正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

道元禪の信決定について   酒井 得元

道元禪の信決定について  

酒井 得元

 

    

常識的に、信仰ということが、褝とは全く別のことのように、考えられている。つまり信仰と禅とを別の在方であるとする、これらの人達は、褝を結局、悟りを開くためのものにしてしまっている。したがって、そこでは悟りが常に意識されて、褝はむしろ第二義的となっているのである。即ち、禅はただ彼等には、悟りを開くための手段であって、禅そのものには、それほど意義はなくなっている。

 

だから、彼等には、そんな悟りを開こうなどと云うことは、怪しからぬことだなどと言うようなことは、それこそ、飛んでもないことであろう。ただ開悟の一筋に精進し、これに熱情と精根とを傾けて、「男子たる者の思立たる事を遂けずや置くべき、任果すやあるべきと決然勇猛の大憤志を振って」(白隠法語) の行に、不惜身命に生死を賭けるなど、古来、そう珍しいことではなかった。

 

ここで、先ず考えて見なけれはならない事は、われわれが身命を顧り見ないで、熱情と精根とを尽するという、その行動である。即ち何故に、かくも、燃え上るのであろうか。ま

た、何物がそうさせるのであろうかということである。われわれは、自分の利害に関係することには、必ず、燃え上るという本能的なものを持っている。つまり燃え上る行動の動機には必す利己的なものがあると言うことが出来る。即ち、その利己心の強度に比例して、われわれは追求の念を燃え上らせるのである。そして、それには対象の如何に拘らないで、ただ利己的であるということが、必須条件である。即ち常にわれわれは利己的なものには、どんな事にも燃え上ることが出来るのである。

 

したがって、悟りの為めに、燃え上るのと、情慾の追求に燃えるそれと、全く同じエネルギーであったのである。利己的であることは、つまり、自己満足を目的とするものであっ

て、それが如何なるものであっても、決して、それは清浄なものではあり得なかった。故に、その場合、一寸、酷な言い方ではあるが、自己の救済を追求して止まない開悟の行と情慾を満すための手練手管と、同質のものだと一言える。なんとなれば、両者は、 いづれもわれわれの利己的な要求をもととする生活活動に、変りはないからである。

 

如何なることであっても、われわれを燃え上らせるものは、それが例え世界平和えの寄与の行動であったにせよ、必ず、そこには、利己的な思惑が内蔵されておってのことであった。即ち、利己的である時、われわれは容易に、自己のペースを放棄して燃え上るものである。燃え上るということは、自己のペースを攪乱することであって、如何なる場合、如何な

る事態においても、願わしいことではない、何故ならば、それは自己の健康態を失調することに外ならないからである。

 

故に、熱烈に追求されるもの、それが悟りであっても、これも例外ではなく、それは頑固な利己的なもの以外何物でもなかったのである。何故ならば、それは、必ず、自分自身の

悟りであり、解脱であり、成仏であったからである。つまり、それは無我ではない、有我であり我執であったに過きない。即ち、その悟りは、常に、人間によって悟られた悟りであり、個人の悟り、個人の経験であったのである。例え、それが宇宙とぶっ続きの偉大なる悟りであり、全人類の光明であると自覚しても、それが個人の経験であり、個人の悟りである限りは、その自覚も、結局、そのような自己陶醉でしかなかったのである。

 

かように追求するということは、一体、どういう実態であるのかを考えてみよう。われわれは生得的に、生活活動する。その活動の実態が何かの追求であることは、今更、言うまで

もないことであろう。生活活動が活発であるということは、追求が活発であるということでもあるのである。その生活活動は、意志的意欲的に振舞う感覚的な恣意な行動であって、常に多彩に感情的である。故にその行動は主観的で、殆んど、客観的ではあり得ない。かくして、結局、それは、利己的な営みの範囲を起えるものではあり得なかったのである。

 

生活活動は自己を主体として、環境を客体とした主客対立を機構とするものであるから、それは常に主観的であり、したがって感情的でもあったのである。その感情的なものの過熱するところに、幸不幸、喜悲等々の錯綜した多彩な生活現象が現出するのである。故に、幸不幸、喜悲等々のそれらの人生の諸問題は、感情生活の上の大事件ではあっても、それはただ生活活動上に必然的に浮い出た波紋ではあっても、われわれの生存上の根本的な問題に振れる事件ではない。

 

故に、如何なる形で悟りが追求されようとも、追求された悟りは、結局、主観的な生活活動の範囲内のことで、無限絶対を直証するといった、大それたものではない。それは、はかない利己的な感情を満足させ、その悟りの悦びも、生活活動上の波紋であり、自己陶醉のそれに止まるものでしかなかったのである。

 

   二

  何故に、そんなに悟りなどを追求し、求めようとするのであろうか、こういう疑問が起って来なければならないであろう。先ず追求して止まない自己の内面を深く反省するならば、誰れしも、自己の奧底に権威主義が播居しているのに気付き、これを告白しないわけには、 いかないであろう。

 

本能的に利己主義者であるものの、その利己主義の野 の前には、いつも余りも多く障害があって、たってそれを遂行させようとすれば、非常な困難に直面して、一敗地にまみれることなど珍しいことではない。それ故に遂行しようとすれは、いつも一応、足踏させられなければならない。そしてこの実態に対して誰しも自分のみじめさを感じ、劣等感をもたないではおられない。こんなわけで、われわれは、本能的に劣等感におちいっている、これをカバーする為には、常に権威主義者でなければならなかったのである。この権威主義のために、 とかくその行動はいつも事大主義的であって、これはいづれの社会、いづれの時代にも、 この傾向を逃れることは出来なかった。然も、 この権威主義は、実に利己主義故にのそれであるので、いつも、その行動は勢い非常に積極的にならざるを得ないのである。故に、栄誉というものが、いつの時代でも、馬鹿にならぬ大きな圧力をもって、社会を動かしているのである。

 

然るに、殆んどのわれわれは、 この自己の奥深くに潜在している権威主義を、そうとも知らず、たゞその努力を精進し、更に、これこそ真実の行道であると、真面目に信じ切っているものは、 そう珍しいことではない。かくて 「工夫は、若し一人と万人と戦う底の気力」(白隠法語)といって、気負い立つなど、こんな素朴な精神は、 権威主義の現れでなくてなんであろうか。

かように、 こんな権威主義の素朴なものが、常に人格的行為を引廻しているのである。 この権威主義は、元来、本能的なものであり、とりもなほさず、幼児期の「お山の大将俺一人」といって山に登っ て肩を聳びらかす素朴のそれ以外なにものでもなかったのである。したがって、この本能的な権威主義は、われわれのあらゆる行動の底辺に潜在して、「三つ児の魂百まで」と言われるように、われわれには、この世に生れた当初から死ぬまでも持ち続けなければならないものであったのである。

 

この幼児性は成人の精神的発達にしたがって、変貌はしても、胃はいつまでも胃であるように、色々の型に体には少しも変化はしない。故に「すべて、高い生活程度とそのものを分析して見ると、皆な見せるが為めにのみ成立するものである。」「物質的生活内容の漸次に高まるということは、見せるための生活内容が漸次に増加し推積してゆくという事である。」とは経済学者高田保馬(1883年(明治16年)12月27日 - 1972年(昭和47年)2月2日)氏の言葉であるが、これはよく人間の本能的な「見せる」という権威主義を抉出して見せているのである。ここで、われわれは、これが如何に個人生活のみに止まらず、社会生活をも引き廻わしているかを思い知らさるれのである。

            

仏道者が伝統的に迷の頑強なものとして名聞利養を指摘するのである。その名聞利養こそ権威主義が、追求した結果の所産に外ならなかったのである。斯様な人間生活の中にあり

ながら、この名利にかかずらわないで、自主独立の人格形成、即ち、真の解脱の生活に努力するのが仏者であったのである。故に、仏道修行とは、 つまりこの権威主義の処理に外ならなかったのである。

 

かくて、悟りを開きたいと思い、それに努力するのが、実にこの本能的な権威主義からであるならば、それは仏道にはならない。この権威主義には強弱の個人差があって、その強いものは、他人には理解の出来ないほどの異常な執心を示し、果ては、却って悟りに全く魅せられ去るものである。かくなっては、最早や、情慾の奴となり果て、異性を求めて昼夜に徘徊するものと、どれ程の差があるであろうか。

 

悟りの執心者は、一方には名利の執心者、即ち「名利の奴」であることが非常に多いことを、われわれは歴史によって、余りにも多い事例を知らさられるのである。これは、決して偶然の一致ではない、それは必然的であったのである。なせならば、両者は同一の権威主義に由来し、共に極端な利己主義者であったからである。世の中でいう俗物俗臭は、この臆面のない利己主義者の権威主義的な生活行動によって醸し出される人間臭をいうのである。

 

かような権威主義は、悟りを求めることにおいて、異状な執心を示し、そして、それに魅せられては、屡々その為に手段を選はないような行動さえあるのは当然のことである。然も、 こうすることが、菩提心であるとさえ思込まれるのである。然し、これは、実に利己主義の満足を求めているのに過きなかったのである。利己主義は、いつも、人間を目的の為に敢えて手段を選はないように、馳り立て、燃え上らせずにはおかない。人間は誰れしも神の加護を求める。結局、それらの存在意義も、利己主義に由来するものであり、その加護、救済も、実に利己主義の満足でしかなかったのである。

 

然も、それらは、もともと主観内のことであったので、結局、それらは単なる心理的な転換であり、自己陶醉で終っているのである。われわれが、客観的な立場に立って、冷静に観

察するならは、客易に了解出来る筈である。かくて、所謂るの救いとか、悟りとかを求めて、 然もそれらを何ら疑いもせす、然も相変らずこの愚劣を続けるに至っては、我ながらその不甲斐なさに、愛想を尽かさないのが不思議である。

 

今日のわれわれには、何の疑もなしに、この本能的な権威主義による立身出世主義が受入れられているのは、これが習性となってしまっているからである、そしてこの習性をもととして何事をも考えるのである。故に、人は世の中は全て競争である、この生存競争に勝者とならなければいけないと、ごく自然に考えるのである。然し、他人のあまりのあくどい立身出世主義を見ると、流石にいささか心の動きを感じて批判的にならざるを得ないのである。 ところが、折角のこの批判的な心の動きも、 こと自分自身のこととなると、霧散して人を蹴落してもという、すさまじさを逞しくするものである。かくて、利己主義は、容易に、良心のひらめきを蹴とばすのである。

 

かくて、余りにも人間臭い人達によって、求め得られるところのものは、利己主義の所産ではあっても、真実ではなかったのである。然し彼等にかく説いても、到底、利己主義に

盲目となっている人達には納得出来ることではあるまい。然もこれはこの人達には甚だ迷惑な言分であろう。要するに、求めるのは利己主義が求めているのであるから、求め得たものは、利己主義の満足であるのは当然である、故に、これは虚偽ではあっても、到底、真実ではあり得ないことは煩わしく説明を要しないであろう。

 

かくては、そのような人間的な営みを放棄して、何物をも求めることもなく、得るものとてないところにこそ真実があるという、こうした大乗仏教の基本概念は、一応、たとえ概念としては、認められもしよう。然し、実際には、本能的な利己主義がこれを拒否して、そのままこれを受入れようとはしないのである。よし受入れても、利己的に歪曲してしか、受入れることが出来ないのである。つまり、これが仏法不信の実態というものである。

 

然るに、求めることの急な彼等にとっては、そのような物足りないことを言ったり、したりするものは、却って、真実に生きんとする意欲を喪失したものであり、こんな連中こそ怠堕な、全く憎むべき邪見の徒輩であるとしか眼に映じないのである。かくて「悟門あることを信せず、悟を以て誰となし、暦を以て第二頭となし、悟を以て方便の語となし、悟を以て接引の詞となす。かくの如きの徒は 人を謾じ人を誤り自ら誤る。亦知らずんばあるべからず。」(大慧書)と痛罵するに至っては、全く仏法の極則を信じないものと言わなければならない。

 

とにかく、利己主義の本能的な生活活動の根源をさぐるならば、常にそこには自己不満が存在しているからである。なせならば、われわれの本来のあり方は、常にわれわれの利己

主義を満足させるものではない、したがって、利己主義は本来のあり方に、いつも不満であり、不信であるのである。かくてこの自己不信はやがて変じて劣等感ともなり、更に、それが権威主義となり、行動的になって、利己主義はそのあくどさを逞しくするのであった。つまり、現実の自己が信せられない本能的な自己不信が、結局、馳って他に権威を求めんとするのである。かくて、悟りを求めないではおられないなどは、人間本来のあり方に徹しない中途半端な、自己不信のなせる業であって、全く如何にも人間臭い、素朴な生活活動に由来するものであったのである。

 

   三

 われわれの日常のごく常識的な信仰は、前述して来た自己不信に発した権威主義に、その根本的な動機があったのである。この権威主義ということには、必ず、権威に頼ろうとする

ものがある。即ち、それは、信ぜられるようなものに、頼ろうとすることである。しからば、それがかように何故に信ぜられるかと云うと、それは、信ずるものが、その権威を認めたからである。即ち、信ずるということは、その権威を信ずることである。かくして、権威は信ぜられることによって成立つもので、つまり、実は、それは信ずるために用意されたような権威であったのである。故に、権威は信ずるものの主観によって成立ったと言えるのである。 したがって、 どんな偶像でも、信ずるものにとっては、霊験あらたかであっても、信じないものには、全く、なんでもないただの木偶に過きないことは、われわれの常に経験するところである。

 

かく見て来ると、常識的な信仰というものは、ただ感覚的生活の範囲の中での主観的な出来事であって、それは自分で作り上げた権威の前に摺伏して、自己の救済を求めるのである。故に、その救いも、結局、自己陶醉でしかなかったのである。

 

ここで、私達はかかる信仰には、何かが置き忘れられていることに気付かないであろうか。 つまり、ここで一番肝要な自己自身の生存ということが、忘却されているということに気付き、同時に、自己不信の実態を、現実に省察することがなければならないのである。かくして、自己陶醉、自己欺瞞権威主義の信仰を脱却して、進一歩、正しい信仰というものについて、筆を進める段階となって来た。

 

さて、然らば、正信とは、 一体どうあればよいというのであろうか。ここで、先づ画竜和尚の言葉を見よう。

(信の言たる不疑なり。能く不疑なれば則ち究竟地に至る。)(信心銘夜塘水)

 

ここで、われわれは、この言葉の中に、信というものが、どうあらねはならないかを、最も判りと示唆されていると思う。つまり、信は不疑なりとあるのは、一応は、理解出来るとしても、これが、そのまま究竟地、即ち成仏につらなるというに至っては、いささか戸迷わされることであろう。

 

とにかく、信が成仏でなければならないのである。そして信心が決定しないことには、 仏法の究竟もあったものではないということになり、かくて、開悟が信決定であったのである。かようにあるのが仏法における正しい信仰のあり方であって、これがその帰趨でなければならなかったのである。

 

したがって、仏道修行が、信心決定の行、つまり、信成就発心でなければならなかったのである。この信成就発心が正しくなければ、 その人の一生を誤るものであるから、われわ

れは、 ここで最も慎重でなければならない。それでは、如何に発心したものであろうか。             

「仏法の大海は信を以て能入となす」とは、有名な『華厳経』の言葉であって、周知の通り、これは仏教に於ける最も基本的な概念である。故に、もし信ずることがないならば、その人は全く仏法には無縁であったのである。即ち、仏法は信成就し、正しい信心を獲得することであったのである。正しい信心とは、仏道の究極であり、仏道者が常に目指している真如の実際は これによって具現されるのであった。故に、仏道は正信心の修行でなければならないのである。然らば、この正しい信心とは、一体、どうあるというのであろうか。一口に表現するならは、人間として最も正しい生きかたであると言わなければならない。その正しい生きかたとは、最も正しい心のあり方でもあるのである。ここで「正しい」と言うけれども、その「正しい」という概念を、この際、明確にしておかなければならない。

 

この「正しい」ということは、邪に対する反対概念をいうのではない。即ち、それが一切の根本的な原理原則であるということである。そして、この根本的な原理原則に素直であって、些かの私の思惑をも懐くことのないあり方が、正しい信心であるのである。そして、この生活態度を無念無相というのである。これに対して、われわれの通常の主観的な感覚的な生活は、常に対象があり、それはその対象の形体の感覚によって左右されているので、有念有相といわなければならないのである。したがって、この有念有相は主観的感覚的な生活であるから、どうしても、それは主観的に偏向しないわけにはいかない、したがってそこには、「正しい」ということはあり得ない。

 

つまり、有相も有念も、主観的な感覚生活の所産であるから矢張り、何処までも、普遍的だとか一般的だとかいうわけには、いかない。そして、それは結局のところ、個人的な主観的な感覚の範囲内の出来事に、過きなかったのである。かくて

(相を取れば正法を壊するなり。相を取ることなければ、これ正法を持するなり。)

という、六祖慧能禅師の作を伝えられている『金剛経解義』の中の、この先哲の言葉の意味がここで理解されるのである。

 

感覚生活以前の無念無相にのみ、「正しい」ということの実態があり得るのである。そこで、この無念無相に素直に生きることが.正しい信心であり、これが即ちわれわれの最も正しい生き方であったのである。

ここで大乗起信論の信成就発心の解釈を、うかがって見ることにしよう。

(信成就発心とは、何等の心を発するや、略して三種あり。云何んが、三となす。一には直心なり。正しく真如の法と念ずるが故に。二には深心なり。一切諸の善行を集むると楽ふが故に。三には大悲心なり。一切衆生の苦を抜かんと欲するが故に。)

 

ここにある第一の直心に注目して見よう。この直心とは、とりもなおさず、この正信心を言うのである。そして、他の二心、即ち深心と大悲心とは、直心の現実の具体的な面、即ち直心の現実の具体的なあ 方が、この二心であったのである。

 

起信論は直心について、「正しく真如の法を念ずる」と言っている。これは、一体、どういうことを言おうとしているのであろうか。そもそも、真如の法とは、一体、何であるであろうか。これはとりもなほさず、われわれがかく存在し生きている根本的な原理原則であったのである。そこで、こんな原理原則である真如の法を、念ずるといって見たところで、どだい、これはわれわれの意識の対象となるものではない。

 

つまり、これを念ずること、そのことがこの原理原則によるものであるからには、それが念の対象ではないことは言うまでもないことである。即ち、それを念ずるということは、全く出来ない相談であった筈である。そこで、われわれは「真如の法を念する」という、こんな無理難題にぶつかってしまうのである。さて、これは一体どうしたものであろうか。結局、これは真如の法を念想することではなくて、根本的な原理原則に素直なる姿勢をつとめることであったのである。

 

ところが、その素直に生きるとは言 ったものの、その実態が、また難題である。そこでこれを解決する唯一の道がある、 即ちそれは六祖の『金剛経解義』の一句に

(心に能所あれは、即ち、褝定にあらず、能所生せざることを褝定と名づく。禅定はこれ清浄心なり。)

とあるここに、解決の方途が見出されるのである。ここに能所とあるは、感覚的生活のことである。「能所を生せざる」

 

とは、感覚生活以前、即ち、感覚生活の開始される前の純粋な生命活動、そのものをいうのである。それには一切の自己の生活活動を放棄することがなけれはならない。 生活活動を放棄するということは、身も心も放ち忘れて、一切をあけて、大自然に自己の運命に委せて、私の観念や冥想に流されない姿勢、即ちいずれにも、偏向することのない巍然たる正身端坐の正念に住すること以外にはあり得なかったのである。道元褝師は傘松道詠に

  (守るとも思わずながら小山田の

いたずらならぬかがしなりけり)

と、この間の消息が伝えられているのである。これが、その褝定の実態であり、また、われわれに実践出来るところの唯一の真如の実際であったのである。

 

かくて、六祖は、一切の私的なものを超えて、根本的な原理原則を、具現する姿勢、即ち褝定を、清浄心といったのである。ここでいう褝定は、決して常識的に考えられている精神の統一とか、無意識状態といった特殊な心理現象を言うているのではないことを、特に付言するまでもないことであろう。つまり、褝定は根本的な原理原則に素直に生きるものの、基本的な姿勢であったのである。

 

一切の自己の営みを挙げて放棄し、大自然に自己の運命を委せてしまった、この正身端坐は、利己的には全く無所得で、なんにもならなかった。故に、これを只管打坐というのである。つまり、只管に打坐することによってのみ、即ち何らの感覚的なものの制肘を受けることなく、巍然として自己放棄を堅持する坐禅によって、この難題が解決されるのである。そして「正しく真如を念ずる」とあるは、只管に坐禅することであり、直心とは、その坐禅の実態であったのである。われわれはかくて只管に坐禅することによって、具体的に、日常生活の上に、真如を実証し、正信の生活を成立させるのである。

 

    

かくて、正信は直心を具体的にした生活の心術であったのである。したがって、日常の生活の心術となった正信には、自ら二つの傾向がある。その一つは、自分自身を処するもの

で、これを深心といっている。他の一つは、自分以外のもの一切に対するもので、これを大悲心といっている。つまり、この二つの傾向を持った心術を本として、具体的な現実に生活することが、正信であったのである。

 

深心は、「一切の諸の善行を集むるを楽うが故に」と、起信論にある。ここでいう一切とは如何なる意味であろうか、一切であるからには、傍観者の全くないことでなければならない。自分自身も勿論のこと、その傍観者とは絶対になり得ないのである。故に一切は、私達には絶対に云云することが出来ることではないので、これを無限とか無量とか言うより外には、手はない。ところで、ここで、無量とか無限とかいっているのは、感覚の上で言っているのではない、また、意志とか意欲とかの活動範囲内のことでないので、かくいわなけれはならなかったのである。したがって、この無限、無量は感情や意欲などの以前の、即ち生活以前の生活をさせている原理原則の消息を伝えるものであったのである。斯様にかかる原理原則は、全く経験の事実ではなかったのである。

 

ここで、われわれは『金剛経』の「仏法は一切法なり」という言葉を想起するのである。 つまり、ここで私が述べている一切の意味を堀下げていく時に、この『金剛経』の言葉に撞著するのである。要するに、一切はそのまま生命活動の原理原則であり、真如の実際であった。したがって 「一切の諸の善行」とは、この無念無相を基盤として、それに素直な姿勢にもとずいた、直心の生活活動であるとともに、本来の人間が当然かくあらねばならない生き方であったのである。即ち深心は直心をもととした、正しい生命の原則に根を下した生活の在り方であったのである。

 

次の大悲心は「一切衆生の苦を抜くが故に」とあるが、ここで、いう一切衆生の一切も前述の如く無限無量の意であって、一切衆生 の意は、無念無相に生きている衆生ということである。したがって、矢張り、ここでも感覚的なこと、即ち、数量的なことは、勿論、意志的意欲的なことを言っているのではなかった。つまり、一切衆生、即ち、この無念無相の衆生は、とりも直さす、衆生の本然の実態であり、真実の姿勢であったのである。

 

有念有相には、必す苦が存在する、なぜならば、苦は感覚的生産の所産であるからである。 これに対して、その感覚生活を越えた、無念無相には、苦の存在する因由は全くない、故に、無念無相の一切の衆生には苦のあろう筈はない。かくて、この無念無相の一切の衆生の実態を本来成仏というのであったのである。         

 

ここにおいて、われわれは直心の生活活動をすることによって、本来成仏の実態を実証するのである。また、それは、実証するばかりではなく、その生活活動そのものが、他の人格の真実なものの心弦の共鳴を喚起しないではおかない。なぜならば、それそれ悉くに、生命の共通の原理原則の共鳴具が本来備わっているからである。これが所謂る衆生の苦を抜いて救済するということの実態であって、かかる直心の心術を大悲心というのである。

 

かくて、三心を見て来たのであるが、何れにしても、われわれは正信の行、只管に坐褝するところに、この三心が具現されるのであって、この外には、これを実践する道はなかったのである。

 

われわれは、今更、繰返して言うまでもないが、生命体として、生活活動しているのである。そしてこの決して休止することのない、活動体としての生命体のそれに基づいて、われわれの生活活動、成立っているのである。それのみではない、その生命体の活動の原理原則は、あらゆるものの存在のそれでもなければならなかった。即ちこの原理が真如の実際に外ならないのである。然るに、その原理原則である真如の実際を、とかく、われわれは自己の生活活動の努力によって、これを求めようとするのである。ところが、かく求めることが誤りであるとは、全く気付かないで、心ならずもいつも平気でこれを誤っているというのである。そして、これが、通常の人生に真面目な人の努力であったのである。それというのもそれに気付こうとっとめようともしないというではなく、全くその方向への手懸りが得られていなかったからであった。

 

それならば、何故に、われわれには、それに気付くための契機が、殆んど与えられていないのであろうか。つまり、それは、われわれは従前からの感覚的な生活の習性に生きる以外には、生き方がなかったからである。そしてそれを突破するというのには、それこそ現実に死ぬより外にはあり得なかったのである。そこで禅者の言草に、大死一番大活現成ということがあるのである。この大死は原水爆で何千何万の人間が一挙に死ぬことではない。従前からの習慣を、スッパリと切換えることの難事をかく表現しているのである。

 

真如の実際は、鏡が鏡自身を映すことが出来ないと同様に、その中に生きているわれわれには、永遠に想像したり考えたりすることが出来ない。この実態を称して、不可思議、不可称量というのでいる。然し、これは決して神秘の所産ではなかった。何故ならば、神秘は経験であるのに、これは生活活動の範囲内の出来事ではなかった、つまりわれわれの経験の出来ることではなかったのである。なほ、またこれは、感覚的なものでないので、所謂る驚異の事実ではないことは申すまでもないことである。

 

かくて、この真如の実際は、我々の生活の内に求められるものではなく、またわれわれがどうしてもそれを超えることの出来ないことでなければならない。したがって、われわれ

はどんなに暴れても跳ねても、それから飛出すこともどうすることも出来ないし、またその支配の中に、われわれの全べての運命をまかせなければならないものが、真如の実際であったのである。真如の実際の爼上にあって、生殺の一切の権利のないわれわれには、自分達がこんな立場にあるという実感を持っことは全くあり得ない。如何に自己の立場を反省しても、これによって特に感興が喚び起されることはあり得な したがって、これはわれわれには神秘とはならないし、また驚異の事実ともならないのである。

 

かくて、生活するわれわれには、一向に何らの特別な感興ともならないで、全く無感覚でさえある、この真如実際の日常性を、平常心というのである。平常心は、その字面の示す通りに、特別のことではない。したがって、それはいつでも、どこでも、誰れでも、それに対して関心を喚起されるでもなく、全く心の負担にならないから平常心であったのである。故に、平常心は、晴着であってはならないことは、勿論であるが、どんなに汚れても破れても、何んともかんとも負担を全く感じない普段着でなければならないのである。つまり、驚異の事実ではない、絶対無限の真如実際は、最もわれわれに身近かな平常心であったのである。

 

その平常心は、推理や作為の産物ではないし、またある特定なものとして追求し、燃え上った結果といったようなものでなく、われわれが天然自然に賦興されている生活の基本的なペースそのものであったのである。この辺の消息は、もっと手取り早いところで、日常の呼吸を例にとって考え合せてみれば、理解されるであろう。われわれは誰しも、日常、呼吸のことなど忘れている。そして、これに不安も、疑念も全くいだいてはいない。だからこそ安眠が出来る。かようなこの天賦の基本的なペースの在方が平常というものである。

 

この基本的なペースの平常性の、全く不安も疑念もない安らかさほどの信頼が、またとあるであろうか。実にわれわれは、この信頼の上に明日を約束して生きている。然も、この信頼は、信頼していることさえ意識してはいない。つまり、この信頼には、信頼するものと、信頼されるものとの関係が存在していない。 したがって、 そこに不安と疑念の介在する余地は全くなかったのである。ここでわれわれは平常の核心はこの信であったことに、気付かないでは居られないであろう。つまり、この信が平常心たらしめたと言える。この平常心である信こそ、真如の実際の具現であったのである。かような正信の信によって、構成されている平常心の絶対性を、道元褝師は『眼蔵』の中で      

  平常心というは、此界他界といはず平常心なり。昔日はこのところよりさり、今日はこのところよりきたる。さるときは漫天さり、きたるときは尽地きたる。これ平常心なり。(身心学道)

と斯様に述べてある。要するに、平常心である信は、信じようと努力した信ではなかった。 つまり、これには、全く意志的なものは存在していない、無作無為の信であったのである。親鸞上人が「如来より賜わりたる信心」といっているのは、この無作の信心をいっているのであろう。故に、この信心は、われわれの本具の生きている姿であって、つまり、言い換えて見るならば、あらゆる人間生活の生み出される以前の生命としての在方であったのである。そして、この信心の下に、生活活動が営まれているのである。

 

したがって、どんな人間生活活動も、本来、あるべくしてあったもので、特別のものは何一つとして存在しなかったのである。かくては、正信の立場からするならば、凡てが普段着であり、余所行きの晴着というものはなかった。故に「此界他界といわず平常心なり」といわれるのである。また、われわれの生活の枢軸をなしているものは、意志と意欲であり、それによって生活活動が営まれるのである。その意志意欲の活動には常に始めと終りがあり、希望と失望とがある。これがやがて、今日と昔日の概念を生んだのである。そしてかような具合に今日も昔日も、現実には、生活活動上の必需の調度品であったのである。故に、正信の本来の立場からするならば、それ以上の意味は存在しない。つまり、日常の用品であったので 「昔日はこのところよりさり、今日はこのところよりきたる。」といわれたのである。

 

かくて今日も昔日も、信の本来の立場からすれば、鍋釜のようなごくありふれた必需の日常品であって、それ以上ものではなかった。また、今日、昔日ばかりではなく、あらゆるものが日常の調度品となり、何もかもが普段着となってしまい、何一つとして奇特なもの、珍重すべきものとてなくなってしまうのである。故に、他人に対して何ら隠し立てするようなものの持合せのない、この信のあり方が平常心であるから、その行動は、いつも特殊な個人的性格のものは存在しない。したがって、その生活は大自然と運命を共にする公明正大なものとなり、「天地と同根、万物と一体、」に生きることであったのである。これを道元禅師は「さるときは漫天さり、きたるときは尽地きたる。」といわれたのである。

 

かくしては、この何の変哲もない平常心を別にして、無限絶対はなかったのである。この無限絶対の平常心が正信の実態であり、意志と意慾を恣にした作為的な意識活動による燃上りのところに、正しい信心の、あり得るすべはなかったのである。故に、正信は「如来よりの賜物」であり、われわれの本来の姿であったのである。つまり、これは、求めて得られる正信心ではなかった、故に、ここでことあらためて、われわれは『維摩経』(観衆生品)の 「無所得の故にこそ菩提が得られる」の言葉がよく理解されるのである。

 

    

 かくて、正信は他に権威を求めて得られるものではなかった。即ち、それは自己を如実に知るということであり、とにかく、よくも悪くも、この自己に安住することであった。然し、 そういわれたからと言って、すぐ誰でもが、これが受入れられるものではない。常日頃、われわれは自己に不満を持って、外的に何にかを期待して、求め続けているのである。こんなわれわれにとっては、これはとんでもない無理な注文であると言わなければならないのである。要するに、満されることを求めて止まないわれわれに、この自己不満に安住せよとは、全く聞えない話しと言わなければなるまい。

 

ところが、自己不満に明けても暮れても、物に憑かれたように、次から次へと、追求して、止むことを知らないなかにも、常に満足の燃上りの後の冷却のみじめさを、身にしみて思い知らされるのである。満足の追求は無限ではない、必ず頂点に達し得たときは、最早や冷却は始まって、やがて深刻な空虚さに堕ちこん.でいく。そし て冷酷な空虚感に苛まれなけれはならない、この自己不信の残虐な報いの中に、われわれは、自己の本来の心の呼びかけを聞くのである。然しこの呼びかけを聞きながらも、この苦悩に堪えかねて、更に求めて同じ過程を繰返さないではおられないのが人間である 。

 

かくして、益々深みに堕していく、この愚劣な繰返しを流転輪廻というのである。折角の本来の心の呼びかけに応じて、それに随順して、地道に追求の燃上りを追わず、平常心に自己をつなきとめていくのが正信の行であったのである。かくて、自身の外に信ずる何ものをも求めず、この心外に何ものをも得ようとしないということは、観念上の事ではすまされることではない。この自己不信の所行は、われわれには昨日や今日のことではない、物心ついてからすっと続けて来た習性である。故に、一度や二度の観念上の転換で処理出来るなど到底望めるものではない。矢張り、新しい体勢が習性とまでなり得てこそ、始めてその切換えがかなえ得られるのである。

 

この習性の形成には、常日頃、妥協を許さない正しい生活体勢の努力が行われなければならない。勿論、その生活体勢は正信の厳密な実践でなければならない。心外に仏ありというを信心と名けず、邪見人と名づく(華厳合論)は棗柏大士李通玄(六三五ー七三〇)の言葉であるが、これは正信の行者の基本的な在方であったのである。         

 

前述し来たったように、正信は仏法の究竟でなければならなかった。故に、正信は修道の生活体勢であり、それがとりも直さず、そのまま証りでなければならなかったのである。故に、これを証りと修行とが別ではないこれを、修証一等の行というものである。修証一等の修行であるから、従来の習慣との妥協が許されてはならない、その時その時の行が、厳密に自恣の妥協のない、正確なものでなければならなかったのである。この故に、これを面密の行持というのである。

 

かくては、この行に「一寸坐れば一寸の仏、一尺坐れば一尺仏」という言葉も生れたのであり、その坐その坐が、仏行、即ち成仏の行でなければならなかったのである。かように仏行である坐禅、即ち成仏の行、修証一等の行が行われるところに、その時その時が成道であったのである。それも、日常の凡夫が、ごく自然に坐禅するにおいて、その本人の自覚すると否なとに拘らず、却えってその自覚なるものをも棚上し去って、行ずるその凡夫の身上に仏が現成するのであった。

 

「坐功つもらば、おのずからよくなるなり」(大智法語) とは古来言伝えられているが、 これは厳正に仏行が行ぜられ続けられていくところに、新しい習性として成仏の体勢が育て上げられていくことをいうのである。即ち坐功をつむところに、仏道としての人格が形成されるのである。それには、先づ、なにはともあれその日頃の修道が常に厳正で正確でなけれはならなかった。 つまり、 それは修と証りと同一であるには、私意との妥協の絶対に許されない、厳密さが、何よりも肝要であったのである。かくして、われわれは

(しるべし、修をはなれぬ証を染汚せざらしめんがために仏祖しき に修行のゆるくすべからざるとをしふ。)(弁道話)

道元褝師の言葉が、また改めて、深く首肯されるのである。

 

坐褝が厳密に正確に行せられるということは、私意との妥協を絶対に許さないことであった。つまり、それは「得るところもなく、悟るところもない、」一切、自己の満足の望みを放棄したものであるから、これを只管打坐というのである。その放棄は、身も心も放ち忘れて、仏のかたに投入れたもので、即ち、自己の運命への野心を放棄したものであった。そして、この放棄に対して、更に何の希望を持っことおも放棄して、終局的に、われわれがなし得た体勢が坐褝であった。

 

ここで、道元禅師が、如浄褝師上堂の語によって、自己放棄の坐褝をかく説かれるのである。

記得す。先師天童、天童に住する時の上堂に衆に示して日く。衲僧打坐す正恁麼の時、乃ち能く尽十万世界の諸仏諸仏諸祖を供養す。悉く香花燈明珍宝妙衣種種の具を以て、恭敬供養して、間断なきなり。汝等知るや見るや。もしまた知得せば、いうことなかれ、空しく過すと。もしいまだ知らされば、当面に 諱却することを得ることなかれ、(永平広録五二二則)

かくて、この坐褝が、諸仏を供養する行となったのである。つまり、それは尽十方世界の諸仏諸祖を供養することであった。しからばこの尽十方世界の諸仏諸祖は一体何処に存在するというのであろうか。外でもない、われわれの生存の根本的原理原則であったのである。そして、われわれは自己意識を放棄し、絶対に諸仏諸祖に帰投することが却って、自己の信頼を実践することであり、只管打坐は正信の唯一無二の行であったのである。かくて只管打坐以外には、正信の現成は、絶対にあり得なかったのである。即ち正信現成の只管打坐であるからこそ、これがそのまま仏果現成の当体であったのである。故に、道元褝師

(仏果位にあらざれば、信現成にあらず、このゆえに、いはく仏法の大海は信を能入となすなり。おほよそ信現成のところは、仏祖現成のところなり。)(菩提分法)

と説いて、禅の帰趨を示され、禅は正信の具現でなければならぬことを、教え遺されたのである。(昭和36年11月1日)

駒澤大学仏教学部研究紀要』20・昭和37年3月

 

  これはインターネットからダウンロードしたpdf論文をワード化し、大幅に修訂

を加え、掲載するものである。(タイ国 バンコク近郊にて 二谷 記す)