正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

『礼拜得髄』 考       石井修道

『礼拜得髄』 考    石井修道

 

一 はじめに

『礼拜得髄』は 一種類の写本が現存し、 一般に (a)短文本と (b) 長文本と通称されて区別されている 短文本は七十五巻本の第二十八に編集され、長文本は永平寺所蔵の二十八巻本 (秘密正法眼蔵と呼ばれる) に収められている。二十八巻本は原写本がカタカナで書写されており、短文本にない後半の部分は、岩波文庫本ではカタカナで活字化されているので、本論文においてもその形式を踏襲することにしたい。

さて、『礼拜得髄』の題名は『正法眼蔵』 の中では特殊な命名のように思われる 命名の基づくところは、『景徳伝燈録』巻三にある有名な二祖慧可の得法に由来することは間違いないところであろう。その話を引用した一二四三年の示衆の『葛藤』では次のようになっている。

第二十八祖、謂門人日、「時将至矣、汝等盍言所得乎 時門人道副日、「如我今所見、不執文字、不離文字、而為道用」。祖曰、「汝得吾皮」。尼総持曰、「如我今所解、如慶喜見阿閾仏国、一見更不再見」。祖日、「汝得吾肉」。道育日、「四大本空、五陰非有、而我見処、無一法可得」。祖日、「汝得吾骨」。最後慧可、礼三拝後、依位而立。祖日、「汝得吾髄」果為二祖、伝法伝衣。 (岩波文庫本二ー三五九ー三六〇頁)

つまり、『礼拜得髄』の冒頭に近いところに、

断臂得髄の祖、さらに他にあらず、脱落身心の師、すでに自なりき。(同ー一六〇頁)

とあるところに明確なように、二祖慧可の得法の話を前提として命名されたことが判明するのである

ところで、『葛藤』の成立には、趙宋天台の山家・山外論争とからんで複雑な問題があることは、既に「『四馬』考  (『駒澤大学仏教学部研究紀要』第五九号、 二〇〇一年四月) で検討してきたところである。「礼拝得髄」は中国禅宗成立にかかわる有名な話であるから、 その語が使用される場面は数多くあって不思議ではない。たとえば、一二四二年の示衆の『夢中説夢』に次のような説示を見出すことができる。

この道、あきらめ学すべ し。いはゆる拈花瞬目すなはち夢中説夢なり、礼拝得髄すなはち夢中説夢なり。 (同ー一五二頁)

この文は明らかに釈尊と西天第一祖摩訶迦葉との伝法の時の「拈華微笑」の話と対になっ ているので、東土第一祖の菩提達磨と二祖慧可の伝法を説示されているのである。

ただ、 七十五巻では第二十七『夢中説夢』、第二十八 『礼拜得髄』となってはいるが、 『礼拜得髄』 の成立を考えると、短文本と長文本の奧書は次のようになっている

延応庚子清明日、記観音導利興聖宝林寺 (同ー一七〇頁)

仁治元年庚子冬節前日、書于興聖寺(同ー 一八三頁)

このように短文本の「延応庚子」も長文本の「仁治元年庚子」も西暦の一二四〇年なので、 「礼拜得髄」 の語の初出は『礼拜得髄』であろうと考えられる。『礼拜得髄』の巻以前の

 主な示衆は『辧道話』、 『摩訶般若波羅蜜』、 『現成公案』、 『一顆明珠』、 『即心是仏』、 『洗面』、『洗浄』などである。

さて、この語の初出を『礼拜得髄』とすると、先に検討した一二四三年の示衆の 『葛藤』 の複雑な説を、道元は果たして 『礼拜得髄』 の巻の題目に既に構想としてあったかどうか

が問題となろう。複雑な説というのは、先に引用した 『景徳伝燈録』 の達磨門下の四人の得法説に続いて、次のように『葛藤』は説示している。

いま参学すべし、初祖道の「汝得吾皮肉骨髄」は、祖道なり。門人四員、ともに得処あり、聞著あり。その聞著ならびに得処、ともに跳出身心の皮肉骨髄なり、脱落身心の皮肉骨髄なり。知見解会の一著子をもて、祖師を見聞すべきにあらざるなり。能所彼此の十現成にあらず。しかあるを、正伝なきともがらおもはく、「四子各所解に親疎あるによりて、祖道また皮肉骨髄の浅深不同なり。皮肉は骨髄よりも疎なり」とおもひ、 「二祖の見解すぐれたるによりて、得髄の印をえたり」といふ。かくのごと くいふいひは、 ー、まだかって仏祖の参学なく、 祖道の正伝あらざるなり。 (同ー三六〇ー六一頁)

ここにいう「正伝なきともがら」の説こそ、先に検討した論文でも明らかにしたように、中国禅籍としての 『景徳伝燈録』 の本来の理解、あるいは成立過程の主張であったといっ

てもおかしくはないのである。ところが、道元は 『景徳伝燈録』の「果為二祖、伝法伝衣」の語を残しながらも、得法の浅深を認めないというのが『葛藤』の説である。

また、達磨門下の四人の中に尼総持が含まれていることもよく知られている。『礼拜得髄』 の巻の大きな特徴は、冒頭に出る言葉でいえば、「導師は、男女等の相にあらず」として、女人と男子に区別を認めない説が展開する。『葛藤』には、先に説示を徹底して次のように言うのである。

しるべし、たとひ二祖に為道せんにも、「汝得吾皮」、と道取すべきなり。たとひ「汝得吾皮」なりとも、二祖として正法眼蔵を伝附すべきなり。得皮得髄の殊劣によれるにあらず。また、道副・道育・総持等に為道せんにも、「汝得吾髄」と道取すべきなり。吾皮なりとも、伝法すべきなり。祖師の身心は、皮肉骨髄ともに祖師なり。髄はしたしく、皮はうときにあらず。(同ー三六二頁)

『葛藤』に道元独自の説があるが、『礼拜得髄』 の命名には既にそれと同じ内容を説かんとした意図があったと思われる。先に引用した文を重ねて見てみよう。

断臂得髄の祖、さらに他にあらず、脱落身心の師、すでに自なりき。(同ー一六〇頁)

この文は「礼拜得髄」の祖は 「自」に他ならないということに重点がある。

また、『礼拜得髄』 の冒頭は次のように始まっているのである。

修行阿耨多羅三藐三菩提の時節には、導師をうることもともかたし。その導師は、男女等の相にあらず、大丈夫なるべし、恁麼人なるべし。古今人にあらず、野狐精にして善知識ならん。これ得髄の面目なり、導利なるべし。不昧因果なり、你我渠なるべし。(同ー一五九頁)

こうして、『礼拜得髄』は、特に高安大思の法嗣の末山尼了然を主題にして、「導師は、男女等の相にあらず」を強調する道元の注目すべき巻となっているのである。

以上のことを確認することが、この巻を考える上で重要だと思われる。その点に特に留意して、以下に現代語訳を試みておこう。

 

二試訳 『礼拜得髄』

『礼拜得髄』の構成は、(a) 短文本を一ー十二段と、それに続く (b) 長文本を十三ー 二十四段に分け、全体に内容項目名をつけて二十四段とした。(下段の数は各段の岩波文庫本 (二) の頁数)

(一)    導師とは               一五九頁

(二)    導師に出会った時の修行者の用心 一五九頁

(三)   法を重んじ、身を軽くする     一六〇頁

(四)   般若を尊重するー釈尊の 言葉           一六一頁

(五)             無情や畜生の説法                     一六一頁

(六)             仏法を聞かない思か者の誤り             一六二頁

(七)             趙州従論の行脚の心構え        一六三頁

(八)   灌渓志閑の末山尼への参学     一六三頁

(九)             妙信尼が廨院主の時の話        一六五頁

(十)             為人の者は明眼の人を            一六七頁

   (十一)   得法者に男女を論じてはならない 一六八頁

(十二)   得法の男女を敬え        一六九頁

(十三)             比丘尼の得法・得果とは     一七一頁

(十四)             法を重くし、法を求める     一七一 頁

(十五)             女人を性欲の対象と見てはならない一七三頁

(十六)             仏弟子の夫婦もいる       一七四頁

(十七)             女人にどんなあやまちがあるというのか一七四頁

(十八)             徳山宣鑑を導いた老婆      一七六頁

(十九)             対象を学ぶ           一七七頁

(二十)             日本の女人結界は恥ずかしいこと 一七七頁

(二十一)  四果・妙覚を得た女人等あり   一七九頁

(二十二)  日本の誤れる比丘尼の処遇    一八〇頁

(二十三)  結界は破棄せよ         一八一頁

(二十四)  真の結界とは          一八二頁

正法眼蔵第二十八 礼拝得髄

(一) 修行阿耨多羅三藐三菩提の時節には、導師をうることもともかたし。その導師は、男女等の相にあらず、大丈夫なるべし(2)。恁麼人なるべし(3)。古今人にあらず、野狐精にして善知識ならん。これ得髄の面目なり、導利なるべし(5)。不味因果なり(6)、我渠なるべし(7)。

〔訳〕 正法眼蔵第二十八 礼拝得髄

無上正等覚を修行する時においては、 導師を得ることが最も難しい。その導師は、男女等の相(すがた)ではなく、力量ある立派な者 (大丈夫) でなければならないし、真実 (恁麼) 人でなければならない。古人でもなく今人でもなく、あっと驚かせる変幻自在の狐つき(野狐精)であって善知識にちがいない これが髄を得た得法の真実のあり様であり、利益を導くことであろう。因果を味(くらま)さないことであり、汝が我 (現実態の自己) にして渠(かれ) (本来性の自己) であるにちがいない。

 

(二) すでに導師を相逢せんよりこのかたは、万縁をなげすてて、寸陰をすごさず精進辧道すべし。有心にても修行し、無心にても修行し、半心にても修行すべし。

しかあるを、頭燃をはらひ、翹足を学すべし(8)。かくのごとくすれば、訓謗(せんぼう)の魔儻にをかされず、断臂得髄の祖、さらに他にあらず、脱落身心の師、すでに自なりき。

 

〔訳〕 導師に予期せずにばったり出会った以上は、万事を投げ捨てて、時間を空しく過ごさずに精進修行すべきである有心でも修行し、 無心でも修行し、 半心でも修行すべきであ

る。

そうであるからこそ、無常迅速を恐れて頭の火を払いのけ、足をつま立てて正法を求めて学ばねばならない そのようにすれば、誹謗する悪魔たちに侵害されず、臂を断ち髄を得た

二祖慧可とは、 もはや他人のことではなく、 さとり切った (脱落身心)師とは、もはや自己のことであったのある。

 

(三) 髄をうること、 法をつたふること、 必定して至誠により、信心によるなり。誠信ほかよりきたるあとなし、内よりいづる方なし。たゞまさに法をおもくし、身をかろくするな

り(9)。世をのがれ、道をすみかとするなり。いさゝかも身をかへりみること法よりもおもきには、法ったはれず、道うることなし。その法をおもくする志気、ひとつにあらず。他の教訓をまたずといへども、しばらく一二を挙拈すべし。

いはく、法をおもくするは、たとひ露柱なりとも、たとひ燈籠なりとも、たとひ諸仏なりとも、たとひ野干なりとも(10)、鬼神なりとも、男女なりとも、大法を保任し、吾髄を汝得せるあらば、身心を床座にして無量劫にも奉事するなり。身心はうることやすし、世界に稲麻竹葦のごとし、法はあふことまれなり。

 

〔訳〕髄を得て得法することも、法を伝えることも、必ず誠を尽くすことにより、また、信心によるのである。誠と信ずることは他より来たる事例はないし、内より出させるやり方はないのである。ただ、まさしく法を重んじ、身を軽くすることによるのである。世間を逃れ道を住居とするのである。いささかでも身を顧みることが法よりも重い場合には、法は伝わらず、道を得ることもないのである。その法を重くする意志は、一つではない。他人の教訓によらずに、 しばらく一二を取り上げてみよう。

いうところの、法を重くするとは、たとい露柱でも、 たとい燈籠でも、 たとい諸仏でも、 たとい野狐でも、鬼神でも、男女でも、もし大法を保持し、吾が髄を汝が得ることがある

ならば、全身心を床座にして永遠に仕えるのである 身心を得ることは容易であることは、世界に稲麻竹葦のごとく無数であるが、法に遭遇することはまれなのである。

 

(四) 釈迦牟尼仏のいはく、「無上菩提を演説する師にあはんには、種姓を観ずることなかれ、容顔をみることなかれ、非をきらふことなかれ、行をかんがふることなかれ。たゞ般若を尊重するがゆゑに、日々に百千両の金を食せしむべし。天食をおくりて供養すべし(11)、天花を散じて供養すべし。日々三時、礼拝し恭敬して、さらに患悩の心を生ぜしむることなかれ。かくのごとくすれば、菩提の道、かならずところありわれ発心よりこのかた、かくのごとく修行して、今日は阿耨多羅三藐三菩提をえたるなり」。(傍点の文は 『修証義』に引用)

 

〔訳〕釈迦牟尼仏がいわれた、「無上の菩提(さとり)を説く師にめぐり逢うには、氏素性を区別してはならない、容貌をみて判断してはならない、その欠点を嫌ってはならない、行為を考えてはならない。ただ般若だけを尊重して、日々に百千両の金を費やして食を布施するがよい 天人の食事を送りて供養するがよいし、天よりの花を散じて供養するがよい。 日々朝・昼・夕方の三時に、礼拝し恭敬して、絶対に患い悩みの心を起こさせてはならない。このようにすれば、菩提の道は、必ず開けてくるのである。わたしも菩提心を発してから、このように修行して、今日は無上正等覚を得たのである」と。

 

(五)しかあれば、若樹若石もとかましとねがひ 、若田若里もとかましともとむべし(12)。露柱に問取し、牆壁をしても参究すべし。むかし、野干を師として礼拝問法する天帝釈あり、大菩薩の称つたはれり、依業の尊卑によらず。

 

〔訳〕そういうわけであるから、若しくは樹も、若しくは石も仏法を説いてほしいと願い、若しくは田も、若しくは里も仏法を説いてほしいと求むべきである。露柱に問い掛け、牆

壁にも参究すべきである。むかし、野狐を師として礼拝し仏法を問う天帝釈がいて、大菩薩の称号が伝わっており、前世の宿業の報いによりて受ける形に尊卑があるのではない。

 

(六)しかあるに、不聞仏法の思痴のたぐひおもはくは、われは大比丘なり、年少の得法を拝すべからず、われは久修練行なり、得法の晩学を拝すべからず、われは師号に署せり、師号なきを拝すべからず、われは法務司なり、得法の余僧を拝すべからず、われは僧正司なり、得法の俗男俗女を拝すべからず、われは三賢十聖なり、得法せりとも、比丘尼等を礼拝すべからず、われは帝胤なり、得法なりとも、臣家相門を拝すべからずといふ。かくのごとくの癡人、いたづらに父国をはなれて他国の道路に鈴跡するによりて(13)、仏道を見聞せざるなり。

 

「訳〕ところが、仏法を聞かない愚かなる連中が思うには、「われは大比丘である、年少の得法の者を礼拝すべきではな 、われは久い間修行してきた者である、得法の後輩を礼拝すべきではない、われは神師号をもらっている、神師号のない者を礼拝すべきではない、われは宗教界の役職である、他の得法の僧を礼拝すべきではない、われは僧の不正を取り締まる役職である、得法の俗人の男女を礼拝すべきではない、われは三賢十聖の位に到達したものである、たとい得法した者でも、その比丘尼等を礼拝すべきではない、われは皇帝の血統である、たとい得法した者でも、その家臣や大臣の者を礼拝すべきではない」と。このような思か者は、いたずらに父国を離れて他国の道路をさまよい歩いた為に、仏道を見聞しないのである。

 

(七) むかし、唐朝趙州真際大師(14)、こゝろをおこして発足行脚せしちなみにいふ、「たとひ七歳なりとも、われよりも勝ならば、われ、かれにとふべし。たとひ百歳なりとも、われよりも劣ならば、われ、かれををしふべし」。

七歳に問法せんとき、老漢礼拝すべきなり。奇夷の志気なり、古仏の心術なり。得道得法の比丘尼出世せるとき、求法参学の比丘僧、その会に投じて礼拝問法するは、参学の勝躅

なり。たとへば、渇に飲にあふがごとくなるべし。

 

〔訳〕 むかし、唐朝の趙州真際大師は、発心して行脚しようとした時に言った、「たとい七歳の子供でも、われよりも勝れているならば、われは、かれに質間しよう。たとい百歳の老人であっても、われよりも劣るならば、われは、かれに教えてあげよう」と七歳の子供に問法しようとする時、老人は礼拝すべきである。それがすばらしい志であり、すぐれた古仏の心の用い方である。得道得法の比丘尼が住持となった時、求法参学の比丘僧は、その会に投じて礼拝問法するのは、参学の勝れた事例である。たとえば、のどが渇いた時に飲み物にあうようなものである。

 

(八) 震旦国の志閑禅師は臨済下の尊宿なり(15)。臨済ちなみに師のきたるをみて、とりとゞむるに、師いはく、「領也」。

臨済はなちていはく、「且放作一頓」。

これより臨済の子となれり

臨済をはなれて末山にいたるに、末山とふ、「近離甚処」。

師いはく、「路口」。

末山いはく、「なんぢなんぞ蓋却しきたらざる」。

師、無語。すなはち礼拝して師資の礼をまうく。

師、かへりて末山にとふ、「いかならんかこれ末山」。

末山いはく、「不露頂」。

師云、「いかならんかこれ山中人」。

末山いはく、「非男女等相」。

師いはく、「なんぢなんぞ変ぜざる」。

末山いはく、「これ野狐精にあらず、なにをか変ぜん」

師 礼拝す。

つひに発心して園頭(ゑんぢゅう)をつとむること始終三年なり。のちに出世せりし時、衆にし めしていはく、「われ、臨済爺々のところにして半杓を得しき、末山嬢々のところに して半杓を得しき。ともに一杓につくりて喫しをはりて、直至如今飽餉々なり」。

いまこの道をききて、昔日のあとを慕古するに、末山は高安大思の神足なり、命脈ちからありて志閑の嬢となる。臨済黄檗運師の嫡嗣なり、功夫ちからありて志閑の爺となる。爺とはちゝといふなり、嬢とは母といふなり 志閑神師の末山尼了然を礼拝求法する、志気の勝躅なり、晩学の慣節なり。撃関破節といふべし。

 

〔訳〕中国の志閑禅師は臨済下の尊宿である。臨済義玄は師が来たのを見て、とつつかまえたところ、師は答えた、「分かった」。臨済は突き放して言った、「まあ!お前に棒を喰らわすのは許しておこう」。これを機に臨済の弟子となった。臨済を離れて末山に行ったところで、末山が問うた、「近ごろどこを離れた」。師は答えた、「路口」。末山は問うた、「汝はどうして口をふさいでこなかったか」。師は言葉が無かった。 そこで礼拝して師と資(でし)の礼をとった。師は 、逆に末山に問うた、「何が末山ですか」。末山は答えた、「頂を露わさない」。 師は問うた、「何が山中の人ですか。末山は答えた、「男女等の相(すがた)ではない」。師は言った、「あなたはどうして女身を変化しないのですか。末山は答えた、「わたしは狐つきで

はない、一体、なにを変化するというのか」。師は礼拝した。そこで菩提心を発して園頭 (菜園の管理役)をつとめることまる三年であった。後に住持となった時、衆に示して言った、「わたしは、臨済の爺々(おやじ) のところで半分の柄杓(ひしゃく)を得て、末山の嬢々(おっかあ)のところで半分の柄杓を得た。会わせて一つの柄杓に作っ て飲み終わりて、如今に至るまで十分に満腹となった」。

いまこの言葉を聞きて、昔の足跡を敬い慕うに、末山は高安大思のすぐれた弟子であり、その法脈で力量を身につけて志閑の母となった。臨済黄檗希運師の正嫡であり、修行の

力量を持ち合わせて志閑の父となった。爺とは父ということであり、嬢とは母ということである 志閑神師が末山尼了然を礼拝し求法したことは、志の勝れた手本であり、後学の者

の見習うべき模範である。仏道の障碍を撃破したものというべきである。

 

(九)妙信尼は仰山の弟子なり。仰山ときに廨院主(かいゐんじゅ)を選するに、仰山、あまねく勤旧前資等にとふ、「たれ人かその仁(ひと)なる」。

問答往来するに、仰山つひにいはく、「信淮子(わいす)これ女流なりといへども大丈夫の志気あり。まさに廨院主とするにたへたり」。

衆みな応諾す

妙信つひに廨院主に充す。ときに仰山の会下にある龍象うらみず。まことに非細の職にあらざれども、選にあたらん自己としては自愛しつべし。

充職して廨院にあるとき、蜀僧十七人ありて、儻をむすびて尋師訪道するに、仰山にのばらんとして薄暮に廨院に宿す。歇息する夜話に、 曹溪高祖の風幡話を挙す。十七人おのおのいふこと、みな道不是なり。ときに廨院主、かべのほかにありてきゝていはく、「十七頭瞎驢、をしむべし、いくばくの草鞋をかつひやす。仏法也未夢見在」。

ときに行者ありて、廨院主の僧を不肯するをきゝて十七僧にかたるに、十七僧ともに廨院主の不肯するをうらみず。おのれが道不得をはぢて、すなはち威儀を具し、焼香礼拝して請問す。

廨院主いはく、「近前来」。

十七僧、近前するあゆみいまだやまざるに、廨院主いはく、

「不是風動、不是幡動、 不是心動」。

かくのごとく為道するに、十七僧ともに有省なり。礼謝して師資の儀をなす。すみやかに西蜀にかへる。つひに仰山にのばらず。まことにこれ、三賢十聖のおよぶところにあらず、

仏祖嫡々の道業なり。

 

〔訳〕妙信尼(16)は仰山慧寂の弟子である。仰山はある時、 廨院(かいゐん)主 (寺産管理・渉外主任) を選ぶにあたって、仰山は、全ての古参や前任者等に問うた、「だれが適任であろうか」。問答を重ねていって、仰山は結果として言った、「淮出身の妙信は女性ではあるが大丈夫の志があり。まさに廨院主とするにふさわしい」と。参学修行者はみな「よろしい」と返事した。妙信はそこで廨院主に任命された。その時、仰山の会下にいた優れた弟子達はうらむことはなかった。確かに廨院主の職は重要とは言えないが、選任された者としては自重したことであろう。妙信がその職について廨院にいた時、蜀の僧十七人が、仲間となって師を尋ね仏道を求めて、仰山に参学しようとしてタ暮れに廨院に宿泊した。休息していた夜話に、曹溪高祖の風幡の話を取り上げた。十七人はおのおの見解を披瀝したが、みな言い尽くし切っていなかった。その時、廨院主は、壁を隔てて聞いて言った、「十七人の目のみえない間抜け者たち、なんと無駄な!、どれほどの旅費を使い果たしたことか。仏法は夢にさえ見ることはあるまいぞ」。当時、行者(あんじゃ) (未得度の雑役係) がいて、廨院主が僧たちを認めないと聞いて十七人の僧に告げたところ、十七人の僧は全て廨院主が認めなかったことをうらむことなく、自分自身が言い尽くし切れないのを恥ずかしく思い、そこで正式に衣服を身につけて、焼香し礼拝して問いかけた 。廨院主が言った、「近くへ来られよ」。十七人の僧が、進み出て歩みつつある間に、廨院主が言った、「風が動くのでもない、幡が動くのでもない、心が動くのでもない」と。このように彼らに説いてやったところ、十七人の僧は全て気づくところがあった。礼拝して感謝をして師として仕え弟子となる儀礼を行った。ただちに西蜀へ帰って、結局は仰山に登ることはなかった。まさしくこのことは、三賢十聖の及ぶところではなく、仏仏祖祖が代々受け継がれてきた仏道の行持である。

 

(十) しかあれば、 いまも住持および半座の職むなしからんときは、比丘尼の得法せらんを請ずべし。比丘の高年宿老なりとも、得法せざらん、なんの要かあらん。為衆の主人、かならず明眼によるべし。

 

しかあるに、村人の 身心に沈溺せらんは、かたくなにして、世俗にもわらひぬべきことおほし。いはんや仏法には、いふにたらず。又女人および師姑等の、伝法の師僧を拝不肯ならんと擬するもありぬべし。これはしることなく、学せざるゆゑに、畜生にはちかく、仏祖にはとほきなり。

一向に仏法に身心を投ぜんことを、ふかくたくはふるこゝろとせるは、仏法かならず人をあはれむことあるなり。おろかなる人天、なほまことを感ずるおもひあり。諸仏の正法、

いかでかまことに感応するあはれみ なからん。土石沙礫にも誠感の至神はあるなり。

 

〔訳〕そういうことであるから、現在も住持及び副住持の職が欠けた時は、比丘尼の得法した人を招くべきである。高年齢の比丘であっても、得法していない者は、何の必要があろ

うか。参学修行者の為の指導者は、必す法に対して明らかな眼をもつ者によらねばならない。

それなのに、村人の生き方にどっぷり浸かって溺れてしまった者は、偏屈で、世俗においても笑ってしまうようなことが多い。ましていわんや仏法には、なおさらのことである。また女人及び尼僧等で伝法の指導者の場合は、拝することもしようとしないとする者もあるにちがいない。これは仏法を知ることもなく、学ぶこともないから、畜生に似て、仏祖には遠いのである。

ただ仏法に全身心を投ずることを、深く心に覚悟している者は、仏法は必ずその人に憐れみを与えることがあるものである。愚かな人間界、天上界ですら、なお誠を感ずる思いがあるのである。諸仏の正法に、どうして誠に通じあう憐れみがないことがあろうか。土沙や石ころにも誠を感ずる心はあるものである。

 

(十一) 見在(げんざい)大宋国の寺院に、比丘尼の掛搭せるが 、もし得法の声あれば、官家より尼寺の住持に補す べき詔をたまふには、即寺にて上堂す。住持以下衆僧、みな上参して立地聴法するに、問話も比丘僧なり。これ古来の規矩なり。

得法せらんはすなはち一箇の真箇なる古仏にてあれば、むかしのたれにて相見すべからず。かれわれをみるに、新条の特地に相接す。われかれをみるに、今日須人今日の相待なるべし。たとへば、正法眼蔵を伝持せらん比丘尼は、四果支仏および三賢十聖もきたりて礼拝問法せんに、比丘尼この礼拝をうくべし。男児なにをもてか貴ならん。虚空は虚空なり、四大は四大なり、五蘊五蘊なり。女流も又かくのごとし、得道はいつれも得道す たゞし、いづれも得法を敬重すべし、男女を論ずることなかれ。これ仏道極妙の法則なり。

 

〔訳〕 現在、 宋国の寺院には、比丘尼が掛搭しているが、もし得法の名があれば、朝廷より尼寺の住持に補任すべき詔を賜った場合には、その寺で受請上堂するのである。住持以下

の参禅修行者は、みな参集して立ったまま聴法するが、問話者も比丘僧である。これが昔からの規則である。

 得法したからには一人の真の古仏なのであるから、昔のだれそれとして相見してはならない。その人がわたしを見る場合、真新しい特別の気持ちで互いに接すべきであり、わたしがその人を見る場合、今日は今日だけで互いに対応すべきである。たとえば、正法眼蔵を伝え維持された比丘尼は、四果の阿羅漢果を得た者も辟支仏 (縁覚) 及び三賢十聖も来て礼拝し問法しようとした場合、比丘尼はこれらの礼拝を受けねばならない。男であるからと言ってどうして貴いことがあろうか。虚空は虚空であり、四大は四大であり、五蘊五蘊である。女人もこれと同じで、得道した者はいずれも得道するのである。必ずやいずれも得法を敬重しなければならない、男女を論じてはならない。これが仏道の究極のすばらしい法

則なのである。

 

(十二)  又、宋朝に居士といふは、未出家の士夫なり。庵居して夫婦そなはれるもあり、又孤独潔白なるもあり。なほ塵労稠林(ちうりん)といひぬべし。しかあれども、あきらむるところあるは、雲衲霞袂(かべい)あつまりて礼拝請益すること、出家の宗匠におなじ。たとひ女人なりとも、畜生なりとも、又しかあるべし。

仏法の道理いまだゆめにもみざらんは、たとひ百歳なる老比丘なりとも、得法の男女におよぶべきにあらず。うやまふべからず。たゞ賓主の礼のみなり。仏法を修行し、 仏法を道

取せんは、 たとひ七歳の女流なりとも、すなはち四衆の導師なり、衆生の慈父なり。たとへば龍女成仏(17)のごとし。供養恭敬せんこと、 諸仏如来にひとしかるべし。これすなはち仏道の古儀なり。しらず、単伝せざらんは、あはれむべし。

正法眼蔵礼拝得髄 第二十八

延応庚子清明日(18)、 記観音導利興聖宝林寺

 

〔訳〕また、宋朝で居士というのは、未出家の士大夫のことである。庵居して夫婦そろった者もおり、また独身で潔白な者もいる。それでもなお世俗の煩いが山積みしていると言ってよいであろう。そうではあるが、真実を明らめた者は、出家の雲水がつどいて礼拝し教えを請う場合は、出家の指導者と同じでなければならない。たとい女人であっても、畜生であっても、またそのようにしなければならない。

仏法の道理を未だ夢にも見ない者は、たとい百歳となった老比丘であったとしても、得法した男女に及ぶはずがない。敬うべきではない。ただ訪問者と迎える主人の礼だけでよい 仏法を修行し、仏法を言い切るには、たとい七歳の女人であっても、 四衆 (比丘 ・比丘尼・優婆塞・優婆夷) の導師であり、衆生の慈父なのである。たとえば娑竭羅龍王(さがらりゅうおう)の女(むすめ)が成仏したようなものである。供養し恭敬することは、諸仏如来と等しくすべきである これが仏道の古来の儀例である。そのことを知らないで、自己にまで伝えていない者は、あはれまねばならない。

正法眼蔵礼拝得髄 第二十八

 延応庚子 (一二四〇) 清明日に観音導利興聖宝林寺にて 記す

 

(十三)又、 和漢ノ古今ニ、帝位ニシテ女人アリ。其ノ国土、ミナコノ帝王ノ所領ナリ、人ミナソ ノ臣トナル。コレハ、人ヲウヤマフニアラズ、 位ヲウヤマフナリ。比丘尼モ又ソノ人ヲウヤマフコトハ、ムカショリナシ。ヒトへニ得法ヲウヤマフナリ。

又、阿羅漢トナレル比丘尼アルニハ、四果ニシタガフ功徳ミナキタル。功徳ナホシタガフ、人天タレカ四果ノ功徳ョリモスグレン。三界ノ諸天ミナオョブ処ニアラズ、シカシナガラスツルモノトナル。諸天ミナウヤマフ処ナリ。況ャ如来ノ正法ヲ伝来シ、菩薩ノ大心ヲオコサン、タレノウヤマハザル力アラン。コレヲウヤマハザランハ、オノレガヲカシナリ。オノレガ無上菩提ヲウヤマハザレバ、謗法ノ思痴ナリ。

 

〔訳〕また、日本と中国の昔より今の世に、帝位に就いた女人がいる。その国土は、全てこれら帝王の所領であり、人はみなその臣下となった。これは、人を敬うのではなく、位を

敬うのである 比丘尼もまたその人を敬うことは、昔からなかった。専ら得法を敬ったのである。

また、阿羅漢となった比丘尼があれば、四果によりて得られる功徳がみな伴ってきた。功徳すらなお従うのである、人天の誰が四果の功徳よりもすぐれていようか。三界 (欲界・色界・無色界) の諸天はみな及ぶ処はない、そのまますべて出家する者となると、諸天はみな敬う処なのである。まして況や如来の正法を伝えて来て、菩薩の大心を発すにおいては、誰が敬わないことがあろうか。これをもしも敬わない場合は、自分が罪を犯すこととなるのである。自分が無上菩提を敬うことがなければ、法を謗る愚か者である。

 

(十四) 又ワガ国ニハ、帝者ノムスメ或ハ大臣ノムスメノ、后宮ニ準ズルアリ、又皇后ノ院号セルアリ。コレラ、カミヲソレルアリ、カミヲソラザルアリ。シカアルニ、貪名愛利ノ

比丘僧ニ似タル僧侶、コノ家門ニワシルニ、カウべヲハキモノニウタズト云コトナシ。ナホ主従ョリモ劣ナリ、況ヤマタ奴僕トナリテトシヲフルモオホシ。アハレナルカナ、小国辺

地ニウマレヌルニ、如是ノ邪風トモシラザルコト、天竺唐土ニハイマダナシ、我ガ国ニノミアリ。悲シムべシ、アナガチニ鬢髪ヲソリテ如来ノ正法ヲヤブル、深重ノ罪業ト云べシ。コレヒトへニ夢幻空花ノ世途ヲワスルニヨリテ、女人ノ奴僕ト繋縛セラレタルコト、カナシムべシ。イタヅラナル世途ノタメ、ナホカクノ如ス。無上菩提ノタメ、ナンゾ得法ノウヤマフベキヲウヤマハザラン。 コレハ法ヲオモクスルコ、ロザシアサク、法ヲモトムル コ、ロザシアマネカラザルュヱナリ。スデニタカラヲムサボルトキ、女人ノタカラニテアレバウべカラズトオモハズ。法ヲモトメントキハ、コノココロザシニハスグルべシ。モシシカアラバ、草木墻壁モ正法ヲホドコシ、 天地万法モ正法ヲアタフルナリ。カナラズシルベキ道理ナリ。真善知識ニアフトイへドモ、イマダコノ志気ヲタテテ法ヲモトメザルトキハ、法水ノウルホヒカウブラザルナリ。審細ニ功夫スべシ。

 

〔訳〕またわが国には、帝者の娘、或は大臣の娘が、后宮(こうぐう)(皇后) と同等の扱いをうける者もあり、また皇后で院号を得た人もある。それらは、髪を剃る者もいるし、髪を剃らない者もいる。しかしながら、名利を貪る見せかけの僧侶は、この家門に奔走する場合、頭を履き物にすりつけて平身低頭しないことはない。主従関係よりもなおひどく、まして況んや下僕となりはてて年を重ねていく者も多い。なんと哀れなことよ、日本の小国辺地に生まれてしまったから、このようなことが邪風であるとも知らないとは。このことはインド・

中国には未だないことであり、我が国にだけあることである。悲しむべきことである、無理やりに鬚や髪を剃って如来の正法を破っているのは、 深重の罪業と一一一口うべきである。このことは専ら夢幻空花のような世を渡っている道を忘れてしまっ た為に、女人の下僕として縛られたことは、悲しむべきことである。空しく世を渡る道の為に、なおこのようにしているのである。無上菩提の為に、どうして敬うべき得法の者を敬わないのであろうか。  このことは法を重くする志が浅く、法を求むる志が行き届いていないからである。宝を貪る以上は、女人の宝だから得ることはできないと思わない。法を求める時は、それらの志よりも勝るべきである。もしそうであれば、草木墻壁も正法を施し、天地万法も正法を与えるのである。必ず知ることのできる道理である。真善知識に会ったといっても、未だこの志を立てて法を求めない時は、法の水の潤いを被ることはないのである。 よくよく審かに考えてみなさい。

 

(十五) 又、イマ至愚ノハナハダシキ人オモフコトハ、女流ハ貪婬所対ノ境界ニテアリトオモフココロヲアラタメズシテコレヲミル。仏子如是アルべカラズ。婬所対ノ境トナリヌべ

シトテイムコトアラバ、一切男子モ又イムべキカ。染汚ノ因縁トナルコトハ、男モ境トナル 、女モ境縁トナル。非男非女モ境縁トナル、夢幻空花モ境縁トナル。アルイハ水影ヲ縁トシテ非梵行アルコトアリキ、アルイハ天日ヲ縁トシテ非梵行アリキ。神モ境トナル、鬼モ境トナル。ソノ縁カゾヘツクスべカラズ。八万四千ノ境界アリト云フ、コレミナスツべキカ、ミルべカラザルカ。

律云、「男二所、女三所、オナジクコレ波羅夷不共住」。

シカアレバ、婬所対ノ境ニナリヌべシトテキラハバ、一切ノ男子ト女人ト、タガヒニアヒキラウテ、更ニ得度ノ期アルべカラズ。コノ道理、子細ニ檢点スべシ。

 

〔訳〕また、今でもはなはだしく愚かな人が思うことは、女人は性欲の対象であると思う心を改めることなく見ているのである。仏子たるものはこのようであってはならない。女人

を性欲の対象となるのを忌むのであれば、一切の男子もまた忌むべきではあるまいか。煩悩の因縁となることは、男も対象となるし、女も対象となるのである。男でも女でもない者も対象となるし、夢幻空花も対象となるのである。或いは水に映る影を対象として不浄を行じたこともあり、或いは空の大陽を対象として不浄を行じたこともある。天神女も対象となり、鬼神女も対象となるのである。その対象は数え切れないものである。八万四千の対象があ ると言われている、これらを全て捨てるべきであろうか、見ないでおるべきであろうか。

四分律』に言っている、「男の二所 (大便道・小便道)と女の三所 (大便道・小便道・口)を犯す者は、同じく波羅夷罪であり教団より追放する」。

そうであるから、性欲の対象になるから嫌うというのであれば、 一切の男子と女人とは、互い に共に嫌って、 絶対に得度の時は来ることはない。この道理を、細かに点検する必要

がある。

(十六) 又、外道モ妻ナキアリ。妻ナシトイへドモ、仏法ニ入ラザレバ邪見ノ外道ナリ。仏弟子モ、在家ノ二衆ハ夫婦アリ。夫婦アレドモ、仏弟子ナレバ、人中天上ニモ、カタヲヒトシクスル余類ナシ。

〔訳〕また、外道にも妻のいない者もいる。妻がいないからといって、仏法に入らなければ邪見の外道である。仏弟子も、在家の二衆(優婆塞・優婆夷)は夫婦の者もいる 夫婦であっても、仏弟子であるから、人間界の中でも天上界でも、比べられる他の仲間はいないのである。

 

(十七)又、唐国ニモ、思癡僧アリテ、願志ヲ立スルニ云ク、「生々世々ナガク女人ヲミルコトナカラン(19)」。コノ願、ナニノ法ニカヨル。世法ニヨルカ、仏法ニヨルカ、外道ノ法ニヨルカ、天魔ノ法ニヨルカ。女人ナニノトガカアル、男子ナニノ徳力アル。悪人ハ男子モ悪人ナルアリ、善人ハ女人モ善人ナルアリ。聞法ヲネガヒ出離ヲモトムルコト、カナラズ男子女人ニョラズ。モシ未断惑ノトキハ、男子女人オナジク未断惑ナリ。断惑証理ノトキハ、 男子女人、簡別サラニアラズ。又ナガク女人ヲミジト願セバ、衆生無辺誓願度ノトキモ、女人ヲバスツべキカ。捨テバ菩薩ニアラズ、仏慈悲ト云ハンヤ。タヾコレ声聞ノ酒ニヱフコトフカキニヨリテ、酔狂ノ言語ナリ。人天コレヲマコトト信ズベカラズ。

又、ムカシ犯罪アリシトテキラハバ、一切菩薩ヲモキラフべシ。モシノチニ犯罪アリヌべシトテキラハバ、一切発心ノ菩薩ヲモキラフべシ。如此キラハバ、一切ミナステン。ナニニョリテカ仏法現成セン。如是ノコトバハ、仏法ヲ知ラザル癡人ノ狂言ナリ。カナシムべシ、モシナンヂガ願ノ如クニアラバ、釈尊オヨビ在世ノ諸菩薩、ミナ犯罪在リケルカ、又ナンヂョリモ菩提心モアサカリケルカ。シヅカニ観察スべシ、附法蔵ノ祖師オヨビ仏在世ノ菩薩コノ願ナクバ、仏法ニナラフベキ処ヤアルト参学スベキナリ。モシ汝ヂガ願ノゴトクニアラバ、女人ヲ済度セザルノミニアラズ、得法ノ女人世ニイデテ、人天ノタメニ説法セントキモ、来リテキクベカラザルカ。モシ来リテキカズハ、菩薩ニアラズ、スナハチ外道ナリ。

 

〔訳〕また、中国にも、愚かな僧がいて、願を立てて言っている、「生々世々永く女人を見ないでおこう」と。この願は、いかなる法によるのであろうか 世法によるのか、仏法によ

るのか、外道の法によるのか、天魔の法によるのか。女人にどんなあやまちがあるというのか、男子にどんな徳があるというのか 悪人は男子でも悪人である者もいる、善人は女人でも善人である者もいる。聞法を願い迷いからの出離を求むることは、必ず男子とか女人とかによるのではない。もし未だ煩悩を断たない時は、男子も女人も同じく未だ煩悩を断っていないのである。煩悩を断ち真理を証る時は、男子も女人も、選び区別することは絶対にないのである。また永く女人を見ないでおこうと願うならば、衆生は数限りない、それらを誓願をもって渡す時も、女人は捨てるべきであろうか 捨てれば菩薩でなくなってしまうし、仏の慈悲と言えようか。ただ自分のみ救われることを願う声聞が酒に深く酔っぱらった為に、定軌を逸した言語である。人間界も天上界もこの言葉を本当のことと信じてはならない。

また、昔に淫戒を犯したからといって嫌えば、一切の菩薩をも嫌わねばならない もし後に淫戒を犯すであろうといって嫌えば、一切の菩提心を発す菩薩をも嫌わねばならない。

このように嫌うならば、一切を見捨てることになろう。ならばどうして仏法が現成しよう。このような言葉は、仏法を知らない愚か人の定軌を逸した言葉である。悲しむべきことで

ある、もしお前(=澄観) の願のようであれば、釈尊及び在世の諸菩薩は、全て淫戒を犯していることになるのか、またお前よりも菩提心は浅いのものであったのか。しずかに観察するがよい、附法蔵の祖師及び仏在世の菩薩のこの願がなかったならば、仏法に習熟すべきところがあるのかと参学しなければならない もしお前の願のごとくしたならば、女人を済度しないだけではなく、得法の女人が世に出て、人天の為に説法しようとした時も、尋ねて聞いてはならぬというのか。もし尋ねて聞かなかったならば、菩薩ではないし、 それは外道なのである。              

 

(十八)今大宋国ヲミルニ、久修練行ニ似タル僧侶ノ、イタヅラニ海沙ヲカゾへテ、生死海ニ流浪セルアリ。女人ニテアルトモ、参尋知識シ、辧道功夫シテ、人天ノ導師ニテアルアリ。餅ヲウラズ、餅ヲステシ老婆(20)等アリ。アハレムべシ、男児ノ比丘僧ニテアレドモ、 イタヅラニ教海ノイサゴヲカゾへテ、仏法ハユメニモイマダミザルコト。

 

〔訳〕今、大宋国をみると、永く修行を重ねてきたような僧侶が、むなしく海の沙ほどの文字を数えて学問して、生死の海に流浪している者がいる。女人であっても、善知識を訪ねて、仏道修行して、人天の導師でいる者がいる 餅を売らず、餅を捨ててしまった老婆等がいる。哀れまねばならない、男の比丘僧であっても、むなしく教の海の沙を数えて、仏法は夢にも未だ見ていなかったことを。

 

(十九) オヨソ境ヲミテハ、アキラムルコトヲナラフべシ。オヂテニグルトノミナラフハ、小乗声聞ノ教行ナリ。東ヲステテ西ニカクレントスレバ、西ニモ境界ナキニアラズ。タト

へニゲヌルトオモフトアキラメザルニモ、遠ニテモ境ナリ、近ニテモ境ナリ。ナホコレ解脱ノ分ニアラズ。遠縁ハイヨイヨ深カルべシ。

 

〔訳〕およそ、対象を見ては、その正体を明らめることを学ばねばならない。恐れて逃げようとのみ身につけるのは、小乗声聞の生き方である。東を捨てて西に隠れようとするならば、西にも対象はないわけでもない。たとい逃げおおせたと思って、その真実を明らかにしないでいても、遠くであっても対象であり、近くであっても対象なのである。なおこれは解脱の境界ではない。遠くの対象はますます深いにちがいない。

 

(二十) 又、日本国ニヒトツノワラヒゴトアリ。イハュル或ハ結界ノ地ト称ジ、アルイハ大乗ノ道場ト称ジテ、比丘尼・女人等ヲ来入セシメズ。邪風ヒサシクツタハレテ、人ワキマ

フルコトナシ。稽古ノ人アラタメズ、博達ノ士モカンガフルコトナシ。或ハ権者(21)ノ所為ト称ジ、アルイハ古先ノ遺風ト号シテ、更ニ論ズルコトナキ、笑ハバ人ノ腸モ断ジヌべシ。権者トハナニ者ゾ。賢人カ聖人カ、神カ鬼カ、十聖カ三賢カ、等覚カ妙覚カ。又、フルキヲアラタメザルべクハ、生死流転ヲバスツベカラザルカ。

 況ヤ大師釈尊、コレ無上正等覚ナリ。アキラムベキハ、コトゴトクアキラム。オコナフベキハ、コトゴトクコレヲオコナフ。解脱スベキハミナ解脱セリ。イマノタレカ、ホトリニモオヨバン。シカアルニ、在世ノ仏会ニ、ミナ比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷等ノ四衆アリ。八部アリ、三十七部アリ、八万四千部アリ。ミナコレ仏界ヲ結セルコト、アラタナル仏会ナリ。イヅレノ会カ比丘尼ナキ、女人ナキ、男子ナキ、八部ナキ。如来在世ノ仏会ヨリモスグレテ清浄ナラン結界ヲバ、ワレラネガフベキニアラズ、天魔界ナルガユヱニ。仏会ノ法儀ハ、自界他方、三世千仏、コトナルコトナシ。コトナル法アランハ、仏会ニアラズト知ルベシ。

 

〔訳〕また、日本国にひとつの笑うべきことがある。いわゆる或は結界(けっかい)(宗教上の制限された禁止区域) の地と称し、或いは大乗の道場と称して、比丘尼・女人等を入れさせない。この邪風は久しい間、伝えられて、人はそのことを分別することをしない。古を考える人も改めようとしないし、博識の士も考えようともしない。或は権者(空海) のしたことと称し、或いは古人の遺こされた習慣だといって、絶対に論ずることがないのは、腹わたがよじれる程に笑うべきことである。権者は一体、何者を言うのだ。賢人か、それとも聖人か、神か、それとも鬼か、十聖か、それとも三賢か、等覚か、それとも妙覚か。また、古人の考えを改めないというのであれば、生死流転していることを捨てることはできないとでもいうのか。

 まして況んや大師釈尊は、無上正等覚者である。明らむべきことは、すべて明らめておられる 行ずべきことは、すべて行じられておられる。解脱すべきことは、すべて解脱しておられる 現在の誰が、その周辺に及べようか。それなのに、在世の仏の集会に、必ず比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷等の四衆がおり、八部衆(天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦樓羅・緊那羅・摩喉羅伽)がおり、三十七部(五仏・四波羅蜜菩薩・ 十六大菩薩・八供養菩薩・四摂菩薩) の諸尊がおり、八万四千部の諸尊がおる。これらはみな仏の世界として区切られた、新しい仏の集会である。どの集会に比丘尼がいない、女人がいない、男子がいない、八部がいないことがあろうか。如来の在世の仏の集会よりも優れて清浄である結界を、われわれは願うべきではない、それらは天魔の世界であるからだ。仏の集会のしきたりは、この世界とか他の世界とか、三世の千仏において、異なることはない。異なる法がある場合は、仏の集会ではないと知るべきである。

 

(二十一)イハユル四果ハ極位ナリ。大乗ニテモ小乗ニテモ、極位ノ功徳ハ差別セズ。然アルニ、比丘尼ノ四果ヲ証スルオホシ。三界ノウチニモ十方ノ仏土ニモ、イヅレノ界ニカイタ

ラザラン。タレカコノ行履ヲフサグコトアラン。

又、妙覚ハ無上位ナリ。 女人スデニ作仏ス、諸法イヅレノモノカ究尽セラレザラン。タレカコレヲフサギテ、イタラシメザラント擬セン。スデニ「遍照於十方(22)」ノ功徳アリ、界畔イカヾセン。

又、天女ヲモフサギテイタラシメザルカ、神女ヲモフサギテイタラシメザルカ。天女・神女モイマダ断惑ノ類ニアラズ、ナホコレ流転ノ衆生ナリ。犯罪アルトキハアリ、ナキトキハ

ナシ。人女・畜女モ、罪アルトキハアリ、罪ナキトキハナシ。天ノミチ、神ノミチ フサガン人ハタレゾ。スデニ三世ノ仏会ニ参詣ス、仏所ニ参学ス。仏所・仏会ニコトナラン、タレカ仏法ト信受セン。タヾコレ誑惑世間人ノ至愚也。野干ノ、窟穴ヲ人ニウバゝレザラントヲシムヨリモオロカナリ。

 

 「訳〕いうところの四果(阿羅漢果)は究極の位である。大乗であっても小乗であっても、究極の位の功徳(善業を積み重ねて得られた力) は差別はしない。それなのに、比丘尼

四果を証した例は多い。三界の中でも十方の仏土でも、どの界に四果に至らないことがあろうか。誰がこの行為を妨げることがあろうか。

また、妙覚は無上の位である。女人で作仏している以上は、諸法のいずれに究め尽さないことがあろうか  誰がこのことを妨害して、 到達させないようにしようか。「遍く十方を照

らす」 という功徳があるからには、 世界の限りは何になろうか。

また、天女をも妨害して到達させないようにしようというのか、神女をも妨害して到達させないようにしようというのか。天女・神女も未だ煩悩を断じた類ではない、なお流転の衆生である。罪を犯す時があり、犯さない時は犯さない。人間の女・畜生の女も、罪がある時があり、罪がない時は罪はない。天の道、神の道を、妨害する人は誰であろうか。三世の仏の集会に参詣し、仏の所で参学しているからには、仏の所・仏の集会に異なろうか、誰が仏法を信受しないことがあろうか。ただ世間の人を誑惑(きょうわく)する最も愚かなことである。野狐が窟穴を人に奪われては困ると思うよりも愚かなことである。

 

(二十二) 又、仏弟子ノ位ハ、菩薩ニモアレ、タトヒ声聞ニモアレ、第一比丘、第二比丘尼、 第三優婆塞、第四優婆夷、カクノゴトシ。コノ位、天上人間トモニシレリ。ヒサシクキコエタリ。シカアルヲ、仏弟子第二ノ位ハ、転輪聖王ヨリモスグレ、釈提桓因ヨリモスグルベシ、 イタラザル処アルべカラズ。イハンヤ小国辺土ノ国王・大臣ノ位ニナラブベキニアラズ。イマ比丘尼イルべカラズト云道場ラミルニ、田夫・野人・農夫・樵翁ミダレ入ル。況ヤ国王・大臣・百官・宰相、タレカ入ラザルアラン。田夫等ト比丘尼ト、学道ヲ論ジ、得位ヲ論ゼンニ、勝劣ツヒニイカン。タトヒ世法ニテ論ズトモ、タトヒ仏法ニテ論ズトモ、比丘尼ノイタラン処へ、田夫・野人アへテイタルべカラズ。錯乱ノハナハダシキ、小国ハジメテコノアトヲノコス。アハレムベシ、三界慈父ノ長子、小国ニキタリテ、フサギテイタラシメザル処アリ。

 

〔訳〕また、仏弟子の位は、菩薩であろうとも、声聞であろうとも、第一は比丘、第二は比丘尼、第三は優婆塞、第四は優婆夷と、決まっている。この位は、天上界も人間界も知っていることである。長い間、伝えられてきている。そうであるから、仏弟子の第二の比丘尼の位は、転輪聖王よりも優れ、釈提桓因 (帝釈天) よりも優れているにちがいない、そのことが及ばない処はあってはならない。ましてやこの小国辺土の日本の国王・大臣の位と同じはずはない。現在、比丘尼が入ってはならないという道場を見てみると、田夫・野人・農夫・樵夫(きこり)が互いにまじって入っている。ましてや国王・大臣・百官・宰相の誰が入らない者があろうか。田夫等と比丘尼と、仏教学について論じ、仏道の境界を論じた場合に、勝劣は結局どうであろうか。たとい世法において論じたとしても、たとい仏法において論じたとしても、比丘尼が行こうとする処へ、田夫・野人は絶対に行くことができるはずがない。混乱の甚だしいのは、小国の日本で始めてその事例を残していることである。あわれむべきことである、欲界・色界・無色界の三界の慈父である釈尊の長子 (比丘尼) が、小国に来た場合に、拒絶されて行ってはいけない 処があるとは。

 

(二十三) 又、カノ結界ト称ズル処ニスメルヤカラ、十悪オソル、コトナシ、十重ツブサニヲカス。タヾ造罪界トシテ不造罪人ヲキラフカ。況ヤ逆罪ヲオモキコトトス。結界ノ地ニスメルモノ、逆罪モツクリヌベシ。カクノゴトクノ魔界ハ、マサニヤブルベシ。仏化ヲ学スベシ、仏界ニイルベシ。マサニ仏恩ヲ報ズルニテアラン。如是ノ古先、ナンヂ結界ノ旨趣ヲシレリヤイナヤ。タレヨリカ相承セリシ、タレガ印ヲカカウブレル。

 

 〔訳〕また、先にいう結界と称する処に住まいする連中は、十悪 (殺生・偸盗・邪婬・妄語・綺語・悪口・ 両舌・貪欲・瞋恚・邪見) を恐れることはなく、十重 (不殺生 ・不偸盗・

不邪淫・不妄語・不酤酒・不説過・不自讃毀他・不慳法財・不瞋恚・不謗三宝) をみな犯している。ただ罪を犯す結界として罪を犯さない人を除き去るというのであろうか。まして

五逆罪 (殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧) を重きこととするにおいてをや。結界の地に住する者は、その五逆罪をも犯したことになる。このような結界という魔界は、正しく破棄すべきである。仏の教えを学ぶべきであり、仏の世界に入るべきである。それが正しく仏の恩を報ずることになろう。このような昔の先人よ、お前は結界の根本の教えを

知っているのか 誰から相承してきたのか、誰の印可証明を受けたのか。

 

(二十四) イハユルコノ諸仏所結ノ大界ニイルモノハ、諸仏モ衆生モ、大地モ虚空モ、繋縛ヲ解脱シ、諸仏ノ妙法ニ帰源スルナリ。シカアレバ即チ、コノ界ヲヒトタビフム衆生、シカシナガラ仏功徳ヲカウブルナリ。不違越ノ功徳アリ、得清浄ノ功徳アリ。一方ヲ結スルトキ、 スナハチ法界ミナ結セラレ、一重ヲ結スルトキ、法界ミナ結セラルナリ。アルイハ水ヲ以テ結スル界アリ、或ハ心ヲ以テ結界スルコトアリ、或ハ空ヲ以テ結界スルコトアリ。カナラズ相承相伝アリテ知ルベキコト在リ。

況ヤ結界ノトキ、灑甘露ノ後チ、帰命ノ礼ヲハリ、乃至浄界等ノ後チ、頌ニ云、「茲界遍法界、無為結清浄」。

コノ旨趣、イマヒゴロ結界ト称ズル古先老人知レリヤイナヤ。オモフニ、ナンダチ、結ノナカニ遍法界ノ結セラルコト、シルべカラザルナリ。シリヌ、 ナンヂ声聞ノサケニヱウテ、 小界ヲ大事トオモフナリ。願クハヒゴロノ迷酔スミヤカニサメテ、諸仏ノ大界ノ遍界ニ違越スベカラザル、済度摂受ニ一切衆生ミナ化ヲカウブラン、功徳ヲ礼拝恭敬スベシ。タレカコレヲ得道髄トイハザラン。

正法眼蔵礼拝得髄

仁治元年庚子冬節前日、 書于興聖寺

 

〔訳〕いうところの諸仏が結ばれし大界に入る者は、諸仏も衆生も、大地も虚空も、煩悩・妄想の束縛から解放され、諸仏の絶妙の教えの根源に帰るのである。だからこそ、この結

界を一度踏む衆生は、ことごとく仏の功徳を受けるのである。仏法に違(そむ)き、越えることのない功徳もあり、清浄を得る功徳もあるのである。一箇所を結界する時、そのまま法界は全て結界せられることとなり、内外中間の三重の一重を結界する時、法界は全て結界せられることとなる。或いは甘露水を灑いで結界する結界があり、或いは心で結界することがあり、或いは空で結界することがある。必ず相承し相伝して知らねばならないことがあるのである。

ましていわんや結界の時、甘露の水を灑いで後に、三宝に帰命する礼拝を終え、更に結界の地を浄めるなどして後に、頌に唱えていう、「この結界は法界に遍く行きわたり、無為のさとりが清浄に結ばれる」と。 

この言わんとする根本の意味を、現在、日頃、結界と称している古老は知っているか。考えてみるに、お前は、結界の中に遍く法界が結ばれていることを、知るはずがない。次の

ことがはっきりしたぞ、お前は声聞の酒に酔い、小界を大事と思っていることが。願うところは、日頃の迷酔から早く醒めて、諸仏の大界の遍界に背かず、越えることがないようにして欲しい。一切衆生を全て救済し仏の世界に収められるという教え導きを身に受け、その功徳を礼拝恭敬しなければならない。誰がこれを仏道の髄を得ると言わないことがあろうか。

正法眼蔵礼拝得髄

仁治元年庚子(一一一四〇) の冬至の前日(閏十月三十日)

興聖寺にて書す

 

                 三  おわりに

〈教家道、是法不可示、言辞相寂滅。如何是言辞相、何是寂滅。便曰、是法則言辞相也、寂滅相也。向上説話、頂門開眼得真覿矣。昔阿難尊者、参迦葉尊者便問、師兄伝如来金襴法衣外、更伝箇什麼。迦葉云、阿難。阿難応諾。迦葉云、倒却門前剎竽著。聞此阿難便大悟。這一段公案、好手也、閑悟也。究竟如何是法、如何不可示。乃言辞相寂滅故不可示爾。如何是不可示家裏活計。謂、庭前柏樹、山頂片雲、随風従節、不可窮之法門也。釈迦老子達磨大師、連袂共行脚跟下事。已降王宮、卒来東土、単伝直指道理、便是法也。可示、不可示、俱皆是法。著眼著手、転頭退歩、擬前翻身、非不是法矣。了然道者、夙有般若種子、切志仏祖大道。雖是女流、則大丈夫之志気也。不惜養道之費、為示西来的示。謂、夫赤肉団上莫留一句半偈・片言少語、清冷冷地得一分相応也。若留 言半句、仏祖言辞・宗門公案者、便悪毒也。欲会山僧行履、勿記這箇説話。切忌領念。〉 (春秋社本四ー一四六~八頁)

 

この法語は、文中より了然道者が尼僧であることは明確であり、しかも、その力量は高く道元によって評価されていたことが判明する。

次の「法語」十二は、道元が同じ了然道者に与えた法語であり、可睡齋に真筆が現存し、寛喜三年 (一二三一) 七月に示したものであることが明確である。可睡齋本によって見て

みよう。

諸仏の大道は、深妙不可思議なり。修行の者、豈に能く容易ならんや。見ずや、古人の妙則は、身心を捨て、国城を棄つ。余の外の妻子、之れを覩ること瓦礫の如くに相い似たり。然後(のち)に年を経(へ)、歳を歴ること三二十年、及び劫波に亙(わた)り、孤独にして山林に棲み、身心は枯木の如くに去りて、方始(はじめ)て道と相応することを得たり。些子なりとも既に道と合することを得ば、善能く山海を拈じて言語と為し、及び風雨を拈じて舌脣と為し、大虚を説破して無等輪を転ず。何(いず)れの象(かたち)か転ずること能わざらん、何れの法か未だ転ずべからざらん。道に志す者は、這箇の風彩に遵うべし。昔日(そのかみ)、僧有りて法眼禅師に問うて日く、「如何ならんか是れ古仏」。法眼日く、「即今も也た嫌疑無し」。僧又た問う、「十二時中如何が行履せん」法眼日く、「歩歩跼著せよ」。他亦た道えること有り、「夫れ出家人は、但だ時及び節に随うべし。便ち寒を得ては即ち寒く、熱ならば即ち熱し。仏性の義を知らんと欲せば、当に時節因縁を観ずべし。但だ分を守りて時に随いて過ぎれば好し」。備(つぶさ)に他意を観るべし。如何ならんか是れ時及び節に随う、如何ならんか是れ分を守る知るべし、色上に於て非色の解を作すこと莫かれ、亦た色の解を作さざれ、亦た両頭に走らざれ。如今、嫌疑を忘るれば、他の古仏と同じく住し同じく行ぜん。然りと雖も、争(いずく)んぞ猶お面鏡相い対するごとくならん。所以に釈迦老師道く、「沙門、聚落に入らんには、 猶お蜂の花を採るに、但だ其の味のみを取り去りて、色と香とを懐せざるがごとくすべし」。衲子賢士、何ぞ 這の訓(おしえ)に順(したが)わざらん。十二時中、諸の万縁に対して、但だ其の味のみを取りて、色香を懐すること莫かれ。如何ならんか是れ色香を懐さざる底の道理。に向かって道うべし、他の万縁の印を稟けて、他の万法に証せらる、須く悉く是れ色香を懐せざる時節なるべし。這れを離れて若為(いかん)が有らん。山僧、事已むを得ず、了然道者が志道の切なることを顧眄(こめん)す、余輩未だ斉肩すべからず。是を以て這の毫(ふで)を仏祖の道に彩(いろど)る、何ぞ必ずしも他の色香を懐せん。幸卯(一二三一) 孟秋 (七月)、安養院に住する道元示す。〈諸仏大道、深妙不可思議矣。修行之者、豈能容易也。不見古人妙則、捨身心、棄国城。余外妻子、覩之如瓦礫相似。然後経年歴歳三二十年、及亙劫波、孤独棲于山林、身心如枯木去、方始得与道相応。些子既得与道合、善能拈山海為言語、及拈風雨為舌脣、説破大虚転無等輪。何象不能転、 何法未可転。志道者、可遵這箇風彩矣。昔日有僧問法眼神師日、如何是古仏。法眼日、即今也無嫌疑。僧又問、十二時中如何行履。法眼日、歩歩跼著。他亦有道、夫出家人、但随時及節。便得寒即寒、熱即熱。欲知仏性義、当観時節因縁。但守分随時過好。備観他意。如何是随時及節、如何是守分。可知於色上莫作非色解、亦不作色解、亦不走両頭。如今忘嫌疑、与他古仏同住同行。雖然争猶面鏡相対所以釈迦老師道、沙門入聚落、猶如蜂採花、但取其味去、不壊色与香。衲子賢士、何不順這訓。十二時中対諸万縁、但取其味、莫壊色香。如何是不壊色香底道理。向作道、稟他万縁印、被他万法証、須悉是不壊色香之時節也。離這若為有。山僧事不得己、顧眄了然道者志道之切、余輩未可斉肩。是以彩這毫于仏祖之道、何必壊他色香。辛卯孟秋、住安養院、道元示。〉 (『墨美』二一九号、 墨美社、 一九七二年三月。参考、春秋社本四ー一六四ー六頁)

これら二つの「法語」の前後関係は正確に言うと判らないが、恐らく時をあまり隔てることなく、成立したものと想像される。 二つ目の「法語」に限定しても、寛喜三年 (一二三

一)七月のものであるから、 『礼拜得髄』 の巻より先に撰述されたものである。このことを前提とすれば、 『礼拜得髄』は具体的に了然道者を念頭において示衆されたとい ってよかろう。それ故に、『礼拜得髄』 における男女平等という説示内容は、決して一般論ではなく、門下の尼僧に対して、道元がそのように対処していたことを意味しよう。また、同時に

了然道者という尼僧はよほど優れた修行者に違いないと考えられるの である。この意味するところは重要な視点と考えてよかろう。

ところで、『永平広録』巻八の「法語」九には「然公」の名があり、古註では「了然」とする説も存在する。「了然道者」 でないので、 同 一人物とは決することはできないが、この「法語」も参考に取りあげておこう。

鉄牛も也た駕する所なり、索鞭(さくべん)を把(と)って水上に馳すべし。木人も也た使う所なり、靴帽を著けて火中に遊ぶべし。這の漢を看ると雖も、斉(ひと)しからんと思わしむること莫かれ。乃ち一半、活流を得るなり。其の活流の為体(ていたらく)は、先蹤、今ま在り。昔日、大梅常褝師、馬祖に参じて問う、「如何ならんか是れ仏」。祖云く、「即心即仏」。便ち梅山の絶頂に入りて已に三十年なり。後に塩官の会下に一僧有り、 拄杖を採らんと要し、路を錯って師の庵に到る師に問うて日く、「和尚、此の山に住して多少の時ぞ」。師云く、「只だ春秋の草木の青黄を看るのみ、月年を計えず」。僧云く、 「路、甚れに向かって去くや」。師云く、「流れに随って去け」。其の僧帰りて塩官に語る。官云く、「曾て一僧の祖席に在るを見るも、消息を知らず、想(おも)うに其の僧か」。後に祖、僧をして師に問わしむ、「和尚は馬大師に見えて、何の証契か有りて便ち此の山に住するや」。師云く、「馬祖、我れに向かって道うに、只だ即心即仏と言うのみ」。僧云く、「近日の仏法又た別なり」。師云く、「如何が別なる」。僧云く、「又た道うに、非心非仏、と」。師云く、「任他(たと)い非心非仏なるも、我れは只管だ即心即仏なるのみ」。其の僧廻りて馬祖に語る。祖云く、「梅子熟せり」。後来の学道の人、須く常師の箴規を慣(なら)らうべきか 縦い非心非仏を証する者有りとも、即心即仏を会する人を得ること難し。然公、之れを悉かにせよ。

〈鉄牛也所駕也、把索鞭兮可馳水上。木人也所使也、著靴帽兮可遊火中 雖看這漢、莫令思斉。乃一半得活流也。其活流為体、先蹤今在。昔日大梅常神師、参馬祖問、如何是仏。祖云、即心即仏。便入梅山絶頂已三十年。後塩官会下有一僧、要採柱杖、錯路到師庵。問師日、和尚住此山多少時耶。師云、只看春秋草木青黄、不計月年。僧云、路向甚去。師云、随流去。其僧帰語塩官。官云、曾見一僧在祖席、不知消息、想其僧矣。後祖令僧問師、和尚見馬大師、有何証契便住此山。師云、馬祖向我道、只言即心即仏。僧云、近日仏法又別。師云、如何別。僧、又道、非心非仏。師云、任他非心非仏、我只管即心即仏。其僧廻語馬祖。祖云、梅子熟也。後来学道人、須慣常師之箴規歟。縦有証非心非仏之者、難得会即心即仏之人。然公悉之。〉 (同ー一五八頁)

 

 

『現成公案』には 「これは天福元年 (一二三三年)中秋のころ、かきて鎮西の俗弟子楊光秀にあたふ」 (同一ー六一頁)の奧書があり、元来、漢文の法語であった可能性が指摘されているが、先に紹介した「法語」から、『礼拜得髄』への示衆になったとは言えないが、了然道者のような実際に力量ある尼僧を道元が接していたから、『礼拜得髄』の巻の説示が生まれたということは言えるであろう。更に、道元の入宋経験がより比丘尼を高く評価する結果になったのではないかと想像する。道元の嫌悪する宋代の神者に大慧宗杲がいるが、彼の著述の中で女人の占める位置は非常に高い。道元は大慧を宗風として認めないのであるが、彼の著述からの影響は極めて大きいものがある。道元は是々非々の立場において、女人を認めた大慧に対しては、認めていたと思われ、『礼拜得髄』の巻に取り入れられたのでは無いかと推測している。

 

 

最後に『礼拜得髄』の巻で最も問題となるのは、長文本が短文本に削られた理由である。

水野弥穂子氏は次のようにいう

恐らく、七十五巻の正法眼藏が整理された時、削られたものであろう。

河村孝道氏も春秋社本で長文本を草案本と呼び、同じ説を述べ、これらが一般に指示された説といえそうである。

筆者はそれらの説が認められるとすると、長文本の魅力までもが整理の間に削除されたと考えざるをえない。それは道元の気力や体力の衰退に基づくものと言えるのか。整理が他

宗や当時の仏教界への配慮であったとすると、特に二十段以降の女人結界批判が削除されたことなど、極めて残念な経過であっ たと言わざるをえない。この巻だけでも長文本の復活を望むものである。不幸中の幸いは本山版が長文本を採録したことである。 

 

 

(1)女人と男子に区別: Ⅱ仏教と女性を問題にした著として、田上太秀『仏教と女性ーインド仏典が語る』 (東京書籍、二〇〇四年) がある。なお、この原稿の基になるものは、二〇〇五年十一月十八日に曹洞宗秋田県宗務所・褝センター主催の講座 『祖録に親しむー二十八巻 『正法眼蔵』」によるもので、講本に水野弥穂子氏の岩波文庫本を使用したので、以下の註は同意したすべてのものを掲載してはいないので、補注を含めて参照されたい。

(2) 男女の相にあらず、大丈夫なるべし=後に紹介する『永平広録』巻八の「法語」にも、「了然道者、夙有般若種子、切志仏祖大道。雖是女流、則大丈夫之志気也」 (春秋社本四ー一四八頁)とあるのが参考になろう。

(3)恁麼人なるべし=『恁麼』に「雲居山弘覚大師は、洞山の嫡嗣なり。釈迦牟尼仏より三十九世の法孫なり、洞山宗の嫡祖なり。一日示衆云、「欲得恁麼事、須是恁麼人。既是恁麼人、何愁恁麼事」。いはゆるは、「恁麼事をえんとおもふは、すべからくこれ恁麼人なるべし。すでにこれ恁麼人なり、 なんぞ恁麼事をうれへん」。この宗旨は、直趣無上菩提、しばらくこれを恁麼といふ」 (岩波文庫本一ー四〇二頁) とある。

(4)野狐精にして善知識ならん=後の灌渓志閑と末山尼了然との問答を踏まえる。元来は狐つきの悪い意味であるが、ここでは意味が高められている。『眼睛』に「先師古仏上堂、讃歎如来成道云、六年落草野狐精、跳出渾身是葛藤。打失眼睛無処覓、誑人剛道悟明星」 (同三ー二五七~八頁) とあるのが参考になろう。

(5) 導利なるべし=『礼拜得髄』の巻が説示された観音導利院興聖宝林寺の縁語による。 『建撕記』 (瑞長本) に「天福元年〈癸巳〉夏安居ヨリ宇治ニ御住居ト見ヱタリ。正法眼蔵第二巻(摩訶般若波羅蜜) ノ奧書云、「天福元年之夏安居、在観音道利院示衆」ト云々。此寺ヲバ観音導利院興聖宝林寺トモ号スルナリ。此寺ノ法堂ヲバ正覚禅尼御建立アリ、同法座ハ弘誓院殿 (九条教家)之御造作也。此境地ハ、本深草ノ里、極楽寺之旧跡也。極楽寺ハ、昔シ昭宣公 (藤原基経) 御草創ノ所也。」 (河村本三四頁) とある。

(6)不味因果なり=『深信因果』の中心主張は「不味因果」はあきらかにこれ深信因果なり、 これによりて聞くもの悪趣を脱す。あやしむべきにあらず、疑ふべきにあらず。近代参禅学道と称ずるともがら、おほく因果を撥無せり」 (同四ー二八八頁) とあるところによくあらわれている。

(7)我渠なるべし=有名な洞山良价の悟道の偈といわれる『景徳伝燈録』巻一五の「過水の偈」の一切忌従他覓、迢迢与我疎。我今独自往、処処得逢渠。渠今正是我、 我今不是渠。応須恁麼会、方得契如如」 (禅文化本二九七頁)に基づく。

『永平広録』巻九「頌古五〇則にも、

洞山示衆云、体得仏向上事、方有些子語話分。僧便問、如何是語話。山云、語話時闍梨不聞。僧云、和尚還聞不。山云、待我不語話時即聞。

見語知人須似面、三端直是舌鋒書、道成羽翼自生体、逢我以来深敬渠 (同四ー二一四頁)とある。

(8)頭然をはらひ・・=「学道用心集」にも「恐怖時光之太速、所以行道救頭燃。顧眄身命不牢、所以精進慣翹足」 (大久保本二五三頁)とある。

(9)法をおもく・・=男女差別をしない基準において、「法」を重視する視点は重要である。 石井修道「「正法眼蔵行持』に学ぶ (三十四)」(「傘松」二〇〇四年十月号)参照。

(10)野干なりとも・・=五段にもその説がある。十一一巻『正法眼蔵」の『帰依仏法僧宝』 に出づ。道元の引用は「摩訶止観輔行伝弘決』巻四之二 (大正巻四六ー二五九c) による。石井修道 「「帰依仏法僧宝』考」 (『駒澤大学仏教学部論集』第三三号、二〇〇二年) 参照。参考に現代語訳でその一端を紹介しておこう

「未曾有経』に言う。仏は言われた、「過去無数劫を思い返す時、毘摩 (Vimalå) 大国の徙陀(しだ)山の中に、一匹の野狐がいた。師子に追いかけられて、食われそうになった。走り逃げる内に井戸に堕ち、出ることができなくなった。三日経ってから、心が開かれ死を覚悟して、偈を説いて言った、「なんと不幸なことか。今日苦に襲われ、おだやかに丘の井戸で死を迎える結果となった。一切万物は皆な無常である。体を師子の餌食にしなかったことが残念だ。十方仏に南無帰依し、我が心を浄めて己を空しくすることを知らしめよう」。時に帝釈天が仏の名を聞いて、心を引き締め身の毛を豎てて、古仏を思い浮かべた。自ら思う、「孤りぼっちで導師無く、五つの感覚器官を満足することに耽って自ら沈没す」、と。そこで八万衆の神々と共に、飛び下りて井戸まで訪ねて問いただそう。そこには、野狐が井戸の底にいて、両手で土をつかんで這い登ろうとするが、出ることのできないのを見た。帝釈天は復び自ら思い浮かべて言った、「聖人は助ける手だてが尽きたと思わねばならない。わたしは、今ま野狐の姿を見るとはいっても、きっと菩薩は平凡な器ではない。あなたさまが先に言った言葉は平凡ではない。願くは神々の為に法要を説かれんことを」。その時、野狐は仰いで答えた、「あなたは帝釈天として礼儀がわかってはいない法師は下に在られるのに自らは上にふんぞり返る。全く敬わないで法要を問う。法の水は清浄にして人を救うことができる。どうして自ら高飛車を望もうか」。帝釈天はこの言葉を聞いて大いに慚隗した。側に任えていた神々はどっと笑って言った 、「帝釈天はわざわざ地上に降りても全く利益無し」。帝釈天はただちに神々に告げた、「慎んでこの思いで驚怖してはならない。これはわたしの力を頑固の覆いがかくしているだけだ。必ずこのことから法要を聞くことになろう」。そこで天の宝衣を垂らして、野狐を井戸から引き上げて抱き抱えた。神々は野狐の為に甘露の食を設営した。野狐は食べることができて活きる力を得た。不幸の中にこの幸福がやってこようとは思いもかけなかった。そこで、心は湧き躍り、無量の慶びを味わった。ここに、野狐は、帝釈天や神々の為に広く法要を説いた。

この話を「帝釈天が畜生を礼拝して師とした因縁」と称している。明かに知った、仏の法の名、僧の名の聞くことの困難なことを。帝釈天が野狐を師としたことは、 その証拠となるであろう。 (同論文七九~八〇頁。岩波文庫本四ー二七八ー二八二頁参照)

(11) 天食をおくり・・=『行持上』に「雲居山弘覚大師、そのかみ三峰庵に住せしとき、 天厨送食す。大師あるとき洞山に参じて、大道を決択して、さらに庵にかへる。天使また食を再送して師を尋見するに、三日を経て師をみることえず。天厨をまつことなし、大道を所宗とす」(同 一ー三一〇頁)とある。石井修道「『正法眼蔵行持』に学ぶ (十一)」 (『傘松』 二〇〇二年十一月号) 参照。なお、この釈迦牟尼仏の語の引用の出典は不明。

(12)若樹若石・・=元来は『涅槃経』巻十四「聖行品」(大正巻一二ー四五一a) と『法華経』巻五「随喜功徳品」 (大正巻九ー四六c) であるが、道元は 『法華玄義』 「法華私記縁起」「涅槃明若樹若石。今経称若田若里。聿遵聖典書而伝之」 (大正巻三三ー六八一a) による。『法華文句記』巻一上 (大正巻三四ー一五一b)も参照。

( 13) 父国をはなれて・・=『法華経』巻四「信解品」(大正巻九ー一六b 以下) の長者窮子の譬喩。

(14) 趙州真際大師・・=『趙州録』に「其後自携瓶錫遍歴諸方。常自謂日、七歳童児勝我者、我即問伊。百歳老翁不及我者、我即教他。年至八十、方住趙州城東観音院。去石橋十里」 (続蔵巻一一八ー一五二左下) とある。『行持上』(同一ー三一二頁以下)に同話を引用。石井修道「『正法眼蔵行持』に学ぶ(十四)」 (『傘松』 二〇〇三年一一月号) 参照。

(15)震旦国の志閑・・=灌渓志閑(?― 八九五)は魏府(河北省)の人。俗姓は史氏。臨済義玄の法嗣。鄂州 (湖北省) 灌渓に住す。『天聖広燈録』巻一四に「鄂州灌谿志閑神師、魏府館陶人。俗姓史氏。弱冠依臨済出家。受具畢。一日臨済見來、遂掫住師云、領也。済便拓開云、且放汝一頓。師離臨済至末山、末山見来便問、近離什麼処。師云、近離路ロ。山云、何不蓋却了来。師無語。師却間云、如何是末山。山云、不露頂。師云、如何是山中人。山云、非男女等相。師云、何不変去。山云、不是野狐精、変箇什麼。師礼拜。師住後、上堂示衆云、我在臨済爺爺処、得半杓。末山嬢嬢処、得半杓。共成一杓喫了、直至如今飽餉餉」 (続蔵巻一三五ー三五六左上下)とあるによる。因みに了然は高安大愚の法嗣で、筋州 (江西省) の末山に住す。

( 16)妙信尼=出典不詳。仰山慧寂(八〇七ー八八三)。諡号は智通大師。韶州の人。俗姓は葉氏。潙山霊祐の法嗣。袁州の仰山で活躍。

(17)龍女成仏=『法華経』巻十二「提婆達多品」の有名な変成男子の説のあるところで、 「時舍利弗語龍女言、汝謂不久得無上道。是事難信。所以者何。女身垢穢非是法器、云何能得無上菩提。仏道懸曠経無量劫、勤苦積行具修諸度、然後乃成。又女人身猶有五障。一者不得作梵天王、二者帝釈、三者魔王、四者転輪聖王、五者仏身。云何女身速得成仏。爾時龍女有一宝珠、価直三千大千世界、持以上仏。仏即受之。龍女謂智積菩薩、尊者舍利弗言、我献宝珠、世尊納受。是事疾不。答言、甚疾。女言、以汝神力観我成仏、復速於此。当時衆会皆見龍女。忽然之間、変成男子、具菩薩行、即往南方無垢世界、坐宝蓮華成等正覚、三十二相八十種好。普為十方一切衆生演説妙法。爾時娑婆世界菩薩声聞天龍八部人与非人、皆遙見彼龍女成仏。普為時会人天説法。心大歓喜悉遙敬礼。無量衆生聞法解悟得不退転。無量衆生得受道記。無垢世界六反震動。娑婆世界三千衆生住不退地 三千衆生菩提心而得受記。智積菩薩及舍利弗、一切衆会黙然信受。 (大正巻九ー三五c)」とある。但し、『礼拜得髄』は変成男子を取りあげないところは注目すべきである。

(18)清明節=この年は三月七日。伊藤秀憲『道元褝研究』 (大蔵出版、 一九九八年) 二〇三頁参照。

(19)生生世世・・=清涼澄観(七三八ー八三九) の十願の一つ。「宋高僧伝』巻五の「三、目不視女人」 (大正巻五〇ー七三七c) による。

( 20)餅ヲウラズ・・=徳山宣鑑 (七八二?ー八六五) の話。『心不可得』に「婆子いはく、「われかつて金剛経をきくにいはく、過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得。いまいづれの心をか、もちひをしていかに点ぜんとかする。和尚もし道得ならんには、もちひをうるべし。和尚もし道不得ならんには、もちひをうるべからず」。徳山ときに茫然として祇対すべきところおぼえざりき。婆子すなはち払袖していでぬ。つひにもちひを徳山にうらず」 (同一ー一九三頁) とある。

(21)権者=仏・菩薩が衆生を救う為に権(かり)に現れた身をいう。水野弥穂子氏は「ここは空海をさす」と脚注に示すので、その説による。筆者は真言宗系の寺院にその伝統が今日まで伝わっていた事実に着目し、妥当な説と考えるが、台密を含めて結界の歴史はまだ十分に学んでいないので、今後、調べてみたい。

(22)遍照於十方=同じ『法華経』の「提婆達多品」の「深達罪福相、遍照於十方。微妙浄法身、具相三十二。以八十種好、 用荘厳法身、天人所戴仰。龍神咸恭敬、一切衆生類、無不宗奉者。又聞成菩提、唯仏当証知。我闡大乗教、度脱苦衆生」 (同ー三五b) の偈に注目がある。

(23 ) 一重=水野弥穂子氏は脚注で、「四分律刪繁補闕行事鈔』巻上二の「結界方法篇」の 「先堅三重標相、最内一重戒場外相自然界内標、中間一重自然界外大界内相標、最外一重大界外相標」 (大正巻四〇ー一六a)を指摘する。

( 24) 茲界遍法界、無為結清浄=出典不明。

(25 ) 了然道者のような・・=『永平広録』巻五の三九一上堂に次

の語がある。

比丘尼懐義、為先妣請上堂。生也無所従来、猶如著袴。然而面目儼然。所以道、万法帰一。死也無所有去、猶如脱袴。然而蹤迹脱落。所以道、一帰何処。正当恁麼時、又且如何良久云、従来生死不相干、罪福皆空無所住。(春秋社本三ー二六二頁)

懐義尼が日本達磨宗の覚晏の法嗣であった以外の詳伝は不明であるが、懐奘と関係が深く、道元門下の尼僧の中では力量あった人と思われる。特に「生也無所従来、猶如著袴」 の語は、『天童如浄禅師語録』(鏡島元隆訳注春秋社本一一一六六頁)からの引用が指摘されているので、より一層その感が強い。

 

 

駒澤大学仏教学部論集』第三十七号(平成十八年十月)からのpdf資料を

ワード化し提供したもので、一部修訂を加えた。(二谷・タイ国にて)