正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

十二巻本 第十二「八大人覚」を読み解く    二谷正信

   十二巻本 第十二「八大人覚」を読み解く

                           二谷正信

はじめに

先の第十一『一百八法明門』と同様、「新草十二巻」での最後巻第十二『八大人覚』は共々に同様な趣旨の元に、書き示された著作であろうと思われる。

「当巻」の奥書には「本云建長五年正月六日書永平寺」と、恐らくは義演が添書されたものであろうが、これより以後は同年八月二十八日遷化までの約半年に亘っては「御病漸々重増」と懐奘の自筆奥書が示す通り、「当巻」が渾身の最後の遺教と為ったのであろうが、その裏付として『永平広録』総数531則ある中で、示衆年月日が明確なものの最後が528則「開炉上堂」つまり建長四年(1252)十月一日示衆であり、530・531則の両上堂ともに梅と雪に関する説示であることから、建長五年(1253)一月前後の頃合いと見做せる事実から、先の懐奘の奥書とも合致するものである。

 

  一

諸佛是大人也、大人之所覺知、所以稱八大人覺也。覺知此法、爲涅槃因。我本師釋迦牟尼佛、入般涅槃夜、最後之所説也。一者少欲。於彼未得五欲法中、不廣追求、名爲少欲。

 

「諸仏是大人也、大人之所覚知、所以称八大人覚也。覚知此法、為涅槃因」<諸仏は是れ大人也、大人の覚知する所、所以に八大人覚と称す也。此の法を覚知するは、涅槃の因と為す>

 この文言の出典は明らかに『大乗義章』十三ではありますが、字句の入れ替えがあり、また次頁にて示す『仏垂般涅槃略説教誡経』(以下『遺教経』と略す)との混成が見られることから、関係する部分のみを記載する。

「八大人覚者。仏是大人。諸仏大人覚知此法為涅槃因。名大人覚。所覚不同。一門説八。八名是何。➀一是少欲。➁二是知足。➂三楽寂静。➃四懃精進。⑤五守正念。➅六修禅定。⑦七修智慧。⑧八不戲論。➀於彼未得五欲法中不広追求。名為少欲。➁已得法中受取以限。称曰知足。➂離諸憒独処空閑。名楽寂静。➃於諸善法懃修無間故云精進。⑤守法不失名為正念。➅住法不乱名曰禅定。⑦起聞思修説為智慧。⑧証離分別名不戲論」(「大正蔵」四四・七三五a一三~二一)

「我本師釈迦牟尼仏、入般涅槃夜、最後之所説也」

これは道元による添語(造語)である。

「一者少欲。於彼未得五欲法中、不広追求、名為少欲」(―部➀)<一つには少欲。彼の未得の五欲の法の中に於て、広く追求せざるを、名づけて少欲と為す>

 

   二

 佛言、汝等比丘、當知、多欲之人、多求利故、苦惱亦多。少欲之人、無求無欲、則無此患。直爾少欲尚應修習、何況少欲能生諸功徳。少欲之人、則無諂曲以求人意、亦復不爲諸根所牽。行少欲者、心則坦然、無所憂畏、觸事有餘、常無不足。有少欲者、則有涅槃、是名少欲。

 二者知足。已得法中、受取以限、稱曰知足。

 佛言、汝等比丘、若欲脱諸苦惱、當觀知足。知足之法、即是富樂安穏之處。知足之人、雖臥地上猶爲安樂。不知足者、雖處天堂亦不稱意。不知足者、雖富而貧。知足之人、雖貧而富。不知足者、常爲五欲所牽、爲知足者之所憐愍。是名知足。

 三者樂寂靜。離諸憒鬧、獨處空閑、名樂寂靜。

 佛言、汝等比丘、欲求寂靜無爲安樂、當離憒鬧獨處閑居。靜處之人、帝釋諸天、所共敬重。是故當捨己衆佗衆、空閑獨處、思滅苦本。若樂衆者、則受衆惱。譬如大樹衆鳥集之、則有枯折之患。世間縛著没於衆苦、辟如老象溺泥、不能自出。是名遠離。

 四者懃精進。於諸善法、懃修無間、故云精進。精而不雜、進而不退。

 佛言、汝等比丘、若勤精進、則事無難者。是故汝等當勤精進。辟如小水常流、則能穿石。若行者之心數々懈癈、譬如鑽火未熱而息、雖欲得火、火難可得。是名精進。

 五者不忘念。亦名守正念。守法不失、名爲正念。亦名不忘念。

 佛言、汝等比丘、求善知識、求善護助、無如不忘念。若有不忘念者、諸煩惱賊則不能入。是故汝等、常當攝念在心。若失念者則失諸功徳。若念力堅強、雖入五欲賊中、不爲所害。譬如著鎧入陣、則無所畏。是名不忘念。

 六者修禪定。住法不亂、名曰禪定。

 佛言、汝等比丘、若攝心者、心則在定。心在定故、能知世間生滅法相。是故汝等、常當精勤修習諸定。若得定者、心則不散。譬如惜水之家、善治堤塘。行者亦爾、爲智恵水故。善修禪定、令不漏失。是名爲定。

 七者修智恵。起聞思修證爲智恵。

 佛言、汝等比丘、若有智慧則無貪著、常自省察不令有失。是則於我法中能得解脱。若不爾者、既非道人、又非白衣、無所名也。實智慧者則是度老病死海堅牢船也、亦是無明黒暗大明燈也、一切病者之良藥也、伐煩惱樹之利斧也。是故汝等當以聞思修慧、而自増益。若人有智慧之照、雖是肉眼、而是明眼人也。是爲智慧

 八者不戲論。證離分別、名不戲論。究盡實相、乃不戲論。

 佛言、汝等比丘、若種々戲論、其心則亂。雖復出家猶未得脱。是故比丘、當急捨離亂心戲論。汝等若欲得寂滅樂者、唯當善滅戲論之患。是名不戲論。

 これ八大人覺なり。一々各具八、すなはち六十四あるべし。ひろくするときは無量なるべし、略すれば六十四なり。

 大師釋尊、最後之説、大乘之所教誨。二月十五日夜半の極唱、これよりのち、さらに説法しましまさず、つひに般涅槃しまします。

 

仏言、汝等比丘、当知、多欲之人、多求利故、苦悩亦多。少欲之人、無求無欲、則無此患。直爾少欲尚応修習、何況少欲能生諸()功徳。少欲之人、則無諂曲以求人意、亦復不為諸根所牽。行少欲者、心則坦然、無所憂畏、触事有余、常無不足。有少欲者、則有涅槃、是名少欲」(『遺教経』「大正蔵」一二・一一一一b八、―部「仏言」は原なし、―部「善」は原あり)<仏言く、汝等比丘、当に知るべし、多欲の人は、多く利を求むる故に、苦悩も亦多し。少欲の人は、求むること無く欲無ければ、則ち此の患も無し。直(ただ)爾(そ)の少欲すら尚お応に修習すべし、何に況んや少欲の能く諸の功徳を生ずるや。少欲の人は、則ち諂曲して以て人の意を求むること無く、亦復諸根の為に牽かれず。少欲を行ずる者は、心は則ち坦然として、憂畏する所無く、事に触れて余り有り、常に不足無し。少欲有る者は、則ち涅槃有り、是を少欲と名づく>

「諂曲」とは、他の意を迎えてへつらい、自らを曲げること。

「二者知足。已得法中、受取以限、称曰知足」(前出『大乗義章』➁に相当)<二つには知足。已得の法の中に、受取するに限りを以てするを、称じて知足と曰う>

「已得(いとく)」とは、すでに手に入れた物の中で。

仏言、汝等比丘、若欲脱諸苦悩、当観知足。知足之法、即是富楽安穏之処。知足之人、雖臥地上猶為安楽。不知足者、雖処天堂亦不称意。不知足者、雖富而貧。知足之人、雖貧而富。不知足者、常為五欲所牽、為知足者之所憐愍。是名知足」(『遺教経』「同」c五、―部「仏言」は原なし)<仏言く、汝等比丘、若し諸の苦悩を脱せんと欲わば、当に知足を観ずべし。知足の法は、即ち是れ富楽安穏の処なり。知足の人は、地上に臥すと雖も猶お安楽なりと為す。不知足の者は、天堂に処すと雖も亦た意に称(かな)わず。不知足の者は、富むと雖も而も貧し。知足の人は、貧しと雖も而も富む。不知足の者は、常に五欲に所牽れて、知足の者に憐愍せらる。是れを知足と名づく>

三者楽寂静。離諸憒鬧、独処空閑、名楽寂静」(前出『大乗義章』➂に相当)<三つには楽寂静。諸の憒鬧を離れ、空閑に独処するを、楽寂静と名づく>

「楽寂静」とは、寂静をねがうこと。「憒鬧(かいにょう)」の「憒」は心が乱れ、「鬧」は騒々しい様。

仏言、汝等比丘、求寂静無為安楽、当離憒鬧独処閑居。静処之人、帝釈諸天、所共敬重。是故当捨己衆他衆、空閑独処、思滅苦本。若楽衆者、則受衆悩。譬如大樹衆鳥集之、則有枯折之患。世間縛著没於衆苦、辟如老象溺泥、不能自出。是名遠離」(『遺教経』「同」c一一、―部「仏言」は原なし、―部「欲」は原「若」)<仏言く、汝等比丘、寂静無為の安楽を求んと欲わば、当に憒鬧を離れ独り閑居に処すべし。静処の人は、帝釈諸天、共に敬重する所なり。是の故に当に己衆他衆を捨てて、空閑に独処し、苦本を滅すを思うべし。若し衆を楽(ねが)わん者は、則ち衆悩を受く。譬えば大樹に衆鳥の之集まれば、則ち枯折の患い有るが如し。世間の縛著は衆苦に於て没す、辟えば老象の泥に溺れて、自ら出ること能わざるが如し。是れを遠離と名づく>

「四者懃精進。於諸善法、懃修無間、故云精進。精而不雑、進而不退(前出『大乗義章』➃に相当、―部「精而・・」は原なし)<四つには懃精進。諸の善法に於て、懃修すること無間なり、故に精進と云う。精にして雑ならず、進んで退かず>

仏言、汝等比丘、若勤精進、則事無難者。是故汝等当勤精進。如小水常流、則能穿石。若行者之心数々懈癈、譬如鑽火未熱而息、雖欲得火、火難可得。是名精進」(『遺教経』「同」c一七、―部「仏言」は原なし、―部「辟」は原「譬」)<仏言く、汝等比丘、若し勤精進すれば、則ち事として難き者無し。是の故に汝等当に勤精進すべし。辟えば小水の常に流れば、則ち能く石を穿つが如し。若し行者の心数々(しばしば)懈癈せんには、譬えば火を鑽(き)るに未だ熱からざるに而も息(や)めば、火を得んと欲すと雖も、火を得べきこと難きが如し。是を精進と名づく>

「五者不忘念。亦名守正念。守法不失、名為正念。亦名不忘念(前出『大乗義章』⑤に相当、―部「不忘念」は『遺教経』からの援用か)<五つには不忘念。亦た守正念と名づく。法を守って失せずを、名づけて正念と為す。亦た不忘念とも名づく>

仏言、汝等比丘、求善知識、求善護助、無如不忘念。若不忘念者、諸煩悩賊則不能入。是故汝等、常当摂念在心。若失念者則失諸功徳。若念力堅強、雖入五欲賊中、不為所害。譬如著鎧入陣、則無所畏。是名不忘念」(『遺教経』「同」c二一、―部「仏言」は原なし、―部「無如」は原「而」、―部「有」は原なし)<仏言く、汝等比丘、善知識を求め、善護助を求むるは、不忘念に如(し)くは無し。若し不忘念有る者は、諸の煩悩の賊則ち入ること能わず。是の故に汝等、常に当念を摂(おさ)めて心に在らしむ。若し念を失せる者は則ち諸の功徳を失す。若し念力堅強なれば、五欲の賊の中に入ると雖も、為に害せられず所なり。譬えば鎧を著して陣に入れば、則ち畏るる所無きが如し。是を不忘念と名づく>

「六者修禅定。住法不乱、名曰禅定」(前出『大乗義章』➅に相当)<六つには修禅定。法に住して乱れず、名づけて禅定と曰う>

仏言、汝等比丘、若摂心者、心則在定。心在定故、能知世間生滅法相。是故汝等、常当精勤修諸定。若得定者、心則不。譬如惜水之家、善治堤塘。行者亦爾、為智恵水故。善修禅定、令不漏失。是名為定」(『遺教経』「同」c二六、―部「仏言」は原なし、―部「習」は原「集」、―部「散」は原「乱」)<仏言く、汝等比丘、若し心を摂むれば、心則ち定に在り。心定に在るが故に、能く世間生滅の法相を知る。是の故に汝等、常に当に精勤して諸の定を修習すべし。若し定を得ば、心則ち散ぜず。譬えば水を惜しむ家の、善く堤塘を治むるが如し。行者も亦た爾(しか)り、智恵の水の為の故に。善く禅定を修して、漏失せざらしむ。是を名づけて定と為す>

「七者修智恵。起聞思修為智恵」(前出『大乗義章』⑦に相当、―部「証」は原「説」であり、また『遺教経』では「聞思修」とあることから、当該での「聞思修」の「証」=「智恵」=「聞思修」との等価性を意味する「証」であろうと考えられる。<七つには修智恵。聞思修証を起すを智恵と為す>

仏言、汝等比丘、若有智慧則無貪著、常自省察不令有失。是則於我法中能得解脱。若不爾者、既非道人、又非白衣、無所名也。実智慧者則是度老病死海堅牢船也、亦是無明黒大明燈也、一切病之良薬也、伐煩悩樹()之利斧也。是故汝等当以聞思修慧、而自増益。若人有智慧之照、雖是肉眼、而是明人也。是為智慧」(『遺教経』「同」一一一二a二、―部「仏言」は原なし、―部「暗」は原「闇」、―部「者」は原「苦」、―部「者」は原あり、―部「是」は原「無」、―部「肉」は原「天」、―部「眼」は原「見」)<仏言く、汝等比丘、若し智慧有れば則ち貪著無し、常に自ら省察して失有らしめず。是れ則ち我が法の中に於て能く解脱を得。若し爾(しか)らずは、既に道人に非ず、又白衣に非ず、名づくる所無し也。実に智慧は則ち是れ老病死海を度る堅牢船也、亦た是れ無明黒暗の大明燈也、一切病者の良薬也、煩悩の樹を伐る利斧也。是の故に汝等当に聞思修慧を以て、而も自ら増益すべし。若し人智慧の照有らば、是れ肉眼なりと雖も、而も是れ明眼の人也。是れを智慧と為す>

「八者不戲論。証離分別、名不戲論。究尽実相、乃不戲論(前出『大乗義章』⑧に相当、―部「究尽実相・・」は原文および『遺教経』にも見当たらず、道元による添語であろうが、「実相を究尽することが、乃ち不戲論」であるとは、眼前現成する真実態が実相であることから、おのづと尽十方界が不戲論の対象であろう)<八つには不戲論。証して分別を離るるを、不戲論と名づく。実相を究尽するを、乃ち不戲論>

仏言、汝等比丘、若種々戲論、其心則乱。雖復出家猶未得脱。是故比丘、当急捨離乱心戲論。汝等若(汝)欲得寂滅楽者、唯当善滅戲論之患。是名不戲論」(『遺教経』「同」a一〇、―部「仏言」は原なし、―部「汝等」は原なし、―部「汝」は原あり)<仏言く、汝等比丘、若し種々の戲論あらば、其の心則ち乱る。復た出家すと雖も猶お未だ得脱せず。是の故に比丘、当に急ぎて乱心戲論を捨離すべし。汝等若し寂滅の楽を得んと欲わば、唯当に善く戲論の患いを滅すべし。是れを不戲論と名づく>

「これ八大人覚なり。一々各具八、すなはち六十四あるべし。広くする時は無量なるべし、略すれば六十四なり。大師釈尊、最後之説、大乗之所教誨。二月十五日夜半の極唱、これより後、さらに説法しましまさず、つひに般涅槃しまします」

 これが「八大人覚」に対する概説とでも言うべきもので、「一々に各(それぞれ)八を具え六十四」の解釈法は、『三十七品菩提分法』での「三十七品菩提分法と参学しきたれり、しかあれども、一千三百六十九品の公案現成なり」(「大正蔵」八二・二五一a六)とも通ずる論述法であります。

 

   三

 佛言、汝等比丘、常當一心勤求出道。一切世間動不動法、皆是敗壞不安之相。汝等且止、勿得復語。時將欲過、我欲滅度。是我最後之所教誨

 このゆゑに、如來の弟子は、かならずこれを習學したてまつる。これを修習せず、しらざらんは佛弟子にあらず。これ如來の正法眼藏涅槃妙心なり。しかあるに、いましらざるものはおほく、見聞せることあるものはすくなきは、魔嬈によりてしらざるなり。また宿殖善根のすくなきもの、きかず、みず。むかし正法像法のあひだは、佛弟子みなこれをしれり、修習し參學しき。いまは千比丘のなかに、一兩この八大人覺しれる者なし。あはれむべし、澆季の陵夷、たとふるにものなし。如來の正法、いま大千に流布して、白法いまだ滅せざらんとき、いそぎ習學すべきなり、緩怠なることなかれ。

 佛法にあふたてまつること、無量劫にかたし。人身をうること、またかたし。たとひ人身をうくといへども、三洲の人身よし。そのなかに、南洲の人身すぐれたり。見佛聞法、出家得道するゆゑなり。如來の般涅槃よりさきに涅槃にいり、さきだちて死せるともがらは、この八大人覺をきかず、ならはず。いまわれら見聞したてまつり、習學したてまつる、宿殖善根のちからなり。いま習學して生々に増長し、かならず無上菩提にいたり、衆生のためにこれをとかんこと、釋迦牟尼佛にひとしくしてことなることなからん。

 

仏言、汝等比丘、常当一心勤求出道。一切世間動不動法、皆是敗壊不安之相。汝等且止、勿得復語。時将欲過、我欲滅度。是我最後之所教誨(『遺教経』「同」b八、―部「仏言」は原なし)<仏言く、汝等比丘、常に当に一心に勤めて出道を求むべし。一切世間の動不動の法は、皆な是れ敗壊不安の相なり。汝等且く止みね、復語り得る勿れ。時は将に過ぎと欲すれば、我滅度すと欲す。是れ我が最後の教誨する所なり>

「このゆゑに、如来の弟子は、必ずこれを習学したてまつる。これを修習せず、知らざらんは仏弟子にあらず。これ如来正法眼蔵涅槃妙心なり。しかあるに、いま知らざる者は多く、見聞せることある者は少なきは、魔嬈によりて知らざるなり」

 本話に対する拈提に於ても、一途に八大の徳目を学習するは仏の御子となり、この八大徳目を修学せず知らずは仏弟子にあらず。と、厳しい口調となる。この「八大人覚は正法眼蔵涅槃妙心」であるが、それにも拘らずこの八大徳目を知らず且つ見聞が少ない事由は、業縁の結果として「魔嬈」つまり魔者と戯れて居るようなものである。

「また宿殖善根の少なき者、聞かず、見ず。むかし正法像法の間は、仏弟子皆これを知れり、修習し参学しき。今は千比丘の中に、一両この八大人覚知れる者なし。あはれむべし、澆季の陵夷、たとふるにものなし。如来の正法、いま大千に流布して、白法いまだ滅せざらん時、急ぎ習学すべきなり、緩怠なることなかれ」

 さらに前生の宿世に善根少なき者は、この八大人覚の御教えは聞かず、見ずであるが、「正法像法」つまり仏滅より二千年間もの間は、仏弟子たる者は八大人覚を認知し、修習参学して居たと(但し道元在世には永承七年(1052)が末法到来の年時とされ、それまでの二百年間に武者(むさ)誕生に伴う戦乱興亡あり)。

 現在は千人の比丘が居たなら、一人二人(一両)が八大人覚を知らない者が在り憐れむことだが、これは澆季の陵夷(世が末になり、高い陵(おか)が低くなるように、物事が衰える様)であり、譬えようもない。如来の正法の大千世界に流布し、仏の御教(白法)の未だ滅しない時こそ、急いで怠ることなく習学すべし。と説かれるが、一方『永平広録』(383則・建長二年(1250)7・8月頃)では「況や今澆運に当り末法に値う(原漢文)」、さらに『袈裟功徳』でも「いま末法澆季なり」と、末法を強調するにも拘らず、敢えて「当巻」に於ては「如来の正法、大千に流布し、緩怠なることなかれ」と力説する辺りは、悲観論を示すのではなく、楽観論で示す態度が垣間見られる。

「仏法に値ふたてまつること、無量劫に難し。人身を得ること、また難し。たとひ人身を受くと云へども、三洲の人身よし。その中に、南洲の人身すぐれたり。見仏聞法、出家得道するゆゑなり」

「仏法に値ふこと難し」とは、一見すると我田引水的な思考法とも受け取られ易いが、筆者は現今に於て「当巻」を読み解く立場から仏法に親しんでいるが、世の中の全フィールド構造と自身の習学する範疇との組み合わせは無限大でありますから、当に此処で謂う処の「仏法値ふこと難く、人身受くること難し」の言辞は、縁起の関係性から考察しても、納得いく論述であります。

「三洲の人身」とは、東勝身(とうしょうしん)洲・西牛貨(さいごけ)洲・南閻浮(なんえんぶ)洲を指すが、その中でも南閻浮洲の人見のすぐる「見仏聞法・出家得道」する由縁とは、往昔より唱え続けられている程である。

如来の般涅槃より先に涅槃に入り、先だちて死せる輩は、この八大人覚を聞かず、習はず。今我ら見聞したてまつり、習学したてまつる、宿殖善根の力なり。いま習学して生々に増長し、必ず無上菩提に至り、衆生の為にこれを説かんこと、釈迦牟尼仏に等しくして異なることなからん」

 この文言にて「当巻」および生涯にわたる著述の最後部となる提唱であろうが、その結論は此の「八大人覚」を「見聞・習学」し、衆生の為に説いたなら、釈迦牟尼仏に同等する学人となる、との提言であります。

 つまり此処で謂わんとする主旨は、現今に於ても上座部仏教圏および東アジア仏教圏ないし世界に流布する仏教信者の総数は、世界人口の7%に相当する5億人以上もの学徒が釈迦仏であると想定するなら、まさに現世は末法どころか正法に満ちた世界である。との道元の指摘とも受け止められるものでありましょう歟。

 これにて「当巻」は終読ですが、この巻には奥書として懐奘の識語が記され、その解釈等で「旧草七十五巻」と「新草十二巻」との関係性が、現在も時折に宗門の舌戦を巻き起こす程である。此処に其の識語と訳文ならびに注記を記し擱筆とする。

 

如今建長七年乙卯解制之前日、令義演書記書冩畢。同一校之。

 右本、先師最後御病中之御草也。仰以前所撰假名正法眼藏等、皆書改、幷新草具都盧壱佰巻、可撰之云々。

 既始草之御此巻、當第十二也。此之後、御病漸々重増。仍御草案等事即止也。所以此御草等、先師最後教勅也。我等不幸不拝見一百巻之御草、尤所恨也。若奉戀慕先師之人、必書此十二巻、而可護持之。此釋尊最後之教勅、且先師最後之遺教也。

                       懷弉 記之  

 

「如今建長七年乙卯解制之前日、令義演書記書写畢。同一校之」<如今(いま)建長七年(1255)乙卯解制之前日(7月14日)、義演書記をして書写せしめ畢んぬ。同じく之を一校せり>

 「義演」に関しては、寂年は正和三年(1314)十月二十六日と確認できるが、生年については明示できない。然るに昭和38年8月号傘松誌に於ける天藤全孝著『本山四世義演禅師伝』では、「四代さまの示寂は、正和三年十月二十六日でありました。その五年前の延慶二年(1309)九月十二日三代さまが、九十一歳で示寂されております。そういたしますと、三代さまより二つ三つお年上で、しかも五年長生きされた四代さまは、九十七、八歳の高齢で示寂されたことになります」(『大本山永平寺諸禅師略伝』「義演」章より転載)との識見を参考にするなら、義演の生年は建保四、五年(1216or1217)となろう。

 「書記」に関しては、書状とも云い、首座に次いで第二座とも称されるが、『禅苑清規』三「書状」章では「書状之職、主執山門書疏。応須字体真楷、言語整斉、封角如法、及識尊卑・触浄・僧俗所宜」(「続蔵」六三・五三二a一)と、字は楷書で書き上げ、言語は理路整然とする話者であった職責の人であったようである。

「右本、先師最後御病中之御草也。仰以前所撰仮名正法眼蔵等、皆書改、幷新草具都盧壱佰巻、可撰之云々」<右の本は、先師最後の御病中の御草也。仰せには以前所撰の仮名正法眼蔵等、皆な書き改め、幷びに新草具(とも)に都盧(とろ)壱佰巻、之を撰す可し云々>

 筆者、この奥書を素直に読めば、大久保道舟説に賛同するものである。(詳細は末尾に添付した「八大人覚の奥書をどう読むか」を参照)

「既始草之御此巻、当第十二也。此之後、御病漸々重増。仍御草案等事即止也。所以此御草等、先師最後教勅也。我等不幸不拝見一百巻之御草、尤所恨也。若奉恋慕先師之人、必書此十二巻、而可護持之。此釈尊最後之教勅、且先師最後之遺教也」<既に始草の御此の巻は、第十二に当たる也。此の後は、御病漸々に重増す。仍て御草案等の事も即ち止みぬ也。所以に此の御草等は、先師最後の教勅也。我等不幸にして一百巻の御草を拝見せず、尤も恨むる所也。若し先師之人を恋慕し奉らんは、必ず此の十二巻を書して、而して之を護持す可し。此れは釈尊最後の教勅にして、且つ先師最後の遺教也>

 

※十二巻本『正法眼蔵』―『八大人覚』の「奥書」をどう読むか   石井修道

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2023/07/03/114334

 

2023年6月25日 雨季の蒸し暑い日中に記す。

タイ国にて(二谷)