脚―減一日也不得」行脚は歩く脚也。是は結夏の前段を行脚の時刻とは云うべし。三十年を一夏の見徹と云い、行脚眼とす。

〇「増一日也不得・減一日也不得」と云う。まことに一日也とも増減すとも九十日還り来たりて競頭参すべし」と云う。三十年行脚眼皆一夏九旬なるべし。

経豪

  • 是は三十余年の詞、如前云。「増一日」と云うも「減一日」と云うも、只安居の上の増滅不可有、辺際不得も又、得不得に拘わらぬ安居の道理なるべし。此の「三十余年の行脚眼、わづかに見徹する所、九十日為一夏安居」とは、今の三十余年の行脚眼、わづかに九十日為一夏と云えば、狭少なる詞のように聞こえたり、非爾。「見徹する所」とあり。今の見徹の理と云うは、この九十日為一夏安居を仏祖と談ずる上は、更(に)多少の数に拘わるべからず。只無始無終無辺際なる道理のゆく所を、今は見徹とは談ずる也。然者「わづかに」と云う詞、有と云うとも、無量劫の詞に同じ。一夏の詞如此なるべし。
  • 如前云。此の増減の詞不可有辺際。安居の上の増減、安居の上の一日なるべし。「増一日と云うとも減一日と云うも、九十日帰り来て競頭参ず」と云うは、此の道理なるべし。故に「九十日の窟籠を跳脱すべからず」とは云う也。又「此の跳脱は、九十日の窟籠を手脚として□(足+孛)跳す」とは、以今九十日、手とし足として、□(足+孛)跳するなりと云う也。此の心は只所詮九十日の外に、交物なき道理が、如此云わるる也。如此談ずれば、又旧見の手脚をば離(る)也。
  • 今の「我箇裏」とある我は吾我の我にあらず。「九十日為一夏」の姿を以て我箇裏とは可談也。此の九十日為一夏の姿、誠(に)仏祖の調度也と云えども、仏祖の初めて為せるにはあらず。無始本有の道理の所致なり。「仏々祖々正稟して今日に到れり」とあり、如御釈。

この九十日為一夏、その時量たとひ頂□(寧+頁)量なりといへども、一劫十劫のみにあらず、百千無量劫のみにあらざるなり。余時は百千無量等の劫波に使得せらる、九十日は百千無量等の劫波を使得するゆゑに、無量劫波たとひ九十日にあふて見仏すとも、九十日かならずしも劫波にかかはれず。あれば参学すべし、九十日為一夏は眼睛量なるのみなり。身心安居者それまたかくのごとし。夏安居の活々地を使得し、夏安居の活々地を跳脱せる、来処あり、職由ありといへども、他方他時よりきたりうつれるにあらず、当処当時より起興するにあらず。来処を把定すれば九十日たちまちにきたる、職由を摸索すれば九十日たちまちにきたる。凡聖これを窟宅とせり、命根とせりといへども、はるかに凡聖の境界を超越せり。思量分別のおよぶところにあらず、不思量分別のおよぶところにあらず、思量不思量の不及のみにあらず。

詮慧

〇「凡聖これを窟宅とせり、命根とせりと云えども、はるかに凡聖の境界を超越せり」と云う。まことに凡聖は一夏の這裏に結夏することあれども、凡聖の道を超越の法なる故に如此云うなり。

経豪

  • 是は如御釈。此の「九十日為一夏・一劫十劫・乃至百千無量劫」等の数に拘わるべからざるなり。「余時」と指すは、数に関わる一劫十劫・百千無量劫等の劫波に使得せらるる也。今の「九十日は百千無量等の劫波を使得するなり、故は余時の百千無量」と云うは、今の九十日接在する故に、九十日は、百千無量の劫波を使得すとは云う也。「無量劫は喩い、九十日に逢うて見仏すとも、九十日必ずしも劫波に拘われず」とは、此の見仏の詞ぞ。ふと指し出でたるように聞こゆれども、只所詮、此の九十日は劫波を透脱する故に劫波に拘われずとは云う也。
  • 是は九十日為一夏の姿(は)眼睛なるべしと云う也。又身の安居・心の安居と云う事あるべし。九旬を身とも心とも談ずる故に、「夏安居の活鱍々地を使得し、夏安居の活鱍々地を跳脱せる来処あり、職由ありと云えども、他方他時より来たり移れるにあらず。当処当時より起興するにあらず、来処を把定すれば、九十日忽ちに来たる」とは、来処あり、職由ありと云うも、他方他時より来たり移るにあらず。来処を把定し、職由を模索すると云うも、皆九十日より来たると云うなり。
  • 「凡聖ともに九旬安居を窟宅とし、命根とすれども、はるかに凡聖の境界を超越すべき也」。其の超越の理と云うは、今所談の九旬安居の道理なるべし、是を指して如是云也。

 

世尊在摩竭陀国、為衆説法。是時将欲白夏、乃謂阿難曰、諸大弟子、人天四衆、我常説法、不生敬仰。我今入因沙臼室中、坐夏九旬。忽有人、來問法之時、汝代為我説、一切法不生、一切法不滅。言訖掩室而坐。しかありしよりこのかた、すでに二千一百九十四年〈当日本寛元三年乙巳歳〉なり。

堂奥にいらざる児孫、おほく摩竭掩室を無言説の証據とせり。いま邪党おもはくは、掩室坐夏の仏意は、それ言説をもちゐるはことごとく実にあらず、善巧方便なり。至理は言語道断し、心行処滅なり。このゆゑに、無言無心は至理にかなふべし、有言有念は非理なり。このゆゑに、掩室坐夏九旬のあひだ、人跡を断絶せるなりとのみいひいふなり。これらのともがらのいふところ、おほきに世尊の仏意に孤負せり。

詮慧 世尊段

〇「世尊在摩竭陀国―掩室而坐」。此の摩竭掩室を無言説と取ること邪党なり。仏三七日思惟時とて無言也と思う僻見なり。初七日は自受法楽後二七日専説なり。而二乗其機にあらざる故に、思惟ばかりなりと思われんべき物なり。

経豪

  • 具見于文、是は無別子細。世尊の今掩室に坐し給いたりしを、無言説の証據に引く。祖門所談の有言無言全不可然、其子細次々の御釈に委細なり。
  • 如御釈。打ち任せたる人の見解を被破なり、多分如此存たり。「孤負」とは、そむくと云う詞なり。

 

いはゆる、もし言語道断、心行処滅を論ぜば、一切の治生産業みな言語道断し、心行処滅なり。言語道断とは、一切の言語をいふ。心行処滅とは、一切の心行をいふ。いはんやこの因縁、もとより無言をたうとびんためにはあらず。通身ひとへに泥水し入草して、説法度人いまだのがれず、転法拯物いまだのがれざるのみなり。

もし児孫と称ずるともがら、坐夏九旬を無言説なりといはば、還吾九旬坐夏来といふべし。

阿難に勅令していはく、汝代為我説、一切法不生、一切法不滅と代説せしむ。

この仏儀、いたづらにすごすべからず。おほよそ、掩室坐夏、いかでか無言無説なりとせん。

しばらく、もし阿難として当時すなはち世尊に白すべし、一切法不生、一切法不滅。作麼生説。縱説恁麼、要作什麼。かくのごとく白して、世尊の道を聴取すべし。おほよそ而今の一段の仏儀、これ説法転法の第一義諦、第一無諦なり。さらに無言説の証據とすべからず。もしこれを無言説とせば、可憐三尺龍泉剣、徒掛陶家壁上梭ならん。

詮慧

〇「言語道断・心行処滅を論ぜば、一切の治生産業みな言語道断し心行処滅也」と云う。一色一香無非中道と談ずる事あり、是を言語道断と云う。仏道には非有非空と云う詞を置いて、これが不及所を我身心に仰せて言語道断と云う。こなたには一切の言語を尋るに来にあらず去にあらざれば、これを道断と仕い所(処)滅と仕う。治生産業を皆与実相と経に説く、是を諸法実相なれば産業実相とやがて云うは審細ならず。事理不二と談ずるに、理は事を不離、事は理を不離と(云う)云い方にてこそ、諸方をば実相とも云え。但これも能所あり隠没に関わるべし。三世不可得を説くにも、教には「過去すでに去る、見在不往未来」(『大乗広百論釈論』五(「大正蔵」三〇・二〇五下)。未だ来たらねば、すべて可得ものなきを不可得と云う。是も得の字を境に対して心得る時の義也。過去不可得・過去見在不可得。見在未来不可得、すべて不可得より外の法なきをこそ三世不可得とも云え、今は九夏の外の寸土なし大地なき上は、治生産業とて残すべき法なし。又言語ならぬ産も有るまじければ、是こそ実の言語道断とは云うべけれと也。

〇「坐夏九旬を無言説也と云わば、還吾九旬坐夏來と云う」。一夏を無言説の時刻と云うべくは、結夏無其詮われにかえせと也。

〇「一切法不生・一切法不滅」の理は、「作麼生説・縱説恁麼・要作什麼」と云う。阿難すでに仏の説を解する故に如此示也。不生不滅の道理は、「如此説かるるが故に世尊道を聴取す」と云うもこれなり。

経豪 

  • 如文。「言語道断」とは、詞にて云い表したき所を多分名(づけ)たり。今は「一切の治生産業、皆言語道断也、心行所滅也」とあれば、旧見に違(い)たる条勿論事也。「一切の治生産業」とは、世間(の)諸事を為すを云う也。又「通身ひとへに泥水し、入草して、説法度人」とは、説法とは口業の能を云う、今は通身を説法と談ずべし、泥水入草の姿(が)説法度人なるべし。此の道理こそ「転法拯物」とは云わるべけれ。
  • 此の「九旬を無言説也と云わば、還吾九旬坐夏来と云うべし」とは、打ち任せては無言説とは、如前云う言語絶えて云うべき所なきを名づく。今仏祖の児孫と称する輩の上に、坐夏九旬を無言説と云わば、還吾九旬坐夏来と云うべしとは、九旬の姿と行人との各別ならざる所が、坐夏来とは云わるるなり。
  • 是は如前云。「掩室坐夏の姿を無言無説」と云う事を被破。「一切法不生・一切法不滅と代説せしむ」とは、一切の法・不生不滅の道理、今更不及云事旧了。
  • 是は阿難に代わりて、しばらく「阿難如此、世尊に白すべし」と、先師此の道理を被述也。又「一切法不生・一切法不滅・作麼生説・縱説恁麼・要作什麼」とは、如文云いて、世尊の道を聞くべしと也。

 

しかあればすなはち、九旬坐夏は古転法輪なり、古仏祖なり。而今の因縁のなかに、時将欲白夏とあり。しるべし、のがれずおこなはるゝ九旬坐夏安居なり、これをのがるゝは外道なり。おほよそ世尊在世には、あるいは忉利天にして九旬安居し、あるいは耆闍崛山静室中にして五百比丘ともに安居す。五天竺国のあひだ、ところを論ぜず、ときいたれば白夏安居し、九夏安居おこなはれき。いま現在せる仏祖、もとも一大事としておこなはるゝところなり。これ修証の無上道なり。梵網経中に冬安居あれども、その法つたはれず、九夏安居の法のみつたはれり。正伝まのあたり五十一世なり。

詮慧

〇凡そ「無言説」と云う事、凡夫(の)心得そらすなり。しばらくも不可間断仏儀は、「これ説法転法の第一義諦、第一無諦なり。さらに無言説の証據とすべからず」と云う。たとい仏無言なるべくとも、すでに阿難に仰せて汝代為我説、一切法不生・一切法不滅は被仰あさた(この字不定)なる説なるべし。

〇「汝代為我説」と云えり為法捨身の義に当たるべき仏の面目は、「一切法不生・一切法不滅」なり。

〇「龍泉剣」と云う。是は「可憐三尺龍泉剣、徒掛陶家壁上梭ならん」と云うは、九旬結夏を無言説と思わん。只いたづらに剣を家の壁に掛けたらん如しと云う。

経豪

  • 所詮此の無言無説、掩室坐夏。是の姿を「転法の第一義諦、第一無諦」と談ずべき也。かかる第一無諦等の姿を「無言説」とせば、由々しき剣をいたづらに陶家つくり、風情の怪しき物の家の壁上に、掛けたらん程の事と被嫌なり。
  • 是又如御釈。「時将欲白夏」とは、世尊も時将白夏とあり。然者のがれず、「九旬坐夏安居」怠らざる証拠に被引なり。

 

清規云、行脚人欲就処所結夏、須於半月前掛搭。所貴茶湯人事、不倉卒。いはゆる半月前とは、三月下旬をいふ。しかあれば、三月内にきたり掛搭すべきなり。すでに四月一日よりは、比丘僧ありきせず。諸方の接待および諸寺の旦過、みな門を鎖せり。しかあれば、四月一日よりは、雲衲みな寺院に安居せり、庵裡に掛搭せり。あるいは白衣舎に安居せる、先例なり。これ仏祖の儀なり、慕古し修行すべし。拳頭鼻孔、みな面々に寺院をしめて、安居のところに掛搭せり。しかあるを、魔儻いはく、大乘の見解、それ要枢なるべし。夏安居は声聞の行儀なり、あながちに修習すべからず。かくのごとくいふともがらは、かつて仏法を見聞せざるなり。阿耨多羅三藐三菩提、これ九旬安居坐夏なり。たとひ大乗小乗の至極ありとも、九旬安居の枝葉花菓なり。四月三日の粥罷より、はじめてことをおこなふといへども、堂司あらかじめ四月一日より戒臘の榜を理会す。すでに四月三日の粥罷に、戒臘牌を衆寮前にかく。いはゆる前門の下間の窓外にかく。寮窓みな櫺子なり。粥罷にこれをかけ、放参鐘ののち、これををさむ。三日より五日にいたるまでこれをかく。をさむる時節、かくる時節、おなじ。かの榜、かく式あり。知事頭首によらず、戒臘のまゝにかくなり。諸方にして頭首知事をへたらんは、おのおの首座監寺とかくなり。数職をつとめたらんなかには、そのうちにつとめおほきならん職をかくべし。かつて住持をへたらんは、某甲西堂とかく。小院の住持をつとめたりといへども、雲水にしられざるは、しばしばこれをかくして稱ぜず。もし師の会裏にしては、西堂なるもの、西堂の儀なし。某甲上座とかく例もあり。おほくは衣鉢侍者寮に歇息する、勝躅なり。さらに衣鉢侍者に充し、あるいは焼香侍者に充する、旧例なり。いはんやその余の職、いづれも師命にしたがふなり。他人の弟子のきたれるが、小院の住持をつとめたりといへども、おほきなる寺院にては、なほ首座書記、都寺監寺等に請ずるは、依例なり、芳躅なり。小院の小職をつとめたるを称ずるをば、叢林わらふなり。よき人は、住持をへたる、なほ小院をばかくして称ぜざるなり。榜式かくのごとし。

 某国某州某山某寺、今夏結夏海衆、戒臘如後。

  陳如尊者

  堂頭和尚

   建保元戒

    某甲上座    某甲藏主

    某甲上座    某甲上座

   建保二戒

    某甲西堂    某甲維那

    某甲首座    某甲知客

    某甲上座    某甲浴主

   建暦元戒

    某甲直歳  某甲侍者

    某甲首座    某甲首座

    某甲化主    某甲上座

    某甲典座  某甲堂主

   建暦三戒

    某甲書記  某甲上座

    某甲西堂    某甲首座

    某甲上座    某甲上座

 右、謹具呈、若有誤錯、各請指揮。謹状。

  某年四月三日、堂司比丘某甲謹状

かくのごとくかく。しろきかみにかく。真書にかく、草書隷書等をもちゐず。かくるには、布線のふとさ両米粒許なるを、その紙榜頭につけてかくるなり。たとへば、簾額のすぐならんがごとし。四月五日の放参罷にをさめをはりぬ。四月八日は仏生会なり。四月十三日の斎罷に、衆寮の僧衆、すなはち本寮につきて煎点諷経す。寮主ことをおこなふ。点湯焼香、みな寮主これをつとむ。寮主は衆寮の堂奥に、その位を安排せり。寮首座は、寮の聖僧の左辺に安排せり。しかあれども、寮主いでて焼香行事するなり。首座知事等、この諷経におもむかず。たゞ本寮の僧衆のみおこなふなり。維那、あらかじめ一枚の戒臘牌を修理して、十五日の粥罷に、僧堂前の東壁にかく、前架のうへにあたりてかく。正面のつぎのみなみの間なり。

経豪

  • 無殊子細文に見たり。「旦過」とは寺に客僧来(たり)集まる処を云う歟。結夏以後は、僧の来去す(さ)まじき故なり。
  • 是又如文。「白衣舎」とは必ず寺院に交わりて、此れ作法等なくとも、在家の中にしても只入りて、九旬安居行わん先例也とあり。又「拳頭鼻孔、皆面々に寺院をしめて、安居の所に掛搭せり」とは、只僧の面々に寺院をしめて、安居する姿を、拳頭鼻孔、皆面々に寺院をしむとは云うなり。已下同文。「魔儻いはく」とあるは、邪見を指すなるべし。
  • 是以下は、一向寺院の結夏安居の儀式を被引、如文。

 

清規云、堂司預設戒臘牌、香華供養〈在僧堂前設之〉。四月十四日の斎後に、念誦牌を僧堂前にかく。諸堂おなじく念誦牌をかく。至晩に、知事あらかじめ土地堂に香華をまうく、額のまへにまうくるなり。集衆念誦す。念誦の法は、大衆集定ののち、住持人まづ燒香す。つぎに知事頭首、焼香す。浴仏のときの焼香の法のごとし。つぎに維那、くらゐより正面にいでて、まづ住持人を問訊して、つぎに土地堂にむかうて問訊して、おもてをきたにして、土地堂にむかうて念誦す。詞云、竊以薫風扇野、炎帝司方。当法王禁足之辰、是釈子護生之日。躬裒大衆、肅詣霊祠、誦持万徳洪名、回向合堂真宰。所祈加護得遂安居。仰憑尊衆念。清浄法身毘盧遮那仏 金打。円満報身盧遮那仏 同。千百億化身釈迦牟尼仏 同。当来下生弥勒尊仏 同。十方三世一切諸仏 同。大聖文殊師利菩薩 同。大聖普賢菩薩  同。大悲観世音菩薩 同。諸尊菩薩摩訶薩 同。摩訶般若波羅蜜 同。上来念誦功徳、竝用回向、護持正法、土地龍神。伏願、神光協賛、発揮有利之勲。梵楽興隆、亦錫無私之慶。再憑尊衆念。十方三世一切諸仏 諸尊菩薩摩訶薩 摩訶般若波羅蜜。ときに鼓響すれば、大衆すなはち雲堂の点湯の座に赴す。点湯は庫司の所辨なり。大衆赴堂し、次第巡堂し、被位につきて正面而坐す。知事一人行法事す。いはゆる焼香等をつとむるなり。清規云、本合監院行事。有改維那代之。すべからく念誦已前に写牓して首座に呈す。知事、搭袈裟帯坐具して首座に相見するとき、あるいは両展三拝しをはりて、牓を首座に呈す。首座、答拝す。知事の拝とおなじかるべし。牓は箱に複秋子をしきて、行者にもたせてゆく。首座、知事をおくりむかふ。牓式。庫司今晩就。雲堂煎点、特為

首座。大衆、聊表結制之儀。伏冀衆慈同垂光降。寛元三年四月十四日。庫司比丘某甲等謹白

知事の第一の名字をかくなり。牓を首座に呈してのち、行者をして雲堂前に貼せしむ。堂前の下間に貼するなり。前門の南頬の外面に、牓を貼する板あり。このいた、ぬれり。殻漏子あり。殻漏子は、牓の初にならべて、竹釘にてうちつけたり。しかあれば、殻漏子もかたはらに押貼せり。この牓は如法につくれり。五分許の字にかく、おほきにかゝず。殻漏子の表書は、かくのごとくかく。状請 首座 大衆 庫司比丘某甲等謹封。煎点をはりぬれば、牓ををさむ。十五日の粥前に、知事頭首、小師法眷、まづ方丈内にまうでて人事す。住持人もし隔宿より免人事せば、さらに方丈にまうづべからず。免人事といふは、十四日より、住持人、あるいは頌子あるいは法語をかける牓を、方丈門の東頬に貼せり。あるいは雲堂前にも貼す。十五日の陞座罷、住持人、法座よりおりて堦のまへにたつ。拝席の北頭をふみて、面南してたつ。知事、近前して両展三拝す。一展云、此際安居禁足、獲奉巾瓶。唯仗和尚法力資持、願無難事。

一展、叙寒暄、触礼三拝。叙寒暄云者、展坐具三拝了、収坐具、進云、即辰孟夏漸熱。法王結制之辰、伏惟、堂頭和尚、法候動止万福、下情不勝感激之至。かくのごとくして、その次、触礼三拝。ことばなし、住持人みな答拝す。

 住持人念、此者多幸得同安居、亦冀某〈首座監寺〉人等、法力相資、無諸難事。

 首座大衆、同此式也。

 このとき、首座大衆、知事等、みな面北して礼拝するなり。住持人ひとり面南にして、法座の堦前に立せり。住持人の坐具は、拝席のうへに展ずるなり。

 つぎに首座大衆、於住持人前、両展三拝。このとき、小師侍者、法眷沙弥、在一辺立。未得与大衆雷同人事。いはゆる一辺にありてたつとは、法堂の東壁のかたはらにありてたつなり。もし東壁辺に施主の垂箔のことあらば、法鼓のほとりにたつべし、また西壁に辺も立すべきなり。大衆礼拝をはりて、知事まづ庫堂にかへりて主位に立す。つぎに首座すなはち大衆を領して庫司にいたりて人事す。いはゆる知事と触礼三拝するなり。このとき小師侍者法眷等は、法堂上にて住持人を礼拝す。法眷は両展三拝すべし、住持人の答拝あり。小師侍者、おのおの九拝す。答拝なし。沙弥九拝、あるいは十二拝なり。住持人合掌してうくるのみなり。つぎに首座、僧堂前にいたりて、上間の知事床のみなみのはしにあたりて、雲堂の正面にあたりて、面南にて大衆にむかうてたつ。大衆面北して、首座にむかうて触礼三拝す。首座、大衆をひきて入堂し、戒臘によりて巡堂立定す。知事入堂し、聖僧前にて大展礼三拝しておく。つぎに首座前にて触礼三拝す。大衆答拝す。知事、巡堂一迊して、いでてくらゐによりて叉手してたつ。住持人入堂、聖僧前にして焼香、大展三拝起。このとき、小師於聖僧後避立。法眷随大衆。

つぎに住持人、於首座触礼三拝。いはく、住持人、たゞくらゐによりてたち、面西にて触礼す。首座大衆答拝、さきのごとし。住持人、巡堂していづ。首座、前門の南頬よりいでて住持人をおくる。住持人出堂ののち、首座已下、対礼三拝していはく、此際幸同安居、恐三業不善、且望慈悲。この拝は、展坐具拝三拝なり。かくのごとくして首座書記蔵主等、おのおのその寮にかへる。もしそれ衆寮僧は、寮主寮首座已下、おのおの触礼三拝す。致語は堂中の法におなじ。住持人こののち、庫堂よりはじめて巡堂す。次第に大衆相随、送至方丈。大衆乃退。

いはゆる住持人まづ庫堂にいたる、知事と人事しをはりて、住持人いでて巡堂すれば、知事しりへにあゆめり。知事のつぎに、東廊のほとりにあるひとあゆめり。住持人このとき延寿院にいらず。東廊より西におりて、山門をとほりて巡寮すれば、山門の辺の寮にある人、あゆみつらなる。みなみより西の廊下および諸寮にめぐる。このとき、西をゆくときは北にむかふ。このときより、安老勤旧前資頤堂単寮のともがら、浄頭等、あゆみつらなれり。維那首座等あゆみつらなるつぎに、衆寮の僧衆あゆみつらなる。巡寮は、寮の便宜によりてあゆみくはゝる。これを大衆相送とはいふ。かくのごとくして、方丈の西階よりのぼりて、住持人は方丈の正面のもやの住持人のくらゐによりて、面南にて叉手してたつ。大衆は知事已下みな面北にて住持人を問訊す。この問訊、ことにふかくするなり。住持人、答問訊あり。大衆退す。

 先師は方丈に大衆をひかず、法堂にいたりて、法座の堦前にして面南叉手してたつ、大衆問訊して退す、これ古往の儀なり。しかうしてのち、衆僧おのおのこゝろにしたがひて人事す。

人事とは、あひ礼拝するなり。たとへば、おなじ郷間のともがら、あるいは照堂、あるいは廊下の便宜のところにして、幾十人もあひ拝して、同安居の理致を賀す。しかあれども、致語は堂中の法になずらふ。人にしたがひて今案のことばも存ず。あるいは小師をひきゐたる本師あり、これ小師かならず本師を拝すべし、九拝をもちゐる。法眷の住持人を拝する、両展三拝なり。あるいはたゞ大展三拝す。法眷のともに衆にあるは、拝おなじかるべし。師叔師伯、またかならず拝あり。隣単隣肩みな拝す、相識道旧ともに拝あり。単寮にあるともがらと、首座書記蔵主知客浴司等と、到寮拝賀すべし。単寮にあるともがらと、都寺監寺維那典座直歳西堂尼師道士等とも、到寮到位して拝賀すべし。到寮せんとするに、人しげくして入寮門にひまをえざれば、牓をかきてその寮門におす。その牓は、ひろさ一寸余、ながさ二寸ばかりなる白紙にかくなり。かく式は、某寮 某甲。拝賀。又の式 巣雲 懷昭等。拝賀。又の式 某甲 礼 賀。又の式 某甲。拝賀。又の式 某甲。礼拝。かくしき、おほけれど、大旨かくのごとし。しかあれば、門側にはこの牓あまたみゆるなり。門側には左辺におさず、門の右におすなり。この牓は、斎罷に、本寮主をさめとる。今日は、大小諸堂諸寮、みな門簾をあげたり。堂頭庫司首座、次第に煎点といふことあり。しかあれども、遠島深山のあひだには省略すべし。たゞこれ礼数なり。退院の長老、および立僧の首座、おのおの本寮につきて、知事頭首のために特為煎点するなり。かくのごとく結夏してより、功夫辦道するなり。衆行を辦肯せりといへども、いまだ夏安居せざるは仏祖の兒孫にあらず、また仏祖にあらず。孤獨園靈鷲山、みな安居によりて現成せり。安居の道場、これ仏祖の心印なり、諸仏の住世なり。解夏七月十三日、衆寮煎点諷経。またその月の寮主これをつとむ。十四日、晩念誦。來日陞堂。人事巡寮煎点、竝同結夏。唯牓状詞語、不同而已。庫司湯牓云、庫司今晩、就雲堂煎点、特為首座大衆、聊表解制之儀。状冀衆慈同垂光降。庫司比丘某甲 白。土地堂念誦詞云、切以金風扇野、白帝司方。当覚皇解制之時、是法歳周円之日。九旬無難、一衆咸安。誦持諸仏洪名、仰報合堂真宰。仰憑大衆念。これよりのちは結夏の念誦におなじ。陞堂罷、知事等、謝詞にいはく、伏喜法歳周円、無諸難事。此蓋和尚道力廕林、下情無任感激之至。住持人謝詞いはく、此者法歳周円、皆謝某首座監寺人等法力相資、不任感激之至。堂中首座已下、寮中寮主已下、謝詞いはく、九夏相依、三業不善、悩乱大衆、伏望慈悲。知事頭首告云、衆中兄弟行脚、須候茶湯罷、方可随意如有緊急縁事、不在此限。この儀は、これ威音空王の前際後際よりも頂□(寧+頁)量なり。仏祖のおもくすること、たゞこれのみなり。外道天魔のいまだ惑乱せざるは、たゞこれのみなり。三國のあひだ、仏祖の児孫たるもの、いまだひとりもこれをおこなはざるなし。外道はいまだまなびず、仏祖一大事の本懷なるがゆゑに、得道のあしたより涅槃のゆふべにいたるまで、開演するところ、たゞ安居の宗旨のみなり。西天の五部の僧衆ことなれども、おなじく九夏安居を護持してかならず修証す。震旦の九宗の僧衆、ひとりも破夏せず。生前にすべて九夏安居せざらんをば、仏弟子比丘僧と稱ずべからず。たゞ因地に修習するのみにあらず、果位の修証なり。大覚世尊すでに一代のあひだ、一夏も闕如なく修証しましませり。しるべし、果上の仏証なりといふこと。しかあるを、九夏安居は修証せざれども、われは仏祖の児孫なるべしといふは、わらふべし。わらふにたへざるおろかなるものなり。かくのごとくいはんともがらのこと葉をばきくべからず。共語すべからず、同坐すべからず、ひとつみちをあゆむべからず。仏法には、梵壇の法をもて悪人を治するがゆゑに。たゞまさに九夏安居これ仏祖と会取すべし、保任すべし。その正伝しきたれること、七仏より摩訶迦葉におよぶ。西天二十八祖、嫡々正伝せり。第二十八祖みづから震旦にいでて、二祖大祖正宗普覚大師をして正伝せしむ。二祖よりこのかた、嫡々正伝して而今に正伝せり。震旦にいりてまのあたり仏祖の会下にして正伝し、日本国に正伝す。すでに正伝せる会にして九旬坐夏しつれば、すでに夏法を正伝するなり。この人と共住して安居せんは、まことの安居なるべし。まさしく仏在世の安居より嫡々面授しきたれるがゆゑに、仏面祖面まのあたり正伝しきたれり。仏祖身心したしく証契しきたれり。かるがゆゑにいふ、安居をみるは仏をみるなり、安居を證するは仏を証するなり。安居を行ずるは仏を行ずるなり、安居をきくは仏をきくなり、安居をならふは仏を学するなり。おほよそ九旬安居を、諸仏諸祖いまだ違越しましまさざる法なり。しかあればすなはち、人王釈王梵王等、比丘僧となりて、たとひ一夏なりといふとも安居すべし。それ見仏ならん。人衆天衆龍衆、たとひ一九旬なりとも、比丘比丘尼となりて安居すべし。すなはち見仏ならん。仏祖の会にまじはりて九旬安居しきたれるは見仏来なり。われらさいはひにいま露命のおちざるさきに、あるいは天上にもあれ、あるいは人間にもあれ、すでに一夏安居するは、仏祖の皮肉骨髄をもて、みづからが皮肉骨髄に換却せられぬるものなり。仏祖きたりてわれらを安居するがゆゑに、面々人人の安居を行ずるは、安居の人人を行ずるなり。恁麼なるがゆゑに、安居あるを千仏満祖といふのみなり。ゆゑいかんとなれば、安居これ仏祖の皮肉骨髄、心識身体なり。頂□(寧+頁)眼睛なり、拳頭鼻孔なり。円相仏性なり、払子拄杖なり、竹篦蒲団なり。安居はあたらしきをつくりいだすにあらざれども、ふるきをさらにもちゐるにはあらざるなり。

経豪

  • ここよりは解夏の儀式を説かる、如文。「仏法には梵壇の法を以て、悪人を治す」と云うは、天竺には僧の不善にして、咎を行うには、都(て)その人に会いて、物をも云わず同坐せず。是を梵壇の法とは云う也。

 

世尊告円覚菩薩、及諸大衆、一切衆生言、若経夏首三月安居、当為清浄菩薩止住。心離声聞、不假徒衆。至安居日、即於仏前作如是言。我比丘比丘尼、優婆塞優婆夷某甲、踞菩薩乘修寂滅行、同入清浄実相住持。以大円覚為我伽藍、心身安居。平等性智、涅槃自性、無繋属故。今我敬請、不依声聞、当与十方如来及大菩薩、三月安居。為修菩薩無上妙覚大因縁故、不繋徒衆。善男子、此名菩薩示現安居。

しかあればすなはち、比丘比丘尼、優婆塞優婆夷等、かならず安居三月にいたるごとには、十方如来および大菩薩とともに、無上妙覚大因縁を修するなり。しるべし、優婆塞優婆夷も安居すべきなり。この安居のところは大円覚なり。しかあればすなはち、鷲峰山孤独園、おなじく如来の大円覚伽藍なり。十方如来及大菩薩、ともに安居三月の修行あること、世尊のをしへを聴受すべし。世尊於一処、九旬安居、至自恣日、文殊倐来在会。迦葉問文殊、今夏何処安居。文殊云、今夏在三処安居。迦葉於是集衆白槌欲擯文殊。纔挙犍槌、即見無量仏刹顕現、一々仏所有一々文殊、有一々迦葉、挙槌欲擯文殊。世尊於是告迦葉云、汝今欲擯阿那箇文殊。于時迦葉茫然。

圜悟禅師拈古云、鐘不撃不響 鼓不打不鳴 迦葉既把定要津 文殊乃十方坐断 当時好一場仏事 可惜放過一著待釈迦老子道欲擯阿那箇文殊、便与撃一槌看、他作什麼合殺。

圜悟禅師頌古云、大象不遊兎径 燕雀安知鴻鵠 據令宛若成風 破的渾如囓鏃 徧界是文殊 徧界是迦葉 相対各偐𠑊然 挙椎何処罰 好一箚金色頭陀会落却

しかあればすなはち、世尊一処安居、文殊三処安居なりといへども、いまだ不安居あらず。もし不安居は、仏及菩薩にあらず。仏祖の児孫なるもの安居せざるはなし、安居せんは仏祖の児孫としるべし。安居するは仏祖の身心なり、仏祖の眼睛なり、仏祖の命根なり。安居せざらんは仏祖の児孫にあらず、仏祖にあらざるなり。いま泥木素金七宝の仏菩薩、みなともに安居三月の夏坐おこなはるべし。これすなはち住持仏法僧宝の故実なり、仏訓なり。おほよそ仏祖の屋裏人、さだめて坐夏安居三月、つとむべし。

詮慧 

〇世尊段「示現安居」如文。所詮「安居の所、大円覚也、鷲峰山孤独園・大円覚伽藍也」と云う、明らけし。

〇世尊段「迦葉茫然又文殊三処の安居」これ皆在家に取りて劣なり。いわんや仏法に於いて殊可制所也。「迦葉挙槌して欲擯文殊とするは、非法の咎と聞こゆる程に、わづかに挙槌の間に無量の仏刹を顕現す。一々の仏所に有一々文殊、有一々迦葉云々」故に、いづれ文殊いかに所擯ともなき也。仍(ち)「仏告迦葉云、汝今欲擯阿那箇文殊と迦葉茫然す」と云う。但迦葉、このいわれを知らずして茫然とは云うべからず。

〇圜悟段。先の世尊道を拈古するなり。「作什麽合殺」、此の詞にて世尊道も計り知るべし。迦葉の茫然も非世間之茫然、無量の仏刹顕現も一場の仏事なるべし。

文殊の見解は鐘なり鼓なり、撃打は迦葉と聞こゆ。然者迦葉の茫然は已解脱の法輪なり。

〇「合殺」と云う、是は事の終わる義也。後にその事を顕わすを云う也。

〇同頌古段。「圜悟禅師拈古云―会落却」。先の仏言を頌古するに、「大象不遊兎径 燕雀安知鴻鵠」と云う。是は小量を以て大道を不可知と云う也。「徧界是文殊 徧界是迦葉 相対して各偐𠑊然なり」と云う、上は誠に計り難し。

〇「挙椎何処罰 好一箚金色頭陀会落却」と云うは、迦葉落却也。落却は脱落なり。

〇「據令宛若成風、破的渾如囓鏃」。成風の如しとは、家風の如しと心得。破的の鏃を囓うと云うは、因縁ありと云う。敵の鏃を囓うという事あるか。文殊も迦葉も徧界と云うが如し。各(偐)𠑊然なる事を挙ぐるなり。

経豪 

  • 如文。
  • 「世尊は於一処安居し給い、文殊は於三処安居」。所謂三処者、魚行(魔宮)婬坊、酒肆也。ここに迦葉就之、欲擯文殊所に、「わづかに挙犍槌、即見無量仏刹顕現、一々仏所有一々文殊、一々迦葉」。如此不思議、瑞相顕現する時、世尊告迦葉云、汝今いづれ文殊をか擯せんとすると問せ給いし時、迦葉茫然なりき、
  • 如文。
  • 前の話を圜悟拈古せらるる詞を被挙也。是は前の義の由々し仮りし事を被挙。「当時好一場の仏事也」とは、此の心地を云うなり。又「待釈迦老子―作什麼合殺」とは、釈迦老子いかなる一槌を挙ぐるに付けて、詞か有らんと云う也。
  • 此の段の旨趣、「徧界是文殊、徧界是迦葉」とあり、此の心地に可落居也。「好一おは不可心得。箚金色頭陀」とは、迦葉を云う也。はだえ金色なりしに付けて、如此云歟、已下如御釈。「泥木・素金・七宝の仏菩薩、皆ともに安居三月夏坐行わるべし」とあり。是ぞ不普通聞(こゆ)れども、仏祖の所談には泥木・素金等を、打ち任せたる木仏・泥仏などとは不可心得。泥・仏・水をわたり、木仏たたらを踏むなどと云う詞もあり、以可準知也。

安居(終)

これは筆者の勉学の為に作成したもので、原文(曹洞宗全書・註解全書)による歴史的かなづかい等は、小拙による改変である事を記す。