正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

正法眼蔵都機

  正法眼蔵 第二十三 都機

諸月の円成すること、前三三のみにあらず、後三三のみにあらず。円成の諸月なる、前三三のみにあらず、後三三のみにあらず。

前三三後三三」の出典は、『碧巌録』三十五則・本則からだと思われます。この古則は『真字正法眼蔵』中・二十七則にも同則があります。まずこの則の問答を記す。

文殊問無著、近離什麽処。

無著云、南方。

殊云、南方仏教、如何住持。

著云、末法比丘、少奉戒律。

殊云、多少衆。

著云、或三百、或五百。

無著問文殊、此間如何住持。

殊云、凡聖同居、龍蛇混雑。

著云、多少衆。

殊云、前三三後三三.

この問答を見てわかるように、「三百・五百」の人の数に対し、「前三三後三三」との対比。またその前にある「凡聖同居・龍蛇混雑」等を考察すると、「前三三後三三」とは数量を表したものではなく、自然状態に於ける真実の表現形態としての前三三後三三と把握します。そこで「諸月の円成すること、前三三のみにあらず、後三三のみにあらず」とは、尽十方界諸月という道理は、真実の表現形態をも超出している、と解読しましょう。次の「円成の諸月なる」云々は、前句を入れ替えることで、主客を打ち消す意味があるように思われます。

 

このゆゑに、釈迦牟尼仏言、仏身法身、猶若虚空。応物現形、如水中月。いはゆる如水中月の如如は水月なるべし。水如、月如、如中、中如なるべし。相似を如と道取するにあらず、如は是なり。仏身法身は虚空の猶若なり。この虚空は猶若の仏身法身なり。仏身法身なるがゆゑに、尽地尽界尽法尽現みづから虚空なり。現成せる百草万象の猶若なる、しかしながら仏身法身なり、如水中月なり。

「仏身法身」の経文の出典は『金光明経』第二四天王品第六での、四天王が釈尊の前で偈文で讃じた文句です。(大正大蔵経・16巻・344頁・中段)

一般常識では、「仏の真法身は虚空の如し、物に応じ形を現ず、水中の月の如し」と説き、草露に宿る月も、大海に宿る月も、それぞれの境涯に於いて現成するとしますが、『都機』に於ける「月」の拈提では、「如水中月の如如は水月なるべし」となります。「如」を何々のごとし、という「かりもの」とせず、「是」という「全機現」的見方を以て冒頭で要旨を述べられます。また「如水中月」という固定概念を打ち砕く爲に、「水月」・「水如」・「月如」・「如中」・「中如」とバラバラに分解し、意味解体から仏法を参究するのも、道元禅師得意の手法です。次に仏身法身・猶若虚空の関係を、「仏身法身は虚空の猶若なり」と解体し、「仏身法身」は虚空そのままと訳します。また虚空はそのままが「仏身法身」と前文を云い換えたものです。いまひとつ仏身法身の具現語として、「尽地・尽界・尽法・尽現」を虚空と置き換えます。又別の表現で、「百草万象そのままがすべて、仏身法身で如水中月」と最初の「如水中月」の句にもどり、ことばの解体から始まり、根源的仏法の解釈へと再構成する。この逆説的論述考が『正法眼蔵』における特異的特長である。

 

月のときはかならず夜にあらず、夜かならずしも暗にあらず。ひとへに人間の少量にかかはることなかれ。日月なきところにも昼夜あるべし、日月は昼夜のためにあらず。日月ともに如如なるがゆゑに。

この段難なし。「日月」とは太陽と月であり、世界何処とも例外なく太陽信仰、又月の満ち欠けによる暦日の制定等の時代でありながら、「日月は昼夜のためにあらず」等の思考論述には仏法の遠大性を感ずるものである。

 

一月両月にあらず、千月万月にあらず。月の自己、たとひ一月両月の見解を保任すといふとも、これは月の見解なり、かならずしも仏道の道取にあらず、仏道の知見にあらず。しかあれば、昨夜たとひ月ありといふとも、今夜の月は昨月にあらず、今夜の月は初中後ともに今夜の月なりと参究すべし。月は月に相嗣するがゆゑに、月ありといへども新旧にあらず。

「一月両月、千月万月」とは数量を云ったもので、「日月は如如」つまり太陽も月もそれぞれが自己の真実そのものであるから、千の月・万の月と考えず、それぞれ裁断して見るべきである。次に「月の自己、たとひ一月両月の見解を保任すといふとも、これは月の見解なり」とは、月の自己を『御抄』では尽十方界、又は円満成就なる自己と解釈しています。つまり尽十方界なる自己が昨夜の月、今日の月という考えは、月に対する考えであって、仏道に於いて云うことではなく知見ではない、と説くのです。月自身は満ち欠けにより千変万化するわけではなく、月の絶対性で一貫していることを云うわけです。「しかあれば昨夜たとひ月ありといふとも―中略―新旧にあらず」は難なく読める。

 

盤山宝積禅師云、心月孤円、光呑万象。光非照境、境亦非存。光境俱亡、復是何物。いまいふところは、仏祖仏子、かならず心月あり。月を心とせるがゆゑに。月にあらざれば心にあらず、心にあらざる月なし。孤円といふは、虧闕せざるなり。両三にあらざるを万象といふ。万象これ月光にして万象にあらず。このゆゑに光呑万象なり。万象おのづから月光を呑尽せるがゆゑに光の光を呑却するを、光呑万象といふなり。たとへば月呑月なるべし光呑月なるべし。ここをもて、光非照境、境亦非存と道取するなり。得恁麽なるゆゑに、応以仏身得度者のとき、即現仏身而為説法なり。応以普現色身得度者のとき、即現普現色身而為説法ない。これ月中の転法輪にあらずといふことなし。

盤山和尚の記録は『景徳伝灯録』七・『宗門統要集』三・『祖堂集』十五等に見られるが、生没年も知られず伝記不詳の人である。盤山の弟子には、普化という風狂を以て接化した人物が知られる。盤山の師匠は馬祖道一であり、同参の人物には大梅法常等々、錚々たる人が同宿したようである。また『真字正法眼蔵』・上・二十一則に「盤山凝寂大師」として取り上げ、『仏向上事』・『出家功徳』では、「盤山宝積禅師」として古則の拈提を行っています。

さてこれより拈提です。「心月」についてです。この場合の「心月」は主客合一的に、高所からの視野で理解するのではなく、心は尽心であり、月は尽月であるから、二元論ではなく「心」そのものが月、全月が「心」と捉え「心」と「月」は一物なる道理を説くものです。「孤月」というのは、全月という意で欠けたところがない。二つ三つと数量で表せないから「万象」、つまり全ての形といったことです。「万象月光にして万象にあらず」とは、照らす光と照らされる環境として把握するのではなく、万象と月光を一体的に捉えて見る時、「光呑万象」と表現されます。以下の文章も対立軸を設定せず「光呑万象」を考えると、「万象」・「月」・「光」を同格に扱うべきものとして、「光呑万象」・「月呑月」・「光呑月」という難語も味わいある仏法語として見てとれるものである。上項に述べたような関係ですから、「光が環境を照らすのではなく、その環境も存せず」と云う盤山禅師の偈に落居し、さらに『観音経』の慣れ親しんだ経文で以て指し示します。猶この『観音経』を以ての説明は、『仏性』巻「六祖示門人行昌」段にても援用されます。この場合も前述の如く、「仏」も「観音」も「得度者」も能所・主客を超出した関係は云うまでもありません。

 

たとひ陰精陽精の光象するところ、火珠水珠の所成なりとも即現現成なり。このすなはち月なり、この月おのづから心なり。仏祖仏子の心を究理究事すること、かくのごとし。古仏いはく、一心一切法一切法一心。しかあれば、心は一切法なり一切法は心なり。心は月なるがゆゑに、月は月なるべし。心なる一切法、これことごとく月なるがゆゑに、遍界は遍月なり。通身ことごとく通月なり。たとひ直須万年の前後三三、いづれか月にあらざらん。いまの身心依正なる日面仏月面仏おなじく月中なるべし。生死去来ともに月にあり。尽十方界は月中の上下左右なるべし。いまの日用、すなはち月中の明明百草頭なり、月中の明明祖師心なり。

「陰精」は月、「陽精」は太陽。「火珠」を太陽、「水珠」を月に喩えての前段の念押しの説明です。この場合の「即現現成」とは、心と月との一体を云うものです。別のことばで云い換えるなら、心も月も共に「尽十方界真実人体」・「諸法実相」と、いかようにも言い切ることが可能です。ここで盤山禅師の「心月」古則の拈提は、「仏祖仏子の心を究理究事」の語句で以て終わります。次に「一心一切法一切法一心」なる古則の拈提です。

酒井得元老師提唱本では、『六祖檀経』また『摩訶止観』に出典があるようですが、確認できませんでした。提唱本では、裴休編・黄檗希運の『伝心法要』第二章の後半部にある所の、「此法即心、心外無法。此心即法、法外無心。心自無心、亦無無心者。将心無心、心却成有。黙契而巳。」(この法は即ち心なり、心の外に法無し。此の心即ち法なり、法外に心無し。心自から無心ならば、亦た無心なる者無し。心を将って心を無すれば、心却って有と成る。黙契するのみ。)を底本に説かれます。よく熟読して下さい。最後の「黙契」とは黙照・只管

打坐の意です。「一切法」とは心のあり方・形体です。「心は月なるがゆゑに、月は月なるべし」とは、「心」と「月」と「法」の一体不可分を説く爲に、言句を縦横無尽に駆使するわけです。「心なる一切法―中略―遍界は遍月なり」とは、字句の通りで難なし。「直須万年」は『信心銘』にある「一念万年」と同意で、「前後三三」とは、三世九世共に月なりと解します。「身心依正」とは人間の生きている姿を云い、そこには「日面仏」や「月面仏」、つまり昼間の景色や夜の情景があり、これらから逃れる事はできないから、「月中」つまり、月と云う真実の只中ということです。「生死去来」も「身心依正」と同義語で、我々の人生の姿も「月」と云う真実の中にある。「尽十方界」も「月中」同意語として扱っていますから、その月のなかの上下左右一部分を示す。「日用」われわれの日々の行為は、「月中の明明百草頭」つまり日常茶飯を、「明明祖師心」とも云うわけです。

 

舒州投子山慈済大師、因僧問、月未円時如何。師云、呑却三箇四箇。僧云、円後如何。師云、吐却七箇八箇。いま参究するところは、未円なり円後なり、ともにそれ月の造次なり。月に三箇四箇あるなかに未円の一枚あり。月に七箇八箇あるなかに円後の一枚あり。呑却は三箇四箇なり。このとき円未円時の見成なり、吐却は七箇八箇なり。このとき円後の見成なり。月の月を呑却するに三箇四箇なり 、呑却に月ありて現成す、月は呑却の見成なり。月の月を吐却するに七箇八箇あり、吐却に月ありて現成す、月は吐却の現成なり。このゆゑに、呑却尽なり吐却尽なり、尽地尽天吐却なり、蓋天蓋地呑却なり。呑自呑他すべし吐自吐他すべし。

慈済大師について略述す。同じ古則が『真字正法眼蔵』・(上)・十三則に、同じく三十五則には投子山大同禅師とあり、(中)の三十六則には趙州との問答で引用され同じく六十則にも引用されます。呼び方は『祖堂集』・六では「投子和尚」・『景徳伝灯録』・十五および『聯灯会要』・二十一では「投子大同禅師」とあります。諱つまり本名が「大同」であり、「慈済」とは皇帝より賜った号である。生没年は805―914年の人である。805年は日本では最澄天台宗を開創した年で、914年は延喜十四年で藤原忠平が右大臣に就位した年である。法系は石頭希遷―丹霞天然―翆微無学―投子大同という法脈です。

提唱を解説いたしますに、「いま参究するところは未円・円後、月の造次なり」とは、三ケ月・半月・満月のことで月のひとときの状態を表徴したものです。「月に三箇四箇あるなかに未円の一枚あり」とは、月に三とか四とかいう様々な状態がある中に、「未円」つまり満月でない一つの状態もある。同じような表現で、「七箇八箇のなかに円後の一枚」と付加します。「呑却は三箇四箇」の呑却はその時の状態と考え、「この時月未円時の見成」つまり三ツ四ツでは未円ですから当たり前です。「見成」は「現成」と同義語です。次の「吐却―中略―円後の見成なり」は対句としての説明です。「月の月を呑却するにー中略―呑却の見成なり」の「呑却」と「月」とは一物なる道理を述べたもので、次句の「月の月を吐却―中略―吐却に月ありて現成す」も、今までと同様に対句として説くわけです。

最後に道元禅師特有なる「呑却尽」・「吐却尽」なる造語で以て説明されますが、これまでの提唱時での論証道理からもわかるように、「尽」とはこの場合「月」であり、「呑自」も「吐他」もこれらと同じく解すれば、奇妙な理法ではなく親切心なる語として受けとられます。このように、道元禅師の趣好に合致した言句(尽・遍・通・一切)等で以て文章・文体の構成を見るにつけ、難解至極な『正法眼蔵』も身近に感ぜられるものである。

 

釈迦牟尼仏、告金剛蔵菩薩言、譬如動目能揺湛水、又如定眼猶廻転火。雲駛月運、舟行岸移、亦復如是。いま仏演説の雲駛月運、舟行岸移、あきらめ参究すべし。倉卒に学すべからず凡情に順ずべからず。しかあるに、この仏説を仏説のごとく見聞するものまれなり。もしよく仏説のごとく学習するといふは、円覚かならずしも身心にあらず、菩提涅槃かならずしも円覚にあらず、身心にあらざるなり。

まずは『円覚経』についての基本的情報として、この経の内容は『首楞厳経』を基礎に『大乗起信論』の教義を織り交ぜ、695年から730年の間に中国(支那)で創られた偽経である。この経典の体裁は、文殊・普賢・普眼金剛蔵・弥勒・清浄慧・威徳自在・弁音・浄諸業障・普覚・円覚・賢善首以上十二菩薩と仏との一問一答形式で、各菩薩に応じ実修の方法を開示したものである。また道元禅師は『首楞厳経』・『円覚経』ともに教禅一致を説く経典として批判する。(『大方広円覚修多 羅了義経』は大正大蔵経第十七巻№842参照)

漢文を読み下すに、釈迦牟尼仏が金剛蔵菩薩に言われた。たとえば落ちつきのない目は、静かに湛える水を動かすように、又眼目が定まっていても、火のついた棒を回すと火が回転していると見るようなものである。雲が駛(はし)れば月が運き、舟が行くと岸が移るのも、亦復このようである。

この言説に対する拈提は、「月」の提唱ですから、後半部の「雲駛月運、舟行岸移」を参究し、倉卒慌ただしく学ばず一般論として解釈するな、と云うわけです。『御抄』では「雲駛月運」を凡夫妄見とし、仏法的見地からは、「雲が動く時は月も動き、舟が移動する時には岸も移動する」と述べます。

「円覚かならずしも身心にあらず」からが、道元禅師が言う『円覚経』の批判です。「円覚」とは、さとりの別語ですから、「さとりは身心ではない」との意味です。経文にあるように、「目玉が動けば、水平な水も上下左右する」と云うことが「円覚かならずしも身心にあらず」です。また「菩提涅槃にあらず」とも表現します。

 

いま如来道の雲駛月運、舟行岸移は、雲駛のとき月運なり。船行のとき岸移なり。いふ宗旨は、雲と月と同時同道して同歩同運すること、始終にあらず前後にあらず。船と岸と同時同道して同歩同運すること、起止にあらず流転にあらず。

此段で云う「雲駛月運」・「同時同道」の説明は前段で述べた通りです。『御抄』では「起止」を「岸」と見る説明があります。また引用経典の全体を見渡すと、「始終」・「前後」・「起止」・「流転」の語が散見されるので、道元禅師は間違いなく、『円覚経』をご覧になって原稿作成を成された事が伺われる。

 

たとひ人の行を学すとも、人の行は起止にあらず、起止の行は人にあらざるなり。起止を挙揚して人の行に比量することなかれ。雲の駛も月の運も船の行も岸の移も、みなかくのごとし。おろかに少量の見に局量することなかれ。雲の駛は東西南北をとはず、月の運は昼夜古今に休息なき宗旨、わすれざるべし。船の行および岸の移、ともに三世にかかはれず、よく三世を使用するものなり。このゆゑに直至如今飽不飢なり。

「人の行」とは、止まったり動いたりと常に運動しているわけで、一瞬たりとも留まる事も出来ない状態を云うわけです。右記の状況で「起止にあらず」とは、立ったり止まったりの一時の停止した状態を云うのではない、という意味でしょうか。ですから「起止を挙揚」つまり動作を一部だけをとりあげて、それを「人の行」と比較してはならないと言われます。「雲の駛も月の運もー中略―月の運は昼夜古今に休息なき宗旨わすれざるべし」は、文の如く解すれば難なし。毎度説明するように、「雲駛と月運」・「舟行・岸移」の一体性を品を変え言句を変え懇切に説くわけです。

「舟の行および岸の移ともに三世にかかはれず、よく三世を使用するものなり」の船の行くこと岸の移るということは、過去・現在・未来という時間には関係ないが、我々の思考はこの三世という時間で生活している、と云った意味です。

「直至如今飽不飢」とは、今に至るまで仏法に満ち足りて飢える事がないという意で、対立的思考発想ではなく、常に自然との一体的生き方である爲に、無駄な消費をせず円満満足の心地の意だと思われます。猶『天聖広灯録』・十三・灌谿志閑章に、僧との問答で「直至如今飽餉餉」という語が見られ、「僧の不会」に対し志閑は「飢即喫、飽即休」との問答とあります。

 

しかあるを愚人おもはくは、くものはしるによりて、うごかざる月をうごくとみる。船のゆくによりて、うつらざる岸をうつるとみゆると見解せり。もし愚人のいふがごとくならんは、いかでか如来の道ならん。仏法の宗旨、いまだ人天の少量にあらず、ただ不可量なりといへども、随機の修行あるのみなり。たれか舟岸を再三撈摝(ろうろく)せざらん、たれか雲月を急著眼看せざらん。しるべし、如来道は雲を什麽法に譬せず、月を什麽法に譬せず、舟を什麽法に譬せず、岸を什麽法に譬せざる道理、しづかに功夫参究すべきなり。月の一歩は如来の円覚なり、如来の円覚は月の運為なり。動止にあらず進退にあらず。すでに月運は譬喩にあらざれば、孤円の性相なり。しるべし、月の運度はたとひ駛なりとも、初中後にあらざるなり。このゆゑに第一月第二月あるなり。第一第二、おなじくこれ月なり。

「愚人おもはくはー中略―人天の少量にあらず」この文は難なし。ただし愚人とは普通の、又は一般の人という意味です。

「不可量なりとも随機の修行あるのみ」とは、「雲駛月運」の仏法を理解できなくても、その学人の器量に応じた修行が必要だ。

「舟岸を再三撈摝せざらん人」とは、舟とは何、岸とは何と云うように、二度三度と、水中の物を網などで掬い取るように参学せよ、と。

「雲月を急著眼看せざらん」とは、雲と月とよく眺めてもらいたいものだ、と。

如来道はー中略―しづかに功夫参究すべきなり」とは、仏法に於いては、雲をなにに譬えるのではなく、月・舟・岸をどんなものにも譬えない道理というものを参究しなさいと。雲は雲、月は月であり二項相対の義を制することが、如来の説法である。

「月の一歩は如来の円覚」とは、月の小さな動きというのも如来のさとり。また逆に、如来のさとりは月の様相と置き換えます。

「動止にあらず進退にあらず」とは、相対的な状態ではないと云うわけです。「月運」は比喩ではなく、「孤円の性相」とは、盤山が云う「心月の孤円」で孤独の孤ではなく、完全無欠な円の「性」・本質・真実の相・かたちである。

「月の運度はたとひ駛なりともー中略―おなじくこれ月なり」は、月の動きは仮に駛であっても、初・中・後という段階ではなく、駛るという事実を絶対的真実として受け取ることです。

「このゆゑに第一月第二月あるなり。第一第二おなじくこれ月なり」には、雲巌と潙山との問答が下地になっています。「雲巌が道を掃いている時に潙山が云うには、何をセカセカと働いてる。雲巌が答えて云うに、このセカセカする肉体とは別に、言語作用に関係ない者が居ると。そこで潙山が、それならば即ち第二月が有るという事になる、と云う。その時雲巌は箒を立てて云うには、この箒を立てた私というのは、第幾月の月になるか、と。すると潙山は頭を垂れて行ってしまった。」(大正大蔵経・五一巻・景徳伝灯録一四・雲巌章・315頁・上)という話頭が底 本になっています。同様な経本は『円覚経』(大正大蔵経・17巻・913頁・中)にもあります。

 

正好修行これ月なり、正好供養これ月なり、払袖便行これ月なり。円尖は去来の輪転にあらざるなり。去来輪転を使用し使用せず放行し把定し、逞風流するがゆゑに、かくのごとくの諸月なるなり。

     正法眼蔵 都機 第二十三

     仁治四年(1243)端月六日 

     書干観音導利興聖宝林寺 沙門

     寛元元年(1243)解制前日書写之懐奘

「正好修行―中略―払袖便行これ月なり」の引用話頭は、「一夕、西堂智蔵・南泉普願、馬祖に随侍して翫月の次で、馬祖日く、正恁麽の時如何。西堂云く、正好供養。百丈云く、正好修行。南泉、払袖便去。馬祖云く、経は蔵に入り、禅は海に帰す。唯だ 普願のみ有りて独り物外に超ゆる」(景徳伝灯録・六・百丈章)からのものです。文章の如く、これらの姿をみな月であると談じた所に、道元禅師の仏法理解が窺い知れます。

「円尖は去来の輪転にー中略―かくのごとくの諸月なるなり」を説明すると、円尖というのは月の各各の様相であって、三日月は細く、十五夜には円満で、十六日以降は次第に欠けて細くなるとは仏法では説きません。

「放行・把定」とは呑却・吐却のことで、「風流」で以て翫月することにより、「かくのごとくの諸月なるなり」と結ばれるわけです。

それにしても冒頭で、「諸月の円成すること」に始まり「かくのごとくの諸月なるなり」で結論に導く文章構成の妙には、詩人としての道元禅師の一面を見る思いです。