正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

永平高祖の見性批判について    酒 井  得元

永平高祖の見性批判について

 得元

    

  正法眼蔵『四禅比丘』の巻に「六祖壇経に見性の言あり、かの書、これ偽書なり。付法蔵の書にあらず、曹谿の言句にあらず、仏祖の児孫、またく依用せざる書なり。」とあるように、永平高祖は見性という語に対しては、非常に厳しい態度であったことは周知のところである。見性の語がある故に、六祖壇経は偽書なりと断定されるなどは、その宗旨の傾向を最もよく表明している。さてここで永平高祖が厳しく排撃している見性とは、一体どういうことを言っているのであろうか。そして何故に、これを斯様に厳しく排撃されなければならなかったかを、考察してみる必要がある。そしてこれを明確にすることが、また同時に永平高祖の宗旨を明確にする一助ともなることであろう。

転境転心は大聖の所呵なり、説心説性は仏祖の所不肯なり、見心見性は外道の活計なり、滞言滞句は解脱の道著にあらす。」(正法眼蔵山水経)

とあるをみて見る時に、先づ私達は永平高祖が、何故に、これらの一連の同義語をつらねて排撃されているかを考察してみなけれはならぬ。即ち何故に転境転心、説心説性、見心見性、滞言滞句を、肯定することが出来ないのであろうか。

 

この場合、転境転心と見心見性とは、一つの体験を通じて新しい場面を展開し、説心説性と滞言滞句とは、一つの思想体系を打立てようとするものと見てよいであろう。即ち、前者は「境を転じ、心を転ずる」「心を見、性を見る」と訓んで、これはこういう体験によって現実を転換しようとするものであろう。また後者は「心を説き性を説く」「言に滞り句に滞る」と訓んで、思惟分別による言語作業によって思想体系の転換を企図するものであろう。 ここでこの二つの場合において共通して言えることは、即ちこれらは相対関係を前提として、新しい局面の展開を企図しているということである。かようにして展開された局面は、結局、人間の生活活動の一つの事件であって、それ以上に出るものではないということを留意しなければならない。私は今ここで事件といったが、即ちそれは出来事であって、人間がそれを経験し把握することが出来るものであった。つまりそれらは、経験され把握されていなけれは、事件ではないし、局面の展開なんていうことはあり得ない。故にこれは、 人生上の事件として、如何に偉大なことと考えられようとも、 また如何に素晴しい業積が上げられても、それは畢竟、人間の生活活動の範囲内のことであって、それを超越することは出来ない。局面の展開、転換も生活活動内のニュアンスの変化であって、生活活動そのものであることには変りはない。

 

斯様にして、人生上の事件として、経験者その人が如何なる影響を受け、転変することがあり得ても、 またはそれは驚天動地の経験として受取られても、結局、 それは人間の営み以上のものではなかったのである。ここで永平高祖の「解脱の道著に非ず」という言葉が理解されないだろうか。つまりその経験なり感動は、独善的な自己満足以上であり得ないということになる。

 

そこで、斯様な状態であるならは、私達は永遠に循還論を繰返すのみで、真の解脱ということは、あり得られるであろうか。『山水経』の次の一節に、 ここで私達は大きな示唆を与えられるのである。

かくのごとくの境界を逸脱せるあり。いはゆる青山常運歩なり。

東山水上行なり、審細に参究すべし。(山水経)

かくて人間的な営みも超えた青山常運歩、東山水上行の、即ち生活以前、意識以前の事実こそ、始めて、それらを透脱せるもの、解脱の当態、真如の実際であるということを、明確に示されるのである。故に仏道の参究は、かくて青山常運歩、東山水上行の審細なる参究でなけれはならなかったのである。

 

    二

  ここで、今一度、人間生活活動内の事件について考えて見たいと思う。それが事件であったということは、それが人間に経験されることであり、また、経験されたことでなけれはならない。経験は必ず自覚されること、または自覚されたことでなけれはならない。然らば、私はここで、この自覚され、または自覚された経験なるものは、如何なるものであるかを堀下げて見たい。それには大乗仏者の従来これに対して努力して来た業積に、一助を乞うことにする。斯くすることによつて古先徳の跡を学ぶことになると、同時に、大乗仏者が当然歩まなけれはならない方途を明確にすることが出来るからである。

 

そこで真諦訳の世親造中辺分別論に手懸りを求めることにする。そして、左のように、

虚妄分別は有り、彼処に二あることなし、彼の中に唯空のみあり。此に於ても亦彼あり。(原漢文、山口益編弁中辺論二頁)

の偈を取上けて見た。そして世親自身がこの偈に対して行った釈論に本づいて考察を進めることにする。この虚妄分別を解して「能執と所執とを分別するなり。」といひ、「彼処に」とある彼処は、虚妄分別を指示しているといっている。そしてこの虚妄分別には「二あることなし」、即ち所執と能執の二が存在しないということを偈が言っているというのである。ここで早速に当面する問題は、前者は二を分別するなりと言ひ、後者においては二あることなしと言っていることである。一方は肯定、一方は否定している、これは同一の虚妄分別には斯様な二重性格が存在していることを明確に指摘しているものであることを留意しなけれはならない。

 

ここでこの虚妄分別の二重性格なるものを考察してみよう。先づ虚妄分別とは、仏教者の現実に生活している人間の把握の仕方であるということに注目して見なけれはならぬ。即ち、現実の根本構造は虚妄分別であることを、論証としているのである。それは現実というものが、我我自身を主体として展開しているとし、そして客体として環境が存在しているという立場に立っているということである。この基本構造として辨中辺論(世親教学一般)は、能執所執という対立関係を立ててこの間の消息を解こうとしている。即ちこれが現実に生きている人間の姿を洞察して得た、大乗仏教者の立場であった。したがってここで先づ私はこの先人の立場を踏襲して、考察を試みようと思う。

 

この能所の対立を、我々は日常において何の抵抗も感じないで、本来の事実であるとして展開している。そしてこの展開に本づいて、現実の生活を形成しているのである。したがって、この対立の成立ということには、全く触れるということはなかった。何故にこれまでに触れるということがなかっオこのであろうか、それは一言に言えは、触れることが全くあり得なかったからである。つまり、それに触れようと思うこと、そのことが、はや能執と所執の対立を措定してかか。ているということである。かくて、それはどこまでも循環を繰返すのみで、到底行きつくことの出来ないことであった。

 

これまでに見て来た通りに、我々は能執・所執から現実を展開している。つまり我々の意識的意慾的な共体的な生活活動は、ここから始まっているのである。そしてこの対立が、現実生活の基本的構造であ。たのである。ここで私が問題としなけれはならないことは、能執・所執の措定が如何になされたかということである。

 

これは、その人の意志によって行われたものでないことは、今更、言うまでもないことであろう。即ち、その意志が、「そこ」から出発したのであった。然らば、一体、「そこ」か

らの「そこ」とはどうした事であろうか。「そこ」からのそれによって、我々の意識活動が発生したのであるから、 それは我々には全く意識されようもないことは申すまでもないが、さりとは言えそのままで済まれないのが人間である。そこで我々は思惟作業を開始する、何故にこんな作業を開始するかということが、ここで考えれなければならない。人間は本能的に、何事に於ても、一応、自分のものとしなければ落着けない。そして自分が落着くためには、落着けるようなものにそれを工作しなければならない、故に、落着くための非常な労作が常に行われる、これが思惟作業である。そして思惟作業は納得という状態を作上げる、言って見るならば、落着を得るための納得であり、また同時に納得は、自分のものとなし得たという、自己所有欲の一応の終局でもあった。我々は如何なる不可解なことでも、不可解のまま放置することは出来ないで、なんらかの形ちで納得を取付けようと努力する、そこに形而上学的な作業が営まれるのである。そして概念的な究極的なものを作上げて、一応の落着を獲得しようとするものである。

 

故にここで注目しなければならないことは、どんなに我々が真摯に信奉する究極的理念であっても、元来、それは作られたものであり、考えられたものであったということである。然し、それが現実的にはその考えて作ったものは、その考え作ったということが、全く忘却せられて、却って、作ったものから作られるといった具合に、それを本来のもの絶対的なものとして無条件に信奉するものである。そしてかような信奉が根底となって現実を開展しているのである。かして世親菩薩の教学が斯様な現実の根柢を虚妄分別として把握したのであった。この虚妄分別の構造は能執と所執の対立であり、結局、我々はこの能執・所執の基本的対立より外には、どんな施為もなし得なかった。そして能執・所執のこの対立を爼上に上げることが、はやこの対立の軌道に乗っているということでもあったのである。かくて人間の現実というものはいっ果てるともなく虚妄分別を根柢として展開して、一歩もこれから脱することが出来ないのである。

 

   三

  世親菩隆が「妄分別とは、謂く、能執と所執とを分別するなり。有りとは、ただ分別有るなり。」(原漢文)と前掲の頌の第一句を釈していることに、我々は大きな示唆を受けるものがある。それは、前述来、論じて来たように、何事もすべて、能執・所執の対立の基本構造の上に営まれて来た。そして、現実の事実として、我々はかかる構造を自覚すると否なとに拘らず、その対立からあらゆる事象を出発させて来たのである。即ち、かくてこの既定の事実を出発点としているのであるが、ここで見逃し出来ないことは、この既定を既定たら

しめている事実である。然もこれが、それ自身には、全く自覚されていないということである。即ち、その自覚されていないということが、その既定を既定にしていると言ひ得るのである。この既定を既定にしている事実、これを世親菩薩が虚妄分別としたと解しなけれはならないであろう。

 

かくて、虚妄分別が、能所の対立を措定して、そして我々の生活を出発させたものであると言わなけれはならない。この辺の消息を「虚妄分別が能執・所執を分別するなり」と釈している。 この対 立は、虚妄分別によって措定され、そして却って虚妄分別を成立させるものであったのである。かくして対立は、結局のところ、虚妄分別活動の必ず経過しなければならなかった手続過程の実態であったのである。

 

対立が虚妄分別活動の必然的手続であるとするならは、 それには存在云々の問題となるべき筈のものは存しなかったのである。つまり虚妄分別の現成するときに、対立が現出するのである。かくては、能執・所執とは虚妄分別と運命を共にするものであり、その虚妄分別そのものは、その時々に新しく現成するものである。したがって能執・所執もその時々に現するものであるから、そこには存在の間題は全くあり得ないことは、今更繰返すまでもあるまい。故に「能執と所執との二は永く無きなり」と釈されている。かくて能執・所執によって成立する虚妄分別が、虚妄であったのであった。

かくて、この能執・所執の存在ではない分別活動の手続過程を、永く無なりといひ、偈はこれによって「彼の中に唯空あり」といっている。即ち能執・所執の活動の手続過程にすぎないこれを、内容としている虚妄分別そのものの実態を「唯空あり」といったのである。能所の対立は虚妄分別活動の手続ではあっても、分別そのものではない、かかる関係を、釈論は「この分別は能執と所執とを離るる故に」と言っている。そして、この関係からして、この分別の実態を「ただ空あるなり」 といってる。そしてこの分別が虚妄なりといわれたわけである。即ち虚妄分別が虚妄と言われるのは、その現出する過程によって虚妄であったからである。つまり分別なるものは、虚妄を原理として成立したものであったのである。

 

偈の第四句「此に於てもまた彼あり」を解釈して、「此に於てとは、謂く能所の空中にあり。また彼ありとは、謂く虚妄分別あるなり。」と言「ている。これは前述来の関係を結んだものであった。

 

以上は仏教者の知覚分別の分析の典型的なものを上げて、考えて見たのである。この虚妄分別を人生問題の根本構造と見て行くところに、仏教者の立場が展開しているのである。即ち虚妄分別とは、結局、人間の実存感覚であった。したがつて人間が、真実なるものを感覚しても、それは虚妄分別であるというのである。つまり、どんなに精緻綿密に思索された結果の真実であっても、それはどこまでも、虚妄であった、即ち主観的に考えれたものであったというのである。そこでは、全く客観的な観測といったことは、認められていないということである。つまり客観的と判断することそのことが、主観的であるといった塩梅である。

 

いささか、突込んで考察して来たが、 これは、大乗仏教者の基本的立場を判りとしておかなけれはならなかったからである。即ち仏教者であるならば、 どうしても逸脱することの出来ない基本的なものがなければならないからである。

 

かくては大乗仏教者では、虚妄分別が人間の生活体験の実態であり原則であったのであるということになる。

さて然らば、人間の生活のその根本構造は虚妄分別であつたというならば、一体、何が真実であり絶対であるかということが問題となって来る。ここでも、また世親菩薩の教を請うことにする。

故に一切法は空に非ず空に非ざるにあらずと説けり。有なると無なるとの故に、是を中道の義と名く。(原漢文山口編弁中辺論三頁)

 

ここで一切法という概念が持出されている、この一切法はそのまま仏法を表現していることは、『金剛経』云云するまでもないことである。この一切法には、如何なるものも、これと能所関係を持っということはあり得ない、したがって、空と不空(空に非ざる)といった概念でこれを把促することが出来ないものであった。そして、「有なると無なるとの故に」と言われているが、この有無は、吉蔵の『中論疏』(十四巻、続蔵七三ー四ー三〇六)によれば「有無は是れ諸見の根にして、中道を鄣る本なり」と言われているによっても、知られるように、諸見の根、即ち分別活動の上の基準であづたのである。したがって有無によって、 一切法というものは、把握出来ない、この分別活動そのものが一切法の上で行われていたのである、故に一切法とは、この分別活動のみならず、あらゆる存在の根本原理であり、原則であったといえる。この一切法の実態、それを中道といったのである。即ちこれが真実なもの絶対なものであったのである。つまり、能所対立、有無、空不空といった人間的営みを超越した一切法こそ仏教者の根本的立場であり、これが解脱の実相であったのである。この一切法は人間の経験の問題ではないことを、更にまた解脱も経験されることではないことを重ねて付言しておかねばならない。

 

かくて虚妄分別も、この一切法の立場から眺められる時に、虚妄の意味も転換するのである。一切法の立場で眺めるということは、虚妄分別は人間生活の原理であったというところから始まる。即ちその虚妄なるものは、例へ内的構造として能所対立をもっていたとしても、 そのものを生命活動の一表現として現したものであるから、一切法の立場からはそれへの見方が全く転換する。即ち虚妄分別が現実の真実相となって来るのである。大乗教者は、虚妄分別の分析に非常なエネルギーを費やして来たのは、かくすることが現実の人間を正確に把握することでもあって、同時に虚妄分別を虚妄分別ならしめている生命活動の原理である一切法の事実にも到達したのであった。また虚妄分別の事実は、その中には解決の鍵は全く存在しないで、一切法の中道において、既に解決せられていることに帰結したのである。 したがって仏者の基本的立場は、人間を超えた、即ち能所対立を超えたところに確立されなければならなかった。古来、この立場の確立に努力がなされ続けられて来ている、即ちそれは人間の経験を越えることであったのである。

 

    四

以上によって、我々大乗仏教者の立つべき基本的立場を明白にしようと努めたつもりである。言換えて見るならば、それは人間の感覚的なもの、即ち生活活動を超えた一切法中道の立場であった。故に解脱とはこの中道一切法の実態を、指摘しようとするとする言葉ではあっても、経験ではなかった。繰返すまでもなく経験されたものは、虚妄分別内のことであったのである。即ちそれは人間の生活活動内のことでそれ以上のことではあり得なかったからである。この一切法中道の経験を超越したものという実態を、能所泯亡・主客合一という概念で表現するのである。

 

それでは、永平高祖の立場を考察して見ようと思う。 ここでは正法眼蔵『説心説性』の巻を取上けてみることにした。この巻を取上げたのは、無著道忠師がその著『潜評』において問題にしており、然も両者の立場を明確に示しているからである。

説心説性は仏道の大本なり、これより仏仏祖祖を現成せしむるなり。説心説性にあらざれは、転妙法輪することなし。(『説心説性』岩波本中巻二〇五)

 

この一節によれは、説心説性こそ仏道の根本であったのである。然らば、この説心説性とは、どういう事実を言っているのであろうか。「説心説性」を「心を説き性を説く」と訓んでよいものであろうか。つまり、ここで述べられる仏道は、「心」と「性」とを解説するものなのであろうかということが問題になる。ここでは

しかしながら心の説なる時節なり、性の説なる時節なり。(『説心説性』 岩波本中巻二〇五頁)

と説いてある。ここで注目したいのは『心の説なる時節』と『性の説なる時節』ということである。これによって、我々が知ることが出来ることは、説心説性の語が「心を説き性を説く」ということではなかったということである。即ち、それは「心か説である時」「性か説である時」ということであった。それでは、心と性とは色々と説かれてはいるが、永平高祖にあっては、その心は如何に解されているであろうか、それを明確にしなけれはならない。

いはゆる正伝しきたれる心といふは、 一心一切法一切法一心なり。(『即心是仏』 岩波本上巻一〇四)

この一節に明確にされていると思う。ここで説かれている心は、心理活動ではないことは明白である。この場合の心の用語法は三界唯一心と同じである。一心が、接続詞なしに一切法に直接させてあるところに、ある強いものが感せられるのである。一心の一は一切法の一と同意味であろう。即ち一あって二なき一と解すべきである。かく解さなけれは一切法とは続かないのである。

 

それでは、一切法とは一体何を表現しているのであろうか。それからは絶対に除かれるものがない、また何ものもそれと能所の対立関係が成立し得ない事実でなければ、一切法とは言えない。つまり、一切法は何ものからも対立されることのない、能執・所執の対立関係の埓外の事実でなけれはならない。つまり、斯様な埓外の事実であるということは、我々の生活圏内の事実ではなかったということである。即ち、その生活活動そのものを活動させている事実であった。更に言って見るならは、存在、不存在の問題を超え、却って、その存在不存在を自己の内で行わせている事実であったのである。一切法は単なる無限の個々の存在の綜合体でも、包摂体でもない、無限の個々の存在不存在を自己の内に於て、かくあらしめている実態であったのである。

 

つまりありとあらゆる事実は、この一切法という事実によって実在するのである、故に一切法は普遍の事実であり、また決して対立関係を持たないから、絶対の事実と言わなけれはならない。したがって、これは我々の思索の埓内に入ることはあり得ない、思索された一切法は、真実の一切法ではなく、どこまでも思索されたものであるに留まるものである。故に生きてている我々は、我々の存在の原理原則であるべき一切法には、全く感覚を持つことはあり得ないし、また生きているために、それへ抵抗を感じたことはなかった。即ちそれに対して無意識、無感覚に生き得ているのである。この意識無感覚に生き得ている事実こそ、一切法の普遍絶対の顕現であると言えるであろう。無意識、無感覚は経験とはなり得ない、故に我々の経験の中に一切法を持っということはあり得べきことではなかったのである。

 

斯様に考察して来る時に、一切法とは全宇宙の原理であり、真如実際であるということになって来る。したがって、仏法は一切法でなけれはならない、故に「一切法は皆な是れ仏法なり」(究竟無我分第十七)の『金剛経』の一句は当然の帰結であったのである。然も一切法は概念とはならない実態であったので「言うところの一切法とは、即ち一切法に非ず。この是故に一切法と名づく。」と説かれているところには特に注意を向けておかなけれはならない。

 

永平高祖の「正伝しきたれる心」のそれは、かくいう一切法であるというのである。即ち一心一切法一切法一心とあって、一心と一切法の間に助辞の介在がない。それは寧ろその介在を許さなかったのではあるまいか。つまり一切法は概念に非ざる概念であることは前述の通りではあるが、この実態は述語されるものではなかったので、この端的を表現しようとして採れた語法ではなかろうかと思う。

 

一切法と心との間に相即といったような関係が許されなかったのは、この二語を並べて即でこの両者の関係を示すような、間柄でないことを示すものであろう。即ち全く両者が同一事実であることを明示したものと思わなけれはならない。この語法は前述のように三思唯一心という場合と同じケースであろう。つまり一切法がそのまま心であり、心がそのまま一切法であったのである。したがって、心はあらゆる存在の事実そのものをいっているのである。即ち一切法の実態が心であったのである。かくては心は、あらゆる存在の実態であると同時に、その実態であるということが、即ち、あらゆる存在の原則であり原理でもなけれはならなかったのである。故に『大乗起信論』に心真如といわれるのは、 斯様な意味に解さねはなるまい。

 

一切法といっても単なるあらゆる存在ではない、そのあらゆる存在の端々に至るまで、それぞれ存在の努力が続けられている。存在は単なる存在ではなく、その存在が存在するた

めには存在活動が行われている。この存在活動によって存在が維持されている、これを生命活動と言っても差障はあるまい。この存在活動そのもの、これが心という語によって仏法者に把握されて心真如と相成り、一切法一心、一心一切法となったと言わなけれはならない。なんとなれは、仏教者には常に平面的に物を見ようとはしないで、常に根源的なものへの努力が行われている。よく禅は直観的と言われているが、これ程に、禅を誤まる言葉はないと思う。心ない人の発言は困ったものである。とにかく一切法一心は直観されるものではない。常に存在活動を続けている真実の自己を追求している者に覚触されたものであったのである。したがってこれは起信論的表現によれば信心成就されたものであったのである。故にこれは論理的究明の結果であってはならないし、また経験的なものであってはならないことは言うまでもないことである。

 

我々は自己自身の存在を追求して行く時には、 やがて生命活動の事実に撞著することは、 今更に言うまでもないことであろう。 この事実に到着する時、遂に我々は、自我意識を喪失せざるを得くなることであろう。 この喪失が得られないならは、それは、この事実に到着し得たとは言われない。かくて一心一切法一切法一心の実態の信心成就があり得るのである。虚妄分別もこの一切法によって、 その存在性を獲得して、虚妄は虚妄でなく真実と展開するのである。永平高祖の正伝の意味をかく解さなければならないであろう。

 

かくて、心の意義を明かし得た思う、即ち心はそのまた尽十方世界につらなる無量無限の存在活動であったのである。その意味に於て心あらゆる事実の実態であると同時に、原理原則でもあったのである。故に心は心理的な心ではなかったし、 また固体的な実在論的な意味のものでは全くあり得な 。更にこれは経験的な事実ではあり得なし、直観されるようなものでもあり得ない。即ち、 心には何ものも、 これと対立関係を持っことは出来なかったのである。

斯様にして説心説性は、「心を説く」「性を説く」ということではあり得ない。説くということは、人間の意欲的意志的な行為であった。したがって心は意欲や意志の対称とはなり得ないのであるので、「心を説く」ということは成立しないのである。つまり説くということは、説く物が存在していなけれはならない。即ち能所の対立関係がなければならなかったのである。心は元来、何物にも対立関係をもっということはなかったのである。しかるに説くということは、意志的な意欲的な活動であったのである。それはとりもなほさず生命活動の一様相である。したがって説は「心の説なる時節」と、いみじくも、永平高祖が言われたことには刮目しなけれはならないのである。

 

生命活動の一様相として説を見る場合と、説を説として見る、即ち何かを説くと見る場合と二つの立場がある。この二つの立場には非常な相違がある。前者は「心の説なる時節」であって、 そこには人生問題は起らない。人生問題は後者の立場を基盤として、その上に展開するのである。第二の立場、即ち説を説として見る立場、言ってみるならば、何かを説くということが行われる、そこに人生問題の葛藤が現出するのである。斯様な次第で起って来る人生問題は、生命活動が続く限り消滅することはあり得ない。そして後者の立場に立って、葛藤に引き廻される限りは解脱はあり得ない。これが凡夫というものである。前者の立場においてこそ、後者における葛藤からの解脱があり得るのである。何故ならば前者は、本来、能所対立の存在しない、虚妄分別の成立ない一切法一心、一心一切法の立場であったからである。したがって

説の性なることを参究する、これ仏祖の嫡孫なり。性は説なることを信受する、これ嫡孫なり。(『説心説性』 岩波本二一〇)

という永平高祖のお言葉はこの立場を明確にしたものと言わなけれはならぬ。この場合、「心の説なる時節」、「性の説なる時節」とある、心と性とを分けてあるが、元来、心性とあるべき語、つまり、心理的な心ではなく、一心一切法としての心を表現する心性を言ったものである。即ちそれは説心性と言うべきところを、説心説性と言ったものであるので、心と性とは同意語である。したがってこの論文ではその意味で両語を取扱っていることを断っておく。

 

斯様な永平高祖の立場に立つかきりは、これと全く相反する看話見性を、専ら挙揚した大慧禅師宗果師の立場が、 どうしても腹に据えかねられたのであろう。なんなれば、それは全く前述の説の二つの立場のうち後者の立場、即ち能所対立を前提とし、そしてそれに終始したものであるからには、到底、正伝の仏法とは異質のものとしてしか受取れなかったのであろう。

ただまさに心性ふたつながらなげすてきたり、玄妙ともに忘じきたりて、二相不生のとき証契するなり。(『説心説性』 岩波本中巻二〇六頁)

という大慧師の主張に対して「まだ仏祖のを縁綿をしらず、仏祖の列辟をきかざるなり」と手厳しい言葉が述べられている。即ち永平高祖には、全く大慧師が真実の心性の意味に徹

していない非仏法者として映じたのであろう。つまり大慧師の「なげすてきたり」「忘じきたり」といった、「なげる」「忘れる」べきものがある立場と、一切法の立場に立って「なげる」「忘れる」べきものが全く存在しない立場とは、相容れない完全に異質のものであったのである。「心はひとへに慮知念覚なりとしりて、慮知念覚も心なることを学せざるによりて、 かくのごとくいふという批判は一切法中道の大乗仏者の根本的立場に立っての立派な批判というものであろう。そしてこれは大慧師の宗旨の核心を衝くものであった。「慮知念覚も心なることを学せざる」とある心は、前述の存在活動としての心であり、慮知念覚はこの具体的な現実相であったのである。

 

    六

  これに対して厳しい批判を敢てした、大慧下の遠孫無著道忠師の『正法眼蔵僭評』を見てみよう。師は先づ、『説心説性』の巻の永平高祖の批判を取上げて「達摩宗の見性成仏を知らず」と極めつけるのである。「心は非念覚、性は澄湛寂静とのみ見るは妄計なる事」は大慧師は百もご承知である。そして「心性を二つながら投げ捨て来って」実悟しなけれはなならないのに「汝(永平高祖を指す)は玄談を窮め、学人を引て葛藤巣裡に入れ、玄理を理解して、識辺の流注に入るるを仏法と心得たり。可憐。」というのである。

 

そして更には、これはただ「徒らに知解を増して見性の道千里万里にして千生万劫にも悟去もの有べからす」 といひ、「妄想戯論を長ぜんのみ。」と仲々激しく物言をつけている。

 

もう少し、無著師の主張を聴いてみよう。永平高祖の『説心説性』の巻の次の言葉

心性ふたつながら忘ずと云は、心の説あらしむる分あり、百千万億分の小分なり。玄妙ともになげすてきたるといふ、談玄の談ならしむる分なり。この関捩子を学せす、おろかに忘すといはば、手をはなれんするとおもひ、身にのがれぬるとしれり。いまだ小乗の局量を解脱せざるなり、いかでか大乗の奥玄におよはん。」

というこの主張に対して無著は

 

永平は実に可憐者なり、徒にロに妄心即仏の道理を説得るを至極と思へり。大慧の悟得の境界をは夢にも見ず。入做の方便を説と見て、手を離れんとすると思ひ、身を遁れぬると知れりと。」

と批評するのである。然らば、この無著師の言葉通りであるならは、永平高祖はとんでもない間違を犯していることになる。無著師には高祖の主張は、「心即仏であり、悟得の境界を夢にも見ない」と、受取れたのであった。ここで無著師の言葉の中から見逃してならないことは、心の意義に就いて、全く異質の見解であったことである。これでは議論にも、ならないし、またこれでは決着のつくものではあるまい。

 

永平高祖の主張が無著師からは、高祖が大慧師にいだいたと全く同じものを見ることが出来る。「汝は玄談を窮め学人を引いて葛藤巣裡に入れ、玄理を理解して識辺の流注に入るを仏法と心得たり。」「徒らに知解を増して見性の道、千里万里にして」、「妄想戯論を長せんのみ」と言っている。然し、一切法中道の立場を大乗道とするならは、無著師の立場は、根本的に方角違ひであると言わなければなるまい。つまり、全く能所対立の立場を脱することの出来ない、生活活動内に留ま「て仏道を論じているものと言わなければならない。

 

ここで今一度、永平高祖の前掲の「心性ふたつながら 忘ずと云は、心の説あらしむる分あり、百千万億分の小分なり」の見解を注目して見たいと思う。「心性ふたつながら忘ず」と云うことは、その人自身が考えて経験することであり、そしてその人は、それを忘ずることに努力するわけである。更に言ってみるならは、それはその人が忘るべき心生を確認しておってのことであった。つまり、対象が認められ意識されてこそ、忘ずる努力、即ち行為が成立つのである。かくて、そこには能執と所執との関係が成立していた。斯様な無著師の立場は終始、この対立の立場を離却するものではない。例え、離却し得ても、それは経験としての離却であって、この経験の離却ということは、厳密にはあり得ることではない。まことに離却し得たという経験を云々するということは、中途半端な、心ない粗雄な言分と言わなけれはならない。この対立関係の成立は、弁中辺論によるならば、虚妄分別の成立ということであった。例え「忘する」という事実が成立し得たとしても、 それは虚妄分別の埓外にはあり得ない。然しながらこの虚妄分別そのものは、実は心性によって成立したものであったのである。即ち、これこそ心性の存在活動の自己表現であったのであるところから、永平高祖の「心の説あらしむる分あり、」更に「百千万億分の小分なり」となったのである。そして、更に、「心性ふたつながら忘ず」ということ、そのことが「心性の説なる時節」に他ならかったのである。したがって言えることは、心性は「忘ずる」ことも、「玄妙ともに捨て来る」ことをも、心性それ自身の自己表現として、「説あらしむる分」であり、「談玄の談ならしむる分」で、かくあらしめているのであったのである。かく見てみる時に、了解出来ることは、両者の立場は単なる相違ではなく次元の隔絶を感じさせられるのである。

 

大慧下の見解は、常に見性という経験の獲得に目標があつた、「動中の工夫は静中の工夫にまきること百千倍」の掛声はその好利主義的なものをよく表現している。経験なるものを目標とする限りは、好利主義的とならざるを得ない。好利主義と言うことが適当でないというならば、能率主義的と言ってもよい、何れにしても、経験的であればかかる批判も止を得ない。一切法中道の立場に立つならば、この経験主義者に対して、経験そのものを深く反省しての批判は当然行われなければならぬ。

 

永平高祖は「おろかに忘ずといはは、手をはなれんするとおもひ、身にのがれぬるとしれり」と批判の言を発せられる。「手をはなれ」「身をのがれぬ」と判断して「おもひ」「しれり」するのは、誰れであろうか。「忘ずる」その人自身であった筈である。かく判断がなされるところに経験が成立つのである。経験はどこまでも、生活活動内のことであって、生命活動、生活活動そのものは経験とはならない。経験が如何に偉大なものであっても、それは生活活動内の一ヶースである以上ではなかった。したがって経験は有限なものであって、無限絶対ということとは、全く無縁のものである。故に一大事因縁が経験されるものであろう筈はない。したがって無限絶対に生きるということは、経験に生きるということではあり得ないのである。

 

見性悟道を体験しようと努力するということ、その事が一体何んなものであるかが間題となって来る。休験されたということには、常に自己意義が存在している。したがってその経験は独善的とならざるを得ない、それは当然のことである。

 

永平高祖の「見心見性は外道の活計なり」という厳しい批判は、その当時の禅界の通念となっていたものへのものであった。つまり当時の矯慢に堕ちていた経験主義者への批判で

あったのである。無限絶対に生きということには、驕慢ということは全くあり得ることではない、それは全く平凡に徹することであった。故に無限絶対の中に、尽十方界真実人体として生存している現実の自己の無限性を顧る時、一つの経験を固守しているものの哀れさが、永平高祖の見性批判となったのであろう。見性を目標とするものを、全く別個の宗教と見る時は兎角としても、一切法中道の正伝という立場に立つ時には、批判的にならざるを得ないであろう。かくて永平高祖には、黙照と看話は褝の全く二傾向とは映じていなかったであろう。

駒澤大学仏教学部研究紀要』22・昭和39年3月

 

 

   これはインターネットからダウンロードしたpdf論文をワード化し、大幅に修訂

を加え、掲載するものである。(タイ国 バンコク近郊にて 二谷 記す)