正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵海印三昧

正法眼蔵第十三 海印三昧

諸仏諸祖とあるに、かならず海印三昧なり。この三昧の游泳に

、説時あり証時あり行時あり。海上行の功徳、その徹底行あり。これを深深海底行なりと廻上行するなり。流浪生死を還源せしめんと願求する、是什麽心行にはあらず。従来の透関破節、もとより諸仏諸祖の面々なりといへども、これ海印三昧の朝宗なり。

冒頭の「諸仏諸祖とあるに必ず海印三昧なり」との表現、普通は「諸仏諸祖とあるは」又は「諸仏諸祖なる時は」と表現したい所を、『御抄』に於いても「てにをは」つまり助詞の使い方が不自然だと云われます。文意からすると、「諸仏諸祖」=「海印三昧」が成立します。

「この三昧の游泳に説時証時行時あり」とありますが、「三昧の游泳は」と置き換え「説時あり云々」と云い換えた方が理解しやすく思われます。

海上行の功徳その徹底行あり。これを深深海底行なりと海上行するなり」の解釈で、水野八穂子氏は『有時』巻冒頭に引用される「須向高高山頂立、深深海底行」の云い換えとされます。

「流浪生死を還源―中略―什麽心行にはあらず」にある「還源」の語は、『坐禅箴』に「還源返本」の語として記され「元に返るの意で、転じて、外に流転しようとする心の働きを留めて、内なる本源に返すような坐禅」と『曹洞宗関連用語集』(インターネット)に記載があります。『聞書』では「還源は逆流なるべし」と註解されます。つまりは生死の波浪をなげうち、無為寂静に帰入しようと分限を設定願求せず、いかなると不審する心行にはあらずと云う。

「透関破節」とは脱落のことです。

「もとより諸仏諸祖面々、海印三昧の朝宗」とは、冒頭で云う「諸仏諸祖とあるはかならず海印三昧なり」と同意異語です。

 

仏言、

但以衆法、合成此身。

起時唯法起、滅時唯法滅。

此法起時、不言我起。

此法滅時、不言我起。

前念後念、念々不相待。

前法後法、法法不相対。

是即名為海印三昧。

この仏道、くはしく参学功夫すべし。得道入証はかならずしも多聞によらず、多語によらざるなり。多聞の広学はさらに四句に得道し、恒沙の徧学つひに一句偈に証入するなり。いはんやいまの道は、本覚を前途にもとむるにあらず、始覚を証中に拈来するにあらず。おほよそ本覚等を現成せしむるは仏祖の功徳なりといへども、始覚・本覚等の諸覚を仏祖とせるにはあらざるなり。

最初の経文は『天聖広灯録』(八巻・馬祖章)にある所からの引用でしょうか。以下記す、

「但以衆法、合成此身。起時唯法起、滅時唯法滅。此法起時、不言我起。滅時不言我滅。前念後念中念、念々不相待。念々寂滅、喚作海印三昧」

と『海印三昧』に引用する同様句が記され、

「如百千異流同帰大海。都名海水。住於一味。即接衆味。住於大海。即混諸流。如人在大海水中浴。」と続きます。

「衆法」とは万法・諸法・百草などと云うことです。この場合の「衆」は、もろもろの多くと云う意ではなく、只一、つまり全てを包含した「一」です。

「起時唯法起、滅時唯法滅、此法起時、不言我起」に「不言」と記し、「不道」にはあらず。『聞書』に「不言我起・不言我滅」という語を使用するが、何故「不言」に対する「言我起・言我滅」の対句語を云わぬかという興味ある記載がある。

「前念後念、念々不相待。前法後法、法法不相対」の読みは、前後の語句は用いず、すべて念に取り替え、法も同様である。

「得道入証は必ずしも多聞によらず」とは、一人の人物のもとで一心に参究するを云う。

「多聞の広学はさらに―中略―一句偈証入するなり」の喩えとしては、周利盤特が言う「守口摂意身莫犯、如是行者得度世」が適例であろう。

「いはんやいまの道」の「道」というのは「但以衆法合成」のことです。

「仏祖の功徳なり」とは、仏祖の方より始覚(修行し始めて得るさとり)本覚(本来のさとり)の道理(正しいすじみち)を明らかにすれば、それが「仏祖の功徳」ということです。

 

いはゆる海印三昧の時節は、すなはち但以衆法の時節なり、但以衆法の道得なり。このときを合成此身といふ。衆法合成せる一合相、すなはち此身なり。此身を一合相とせるにあらず、衆法合成なり。合成此身を此身と道得せるなり。

「海印三昧の時節―中略―合成此身といふ」の論法では、海印三昧=但以衆法=合成此身が成り立つが、一般的理解では「以衆法合成此身」とは、地水火風空等の諸法を以て合成するものと考えられるが、仏法の解会から「此身」とは、尽十方界全身を以て「合成此身」とするものです。もし諸物を集めて合成するなら、漏れ出る「物」もあるかも知れませんが、尽十方界全身からは決して漏れ出る一法は有り得ません。

「衆法合成せる一合相―中略―衆法合成なり」は、前句と同じことを「語」を替え言っているもので、「此身」の欠けたる所なく、円成満足な道理を述べられたものです。

 

起時唯法起。この法起、かつて起をのこすにあらず。このゆゑに、起は知覚にあらず、知見にあらず、これを不言我起といふ。我起を不言するに、別人は此法起と見聞覚知し、思量分別するにあらず。さらに向上の相見のとき、まさに相見の落便宜あるなり。

「この法起かつて起をのこすにあらず」は「法」と「起」は別物でなく、起のほかに残す物はない。ですから「法」が起こる事を「起こる」とも「起こす」とも言わない。つまり「知覚」し「知見」するものがないと云う事です。

「法」と云うは「空」でありますから、主観・客観は成立しないことを「不言我起」と経文では云うのです。

「不言我起」と「我起を不言」とは、同意語で前句の繰り返しです。

「さらに向上の」云々は前句の意をさらに考究してみよ、とのことでしょうか。

 

起はかならず時節到来なり、時は起なるがゆゑに。いかならんかこれ起なる、起なるべし。すでにこれ時なる起なり。皮肉骨髄を独露せしめずといふことなし。起すなはち合成の起なるがゆゑに、起の此身なる、起の我起なる、但以衆法なり。声色と見聞するのみにあらず、我起なる衆法なり、不言なる我起なり。不言は不道にはあらず、道得は言得にあらざるがゆゑに、起時は此法なり、十二時にあらず。此法は起時なり、三界の競起にあらず。

「法」のなかの一種である「起」は、必定して時節因縁により起こるものである。

「いかならんかこれ起なる、起也」『曹山録』に、

「いまだ一人も地に倒れて地に因って起きずといふことなし。いかならんか是れ倒。曹山日く、うけがわば即ち是。如何なるか是れ起。曹山日く、起なる」(大正大蔵経・五十一・景徳伝灯録・十七・336頁・中段)という話頭あり。此意は時節の到来・不到来といった相違ないことを云うものです。そこで具体的な喩えで以て、「皮肉骨髄を独露せしめず」と説明されます。「我起なる衆法」と云うように、衆生=我起との拈提は、もはや『維摩経』からは超出した「道元ワ―ルド的」観さえ窺われる説法です。

 

古仏いはく、忽然火起。この起の相待にあらざるを、火起と道取するなり。古仏いはく、起滅不停時如何。しかあれば起滅は我我起、我我滅なるに不停なり。この不停の道取、かれに一任して辨肯すべし。この起滅不停時を仏祖の命脈として断続せしむ。起滅不停時は是誰起滅なり。是誰起滅は応以此身得度者なり、即現此身なり、而為説法なり。過去心不可得なり、汝得吾髄なり、汝得吾骨なり。是誰起滅なるゆゑに。

「古仏いはく忽然火起」は『法華経』・譬喩品からの引用で、「古仏いはく起滅不停時如何」は、羅山道閑と巌頭全豁との法語です。『従容録』・四十三則に「羅山起滅」として記載あり。

「起滅不停時」の道理と「是誰起滅」が同等と説かれるのは、起滅は一瞬たりとも留まらず、誰にも起滅という現象が有ることから、このように説くと考えられます。

続いて「是誰起滅」=「応以此身得度者」=「過去心不可得」=「汝得吾髄」の論法は、『正法眼蔵』各巻で説く連関連続性を表現されるのでしょうか。

猶この段のみ冒頭の『維摩経』ではなく、『法華経』等の引用には違和感が感ぜられる。

 

此法滅時、不言我滅。まさしく不言我滅のときは、これ此法滅時なり。滅は法の滅なり。滅なりといへども法なるべし。法なるゆゑに客塵にあらず、客塵にあらざるゆゑに不染汚なり。ただこの不染汚、すなはち諸仏諸祖なり。汝もかくのごとしといふ、たれか汝にあらざらん。前念後念あるはみな汝なるべし。吾もかくのごとしといふ、たれか吾にあらざらん。前念後念はみな吾なるがゆゑに。

先ず「此法滅時」=「不言我滅」を述べ、此段で取り扱う滅は「法の滅」・「法なるべし」・「法なるゆゑに」と、「法」についての拈提です。

「法」と云う概念は「事実」もしくは「現実」と置き換えることにします。因みに法(ダルマ)という語は仏教以前にも教え・義務・真理という意味で用いられた。また『インド仏教史』(平川彰著)によると、「現象として存在するものが、そのまま永遠の実在」・「永遠の実在と即一なる現象の性格」と記述される。(『倶舎論におけるダルマについて』・立川武蔵)また中村元氏は「人を人として保つもの」と述べられます。

「法なるゆゑに客塵にあらず」とは、事実そのままであるから、客塵(煩悩)はない。すべては「法」の集合体であるから(現成公案)。ですから「不染汚」と導くわけです。『唯仏与仏』巻に「不染汚とは趣向なく取舎なしを営むこと」さらに『神通』巻では「不染汚というは平常心なり」と説かれます。これらの「無我」なる状況(尽十方界真実人体)が、「すなはち諸仏諸祖」なのです。

「ただこの不染汚―中略―前念後念はみな吾なるがゆゑに」は曹谿の言霊(ことば)で、『行仏威儀』巻冒頭近くに出てきます。―「汝亦如是のゆゑに諸仏なり、吾亦如是のゆゑに諸仏なり、まことにわれにあらず、なんぢにあらず。この不染汚に如吾是吾、諸仏所護念、これ行仏威儀なり。如汝是汝、諸仏所護念、これ行仏威儀なり」―

 

この滅に多般の手眼を荘厳せり。いはゆる無上大涅槃なり、いはゆる謂之死なり、いはゆる執為断なり、いはゆる為所住なり。いはゆるかくのごとくの許多手眼、しかしながら滅の功徳なり。滅の我なる時節に不言なると、起の我なる時節に不言なるとは、不言の同生ありとも、同死の不言にはあらざるべし。すでに前法の滅なり、後法の滅なり。法の前念なり、法の後念なり。為法の前後法なり、為法の前後念なり。不相待は為法なり、不相対は為法なり。不相対ならしめ、不相待ならしむるは八九成の道得なり。滅の四大五蘊を手眼とせる、拈あり収あり。滅の四大五蘊を行程とせる、進歩あり相見あり。

「この滅に多般の手眼を荘厳せり―中略―執為断・為所住なり」の註解を『御抄』では、「無上大涅槃、竝請之死、執為断為所住等のことばなり」とあります。

これは六祖が弟子の志道に示した「無上大涅槃、円明常寂照、凡夫謂之死、外道執為断、諸求二乗人、自以為無作、尽属情所計、六十二見 本」―無上の大涅槃、円明にして常に寂照す。凡夫は之を死と謂い、外道は執して断と為す。諸の二乗を求める人は、自ら以て無作と為す。尽く情所計に属す、六十二見の本なり―を引用する。

無上涅槃を凡夫は死と見、外道は断ぜんと見るために、道元禅師は此のことばを嫌いたると聞きとれるが、ただこの言葉を今は滅の荘厳とする為に、先に云うように「嫌うことば」とは受け取らずに「滅功徳」と云うべきである。

猶この法語は『永平広録』486則・涅槃上堂に有り。

「滅の我なる時節に不言なると―中略―同死の不言にはあらざるべし」

『御抄』の註解では「滅我時節不言と起我時節不言」は、起も滅も自然状態での一場面ですから、「同じことを云う」わけです。

「不言の同生」とは、起滅の不言の一場面。「同死の不言」とは、滅の不言は滅に付け、起の不言は起に付けるという意です。

「すでに前法の滅なり後法の滅なり―中略―為法の前後念なり」

「前法」・「後法」・「前念」・「後念」とありますが、これらは法(ダルマ)の上に於いての言い様です。

「為法の前後法」・「為法の前後念」は前句と同様です。

「不相待」と「不相対」とは、同じ発音でことば遊びの感がしなくもないですが、同様に同じ意味だそうです。

「八九成の道得」とは、十に対する八九ではなく、「満足」の意です。

「滅の四大五蘊」云々は、滅は寂滅の意で「脱落」と解します。

 

このとき、通身是手眼、還是不足なり。おほよそ滅は仏祖の功徳なり。

「通身是手眼、遍身是手眼」の語句は、『観音』巻冒頭の雲巌曇晟(782‐841)と道吾円智(769‐835)との法話です。因みに『海印三昧』は仁治三年(1242)四月二十日記。『観音』は仁治三年(1242)四月二十六日示衆と一週間の時差ですが、七十五巻配列では『海印三昧』は13番『観音』は18番です。

「還是不足」とは、完成がないから行きづまりがなく、いつでも働いているという状態です。

「滅は仏祖の功徳」とは、寂滅は仏仏の功徳円満した処を述べたものです。

 

いま不相対と道取あり、不相待と道取あるは、しるべし、起は初中後起なり。官不容針、私通車馬なり。滅を初中後に相待するにはあらず、相対するにあらず。従来の滅処に忽然として起法すとも、滅の起にあらず、法の起なり。法の起なるゆゑに不対待相なり。また滅と滅と相待するにあらず、相対するにあらず。滅も初中後滅なり、相逢不拈出、挙意便知有なり。従来の起処に忽然として滅すとも、起の滅にあらず法の滅なり。法の滅なるがゆゑに不相対待なり。

「起は初中後起なり」

これまで何回も云ってきたように、起は起ばかりで滅は滅ばかりですから、初中後つまり初めから終わりまで起ばかり、との拈提です。

「官不容針、私通車馬」の原文は『曹山録』からだと思われます。(景徳伝灯録・十七巻・曹山章)つまり表向きは針一本通す隙間もないが、私的には堂々と車も馬も通じている。つまり「官不容針」は起に「私通車馬」を滅に喩えているのです。

「相待するにあらず、相対するにあらず」

相待も相対も同じ意に解します。

「法の起なり」

法とは前にも云ったように「事実」・「現実」と解しますと、否ある事実が「起」という現実の意になります。

「滅も初中後滅なり、相逢不拈出、挙意便知有」

起は初中後起なりと説きましたから、滅の説明には「相逢うて拈出せず、意を挙すれば便ち有ることを知る」と云うのですが、「相逢うては不拈出」とは、相あえども誰か拈出すべしと云うことなし。「挙意便知有」とは、「普通は意を以て物を知ると読み、意はこの場合智とみなし、起滅の相待しない意味を表す」と『御抄』では註解します。

「従来の起処に忽然―中略―法の滅なるがゆゑに不相対待なり」

前句に「法の起なり」とある所を滅に取り替えたもので同意同義の文です。

 

たとひ滅の是則にもあれ、たとひ起の是即にもあれ、但以海印三昧名為衆法なり。是即の修証はなきにあらず、只此不染汚、名為海印三昧なり。三昧は現成なり道得なり。背手摸枕子の夜間なり。夜間のかくのごとく背手摸枕子なる。摸枕子は億億万劫のみにあらず、我於海中、唯常宣説妙法華経なり。

「たとひ滅の是即―中略―但以海印三昧、名為衆法」

維摩経』に依るならば、「是即名為海印三昧」とすべきを、道元禅師の創作語による「以海印三昧、名為衆法」とし同心のことです。

「是即」は普通、総表の表現体語として使われますが、ここでは「是即」を公案として使用し、「この修証は不染汚、名為海印三昧也」と云います。

続けて「三昧」の説明では、「三昧は現成」つまり眼前の事実、また「道得」と云い、「背手摸枕子」と「夜間」の同等性に導きます。猶この「背手摸枕子」は先に云う「通身遍身是手眼」と対を成すものです。

次に「摸枕子」つまり「三昧」の永続性を、「億億万劫」さらに『法華経』・十二・提婆達多品で、文殊菩薩が言う所の「我海中に於いて唯常に妙法華経を宣説す」とロジカルな拈提です。この「我於海中」の「我」は文殊を指し、「海中」は娑竭羅龍王宮を云います。「文殊」と「海中」と「法華経」は一体であることが前提となります。

 

不言我起なるがゆゑに我於海中なり。前面も一波纔動一波随なる常宣説なり、後面も万波纔動一波随の妙法華経なり。たとひ千尺万尺の糸綸を巻舒せしむとも、うらむらくはこれ直下垂なることを。いはゆるの前面後面は我於海面なり。前頭後頭といはんがごとし。前頭後頭といふは頭上安頭なり。

「一波纔動―中略―直下垂」

この法語は船子徳誠のものです。

『聯灯会要』・十九・秀州華亭船子徳誠章には、

「三十年来釣台に坐す、釣頭往々に黄能を得る、金鱗に遇わず空しく力を労す、糸綸を収取して去来に帰す。千尺の糸綸直下に垂る、一波纔(わづ)かに動けば万波随う、夜静かに水寒く魚食わず、満船空しく月明を載せて帰る。三十年来海上に游ぶ、水清く魚現じ鉤を呑まず、釣竿尽く斫(き)り重ねて竹を栽く、功程を計らず便ち休を得る。」

と有り、この語は元来は船子の悲嘆の偈文ですが、道元禅師は「満船空載月明帰」等を只管打坐なる法語と認じて、『海印三昧』に引用し『法華経』にも連動することを述べたのでしょうか。

「前面後面」も「前頭後頭」も同じことで、「頭上安頭」とは俗語で云う無駄な事ですが、この場合は「前面頭」・「後面頭」も真実体とし観るわけですから、「唯仏与仏」と云い換えてよいでしょう。

 

海中は有人にあらず、我於海は世人の住処にあらず、聖人の愛処にあらず。我於ひとり海中にあり。これ唯常の宣説なり。この海中は中間に属せず、内外に属せず、鎮常在説法華経なり。

「海中は有人にあらず」

「海中」は無限・真実を表徴し、「有人」は在家もしくは一般人と解します。

「我於海は世人の住処にあらず聖人の愛処にあらず。我於ひとり海中にあり。これ唯常の宣説なり。この海中は中間に属せず、内外に属せず、鎮常在説法華経なり」

この言句は『石頭和尚草庵歌』からの引用です。

「住庵人鎮常在。不属中間与内外。世人住処我不住。世人愛処我不愛」

住庵の人鎮(しずか)に常に在り。中間と内外とに属せず。世人の住する処には我れ住せず。世人の愛する処は我れ愛せず。」(景徳伝灯録・三十・石頭和尚草庵歌)

 

東西南北に不居なりといへども、満船空載月明帰なり。この実帰は便帰来なり。たれかこれを滯水の行履なりといはん。ただ仏道の剤限に現成するのみなり。これを印水の印とす。さらに道取す、印空の印なり。さらに道取す、印泥の印なり。印水の印、かならずしも印海の印にはあらず、向上さらに印海の印なるべし。これを海印といひ、水印といひ、泥印といひ、心印といふなり。心印を単伝して印水し印泥し印空するなり。

「満船空載月明帰なり。この実帰は便帰来なり」

先程の船子徳誠の法語に対する拈提です。普通「空」はむなしき所と思い、「満船」を空に喩え、又満船の空を「月明帰」と解し、逆に「月明帰を満船の空」とも言えます。この道理を「実帰」と言い、その実帰は「便帰来」との解釈で、実帰は「実相」とも言うことができます。

「たれかこれを滯水の行履」

「海印三昧」とは云わずに「滯水」に置き換えて、聴者に参究させる為の、又は道元禅師自身の考究の故の言語列挙でしょうか。

「剤限」は際限と同義語で、最上至極という意です。

「これを印水の印とす。さらに道取す、印空の印なり。―中略―これを海印といひ、水印といひ、泥印といひ、心印といふなり。心印を単伝して印水し印泥し印空するなり」

「印水」と云うと水ばかりと思い、「印泥」と云うと泥ばかりと思ってはいけない。大海を考察するには、内外海又は重淵九淵だけではないと考える。こういう事を「海印」・「水印」・「泥印」・「心印」と云う。

 

曹山元証大師、因僧問、承教有言、大海不宿死屍、如何是海。師云、包含万有。僧云、為什麽不宿死屍。師云、絶気者不著。僧云、既是包含万有、為什麽絶気者不著。師云、万有非其功絶気。

この曹山は雲居の兄弟なり。洞山の宗旨、このところに正的なり。いま承教有言といふは、仏祖の正教なり。凡聖の教にあらず、附仏法の小教にあらず。大海不宿死屍。いはゆる大海は、内海・外海等にあらず、八海等にはあらざるべし。これらは学人のうたがふところにあらず。

「曹山は雲居の兄弟、洞山の宗旨正的なり」

法脈を見れば明らかです。

雲巌曇晟(782‐841)―洞山良介(807‐869)―曹山本寂(840‐901)。

今日の曹洞宗の法脈は曹山の兄弟弟子の

雲居道膺(―902)―同安道丕⋯真歇清了(1088‐1151)⋯天童如浄(1162‐1227)―永平道元(1200‐1253)と続きほかの法脈は断絶しました。

僧が曹山に問う「承教有言」の拈提で、「教」とは『涅槃経』を指しますから「正教」と言います。「凡聖の教」は、凡に対する聖又は聖に対する凡ではありません。

「附仏法の小教」とは、外道を小と扱い仏法の詞で以て邪義を説くのを「附仏法の小教」(外道)との拈提です。

「大海不宿死屍」の拈提で「内海・外海」とあります。今日で云う日本海・太平洋ぐらいの程でしょう。

「八海等にあらざる」の「八海」とは、須弥山世界で称える「九山八海」のことです。仏教の世界観では、須弥山を中心に七つの金の山と鉄囲山があり、その間に八つの海がある。と『倶舎論』等でも説く。バラモン教ジャイナ教ヒンズー教にも適用される世界観である。(フリー百科事典・インターネット参照)

 

海にあらざるを海と認ずるのみにあらず、海なるを海と認ずるなり。たとひ海と強為すとも、大海といふべからざるなり。大海はかならずしも八功徳水の重淵にあらず、大海はかならずしも鹹水等の九淵にあらず。衆法は合成なるべし。大海かならずしも深水のみにてあらんや。このゆゑに、いかなるか海と問著するは、大海のいまだ人天にしられざるゆゑに、大海を道著するなり。これを聞著せん人は、海執を動著せんとすらなり。

「海にあらざるを―中略―大海といふべからざるなり」

この文章は「海」についての概略を述べたものです。

「大海はかならずしも八功徳水の重淵にあらず、大海はかならずしも鹹水等の九淵にあらず」

「八功徳水」とは、八つの優れた特質ある水で、極楽池や須弥山の周囲の七内海に満たされている水である。その特質とは㈠甘㈡冷㈢軟㈣軽㈤清浄㈥無臭㈦飲時不損喉㈧飲巳不傷腹である。「重淵」と「九淵」は対句で、ともに深い淵の意、「鹹水」とは塩水・海水のことで、これらは「大海」の範疇には入らないとの拈提です。

そこで「衆法合成」つまり諸法が眼前にある事実を、「大海」と道元禅師は説くわけです。こういうわけですから、「如何海」のいかなる淵か、とは尽十方界海とのことであり、「大海」の表現形式は「いかなるか海」とするしかなく、シェーマという図式に収斂することを諌める説法です。

 

不宿死屍といふは、不宿は明頭来明頭打、暗頭来暗頭打なるべし。死屍は死灰なり、幾度逢春不変心なり。死屍といふは、すべて人々いまだみざるものなり。このゆゑにしらざるなり。

この段は「不宿死屍」についての拈提で、「不宿は明頭暗頭来打」とありますが、不宿は留まらないことですから、普化が云うように明るい時は明るいままで、暗くなれば暗いばかりで、拘泥しない様を云うものです。

「死屍は死灰なり」とは、人間の分別心を残さないことを云うもので、「幾度逢春不変心」も人間の情とは関係ない喩えです。

この偈文は『行持』(上)にある馬祖と大梅との法語です。

摧残枯木倚寒林、幾度逢春不変心。

樵客遇之猶不顧、郢人那得苦追尋。

摧残の枯木寒林に倚る、幾度(いくたび)か春に逢うて心を変ぜず。

樵客之に遇(あ)うて猶顧(かへり)みず、郢人(えいじん)那(なん)ぞ苦(ねんごろ)に追尋することを得ん。

この寒林の語は白山神社平泉澄先生の号(正確には寒林子)でもあり、小拙には親しみ深く特に此処に記した。

「死屍といふは人々未だ見ざるもの」とは能見所見(見るもの見られるもの)がないので「知らざるなり」と云うのです。

 

師いはく、包含万有は海を道著するなり。宗旨の道得するところは、阿誰なる一物の、万有を包含するとはいはず、包含万有なり。大海の万有を道著するは、大海なるのみなり。なにものとしれるにあらざれども、しばらく万有なり。仏面祖面と相見することも、しばらく万有を錯認するなり。

「包含万有は海を道著」はそのままの意です。

そもそも「包含万有」という語は、海の徳によって万物を袋に入れるように、大海の中に有るように考えがちですが、今いう「包含万有」とは、海の道理であり其の道理を別語で、「不宿」になったり「死屍」と呼んでみたり、「明頭来・暗頭来」と云うを「包含万有」と言ったまでです。

「阿誰なる一物の万有を包含するとはいはず、包含万有なり。大海の万有を包含するといふにあらず。包含万有を道著するは、大海するのみなり」

「だれ」は特定するのではなく、ただ包含万有と認ずることが肝要で、別語で「大海」と云うのです。

「仏面祖面と相見することも、しばらく万有を錯認するなり」

此処での「錯認」は何かそぐわない語にも思われるが「万有仏面祖面」を錯認と云い換えてもよいでしょう。

 

包含のときは、たとひ山なりとも高高峰頭立のみにあらず。たとひ水            なりとも深深海底行のみにあらず。収はかくのごとくなるべし、放はかくのごとくなるべし。仏性海といひ、毘盧蔵海といふ、ただこれ万有なり。海面はみえざれども、游泳の行履に疑著する事なし。

「包含のときはたとひ山なりとも―中略―深深海底行のみにあらず」

文句の大意は、高く顕れたのみでなく、深く見えぬのみではなく、一切万法を収蔵して一塵も洩らさずと云うことである。冒頭で説いたように「高高峰頭立」・「深深海底行」の語句は『有時』巻からの引用であろう。

「収・放」

この語は「山」と「水」との喩えの如く解す。この収・放は「仏性海」・「毘盧蔵海」にと、道元禅師の思考パターンにある法語を列挙するわけです。

「海面みえざれども」

この海面は、凡夫二乗等の眼識では見えないが、「万有」からは逃れる事は出来ないから、「游泳の行履を疑著するな」と説かれるのです。

 

たとへば多福一叢竹を道取するに、一茎両茎曲なり。三茎四茎斜なるも、万有を錯失せしむる行履なりとも、なにとしてかいまだいはざる、千曲万曲なりと。なにとしてかいはざる、千叢万叢なりと。一叢のています竹、かくのごとくある道理、わすれざるべし。曹山の包含万有の道著、すなはちなほこれ万有なり。

「多福一叢竹―中略―三茎四茎斜」

『聯灯会要』・㈦・杭州多福和尚章に

僧問、如何是多福一叢竹。

師云、一茎両茎斜。

僧云、不会

師云、三茎四茎曲

これだけの古則が記載されています。

この注釈を『聞解』は

「万法の諸有は全てに現れるから、廻避の術がない。そのことを、多福の道取する一叢竹の一茎両茎は曲がっていて、三茎四茎は斜めに筋交いであると答える。これも万法の諸有を錯失し、会取せよという行履」と云う。

「錯失」は将錯就錯の義から「会取」と解する。

道元禅師は、いかなる先哲に於いても言説未著には、「三四茎斜」を許さず、「千曲万曲・千叢万叢」と云わぬかと手厳しい拈提である。

 

僧のいはく為什麽絶気者不著は、あやまりて疑著の面目なりといふとも、是什麽心行なるべし。従来疑著這漢に相見するのみなり。什麽処在に為什麽絶気者不著なり。為什麽不宿死屍なり。這頭にすなはち既是包含万有、為什麽絶気者不著なり。しるべし包含は著にあらず、包含は不宿なり。

僧が曹山に云った「なんとしてか絶気者不著」は、普通は不審語として理解するが、「いかなるも不著」の道理と解すれば、「什麽心行」とも言うことが可能で、「是什麽物恁麽来」もしくは「説似一物即不中」と述べても構いません。

「従来疑著這漢」

この語は不宿は明頭来なるべしに対するものです。『真字正法眼蔵』・上・二十二則には、普化がいつも鈴を振って、明頭来明頭打、虚空来連架打と唱しえ市場を托鉢する行状を仄聞し、臨済がある僧に不明不暗来時如何と問わせると、明日大悲院で中食供養があると云うのを聞いて、臨済が云った褒め言葉が、「我従来疑著這漢」で、草稿作成時には手元に三百則原稿か何がしかの資料と共に拈提されたものと思われます。

「什麽処在」

什麽は不定代名詞ですから、如何・いかん・何といづれに云い換えても仏語として成り立ちますが、定め難き故に「什麽絶気者不著」・「什麽不宿死屍」と、不著・不宿の語の連関統一体の文章に導くロジックですから、「包含は著にあらず」と著という固定概念を嫌い、「包含は不宿なり」と仏法上での「不」を強為するわけです。

 

万有たとひ死屍なりとも、不宿の直須万年なるべし。不著の這老僧一著子なるべし。

「万有」・「死屍」・「不宿」等は海に於いての所談ですから、海の道理で相互不向背の関係で、「直須万年」とは不宿の道理を云うものです。「一著子」とは碁の用語であり、「不著」がこの老僧の一手であると訳します。

 

曹山の道すらく、万有非其功絶気。いはゆるは、万有はたとひ絶気なりとも、不著なるべし。死屍たとひ死屍なりとも、万有に同参する行履あらんがごときは包含すべし、包含なるべし。

これなでの拈提の流れで、「不著」に導く為のもので、曹山の答話である「万有」についての拈提です。この場合の「絶気」は「死屍」を指します。「万有」と「包含」の関係は「諸法実相」と捉えてよいでしょう。

 

万有なる前程後程その功あり、これ絶気にあらず、いはゆる一盲引衆盲なり。一盲引衆盲の道理は、さらに一盲引一盲なり、衆盲引衆盲なり。衆盲引衆盲なるとき、包含万有、包含于包含万有なり。さらにいく大道にも万有にあらざる、いまだその功夫現成せず、海印三昧なり。

   仁治三年(1242)壬寅孟夏二十日記于観音導利興聖宝林寺

   寛元元年(1243)癸卯書写之 懐奘

前段までに要旨は述べられたように思われるが、一盲引衆盲の喩えは、これまでの提唱に比べると、そぐわない違和感さえ覚える。