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現代人による正法眼蔵解説

德山と臨濟    衣川賢次  

德山と臨濟

衣川賢次  

 

 

一.『臨濟錄』勘辨「德山三十棒」一段の解釋

 

師聞第二代德山垂示云 「道得也三十棒,道不得也三十棒。」師令樂普去問 「『道得爲什麼也三十棒?』待伊打,汝接住棒送一送,看他作麽生。」普到彼,如敎而問。德山便打,普接住送一送。德山便歸方丈。普囘擧似師。師云 「我從來疑著這漢。雖然如是,汝還見德山麼?」普擬議,師便打。(柳田聖山注『臨濟錄』佛典講座30,大藏出版,勘辨二四)

 

臨濟は第二世德山和尙が「言えても打つ、言えなくとも打つ」と垂示したと聞いた。そこで侍者の樂普元安に指示して、「德山へ行って、『なぜ言えても打つのか』と問え。やつが棒で打って來たら、受け止めて押し返せ。どう出るか見てこい。」樂普は行って、敎えられたとおりに問うた。德山はいきなり打って來た。樂普は受け止めて押し返した。すると德山は、自室へ引っこんでしまった。樂普は歸って臨濟に報吿した。臨濟「わしは以前から、やつを疑っていたのだ。ところで、そなたは德山にまみえたのか。」樂普が言おうとしたとたん、臨濟は打った。

 

第二代德山とは、朗州德山宣鑒禪師(七八〇―八六五)。「道(い)得たるも三十棒、道(い)得ざるも三十棒」とは、なにを「道」って三十棒なのか、ここでは明示されていない。しかし、禪僧たちが眞劔に追求し問答して、つねにかれらの念頭を離れなかったものは、佛敎用語でいえば「佛性」「法性」「眞如」、中國風にいえば「道」、今ふうにいえば「絕對の眞理」、その獲得ということであったから、ここに問題とされていたのがそれであることは、じつは暗默の了解であった。つまり「道とはなにか」である。それはまた「(道を體得した)佛とはなにか」(佛法の大意)、「逹摩大師はなんの意圖で中國へ來たのか」「禪とはなにか」(祖師西來意)などと、幾度もくりかえし問われたテーマに他ならない。ただし、それを言葉で言いとめることがじつは不可能事であることも、原則として確認されてきたところだったのである。そこへの「言語の道は斷たれ」ており、「言詮し及ばぬ」のである。しかしまた、絕對なるものを欲するのは、人のやみがたい希求でもある。ここにアポリアがある。德山和尙は「問わば卽ち(それを)犯す。問わざれば則ち(それに)乖く」(『景德傳燈錄』卷一五)とも言っている。道を問い求めれば、かえって道を傷つけることになる。といって、問い求めないなら、道と乖離してしまうのである。このジレンマをどう處理するか。

德山はこのジレンマを果敢に斷ちきったのである。「我が這裏に一法の人に與うる無し」わしのところには、人に敎えるべきものはなにもない。そもそも道とは、特定の個人を離れてはあり得ず、一般命題として言葉で表現することも人に傳えることもできず、ひとりひとりがみづから體得するしかないものである。したがって外に求めることをやめる、そのことを知らしめることしかできぬ。なにも敎えない、敎えを乞うて來參する者は、峻拒して追い返すのである。これを「第一義に立つ」接化という。德山は拄杖で來參者を打ちすえて叩き出した。これが「德山の棒」と言われ、「臨濟の喝」と竝び稱された。

この勘辨「德山三十棒」の一段では、德山の垂示「道(い)得たるも三十棒、道(い)得ざるも三十棒」を聞いた臨濟(?―八六七)が、樂普元安(八三四―八九八)に言い含めて、德山和尙のところへ遣り、その打ってきた棒を受け止めて、突き﨤させている(『景德傳燈錄』卷一五德山章に載せる話では、德山の棒を奪い、さらに逆に打ち返させ、『聯燈會要』卷九臨濟章に載せるところでは、棒を受けとめ、德山を押し倒している)。そうやって、德山和尙がどう出るか、を見てこいと指示したのである。

樂普に棒を奪われた德山は、方丈に引き上げてしまった。樂普は臨濟のもとに歸ってそのことを報吿した。臨濟は言った。「わしは、あいつを以前から疑っていたのだ。」――いったい臨濟は德山和尙を、何だと疑っていたのだろうか。

じつは從來の解釋は、「くさいとにらんでいた」(柳田譯、注に「相手をほめる言葉」)、「只者ではないと思っていた」(入矢譯)など、すべて德山を高く評價したものとなっている。江戶時代の無著道忠『臨濟錄疏瀹』は「此語或肯人,或不肯」と、解釋を決めかねて、肯定と批判の二解を竝擧している。どちらとも解しうるというのである。文字づらだけ見れば、そうかもしれない。

しかし、樂普の「なぜ言いとめても三十棒なのか」に對し、德山和尙はそれも葛籘であるとし、いつものように棒打しようとして、逆に棒を奪われ、なすすべなく方丈へ逃げ歸ったのであるから、まったく精彩を缺く對應であった。おそらく德山も老いて、若い樂普(五六歲も若い)の體力にはかなわなかったのであろう。德山の最晚年に參じた九峰通玄(普滿禪師、八三四~八九六)の傳記によると、「至武陵,謁德山鑒禪師。鑒時臘高,門風益峻,門下未有遘之者」(『禪林僧寶傳』卷七 筠州九峰玄禪師傳)という情況であったという。晚年になって德山はますます氣難しく嚴しく、容易に參問者を許さなかった。つまり來るものはみな棒打を喰らった。「德山は一條の脊梁骨」と言われ、第一義に立つ棒打一本槍を生涯貫いたのであった。が、ここにおいて棒打以外に臨機應變の接化の手段を持ちあわせていなかったことが、端なくも露呈したのである。

このことは、この一則を收める『景德傳燈錄』卷一五德山章の話頭配列のしかたからも了解されるであろう。

 

雪峯問 「從上宗風,以何法示人?」師曰 「我宗無言句,實無一法與人。」

(雪峯が問う、「禪宗ではどういう敎えを說くのですか。」德山は答えた。「我が宗に言葉はない。人に說くべきどんな敎えもないのだ。」)

巖頭聞之曰 「德山老人一條脊梁骨,硬似鐵,拗不折。然雖如此,于唱敎門中犹較些子。」

(これを聞いて巖頭全奯は言った、「德山老人の一筋の背骨は鐵のごとく玩强、へし折ろうにもびくともせぬ。そうではあるが、方便で導く點においては、ちょっと資格に缺ける。」)

 

このあとに、臨濟が侍者を遣って德山を試す上揭の話が置かれている(『臨濟錄』ではその侍者を樂普とし、また『景德傳燈錄』には最後の臨濟と樂普の應酬の部分がない。)。その意圖は、德山は「第一義に立つ」接化、棒打一本槍で、臨機應變の對應が缺如しており、それを臨濟に見破られたことを示すところにある。この一條にはまた、巖頭の評語が雙行注として附してある。

 

 

巖頭云 「德山老人尋常只據目前一个杖子,佛來亦打,祖來亦打,爭奈較些子。」

(巖頭が言う、「德山老人はいつもただ一本の杖を手に、佛が來ても打ち、祖師が來ても打つだけだった。いま一步の感があるのは否定しがたい。」)

 

『景德傳燈錄』のこうした配列と評語からみて、臨濟が德山を「わしは以前から、あいつは棒打一本槍だと疑っていたのだが、やはりその通りだったか!」と批評した話とみるべきである。『臨濟錄』のようにこの話を獨立させたとしても、「疑著」の語を高く評價したと解するのは明らかに無理があろう。

ちなみに、上揭の九峯通玄は、實は德山では氣難しい宣鑒禪師に意外にも「奇」と認められたが、大悟するに至らず、辭去して高安の洞山良价禪師に謁し、共に語り合い、そのことを通じて自己の寶珠をつきつめてゆき、これによって洞山の法嗣となった。洞山の歿後、塔主を三年つとめると、かれを慕い參問する者が跡を絕たず、こう言った。「太平の時世なるに、饑餐困臥して、復た何事か有る。吾本と無事なるに、汝與麼に來たりて相い尋ぬ。是れ無事なるに事を生ずるなり。無事なるに事を生ずるは、道人の忌む所。何ぞ各自に休歇し去らざる」と。これはまるで德山の無事禪の言說ではないか。すなわち、九峯通玄の場合、德山の法は德山の接化の方法では繼承されず、洞山を介して九峯のものとなったようである。

德山が「我が這裏に一法の人に與うる無し」という信條を生涯貫いたのは、ひとつには、かれが若年に徹底して硏鑽した『金剛經』の般若思想の影響がある。「我應に一切衆生を滅度せん。一切衆生を滅度し已るに、一切衆生の實に滅度する者有る無し」。すなわち、人を救う、人に救われるということはありえないのだという原則。もうひとつには、かれじしんの切實な開悟の體驗にもとづいている。『無門關』第二八則、『碧巖錄』第四則評唱にも記錄されて、宋人に囘想される有名な故事であるが、いまは『祖堂集』卷五德山章に據る。この記述は『宋高僧傳』とも敍述の語彙が共通し、古い素朴な形を留めているとおもわれるからである。

 

後聞龍潭則石頭之二葉,乃攝衣而往焉。初見而獨室小駐門徒,師乃看侍數日。因一夜參次,龍潭云 「何不歸去?」師對曰 「黑。」龍潭便點燭與師。師擬接,龍潭便息却。師便禮拜。潭云 「見什擵衜理?」師云 「從今向去,終不疑天下老師舌頭。」師便問 「久嚮龍潭,乁至到來,潭又不見,龍又不見時如何?」潭云 「子親到龍潭也。」師聞不糅之言,喜而歎曰 「窮諸玄辯,如一毫置之太虛;竭世樞機,似一滴投于巨壑。」(『祖堂集』卷五德山章)

 

そののち、龍潭和尙が石頭の法孫(石頭希遷―天皇道吾―龍潭崇信)であると聞いて、旅裝をととのえその禪院へ出かけた。初相見して、門徒を休ませる部屋に案內され、そこで數日和尙に侍した。ある夜、和尙に參じたおり、和尙がいう、「なぜ歸らぬか?」德山、「眞っ闇です。」和尙は手燭に燈をつけて德山に手わたした。德山が受け取ろうとした瞬間、和尙は燈を吹き消した。德山はただちに禮拜した。「いかなる道理がわかったのか?」「今後、けっして天下の老師がたの言說を疑いません。」德山は問う、「龍潭和尙にお會いしたく思っておりましたが、ここに來ますと、潭もなければ龍も見えませぬが。」龍潭「それでこそ、そなたはわしのところへ到ったのだ。」德山は和尙の純一なる言葉を聞き、感動して言った、「玄妙な敎理をとことん突き詰めても、大空に毛一筋置いたにすぎぬ。世の樞奧の言說を究めつくしても、大海に水一滴を落としたにすぎなかったのだ!」

 

龍潭和尙は德山に手燭をわたし、德山が受け取ろうとしたとたんに吹き消したのは、いったいなぜか。ここには、「眞っ闇です」(昏迷)―「手燭に燈をつけて手わたす」(救濟)―「燈を吹き消す」(迷悟二元論の突破)、つまり「迷いから救濟される」ということが虛妄だということが、あざやかに示されている。龍潭のこの作略によって、德山はただちにそれを悟ったのである。「天下の老師がたの言說」とは、すなわち禪の言說のことで、「卽心卽佛」(馬祖)、「平常心是道」(南泉)など迷悟の不二をいう類である。「窮諸玄辯」二句は德山の敎理學への訣別の辭で、かつて義學の徒であった時代の左記の述懷と對を成し、その後の進展を讀みとることができる。

 

毘尼勝藏,靡不精硏;解脫相宗,獨探其妙。每曰 「一毛呑巨海,海性無虧;纖芥投針鋒,鋒利不動。然學與非學,唯我知焉。」(『祖堂集』卷五德山章)

 

律のすぐれた典籍はすべて精密に硏究し、大小乘の思想の要諦を深く探求した結果、こう言っていた。「大海が毛先に呑みこまれても、海の本性は缺けることなく、針先に芥子粒を投げつけても、針の銳さに變化はない。しかるに、學んで至るものとそれを超えたものがあることを、わたしははっきりと知った」と。

 

敎理の究極 ―― 一切存在の平等、萬物の相卽、不變異の理を窮めたという自負と、そこからの飛躍脫却を豫想させるところに、かれは立っていた。求め、學び、敎える敎理學はすべて迷悟の二元論から成っている。のちに德山は龍潭崇信のもとでその虛妄なることを、劇的に體驗した。このとき、「我が這裏に一法の人に與うる無し」という終生の信條がかれのものとなったのである。

 

さて、わたしは本篇の冒頭に揭げた『臨濟錄』のこの話を讀み、以上の理解を手がかりに、德山と臨濟の立つ位置をかんがえてみたいのである。この話は十世紀後半に泉州で編纂された『祖堂集』には臨濟章(卷十九)にすでに簡略なかたちで見えており、十一世紀初の『景德傳燈錄』もこれに近いが、『天聖廣燈錄』(景祐三年[一〇三六]序)の段階に至って『臨濟錄』と同じかたちになる。すなわち『祖堂集』、『景德傳燈錄』の本文は「我從來疑著這漢」までであったが、『天聖廣燈錄』からそのあとに臨濟と樂普との問答が附加されるのである。しかしこれによって話頭のテーマが不鮮明になったことは否めない。附加されたことによって、樂普はただの傳語の漢にすぎず、德山の面目を見ていなかったと言わんとする結末になり、臨濟の德山評價にぶれが生ずることになる。しかしこのときの德山の精彩を缺いた對應に、いったいなんの面目を見て取れというのか。これは一則の主題を見究めず、後人が妄りに德山に同情して肩入れをした、あきらかな妄增というべきである。

 

臨濟のまとまった說法は、『景德傳燈錄』卷二八の「鎭府臨濟義玄和尙示衆」に、初めて現れるのであるが、これを『天聖廣燈錄』卷十一臨濟章に收める示衆と比較してみると、『天聖廣燈錄』のもとづいた資料のほうが却って古く、『景德傳燈錄』はこれに手を入れて編集したものであることがわかる。現行の『臨濟錄』は北宋末宣和二年(一一二〇)の馬防序をもつ、福州鼓山の圓覺宗演再編本なのであるが、『天聖廣燈錄』ないしそのもとづく資料に淵源している。したがって、晚くとも十一世紀初には『臨濟錄』の原型は形成されていたはずであり、『祖堂集』卷一九臨濟章の末尾に、「自餘應機對答,廣彰別錄」という「別錄」がすなわちそれに當るとすると、さらに十世紀後半まで遡る。臨濟逝去の約百年後であるが、この間に弟子、再傳の弟子の活動、すなわち臨濟宗形成につながる動きがあったわけで、その活動の集大成として『臨濟錄』の定型化がなされたのである。

德山の語錄はいま傳わらないが、『德山廣錄』(『祖庭事苑』卷五「窮諸玄辯」條)、『德山集』一卷(『崇文總目』)が存したことがわかっており、おそらくそこから引用されたとおもわれる長い示衆が大慧『正法眼藏』卷上に見える。『正法眼藏』三卷は大慧宗杲が弟子たちと商量した話頭を集めて、紹興十七年(一一四八)に編纂した公案集である。德山の長い示衆は卷上第一五八則に收める。そして短い二則をおいて、第一六一則に臨濟のこれまた長い示衆を竝べるように引いているのは、明らかに對比的に讀めという配慮のもとになされた构成と察せられる。大慧はどちらにも批評の語を加えていない。それはつまり素直に讀めばわかるはずだと言いたいのであろう。從來は兩者の近親性が指摘されてきたのであるが、大慧の意圖ははたしてどうであったか。以下、二人の代表的と目されるその示衆を引いて讀み比べてみよう。

 

二.大慧『正法眼藏』卷上第一五八則「德山和尙示衆」

 

(一)諸子,從朝至暮有甚麼事?莫要逞驢脣馬觜問德山老漢麼?我且不怕你。未審諸子有何疑慮?近來末法時代,多有鬼神群隊傍家走,言 「我是禪師。」未審學得多少禪道,說似老漢來?你諸方老禿奴,敎汝修行作佛,傍家行,成得幾箇佛也?你若無可學,又走作甚麼?若有學者,你將取學得底來抂似老漢看!一句不相當,須噄痛杖始得。你被佗諸方老禿奴魔魅著,便道 「我是修行人。」打硬作模作樣,恰似得衜底人面孔。莫取次用心!萬劫千生,輪囘三界,皆爲有心。何以故?「心生則種種法生。」若能一念不生,則永脫生死,不被生死纏縛,要行卽行,要坐卽坐,更有甚麼事?

 

諸君、朝から晚までいったい何事か。馬鹿口を開けて、わしを問いつめるつもりではあるまいな。わしは恐くはないぞ。諸君は何の疑いがあるのか。近頃は末法の時代で、化け物どもが橫行して、「おれは禪師だ」などと言っておる。いったいどれだけの禪を學んで、わしに言いに來たのか。あの禪坊主どもが諸君を成佛させようと出家させ、あちこちうろつきまわらせておるが、いったい何人が成佛したというのか。もし學ぶべきものがないのなら、走りまわって何になる。學ぶべきものがあると言うなら、それをわしに見せてみろ。一言でも間違っていたら痛棒を喰らうぞ。諸君はあの禪坊主どもに誑かされて、「おれは修行者だ」などと恰好をつけて、悟った君子づらをしておるが、心得違いをしてはならぬ。永劫に輪𢌞を免れ得ないのは、目論む心があるためだ。なぜか。〈心が生じて、モノが生ず〉というとおりだ。心が生じなければ、永遠に輪𢌞を超脫し、輪𢌞の苦しみに縛られず、行くも居るもまったく自在だ。それで十分ではないか。

 

(二)仁者,我見你諸人到處發心,向老禿奴會下學佛法荷負,不惜身命,皆被釘却諸子眼睛,斷諸子命根,二三百箇婬女相似,衜 「我王化建立法幢,爲後人開眼目。」自救得麼?仁者,如此說修行,你豈不聞道 「老胡經三大阿僧祇劫修行」?卽今何在?八十年後死去,與你何別?諸子莫狂!勸你不如休歇去,無事去。你瞥起一念,便是魔家眷屬、破戒俗人。你見德山出世,十箇五箇總擬聚頭來難問,待敎結舌無言。你是僂儸兒,今何不出來?破布袋裏盛錐子,不出頭是好手。我要問你實底。莫錯!仁者波波地傍家走,道 「我解禪解道。」點胸點額,稱楊稱鄭,到遮裏須盡吐却,始得無事。你但外不著聲色,內無能所知解,體無凡聖,更學甚麼?設學得百千妙義,只是箇噄瘡疣鬼,總是精魅。我遮箇虛空,道有且不是有,道無且不是無;言凡不凡,言聖不聖。一切處安著佗不得,與你萬法爲師,遮箇老漢不敢謗佗。所以老胡吐出許多方便涕唾,敎你無事去,莫向外求。你更不肯,欲得採集殊勝言句,蘊在胸襟,巧說言辭,以舌頭取辧,高著布裙、貴圖人知,道 「我是禪師。要出頭處。」若作如此見解,打那鬼骨臀,入拔舌地獄有日在!到處覓人,道 「我是祖師門下客。」被佗問著本分事,口似木 ,便却與佗說菩提、涅槃、眞如、解脫,廣引三藏言敎,是禪是衜,誑佗閭閻,有甚麼交涉,謗我先祖?

 

諸君、君たちはあちこちで殊勝にも發心して、禪坊主どものもとで佛法を學び、佛法を背負い込んで、一所懸命のようだが、わしから見れば、君たちはみんな眼に釘を打たれて、骨拔きにされた淫亂女のようなものだ。「わが法王は說法の御旗を押し立てて、後世の人の眼を開かせたもうた」だと?それで自分を救えると思っているのか!諸君、こんな修行の說きかたでは……、諸君も聞いておろう、「印度の親爺は三大阿僧祇劫という無限の修行をした」と。そいつは今どこにいるのだ?八十年後にくたばった。君たちとおんなじじゃないか!呆けてはいかん!求めまわるのをやめ、無事でいることだ!ひょいと求める心を起こしたとたん、諸君は惡魔の手下、破戒の俗人だ。わしがここに住持しておると聽くや、五人十人と隊を組んでやってきては問い詰めて、わしをへこませるつもりだろうが、したたか者なら、今どうして歬に出てこぬのか?「ぼろ袋の錐は尖

 

を見せぬのが好手」というのか?虛勢を張るな、本音で出て來い!間違うでない!諸君はあちこちうろつきまわって、「おれは禪がわかっている、道を心得ている」などと言って、えらそうに楊だ鄭だと威張っておるが、ここへ來たら腹の中を全部吐き出してこそ無事になれる。外境に執われず、內面に主客の知解なく、本體に凡も聖もないとわかったなら、さらにそのうえ何の學ぶものがあろう。たとい百千もの殊勝な敎義を學んだとしても、せいぜい膿を啜る亡靈かバケモノになるにすぎぬ。われという虛空は、有ると言っても有るのではない。無いと言っても無いのではない。凡と言っても凡ではない。聖と言っても聖ではない。いかなる場所にもそれは据えようがない。それはすべてのものに對して師となるのだ。このわしもそれを冒瀆することはできぬ。ゆえに印度の親爺はあまたの方便の唾を吐いて、君たちに無事であれ、外に求めるなと諭したのだ。なのに君たちは承知せず、殊勝な言葉を集めては胸にしまい込み、巧みな言句を舌に轉がして、伊逹をきめこみ、自分を賣りこんでは、「おれは禪師だ。披露する場がほしい」などと言いおる。そんな料簡だと、いづれその薄汚いケツをぶたれて拔舌地獄へ陷ちるぞ!あちこちで話し相手を捜しては、「おれは祖師門下の禪客だ」などとうそぶきながら、禪僧の本分事を訊かれるや、グウの音も出ぬくせに、菩提だの涅槃だの眞如だの解脫だのと、得意になって佛典を引用して「これが禪だ、道だ」と、無知の者を誑かしておる。とんだ的はづれだ!わが先祖を冒瀆するも甚だしい。

 

 

(三)德山老漢見處卽不然。遮裏佛也無,法也無。逹磨是老臊胡,十地菩薩是擔糞漢,等妙二覺是破戒凡夫,菩提、涅槃是繫驢橛,十二分敎是鬼神簿、拭瘡膿紙,四果三賢、初心十地是守古塚鬼,自救得也無?佛是老胡屎橛。仁者、莫錯!身被瘡疣衣,學甚麼事?飽噄飰了,說眞如、涅槃,皮下還有血麼?須是箇丈夫始得。汝莫愛聖,聖是空名。向三界十方世間,若有一塵一法可得,與你執取生解,保任貴重者,盡落天魔外道。是有學得底,亦是依草附木、精魅野孤。

 

わしの見かたは違うぞ。ここには佛もなければ法もない。逹磨は腋臭くさい印度人だ、十地菩薩は肥かつぎだ、等覺妙覺は破戒の凡夫だ、菩提涅槃は驢馬をつなぐ杭だ、十二分敎は鬼神の名簿、膿拭いの故紙だ、四果・三賢・初心・十地は墓守の亡靈だ。自分さえも救えぬ。佛は印度人のたれた糞棒だ。諸君、考え違いをしてはならぬぞ。自分は膿のふき出た身體なのに、いったい何を學ぼうというのだ。腹いっぱい飯を喰ってから、眞如・涅槃はどうだこうだと言う。皮膚の下に血は流れているのか。それでも一人前の男か。〈聖〉にしがみついてはならぬ。〈聖〉は中味のない名前にすぎぬ。世の中に〈法〉として手に入れるものが塵ほどもあったなら、それが執着となって知解となり、それを後生大事にする者は、ことごとく天魔外衜に落ちる。およそ學んだものは、すべて草木に寄りついた亡靈、人を誑かす野狐精にすぎぬ。

 

(四)諸子,老漢此間無一法與你諸子作解會。自己亦不會禪。老漢亦不是善知識,百無所解。只是屙屎送尿,乞⻝乞衣,更有甚麼事?德山老漢勸你不如無事去、早休歇去。莫學顚狂!每人擔箇死屍,浩浩地走,到處向老禿奴口裏愛佗涕唾噄,便道 「我是入三昧,修蘊積行,長養聖胎,願成佛果。」如斯等輩,德山老漢見,毒箭入心,花針亂眼,辜負先祖,帶累我宗,圖佗道 「我是出家兒。」如此,消佗十方施主,水也消不得。莫算衜敢向佗國王地上行。父母不供甘旨,豈爲無罪?莫錯用心!閻羅王徴你草鞋錢有日在!穿你鼻孔,繫著橛上,償佗宿債,莫言老漢不道!

 

諸君、わしのところには君たちに與うべきどんな法もありはしない。わし自身、禪などわからぬ。善知識でもない。無能そのものだ。ただ衣⻝を乞うて、糞をたれ小便するだけで、ほかに何の能もない。わしとしてはきみたちに無事であれ、休めと忠吿するだけだ。求めまわるまねをしてはいかん。一人ずつ屍を背負い走りまわっては、至るところで禪坊主どもの口の中の唾を吸って、「おれは三昧に入って、積むべき修行をおこない、聖胎を長養して、佛果を完成したい」とうそぶく。こういう連中は、わしの見るところ、毒矢に心臟を射ぬかれて、眼が眩んでおるのだ。先祖の期待に背き、我が宗門までまきぞえにしながら、なお「おれは出家人だ」などとほざく。このていたらくでは、施主の供養を受けようにも、水一滴さえ受けるに値いせぬ。それで國王の地を行こうなどと目論んではならぬ。父母にさえ恩返しの供物を捧げられずにいて、罪なしといえようか。誤った考えをしてはならぬ。閻魔王に草鞋錢を取られる日がくるぞ!鼻に穴を穿たれて杭に繫がれ、借金を取り立てられたとき、わしが忠吿しなかったなどと言うでないぞ!

 

(五)是你諸人大似有福,遇著德山出世,與你解却繩索,脫却籠頭,卸却角駄,作箇好人去。三界六道收攝你不得。更無別法。是箇 赫虛空,無礙自在,不是你莊嚴得底物。從佛從祖,皆傳此法而得出離。一大藏敎只是整理你今時人。諸人莫向別處求覓!乃至逹磨小碧眼胡僧到此來,也只是敎你無事去,敎你莫造作。著衣噄飯,屙屎送尿,更無生死可怖,亦無涅槃可得,無菩提可證。只是尋常一箇無事人。第一莫拱手作禪師,覓箇出頭處,巧言語魔魅後生,欲得人喚作長老。自己分上,都無交涉。徒知心識浩浩地日夜捏怪不休,稱楊稱鄭 「我是江西馬大師宗徒。」德山老漢且不是你群隊人。我見石頭和尙不識好惡老漢,所以罵伊。諸子,你但莫著聲色、名言句義、境致機關、道理善惡、凡聖取舍、攀緣染淨明暗有無諸念。可中與麼得,方是箇無事人。佛亦不如你,祖亦不如你。

 

君たちこそは果報者だ。おりよくわしが住持して接化するのにめぐり遇って、首の繩を解き、口輪を外し、背中の荷物を下してもらって、まっとうな人間にしてもらえるのだ。こうなれば三界六道にだって引き囘されることはない。その他に特別な法などはない。この燦然と輝く虛空は、自由自在だ。きみたちが飾り立てる必要のないものだ。佛祖以來みなこの法を傳えて解脫できたのだ。それに比べれば、釋尊の說かれた大藏經はただ、今の時代の君たちの行動を整頓するにすぎない。諸君は誤ってよそに求めてはならぬ。碧眼の印度僧逹磨がここにやって來たのも、ただきみたちを無事ならしめ、むやみな計らいをやめさせるためだったのだ。服を着、飯を喰い、糞をたれ小便をひるほか、恐るべき生死もなく、得べき涅槃もなく、悟るべき菩提もない。ただ尋常一個の無事の人にすぎない。絕對に拱手して禪師のまねをして住持する場を求めたり、言葉巧みに若者を誑かしたり、人に長老と呼ばせたりしてはならぬ。自己の本分とは何の關わりもないことだ。迷いの心で日夜とめどなくこねくりまわし、えらそうに楊だ鄭だと名のって、「おれは江西馬大師の宗徒だ」と威張っておるが、どっこいわしは君たちの仲間ではないぞ。といって石頭和尙だって、わしから見れば、ものの好し惡しも區別できぬ男だから、惡しざまに罵ってやるのだ。

諸君、よいか、眼に見え耳に聞こえるもの、言葉や意味、魅惑的な景色や手管、道理の善惡、凡聖や取舍、對象の汚染と淸淨、明暗や有無の觀念には、けっして執われてはならぬ。このようにできて始めて一個の無事の人だ。そうなれば佛陀も君に及ばぬ、祖師も君に及ばぬ。

 

(六)仁者,莫走踏汝脚板闊去。別無禪道可學。若有學得者,卽是二頭三首、外道見解,亦無神通變現可得。汝道 「神通是聖。」諸天龍神、五通神仙、外道修羅,亦有神通,應可是佛也?孤峯獨宿、一⻝卯齋、長坐不臥、六時禮念,疑佗生死。老胡有言 「諸行無常,是生滅法。」若言入定凝神,靜慮得者,尼乾子等諸外道師,亦入得八萬劫大定,莫是佛否?明知邪見精魅。仁者,老胡不是聖,佛是老胡屎橛,且要仁者辨取好惡。莫著人我,免被諸聖橛、菩提橛。解脫殊勝、名言妙義,沒溺繫縛汝。何以故?一念妄心不盡,卽是生死相續。

 

諸君、脚の裏が扁平になるまで走りまわるでない。學ぶべき禪などありはしない。學んだとしたら、それは頭が二つも三つもある化け物か外道の考えにすぎぬ。修得すべき神通變化もありはしない。「神通こそは聖人のわざ」と言うなら、天神龍神、五通の仙人、外道修羅、みな神通力を使うが、佛だと言えるのか。高峯にひとり籠り、一日一⻝、坐禪三昧、一日六度の禮拜をしたところで、生死を超えられぬ。印度の親爺が「一切は無常、生滅する存在だ」と言っておるとおりだ。禪定に入って心を集中し、精神を統一して悟ると言うのなら、ジャイナなどの外道も八萬劫の禪定を修しておるが、佛ではあるまい。明らかに邪見の化け物だ。諸君、印度の親爺は聖人ではないぞ。佛は印度の親爺の垂れた糞棒だ。君たちには好し惡しをちゃんと見極めてもらいたい。人と優劣を比べなければ、聖人という棒杭にも、菩提という棒杭にも繫がれなくてすむ。殊勝な解脫、見事な說敎が君たちを溺れさせ、縛りつけるのだ。なにゆえか。一瞬たりとも妄想をやめぬ限り、いつまでも生死輪𢌞が續くのだ。

 

(七)仁者,時不待人。莫因循過日,時光可惜。老漢不圖你田舍奴荷負。若肯卽信取,若不肯,每人有箇屎鉢擔取去。老漢亦不求。你諸方大有老禿奴,取一方處所,說禪說道,你急去學取抄取。我此間終無一法與你諸人。仁者問取學取,以爲知解。老漢不能入拔舌地獄。若有一塵一法,示諸人說,言有佛有法,有三界可出者,皆是野狐精魅。

 

諸君、時は人を待たず流れる。惰性で過してはならぬ。時を無駄にしてはならぬ。わしは君たち田舍者に何かを擔がせようというのではない。承知したなら、卽信じよ。承知せぬなら、各自の糞袋を擔いで出てゆけ。わしは何も要求しない。諸君らのところにはあまたの禪坊主どもが、それぞれの寺で禪について喋っているから、急いで行って學び冩し取れ。わしのところは諸君らに敎えるものは何ひとつない。君たちは知識を得ようと、質問し學ぼうとするが、わしは地獄に墮ちて舌を拔かれるわけにはゆかぬ。佛がおり、法があり、出づべき三界があるなどと、塵ひとつでも諸君に敎えたりしたら、すべて人を誑かす野狐精にすぎぬ。

 

(八)諸仁者,欲得識麼?只是箇虛空,尙無纖塵可得,處處淸淨,光明洞逹,表裏瑩徹,無事無依,無棲泊處,有甚麼事?老漢從生至死,只是箇老比丘。雖在三界生而無垢染,欲得出離,何處去?設有去處,亦是籠檻,魔得其便。仁者,莫用身心無可得。只要一切時中,莫用佗聲色。應是從前行履處,一時放却,頓脫羈鏁,永離蓋纏。一念不生,卽前後際斷。無思無念,無一法可當情。仁者作麼生擬下口觜?你多知解,還曾識渠面孔麼?出家兒乃至十地滿心菩薩,覓佗蹤跡不著。所以諸天歡喜,地神捧足,十方諸佛讚歎,魔王啼哭。何以故?緣此虛空活潑潑地,無根株,無住處。若到遮裏,眼孔定動,卽沒交涉。

 

諸君、識りたいと思うか。それはただ空っぽの虛空だ。塵ひとつさえ加うべきものはない。淸淨そのもので、光に隈なく照らされ、全體が透明だ。爲すべきことも、依りかかるべきものも、身を落ち着ける場所も持たない。何もありはしないのだ。わしは生まれてから死ぬまで、ただの出家比丘にすぎぬ。三界に生まれたが、汚れを受けぬ。三界を出ようとて、どこへ行こうとするのか。たとい行く所があったところで、同じ檻の中だ。またもや惡魔につけ入られるぞ。諸君、身體も心も對象として得られるものではなく、賴りにならない。いかなる時においても、眼に見、耳に聞こえるものに賴ってはならぬ。これまで修行して身につけたものすべてを、いま投げ舍てて束縛を脫し、煩惱から永遠に自由となるのだ。妄念が生じなければ、過去と未來から切り離される。心に思念なく、胸に落ちる何の敎えもありはしない。諸君はいったいどう口出ししようというのか。君たちはもの知りだが、いったいそいつの顏を見たことがあるのか。出家者から修行滿了の菩薩に至るまで、そいつの修行の形跡をかぎ分けることはできない。だからこそ天神は歡喜し、地神は足を捧げ、十方の諸佛も讚歎し、魔王は如何ともなし得ずに泣く。なぜか。この虛空のごときものは活潑に動きながら、根もなく留まる場もないからだ。ここに至って、もし眼をぱちくりさせるようでは、何の關わりもなくなってしまうぞ。

 

(九)仁者,莫求佛!佛是大殺人賊,賺多少人,入婬魔坑?莫求文殊、普賢,是田舍奴。可惜許!一箇堂堂丈夫兒,噄佗毒藥了,便擬作禪師面孔,見神見鬼!向後狂亂傍家走,覓師婆打瓦卜去,被無知老禿奴便卽與卜道,敎你禮祖師鬼、佛鬼、菩提涅槃鬼。是小婬女子不會,便問 「如何是祖師西來意?」遮老禿奴便打禪牀作境致,竪拂子,云 「好雨」,「好晴」,「好燈籠」,巧述言詞,强生節目,言 「有玄路、鳥道、展手。」若取如是說,如將寶器貯於不淨,如將人糞作栴檀香。

 

諸君、佛を求めてはならぬ。佛こそは人殺しの大惡黨だ。いったいどれほどの人を騙して惡魔の穴に陷しこんだことか。文殊、普賢を求めてはならぬ。あれはただの田舍者だ。ああ、なんとも残念なことだ。一個の堂々たる丈夫兒でありながら、毒藥を飮んでしまったために、禪師のつらをまねようとして、氣がふれてしまうとは!それからはやみくもに步き囘って、巫女に占ってもらい、無知の禪坊主に占ってもらい、祖師の幽靈、佛の幽靈、菩提涅槃の幽靈を禮拜させられ、腑拔けのきみらは、わけもわからず、「祖師西來の意圖はなんぞや?」などと問う。すると禪坊主はやおらいわくありげに禪牀を打ったり、拂子を立てたり、「よき雨かな」、「よき晴かな」、「よき燈籠かな」などと言ったり、言葉巧みに、むやみに理窟をこねて、「玄路、鳥道、展手がある」などと言う。こういう話に眞に受けるなら、糞を寶石の箱に盛り、糞で栴檀香を作ろうとするのとおんなじだ。

 

(十)仁者,彼旣丈夫,我亦爾,怯弱於誰?竟日就佗諸方老禿奴口觜,接佗涕唾噄了。無慚無愧,苦哉苦哉!狂却子去!因果分明,水牯牛牽犁拽杷,眼睛突出,氣力不登,大棒打你脊。劫佛衣⻝,道 「我修行了也。」若不明大理,饒你佛肚裏過來,只是箇能行底屎橛。不曾遇著好人,便認得六根門頭光影,向口裏說取露布,是隱言妙句,光彩尖新,爭奈你自家無分。仁者,是別人涕唾。更有一輩,三三兩兩,聚頭商量。甚麼處無事?好經冬過夏,快說禪道,有知解,會義理。仁者,總作如此見解,覓便宜,豈有如此道理?入地獄有日在!莫道不向諸子說!到處菜不擇一莖,柴不般一束,一朝福盡,只是噄草去。虛消信施,濫稱參學,更作禪師模樣,無益於人,自己分上,十二時中行履處,心常負物,見人只欲妖媚掉尾子,指東話西,眼裏口邊,果然不見,只欲將相似語勘當解處。老漢與你諸人何別?郎君子,莫取一期眼下口快,噄佗毒藥了,似貪婬女人不持齋戒,瞎禿奴群羊僧顚却佗人入地獄!

 

諸君、かれが大丈夫なら、わしも同じだ。誰にびくびくすることがあろう。なのに終日あちこちの禪坊主どもの口から唾を飮み込んでおる。恥ずかしくないのか!まったく苦々しい!君らを狂人にしてしまうとは!この因果は明らかだ。水牯牛になって犂を引き杷を引っぱり、痩せて目玉がとび出て、力が出ないと棒で打たれるのだ。佛の衣⻝を盗んでいながら、「おれは修行が終った」などと言う。もしも根本大理が明らかでないなら、たとい佛の腹のなかをくぐって來たとしても、出て來たときはただ步く糞棒にすぎぬ。それというのも、まっとうな人間に出逢わなかったからで、感覺のゆらめきで捉えた、氣のきいた目新しい看板の文句を口にするが、いかんせん、君自身にはそれに與かる資格はない。諸君、それは他人の唾なのだから。また二人三人と集まっては議論する連中がおるが、いったいどこが無事なものか!過ごし易いところで上手に夏冬を送り、輕やかに禪を語り、知識も豐富、理論にも通じておるが、諸君、こういう料簡でうまくやろうと目論んでも、そうは問屋が卸さない。かならずや地獄行きだ。その期に及んで、忠吿してくれなかったなどと言ってはならぬぞ。どこに行っても野菜一本採るでなし、薪一束運ぶでなし、ある朝福が盡きたら、畜生になって草を喰らうことになるだけだ。人さまの供養を無駄にしていながら、「參禪學衜しております」などと言いふらし、そのうえ禪師のふりをしたとて、人さまに何の利益にもならない。自己の本分たる一日の修行においても、人の期待に應える心がけは全くなく、人を見るや媚びて尻尾を振って、あれこれでたらめを受け賣りで喋っておるが、果たして肝腎なことが見えておらぬ。ただそれらしい言葉で、自分の理解を確かめようとしておるにすぎぬ。わしは君たちと何の違いもない。お坊ちゃんがた、こういう輩のその場限りの口のうまさに惑わされ、毒を飮まされて、身を持ち崩す淫亂女や、他人を狂わせて地獄へ墮ちるドメクラ坊主どものようになってはならぬぞ!

 

(十一)仁者,莫取次看册子,尋句義,覓勝負,一遞一口,何時休歇?老漢相勸,不是惡事,切須自帶眼目辨取淸濁,是佛語,是魔語。莫受人惑。所以殊勝名言,皆是老胡一期方便施設。切須休歇去。莫倚一物領佗言語作解會,揀擇親疎,浮虛詐僞,記佗閑言長語,皆是比量。

 

諸君、草率に書物を讀んで意味をひねくり、議論を競い、延々と續けて、いったいいつ止めるのか。わしは忠吿する、諸君のためだ。自分の眼で淸濁を見極めよ、いったいそれは佛語か魔語か。人に惑わされてはいかんぞ。なぜかといえば、殊勝な言葉はみなあの印度人がその場その場で假りに間に合わせた方便にすぎぬからだ。求めるのを止めなくてはならぬ。人に寄りかかってその言葉を鵜呑みにしたり、選り好みしたり、人を騙したり、くだらぬ話を覺えこんだりしてはならぬ。それはみなあて推量だ。

 

(十二)仁者,老漢只恐諸子墮坑落塹,作薄福業,事持唇觜,得少爲足,向靜處立,不肯進前,自惑諸境,亂走佗人,由巡萬法,蓋爲不信虛空本來無事,增減佗不得。你諸人如似老鴟,身在虛空,心在糞堆上,只覓死物噄。

 

諸君、わしは心配しておるのだ。君たちが地獄行きの業を作って穴に墮ちこんだり、喋りまくって所得なきに滿足したり、靜かなところに立ち止まって前進しようとせず、自分は外境に惑わされていながら、人を騙して驅りたて、物のまわりをぐるぐる囘っておるのは、結局虛空というものが本來無事であって、加うることも減ずることもできぬことを信じていないからだ。きみたちはまるで、身は虛空を飛びながら、心はゴミ溜めの上にあって、屍骸を漁って喰うことばかり考えておる鳶のようなものだ。

 

(十三)諸子,莫道德山老漢不曾入叢林商量,高聲罵取,無人情,不怕業。只爲諸子不守分,馳騁四方,傍佗門戶,恰似女姑鬼傳言送語,依事作解,心跡不忘;自猶不立,常負死屍,擔枷帶鏁,五百一千里,來到德山面前,八字立地,如欠伊禪道相似 「和尙,須爲我說,指示我。」老漢全體作用,大棒鎧遮田舍奴,罵 「賊屎孔面,不識好惡!」到我遮裏,恰似遇澧州人煮魚羹爛臛一頓。且圖你放下重擔,去却枷鏁,作箇好人去。還肯麼?若肯卽住,不肯一任脫去。珎重!

 

諸君、「德山親爺は叢林に入って議論したこともないくせに、大聲でどなりつける、非人情の罰あたりだ」と思ってはならぬ。諸君は自己の分を守らず、あちこち驅けまわっては、軒竝みに尋ね步いて、まるで噂話に尾ひれをつけて夢中になるおばはんどもだ。自立すらできぬのに屍を背負って、首枷を擔ぎ鎻をひきずり、五百里千里も步いてわしのところまで來ては、八の字に突っ立って、そいつに禪が缺けておるみたいに、「和尙、敎えてください、指示してください」などと言う。だからわしは全身全靈で對處して、太棒でもってぶん毆ってどやしつけるのだ、「この顏じゅう糞まみれの、分別知らずの田舍者めが!」すると君らはまるで澧州もんがゴッタ煮を頰張ったようになる。わしは君らに重荷を卸し、枷と鎻を外し、まっとうな人間になってもらいたいのだ。どうだ、承知するか。承知するなら、ここにいてよい。承知しないなら、勝手に出てゆけ!。以上である。

 

まことに凄まじい、えんえんと續く罵倒。一場の說法をかなり忠實に記錄したらしいことは、よく口語、諺語を留め、發話のねじれ、尻切れ、一部脈絡を取りがたいところがあることからも察せられる。この示衆の記錄は、建立すること少なく、舍遣一邊倒のように見えるところが特徵である。「德山老人は一條の脊梁骨」と呼ばれるゆえんであるが、つぎの臨濟の示衆と比べてみると、說法の主たる調子の違いはいっそうはっきりするであろう。

 

三.大慧『正法眼藏』卷上第一六一則「臨濟和尙示衆」

 

(一)今時學佛法者,且要求眞正見解。若得眞正見解,生死不染,去住自由,不要求殊勝,殊勝自至。道流,只如自古先德,皆有出人底路,如山僧指示人處,只要你不受人惑,要用便用,更莫遲疑。如今學者不得,病在甚處?病在不自信處。你若自信不及,卽便忙忙地,徇一切境[縛],被佗萬境囘換,不得自由。

 

現今、佛法を學ぶ者は、ともかく正しい見かたを求めることだ。正しい見かたができたなら、生死輪𢌞に染まらず、去るも留まるも自由自在、殊勝なことを求めずとも、ひとりでに殊勝になる。諸君、むかしの祖師がたはみなすぐれた方法を持っていたが、わしが示してやることといえば、ただ君たちが人に騙されぬように、ということだけだ。それを使いたいなら使え。決して疑ってはならぬ。いま佛法を學ぶ者がだめな、その病根はどこにあるか。病根は自分を信じない點にある。きみたちが自分を信じきれないから、對象に逢うままに縛られ、さまざまな對象にそのつど振りまわされて、自由でなくなるのだ。

 

(二)你若能歇得念念馳求心,便與祖佛不別。你欲得識祖佛麽?只你面前聽法底是。學人信不及,便向外馳求。設求得者,皆是文字名相,終不得佗活祖意。此時不遇,萬劫千生,輪囘三界,徇好惡境掇,去驢牛肚裏生。道流,約山僧見處,與釋迦不別。每日多般用處,欠少甚麽?六道神光,未曾間歇。若能如是見得,只是一生無事人。大德,三界無安,猶如火宅。此不是你久停住處。無常殺鬼,一刹那間,不擇貴賤老少。你要與祖佛不別,但莫外求。

 

君がもし念々刻々に馳せ求めまわる心を起こさないでいられたら、そのままで祖師や佛と違いはないのだ。祖師や佛に會いたいと思うか。わしの前で說法を聽いている君こそが、まさしくそれだ。君がこのことを信じきれないから、外に求めまわる。それで求め得たとしても、みな文字や名前、つまり觀念だ。けっきょく活きた祖師の心をつかんだとは言えぬ。いまこの現世で祖師や佛に會わなければ、永劫に生死を繰り﨤し、三界を輪𢌞して、轉生する境遇のままに、はては驢馬や牛の腹のなかへゆくばかりだ。諸君、わしの見かたでは、諸君こそ釋迦と違いはないのだ。諸君の每日の多種多樣のはたらきに、なんの缺けたるところがあろう。六根から絕えず發する輝きは、一刻たりとも止まぬ。もしそのように見ることができたなら、まさしく一生無事の人だ。諸君、三界は火宅のごとく休まる場がない。君がいつまでも留まるところではない。無常という殺人鬼は一瞬のうちに、貴賤老少を擇ばずやって來る。君が祖師や佛と同じであろうとするなら、外に求めてはならぬ。

 

(三)一念淸淨心光是你屋裏法身佛,一念無分別心光是你屋裏報身佛,一念無差別心光是你屋裏化身佛。此三種身是你卽今目前聽法底人。只爲不向外馳求,有此功用。若據經論家,取三種身爲極則。約山僧見處不然。此三種身是名言,亦是三種衣。古人云 「身依義立,土據體論。」法性身、法性土,明知是光影。

 

一瞬の淸淨な心が君自身の法身佛だ。一瞬の無分別の心が君自身の報身佛だ。一瞬の無差別の心が君自身の化身佛だ。この三種の佛こそは、今わしの前で說法を聽いている君自身にほかならぬ。ただ外に求めまわらなければ、このはたらきが備わっている。學者はこの三種の佛を究極と言っているが、わしに言わせれば、そうではない。三種の佛は言葉にすぎず、うわべの衣服にすぎない。古人が「佛身は敎義によって立てたもの、佛土は本體によって論じたもの」というとおりで、法性身・法性土などの術語は明らかに幻だと知られる。

 

(四)大德,你且識取弄[光影]底人,是諸佛之本源,一切處是道流歸舍處。是你四大色身不解說法聽法,脾胃肝膽不解說法聽法,虛空不解說法聽法,是甚麽解說法聽法?是你目前歷歷底物,一段孤明,是遮箇解說法聽法。若如是見得,便與祖佛不別。但一切時中,更莫間斷,觸目皆是。只爲情生智隔,想變體殊,所以輪囘三界,受種種苦。約山僧見處,無不甚深,無不解脫。

 

諸君、その幻を操っている張本人を見極めるのだ。それこそが諸佛の出て來る本源であって、それを見極めれば、あらゆる場所が諸君の休息の家となる。君の肉體が法を說き法を聽く主體ではないし、肉體の中のものが法を說き法を聽く主體ではないし、虛空が法を說き法を聽く主體なのではない。では何が法を說き法を聽く主體なのか。君というわしの目の歬に隱れもなく存在してひとり輝けるもの、それこそが法を說き法を聽く主體なのだ。このように見得るなら、祖師や佛と何ら違いはない。いつ何時たりとも決して途切れることなく、目にふれるあらゆるものが肯定されるのだ。ただ「情念が生ずると智慧は疎隔し、想念が變ずると本體は變移する」がために、三界に輪𢌞して苦しむことになる。わしの見かたからすれば、いまここがそのまま深遠な解脫の場なのだ。

 

(五)道流,心法無形,通貫十方,在目曰見,在耳曰聞,在鼻齅香,在口談論,在手執捉,在足運奔,本是一精明,分爲六和合。一心旣無,隨處解脫。山僧恁麽說,意在甚處?只爲一切處馳求心不能歇,上佗古人閑機境。道流,取山僧見處,坐斷報化佛頭,十地滿心,猶如客作兒,等妙二覺,擔枷鏁漢,羅漢辟支,猶如厠穢,菩提涅槃,如繫驢橛。何以如此?只爲道流不逹三祇劫空,所以有此障礙。若是眞正道人,終不如是。但能隨緣消舊業,任運著衣裳,要行卽行,要坐卽坐,無一念心希求佛果。緣何如此?古人云 「若欲作業求佛,佛是生死大兆。」

 

諸君、われわれの心というものは、形なくしてあらゆるところに行きわたる。目にあっては見るといい、耳にあっては聞くといい、鼻にあっては香りをかぐといい、口にあっては談論し、手にあってはものを把み、足にあっては走る。もと一個の精なる本體が六つの調和した作用となった。そのほかに求める心を起こさねば、いづこにあっても解脫できるのだ。わしがかく言う意圖はなにか。ただ諸君がここかしこに求めまわることを止められず、古人のくだらぬからくりに騙されているからなのだ。諸君、わしの見かたでゆけば、報身佛・化身佛など尻に敷き、十地菩薩は小作人、等覺・妙覺も囚われの罪人、羅漢・辟支佛は糞尿、菩提・涅槃は驢馬を繫ぐ杭だ。なぜか。ただ諸君が永遠に空だと逹觀できぬゆえ、障礙がおこる。もしまっとうな道人でありさえすれば、決してそうはならぬ。ただ緣のままに宿業を消してゆき、運に任せて著衣噄飰、行こうと思えば行き、坐ろうと思えば坐り、悟りを得ようなどチラリとも思わぬ。どうしてか。古人の言うとおり、「佛を求める行爲を起こすなら、佛はただちに輪𢌞の重大な契機となる」のだ。

 

(六)大德,時光可惜。只據(擬)傍家波波地學禪學道,認名認字,求佛求祖,求善知識意度。莫錯!道流,你只有一箇父母,更求何物?你自﨤照看。古人云 「演若逹多失却頭,求心歇處卽無事。」大德,且要平常,莫作模樣!有一般不識好惡禿兵,便卽見神見鬼,指東畫西 「好晴,好雨。」如是之流,盡須抵債,向閻羅王前呑熱鐡圓有日在。好人家男女被遮般野狐精魅所著,便卽捏怪。瞎 生!索飰錢有日在。

 

諸君、時を無駄にしてはならぬ。なのにあたふた軒竝みに訪ねまわって、禪を學び、文字を讀み、佛や祖師を求め、善知識に相談ばかりしている。考え違いをしてはならぬ。君には生んでくれた父母がいるのだから、そのうえ何を求める必要があろうか。とくと自省してみることだ。古人が「演若逹多は自分の顏を失ったと思って探しまわったが、探す氣持ちが止んだとたん無事だと知った」と言ったとおりだ。諸君、平常であれ!人をまねるでない。ものの好し惡しも知らぬゴロツキ坊主どもは、氣がふれたようにあれこれ指圖して「よき晴れかな」、「よき雨かな」などとほざいている。こいつらこそ借金を﨤せず、閻魔王の前で燒けた鐵玉を飮まされる日がくるぞ。きみたち坊ちゃん孃ちゃんが、あんな野狐精に魅入られて奇怪なまねをするとは。ドメクラども!飰代を請求される日がくるぞ!

 

(七)衜流,切要求取眞正見解。向天下橫行,免被遮一般精魅惑亂身心。更莫造作。只是平常。你纔擬心,早是錯了也。旦(但)莫求佛。佛是名句。你還識馳求底麽?三界(世)十方佛祖出來,也只爲求法。如今參學道流,也只爲求法。得法始了,未得,依前輪囘五道。云何是法?法者是心法,心法無形,貫通十方,目前見用。人信不及,便乃認名認句,向文字中求其意度。與佛法天地懸隔。

 

諸君、正しい見かたを求めることが必要だ。そうすれば世界中どこへ行こうとも、あの野狐精どもに身心を惑亂されずにすむ。いらざることをするでない。ただ平常であれ。チラリとでも求める心を起こしたら、もう間違いだ。佛を求めてはならぬ。佛とは言葉にすぎぬ。君は求め囘っているそいつを識っているか。三世十方の諸佛たちはみな、ただ法を求めてこの世に現れた。今の諸君たちも同じだ。法を手に入れたらそれでよい。手に入れねば、依然として、五道に輪𢌞する。では、何を法というのか。法とは心のことである。心というものに形はないが、いかなる方向にも行きわたり、今もげんにはたらいている。なのに君たちは信じきれないから、言葉を求め文字を讀んでは、文字の中へ意味を穿鑿する。ああ、そんなことでは、佛法と天地ほどもかけ離れている。

 

(八)道流,山僧說法,說甚麽法?說心地法,便能入淨入穢,入凡入聖,入眞入俗,要且不是你眞俗凡聖,一切眞俗凡聖安著箇名字不得。道流,把得便用,更莫安排名字,方契玄旨。

 

諸君、わしの說法は何の法を說くか。心の法を說くのだ。心は淨土にも穢土にも入り、凡の世界にも聖の世界にも入り、眞の世界にも俗の世界にも入るが、ただし、君自身が眞俗、凡聖なのではない。眞俗、凡聖などという名前で、その人を枠づけすることはできないのだ。諸君、心の法をつかんだなら、決してあれこれ名歬をつけるのでなく、それをはたらかせるのだ。そうしてこそ奧義に适うというものだ。

 

(九)山僧說法,與天下人別。只如有箇文殊、暜賢出來,目前各見一身問法,纔道「咨和尙。」我早辨了也。何以如此?只爲我見處別。外不取凡聖,內不住根本,見徹本法,更不疑謬。

 

わしの說法は他の者とは違う。たとい文殊、暜賢ほどの者が變身してわしの前に出て來て、「和尙に尋ねたい」と言うや、わしはすぐに見破ってしまう。なぜか。わしの見かたは世間と違うからだ。わしは外面には凡聖の名に執われず、內面には本體に寄りかからず、根本の法を徹見して、決して動搖せぬ。

 

ここに現れる臨濟はむしろ建立の人である。「棒喝」、「大機大用」、「呵佛罵祖」の舍遣(しゃけん)は、この示衆のなかでは第五、第六段あたりだけで、そこに德山和尙の口吻が影响しているのが、はっきり見て取れる。

大慧『正法眼藏』卷上第一六一則に引かれるこの臨濟の示衆は、『天聖廣燈錄』卷十一冒頭から始まる示衆に一致し(『景德傳燈錄』卷二十八の臨濟示衆は、これのもとづいた資料に據っている)、『宗鏡錄』卷九十八、『祖堂集』卷十九臨濟章にはこの部分からの摘引が見られる。すなわち、この示衆は五代宋初という比較的早い時期の資料に見られ、臨濟義玄はここに現れる特徵ある禪者として知られていたのである。

 

四.德山と臨濟

臨濟の示衆と德山のそれは類似しているというより、はっきりと襲用關係にあるというべきである。このふたつの示衆の基調はひとしく「無事」の思想であるが、德山は「無事」に至るための總否定に傾く。「無事」でありさえすればそれでよい。それからを問う必要はない。ただ、德山の「無事」の人は、時おり捉えどころのない「虛空」として表象される。

 

我遮箇虛空,道有且不是有,道無且不是無;言凡不凡,言聖不聖。一切處安著佗不得,與你萬法爲師,遮箇老漢不敢謗佗。(德山示衆第二段)

(われという虛空は、有ると言っても有るのではない。無いと言っても無いのではない。凡と言っても凡ではない。聖と言っても聖ではない。いかなる場所にもそれは据えようがない。それはすべてのものに對して師となるのだ。このわしもそれを冒瀆することはできぬ。)

 

是箇 赫虛空,無礙自在,不是你莊嚴得底物。從佛從祖,皆傳此法而得出離。(德山示衆第五段)

(この燦然と輝く虛空は、自由自在だ。きみたちが餝り立てる必要のないものだ。佛祖以來みなこの法を傳えて解脫できたのだ。)

 

諸仁者,欲得識麼?只是箇虛空,尙無纖塵可得,處處淸淨,光明洞逹,表裏瑩徹,無事無依,無棲泊處,有甚麼事?(德山示衆第八段)

(諸君、識りたいと思うか。それはただ虛空であって、塵ひとつさえ加うべきものはない。淸淨そのもので、光に隈なく照らされ、全體が透明だ。爲すべきことも、依りかかるべきものも、身を落ち着ける場所も持たない。何もありはしないのだ。)

 

你多知解,還曾識渠面孔麼?出家兒乃至十地滿心菩薩,覓佗蹤跡不著。所以諸天歡喜,地神捧足,十方諸佛讚歎,魔王啼哭。何以故?緣此虛空活潑潑地,無根株,無住處。(德山示衆第八段)

(君たちはもの知りだが、いったいそいつの顏を見たことがあるのか。出家者から修行滿了の菩薩に至るまで、そいつの修行の形跡をかぎ分けることはできない。だからこそ天神は歡喜し、地神は足を捧げ、十方の諸佛は讚歎し、魔王は如何ともなし得ずに泣く。なぜか。この虛空は活潑に動きながら、根もなく留まる場もないからだ。)

 

虛空本來無事,增減佗不得。(德山示衆第十二段)

(虛空というものは本來無事であって、加うることも減ずることもできぬ。)

 

ここの「虛空」が佛性、法身を暗示していることは容易に察せられるが、德山がわざと明確な形象化を避けているのは、明示すればまた修行者の新たな「求めまわる」對象になりかねないからであって、德山の立場からは絕えて明言しないのである。いっぽう、臨濟は「虛空」をどう扱っているか。示衆には一囘のみで、つぎのようにいう。

 

是你四大色身不解說法聽法,脾胃肝膽不解說法聽法,虛空不解說法聽法,是甚麽解說法聽法?是你目前歷歷底物,一段孤明,是遮箇解說法聽法。若如是見得,便與祖佛不別。(臨濟示衆第四段)

(君の肉體が法を說き法を聽く主體ではないし、肉體の中のものが法を說き法を聽く主體ではないし、虛空が法を說き法を聽く主體なのではない。では何が法を說き法を聽く主體なのか。君というわしの目の前に隱れもなく存在してひとり輝けるもの、それこそが法を說き法を聽く主體なのだ。このように見得るなら、祖師や佛と何ら違いはない。)

 

この文脈で「虛空」は心を言うようであるが、「虛空」としての心は說法することも聽法することもできぬというネガティヴな文脈で言われる。臨濟によれば、說法聽法できるものは隱れもない「目前聽法底」、すなわち「心法」が六根を通じて發動する君自身にほかならず、それは祖佛となんら變わらない。そのことを確信するのが「眞正の見解」であり、それには「無事の人」でありさえすればよいのだと言うのである。つまり、臨濟は德山の「無事」を承け、これを「眞正の見解」としてポジティヴに轉じ、その人を「目前聽法底」として明るみに出し、これを祖佛と等置するという、まことに大膽な轉換をやったわけである。

「無事」とは德山にあっても、臨濟にあっても、求めまわるのをやめることであった。しかし德山は「求めまわる」ことをやめよと求めた(求めるなと求めた)ことになるわけで、これは自家撞着、說法というものの已むを得ざる陷穽と言うしかないが、しかし臨濟は「求めまわる」ことをやめて、「眞正の見解」を求めるよう示したのである。こう考えたならば、本篇冒頭に引いた臨濟の德山に對する評價(棒打一本槍への不滿)も、巖頭の指摘する德山の限界(敎え導く點においては資格に缺ける)も、充分な理由があると言えよう。

『臨濟錄』を讀んで、度膽を拔かれるような、荒々しいどきつい言いぐさは、そのほとんどが德山の影响から來ていることは、對照してみればただちに了解される(柳田聖山「語錄の歷史」注七七四、西口芳男「德山の示衆」注)。行脚僧や世間出世禪師への罵倒、呵佛罵祖の、從來『臨濟錄』中もっとも精精ある部分のように見えていた發想から用語に至るまで、さらには「無事の人」の形象(著衣噄飰、屙屎送尿、活撥撥地)さえも、じつは德山の示衆を繼承したものであった。德山は當時にあっては强いインパクトをもっていたのである。これは臨濟にも德山への傾倒と模倣の時期があったということであって、怪しむに足りない。その段階をへて、德山とは異なる衜を模索したと見るのが自然である。「全體作用」という語は臨濟の重要なキーワードと言えようが、ふたりの使いかたはまさしく對蹠的である。

 

諸子,莫道德山老漢不曾入叢林商量,高聲罵取,無人情,不怕業。只爲諸子不守分,馳騁四方,傍佗門戶,恰似女姑鬼傳言送語,依事作解,心跡不忘;自猶不立,常負死屍,擔枷帶鏁,五百一千里,來到德山面前,八字立地,如欠伊禪道相似 「和尙,須爲我說,指示我。」老漢全體作用,大棒鎧遮田舍奴,罵 「賊屎孔面,不識好惡!」(德山示衆第十三段)

(諸君、「德山親爺は叢林に入って議論したこともないくせに、大聲でどなりつける、非人情の罰あたりだ」と言ってはならぬ。諸君は自己の分を守らず、あちこち驅けまわっては、軒竝みに尋ね步いて、まるで噂話に尾ひれをつけて夢中になるおばはんどもだ。自立すらできぬのに屍を背負って、首枷を擔ぎ鎻をひきずり、五百里千里も步いてわしのところまで來ては、八の字に突っ立って、そいつに禪が缺けておるみたいに、「和尙、敎えてください、指示してください」などと言う。だからわしは全身全靈で對處して、太棒でもってぶん毆って、どやしつけるのだ、「この顏じゅう糞まみれの、分別知らずの田舍者めが!」)

 

道流,如禪宗見解,死活循然,參學之人大須子細。如主客相見,便有言論往來,或應物現形,或全體作用,或把機權喜怒,或現半身,或乘獅子,或乘象王。(『臨濟錄』示衆一三―22  )

 

(諸君、禪宗の考え方では、ものごとを臨機應變にやるから、修行者は十分に注意せよ。たとえば主客あい對して、問答應對のやりとりがある。相手に應じて姿を現したり、全身全靈で對處したり、場合に應じて喜怒を現したり、半身だけを表したり、獅子に乘る文殊を體したり、象王に乘る普賢を體したりするわけだ。)

 

如諸方學人來,山僧此間作三種根器斷。如中下根器來,我便奪其境,而不除其法;或中上根器來,我便境法倶奪;如上上根器來,我便境法人倶不奪;如有出格見解人來,便全體作用,不歷根器。(『臨濟錄』示衆一三―26)

(あちこちから行脚僧が來たら、わしのところでは三類に分って斷案を下す。中下の機根ならば、境を奪い法を除かない。中上の機根ならば、境法ともに奪う。上上の機根ならば、境法人みな奪わない。もしここへ出格の見解をもつ人が來たなら、わしは全身全靈で對處して、機根など問題にしない。)

 

你諸方聞衜有箇臨濟老漢,出來便擬問難,敎語不得。被山僧全體作用,學人空開得眼,口總動不得,懵然不知以何答我。(『臨濟錄』示衆一三―)

 

(きみらは臨濟という者がいると聞いてやって來ては、わしをへこませてやろうと難癖をつけるが、どっこいわしに全身全靈で對處されて、修行者は懵然自失、ドングリ眼を瞠り、口を開けたまま、答えるすべを知らぬ。)

 

德山の「全體作用」はみづから言うとおり「太棒でもってぶん毆ってどやしつける」ことだが、臨濟の場合は言葉であったり、以心傳心であったりするが、少なくとも棒喝ではないのである。

德山という舍遣の人に對して、臨濟は建立の人である。示衆には「眞正の見解」、「禪宗の見解」、「如法の見解」、「眞正の學道人」、「眞の出家人」というあるべき道人の見地を「心地の法」、「隨處作主,立處皆眞」と正面から提示し、「目前に聽法する底」、「聽法の道人」、「你目前に昭昭靈靈として鑑覺聞知照燭する底」、「目前に聽法する無依の道人」、「目前に孤明歷歷として聽く者」と呼んで高く肯定するのである。有名な「無位の眞人」の上堂もその建立のひとつに他ならない(5)。むろん建立、表詮というものにはつねに危險がともなう。臨濟じしん說法しつつも、つぎのようにくりかえし釘を刺すことを忘れていない。

 

山僧說處皆是一期藥病相治,總無實法。(『臨濟錄』示衆一二―5)

(わしの說法はみな應病與藥の方便にすぎず、固定的に受け取るべきものはない。)

 

道流,莫取山僧說處。何故?說無憑據,一期間圖畫虛空,如彩畫像等喩。(『臨濟錄』示衆一三―40  )

(諸君、わしの說法を鵜呑みにしてはならぬ。なぜか。一時のまに合わせで空に繪を描いた喩えのごときものにすぎず、根據などないからだ。)

 

德山宣鑒(七八〇―八六五)と臨濟義玄(?―八六七)は同時代の人であるが、このふたりの立つ位置をつぎのように考えることができる。德山は會昌の廢佛後、大中初年(八四七)湖南朗州善德山古德禪院に住し(『景德傳燈錄』卷一五に據る)、その第一義に立つ峻嚴な接化によって知られていた。門下五百衆と言われる。臨濟は江西新昌黄檗山で、希運禪師に參じて契悟、のち北に歸り鎮州に留まることになるが、おそらくそのころ南方で德山の示衆に接する機會があり(『臨濟錄』には德山に侍立した話がある)、臨濟の接化の一面に强い影響を與えたのであろう。臨濟院に住してのち、捨遣から建立へと接化の方便に變化があった(6)。それは修行者を接化するにつれ、やむを得ぬ仕儀として、方便の硏究をせざるを得ぬことになったからであろう。さまざまな修行者の問難に對應するマニュアルのごとき發言が、『臨濟錄』にはかなり多く、くどいほどに現れる。上揭の三則がまさにその例であるが、第一例(『臨濟錄』示衆一三―22)はこのあとに主客對應のパターンを、「客看主」、「主看客」、「主看主」、「客看客」などと分類し、それは相見のさい主客が「魔を辨じ異を揀び、邪正を知る」ために必要なことだと言っている。この類いはほかにも、

 

師晚參示衆云  有時奪人不奪境,有時奪境不奪人,有時人境俱奪,有時人境俱不奪。(一〇―1)

(師は晚參に示衆して言った。「わしの對應はこうだ。ある場合は人を奪い、境は奪わぬ。有る場合は境を奪い、人は奪わぬ。有る場合は人も境も奪う。有る場合は人も境も奪わぬ。」)

 

山僧此間不論僧俗,但有來者,盡識得伊。任伊向甚處出來,但有聲名文句,皆是夢幻。…若有人出來,問我求佛,我卽應淸淨境出;有人問我菩薩,我卽應慈悲境出;有人問我菩提,我卽應淨妙境出;有人問我涅槃,我卽應寂靜境出。境卽萬般差別,人卽不別。所以應物現形,如水中月。(一三―2)

(わしのところでは、やって來る者は僧俗にかかわらず、すべて見拔く。そいつがどういう所から出て來ようとも、結局すべての言葉はみな幻だ。…もしわしに佛を求めたら、わしは相應の淸淨を演出して應ずる。もし菩薩を求めたら、わしは相應の慈悲を演出して應ずる。もし菩提を求めたら、わしは相應の淨妙を演出して應ずる。もし涅槃を求めたら、わしは相應の寂淨を演出して應ずる。演出は樣々だが、人は別ではない。だからこそ「物に應じて形を現すこと水中の月の如し」と言うのだ。)

 

道流,如諸方有學人來,主客相見了,便有一句子語,辨前頭善知識。被學人拈出箇機權語路,向善知識口角頭攛過,看你識不識。你若識得是境,把得便抛向坑子裏。學人便卽尋常,然後便索善知識語,依前奪之。學人云 「上智哉!是大善知識。」卽云 「你大不識好惡!」(一三―14)

諸君、あちこちでやっておるのはこんな調子だ。修行者が師家のもとへやって來て主客相見すると、まず一句を持ち出して、目の歬の師家を試そうとする。かりそめの難問を善知識の口もとへ突き出して、「さあ解るか」。それがたんなる釣りの言葉だと解ったなら、把んで穴へ放り込んでやる。すると相手は急にしおらしくなって、今度は師家に敎えを乞う。それも奪い取ると、相手は感歎して、「おおっ、これは立派な大善知識だ!」そこですかさず、「この大馬鹿もの!」)

 

如善知識把出箇境塊子,向學人面前弄。前人辨得,下下作主,不受境惑。善知識便卽現半身,學人便喝。善知識又入一切差別語路中擺撲。學人云 「不識好惡老禿奴!」善知識歎曰 「眞正道流!」(一三―14)

(今度は師家が、かりそめの言葉を修行者の前へひけらかす。相手はそれがたんなる釣りの言葉だと見破って、騙されずにひとつひとつさばいてやる。すると師家は半身だけ露わす。それも認めず怒鳴ると、師家はびっくりして、あれこれいいわけの言葉のなかでのたうつ。相手は「なんたる馬鹿なゴロツキ坊主だ!」師家はまいって「おおっ、これは本物の修行人だ!」)

 

如諸方善知識不辨邪正。學人來問菩提涅槃、三身境智,瞎老師便與他解說,被他學人罵著,便把棒打他「言無禮度!」自是你善知識無眼,不得嗔他。(一三―15)

(よその師家は邪正をわきまえない。修行者が菩提、涅槃や三身佛を問うと、ドメクラ老師はごていねいに解說してやる。相手に罵られると、「禮儀知らずめ!」とばかりに棒打するが、師家のほうに鑑識眼がないだけで、腹を立てるのは筋ちがいだ。)

 

有一般不識好惡禿奴,卽指東劃西 「好晴、好雨」、「好燈籠、露柱」。你看!眉毛有幾莖?這箇具機緣,學人不會,便卽心狂。如是之流,總是野狐精魅魍魎。被他好學人嗌嗌微笑,言 「瞎老禿奴!惑亂他天下人。」(一三―15)

(見識を缺くゴロツキ坊主は、問いにはまともに答えず、「今日はいい天氣だ。いい雨だ」とか「燈籠だ。露柱だ」とごまかす。見よ!眉毛が拔け落ちておるぞ。ここで見破ったなら、機緣があるというものだが、相手はてんでわからず、それに惑わされて舞い上がる。こういった連中はみな野狐精、化け物だ。まっとうな修行者にはあざ笑われて、「ドメクラのゴロツキ坊主め!人をかどわかしおって!」とやられる。)

 

如諸方學道流未有不依物出來底。山僧向此間從頭打,手上出來,手上打;口裏出來,口裏打;眼裏出來,眼裏打。未有一箇獨脫出來底,皆是上他古人閑機境。山僧無一法與人,祇是治病解縛。你諸方道流,試不依物出來!我要共你商量。…(一三―17)

(よそからやって來る修行者は、物に依りかからずおのれを提示する奴はひとりもいない。だからわしはハナから粉碎してやるのだ。手を出して來る奴はその手を粉碎する。口を動かして來る奴はその口を粉碎する。眼を瞠って來る奴はその眼を粉碎する。みづから獨立獨步で提示できる者などひとりもおらぬ。みな古人のくだらぬ手管に騙されておる。わしには人に與えるべきものは何もない。ただ病氣を治し、縛りを解いてやるだけだ。よそから來た諸君、さあ、何にも依りかからないで出て來い!君とやりあおうじゃないか。)

 

但有來求者,我卽便出看渠。渠不識我,我便著數般衣,學人生解,一向入我言句。苦哉!瞎禿子無眼人,把我著底衣認青黄赤白。我脫却入淸淨境中,學人一見,便生忻欲。我又脫却,學人失心,忙然狂走,言我無衣。我卽向渠道 「你識我著衣底人否?」忽爾囘頭,認我了也。(一三―29)

(わしに何かを求めてやって來る奴は、會ったとたんすぐに解る。しかし奴はわしのことが解らぬから、わしはいろんな衣裳を著て見せてやる。すると相手は腑におちて、わしの言葉に乘ってついてまわるのだ。何たることだ!ドメクラ坊主はわしのうわべの衣裳で判斷するにすぎない。わしがそれを脫いで佛さながらに淸淨を装うと、相手は大喜びだ。またそれを脫いだら、相手はわけがわからず、わしに衣裳がない、などと言って、あたふたとよそへ捜しに行こうとする。わしは奴に言ってやる、「おい、君は衣裳を著けているわしという人間を見ているのか」と。すると、はっと振り﨤って、やっとわしを認めるというわけだ。

 

などと、枚擧にいとまがないほどで、多少戯畫化されてはいるが、當時の師家と行脚僧の對應の實態を髣髴させる資料である。すなわちこれは、いわば禪宗大衆化の時代を反映した示衆であろう。當時は潭州潙山靈祐禪師(七七一―八五三)のもとに千衆、同じく潭州石霜慶諸禪師(八〇七―八八八)のもとに「二百來个新到」、洪州雲居道膺禪師(?―九〇二)には千五百衆、福州雪峯義存禪師(八二二―九〇八)には千七百衆が聚まったという時代である。德山の上根の者のみを相手にする「第一義」に立つ接化は、すでに時代おくれとなっていた。臨機應變の對應、新しい建立のスタイルが求められていたのだ。雪峯義存は德山に嗣いだ人でありながら、その接化のしかたという點で、やはり臨濟とともに注目すべきである。雪峯は自身を「死馬醫」と稱していた。手の施しようのない鈍根の修行者にも敢えて方便の手だてを施そうというのだ。それはまた、かれじしんが「三たび投子に到り、九たび洞山に上る」(『聯燈會要』卷二一、『雪峯年譜』大中七年[八五三]條)と言われるような鈍根の人だったからであり、かれの場合はその行脚の經驗が爲人接化の度量となった。禪宗大衆化の時代における師家のひとつのタイプである。馬祖道一(七〇九―七八八)の新しい禪宗から百年後の九世紀後半、唐末の禪宗は江西の洞山、曹山、雲居山、湖南の潙山、仰山、石霜山、德山、福建の雪峯山、そして河北の趙州(觀音院從諗)、鎮州(臨濟義玄)などで、唐宋變革期といわれる動亂の時代の新しい課題に對應する生き方が模索されていた。そういった視野のもとに、德山と臨濟の立つ位置をかんがえることができるであろう。

 

1 『臨濟錄』の引用は柳田聖山注佛典講座版(大藏出版、一九七二)に據り、その段落番號を示す。

2 「疑」は、むろん文脈によって、肯定的な豫測もあれば、否定的な豫測もある。つぎの雪峯が雲門を評したものは肯定的な場合である。「師在雪峯時,有僧問雪峯 〈如何是觸目不會道,運足焉知路?〉峯云 〈蒼天,蒼天!〉僧不明,遂問師 〈蒼天意旨如何?〉師云 〈三斤麻、一匹布。〉僧云 〈不會。〉師云 〈更奉三尺竹。〉後雪峯聞喜云 〈我常疑箇布衲。〉」(『雲門廣錄』卷下 遊方遺錄)

3  大慧『正法眼藏』卷上第一五八則に引く德山の示衆には、西口芳男「德山の示衆」(『禪文化硏究所紀要』第十四號、一九八七)に附載する譯注があり、本篇の翻譯に際して參考にした。その譯注は入矢義高先生が一九八四年度の花園大學「禪學講讀」において講ぜられた成果に負うもので、わたしも西口氏と一緖に聽講した。段落は便宜に隨って分けた。第一六一則の臨濟の示衆の段落も同じであるが、本文は『天聖廣燈錄』卷十一の示衆と對校して文字を改め補ったところがあり、それを括弧に示した。翻譯に際しては、入矢義高譯注(岩波文庫『臨濟錄』、一九八九)、柳田聖山譯注(中公クラシックス『臨濟錄』、中央公論新社、二〇〇四)を參考にした。

4 『柳田聖山集』第二卷『禪文獻の硏究』上(法藏館、二〇〇一)

5  臨濟の上堂「無位の眞人」の一段は、小川隆『臨濟錄 禪の語錄のことばと思想』(書物誕生 あたらしい古典入門、岩波書店、二〇〇八)の解釋がもっともすぐれている。

6  圜悟克勤(一〇六三―一一三四)は「臨濟六十棒,後乃翻擲」と言う(『圜悟心要』示宗覺禪人)。「六十棒」とは德山の「道得也三十棒,道不得也三十棒」の繼承ないしその模倣(臨濟じしんも「會與不會,都來是錯」と言っている)を指し、のちにこれを捨てたと、圜悟は見ているようである。

 

 

東洋文化硏究所紀要  第百五十八册』をダウンロードし

改めてワード化したものである。(2022年・二谷・記)