正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

「雲巌大悲手眼」をめぐる『碧巌録』と『正法眼蔵』   末木文美士

古則解釈の両方向

「雲巌大悲手眼」をめぐる『碧巌録』と『正法眼蔵

                  末木文美士

一、文字禅・看話禅・道元

  宋代になると、唐から五代にかけての禅師たちの言動が古則として聖典化され、それに参ずるという禅門 の修行法が確立する。その第一歩は、文字禅と言われるように、古則を取り上げて、その境地を偈頌などの文学的な形式で表現するものである。それを代表するのが、雪竇重顕(九八〇―一〇五二)による『雪竇頌古』である。ここでは、古則百則を選んで編集した上で、それに頌を付するという二重の作業がなされている。それに対して、垂示・著語・評唱を付したのが、圜悟克勤(一〇六三―一一三五)の『碧巌録』である。

  『碧巌録』に関しては、小川隆が、「「文字禅」を極めることで「看話禅」への端緒を開いた」⑴と指摘 するのが適切である。「文字禅」が言葉によって古則の境地を表現しようとするのに対して、「看話禅」は、その古則を公案として徹底的にそれに集中させ、それによって大悟の体験を得させようというものである。「文字禅」は修行者のための指導という面を持ちつつも、自らの境地を表明した文学的な作品という面が強いのに対して、「看話禅」ははっきりと自覚的に組織立てられた師僧による弟子の指導法である。

  『碧巌録』はもともと文字として書かれた作品ではなく、指導の現場で語られた言葉の集積である。小 川が指摘するように、「公案と頌古に対する論評の詳しさ、公案中の登場人物に関する故事・話頭の紹介 の豊富さから、禅門の教科書的な役割を果たしてきた」「「文字禅」の精華と称すべき書物」⑵であるが、同時に「同時代の通説・俗説を痛烈に批判しつつ修行者に実地の大悟を要求するという、強い実践的志向 が見て取れる」⑶のであり、それ故、その点でもはや「文字禅」を逸脱している。

  『雪竇頌古』は見事な文学的達成であり、おそらく「文字禅」の中でも最高の作品であろう。その古則 と頌に対して、圜悟の垂示・著語・評唱は、「文字禅」から「看話禅」への過渡的なきわどい重層性を持ちつつ、一歩も退くところがない。両者の緊張からなる本書は、「宗門第一の書」とされるにふさわしい。日本の禅が確立する中で、最大の手掛かりとされたのも所以のないことではない。しかし、まさにその完成度の故に、圜悟の弟子の大慧宗杲(一〇八九―一一六三)によって排斥されたと伝えるように、次への展開を求める時にはかえって障害となる面をも持っていた。

 ところで、このような宋代における古則の扱いに対して、道元(一二〇〇―一二五三)はどのような態度を取るのであろうか。道元が古則を意識していたことは、真名本の『正法眼蔵』によっても知られる。『正法眼蔵』という書名にも、大慧が意識されている。仮名本の『正法眼蔵』にも多数の古則が引用され、しばしばその解釈が詳細に展開されている。『碧巌録』のいわゆる一夜本が道元によって伝えられたものかどうかは確かでないが、宋において『碧巌録』に触れていた可能性は大きい。だが、『碧巌録』と較べてみると、重複して取り上げる古則は非常に少ない。道元は文字禅も看話禅も取らず、かえって看話禅にははっきり否定的な立場を取る。それでは、道元は古則をどのように見るのであろうか。

 ここでは、『碧巌録』第八十九則と『正法眼蔵』観音の巻の両方で共通して扱っている古則の「雲巌大悲手眼」を取り上げ、両者の扱い方の違いを見ることにしたい。両者の古則に対する態度はまったく正反対の方向へ向っている。このことは、古則が決して一義的な解釈に決められるものではなく、多様な解釈と実践を受け入れ得るものであることを示している。

二、「雲巌大悲手眼」の古則

 まず雲巌大悲手眼の古則を引用しておく。『碧巌録』に取り上げられる形で示す。〔   〕内は圜悟の著語。 『正法眼蔵』の相違を*を付して示す⑷(もちろん著語はない)。また、参考までに現代語訳を付しておく⑸。

雲 *巌問道吾、「大悲菩薩、用許多手眼作 **什麼。」〔当時好与本分草料。你尋常走上走下作什麼。闍黎問作什麼。〕

*「雲巌問道吾」を、「雲巌無住大師、問道吾山修一大師」に作る。

**「作什麼」を「作麼」に作る。

吾云、「如人夜半背手摸枕子。」〔何不用本分草料。一盲引衆盲。〕

巌云、「我 *会也。」〔將錯就錯。賺殺一船人。同坑無異土。未免傷鋒犯手。〕

*「我会也」を「我会也、我会也」に作る。

吾云、「汝作麼生会。」〔何労更問。也要問過。好与一拶。〕

巌云、徧 * 身是手眼。」〔有什麼交渉。鬼窟裏作活計。泥裏洗土塊。〕

*「徧」を「遍」に作る。同義。

吾云、「道即 * 太煞 *道、只 ***道得八 ****成。」〔同坑無異土。奴見婢慇懃。癩児牽伴。〕

*「即」を「也」に作る。

**「煞」を「殺」に作る。同義。

***「只」を「祗」に作る。

****「八成」を「八九成」に作る。

巌云、「師 *兄作麼生。」〔取人処分争得。也好与一拶。〕

*上に、「某甲祗如此」あり。

吾云、「通身是手眼。」〔蝦跳不出斗。換却你眼睛、移却舌頭。還得十成也未。喚爹作爺。〕

雲巌が道吾に問うた、「大悲菩薩はたくさんの手眼によって何をするのか。」

道吾「人が夜中に背後に手を回して、ぴたりと枕を探し当てるようなものだ。」

雲巌「分かりました。」

道吾「お前はどのように分かったのか。」

雲巌「身体いちめん手眼です。」

道吾「言うことはなかなかご立派だが、八割程度言えただけだ。」

雲巌「先輩はどうですか。」

道吾「身体まるごと手眼だ。」

 

本則は『景徳伝灯録』巻十四・雲巌章に出るが、そこでは、もっと単純で分かりやすい。

道吾問、「大悲千手眼、那箇是正眼。」師曰、「如無灯時、把得枕子怎麼生。」道吾曰、「我会也、我会 也。」師曰、「怎麼生会。」道吾曰、「通身是眼。」⑹

 

 ここでは、「徧身」と「通身」の別も出てこない。『碧巌録』や『正法眼蔵』の形は、『宗門統要』巻八などに出る。

雲巌曇晟(七八二―八四一)と道吾円智(七六九―八三五)は、薬山下の兄弟弟子。「大悲菩薩」は、観音菩薩のこと。ここでイメージされているのは千手千眼観音(千手観音)であり、禅宗ではその功徳を説く大悲心陀羅尼を広く用いるので、そのことが意識されている。千手観音は千本の手の先にすべて眼がついていて、世界中のことを見通し、千本の手であらゆる衆生の救済をはかる。「手眼」はその眼のことだ

が、同時に手のはたらきも含まれている。

 雲巌が千手千眼観音の手眼のはたらきを問うたのに対して、道吾の答えは、暗闇の中で枕をぴたりと探り当てるように、衆生の機根に従ってぴたりと対応できるというのである。これは、外なる観音の話のようだが、もちろんその観音のはたらきを修行者自らの問題として受け止めることが真の課題である。無明煩悩の闇の中にありながら、ぴたりと「そのもの」を探り当てることができなければならない。

 それには、どのような手眼が必要か。そこで、雲巌の「徧身是眼」と道吾の「通身是眼」がどう違うかが問題になる。「徧身」が身体の表面全体であるのに対して、「通身」は身体まるごとということであろう。雲巌は「身体いちめん手眼」となることだとする。身体いちめんが無明煩悩の闇を見通す手眼となって透視できなければならない。だが、道吾はそれではまだ八割程度だという。身体の表面だけでなく、身体全体、あるいは身心的存在である私(あなた)の全てが一丸となって手眼とならなければならない、というのである。

 この問答だけ素直に読めば、道吾の「通身是手眼」のほうが、雲巌の「徧身是手眼」より上のように読める。身体の表面だけでなく、身体全体が眼となって真理を見抜くことができなければならない。ひとまずそのように理解できる。

 しかし、そのような理解でよいのであろうか。圜悟も道元もそれほど単純な読み方はしない。もともとは比較的単純であった古則が、次第に深く参究されるようになっていく。

 

二、『碧巌録』第八十九則

 圜悟はまず垂示で、基本的な方向を示す。

 

通身是眼見不到、通身是耳聞不及、通身是口説不著、通身是心鑑不出。通身即且止、忽若無眼作麼生見、無耳作麼生聞、無口作麼生説、無心作麼生鑑。若向箇裏撥転得一線道、便与古仏同参。参則且止、且道参箇什麼人。

(身体まるごと眼でも見通せず、身体まるごと耳でも聞ききれず、身体ごと口でも説ききれず、身体ごと心でも見極めることができない。身体まるごとはさておき、もし眼がなければどのように見るのか、耳がなければどのように聞くのか、口がなければどのように話すのか。心がなければどのように見極めるのか。もしここで一筋の道を開くことができるならば、古仏と同じ境地に参入する。参入はともかく、さて、どの人に参入したらよいのか。)

 

 垂示は、則によっては直接本則と関わらない場合もあるが、この場合は、本則の読み取り方をはっきり示している。即ち、「通身是眼(耳・口・心)」であればよいのではなく、それでもなお見及ばず、聞ききれず、語りきれず、分かりきれないところを見、聞き、語り、分からなければならないのである。それは、眼なくして見、耳なくして聞き、口なくして語り、心なくして分かるのでなければならない。それには、「什麼人」に参じたらよいのか。外なる問題ではない、お前自身の問題だと突きつけるのである。

 著語も、例によって必ずしも分かりやすいとは言えないものの、それでも大体の方向は理解できよう。雲巌に対しては徹底的に厳しく批判的で、コケにする。「本分の草料を与えてやればよかったのに」とか、「どうして本分の草料を与えないのか」などと、雲巌の問いそのものを否定するとともに、道吾の対応をも生ぬるいと抑下する。「同坑に異土なし」とか、「爹を喚びて爺と作す」などと、結局は同じ穴のムジナだというのである。

 評唱は比較的短い。その眼目は、第一に、「大悲には許多の手眼有り。諸人還た有りや」というところで、「お前たちにはそのような手眼があるか」と問うている。外なる観音の問題ではなく、お前たち自身の問題だ、ということが明白に示されている。

 第二には、「徧身」はだめだが「通身」はよい、というような常識的な理解が否定されていることである。

 

如今人多去作情解道、「徧身底不是、通身底是。」只管咬他古人言句、於古人言下死了。殊不知、古人意不在言句上、此皆是事不獲已而用之。

(今の人は大抵分別をして、「身体いちめんは間違い、身体まるごとは正しい」と言うが、ひたすら古人のことばを齧るだけで、古人の言葉に捉われて死んでしまっている。だが何と、古人の意図は言葉にはなく、これらの言葉は皆やむを得ずに用いているのである。)

 

 ここでは、「如今人」の解釈を挙げて、それを否定する。このやり方は圜悟の常套的なところで、結局のところ、「徧身」「通身」というような言葉に捉われることが、厳しく誡められている。「須是絶情塵意想、浄躶躶赤灑灑地、方可見得大悲話」(思慮分別を絶ち切り、きれいさっぱり赤裸となって、はじめて大悲の話を理解できる)というのである。評唱の解釈はだいたい予想されるところで、『碧巌録』を読んでくれば、それほど目新しいものではない。

 この則に対する雪竇の頌は、雄大で力が籠っている。

徧身是         徧身是か

通身是         通身是か

拈来猶較十万里     拈じ来れば猶お十万里を較つ

展翅鵬騰六合雲     翅を展げて鵬騰す六合の雲

搏風鼓蕩四溟水     風を搏って鼓蕩す四溟の水

是何埃壒兮忽生     是れ何の埃壒ぞ忽ちに生ず

那箇毫釐兮未止     那箇の毫釐ぞ未だ止まざる

君不見         君見ずや

網珠垂範影重重     網珠、範を垂れて影重重たるを

棒頭手眼従何起     棒頭の手眼、何よりか起こる

咄           咄

 

 雪竇は、「徧身是」「通身是」などと言って、言葉尻に捉われていることを批判する。それでは、千万里も離れてしまっている。手眼のはたらきは、はるかこの俗世を超えて広大な真理の世界に羽ばたく。それなのに、ちっぽけな塵埃を起こして何になるのか。その手眼は、帝釈天の天宮の網の目の宝石が重々に映し合うように見事にはたらく。ここまで歌って、最後に「棒の先の手眼は、どこから生じたか」と、手眼を修行者自身に引き寄せ、「咄 コラッ 」と叱咜して退く。

 頌に対する圜悟の評唱は、比較的素直に解釈していて、それ程独自のものはない。「畢竟徧身通身都不是。若要以情識去見他大悲話、直是猶較十萬里」(結局のところ「身体いちめん」も「身体まるごと」もすべて正しくない。もし思慮分別によってその大悲菩薩の話を理解するならば、まさに十万里も彼方にいるのである)と、敷衍する。華厳の四法界説を挙げるなど、丁寧ではあるが、やや説明的である。

 いずれにしても、『碧巌録』の理解では、「徧身」「通身」に捉われることなく、自らの手眼をはたらかせることを求め、その境地の素晴らしさを讃える。

 

你若善能向此珠網中、明得拄杖子、神通妙用、出入無礙、方可見得手眼。所以雪竇云、棒頭手眼従何起。教你棒頭取証喝下承当。只如德山入門便棒、且道、手眼在什麼処。臨済入門便喝、且道手眼在什麼処。且道、雪竇末後、為什麼更著箇咄字。参。

(もしお前たちがこの珠を連ねた網において、拄杖を手にしてはっきりとさせ、神通のすばらしいはたらきがあり、出たり入ったり自由自在であるならば、そこではじめて手眼を見たということができる。それ故、雪竇は「棒の先の手眼はどこから生じたか」と言ったのである。お前たちに棒の先で悟りを開かせ、喝によって受け止めさせようというのである。ところで、門を入るや徳山が棒を使うのは、さて、手眼はどこにあるのか。門を入るや臨済が喝するのは、さて、手眼はどこにあるのか。さて、雪竇は最後にどうしてさらに「コラッ」という字を付けたのか。参究せよ。)

 

 徳山の棒や臨済の喝が例として挙げられていることで、「手眼」の具体的なイメージが捉えられよう。そのような活きたはたらきが手眼に他ならないのである。

 

三、『正法眼蔵』観音

 それでは、道元はこの古則をどのように理解するのであろうか。『正法眼蔵』観音の巻(仁治三年、一二四二)は、ほぼ全巻をこの古則の解釈に当てており、道元がこの古則を高く評価していたことが知られる。道元の高い評価は、「道得観音は、前後の聞声まゝにおほしといへども、雲巌・道吾にしかず」と

いう冒頭の言にもうかがわれる。

  『碧巌録』が観音をただちに自己の問題と捉えるのに対して、道元は観音信仰を前提として、その観音 の本質を明らめるという観点から問答を読み込んでいく。「観音を参学せんとおもはば、雲巌・道吾のいまの「道也」を参究すべし」と言うのである。観音は、「諸仏の父母とも参学す、諸仏よりも未得道なり

と学することなかれ。過去正法明如来也」と、観音に仏の位置づけを与える。

 それ故、この巻で開かれる観音の世界は、そのまま仏の境地を示すものになっている。さらに言えば、修行者もまた、観音である。その点では、観音を自己の問題として捉える『碧巌録』と同じことになりそうだが、『碧巌録』では観音が自己の主体性に取り込まれてしまうのに対して、道元では、むしろ自己が観音の広大な世界に開かれていくという方向性が異なる。

 それでは、道元は、雲巌・道吾のどこをそれほど高く評価するのであろうか。道元は、両者の一言一言を取り上げ、綿密に検証する。まず雲巌の「大悲菩薩、用許多手眼作什麼」である。単純に読むと、この雲巌の問いは、あとの問答を引き出す序のようなものであり、見過ごされてしまうが、道元はこの問いにこだわる。この問いを立てる雲巌こそが観音を正しく理解していると言うのである。それ故、「観音を真箇に観音ならしむるは、たゞ雲巌会のみなり」とまで言う。それは何故であろうか。

 

仏道の観音はたゞ十二面なり、雲巌しかあらず。余仏道の観音はわづかに千手眼なり、雲巌しかあらず。余仏道の観音はしばらく八万四千手眼なり、雲巌しかあらず。

 

 雲巌の観音のはたらきは数に限定されない。ここで、雲巌の問の中に「許多」ということが問題とされる。それは、単に不定の多さを言うのではない。「種般かぎらず。種般すでにかぎらずは、無辺際量にもかぎるべからざるなり」と言うのであり、「無量無辺の辺量を超越」している。

 このように、道元は「遍身」「通身」以前に、まずこの「許多」に目を付ける。雲巌が「許多」と言い、それを道吾も認める。それ故、「雲巌・道吾同参」である。『碧巌録』が、雲巌・道吾をひとまず認めながらも、それを超出しようとするのに対して、道元は雲巌・道吾をともに讃歎し、その一言一言を重く受け止める。とりわけ、この「許多」こそキーワードであり、「遍身」「通身」もまた、「許多」から理解される。

 次の「如人夜半背手摸枕子」という答えも単純ではない。

 

夜眼をあきらむべし。手眼世界なるべきか、人手眼のあるか、ひとり手眼のみ飛霹靂するか、頭正尾正なる手眼の一条両条なるか。もしかくのごとくの道理を検点すれば、「用許多手眼」はたとひありとも、たれかこれ大悲菩薩、たゞ手眼菩薩とのみきこゆるがごとし。

 

 このように、主体たる「人」が消えて、手眼のみがはたらき出す。『碧巌録』がどこまでも我・汝の主体が問題にされるのに対して、道元では、主体が消失し、手眼自体が躍り出る。そればかりか、「たれかこれ大悲菩薩、たゞ手眼菩薩とのみきこゆるがごとし」と、大悲菩薩さえも消えてしまう。それ故、「大悲菩薩、用許多手眼作什麼」は、「手眼菩薩、用許多大悲菩薩作麼」とも言い換え可能である。

 そうなると、「遍身是手眼」は、「許多」から当然出てくる。「遍手眼は不曾蔵なりとも、徧手眼と道得する期をまつべからず」と、わざわざ言明するまでもない。道元は「遍身」を認めないのではない。それで十全に言い止めているのであるが、そのはたらきはすでに「不曾蔵」(隠れもなく現われている)であって、それを成り立たせているのは、「許多」である。数量を超え、「無量無辺」をも超えた手眼のはたらきが「不曾蔵」であり、「自己にはあらず、日面月面にあらず、即心是仏にあらざるなり」と言われるように、手眼はあらゆる規定をはみ出していく。

 従って、「遍身是手眼」で、「遍」とか「是」とかに捉われると、誤解を生ずる。「手眼を遍身ならしむるにはあらず」なのである。手眼のはたらきは広大に広がっていく。

 

手眼すでに許多といふ、千にあまり、万にあまり、八万四千にあまり、無量無辺にあまる。只「遍身是手眼」のかくのごとくあるのみにあらず、度生説法もかくのごとくなるべし、国土放光もかくのごとくなるべし。

 

 次の道吾の「道也太殺道、祗道得八九成」の一句は、雲巌の「遍身」を批判して、その言い方では不十分だと言っているかのように受け取られるが、道元はそうは読まない。道元は、「遍身」であれ「通身」であれ、どちらも同じように手眼のはたらきの完全さを言っていると見るから、「遍身」でも十全である。それならば、この「八九成」はどう解釈されるのか。道元は、「八九成」は不完全ということではないとする。「いますでに未道得のつひに道不得なるべきのこりあらざるを道取するときは、「祗道得八九成」なり」と言われるように、「八九成」は「道不得なるべきのこり」がない完全さを言っているというのである。「いはゆるの八九成は、百千といはんがごとし、許多といはんがごとく参学すべきなり」と解されている。

 それ故、雲巌の「某甲祗如此、師兄作麼生」も決して謙遜ではない。「道得八九成の道を道取せしむるがゆゑに、「祗如是」と道取するなり」なのである。このように見てくれば、道吾の「通身是手眼」というのも、「遍身」と異ならないことは明らかである。「雲巌の遍と道吾の通と、道得尽、道未尽にはあらざるなり」なのである。

 こうして、道元の説示は次のように締められる。

 

しかあれば、釈迦老子の道取する観音はわづかに千手眼なり、十二面なり、三十三身、八万四千なり。雲巌・道吾の観音は「許多手眼」なり。しかあれども、多少の道にはあらず。雲巌・道吾の許多手眼の観音を参学するとき、一切諸仏は観音の三昧を成八九成するなり。

 

雲巌・道吾の観音は、釈迦の説く観音よりも優れているというのである。

 

四、古則解釈の両方向

 以上、『碧巌録』と『正法眼蔵』が、同じ古則「雲巌大悲手眼」をどのように解釈するかを見た。同じ古則に対する両者の解釈はまったく正反対と言ってもよい方向を向いている。『碧巌録』では、何よりも古則の眼目は外なる観音ではなく、修行者自身の主体的なはたらきが問われ ている。「徧身」より「通身」が中心に考えられながらも、言葉に捉われることが誡められ、単純な優劣は否定されて、「徧身」でも「通身」でも捉えきれない境地へと超出することが求められている。

 それに対して、『正法眼蔵』では、一気に言葉を超越するようなことはなされず、かえって、一語一語を吟味点検してゆく。雲巌と道吾を同格として、釈迦をも超えると賛美する。そこでは、観音のはたらきをただちに自己の問題に還元することはしない。むしろ観音は仏と見なされ、その境地の体得が目指される。とりわけもとの古則では批判的に見られていた雲巌の言に高い境地を読み取る。通常読み飛ばされてしまう「許多手眼」のところに着目し、手眼のはたらきが数量に捉われない自由さを持つことを言う。そこでは、主体が消え、手眼それ自体が自在にはたらき出す。

 

このような両者の違いは、この古則の解釈だけに限らず、『碧巌録』と『正法眼蔵』全体の方向に関わる。『碧巌録』は、古則を手がかりとしながらも、言句に捉われることを誡め、それを超えた境地の体得へと修行者を仕向けようとする。それに対して、道元はむしろ主体を放擲することで、悟りに近づこうとする。「自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すゝみて自己を修証するはさとりなり」(現成公案)と言われるように、「万法」の中に自己を開放しようとする。

 こうした両者の違いはどこから来るものであろうか。一足飛びに中国と日本の文化比較まで話を持って行ってしまうのは、いささか行き過ぎであろう。しかし、単に両者の個性に帰することもできない。そこには、両者の置かれた思想史的な位置づけを考えなければならないであろう。『碧巌録』は、文字禅から看話禅への流れの中で、「無事」を否定し、修行に邁進することを求める。その志向は後継者の大慧によって看話禅として確立された。そのような実践的な立場は、朱子学などにも引き継がれる。他方、道元は、中国の禅を日本の場に移植する過程で、本覚思想や『法華経』など、当時の叡山系天台の影響を大きく受ける。そこに、親鸞の「自然法爾」にも通ずる、自己を仏の世界に開放していく思想が形成されたと

考えられるのである。

 

小川隆『続・語録のことば』(禅文化研究所、二〇一〇)、ⅶ頁。

⑵同、v頁。

⑶同、v―ⅵ頁。

⑷『正法眼蔵』は、水野弥穂子校注『正法眼蔵』一(岩波文庫、一九九〇)による。

⑸『碧巌録』の本文と現代語訳は、拙編訳『現代語訳碧巌録』下(岩波書店、二〇〇三)に基づき、訳は多少改めた。以下、同じ。

⑹景徳伝灯録研究会編『景徳伝灯録』五(禅文化研究所、二〇一三)、三九六頁。

 

  これは『禅文化研究所紀要』33号に於ける、末木氏による道元解釈論を

ワード化し、一部改変し提供するものである。