正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

道元禅師の「海印三昧」観について 菅 野 優 子

道元禅師の「海印三昧」観について

 

一 研究の目的

 

道元禅師(一二〇〇―一二五三)の著作『正法眼蔵』「海印三昧」巻(以下、「海印三昧」巻と略記)に、二度引かれる句が存在する。その句は、次のように見られる。

 

佛言、但以衆法、合成此身。起時唯法起、滅時唯法滅。此法起時、不言我起、此法滅時、不言我滅。前念後念、念念不相待、前法後法、法々不相対。是即名為海印三昧。この佛道を、くはしく参学功夫すべし。得道入証は、かならずしも多聞によらず、多語によらざるなり。多聞の広学は、さらに四句に得道し、恒沙の遍学、つひに一句偈に証入するなり。〔以下、傍線部を「但以衆法〜前念後念云々」と略記〕      (『訂補』一六二頁)

 

仏が言われた、「ただ衆法を以て、この身を合成する。(此の身が)起こる時は、唯だ、法が起こるのみであり、(此の身が)滅する時は、唯だ、法が滅するのみだ。この法が起る時、我が起こるとは言わない、この法が滅する時、我が滅するとはいわない。

前念と後念は、念念相待せず、前法と後法は、法どうし互いに相対立しない。これを名づけて海印三昧とする。」

この仏教上の道理を詳細に参学究明するべきである。仏道を体得し悟りの境に入るのは、必ずしも多くを聴くことに依らない、多語を知ることには依らない。多聞博学の者は、結局は四句の偈で仏道を得たり、大量の知識を普く学んだ者も最後はただ一句の偈で悟りに入るのである。

 

傍線部の箇所の出典を『維摩詰所説経』(以下、『維摩経』と略記)とするのが通説であり、『馬祖道一禅師広録』(以下、『馬祖語録』と略記)においても同様な句が見られる。本稿では、『維摩経』・『馬祖語録』・「海印三昧」巻の句を比較し、この句の更改の過程から、道元禅師の海印三昧の観念を明らかにし、仏のこの言葉を詳しく参学究明さすれば、「得道入証」するという説示の意味を考察する。なお、先行研究に、華厳思想における海印三昧について、『修華厳奥旨妄盡還源観』(以下『妄盡還源観』と略記)に記述される文が、『馬祖語録』の句に影響しているという指摘(1)がある。本稿では、『馬祖語録』の『妄盡還源観』の影響をうけている箇所の直前の句が、「海印三昧」巻において、一部を更改して記述した引用語句であることを提示する。

 

二 「但以衆法〜前念後念云々」の語について

 

「但以衆法〜前念後念云々」の句は、「海印三昧」巻の本文に、重ねて記載される句である。このような例は、『正法眼蔵』諸巻の中で、「海印三昧」巻のみであり、道元禅師にとって重要な句であることは間違いない。ただ、六十巻本系の洞雲寺所蔵『正法眼蔵』金岡書写本では、この句は冒頭にあるのみであり、検討を要する((2))。

次に、出典である『維摩経』と『馬祖語録(3)』の引用文を道元禅師の文と比較して考察する。

 

維摩経』問疾品

維摩詰言。…中略…但以衆法合成此身。起唯法起滅唯法滅。又此法者各不相知。起時不言我起。滅時不言我滅。彼有疾菩薩為滅法想。(大正一四・五四五上)

            

『馬祖語録』

故経云。但以衆法合成此身。起時唯法起。滅時唯法滅。此法起時。不言我起。滅時不言我滅。前念後念中念。念念不相待。念念寂滅。喚作海印三昧。             (『禅学叢書之三』所収、『四家語録』三頁)

 

「海印三昧」巻

佛言、但以衆法、合成此身。起時唯法起、滅時唯法滅。此法起時、不言我起、此法滅時、不言我滅。前念後念、念念不相待、前法後法、法法不相対。是即名為海印三昧。          (『訂補』一六三頁)

 

『馬祖語録』の前半部の「但以衆法〜不言我滅」は、『維摩経』の句を一部変えて引用したものであろう。『維摩経』の「中略」の部分は、維摩居士文殊菩薩の質問に答えて「四大」の身に執着するところに「病」があるとし、「我想」「衆生想」を除き、「法想」を起こすべきだと説いている部分である。後に続く道元禅師の引用文と語句形式の違いが見られるため、各々比較する。

「但以衆法合成此身」の語は同様であるが、「海印三昧」巻では、その道理は、『金剛般若波羅蜜経』の「一合相」の教理と『妙法蓮華経』比喩品「忽然火起」・観世音普門品「即現仏(此)身」を引いて「合成」と「起滅」について独自に説示される。

維摩経』(傍線)の「起唯法起滅唯法滅」の箇所は、『馬祖語録』と「海印三昧」巻では共に、「起時唯法起、滅時唯法滅」と記され、「時」という語を加筆している。これは、馬祖道一(七〇九―七八八)が「起」と「滅」の時節を重要視して、拈提したものであろう。

道元禅師は、「起時唯法起、滅時唯法滅」の後に、「此法」(網掛)の語を加筆して、「此法起時、不言我起、此法滅時、不言我滅。」の四句に更改し、後半(傍線)では、『馬祖語録』の「前念後念中念。念念不相待。」の句を「前念後念、念念不相待、前法後法、法々不相対。」と更改している。

「前念後念中念。念念不相待。」の句は、『馬祖語録』において、「起」の時は初めも中間も後も共に起であり、「滅」を初・中・後に「起」と相待するものでないという解釈であろう。しかし、「前念後念、念念不相待、前法後法、法々不相対。」の「海印三昧」巻の解釈では、「為法(これから実行する法)」の「起」の時の前法後法であり、前後念であると更改して、六祖慧能(六三八―七一三)の言葉を引いて表現する。

道元禅師は、『維摩経』の言葉を仏法とし、四句「此法起時、不言我起、此法滅時、不言我滅。」の偈文にして、「この仏道をくはしく参学㓛夫すべし。」と言ったのであろう。四句の偈を仏法と考える説示は、『正法眼蔵』「伝衣」巻に、次のように見られる。

 

しるべし、四句偈をきくに得道す、一句子をきくに得道す。四句偈および一句子、なにとしてか恁麼の霊験ある。いはゆる、仏法なるによりてなり。             (『訂補』四三八頁)わかるはずである、四句の偈を聞いて得道し、一句子(一句の経文)を聞いて得道する。四句の偈や一句子(一句の経文)にどうしてそれほど霊験があるのであろう。いわゆる(それが)仏法であることによるのである。

 

仏法の参学法についての説示は、『学道用心集』(4)第三則に、「仏法は行によって証入すべきこと」とあり、第十則には、修行の直下承当(ただ単にうけとる)は、「参師聞法」と「㓛 夫坐禅」とある。その説示から、「海印三昧」の仏法は、師から直接受ける教えが大切であり、坐禅人としての仏行を離れては、悟りの境に入ることができないことがわかる。

 

三 『馬祖語録』における海印三昧について

 

鎌田茂雄氏は、『妄盡還源観』の思想的意義について述べる際、『馬祖語録』に提示される海印三昧について、「喚んで海印三昧と作し、一切法を摂す。百千の異流、同じく大海に帰し、都て海水と名づけ、一味に住し、即ち衆味を摂し、大海に住し、即ち諸流を混ずるが如し」の箇所(傍線)は、『妄盡還源観』の海印三昧の影響を受けていると指摘している。

 

『妄盡還源観』

言海印者、真如本覚也。妄尽心澄、万象斉現、猶如大海因風起浪、若風止息海水澄清。無象不現。起信論云、無量功徳蔵法性真如海。所以名為海印三昧也。   (大正四五・六三七中)

『馬祖語録』

故経云、但以衆法合成此身。起時唯法起、滅時唯法滅。此法起時。不言我起。滅時不言我滅。前念後念中念。念念不相待。念念寂滅。喚作海印三昧。一切法、如百千異流、同帰大海、都名海水。住於一味。即説衆味、住於大海、即混諸流。

 

これにより、道元禅師の更改した句は、海印三昧の影響を与えた句(傍線)の直前(網掛)にあることがわかる。道元禅師は、『妄盡還源観』の原典までさかのぼって、影響を受けたのかどうか検討を要する。

 

四 道元禅師の「海印三昧」と本稿の結論

 

本稿では、「海印三昧」巻に、二度引かれる「但以衆法〜前念後念云々」の句の『維摩経』・『馬祖語録』・「海印三昧」巻の更改の比較から、出典箇所を馬祖が拈提し、道元禅師は「此法」の語を加筆して、「此法起時、不言我起、此法滅時、不言我滅」の四句を提示していることがわかった。さらに、四句の教理は、法は「起滅不停」であり、「此法」の「時節当来」の「時」に「我」はなく、「衆法と合成する此身」の「起」の瞬間に悟りがあるとして、その解釈を『金剛般若波羅蜜経』、『妙法蓮華経』「比喩品」・「観世音普門品」の中にこれを求めたことが考察できた。『馬祖語録』の「前念中念後念」の語について道元禅師は、「前念後念」とし、「此法」を「為法」の「起」の時の前法後法であり、前後念であると説く。以上から「但以衆法〜前念後念云々」の句は「海印三昧」の仏法であり、徹底的な仏行中に、師から直接受ける教えが大切であるという。その説示からは、坐禅人としての仏行を離れず、直接的に体得するところに悟りがあるという修証の観念を考察できる。

 

1 鎌田一九七八、二〇六頁。 2 『永平正法眼蔵蒐書大成』六(大修館書店、一一一頁、一九七九)。 3 鏡島一九九五、四七二頁。 4 『学道用心集』(『道元禅師全集下巻』所収、筑摩書房、二五四頁、一九七〇)。

〈参考文献〉

鏡島元隆監修・曹洞宗宗学研究所編『道元引用語録の研究』春秋社、一九九五

鎌田茂雄「妄盡還源観解題」『国訳一切経』諸宗部四、大東出版社、一九七八

河村孝道・角田泰隆編『本山版訂補 正法眼蔵大法輪閣

 二〇一九(本稿では、『訂補』と略記)

〈キーワード〉道元禅師、正法眼蔵、「海印三昧」巻

駒澤大学大学院)

 

これは『印度學佛敎學硏究』第六十九巻第二号 令和三年三月

資料をワード化したものであり、一部修訂した。

 

(タイ国にて 二谷 記)