正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

道元の無仏性    松岡由香子

道元無仏

                 松岡由香子

禅宗は、おうおう人には仏性があるということを自覚させる宗教、あるいは仏性に目覚めさせる、あるいは仏性を見るという体験をする宗教と思われている。たしかにそのように説き、そのような体験を求める禅もあるだろうが、道元はそのような仏性を前提にした悟りを厳しく批判している。そのことを明確に示す『正法眼蔵』の箇所が《仏性》巻の四祖五祖問答、五祖六祖問答である。ところが、曹洞宗の伝統的解釈はたんに人に仏性があるというのみならず、およそ全ては仏性であるというような、天台本覚思想の流れを汲むものである。この論考ではそれらの問答を詳しく吟味し、伝統的解釈やそれにひきずられた現代の注解を批判することによって道元無仏性の思想を明らかにしたい。

 一節 四祖五祖問答

(1)本文

 五祖大満禅師、蘄州黄梅人也。無父而生、童児得道、乃栽松道者也。初在蘄州西山栽松、遇四祖出遊。告道者、吾欲伝法与汝、汝已年邁。若待汝再来、吾尚遅汝。師諾、遂往周氏家女托生。因抛濁港中、神物護持、七日不損、因収養矣。至七歳為童子、於黄梅路上、逢四祖大医禅師。祖見師、雖是小児、骨相奇秀、異乎常童。祖見問曰、汝何姓。師答曰、姓即有、不是常姓。祖曰、是何姓。師答曰、是仏性。祖曰、汝無仏性。師答曰、仏性空故、所以言無。祖識其法器、俾為侍者、後付正法眼蔵。居黄梅東山、大振玄風。

【現代語訳】

  (ここは普通の読み下しを現代語訳したが、道元はその解釈においてこのようには読まない)

 五祖大満禅師は蘄州黄梅の人である。父無し子として生れ、少年の時に真の生き方を身につけたが、それが松を栽える修行者である。初めは、蘄州の西山に住んで松の植林をしていたが、四祖が外出するのに出遇った。(四祖が)修行者に告げて言った、「わしはお前に法を伝えたいと思うが、お前はもう年をとり過ぎている。もしお前が再び生まれて来て、わしを待つなら、わしもやはり、お前を待っていよう」。師(五祖)は承諾して、とうとう周氏の家に往って娘のお胎 をかりて生まれた。その(父無し子)ために(娘は)濁った水路の中に抛てた。不思議な力が(赤子を)護ったので、七日(経っても)損われなかった。それで(拾い)入れて養育した。七歳の少年になったとき、黄梅地方の路上で、四祖の大医禅師に逢った。(四)祖は師(五祖)を見ると、子どもではあっても、骨相は珍しく秀でており、普通の子どもとは異なっていた。(四)祖は(この子を)見て問うて言った、「お前、姓は何かね」。師(五祖)は答えて言った、「姓はたしかにありますが、普通の姓ではありません」。(四)祖は言った、「それはどんな姓なのか」。師は答えて言った、「それは仏性です」。(四)祖は言った、「お前には仏性は無い」。師(五祖)は答えて言った、「仏性は空ですから、それで無と言われるのですね」。(四)祖はこの子が法(を担うにたる)器で道元無仏性あると識って侍者とならせて、後に仏法の正しい眼目を付託した。(五祖は)黄梅の東山に居住して、大いに奥深い宗風を盛んにした。

[注釈]

蘄州黄梅 湖北省黄梅県の北西。

栽松道者 松柏は貴族の墓に植えるもので、防風、日よけ、あるいは建材などになる。栽松道者で松を植樹する修行者。

 訓読はすぎる。ゆく、越えるの意。

 訓読はまつ。動詞。

濁港 港は、①みなと、②大きな河川や湖に通じる小さな川、支流、水路。だから濁った水路とした。

 使役を表す動詞として使、令、教などと同じ用法。

【解釈】

 この五祖の数奇な誕生話は、どの灯史にも高僧伝にも見えない。四祖五祖の出会いについて、それ以外はほぼ同様に次のように記述している。

『祖堂集』(九五二年)巻二

忽ち黄梅路上に於て一小児を見る。年は七歳なり。出す所の言は異なり。師は乃ち問う、「子は何の姓ぞ」。子、答えて曰く、「姓は常の姓にあらず」。師、曰く、「是れ何の姓なる」。子、答う。「是れ仏性」。師曰く、「汝は姓勿 なきなり」。子、答えて曰く、「其の姓、空なるが故なり」。師、左右に謂いて曰く、「此の子、非凡なり。吾が滅度二十年中にして、大いに仏事を作す」(中文出版社一九八四)。

 『宋高僧伝』(九八八年)

 姓は周氏なり。家は淮左の潯陽に寓す。一に黄梅人と云うなり。王 父 曁 び考 は、皆な名を干 もと めて利ならず。丘園(隠者の住処)に賁 はしる。その母、始めて娠 はらむ。月、移りて光、庭室を照らす。終 夕 は昼の若 し。其の生や灼爍たること初の如し。異香、人を襲う。家を挙げて欣駭す。能く言うに造 およびて辞 気は隣児と類せず。既に童丱 (あげまきした幼児)と成りて其の遊弄を絶す。厥 その父は偏愛し因りて書を誦せしむ。……時に東山の信禅師、邂 たまた 逅ま至る。之に問うて曰く、「何の姓名か」。問に対えて朗暢と区別し帰有り。理は言を逐いて分つ。声は響に隨いて答う。信師は之を熟視し、歎じて曰く「此は凡童にあらざる也」。体を具して之を占う。……時に年七歳也」 ( T50,p754a)。

『景徳伝灯録』(一〇〇四年)第三巻道信章

 一日、黄梅県に往きて路に一小児に逢う。骨相、奇秀にして常の童に異る。師、問うて曰く、「子、何姓ぞ」。答えて曰く、「姓は即ち有り。是れ常の姓ならず」。師、曰く「是れ何姓ぞ」。答えて曰く、「是れ仏性」。師、曰く、「汝は無性なるや」。答えて曰く、「性は空なるが故なり」。師は黙して其の法器なるを識る。即ち侍者をしてその家に至らしめ、父母の所に於て出家せしむるを乞う。父母は宿縁を以ての故に殊に難色無し。遂に捨てて弟子と為る。名づけて弘忍と曰い、以て法を付し伝衣するに至る( T51,p222b)。

『景徳伝灯録』第三巻弘忍章

 第三十二祖弘忍大師は蘄州黄梅の人也。姓は周氏。生じて岐嶷(=幼児より優れて賢い)なり。童、遊の時、一智者に逢う。歎じて曰く。「此の子、七種の相闕 かいて如来に逮 およば ず」。後に信大師に遇いて得法し化を嗣ぐ(T51,p222c )。

『天聖広灯録』(―一〇三六年)巻七[道信章]

  『景徳伝灯録』にほぼ同じであるが「不是常姓」ではなく「是常姓」である。また。「汝無耶」は「無耶」。「父母は」以下は「父母は殊に難色無し。曰く、『願わくば接受を垂 たれたまえ』。師、遂に落髪して受具す」 ( Z135-644a)。これ以下はかなり異なる。

 数奇な誕生を記すのは『林間録』だけで、そこには次のようにある。

 旧に説く。四祖大師は破頭山に居す。山中に無名の老僧有りて、唯だ松を植う。人呼んで栽松道者と為す。嘗つて(四)祖に請うて曰く、「法の道、聞くを得べけんや」。祖、曰く「汝は已に老脱す。其れを聞きて能く広化すること有らんや。儻 もし能く再来せば、吾れ尚お、汝を遅 まつべし」。(老僧は)乃ち去りて水辺に行くに、女子の衣を浣 あらうを見る。揖 ゆう (両手を組んで会釈する)して曰く、「寄宿し得てんや」。女、曰く「我、父兄有り、往きて之に求むべし」。(老僧)曰く「諾、我れ即ち敢えて行かん」。女、之を首肯す。老僧、策を回して去る。女は周氏の季子(兄弟姉妹の四番目で末子)也。帰りて輒 すなわ ち孕む。父母、大いに悪 にくみ之を逐う。女、帰る所なく、日は里中にて紡に庸 やとわ る。夕に衆館(旅館)の下に於て、已に一子を生む。不祥為るを以て、水中に棄つ。明日之を見るに流れに泝 さから いて、上気し体鮮明なり。大いに驚きて遂に之を挙ぐ。童に成りて母に随て乞食す。邑人、呼ぶに無姓児と為す。四祖黄梅の道中に於て(童を)見て、戯れに之に問うて曰く、「汝、何の姓ぞ」、曰く、「姓は固と有り、但し常の姓にあらず」。祖、曰く、「何の姓ぞ」。曰く、「是れ仏性」。祖曰、「汝、乃ち無姓なるや」。曰く、「姓は空なるが故に無なり」。祖、其の母を化して出家せしむ。時に七歳なり(Z148-590b )。

  『林間録』二巻は、覚範慧洪が道俗の弟子のために、古来の尊宿や高行の大夫等の逸話、参禅の遺訓な どについて語った三百余篇の談話を、門人本明が筆録して一書としたもの。大観元年(一一〇七)の序がある。如浄が道元に「你、(石門の林間録を)看ること一遍せば好し。彼の録、説き得て是なり」(『宝慶記』 14 )と勧めたものである。道元はこの話を書き直して用いている。

本文では最初に五祖についての数奇な前世譚が語られ、父が無い子供、つまり私生児であるため姓がないという問答の伏線が張られる。中国は家父長制であり、父なし子はすでに体制から逸脱したアウトカーストである。いわば『涅槃経』で無仏性と説かれる一闡提に近い。

 さて、四祖が幼い五祖に「お前の姓は何だ」と質問し、名ではなく、姓を問わせているのは、後で「仏性」を引き出すためであり、『宋高僧伝』では「何姓名乎」とあるように、本来は初対面で姓名を問うた、ということだったのだろう。

 道元はこの後、ほぼ『景徳伝灯録』道信章にそって書いている。すなわち五祖は「姓は無い」とはいわないで、「姓即有」、つまり「姓はあることはあるが、普通の姓ではない」と挑む。では「お前はどういう姓か」と四祖が質問したのに対して、五祖は「それは仏性だ」と見事な答えを返している。それに対して冷酷に「汝は無仏性なり」と四祖に答えさせているのは、実は道元である。灯史では、「無仏性」ではない。『祖堂集』は「汝勿姓也」、『景徳伝灯録』や『林間録』も「汝(乃ち)無姓耶」とする。中国では主に父姓を姓としたから、姓が無いのは、父無し子だな、という差別的視点からの言表と取れる。『景徳伝灯録』や『林間録』では、『涅槃経』にいう通り、誰にでも仏性がある、ということを幼い出家以前の五祖に言わせているのである。しかしながら、道元はこのような理解にはまったく与しない。では、どのようにこれを再構築しているのか。

(2)本文

 しかあればすなはち、祖師の道取を参究するに、四祖いはく、汝何姓はその宗旨あり。むかしは何国人の人あり、何姓の姓あり、なんぢは何姓と為説するなり。たとへば吾亦如是、汝亦如是と道取するがごとし。五祖いはく、姓即有、不是常姓。いはゆるは有即姓は常姓にあらず、常姓は即有に不是なり。

 四祖いはく、是何姓は、何は是なり、是を何しきたれり、これ姓なり。何ならしむるは是のゆゑなり、是ならしむるは何の能なり。姓は是也何也なり。これを蒿湯にも点ず、茶湯にも点ず、家常の茶飯ともするなり。

 五祖いはく、是仏姓。いはくの宗旨は、是は仏性なりとなり。何のゆゑに仏なるなり。是は何姓のみに究取しきたらんや。是すでに不是のとき仏姓なり。しかあればすなはち、是は何なり、仏なりといへども、脱落しきたり、透脱しきたるに、かならず姓なり、その姓すなはち周なり。しかあれども、父にうけず、祖にうけず、母氏に相似ならず、傍観に斉肩ならんや。

【現代語訳】

 そうであるから、仏祖の言葉を修行し見究めるのに、四祖が言った「汝何姓」は深い意味がある。昔は、「何の国の人」という人がおり、「何という姓」という姓があった。(だから)「お前は何姓なのだな」と四祖が説いてやったのである。たとえば、私もまたこのようである、お前もまたこのようである、と(師匠が弟子を等しい法を体得していると認めて)言い表すようなものだ。

 五祖が言った、「姓即有、不是常姓」。ここでいわれる「有即姓」は常(住)の姓ではない、常(住)の姓は「即有」に不是である。四祖が言った「是何姓」とは「何」は「是」である、「是」を「何」してきたのである。これが「姓」である。「何」とさせるのは、「是」のためである。「是」とさせるのは、「何」の能力である。「姓」は「是」であり「何」であるのだ。これをよもぎ湯にも入れ、お茶にも入れ、日常の茶飯事ともするのである。

 五祖が言った、「是仏姓」と。このように言った意味は、「是」は仏性だということである。「何」のゆえに仏なのである。「是」は「何姓」というだけで究められるだろうか。「是」が「不是」となったとき仏姓である。このようなことであるから「是」は「何」であり、「仏」ではあるけれども、脱落してきて、透脱してくると、かならず「姓」である。その姓は「周」なのである。そうではあるが、(その姓は)父から受けたのでもなく、祖先から受けたのでもない、母系の姓に似ておらず、傍観者に比べられようか。

[注釈]

何国人の人、何姓の姓 「泗州僧伽大師、或(る人)、師に問う、『何の姓ぞ』。即ち答えて曰く、『我が姓は何なり』。 又問う『師は是れ何国の人』。師曰く、『我は何国人なり』」(『景徳伝灯録』第二十七巻泗州章 T51,p.433a )。

吾亦如是、汝亦如是  六祖が南嶽に言った言葉で「祗此不染汚。是諸仏之諸念。吾亦如是。汝亦如是」(『天聖広灯録』巻八z135-650a )。

常姓  老子の「名の名とすべきは常の名にあらず」のように尋常の姓ではないという意であろうが、ここはむしろ常住の仏性の意ととりたい。

蒿湯 飲むためのヨモギ湯。

是仏姓 ここで、『景徳伝灯録』『祖堂集』『林間録』はともに「是仏性」とするから、道元があえて「性」を「姓」としたのであり、それは〈不是のとき仏姓〉とつながって、周氏の問題になっていく。写本によっては「性」。

透脱 出典「逢仏殺仏。逢祖殺祖。逢羅漢殺羅漢。逢父母殺父母。逢親眷殺親眷。始得解脱。不与物拘。透脱自在」(『臨済録』T47,p500b)。道元がしばしば用いた。

【諸釈の検討】

  〈五祖いはく、姓即有、不是常姓、いはゆるは有即姓は常姓にあらず、常姓は即有に不是なり〉について 『御抄』は「所詮、有も姓、常も姓、即有も姓、不是も姓也と心得るなり」(一二九頁)、「所詮、姓と何と是と総取、離たるまじき一物也。是則仏性なり。」(同頁)と言うが、みな姓であり、その姓と何と是も一物で仏性である、では解釈にならない。

 『私記』は同じように「有も即も姓なり。摩尼珠の青黄等の常性常色なきがごとし」(一一六頁)と言 う。「常姓」を「常性」と読み替えて、摩尼宝珠は色が様々に変化するので常性がないと「不是常姓」を解釈している。宝珠が仏性の譬えであるなら、仏性常住だから妥当な解釈ではない。また「是も仏も姓なり」(一一九頁)と言うが、本文は〈是は何なり、仏なり……〉と言われて、かんたんに「姓」だということではない。

 『弁註』は「常姓と仏性と、何の異別かあらん、此の下の古仏(道元)の辞、見難し」(一一七頁)と、 道元の文に異議を立てている。ただ、「然あれば是は仏性を是するの是なり。何ぞと問い来るは、其是の仏性を何問し来れり。故に何は是なり、仏性の是を何ぞと、問い来るを、是を何し来れりとの玉ふ」(一一八頁)と言う。「仏性を是(肯定)する」という意味ではありえない。問答本文は「是は何(の姓)か」と問うている。これを承けてか、玉城訳では「是」を「肯 うべな い」、「何」を「問い」と訳するが、無理だろう。

 杉尾「本質」はそれを「この『姓』は悉有は仏性なりと解かれたあの仏性と別ではない」とし、「姓即有」を「悉有仏性」と取るが、その論拠は示されない。また「常姓」を「普通考えられる仏性・成仏の可能性としての仏性」(一一九頁)とするが、成仏の可能性としての仏性は道元が批判したものである。

 内山『味わう』は世間の名付けたものはたんなる「相」であって、「だから実物としての『お前』というものが固定して在るものではない。私もあなたもなんとも決まらない。その規定以前の実物は『何』と言うほか仕方がないので『なんぢは何姓なりと為説するなり』だ」(八八頁)と言う。妥当な解釈であろう。しかし、「それを『是』といい、『何』といい『姓』という」といってしまっては、『御抄』『聞解』と大同小異になる。

 〈四祖いはく、是何姓は、何は是なり、是を何しきたれり、これ姓なり。何ならしむるは是のゆゑなり、 是ならしむるは何の能なり。姓は是也何也なり。これを蒿湯にも点ず、茶湯にも点ず、家常の茶飯ともするなり〉について。

  『聞解』は「表からいへば是、裏からいへば何ぞや」(二五頁)、「是は仏性を是と指したるもの……是に 是なるもの無いから何なり。故に何が其儘是也。」(一一七頁)と是と可を同じもの(仏性)の表裏、外見と内容と取る。「この何と是の仏性を蒿湯……」と是も何も同じものの表裏で、それは仏性だと言うのみ。

 秋山『研究』は「四祖大医の『何』といふ疑問詞を以て是―吾々の世界に現に存在するもの―をして是ならしめ、蒿湯ともなり、茶湯ともなり、家常の茶飯とも現れ来る『能』ある仏性を意味せしめてゐるのである。なほ『何ならしめるは是の故なり』とは存在の根拠としての仏性は、ただ存在に於いて存在としてのみ自己を開示し来るものにして、之れを外にしては何処にも求め得ざることを意味するのである。故に『何ならしむるは是の故なり、是ならしむるは何の能なり』といふ語は存在とその根拠との一如関係、即ち道元の性相不二の思想を端的に表現してゐるのである」(一一六頁)と言う。存在の根拠としての仏性(性)と存在(相)の不二とする。あるいは存在(是)と存在の根拠(何)という哲学的解釈であるが、はたしてそう解釈できるだろうか。この点に関する批判は拙論「道元の『仏性』巻について―その1―」(『禅学研究』第九十一号)を参照。

 安谷『参究』はこれを承けて「是」と「何」について「一仏性」というモノを指すとし、「かりに内容と外観、あるいは性と相との二つにわけて、その二つをかけあわせて、いろいろに取り扱ってみせると、〝何は是なり〟ともいえる。何は内容で、是は概観だ。性空という内容がそのまま因縁という外観の姿になってあらわれている。……「是を何しきたれり」もあたりまえだ。外観が内容をあらわしている。これ姓なりで、それが活きた仏性だ」(一四三頁)と言う。「仏性」を何かあるものと捉えるから、たとえ「仮」であっても内容と外見、さらには「活きた」モノということになる。仏性はそのようなモノではない。

 その安谷が批判する『啓迪』は「何は今も云ふ通り手に取れぬ品物ぢゃが、その代りなにを捉へても何ぢゃ、なにを捕らまえても仏性じゃ、それを『是』と云ふ」とあると言う。(安谷『参究』一四四頁)なんでも「何」であり、仏性であり、是であるというのは伝統的解釈の踏襲であるが、「手にとれぬ品物」とまでいっている。

 杉尾「本質」は、「悉有のほかに仏性はない。とはいえ、仏性は虚無ではない。かえって、悉有を悉有たらしめるところの何物かである。その何ものかを道元は端的に『何』とよぶのである。そうして悉有の一々を『汝』とよび『是』とよぶ」(一一九頁)と言う。先に杉尾は悉有を「一切の存在者」としたのであるから、「汝」、「是」は個々の存在者であり、悉有は存在を存在たらしめる存在の根拠ということになる。結局、秋山と同じであるが、杉尾は秋山の仏性がなおも無や滅に傾くと批判している。

 竹村『講義』も「説いて説けないところをなんとかして表現するときに『何』という言葉で表すこともできます。説いて説けないところというのは、かの『透体脱落』のそのただ中です。自己が自己に対象的に関わるのではない。自己が自己そのものになってはたらいているそのただ中、それそのもの、そこに仏の核心を見る、自己の核心を見る」(一六六頁)と言う。それはその通りであろうが、「自己の核心」が、仏道の修証ぬきで語られるところに道元との径庭が窺われる。類似の表現は「そのただ中、そこに仏としての存在、本来の自己としての存在そのものが実現している、現成している、そこに仏性の現前ということがある」(一三九頁)といわれる。仏である時、仏性現前と言うのはいいが、その場は道元にとって坐禅のほかなく「仏性そのものになり切ったところ」(一三八頁)「今になり切る」(一三九頁)ところではあるまい。

『思想』頭注は「姓即有」は姓一般、「有即姓」はわが姓だと言うが、これも一般と個物という前提から の解釈であろうが、言葉の解釈になっていない。

  『聞解』は〈何姓のみに究取しきたらんや〉を、「五祖の是は仏性のみに限らぬ。すでに不是常姓と云 ふ、不是の時にはや仏性、仏性が現前した」(一一九頁)と言うが、そんなことはいわれていない。「何姓のみ」といわれているのであって「仏性のみ」ではないし、〈是すでに不是のとき仏性〉といわれているだけである。また〈その姓すなはち周なり〉を、「この時は周徧法界皆仏性で、四姓も周氏も別物で無いから、一(つも)捨る法無(し)」(一二〇頁)とするが、周徧法界は法身である大日如来の功徳が無辺の一切にゆきわたることであるから、本文とは関係ないし、『聞解』は姓をずっと四姓と捉えているがこの節の姓はゴートラ(氏族、カースト)の意味ではない。

  『弁註』も「不是の時、早(や)是 これ仏性現成す。仏性前後、無有変易なることを了ぜよ」(一二〇頁)と言うが、仏性であれ仏性の前後であれ、およそ無有変易ということはない。

安谷『参究』も「是は仏性だということだ。……何が仏性だ。是が仏性だとばかり、きめこんでいてはいけない。不是もまた仏性だとさ」(一五〇頁)と言う。すべてが仏性だということ以外なにも言っていない。

 内山『味わう』も「是は無際限という処に帰るから仏性だ。……『是』のときも仏性だ。『不是』のときも仏性だ」(九一頁)と言う。

【解釈】

 さて、〈四祖いはく、汝何姓〉は、道元においては疑問形の質問ではなく、〈なんじは何姓と為説するなり〉と解釈されて、仏である四祖からの、五祖への是認の言葉、「お前の姓は何 か だな」と言ったということになる。いわゆる問処の道得の一種である。姓が「何」であるというのは、ちょっと奇妙に聞こえるので、道元は『景徳伝灯録』泗州僧伽大師章に「我が姓は何、我は何国人」とあることをおそらく念頭において〈むかしは何国人の人あり、何姓の姓あり〉と、「何」という姓もありうると解説している。たしかに「何」という中国姓は実在するが、もちろん僧伽大師が実際に「何」という姓であったというのではなく、社会的に「どこのなにべえ」と認識されるものではない自己を表すための言い方として出したのであろう。

 一章二節で〈是什麼物恁麼来〉といわれたことの疑問詞「是什麼物」が、ここでは答えとして「何姓」といわれているのである。したがって「何姓」は、まさに「説似一物即不中」とある通り、一物ではない、名付けられる以前の実存、自意識も他者のまなざしもない、本来のその人を指していると思われる。答えとしての「何姓」が踏まえられているからこそ〈たとへば吾亦如是、汝亦如是と、道取するがごとし〉といわれる。一般論にはならない証契の言葉、つまり「仏であるわたしがそうであるように、お前もそのようにあるもの(如来・仏)である」という意味を持つ。〈しかあればすなはち、汝亦如是のゆへに諸仏なり、吾亦如是のゆへに諸仏なり。まことに、われにあらず、なんぢにあらず〉《行仏威儀》といわれる通りである。

 したがって、道元の解釈する「汝何姓」は、ほかならぬお前が仏という姓であるということを含意する。しかしまた、南嶽の答えである「説似一物即不中」が「一物」をいわない承当であり、それに対して、六祖の「吾亦如是、汝亦如是」もまた、けっしてそれを言わないで認めた対話なのであるからここで述べたように「仏」という姓などと一般化してしまってはすでに台無しであろう。

「汝何姓」が、「お前は仏だ」ということを含意するならば、後で四祖が五祖に「汝無仏性」と言ったことと矛盾するように見える。だが、これは後に〈いかなる時節にして無仏性なるぞ〉という時節の問題として論じられるので、後に触れたい。

 次に五祖の〈姓即有、不是常姓〉に対して、道元は〈姓即有〉を入れ替えて〈有即姓は常姓にあらず〉と受け取りなおす。〈姓即有〉を〈有即姓〉に変えたのは、〈有即姓〉という「姓」は常住の姓(性)ではない、とした方が論理的だからだろうか。「姓」は「性」と音通なので、〈常姓〉は、ここでは元来の問答にある「ふつうの姓」という意味ではなく、常住の性ということになろう。「仏性」という用語には、常(常住不変)という属性がつきまとう。ただ、そのことは冒頭に〈如来常住無有変易〉と出るだけで、後は一切触れられない。この後の三節で道元が主張するのは、仏性は無常だということである。

 次の〈常姓は即有に不是なり〉についてみると、〈即有〉は、『正法眼蔵』でここのみに出る用語である。のち(四章五節)には〈既有〉〈諸有〉〈仏有〉などにも言及されるから、ここも同様に〈即有〉という名詞としたといえよう。この「即」は偶然使ったとはいえ、副詞としては「即座に、ただちに、すぐに」が第一の意味であることから、「而今の有」と解してみた。すると〈常姓〉つまり常(住なる)性は、〈即有〉つまり「而今の有」という事態に相応しくないということになる。このようにいうことによって、道元は仏性は常住だとする常識を破っている。

  〈四祖いはく、是何姓は、何は是なり、是を何しきたれり、これ姓なり。何ならしむるは是のゆゑなり、 是ならしむるは何の能なり。姓は是也何也なり〉は、一読しただけでは意味がとれない。

「何」は、先にみたように言表しがたい正当恁麼時に現成している事態、モノではなく働きであるとし たから、「是」は「これ」と具体的に限定できるもの、いわば具体的な私、自己であろう。ここを読み解くには、次に言及される〈是は仏性なりとなり。何のゆゑに仏なるなり〉が手がかりとなる。「是」すなわち普通の私が仏となるのは、何の故だろうか。それは祇管打坐において身心脱落する(私ではないものになる)ことよってである。〈是すでに不是のとき仏姓なり〉といわれる通り、是なる自己が、自己の脱落によって是が否定されて、すでに不是であるときにはじめて仏性である。換言すれば、自己が脱落してはじめて、名前もなく、人間でもない(「何」)であるから、仏となる。そこが〈何のゆゑに仏なるなり〉である。〈是を何しきたれり〉とは、「是」すなわち普通の人間が、打坐によって「何」にならされる。その「何」になった当体に向かっていうなら、〈何は是なり〉といわれ得る。その当体の「是」は「個個の存在者」(杉尾)でも「それそのもの」(竹村)でもない、まさに一般化できないわたし(あるいはお前)である、と実存のことがらとして言われている。

〈これ姓なり〉は、多くの解釈のように、これが仏性であると、さしあたってはいえよう。だが、その 仏性が問題である。

〈何ならしむるは是のゆゑなり〉は、この我(是)が修証しなければ「何」である仏も菩提もない。換 言すれば〈仏道をならふといふは自己をならふ也〉《現成公案》という初動が必要で、〈わが尽力〉が必要だという側面である。あるいは〈わが行持、すなわち十方の匝地漫天みなその功徳をかうむる〉《行持上》とか、〈われらが行持によりて諸仏諸祖の行持見成し〉という事態を言う。〈是ならしむるは何の能なり〉とは、〈わが尽力〉だけでは仏道は成らない。〈万法すすみて自己を修証する〉《現成公案》という方向が不可欠である。万法といっても、対象的なあらゆる存在ということではなく、我の力、我の思惟のおよばぬところのあらゆるあり方である。

〈何ならしむるは是のゆゑなり、是ならしむるは何の能なり〉とは、たとえば〈山河大地・日月星辰に ても修行せしむるに、山河大地・日月星辰かへりてわれらを修行せしむるなり〉《諸悪莫作》といわれるような双方向である。〈姓は是也何也なり〉は、(仏)姓(性)とは、われのありよう、すなわち「是」としてはじめて現成するものだから〈是也〉であり、それはまたそのように自己が脱落したところとして「何」であるから〈何也〉といえよう。

  〈これを蒿湯にも点ず、茶湯にも点ず……〉とは、このような、〈万法すすみて自己を修証する〉《現成 公案》法の働きを取り上げた《法性》の巻で〈著衣喫飯は法性三昧の著衣喫飯なり。衣法性現成なり、飯法性現成なり〉といわれている、その働き(法相の施為)と同じことが、働きとしての〈是也何也〉であり、だから〈これを蒿湯にも點ず、茶湯にも點ず、家常の茶飯ともするなり〉といわれるのであろう。「さとり」のありようとは、たしかに祇管打坐のとき、自覚しないまますべてが菩提となるのであるが、それは特別な境地や体験ではなく、また「なりきる」という集中や忘我ではなく、わたしたちが意識しないで何げなく振る舞う日常のただなかで働いている当のものであることを示す。〈大悟は家常の茶飯なり〉《行持》といわれる通りである。

 次に五祖の言葉〈是仏姓〉に移る。ここでテキストが、「仏性」なのだから「性」のはずだが「姓」に変わっている。懐弉真筆本はそうなので、他の写本の「仏性」ではなく、これを採る。もしここで〈是仏性〉とテキスト通りにしてしまえば、その後の「姓」の展開は不可能になる。しかしながら続いてはテキスト通りに〈是は仏性なりとなり〉と道元はごく普通に解釈し、〈何のゆゑに仏なるなり〉と付け加えられる。「何」とは、じっさいに修証しているそのものということである。

 ここまでは「何姓」ということで種々に拈提されてきたが、〈是は何姓のみに究取しきたらんや〉といわれて、次には「仏姓」「周姓」が論じられるのである。まず〈是すでに不是のとき仏姓なり〉とは、すでに論じたように、是である自己は自己のままで仏ということはない。是という限定された自己が否定されてはじめて仏である。換言すれば衆生は自己否定してはじめて仏なのだ。従来論じられてきたどの道元仏性論にも、この否定の契機が欠落しているように見える。というより、否定が存在しえないような論ばかりなのである。しかし、ここが「仏性」ではなく「仏姓」となっていることに注目したい。道元は「仏性」については慎重に議論を展開しない。

 〈しかあればすなはち、是は何なり、仏なりといへども〉、といわれることで、「是」は「何」であって、 「何」であるからはじめて仏である、ということが明示される。それが〈といへども〉と逆接で受けられ、〈脱落しきたり、透脱しきたるに、かならず姓なり〉といわれる。これはどう解釈したらよいか。一つには、是(限定された自己)は、何となり仏であるといっても、「是」が脱落し、透脱したとき、はじめて仏性(姓)であると読める。仏性ではなく、「仏姓」であるのは、私がなくなり、自分の姓がなくなり、仏になったとき、〈過去現在未来の諸仏、ともにほとけとなるときは、かならず釈迦牟尼仏となるなり〉《即心是仏》といわれているように、釈氏という仏の姓になったと解釈できよう。「是」と「何」は厳密にいえばもう一度ずつ言及されるが、〈かならず姓なり〉でいちおう断ち切られる。

  「姓」が新たなテーマであるが、〈その姓すなはち周なり〉とはどのようなことであろうか。もちろん 「周」は四祖の母の周氏に由来するのだが、そういう関連は〈母氏に相似ならず〉で切られる。懐弉本の元の本文では「父にうけず」だけであったが、それでは母から承けた周氏ということになり、それは母系の先祖から承けたことにもなる。それで〈祖にうけず、母氏に相似ならず〉と〈傍観に斉肩ならんや〉が添加されて、およそどんな人間的氏姓でもないことがより明らかにされている。

 では姓が「周」であるとはどういうことか。「周」は、《現成公案》では〈無処不周底〉を〈ところとしていたらずといふことなき〉と道元が読んだように、「あまねくいたる」という意味がある。個人的なもの、特殊なものではなく、あまねくいたる姓ということになる。すると、先に言及した〈過去現在未来の諸仏、ともにほとけとなるときは、かならず釈迦牟尼仏となるなり〉という同一のあまね(周)き姓に至り着く。諸仏となるのは、父母から生まれた身体ではないし、祖先の功徳の果でもない。〈しかあれども、父にうけず、祖にうけず〉といわれる所以である。そういうこの世の血筋とは無関係に、みな同じ釈迦牟尼仏という同姓になる。このあと、(4)で言及される〈周なる同生あり〉は、〈ともにほとけとなる〉《即心是仏》「同生」であり、また「周なる同姓」でもあるからだ。

(3)本文

 四祖いはく、汝無仏性。いはゆる道取は、汝はたれにあらず、汝に一任すれども、無仏性なりと開演するなり。しるべし学すべし、いまはいかなる時節にして無仏性なるぞ。仏頭にして無仏性なるか、仏向上にして無仏性なるか。七通を逼塞することなかれ、八達を摸索することなかれ。無仏性は一時の三昧なりと修習することもあり。仏性成仏のとき、無仏性なるか、仏性発心のとき、無仏性なるかと問取すべし、道取すべし。露柱をしても問取せしむべし、露柱にも問取すべし、仏性をしても問取せしむべし。

【現代語訳】

 四祖は、言った「お前は無仏性」と。ここで言表されたことは、お前はほかのだれでもない、お前に一任するけれども無仏性である、と述べたのである。知るがよい、学ぶがよい。いまはどのような時節であるから無仏性なのか。仏になったばかりだから無仏性なのか、仏になってさらに仏になるから無仏性なのか。いろいろ融通無礙にいえるのに、身動きがとれないようではいけない。手探りで探してはならない。無仏性は一時の深い定であると、修行し分かることもある。仏性が成仏するとき無仏性なのか、仏性が発心するとき無仏性なのかと問うがよい、言うがよい。お堂の丸柱にも問わせるがよい、丸柱にも問うがよい。仏性にも問わせるがよい。

[注釈]

たれにあらず  同じような用法が〈使得無位真人のゆゑに、われにあらず、たれにあらず〉《空華》とあるが、「たれ」は疑問詞ではなく、「汝」や「われ」ではない不定称。

仏頭 頭には「初め」の意味があり、次に「仏向上」があるから、仏になりたての意か。「仏の頭」(『御抄』『聞解』)ではないだろう。「仏祖の頂寧ともいう。仏陀大悟のご境界だ」(安谷『参究』一五一頁)という解釈もあるが、文脈からし仏陀の大悟とは思われない。「仏にのぼりつめる」(水野訳)も仏は修行の果ではないからふさわしくない。

逼塞 逼は迫る、塞はふさぐだが、逼塞という熟語は、①充満しているさま、②締め付けられて身動きの取れないさま。ここは②の意であろう。

七通、八達 通達は滞りなく通ること、したがってあらゆる方向に滞りなく通ること。

露柱  出典「問う、如何が是れ西来意。師曰く、露柱に問取せよ。曰く、学人会せず。師曰く、我れ更に会せず。」(T51p309b)『景徳伝灯録』石頭章。「師露柱を指して曰く。何ぞ大士に問わざる」(T51p0275a)『景徳伝灯録』長沙章。

【諸釈の検討】

 無仏性という道元の説示を、一切存在するものは仏性であると解釈してきた人々は、ここを解釈できないはずである。

『御抄』は次のようにこの言葉は不審だと言う。「四祖与五祖問答段見于文、但祖曰汝無仏性之詞こそ、動執生疑となりぬべけれ。其故は一切衆生悉有仏性にて、不具仏性衆生不可有(仏性を具えざる衆生有るべからず)。今(の)詞、尤(も)不審なり。所詮如今(の)文、うつくしく、如尋常四祖与五祖被問答之(尋常の如く四祖五祖之を問答せらる)様に被心得(心得らるる)は、皆僻見也。一一被顕仏性義を(一一仏性義を顕さるる)詞と可心得(心得べし)(一二八頁)といい、肝腎の無仏性の解釈は「無仏性の詞、尽法界(の)道理、尤(も)可然(然るべし)」というだけで、なぜ無仏性が尽法界の道理なのか、少しも解釈になっていない。

  『聞解』は「衆生に無衆生性、仏に無仏性」(一二一頁)とまったく本文にないことを言う。現代でも、安谷『参究』は「無仏性という事実は七通八達だ。十方に通達している。宇宙に遍満している。だから逼塞しようがない。ふさぎようもなくふさがれようもない。いわんや宇宙遍満の仏性を手探りで探し索めるような馬鹿なことをするなかれだ」(一五一頁)と言う。これでは仏性も無仏性も宇宙に遍満しているものになる。無仏性と仏性を同じものとして扱っているわけでそれもおかしいが、宇宙に遍満するものを想定すること自体が〈満界是有〉、〈徧界我有〉(一章一節)の外道の見であろう。

 内山『味わう』は、「その決まったものがないことを無仏性という」(九四頁)と言うが、それは先には「何」の説明であり、仏性を意味していた。だから「無仏性とは刻々畢竟帰運転していくこと」(九五頁)と、内山師の「仏性」の定義と同じになっている。

 森本『読解』は「これを『仏性なし』と読むような受け取り方は避けられなければなるまい。いわば『無としての仏性』が問題なのであり、実体化された個別的存在者としての『有』の側面からではなく、『無』に直結するものとしての『仏性』を捉える必要がある」(一一八頁)と言う。いったい何をいっているのか、よく分からない。

 竹村『講義』「この無仏性というのは、仏性が無いといって悲観すべきことではなくて、無という言葉で表されるような仏の世界、それを本質としているものだと示されたということです」(一七九頁)、「無仏性というのは本当の仏性です。本当の仏性はいつ実現するか、それを究明しなさいというのです」(一八〇頁)とこれも仏性と無仏性とはけっきょく同じだというものである。

 これら現代の解釈は道元が「無仏性」と言ったこと、とりわけ「何時」無仏性なのかということを、まったく受け止めていない。いずれも仏性が無いという意味の「無仏性」を、見ようとしない。すべてこれらは「悉有は仏性」をあらゆるものが仏性であると解釈してきた帰結である。また七通八達の主語を仏性とするものが多い。

 竹村『講義』は『参究』を受けてか、「七通八達というのは、仏性があらゆるところに遍満しているということ、もうみんな仏性の中にいるということでしょう」(一八〇頁)といい、水野は「仏性は七通八達しているのに、ふさいだり、手さぐりしてはならない」(岩波本脚注)と解釈する。しかし、前の文脈からして「無仏性」とはいわれていても「仏性」とはいわれていない。それはこの巻には「仏性」が説かれていると考える根深い誤解によろう。この節は八回も、「無仏性」という言葉が使われており、「無仏性」に向き合わずに解釈できるとは思われない。

【解釈】

 この直前までは、主として性(姓)を肯定的言辞で解釈してきた。そして〈吾亦如是、汝亦如是〉と言表されるように問答する両者は共に仏であるという側面から見られてきたが、この〈四祖いはく、汝無仏姓〉でがらりと変わる。道元にとっては四祖に「無仏性である」と開演させたことが非常に重要なのであり、この四祖五祖問答全体の眼目である。ところで、すでに述べたようにここを「無仏性」とする語録資料はない。四祖は自分が姓を尋ねたのに、「仏性」と答えた五祖の才気煥発さを認めず、姓にこだわって「お前は無姓か」と尋ねたとするのが元来の問答である。道元は「無仏性」を言うためにこう四祖に言わせている。

 そして〈いはゆる道取は〉と説きだされて、道元は四祖の言った「汝」を〈汝はたれにあらず、汝に一任すれども〉と示す。

 「汝無仏性」を普通に読めば「汝」は「お前は」という主語として五祖を指すことになり、五祖が無仏 性だということになる。すると先の道元の「吾亦如是……」という解釈と齟齬する。それゆえ〈汝はたれにあらず〉と、だれと決まった人ではないということで、五祖ではない人を含意する。〈汝に一任すれども〉は、したがって、(「汝」が誰を指すかは)お前(汝)に一任するという意味であろう。懐弉書写本にはもともと〈たれにあらずといへども汝に一任〉と「といへども」が入っていたので、そのことは明瞭である。「無仏性」は、テキスト通り「仏性無し」である。五祖が無仏性なのではないし、だれがという特定の人でもないが、と断り書きが入れられているが、論じられていることは疑問の余地なく「無仏性」である。無仏性は「だれか」という問題は「汝に一任」で棚上げされ、以下詳しく問われるのは〈いかなる時節に〉という問題である。

 さて、「無仏性」はこの節だけではなく、この第二章全体の主題であるが、その参究の仕方は〈いかなる時節にして無仏性なるぞ〉と言われる。仏性の有無は「時節」によって違うのだ。するとすぐに前章でいわれた〈おほよそ時節の若至せざる時節いまだあらず、仏性の現前せざる仏性あらざるなり〉と矛盾するように思える。だがそこにおいて解釈したように(未発表)、この「時節」とは修証の而今、祇管打坐のいまここであった。誤解を恐れずに言うならば、《現成公案》最後の段でいわれた「無処不周」が〈若至せざる時節いまだあらず〉と呼応し、「あふぎを使う」が〈仏性の現前〉と呼応する。「迷中に行を立つ」といわれるように、いつでも、今ここが成仏のところであるが、成仏は行仏(あふぎを使う)時節にはじめてそうであり、仏性の現前である。そうでなければ、仏性は無なのである。ここに無仏性の時節のヒントがある。

  〈仏頭にして無仏性なるか〉とは、仏頭というのは、時節の問題だから仏になったばかり、つまり成仏の 時のこととすれば、もし「仏性」をなにか仏の種子と誤ってとるならば、仏になったらもはや仏性の種ではなく、成仏という果なので、だから無仏性ということもありえようか、とあえて問い質している。〈仏向上にして無仏性なるか〉とは、仏向上とは〈仏にいたりてすすみてさらに仏をみる〉《仏向上事》事態であり、ある意味で仏であることを止揚するのだから、それで無仏性か、と問うこともできよう。

  〈七通を逼塞することなかれ、八達を摸索することなかれ〉とは、このようにいくらでも融通無礙に問 い、言うことができるのだから、身動きがとれず、手探りするようなことではいけない、最後に四回も「問取せよ」があるのだから、言葉で問い考えろ、と道元は迫っている。この巻の後の方に〈仏性という道得を一生いはずしてやみぬる〉と嘆かれているようなことではいけないのである。

  〈無仏性は一時の三昧なりと修習することもあり〉とは、〈さとりはなきことぞともしるべし〉《唯仏与 仏》とも呼応する表現である。結跏趺坐して三昧に入っているときは、もはやあえて仏ということすらもなく、したがって無仏性ともいえよう。さらに道元は「たれ」ではなく、「仏性」を主語にして、仏性は成仏の時に、可能性としての仏性は無くなるので、無仏性なのか、発心の時、まだ仏でなく衆生だから、無仏性なのかと問え、と言う。

  〈無仏性なるかと問取すべし〉、〈露柱をしても問取せしむべし、露柱にも問取すべし〉〈仏性をしても問 取せしむべし〉と、道元は誰(何)であれ、誰(何)に向かってであれ、無仏性の時節を問え、問わせろと迫っている。問えといっても、答えが頭で分かるという仕方で答えられるものではない。しかし、とことんまで問え、ということである。これほど道元が力をこめても、大方の解釈のように、あらゆるもの、あらゆることが仏性であるという了解からは、残念ながら無仏性を問うということは絶対に出てくることはない。

(4)本文

 しかあればすなはち無仏性の道、はるかに四祖の祖室よりきこゆるものなり。黄梅に見し、趙州に流通し、大潙に挙揚す。無仏性の道、かならず精進すべし、趑 し趄 そすることなかれ。無仏性たどりぬべしといへども、何なる標準あり、汝なる時節あり、是なる投機あり、周なる同生あり。直趣なり。

【現代語訳】

 こういう次第であるから、無仏性という言葉は、はるか昔の四祖の室内から聞こえてくるものである。それは黄梅五祖のところで見聞され、趙州に流れ伝わり、大潙に宣揚された。無仏性という言葉は、かならず努力して取り組まねばならない。進まず滞ることがあってはならない。無仏性を尋ね考えるべきであるが、「何」という標準があり、「汝」という時節があり、「是」という相手との投合があり、「周」という同じ生があり、直ちに赴くものである。

[注釈]

趑趄 進まず滞ること。

たどりぬべし  同じような用法は〈仏の路のあとをばたどりぬべし〉《唯仏与仏》。辿るは、①詮索する、探り当てる、②尋ねて思い迷う、③あれこれ考え合わせる。ここは③の意に近い。たどり(動詞の未然形)+ぬ(確述の助動詞ぬの終止形)+べし(当然、推定の助動詞)○尋ね考え合わせなければならない。

投機 師家の心と学人の心とが一致投合することが原義で、道と契合することも言う。

直趣 直はすぐに、直接に、まっすぐになどの意があり、趣は向かっていく、走る、急ぐという意味。

【諸釈の検討】

 ここでも道元が「無仏性」を、精進して参究し、尋ねなければならない、といっているにもかかわらず、肝腎の「無仏性」をいずれの解釈も文字通り「仏性無し」とは取らない。

 内山『味わう』は、「無仏性」が「それは結局、無上菩提そのものだ」(九五頁)と正反対の意味で締めくくる。

【解釈】

  「無仏性」という言表は、前の解釈の通り、「汝無姓耶」を道元が変更して四祖の口にのせたものであ る。語録資料的にいえば次に論じられる五祖の「無仏性」が、祖師が無仏性に言及した最初である。しかし道元は、「無仏性」は何時、どのような相手に対し、どのような機縁で使われ、どのような内実を持つのかを参究させるために、あえて「何」「是」「汝」「周」などの言葉が出る四祖五祖の問答に「無仏性」を出したのである。「無仏性」という言表は、この後の四章で論じられるように禅宗の中で、さまざまに取り上げられたが、そのことをあらかじめここで示している。

  〈黄梅に見聞し〉とは、黄梅の五祖弘忍が六祖恵能に言った「嶺南人無仏性」(二章二節)であり、〈趙 州に流通し〉は、趙州狗子の公案(四章五節)であり、〈大潙に挙揚す〉とは、大潙の〈一切衆生無仏性〉(四章二節)であり、それぞれ後で参究される。〈無仏性の道、かならず精進すべし、趑趄することなかれ〉といわれるように、「仏性」ではなく、〈無仏性〉をこそ一生懸命参究しなければならず、怠けてはいけないといわれている。さらに〈無仏性〉はかならず尋ねて考え合わせるべきであると強く勧告されており、実際にこれからこの巻の多くの部分に亘って「無仏性」が尋ね合わされていくのである。

  〈無仏性たどりぬべしといへども〉と逆接で受けられており、その参究の際のポイントがあらかじめ以 下のように言われる。

  〈何なる標準あり〉とは、無仏性を参究するのに、「何」が標準であるという。「何」は「恁麼」といいか えてみてもよいが、まったくつかみどころがなく名づけられないものであったから、標準とは無縁のようであるが、先ほど来、見てきたように、「正当恁麼時に現成している事態」であり、それこそが標準である。

  〈汝なる時節あり〉とは、「汝無仏性」に対して〈いまはいかなる時節にして無仏性なるぞ〉といわれ た。「汝、無仏性」と師が言う時はかならず、その汝の時節が問題になる。永遠に「汝無仏性」ではありえないし、決定的に「汝無仏性」でもない。汝が仏性を具す「時節」があるので、そうでない時は無仏性である。この点について少し先走って明かせば、次のように時節が明らかになる。

  〈仏性は成仏よりさきに具足せるにあらず、成仏よりのちに具足するなり。仏性かならず成仏と同参す るなり〉(次節)。

 これによれば、無仏性は成仏以前という時節であることが明らかである。それは「悟った」時、「悟っていない」時があるということではない。結跏趺坐こそがいつも〈衆生成仏の正当恁麼時〉《三昧王三昧》である。

  〈是なる投機あり〉は、「是」とは、これまで見てきたところによれば、この私「自己」であった。無仏 性の問題は私の実存の問題である。実存の身〈是〉が、師匠に尋ねていくことが〈是なる投機〉である。

  〈周なる同生あり〉とは、すでに述べたように、自己、個人を脱落したところは、「周」すわなち、あまねきもの、諸仏と等しいところだから、諸仏と同生同死である。

  〈直趣なり〉とは、これらすべては言葉で論じる事柄ではなく、自分が直ちに赴くべき実践のところ、 〈精進すべし〉であることを示す。

(5)本文

 五祖いはく、仏性空故、所以言無。あきらかに道取す、空は無にあらず。仏性空を道取するに、半斤といはず、八両といはず、無と言取するなり。空なるゆゑに空といはず、無なるゆゑに無といはず、仏性空なるゆゑに無といふ。

 しかあれば、無の片ゝ片は空を道取する標榜なり、空は無を道取する力量なり。いはゆるの空は、色即是空の空にあらず。色即是空といふは、色を強為して空とするにあらず、空をわかちて、色を作家せるにあらず。空是空の空なるべし。空是空の空といふは、空裏一片石なり。しかあればすなはち仏性無と仏性空と仏性有と、四祖・五祖、問取道取。

【現代語訳】

 五祖が言った「仏性空故、所以言無」と。はっきりと言われている、空は無ではない。仏性空を言うのに、(同じことを異なる表現で言うのではないから)半斤といわない、八両といわない、無という言葉を使うのである。空なのだから空だ、と言わない、無なのだから無だ、と言わない、仏性空であるから無と言う。

 そうであるから「無」の一つ一つは、空を言表する道標である。空は無を言表する優れた能力である。ここでいわれる空は、「色即是空」の空ではない。色即是空というのは、色を強いて空とするのではない。空を分割して、色を作るのではない。空はほかならぬ空だという空であろう。空はほかならぬ空だという空とは、「空中の一つの石」である。そうであれば、「仏性無」と「仏性空」と「仏性有」と、四祖と五祖は問い、また言うのである。

[注釈]

半斤、八兩 一斤 きん は十六両であるから、八両と半斤は同量で、同じことを異なった言葉で言う。

言取 道取との違いがあると思われるので、「言葉を使う」とした。『正法眼蔵』の中でここだけの表現である。

標榜 印の立て札。

強為 強いてする、敢えてする。

作家 力量のあるやり手の禅者をさすが、ここでは作だけに意味があろう。

是空 これに似た「空即空」という表現は《摩訶般若波羅蜜》巻に〈色是色なり、空即空なり〉とあるが、文脈が違う。『正法眼蔵』でここだけの表現。

空裏一片石 空の中に一つの石。出典は「僧問う、如何なるか是れ西来意。師曰く、空中の一片石。僧、礼拝す。師云く、会すや。僧云く、会せず。師、云く、頼 さいわい に汝会せず。若し会せば即ち汝の頭を打破せん」(『景徳伝灯録』巻十五石霜章)である。理解し得ないことの譬え。理解し得ないことを、分かったなどと言うなら、その空にある石が落ちてきてお前の頭を打ちつけるぞ、という意。

【諸釈の検討】

 みな「空裏一片石」を次のように「空即是色」の言い換えとみるが、道元は直前に〈色即是空の空にあらず、……空即空の空なるべし。空即空の空といふは〉と、丁寧に解説しているのであるから、けっしてそうではないはずである。

  『聞書』「空裏一片石といふは、空興色二にきこゆ。しかにはあらず。ただ空裏といひつるときに空なるべし、ただ一と可心得、また空裏といへば、石もあれ、この石は空の上石なれば、空ととるべし、空の外のものにあらず」(一三五頁)と言う。石を空と取り、空と石は一つだと言う。他の諸説も多くこれを承ける。

  『聞解』は「今用(ル)意(ハ)仏性の第一義空は、会(シ)たの不会(ノ)と云(ヘ)ば空裏一片石 (ノ)落ちて頭破云々」(一二六頁)と、第一義空を云々すれば、空から石が落ちて頭が割れると言う。後半はそういうことであろうが、第一義空が問題なのではない。

  『私記』は『一字参』の説として「空裏一片石ノ模様奈何。尽十方界無更有佗物」(一二六頁)と言う。 これも尽十方界が空裏一片石だというだけで、空裏一片石とはどういうことか、何も言わない。

 安谷『参究』「(石霜の)この答えを空中に一つの石があると見たら落第だ。空裏は一片石だ。空裏と一片石と別々のものではない。それでは同じものか。同等といったら二つになる。云々」(一五五頁)。『御抄』を承けていよう。また「空も全仏性をあらわし、無も全仏性をあらわしている」(一五五頁)と言うが、仏性に全や部分があるのだろうか。また一片石はどこにいったか。

 内山『味わう』は「『空裏一片石』とは要するに空の他なんにもないということだ」(一〇〇頁)と言う。一片石はどこへいったのだろう。

 水野訳『道元』上(現代語訳)「空のうちにあるのは、石ばかり、つまり石と空が同じもの」(八四頁)。これも『御抄』の焼き直し。

 森本『読解』「『空』の中は掛け替えのない堅固な全一体であるということである」(一二一頁)。中に堅固な全一体がある空とはいかなる状態だろうか。

 竹村『講義』「空是空の世界というのは、虚空のように何もない、だだっ広い空間のような世界かというとそうではない。その中に一つの石があるというような、そういう世界だといわれます。それは色即是空、空即是色で、空はそのまま色ですから、空裏一片石だ、空の中にある一つの石だと、そうなるということもありますが、それよりも透体脱落の、その脱落した主体は、しかしかけがえのない主体として今ここにはたらいている」(一九四頁)。「そういう世界」と「かけがえのない主体」とはどこで関係しているのだろう。

【解釈】

 問答の原文では五祖は「仏性は空だから、あなたは無(仏性)と言うのですね」と言った。それは仏性常住という思想を「仏性は空」ということで乗り越え、さらに四祖の「お前には姓(仏性)はない」という言説をも「だから無ですね」と切り返す立派な答えであろう。ところが道元はそのようには理解しない。

 次の〈あきらかに道取す〉の主語は道元である。なぜなら主語が五祖であるなら「道取せり」であろう。だから道元こそがはっきり〈空は無にあらず〉と言う。それは五祖の「空だから無である」という名答を否定している。〈半斤といはず、八両といはず〉は、同じものを違う言葉で言うことの否定であるから、仏性空と無は同じものの言い替えではないという意趣である。同じものを違う言葉でいわないからといって、同じものを同じ言葉で言うのでもない、ということが〈空なるゆゑに空といはず、無なるゆゑに無といはず〉で表明される。その後の〈仏性空なるゆゑに無といふ〉は、懐弉書写本では「ときこゆ」が入っていたのを削除している。「きこゆ」は「思われる、うけとられる」という意味で、これを削除したことによって、より断定的になったといえよう。では〈仏性空なるゆゑに無といふ〉とはどのようなことか。それは四祖の「仏性空故、所以言無」とどのように違うのか。四祖の答えは「仏性」というあるものを前提して、その仏性が空であるとか、無であるとか言っているわけである。ところが道元は「仏性空」を一つの熟語にする。「仏性」とだけいわれることはこの節には皆無でる。

 では「仏性空」とは、どのようなことを含意するのだろうか。ここで「空」は、大乗仏教でいわれるところの「空」、つまり諸釈が誤った色即是空の空ではない、ということが重要である。「空」といえば、ただちに「色即是空」と考える大乗仏教徒に対して道元は丁寧に〈いはゆるの空は、色即是空の空にあらず。色即是空といふは、色を強為して空とするにあらず、空をわかちて、色を作家せるにあらず〉と明言して、色即是空の解説までしている。では、そうではないなら、どのような「空」か。それを理解する手がかりが《空華》巻にある。

  〈能造所造の四大、あはせて器世間の諸法、ならびに本覚本性等を空華といふとは、ことにしらざるなり〉。

 ここで「空華」とは、四大(身体を構成する地水火風)や、諸法、「本覚」「本性」というものは、説明のために作り出した実体のないものである。言葉としてはあるけど、実際にはないもの、兎角亀毛といってもよいものだ、ということである。「仏性空」とは、そのようなものであるから「無」であるということになる。続く〈無の片々は空を道取する標榜なり、空は無を道取する力量なり〉とは、「空」を空っぽという意味で使うから、「無」の一つ一つ、あれも無、これも無というのは「空っぽ」を言う言葉であり、「空っぽ」というのは「無」を言う立派な働きだと理解できるのではあるまいか。

 道元がこのように言を重ねるのは、どれだけ「空」という言葉が「色即是空」の「空」を連想させてしまうか、知り尽くしていたからであろう。「色即是空」ではないからといって、「虚空」の空だともいえない。「虚空」は「大地虚空」といわれるように大地の上に存在する有るものである。「そら」も存在する有るものである。そもそも無いということを表す「空」をどう表現できるのだろうか。道元は「色即是空」ではない、という意味をこめて『正法眼蔵』でここだけに使われる道元の造語〈空是空の空〉を用いる。そして〈空是空の空〉を説明する言葉として〈空裏一片石〉を持ってくる。ありえないものとしての「仏性空」の説明に、その「空」を使い〈空裏一片石〉と道元は示す。「空中のすっと〈空裏一片石〉と出るのは一つの石」と言われて、分かったと言ったら、その石が落ちてきてお前の頭を割るぞ、という意味である。道元の頭の中にどれほど祖師たちの言葉が詰まっていたのかと驚嘆するばかりである。

 仏性空は有無を超えた空などではなく、したがって、無仏性が仏性と同じであるというような解釈はぜったいに不可能である。いずれにせよ、この四祖・五祖の問答で「仏性無」「仏性有」「仏性空」が問取道取されていると道元は言う。無仏性、有仏性、空仏性ではけっしてないのは、無仏性、有仏性、空仏性と言ってしまっては、「仏性」というものが無いとか有るとか、有なる仏性、空なる仏性というように、どうしても「仏性」が名詞になって「あるもの」になってしまうからであろう。そのことは〈道有、道無、道空、道色、ただ仏祖のみこれをあきらめ正伝しきたりて古仏今仏なり〉《仏教》の用法からも推し量れる。いかなる「仏性」という「もの」を問取道取しているのではないことに留意したい。

 

二節 五祖六祖問答

(1)本文

 震旦第六祖曹谿山大鑑禅師、そのかみ黄梅山に参ぜしはじめ、五祖とふ、なんぢいづれのところよりかきたれる。六祖いはく、嶺南人なり。五祖いはく、きたりてなにごとをかもとむる。六祖いはく、作仏をもとむ五祖いはく、嶺南人無仏性、いかにしてか作仏せん。

この嶺南人無仏性といふ、嶺南人は仏性なしといふにあらず、嶺南人は仏性ありといふにあらず、嶺南人無仏性となり。いかにしてか作仏せんといふは、いかなる作仏をか期するといふなり。

【現代語訳】

 中国の第六祖、曹谿山大鑑禅師がその昔、黄梅山に初めて修行しに行ったとき、五祖(弘忍)が尋ねた、「お前は何処から来たのか」。六祖が言った、「嶺南人です」。五祖が言った、「ここにやってきて何ごとを求めているのかね」。六祖が言った、「作仏を求めています」。五祖が言った、「嶺南人は無仏性だ。どうして作仏しようか」。

 この「嶺南人無仏性」というのは、嶺南人は仏性が無いというのではない。嶺南人は仏性が有るというのではない。「嶺南人無仏性」と言うのである。「どうして作仏しようか」というのは、どのような作仏をしようとするのか、というのである。

[注釈]

五祖とふ  ここだけは、同じ章の一節、三節、あるいは他の章での書き方と異なって、則を挙げるのに漢文で書かれていない。『渉典録』でも岩波本脚注やその他にも『景徳伝灯録』弘忍章とあるが、かならずしもここからではない。『景徳伝灯録』は次のようになっている。傍線部分が異なるところである。「汝、何れ自りか来たれる」曰く「嶺南 なり」。師曰く、「何事を須めんと欲すや」。曰く、「唯だ作仏を求む」。師曰く、「嶺南人、無仏性。若為が仏を得るや」( T51,p0222c)。この問答の初出は神会の『雑徴義』増補部分(楊曽文編校本一〇九頁)であり、次が敦煌本『六祖壇経』3(三次付加、七七五年以前)、『歴代法宝記』(七七四年)そして『曹溪大師伝』(七八一年頃)、『祖堂集』、『景徳伝灯録』と続く。

『雑徴義』では次のような問答である。忍大師謂って曰く「汝は是れ何処の人なるや、何故我を礼拝するや。何物を求めんと擬 す 欲や」。能禅師答えて曰く、「弟子、嶺南新山より、故 ことさら に来たって頂礼するは、唯だ作仏を求め、更に余物を求めず」。忍大師謂って曰く、「汝は是れ嶺南の獦獠、若 いかん 為が作仏に堪えん」。

「獦獠」は南中国少数民族でも最大のチワン族とか、猿の異称ともいい、差別用語であることが歴然としている。仏教においても、いかに民族差別、地域差別があったかを示している。

敦煌本『壇経』もほぼこれと同じであるが、最後の答えに次の節で述べるようにはじめて「南北仏性」が言及される。

『歴代法宝記』は、少し略して、ここでも身とは別の仏性を言う。「問う。汝何従り来る。答えて言く。新州従り来る。唯だ作仏を求む。忍大師曰く、汝、新州、是れ猓獠なり」(T51,p182b)。

『祖堂集』には「無仏性」の語が初めて出る。「時に盧行者有り。年は三十二。嶺南従り来りて、大師を礼覲す。大師問う。汝は何方従り来るや。何の所求有りや。行者対えて曰く、新州従り来る。来りて作仏を求む。師云く、汝、嶺南人なり、無仏性也」。

次の道元の上堂の則は、今の則とほぼ同じである。

『永平広録』 431 「上堂。記得す。盧行者、五祖に詣る。祖問う、汝は是れ甚処の人ぞ。盧云く、嶺南人。祖云く、何事を求めんと欲すや。盧云く、作仏を求む。祖云く、嶺南人無仏性。盧云く、人は南北有り、仏性豈に南北有らんや。祖、是れ器なるを知りて、遂に行堂に入る。五祖・六祖、恁麼道うと雖も、永平児孫、聊か道処有り。大衆、還た委悉せんと要すや。一茎草を拈ずと雖も、未だ五茎華を供せず」(全集第四巻、脚注に「 続灯録 」とあるも不見)。

嶺南 越族などが居住する今の広東省・広西省等の中国南方。「蛮夷の地」と呼ばれ開けていない土地とされた。

【諸釈の検討】

 すでに大方の解釈は四祖の無仏性において、道元が言うようには解釈してこなかったので、ここでも「無仏性」をすなおに仏性が無いと解釈するものはほとんどない。しかもここでは道元自身が〈仏性なしといふにあらず〉と言うので、それらの解釈の論拠になっているかに見える。

『御抄』は「是はこの無を、世間の無にこゝろえて、仏性の上に仰て、無ぞ有ぞと非論(論ずるにあらず)。只此(ただこれ)嶺南人無仏性となり。此(の)無の詞、先々に談(ずること)旧に了(る)。今更、非可疑(疑うべきにあらず)」(一四六頁)として前の通りとしている。

  『聞解』はそれに「仏性本より不有不無(有ならず無ならざる)もの、只無仏性也と般若の大空を明す。 空裏一片石の意で見るべし」(一三六頁)と付け加える。仏性と無仏性が同じものとして論じられ、道元がそうではないといった般若の空(色即是空)を持ち出している。

  『私記』は「嶺南人無仏性とは東西南北無仏性なり、三頭八臂無仏性なり……」(一三六頁)とするが、 それでは自らの悉有仏性の解釈「年代も方寓もみな仏性なり」(七三頁)と齟齬する。

 秋山『研究』は、無仏性の節でこの問答を一切取り上げていない。何故だろうか。

 余語『これ』は「天地いっぱいの命だけで、その他のものは無いのです。全部それっきりの時に無というのです。一切衆生悉有仏性というお経の言葉と一切衆生無仏性というのと同じことです。ここに嶺南人無仏性というのは嶺南人が代表している一切衆生なのです。その嶺南人悉有仏性です。」(一〇九頁)と言う。有仏性と無仏性は同じで、この無仏性は悉有仏性であるとは、恐れ入った解釈である。

 岩波本脚注では「嶺南人は無であり、仏性である」とする。本文は全体に「なり」がかかっているので、こうは読めない。

 内山『味わう』は「いま無仏性というのは仏性が仏性であって、仏性ということばの入る余地もないほど仏性そのものだということです」(一〇四頁)と、「無」仏性の重さを無視している。また「衆生本来成仏しているそのうえに、どんな作仏を期するのかということです」(一一一頁)と、本覚思想を前提にしている。

 森本『読解』は「嶺南人無仏性と、そのまま読むべきなのだが、くだけた読み方としては『嶺南人は無仏性なり』の方が無難であろう。その場合『仏性』は『無』と捉えられているのである」(一二三頁)と言う。その読みは道元が否定した読み方〈嶺南人は仏性なしといふにあらず〉に近いし、どこから仏性が無であるといえるのだろう。

 石井訳は「嶺南人無仏性」を、「嶺南」「人無仏性」とするが、「嶺南」で切ることはできない。

 何「一考察」は「道元のいう無仏性は、『仏性が無い』というのではなく、絶対的立場から仏性と無仏性を共に否定した『無仏性』であるということがわかる」(一一頁)といい、その証拠としてここの〈仏性なしといふにあらず、……ありといふにあらず、嶺南人無仏性となり〉を引く。しかし、ここはあくまで嶺南人に限定された仏性について解釈しているのであり、道元の「無仏性」を解説しているのではなかろう。道元自身の「仏性の道理」は後にあらためて説かれる。

 竹村『講義』では「『嶺南人無仏性』と言った、その無仏性というのは、仏性が無いとか何とか言っているのではなくて、お前さん、もうすでに仏性そのものではないか、無というあり方の仏そのもののあり方にあるではないか、どうしてさらに作仏を求めるのか、こんなふうに解釈することも十分できるわけです」(二〇〇頁)、「お前はある意味で『無仏性』という『仏性』を持っているのだから、というより『無なる仏性』そのものなのだから」(二〇一頁)と言う。前の解釈と大同小異であるし、道元はどこにも「無なる仏性」など言っていない。結局お前はすでに仏だということで、道元の解釈とは逆になる。

【解釈】

六祖は仏性について色々語ったと考えられている。しかし、敦煌本『六祖壇経』の古本とされる部分には「仏性」の語はない(拙論「恵能と仏性」『禅文化研究所紀要』三一号参照)。神会の弟子たちによる増補部分に「仏性」や「見性」が見られる。ただ七八一年頃とされる『曹溪大師伝』では、「涅槃経」と「仏性」が頻出する。また『景徳伝灯録』(仏性を好み多用する傾向がある)の恵能章には「仏性」の語は多い。

 この問答は、本来は、六祖を褒める為の話で、五祖が差別的言辞をもって六祖に応接したのに対して、六祖がすばらしい答えをして五祖に認められたということである。したがって六祖の答えにこそ意義があるのに、道元は、その前の五祖の質問にライトを当てる。すなわち道元は普通の引用と異なり、五祖の問いで切ってしまい、拈提を始める。テキストはあと一言、六祖の答えが続くだけなのに、あえてここで切ったということの重さが勘考されねばならない。

  〈嶺南人は仏性なしといふにあらず〉を、多くの解釈が無仏性は仏性無しということではない、として すべてのものに仏性があるという自説の論拠にしている。しかし、ここは「無仏は仏性なしというにあらず」ではなく、〈嶺南人は仏性なしといふにあらず〉なのである。わざわざ主語に「は」を添えて嶺南人に関する言説であることを間違いなく伝えている。つまり紛れもない差別的言辞「嶺南人無仏性」に対して、道元は、嶺南人は仏性が無いといっているのではない、と独特の指摘をしている。もちろん仏性概念を積極的に肯定してはいない道元だから〈嶺南人は仏性ありといふにあらず〉と、そこも念を押す。

 では、その両方を否定した〈嶺南人無仏性〉とは如何なることだろうか。この場合、〈嶺南人〉は、一般に嶺南人は、というのではなく、呼びかけ、つまり「汝」と同じような意味でお前、嶺南人よ、という呼びかけと受け取れる。この言葉は後で〈五祖よく六祖を作仏せしむるに、佗の道取なし、善巧なし。ただ嶺南人無仏性といふ〉とあって、その言葉によって六祖その人を成仏させ得たとされる大事な一言である。その「無仏性」は四祖五祖の無仏性問答とはまったく異なる意味を帯びる。四祖五祖の場合は、互角の問答であり、そこで道元は聴衆の側に〈しるべし、学すべし〉と要請したが、ここの場合は、六祖に向かって「お前(嶺南人)は無仏性だ」と鋭く突きつける形である。つまりまだ六祖は作仏していない衆生なのである。〈いかにしてか作仏せん〉は、普通、どうして作仏できようか、作仏できないという反語であるが、道元は〈といふは、いかなる作仏をか期するといふなり〉とこれまた独特に疑問文と理解する。どのような作仏をなそうとしているのか、という六祖に対する質問である。つまり、お前はまだ成仏していない、どういう作仏をするのか、と道元は、五祖の答を受け取るのである。この後、六祖の答えをあえて保留して挙げないで、道元は自ら仏性の道理を明らかにしている。こここそ、《仏性》巻の核心である。

(2)本文

 おほよそ仏性の道理、あきらむる先達すくなし。諸阿笈摩教および経論師のしるべきにあらず、仏祖の児孫のみ単伝するなり。

 仏性の道理は、仏性は成仏よりさきに具足せるにあらず、成仏よりのちに具足するなり。仏性かならず成仏と同参するなり。この道理、よくよく参究功夫すべし、三二十年も功夫参学すべし。十聖三賢のあきらむるところにあらず、衆生有仏性、衆生無仏性と道取する、この道理なり。成仏已来に具足する法なりと参学する正的なり。かくのごとく学せざるは、仏法にあらざるべし、かくのごとく学せずば、仏法あへて今日にいたるべからず。もしこの道理あきらめざるには、成仏をあきらめず、見聞せざるなり。

【現代語訳】

 おしなべて仏性の道理を、明らかにしている先輩は少ない。多くの阿含経典、経典伝持者や教学者が知るところではない。仏である祖師の後継者だけが一人から一人に伝えるのである。

 仏性の道理とは、仏性は成仏より以前に具わっているのではない。成仏より以後に具わるのである。仏性はかならず成仏と同時に修するのである。この道理を、充分に参究し功夫しなければならない。二十年、三十年も功夫し修行しなければならない。十聖や三賢(といった成仏以前の人々)が明らかにするところではない。「衆生有仏性」、「衆生無仏性」と言い表すのは、この道理である。成仏以来に具わる法であると学ぶのは、正しく的を射ているのである。このように学ばないのは、仏法ではないだろう。このように学ばなければ、仏法はとうてい今日まで到達するはずがない。もしこの道理を明らかにしないならば、成仏とは何であるかを明らかにせず、見聞しないのである。

[注釈]

十聖三賢 菩薩が修行すべき五十位を十信・十住・十行・十回向・十地に分け、そのうちの十住・十行・十回向を三賢と言い、十地を究めた菩薩を十聖と言う。

衆生有仏性・衆生無仏 四章ではこれが主題となる。

参考   『永平広録』 418 「涅槃会上堂。……一切衆生有仏性、世尊開示し凡聖を化す。哀れなる哉、今夜、涅槃の後、 一切衆生無仏性。這箇は是れ凡聖辺の事。向上、又作麼生。大衆還た聴くを要すや。……」。

正的 正しく的を射ている。

【諸釈の検討】

  『御抄』はこの道理について「又仏性は成仏よりさきに具足せるにあらず、成仏より後に具足するなり と云々。此(の)条、大に不審也。仏性は具縛凡夫具足せる法なり。是を修しあらはす時成仏す。然者(しかれば)仏性は先より具足する法也。而今御詞不被心得(而今の御詞、心得られざるなり)」(一四六頁)と道元の言葉をうなずけないといっている。そして「仏法上の前後さらに、不可有差別事也(差別の事有るべからざる事なり)」(一四七頁)と混ぜ返して、道元の言葉を無化してしまっている。いかに「仏性は具縛凡夫具足せる法なり」という見解が根強いか、したがって道元がいかにくどいほど、この道元独特の「道理」を説き、二、三十年も工夫すべしと言わねばならなかったかが思いやられる。

  『聞書』では〈具足す〉を「具足すと云(う)すがたは仏性の全面をもて、具足すと云、成仏の全面を もて具足と云、彼此具足の具足にあらず」(一四九頁)と言う。仏性の全面、成仏の全面とはいったい何のことか、半面もあるのか意味不明であり、また、彼れ此れ(あれこれとものが)具足すという意味ではない、と言うが、ここでは普通に仏性が具わると道元は言っているのである。また「成仏以来に具足する法なりと云は、成仏前後なし、始終なし。ゆへに以来とつかふもいづれの程と、ささざる心也」(一四九頁)と、これまた〈已来〉、〈さき〉〈のち〉と前後の後であることに疑問の余地のない道元の言葉を、まったく台無しにしている。しかもその〈具足する〉を「如来常住有無変易の心なり」(一五〇頁)と勝手に解釈する。道元がこの巻冒頭で、偈の後半のその句に触れなかった意味などなにも考慮されていな

い。〈成仏より後〉も「成仏より前後といふは、前三三、後三三を云也。前後にかゝはる前後にてはなき也」(一四九頁)と本文を眩まして否定してしまっている。

  『私記』はこれらの解釈を「影室の弁、痛快ならず、まどうべからず」(一三七頁)と軽く批判してはい るが、「仏性と成仏と同別の論にあらざるがゆゑに、さきに具足せるにあらず、同別の論にあらざるがゆゑに具足せるなり。つまりいはば仏性は前後際断なるゆゑに具足せるにあらず、具足するなり。ただこれ仏性のあとさきなり」(一三七頁)と論理にならない詭弁を弄している。こんなに間違いようのない道元の言い方をどうして素直に聞けないのだろうか。仏性は成仏の前には具足しない、成仏と同参するから、成仏以後は具足する、とそれだけのことであるのに。

  『聞解』は『涅槃経』を引いて「得正覚後正知仏性也(正覚を得て後に正に仏性を知る也)、故に仏性無 の道理は成仏と同参する也」(一三七頁)と言う。『涅槃経』は仏性の知について言うが、具足するか否かではないし、道元はどこにも「仏性無の道理」などといってはいない。「仏性の道理」といっている。

  『弁註』はさらに『涅槃経』の別の箇所を引いて、「是(を)以(て)成仏(して)後(に)乃(ち)証 知(すと)説(く)、是也」(一三八頁)と言う。これも同様にどこにも「証知する」とは道元は言っておらず、具足するといっているのである。また「仏性の有無を明らかに道取することは、成仏已後に具足する法なりと参学する仏祖の正的也。後に具足するとは不知、伽耶成仏已来か、久遠成仏已来か、是什麼の時節ぞ」(一三八頁)と言う。これもわれわれ自身の成仏の話を、歴史的釈迦の成仏以来か『法華経』の久遠成仏以来かと教学的なことを言って、道元の言葉を無化している。『那一宝』はこの『弁註』の「仏性の有無」以下を踏襲している。

 いかに道元門下に、仏性はあらゆるものに有るという思想が浸透していたか、嘆息に余るものがある。

 余語『これ』は、現代における宗門解釈のひとつであるが、同様の解釈である。「仏性かならず成仏と同参するなり、参同契という言い方もありますが、その契という字は前に話したようにきちっとくっつくという意味です。ぴしゃっと一つになっている、これが具体的事実なのです。お互いの事実がそういうところにおるわけです。……そういうふうに、今生きている姿の上に現じておるということです。……とにかく有仏性も無仏性も同じことなので、全部が仏性だということを、言葉をかえて説明してきているわけです。成仏已来具足するというのは、具体的にこの生きている命の上に、そこにはじめて仏性、天地の命というようなものは具体的に現われているのじゃということです」(一〇七頁)と言う。あえて批判するまでもない誤りである。

 安谷『参究』は、悉有仏性は「本分上」のことであり、今ここで無仏性というのは、「修証辺」のことであると言う。「本分上」とはいわば、理としては、本来そうであると分かるということであろう。「修証辺」とは修行して悟りを開いていく時の実際という意味で使われている。しかし、まさにこのようなあり方が本覚始覚という捉え方であり、事実『参究』は続いて「発心してはじめて仏性が仏性にめざめ出すのであり、成仏してはじめて仏性が完全に仏性になるのである。これを始覚の仏と言う。本覚の仏は本来成仏であるけれども、それは凡夫の夢をみている仏だから、事実は凡夫である」(一六七頁)と言う。道元は一章五節の時節因縁のところで「本覚始覚、無覚正覚等の智をもちいるには観ぜられざるなり」といっていた。およそ、本覚始覚を肯定的にはいわない道元の言葉を、それを用いて解釈するのは間違いである。またここには仏性がやはり、可能性(めざめてやがて完全になる)という意味に理解されている。また、道元は〈具足する〉といっているのに、「見失っている仏性を発見し、活捉しようと一心不乱に端坐参禅することがなにより大切だ」(一六三頁)と見性禅を持ち込んでいる。それが道元のいうところと齟齬することは明白である。いずれにしてもこれでは発心して仏性が仏性に目覚めるので、最初から仏性はあり、成仏以後の具足ではない。

 内山『味わう』は〈成仏と同参するなり〉を「いまわれわれいくら天地一杯の生命実物を生きているか

らといっても、それを扇ぎ出さなければダメだ。いま扇ぐということで、いま事実風は起こるのだ。これはもうこれでいいという到達点はないのだからうっかり腰をおろさず、云々」(一一二頁)と言う。ここに「誰でも彼でも生命実物を生きている」(一一一頁)という存在論的仏性と、〈一切衆生悉有仏性〉を「畢竟帰運転していく行そのもの」(三一頁)と述べた行的仏性の乖離が窺われ、道元の言葉にそった解釈とはなっていない。

 竹村『講義』は、いちおう字義通りに解釈した後で「おそらく私は成仏とだけ同参するばかりではないだろうと思うのです。……ご飯を食べるとか、寝るとか、そういうことも時節因縁です。そのときそのときの今・ここ・自己に同参する、そこに仏性があるのではないでしょうか」(二〇四頁)と自分の見解を述べることによって、道元の真意を晦ましている。〈成仏と同参〉についても後に同じ説明を繰り返したあと、「あるいはあくまでもその意味で、この成仏は、本来成仏のことで、無始以来、同参しているということを読んでもいいでしょう」(二〇五頁)と言う。すぐ後で道元がこの〈無仏性〉の言葉が六祖を作仏させるといっているのであるから、この成仏がそんな本来成仏でないことは当然である。本来成仏なら後、前という言葉とはなじまないし、なによりも道元は如浄に「一切衆生本よりこれ仏なりと言わば、かえって自然外道に同じきなり」(『宝慶記』4)と示されたが故に、「本来」という語を好まず、先尼外道の見として「これを本来の性とするがゆえに」(『弁道話』)とつかっているだけで、道元自らの言葉としてはわずかに「本来面目」がつかわれているのみである。

 森本『読解』は「この道理からすれば、『仏性』というものは、それぞれの事実なり現象なりに先行す

るものとして実体的に設定される本質といった類のものではないのであるから、『仏性は成仏よりさきに具足せるにあらず』とも、『成仏よりのちに具足するなり』とも指摘され、『仏性かならず成仏と同参するなり』という確認がしめされるのだ」(一二四頁)と言う。しかし、先に悉有を「ことごとくあるもの」と解釈したのだから、仏性が衆生に具足するといってどうしていけないのか、論理を欠落させてただ道元の言葉をなぞっているにすぎない。

 伊藤『研究』は、唯一といっていいくらい道元のこの節の言葉を、言葉通り受け取って、「仏性は成仏より先に具足するのではなく、成仏より後に具足するのであるが、それは『成仏と同時である』と具足する時期が明確に示されたのである」(四七二頁)としている。その論拠には《栢樹子》の〈たれか道取する、仏性かならず成仏すべしと。仏性は成仏以後の荘厳なり、さらに成仏と同生同参する仏性もあるべし〉が引かれている。ただ、それを「仏性は成仏と同時に顕れるということである」と、「仏性」というものが「顕れる」と考えられている節がある。顕在しないときは潜在しているのか陰在しているのか、と聞きたくなる。それは「成仏の時にはじめて、悉有が、山河大地が、仏性としてその者の前に顕在するのである」(四七三頁)という叙述にも窺える。たしかに悉有が、山河大地がそのものとして現成するとはいえようが、「仏性として……顕在する」とはいえまい。「仏性顕在論」という議論の言葉に影響されたと思われるが、〈仏性の現前せざる仏性あらざるなり〉(一章五節)といわれていた。後にもふれるように道元にとって「仏性」とは仏の性というほどの意味である。仏であればかならず仏性現前である。したがって「具足」するとはいえても、顕われるとか顕在するとかという表現はふさわしくないだろう。

【解釈】

  〈諸阿笈摩教および経論師のしるべきにあらず〉とは、『阿含経』にはそもそも仏性は説かれないからも とより知るところではない。〈経論師〉とは、たとえば『涅槃経』をはじめとして数々の仏性や如来蔵を説く経典があり、『仏性論』『天台摩訶止観』をはじめとして中国の膨大な論書で仏性に関する論が展開されてきたのであるが、それにもかかわらず、それらは仏性の道理を知らないと道元は言う。つまり、それらの経論は、衆生(あるいは一部の衆生)は仏性(如来蔵)が有る、具足している、と説くのであるから、道元はその道理をすべて批判しているといえる。〈仏祖の児孫〉とは、禅者ということだろうが、彼らのみ単伝するとはいかなることか。

  「仏性を単伝する」といえば、それを説いたり、大切にしてきたと思われるかもしれないがまったく逆 で、祖師たちは四章で言及するかぎり、「仏性」を問答しても「衆生有仏性」を言うのは一人にすぎない。

すでに石頭は「如何なるか是れ仏」の問いに「汝無仏性」と答え、そう答えられた招提は、以後もっぱら「去れ去れ、汝無仏性」(T51,p311b)と応接している。また、章敬懐暉は、明らめ得ない僧に「汝無仏性」( T51,p252c)といい、朗州古堤も同じように「去れ、汝無仏性」 (T51,p270a)といっているが、彼の場合、後に道元が絶賛する潙山の「無仏性」からこの道得を得ている。

  〈仏性の道理〉とは、「道理」といわれるだけあって、理屈でよく分かることである。成仏のところで成 り立っている(具足している)のが仏性である。成仏以前の衆生には仏性は具足していない。成仏以後に具わるものである。成仏以後ということは仏に成った後で、したがって文字通り、仏に具わる性質が仏性である。当たり前のことである。さて、そういってしまえば、それはそもそも仏性思想、如来蔵思想をまったく否定することになる。『涅槃経』の前半の思想は衆生の仏性が、仏の潜在態、種姓、胎として言われるのである。だが、道元が言うように仏性が成仏と同参するものであるなら、仏の性(質)なのであるから、わざわざ「仏性」と呼ぶ必要がないではないか、ともいえよう。たしかにそうであり、それは仏の具えているものとして、さとりとも、如来とも菩提とも言ったらよいのである。そのような反省からか『涅槃経』増補部に「仏性は即ち是れ如来如来は即ち是れ一切不共の法。不共の法は即ち是れ解脱。解脱は即ち是れ涅槃」(迦葉品T12,p576a )と説かれるに至る。親鸞が『教行信証真仏土巻に引用した「如 来者即是涅槃。涅槃者即是無尽。無尽者即是仏性。仏性者即是決定。決定者即是阿耨多羅三藐三菩提」(如来性品T12,p395c )という句と極めて近い。だが敢えて言えば、道元にとっては〈仏性〉は無しですま せたい用語だったのであろう。

 この〈仏性は成仏よりさきに具足せるにあらず、成仏よりのちに具足するなり。仏性かならず成仏と同参するなり〉ということこそ、道元がこの巻で力説したかったハイライトである。それはまったく「一切衆生悉有仏性」を否定する発想である。しかもあえて〈悉有仏性〉を巻頭に掲げて「仏言」とし、さんざん苦労して解釈に解釈を重ねて自分が言わんとする「仏性」を明らかにした上で、二章の六祖にちなんでこの言葉を出したのである。

 仏性が成仏以後に具足するのであれば、論理の必然として、次にいわれるように〈衆生無仏性〉となる。五祖と初相見している六祖は、成仏以前の衆生であり、したがって無仏性なのである。それはだれにでもよく分かる「道理」である。

 ところで〈仏性かならず成仏と同参するなり〉は、後に添加されたものである。この〈同参〉の付加によって、成仏する時があり、その前と後があると誤解されかねない言い方が、成仏という主体のあり方、つまり打坐の正当恁麼時、行仏であることがいっそう闡明されている。

 これが諸釈において字義通りに解釈されないのは、やはり一章の〈衆生の内外、仏性の悉有なり〉によって、また〈悉有は仏性なり〉、〈悉有の一悉を衆生と云う〉の三段論法で、仏性と衆生が同義語のように見なされたからであろう。

  〈衆生有仏性、衆生無仏性と道取する、この道理なり〉とは、有とも無ともどちらでも言えるというこ とではなく、すでに経典や論書で衆生有仏性とされている、それを受けて禅師たちが〈衆生有仏性、衆生無仏性と道取〉してきた歴史がある、それを指すのであり、またこの巻の四章ではさまざまな禅師たちの〈有仏性、無仏性〉の道取が取り上げられるのである。

  〈この道理、よくよく参究功夫すべし、三二十年も功夫参学すべし〉といわれるのは、実際「仏性」の 先入見が解けるのに三十年くらい要する、いや二、三十年坐禅しても、諸釈の検討でみたように十分には理解されないからであろう。中国、日本の仏教にとって『涅槃経』の「仏性」を乗り越えるのはほんとうに難しいことだからである。

 それゆえか道元はなおも、くどいほど重ねて〈成仏已来に具足する法なりと参学する正的なり。かくのごとく学せざるは、仏法にあらざるべし。かくのごとく学せずば、仏法あへて今日にいたるべからず、もしこの道理あきらめざるには、成仏をあきらめず、見聞せざるなり〉と言う。

  《栢樹子》でも同様のことが〈たれか道取する、仏性かならず成仏すべしと。仏性は成仏以後の荘厳な り、さらに成仏と同生同参する仏性もあるべし〉と説かれるが、〈具足する〉という言い方にかわって〈荘厳〉といわれている。それは、「具足」がなお「何かあるもの」が具わるという語感を免れないのに対して、飾り、厳かさなど、すばらしさを形容する詞である「荘厳」に変えることにより、仏性が有り無しを言う「もの」ではないことをより明らかにしているといえる。

 「仏性」は、なにか「もの」ではないということについては、他の巻では、〈仏性〉といわれたものが 「心」ととらえられていることが、その先尼外道批判の同質さから窺われる。そこでも「即心是仏」が、「心」というモノが仏であると言うのではなく、仏の行の成り立っているところが即心是仏であるといわれている。

  〈しかあればすなはち、即心是仏とは、発心・修行・菩提・涅槃の諸仏なり。いまだ発心・修行・菩 提・涅槃せざるは、即心是仏にあらず〉《即心是仏》。

  〈衆生無仏性〉と仏性は〈成仏已来具足する法〉であるということはセットの概念である。しかも非常 に分かりやすい道理であるにもかかわらず、道元の児孫のほとんどが、素直に道元の道理に耳を傾けなかった、その理由は何であろうか。一つには、それが聞き慣れた「一切衆生悉有仏性」とあまりに異なっているためである。第二に、この巻の初めの〈悉有は仏性なり〉を、存在するものはことごとく仏性であると解釈してきた為である。第三に、道元の初期著作にある「道本円通、争 いかで か修証を仮らん」(『普勧坐禅儀』)、「われらはもとより無上菩提かけたるにあらず。とこしなえに受容す」(『辦道話』)などという証の言葉が、あたかもだれにでも、もともと仏であるような誤解を生んだと推測されるのである。

  (3)本文

 このゆゑに、五祖は向他道するに、嶺南人無仏性と為道するなり。見仏聞法の最初に、難得難聞なるは、衆生無仏性なり。或従知識、或従経巻するに、きくことのよろこぶべきは、衆生無仏性なり。一切衆生無仏性を見聞覚知に参飽せざるものは、仏性いまだ見聞覚知せざるなり。六祖もはら作仏をもとむるに、五祖よく六祖を作仏せしむるに、佗の道取なし、善巧なし。たゞ嶺南人無仏性といふ。しるべし、無仏性の道取聞取、これ作仏の直道なりといふことを。しかあれば、無仏性の正当恁麼時、すなはち作仏なり。無仏性いまだ見聞せず道取せざるは、いまだ作仏せざるなり。

【現代語訳】

 こういうわけで、五祖が彼に向かって言うのに、「嶺南人無仏性」と言ってあげたのである。仏に見 まみえ、仏法を聞く時、最初に、得難く聞き難いのは、「衆生無仏性」である。よい師から学び、経典から学ぶ時に、聴いて喜ぶべきことは、「衆生無仏性」である。「一切衆生無仏性」という句を、飽きる程充分に見聞きせず知らない者は、仏性をいまだ見聞きせず知らないのである。六祖がひたすら作仏を求めたのに対して、また五祖がまさしく六祖を作仏させるのに、他の言い方はしておらず、善い巧みな手だてもない。ただ「嶺南人無仏性」と言ったのである。知るがいい、「無仏性」と言うこと、聞き取ること、それが作仏への直接の道であるということを。そうであるから、「無仏性」のまさにその時が、すなわち作仏である。「無仏性」をまだ見聞しておらず、言うことができないのは、まだ作仏していないのである。

[注釈]

或従知識、或従経卷 道元特有の漢熟語の言い回し、よい(友人)指導者により、経巻によりの意。

善巧 善巧方便。衆生を導くための巧みな手段。

【諸釈の検討】

 古釈はほとんどこの一段、とりわけ三度も出る「無仏性」を解釈していない。

『御抄』は「返々も成仏より先に具足すと云、見解を被嫌也。見仏聞法の最初に難得難聞なれば、衆生 無仏性也。或従知識或従経巻するに聞事のよろこぶべきは、衆生無仏性也云々。返々も衆生無仏性の詞を被讃嘆也、其故は打任ては仏性上に、尋常の有無を置いて心得る常義也。而(るに)此(の)有無を仏性の上に心得て、有も無も仏性也と心得る分がいかにも非祖門相伝義(祖門相伝の義には非ざる)に者(は)、難見聞所を如此被述(此の如く述べらるる)也」(一四七頁)とあるのを見ると、道元がいっていることを受け入れているようにも見える。ただ道元の本文は「難得難聞なるは、衆生無仏性也」であって、聞きがたいことが「衆生無仏性」であるのに、『御抄』では「難得難聞なれば」すなわち、聞きがたいから衆生無仏性也ということになって、まったく違う意味になる。さらに後に「人がやがて仏性なれば、人は作仏すともと云道理あり」(一四七頁)、といっており、道元の言うことをはたして理解しているか甚だ疑問である。

  『聞解』は「見仏聞法已下ひろく無仏性の聞くこと難く明らむることの難を明かす」(一三九頁)とは いっても、三回も言及されている〈(一切)衆生無仏性〉にはいっさい触れていない。

『私記』は「見仏聞法の最初、或従知識、或従経巻、ことごとく衆生無仏性なり、雨滴声ばちばちなり」(一三九頁)と言う。これでは或従知識や或従経巻が衆生無仏性になってしまい、なんのことか分からない。

 その他の古釈でなぜ「衆生無仏性」が作仏にかかわるのかを明らかにしている解釈はない。

 余語『これ』は、「しかあれば無仏性の正当恁麼時というのは、無仏性といったその時にそれが作仏だというのです。山川草木がそこにあるということが成仏したということです。草が草であること、そのことが成仏した、作仏だと書いてあるのです」(一一一頁)と言うが、道元は天台本覚法門とは違い山川草木についてここで語ってはいない。

 安谷『参究』は字面だけを現代語で辿り、「ここも難解な言葉はない。ただ『無仏性の正当恁麼時すなわち作仏なり』の一語が本当に呑みこめるかどうかが問題である」といい、「その見失っている仏性を発見し、活捉しようと一心不乱に端坐参禅(懺悔)することが何より大切だ。そして無字なら無字の公案で、本当に大死一番、大活現成して、無仏性(本分上の)をチラリとでもたしかに見とどけることが根本である」(一六九頁)と、およそ、道元がいいそうもない自分の見解を述べている。仏性のみならず無仏性をも見るのが公案禅なのであろうか。いずれにしろ、そのような悟りを期待して坐禅に励むことは、道元からすれば大迷である。

 内山『味わう』は、先に二つの論理の乖離を指摘したが、それが「作仏も仏性、不作仏も仏性、何から何までどっちへどう転んでも仏性なのだから」(一一五頁)という言い方になる。内山『味わう』の徹底しないところである。

 竹村『講義』は、せっかく「ずばり、自己を自覚させるその一転語として『嶺南人無仏性』とただこれだけをいったのです」(二一五頁)と解釈したにもかかわらず、その後〈無仏性の正当恁麼時すなはち作仏なり〉を注釈して「正当恁麼時とはまさにそのときです。言うことなら言うことのただ中、聞くことなら聞くことのただ中。我々が日常生きているその一瞬一瞬、現在現在、その現在のただ中。そこに自己を超えて、自己として生きているその本来の自己というものがはたらいている。そこに仏になるということが実はあるのだ」としてしまう。肝腎の「無仏性」には一言も触れない。それでは「嶺南人無仏性」といってもいわなくても意味はないことになってしまう。

【解釈】

 道元は〈嶺南人、無仏性〉という、普通には六祖にやり込められた五祖の不用意な差別発言と見えるものを、〈五祖よく六祖を作仏せしむるに、他の道取なし、善巧なし、ただ嶺南人無仏性といふ〉と非常に高く評価する。この言葉によって、はじめて六祖が作仏できた、というのである。もちろん、それを言っただけではだめで、それを聞くことが大事である。聞く人は、どうかといえば、〈六祖もはら作仏をもとむるに〉とあって、真剣に作仏を求めている人であることが明言される。自分が仏になろうと努力しているのである。そのような人に対してはじめて五祖の言葉が功を奏する。〈嶺南人、無仏性〉は六祖にとって、そのように真剣に努力して道を求めることの否定であるように響く。それは〈自己をはこびて万法を修証する〉《現成公案》というあり方だったからであろう。〈人はじめて法を求むる時、法の辺際を離却せり〉《現成公案》といわれる通りである。

 道元によれば〈無仏性〉はその誤りを厳しく糺す言葉であり、〈無仏性の道取問取、これ作仏の直道なり〉といわれるように、その「無仏性」という言葉が、道を求める者に聞き入れられたとき、はじめて求める方向の転換がおこる。私が仏になるのではなく、そのように求める私をやめることに気づき、自己が脱落する。無仏性の〈道取問取〉が作仏の直道といわれるが、実は自分が無仏性だという自覚だけでは不十分である。〈同参〉といわれたように、仏行に参じることが要請される。そのような打坐のところ、それが不覚不知に仏である。他にもこのような例をさきに紹介した石頭や懐暉の「汝無仏性」にも指摘できる。

 仏になる、成仏というのは、私にはできない難しいことなのではなく、私(自己)が脱落したまさにその時、すでにそうなのである。それで〈作仏の直道〉といわれる。「直」は「まっすぐな」という意味もあるが、「すぐに、直ちに」という語感も強く響く。坐禅修行するところ、そのままが直ちに涅槃だから直道なのである。そのことは《即心是仏》巻にわかりやすく次のように示されている。

 〈たとひ一刹那に発心修証するも即心是仏なり、たとひ一極微中に発心修証するも即心是仏なり、たと ひ無量劫に発心修証するも即心是仏なり、たとひ一念中に発心修証するも即心是仏なり、たとひ半拳裏に発心修証するも即心是仏なり〉この〈即心是仏〉がいわば「仏性」である。

 それにしても〈衆生無仏性〉に籠めた道元の想いには、尋常ならざる強いものがある。道元の「仏性」に対するわだかまりは、実はすでに遡って道元が如浄に参じた次のような問と答に存在する。

 ―拝問す。「古今の善知識の曰く、『魚の水を飲んで冷煖自知するがごとき、この自知は即ち覚なり。これをもって菩提の悟りとなす』と。道元難じて云わく、もし自知即ち正覚ならば、一切の衆生にはみな自知あり。一切衆生は自知あるに依って、正覚の如来たるべきや。ある人は云わく、『然るべし、一切の衆生は無始本有の如来なり』と。ある人は云わく、『一切の衆生は、必ずしもみなこれ如来なるにはあらず。所以は如何とならば、もし、自覚性智即ちこれなりと知る者は、即ちこれ如来なるも、未だ知らざる者は、これならざればなり』と。かくのごとき等の説はこれ仏法なるべしや、否や」。

 和尚、示して云わく、「もし一切の衆生本よりこれ仏なりと言わば、かえって自然外道に同じきなり。我・我所をもって諸仏に比ぶるは、未だ得ざるに得たりと思い、未だ証せざるに証せりというを免るべからざるものなり」―(『宝慶記』4)

 ここでも道元は古今の善知識が言っていることとして、一切衆生は自知があり、したがって菩提であり、如来である、と言う。当時、日本達磨宗をはじめとしてそのような言説をなす者が実際に多くいたのであろうし、とりわけ、その日本達磨宗に属していた人々を弟子として迎え、この示衆の相手とした道元は、しかとこれを言っておきたかったに違いない。

普通は最初に道を求める時、「衆生悉有仏性」こそ、自分にも成仏の可能性があるという励ましの言葉として、喜ぶべき詞である。ところが道元は〈見仏聞法の最初に、難得難聞なるは、衆生無仏性なり、或從知識、或從経卷するに、きくことのよろこぶべきは、衆生無仏性なり〉と言う。じっさい、経典にも論書にも「衆生無仏性」と説かれているものは少ない。文字通り「難得難聞」である。おそらく禅宗のみが「一切衆生無仏性」という言葉を発し得たのであろう。それでもそれを聞く事は容易ではない。道元は四祖の「無仏性」の詞を『林間録』にまで尋ねて求めて初めて聞き得たのだ。仏性や見性をいうものも傍系の禅語録には多い。

  〈一切衆生無仏性を見聞覚知に参飽せざるものは仏性いまだ見聞覚知せざるなり〉とはっきり告げられ ているにもかかわらず、今日まで「無仏性は無という仏性である」というような解釈しかしてこなかったのが道元門下なのではなかろうか。道元はこの巻四章二節で大潙「無仏性」の公案を取り上げ、〈一切衆生無仏性のみ仏道に長なり〉と言う。まさに「無仏性」が重要なのであり、次にいわれるように無仏性をこそ功夫参究すべきなのである。

(4)本文

 六祖いはく、人有南北なりとも、仏性無南北なり。この道取を挙して、句裏を功夫すべし。南北の言、まさに赤心に照顧すべし。六祖道得の句に宗旨あり。いはゆる人は作仏すとも仏性は作仏すべからずといふ一隅の搆得あり。六祖これをしるやいなや。

 四祖五祖の道取する無仏性の道得、はるかに㝵礙の力量ある一隅をうけて、迦葉仏および釈迦牟尼仏等の諸仏は、作仏し伝法するに、悉有仏性と道取する力量あるなり。悉有の有、なんぞ無無の無に嗣法せざらん。しかあれば無仏性の語、はるかに四祖・五祖の室よりきこゆるなり。

 このとき、六祖その人ならば、この無仏性の語を功夫すべきなり。有無の無はしばらくおく、いかならんかこれ仏性と問取すべし、なにものかこれ仏性とたづぬべし。

 いまの人も、仏性ときゝぬれば、さらにいかなるかこれ仏性と問取せず、仏性の有無等の義をいふがごとし。これ倉卒なり。しかあれば諸無の無は、無仏性の無に学すべし。六祖の道取する人有南北仏性無南北の道、ひさしく再三撈摝すべし、まさに撈波子に力量あるべきなり。六祖の道取する人有南北、仏性無南北の道、しづかに拈放すべし。おろかなるやからおもはくは、人間には質礙すれば南北あれども、仏性は虚融にして南北の論におよばずと六祖は道取せりけるかと推度するは、無分の愚蒙なるべし。この邪解を抛却して、直須勤学すべし。

【現代語訳】

 六祖が言うには「人(の出身地)には南北があるのだが、仏性には南北はない」。この言葉を取り上げて、句の言おうとするところを色々考えるがよい。「南北」という言葉をほんとうにまっさらな心で省察するがよい。六祖が言うことができたこの句には重要な意味がある。つまり人は作仏しても仏性は作仏するはずがないという、一側面をうまく捉えた言葉である。六祖はこれを知っているかどうか。

 四祖と五祖が言った「無仏性」という言説は、引っかかりとして人を考えさせる力量をもつ一側面を受けて、迦葉仏釈迦牟尼仏などの諸仏には、作仏し説法するに際して「悉有仏性」と言い取る力がある。悉有の有はどうして無無の無を受け嗣いでいないことがあろうか。そうであるから「無仏性」という言説は、はるか遠く四祖五祖の室内から伝わったのである。

 このとき、六祖がほんとうにあの六祖であるならば、この「無仏性」の語を功夫すべきである。有無の無はしばらくおいて、いったい仏性とは、どういうことであろうか、と問うべきである。どんなものがいったい仏性なのかと探求すべきである。

 いまの人も「仏性」と聞いたならば、それ以上いったい仏性とはどういうことであろうかと問わないで、仏性の有無などの意味をいうようなことである。これは軽卒である、そうであるから、さまざまな「無」といわれるときの「無」は、無仏性の「無」に学ぶがよい。六祖が言い得た「人有南北仏性無南北」という言説を、長い間、繰り返し探り求めるがよい。まさに(その言葉から真実を)掬い取る力量がなければならない。六祖が道い得た「人有南北仏性無南北」という言説を静かに、取り上げたり、放念したり(して参究)するがよい。愚かな連中が思うには、人間は物質的形態があるから南北があるけれども、仏性は(形なく)融通無礙だから南北の議論には関係ないと六祖は言ったのだろうと推量するのは、分別の無い愚かなことであろう。この誤った考えを放棄して直ちに修行に努めるがよい。

[注釈]

人有南北なりとも、仏性無南北なり これはもちろん先の問答の続きであるが、諸灯史は少しずつ異なっている。『景徳伝灯録』「人は即ち南北有るも、仏性、豈に然らんや」(T51,p222c )。『雑徴義』能禅師答えて曰く「獦獠の仏性と和上の仏性は、何の差別かあらん」。敦煌本『壇経』「人に即ち南北有るも、仏性は即ち南北無し。獦獠の身は和尚と同じからざるも、仏性に何の差別からん」。『歴代法宝記』「能禅師答う。身は是れ獠と雖も、仏性は豈に和上に異らんや」(T51,p182b)。『祖堂集』「行者云く、人は則ち南北有り。仏性は南北無し」。とりわけ後半が諸テキストでは異なっており『景徳伝灯録』では「仏性豈然(あにしからんや)」となっている。『六祖壇経』「仏性即無南北」を受けてか、『祖堂集』でも「仏性即無南北」。道元は『景徳伝灯録』にない言葉を『六祖壇経』からとったのであろうか。『永平広録』 431 では「盧云く、人は南北有り、仏性豈に南北有らんや。祖、是れ器なるを知りて、遂に行堂に入る」。

迦葉仏 過去七仏の第六迦葉仏は「一切衆生性清浄」(『祖堂集』巻一、『景徳伝灯録』巻一)と言ったが、それが「一切衆生悉有仏性」と同じ意味になるということで、ここに釈迦と並記されているのだう。

搆得 搆は、①かまえる、②うまい言葉でしくむ、③ひきおこす、④出会う、到達する。ここでは②の意であろう。搆間=不和を起こすようにしくむ。搆離=不和になるようしくむ

『思想』頭注では、「搆は牽。ひとをひきとめる一箇所」とある。

無無の無 典拠「師自ら無無の無を得、無に於て無にあらざる也」(『景徳伝灯録』巻五、匾檐章T51,p237c )有無の有ではない悉有の有に対して、有無の無ではない無だから、無無の無と言ったのだろうか。

きこゆ ①自然と耳に入る、②広く伝わる、③理解できる、④受け取られる、思われるなどで、ここでは②の意味にとった。

撈摝 撈は水中あるいは液体の中からものを取り出す、掬い取る意。「撈摝」は水中で物を探し求めるという意。次の注釈の文にも撈と摝として出る。

撈波子 典拠「雪峰、若し巌頭如何と問わば、但だ他に向いて道え。近日湖邊に在りて住す。只だ三文を将ちて箇の撈波子を買いて、蝦を撈 とり蜆を摝して、且く恁麼に時を過ごす」(『聯灯会要』二十一巻X79,183c )「撈波子」というのは蝦や蜆を取る竹具。

拈放 『聞解』が言うように「放下拈得」だが、それは「取捨の義」ではなく、拈ると放つ。

 三界(欲界、色界、無色界)のなかで、色界に住むものの性質であり、空間を占めること。

虚融 何一つ滞る所がないこと。

【諸釈の検討】

  『聞書』は「人と仏性と南北有無同理也、皆仏性也。人仏性、有仏性、南仏性、北仏性、無仏性也」 (一五〇頁)とするが、何でも仏性という解釈の典型。そのことを「人も仏性も有無も南北も、所詮仏性の一面両面也」(同頁)が如実に示している。道元の言葉を混ぜ返して意味を失わせる例は「作仏すべし、又すべからずと云もをなじたけなり」(同頁)。

  『御抄』は「人がやがて仏性なれば、人は作仏すともと云道理あり、仏性は仏性なれば、不可作仏(作 仏すべからず)と云又道理あり」(一四七頁)というが、「人がやがて仏性」とはいかなることを言うのか、意味が不明である。また『御抄』は〈四祖五祖の道取する無仏性の道得、……迦葉仏および釈迦牟尼仏等の諸仏は、作仏し伝法するに……〉を、「此御詞返々逆に聞ゆ、其故は……返々不被心得(かえすがえず、心得られず)」といいながら「……迦葉釈尊仏祖等の皮肉更に不可有勝劣前後、故此道理現前する也と可心得也」(一四八頁)と仏祖に前後はない、と苦し紛れの説明をしている。

  『私記』は「無仏性の鏡面には、一切の形質のがるべからざれば、これ作仏の直道なりといへるなり。 迂廻にあらざるがゆゑに直道といふなり。無仏性の正当恁麼時は、明鏡の百雑粋 ママ (砕)なり」(一三九頁)とあるが「無仏性の鏡面」とは何か、それが百雑砕とはいかなることか、意味の通じない解釈をしている。さらに「影室いはく……皆仏性也……」と引用して「句裏とは差別をいへり。あらゆる差別は、皆仏性なるなり」(一四〇頁)と間違いの上塗りをしている。

  『聞解』も「無仏の正仏の正当は第一義空で仏性なり、作仏なり」(一四〇頁)と、まともな文にさえな らない言葉を並べている。

 竹村『講義』では、道元がここではじめて、仏性とは何かを問え、といっているのに、それを真摯に問わず、「本来、仏性の中に我々は生きている、仏の命の中に生きている」(二二〇頁)ということを自明のこととして語る。仏性、仏の命と呼ぶ、何か人間を超越したものを想定していないか、疑問である。そういう超越を立てないのが仏教である。また〈はるかに罣礙の力量ある〉の解釈も「罣礙」という語を無視して、「自己の命というものをまるごと全体言いつくす力をもっている、仏性というものを言いつくすその力量がある」(二二一頁)と言う。

  『聞解』は〈人有南北、仏性無南北〉について、ここでも「仏性に南北無いから人に南北有郎様(あろ うよう)が無い。仏性の外に人無く、人の外に無仏性」(一四四頁)と言う。道元の言葉と関係ないことをいっている。人の外に無仏性なら「山河が仏性なれば云々」(一〇七頁)はどういうことになろうか。矛盾に気がつかないのだろうか。

  『御抄』は、〈撈波子〉について「撈波子とは只ねむごろに功労する体の詞也」(一四八頁)と言うが、 何をねんごろに功労するのか、不明。

  『私記』は、〈撈波子〉について、『一字参』の詳しい説明を引いて「撈波子は、六祖道の人有等の語を さしていふなり」(一四五頁)と言う。当たっていよう。それらの言葉の宗旨を掬い取る人間の力量である。

 内山『味わう』は「『いかならんか』『なにものか』ということがそのまま無仏性であり、そのまま只管だ。とにかく一所懸命たずねているという姿勢、只管やっているという態度が無仏性です」(一一七頁)と「無仏性」の説明も「仏性」と同じであるが「生命実物を生きる」から「一所懸命する」に変わっている。いずれにせよ「無仏性」がよい態度になっている。

【解釈】

 ここで道元は六祖の答え「人有南北、仏性無南北」だけを切り離して取り上げて句裏を功夫せよ、といってはいるが、六祖の答えを評価してはいない。むしろ〈仏性は作仏すべからず〉という捉え方もあるとして、〈六祖これをしるやいなや〉と問いかけ、〈このとき、六祖その人ならば、この無仏性の語を功夫すべきなり。有無の無はしばらくおく、いかならんかこれ仏性と問取すべし、なにものかこれ仏性とたづぬべし〉と、その答えを疑問視して別様の問いを要請している。同じ五祖六祖問答を引く『永平広録』 431 の道元の著語「五祖・六祖、恁麼道うと雖も、永平児孫、聊か道処有り。大衆、還た委悉せんと要すや。一茎草を拈ずと雖、も未だ五茎華を供せず」は、一茎草は取り上げても、五茎華はまだ供えられてはいない、と六祖の言説の未完成をいっている。

普通は六祖の答えこそ素晴らしいもので、その為に五祖に優れた器量を認められたという話である。その普通の理解とは、「仏性無南北」の意味するところは仏性は出自に関係なくあらゆる人間に普遍的に具わっているということである。そこには一切衆生悉有仏性という先入観が働いている。ところが道元はそのような「仏性」は認めない。衆生無仏性であり、仏性は本来人に備わっているものではないからであり、人は作仏しても、仏性は作仏するはずはないという一種逆説めいた言い方(一隅の搆得)を道元は示してみせる。

〈はるかに㝵礙の力量ある一隅〉とは、「㝵礙」が妨げ、ひっかかり、という意味であり、ひっかかりが あるということは、さらにそれを問うていく、常識を考え直させる力があるといえる。そういう意味で禅の言葉はみな㝵礙の力量があるといえよう。常識にひっかかり、安易な理解を妨げて深い参究を促すのである。

 そして四祖五祖の「無仏性」を受けて、釈迦や迦葉の「悉有仏性」があるという。ここで後者に「一切衆生」がついていないことに注目したい。四祖五祖の「無仏性」は、「汝、無仏性」で、人(衆生)の自覚を促す無仏性である。それを「うけて」とは、それを前提して、しかし、すでに迦葉仏・釈迦仏は仏であるから、その仏に現成していることが、一切が仏になっていることであるから「悉有仏性」と言いうるのである。道取する主体は仏である。

 では〈悉有の有、なんぞ無無の無に嗣法せざらん〉とある〈無無の無〉とは、なんであろうか。すぐ後に云われる〈有無の無〉と対比されて、諸無の無は無仏性の無に学べともいわれているから、それが無無の無であろうか。その内実は釈迦・迦葉の悉有仏性が、無仏性の無に嗣法する、つまり無仏性と師からいわれて作仏し(嗣法)、悉有仏性になるのだと解せないだろうか。だからこそ六祖に〈この無仏性の語を功夫すべきなり〉と道元は要請するのである。

 衆生は、道元にとってまだ仏道に目覚めていない発心以前の人であり、かれらは無仏性であろう。それは現代の一般的人を考えれば分かるように、迷いの自覚などなく、まして悟りもなく、成仏や覚りがあるとさえ思わない。諸仏も無関係、生も死も、自分の切実な問題としてはなく、生物的生死の認識しかない。《現成公案》の初段B〈万法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし〉といわれている内実でもあろうと思う。したがって、仏道からいえば衆生であっても、当人には衆生ですらない。道元はそういうあり方があるという認識、いわば虚無の自覚をもっていたからこそ、「衆生無仏性」に共感したのではあるまいか。その衆生が発心修証して仏となるところ、打坐のところに現成している事態が悉有であり、初段Aの〈諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり〉であろう。あるいは「無仏性!」といわれて、求める方向が翻った打坐のところに現成するのが悉有である。

 道元無仏性の参究が「有無の無はおく」という点では、公案禅と同じようだが、公案禅がそこから識別作用の撥無を目指すのに対して、道元は「仏性とはどういうことか、何が仏性なのか」とあくまで理性を用いて参究せよと言う。

  「いまの人も」は、近年、道元の「仏性」をめぐって「仏性内在論」、「顕在論」、「修現論」などさまざ まに論争されていることを見ると、現代人を指すとさえ思える批判である。その論争はいずれも「仏性とは何か」という大問題を問うていない。そもそも道元が「仏性」をはたして自分の思想の表現として用いたかという反省などないのである。

 仏性とは〈おろかなるやからおもはくは、人間には質礙すれば南北あれども、仏性は虚融にして南北の論におよばずと、六祖は道取せりけるかと推度するは、無分の愚蒙なるべし〉といわれるように、たんに物質ではないもの、例えば「霊性」や「本性」などと捉えたら大いに誤りである。そうであるにもかかわらず、仏性をなにか霊魂のようなもの、あるいは本性、悟りの可能性などと考える誤りは今日の人でも大差ないであろう。

 ところで、道元は「人有南北、仏性無南北」の言葉の意義を再三功夫して取り上げ、あるいは放棄して学べ、それを掬い取る技量が優れていなければいけないといっているわけだが、じっさいには南北の論に触れていない。おそらくその功夫の眼目が「仏性とは何か」ということにあるからであろう。

一、 テキストについて テキストは懐弉直筆の影印本(永平寺蔵)を用いた。

参照

『日本思想大系』(岩波書店、一九七〇)              略号『思想』・頭注

水野弥穂子校注『正法眼蔵』(一)(岩波書店、一九九〇)      略号岩波本

水野弥穂子訳「道元[上]」「日本の仏典7」(筑摩書房、一九八八)略号水野訳

石井恭二正法眼蔵 1 』(河出書房新社、一九九六)        略号石井訳

二、解釈で用いた諸本

正法眼蔵註解全書』(正法眼蔵註解全書刊行会、一九五六)に載る以下のもの

①『聞書』詮慧提唱  ②『正法眼蔵抄』(註解全書では『御聴書抄』と表記)経豪著  略号『御抄』③『正法眼蔵聞解』面山瑞方著  略号『聞解』  ④『正法眼蔵却退一字参』瞎道本光著  略号『一字参』  ⑤『正法眼蔵私記』雑華蔵海著略号『私記』  

⑥『正法眼蔵弁註並調絃』天桂伝尊著略号『弁註』⑦『正法眼蔵那一宝』父幼老卵

著略号『那一宝』  ⑧『正法眼蔵渉典録』面山瑞方編略号『渉典録』

新釈

《仏性》巻全体を解釈するもので参照するのは次のものである。

安谷白雲『正法眼蔵参究仏性』(春秋社、一九七二)    略号安谷『参究』

 内山興正『正法眼蔵仏性を味わう』(柏樹社、一九八七)  略号内山『味わう』

森本和夫『『正法眼蔵』読解1』(筑摩書房、二〇〇三)  略号森本『読解』

竹村牧男『『正法眼蔵』講義仏性上』(大法輪閣、二〇〇七)略号竹村『講義』

玉城康四郎『道元』(中央公論社、一九八三)       略号玉城訳

その他の文献および略号

  三、《仏性》巻へ部分的に言及する本

秋山範二『道元の研究』(岩波書店、一九三五)略号秋山『研究』

杉尾玄有「道元禅の本質と構造」二の⑵皆依仏性(『山口大学教育学部研究論』叢第十七巻一号、一九六八)               略号杉尾「本質」

高崎直道「道元の仏性論」(『講座道元』(4)春秋社、一九八〇)

余語翠巌『これ仏性なり』(地湧社、一九八六)略号余語『これ』

何燕生「道元の仏性論に関する一考察」   (富士ゼロックス小林節太郎記念基金助成論文一九九五)                  略号   何「一考察」

伊藤秀憲『道元禅研究』(大蔵出版、一九九八) 略号   伊藤『研究』

 

これは『禅文化研究所紀要』33号に於ける、松岡氏による道元解釈論を

ワード化し、一部改変し提供するものである。