正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵仏祖

正法眼蔵第五十二 仏祖

宗禮。

佛祖の現成は、佛祖を擧拈して奉覲するなり。過現當來のみにあらず、佛向上よりも向上なるべし。まさに佛祖の面目を保任せるを拈じて、禮拝し相見す。佛祖の功徳を現擧せしめて住持しきたり、體證しきたれり。

毘婆尸佛大和尚 此云廣説。尸棄佛大和尚 此云火。毘舎浮佛大和尚 此云一切慈。

拘留孫佛大和尚 此云金仙人。拘那含牟尼佛大和尚 此云金色仙。迦葉佛大和尚 此云飲光。

釋迦牟尼佛大和尚 此云能忍寂黙。

摩訶迦葉大和尚。阿難陀大和尚。商那和修大和尚。優婆毱多大和尚。提多迦大和尚。

彌遮迦大和尚。婆須蜜多大和尚。佛陀難提大和尚。伏駄蜜多大和尚。波栗濕縛大和尚。

富那夜奢大和尚。馬鳴大和尚。迦毘摩羅大和尚。那伽閼剌樹那大和尚 又龍樹、又龍勝、又龍猛。伽那提婆大和尚。羅睺羅多大和尚。僧伽難提大和尚。伽耶舎多大和尚。

鳩摩羅多大和尚。闍夜多大和尚。婆修盤頭大和尚。摩拏羅大和尚。鶴勒那大和尚。

獅子大和尚。婆舎斯多大和尚。不如蜜多大和尚。般若多羅大和尚。

菩提達磨大和尚。慧可大和尚。僧璨大和尚。道信大和尚。弘忍大和尚。

慧能大和尚。行思大和尚。希遷大和尚。惟儼大和尚。曇晟大和尚。良价大和尚。道膺大和尚。

道丕大和尚。觀志大和尚。縁觀大和尚。警玄大和尚。義青大和尚。道楷大和尚。子淳大和尚。

清了大和尚。宗珏大和尚。智鑑大和尚。如淨大和尚〈東地廿三代〉。

道元。大宋國寶慶元年乙酉夏安居時、先師天童古佛大和尚に參侍して、この佛祖を禮拝頂戴することを究盡せり。唯佛與佛なり。

前巻『面授』での主旨を「面授の道理は、釈迦牟尼仏まのあたり迦葉仏の会下にして面授し護持しきたれる」とし、提唱最後部にて「道元、大宋宝慶元年乙酉五月一日、はじめて先師天童古仏を礼拝面授す」等の文言を参照すれば、当巻冒頭での「仏祖の面目を保任せるを拈じて、礼拝し相見す」や最後部にての「大宋国宝慶元年乙酉夏安居時、先師天童古仏大和尚に参侍して、この仏祖を礼拝頂戴することを究尽せり」の文言は、明らかに思想的通脈性が読み取れる編纂である。

「宗礼。仏祖の現成は、仏祖を挙拈して奉覲するなり。過現当来のみにあらず、仏向上よりも向上なるべし。まさに仏祖の面目を保任せるを拈じて、礼拝し相見す。仏祖の功徳を現挙せしめて住持し来たり、体証し来たれり」

「宗礼」は、万葉仮名(曾礼・序礼)を用いてそれと発語の意味や、仏道に於いての礼拝の意味も包含される語法ですが、この万葉仮名の使用例は『都機』巻(仁治四年端月六日)での標題にて月の異称を以て表記されますが、この場合、前年仁治三年十二月十七日に『全機』巻が提示された事を承けてのものと考えられますが、何故当巻冒頭での万葉仮名使用かは、わかりません。

「仏祖を挙拈して奉覲する」とは、「仏祖の姿を則ち奉覲と談ずべき」と『御抄』では解説されます。

「仏向上よりも向上」の意は、『聞書』では「無際限を仏向上と云い、さらなる無際限を云うは、解脱のことば也」と註解しますが、その向上し続ける状態を「仏祖の面目を保任し、礼拝し相見す」と、一刻も停止する事なく、常に動的な平衡状態が礼拝の表体であり、しの礼拝は身体で実証(体証)するもので、それが「仏祖の功徳」であるとの事です。

毘婆尸仏大和尚 此云広説。尸棄仏大和尚 此云火。毘舎浮仏大和尚 此云一切慈。

拘留孫仏大和尚 此云金仙人。拘那含牟尼仏大和尚 此云金色仙。迦葉仏大和尚 此云飲光。

釈迦牟尼仏大和尚 此云能忍寂黙。摩訶迦葉大和尚。阿難陀大和尚。商那和修大和尚。優婆毱多大和尚。提多迦大和尚。彌遮迦大和尚。婆須蜜多大和尚。仏陀難提大和尚。伏駄蜜多大和尚。波栗濕縛大和尚。富那夜奢大和尚。馬鳴大和尚。迦毘摩羅大和尚。那伽閼剌樹那大和尚 又龍樹、又龍勝、又龍猛。伽那提婆大和尚。羅睺羅多大和尚。僧伽難提大和尚。伽耶舎多大和尚。鳩摩羅多大和尚。闍夜多大和尚。婆修盤頭大和尚。摩拏羅大和尚。鶴勒那大和尚。

獅子大和尚。婆舎斯多大和尚。不如蜜多大和尚。般若多羅大和尚。菩提達磨大和尚。慧可大和尚。僧璨大和尚。道信大和尚。弘忍大和尚。慧能大和尚。行思大和尚。希遷大和尚。惟儼大和尚。曇晟大和尚。良价大和尚。道膺大和尚。道丕大和尚。観志大和尚。縁観大和尚。警玄大和尚。義青大和尚。道楷大和尚。子淳大和尚。清了大和尚。宗珏大和尚。智鑑大和尚。如浄大和尚〈東地廿三代〉」

この仏祖の典拠は『景徳伝灯録』(「大正蔵」五一・二〇四・中)だと思われますが、過去七仏下部「此云広説」等の出典は不明です。

なお曹洞宗下に於ける朝課諷経では、「馬鳴」は「阿那菩底」と称し、「獅子」項では「獅子菩提」と称する理由は不明です。又「波栗濕縛」は『景徳伝灯録』では「脇尊者」となりますが、波栗濕縛(Parsva)の呼称は玄奘による『大唐西域記』二「第三重閣有波栗濕縛唐音。脇尊者室久…」(「大正蔵」五一・八八〇中)からのもので、「伝灯録」類では全て脇尊者と記される次第です。

道元。大宋国宝慶元年乙酉夏安居時、先師天童古仏大和尚に参侍して、この仏祖を礼拝頂戴することを究尽せり。唯仏与仏なり」

前述にも示したように、『面授』巻最後部に提示する文言と同趣旨である事を、「先師天童古仏大和尚に参侍(唯面授面受)して、究尽するは唯仏与仏なり」と、締め括られます。