正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵第四十「柏樹子」を読み解く

正法眼蔵第四十「柏樹子」を読み解く

 

 趙州眞際大師は、釋迦如來より第三十七世なり。六十一歳にしてはじめて發心し、いへをいでて學道す。このときちかひていはく、たとひ百歳なりとも、われよりもおとれらんは、われかれををしふべし。たとひ七歳なりとも、われよりもすぐれば、われかれにとふべし。恁麼ちかひて、南方へ雲遊す。道をとぶらひゆくちなみに、南泉にいたりて、願和尚を禮拝す。

 ちなみに南泉もとより方丈内にありて臥せるついでに、師、來參するにすなはちとふ、近離什麼處。師いはく、瑞像院。南泉いはく、還見瑞像麼。師いはく、瑞像即不見、即見臥如來。ときに南泉いましに起してとふ、儞はこれ有主沙彌なりや、無主沙彌なりや。師、對していはく、有主沙彌。南泉いはく、那箇是儞主。師いはく、孟春猶寒、伏惟和尚尊體、起居萬福。南泉すなはち維那をよびていはく、此沙彌別處安排。

 かくのごとくして南泉に寓直し、さらに餘方にゆかず。辦道功夫すること三十年なり。寸陰をむなしくせず、雜用あることなし。つひに傳道受業よりのち、趙州の觀音院に住することも又三十年なり。その住持の事形、つねの諸方にひとしからず。

 或時いはく、

  烟火徒勞望四隣  饅頭追子前年別

  今日思量空嚥津  持念少、嗟歎頻

  一百家中無善人  來者祗道覓茶喫

  不得茶噇去又嗔

 あはれむべし、烟火まれなり、一味すくなし。雜味は前年よりあはず、一百家人きたれば茶をもとむ。茶をもとめざるはきたらず。將來茶人は一百家人にあらざらん。これ見賢の雲水ありとも、思齊の龍象なからん。

 あるときまたいはく、

  思量天下出家人 似我住持能有幾

  土榻床、破蘆廃 老楡木枕全無被

  尊像不燒安息香 灰裏唯聞牛糞気

 これらの道得をもて、院門の潔白しりぬべし。いまこの蹤跡を學習すべし。僧衆おほからず、不滿二十衆といふは、よくすることのかたきによりてなり。僧堂おほきならず、前架後架なし。夜間は燈光あらず、冬天は炭火なし。あはれむべき老後の生涯といひぬべし。古佛の操行、それかくのごとし。

 あるとき、連牀のあしのをれたりけるに、燼木をなはにてゆひつけて年月をふるに、知事、つくりかへんと報ずるに、師、ゆるさざりけり。希代の勝躅なり。

 よのつねには、解齋粥米全無粒、空對閑窓與隙塵なり。あるいはこのみをひろひて、僧衆もわが身も、茶飯の日用に活計す。いまの晩進、この操行を讚頌する、師の操行におよばざれども、慕古を心術とするなり。

 あるとき、衆にしめしていはく、われ南方にありしこと三十年、ひとすぢに坐禪す。なんだち諸人、この一段大事をえんとおもはば、究理坐禪してみるべし。三年五年、二十年三十年せんに、道をえずといはば、老僧が頭をとりて、杓につくりて小便をくむべし。

 かくのごとくちかひける。

 まことに坐禪辦道は、佛道の直路なり、究理坐看すべし。

 のちに人いはく、趙州古佛なり。

 大師因有僧問、如何是祖師西來意。師云、庭前柏樹子。僧曰、和尚莫以境示人。師云、吾不以境示人。僧云、如何是祖師西來意。師云、庭前柏樹子。

 この一則公案は、趙州より起首せりといへども、必竟じて諸佛の渾身に作家しきたれるところなり。たれかこれ主人公なり。

 いましるべき道理は、庭前柏樹子、これ境にあらざる宗旨なり。祖師西來意、これ境にあらざる宗旨なり。柏樹子、これ自己にあらざる宗旨なり。和尚莫以境示人なるがゆゑに。吾不以境示人なるがゆゑに。いづれの和尚か和尚にさへられん。さへられずは、吾なるべし。いづれの吾か吾にさへられん。たとひさへらるとも、人なるべし。いづれの境か西來意に罣礙せられざらん。境はかならず西來意なるべきがゆゑに。しかあれども、西來意の境をもちて相待せるにあらず。祖師西來意かならずしも正法眼藏涅槃妙心にあらざるなり。不是心なり、不是佛なり、不是物なり。

 いま、如何是祖師西來意と道取せるは、問取のみにあらず、兩人同得見のみにあらざるなり。正當恁麼問時は、一人也未可相見なり、自己也能得幾なり。さらに道取するに、渠無不是なり。このゆゑに錯々なり、錯々なるがゆゑに將錯就錯なり。承虚接響にあらざらんや。豁達靈根無向背なるがゆゑに、庭前柏樹子なり。

 境にあらざれば柏樹子にあるべからず。たとひ境なりとも、吾不以境示人なり、和尚莫以境示人なり。古祠にあらず。すでに古祠にあらざれば埋没しもてゆくなり。すでに埋没しもてゆくことあるは、還吾功夫來なり。還吾功夫來なるがゆゑに吾不以境示人なり。さらになにをもてか示人する、吾亦如是なるべし。

 大師有僧問、柏樹還有佛性也無。大師云、有。僧曰、柏樹幾時成佛。大師云、待虚空落地。僧曰、虚空幾時落地。大師云、待柏樹子成佛。

 いま大師の道取を聽取し、這僧問取をすてざるべし。大師道の虚空落地時、および柏樹成佛時は、互相の相待なる道得にあらざるなり。柏樹を問取し、佛性を問取す。成佛を問取し、時節を問取す。虚空を問取し、落地を問取するなり。

 いま大師の向僧道するに、有と道取するは、柏樹佛性有なり。この道を通達して、佛祖の命脈を通暢すべきなり。いはゆる柏樹に佛性ありといふこと、尋常に道不得なり、未曾道なり。すでに有佛性なり、その爲體あきらむべし。有佛性なり、柏樹いまその次位の高低いかん。壽命身量の長短たづぬべし、種姓類族きくべし。さらに百千の柏樹、みな同種姓なるか、別種胤なるか。成佛する柏樹あり、修行する柏樹あり、發心する柏樹あるべきか。柏樹は成佛あれども、修行發心等を具足せざるか。柏樹と虚空と、有甚麼因縁なるぞ。柏樹の成佛、さだめて待儞落地時なるは、柏樹の樹功、かならず虚空なるか。柏樹の地位は、虚空それ初地か、果位か、審細に功夫參究すべし。我還問汝趙州老、儞亦一根枯柏樹なれば、恁麼の活計を消息せるか。

 おほよそ柏樹有佛性は、外道二乘等の境界にあらず、經師論師等の見聞にあらざるなり。いはんや枯木死灰の言華に開演せられんや。たゞ趙州の種類のみ參學參究するなり。いま趙州道の柏樹有佛性は、柏樹被柏樹礙也無なり、佛性被佛性礙也無なり。この道取、いまだ一佛二佛の究盡するところにあらず。佛面あるもの、かならずしもこの道得を究盡することうべからず。たとひ諸佛のなかにも、道得する諸佛あるべし、道不得なる諸佛あるべし。

 いはゆる待虚空落地は、あるべからざることをいふにあらず。柏樹子の成佛する毎度に、虚空落地するなり。その落地響かくれざること、百千の雷よりもすぎたり。柏樹成佛の時は、しばらく十二時中なれども、さらに十三時中なり。その落地の虚空は、凡聖所見の虚空のみにはあらず。このほかに一片の虚空あり、餘人所不見なり、趙州一箇見なり。虚空のおつるところの地、また凡聖所領の地にあらず。さらに一片地あり、陰陽所不到なり、趙州一箇到なり。虚空落地の時節、たとひ日月山河なりとも、待なるべし。たれか道取する、佛性かならず成佛すべしと。佛性は成佛以後の莊嚴なり。さらに成佛と同生同參する佛性もあるべし。

 しかあればすなはち、柏樹と佛性と、異音同調にあらず。爲道すらくは何必なり、作麼生と參究すべし。

 

 正法眼藏柏樹子第四十

 

爾時仁治三年壬寅五月菖節二十一日在雍州宇治郡觀音導利院示衆

寛元元年癸卯七月三日丁未書冩于越州吉田郡志比庄吉峰寺院主房 懷弉

 

正法眼蔵を読み解く柏樹子」(二谷正信著)

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/hakujushi

 

詮慧・経豪による註解書については

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2020/02/07/000000

 

庭前の柏樹子―小川隆

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2022/08/01/144233

 

禅における言語的意味の問題 ー井筒俊彦

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2022/08/01/144509

 

禅の語録を読むー 小 川 隆

https://karnacitta.hatenablog.jp/entry/2021/03/24/180556

 

禅研究に関しては、月間アーカイブをご覧ください

https://karnacitta.hatenablog.jp/