正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

詮慧・経豪 正法眼蔵第四十四仏道 (聞書・抄)

詮慧・経豪 正法眼蔵第四十四仏道 (聞書・抄)

曹谿古仏、あるとき衆にしめしていはく、慧能より七仏にいたるまで四十祖あり。この道を参究するに、七仏より慧能にいたるまで四十仏なり。仏々祖々を算数するには、かくのごとく算数するなり。かくのごとく算数すれば、七仏は七祖なり、参十参祖は参十参仏なり。曹谿の宗旨かくのごとし、これ正嫡の仏訓なり。正伝の嫡嗣のみ、その算数の法を正伝す。釈迦牟尼仏より曹谿にいたるまで参十四祖あり。この仏祖相承、ともに迦葉の如来にあひたてまつれりしがごとく、如来の迦葉をえましますがごとし。釈迦牟尼仏迦葉仏に参学しましますがごとく、師資ともに于今有在なり。このゆゑに、正法眼蔵まのあたり嫡々相承しきたれり。仏法の正命、たゞこの正伝のみなり。仏法はかくのごとく正伝するがゆゑに、附嘱の嫡々なり。しかあれば、仏道の功徳要機、もらさずそなはれり。西天より東地につたはれて十万八千里なり。在世より今日につたはれて二千余載、この道理を参学せざるともがら、みだりにあやまりていはく、仏祖正伝の正法眼蔵涅槃妙心、みだりにこれを禅宗と称ず。祖師を禅祖と称ず、学者を禅師と号す。あるいは禅和子と称じ、或禅家流の自称あり。これみな僻見を根本とせる枝葉なり。西天東地、従古至今、いまだ禅宗の称あらざるを、みだりに自称するは、仏道をやぶる魔なり、仏祖のまねかざる怨家なり。

詮慧

〇「宗」は密宗に事おこるべし。但是も顕に対したる号なるべし。其の外は一経を宗(むね)と依経として、義を立つるゆえに宗と云う。これに付けて、法華宗とも華厳宗とも云う也。非仏法本意也。

経豪

  • 仏祖のあわいの親切なる事、此の算数のようにて知りぬべし。此事先々事旧了。凡そ此の草子の指する法文なし。只始中終(に)禅宗と云う称(は)、不可然。次第(に)五家を立つる事の僻事なるようを、委細書かれたるなり。見于文、其外無別事。

 

石門林間録云、菩提達磨、初自梁之魏。経行於嵩山之下、倚杖於少林。面壁燕坐而已、非習禅也。久之人莫測其故。因以達磨為習禅。夫禅那諸行之一耳。何足以尽聖人。而当時之人、以之、為史者、又従而伝於習禅之列、使与枯木死灰之徒為伍。雖然聖人非止於禅那、而亦不違禅那。如易出于陰陽、而亦不違乎陰陽。第二十八祖と称ずるは、迦葉大士を初祖として称ずるなり。毘婆尸仏よりは第三十五祖なり。七仏および二十八代、かならずしも禅那をもて証道をつくすべからず。

詮慧

〇「非習禅」と云う、是は禅定(の)事也。仏の三学の中の禅定なれば、三学共にこそ此方(こなた)には取れば、此の禅定もいたづらに捨てよにはあらず。然而又禅を宗(むね)と取るにあらず。四禅と云う事あり、是は又小乗教に談ずる所なり。

〇「聖人非止於禅那、而亦不違禅那。如易出于陰陽、而亦不違乎陰陽」、是は陰陽の法を宗(むね)とせざればとて、陰陽に違(たが)う事なしと也。たとえば禅定を宗と立てねばとて、やがて禅定を捨てよ、とにはあらざる事を示す詞なり。

経豪

  • 此録の詞(は)文に見えたり。「初祖於少林寺面壁燕坐する姿を非習禅」と云うは、正義なり。而る後に「為習禅」(は)、是僻見也と嫌わるる也。「夫禅那は諸行の一なり、何足以尽聖人」と云うは、六度の中の禅波羅蜜と云うか、此の禅那を以て聖人を尽すに不足と嫌う也。禅那の「禅」は、仏祖の禅等には非ず也。「非禅那」と云えばとて、又禅那欠けたりとも、「違禅那」とも云うべからず。以下如文。

 

このゆゑに古先いはく、禅那は諸行のひとつならくのみ。なんぞもて聖人をつくすにたらん。この古先、いさゝか人をみきたれり、祖宗の堂奥にいれり、このゆゑにこの道あり。近日は大宋国の天下に難得なるべし、ありがたかるべし。たとひ禅那なりとも、禅宗と称ずべからず、いはんや禅那いまだ仏法の摠要にあらず。しかあるを、仏々正伝の大道を、ことさら禅宗と称ずるともがら、仏道は未夢見在なり、未夢聞在なり、未夢伝在なり。禅宗を自号するともがらにも仏法あるらんと聴許することなかれ。禅宗の称、たれか称じきたる。諸仏祖師の禅宗と称ずる、いまだあらず。しるべし、禅宗の称は、魔波旬の称ずるなり。魔波旬の称を称じきたらんは魔儻なるべし、仏祖の児孫にあらず。

経豪

  • 是は古先の詞の「禅那は、諸行の一也、何足尽聖人」の詞を褒めらるるなり。

 

世尊霊山百万衆前、拈優曇花瞬目、衆皆黙然。唯迦葉尊者、破顔微笑。世尊云、吾有正法眼蔵涅槃妙心、幷以僧伽梨衣、附嘱摩訶迦葉。世尊の迦葉大士に附嘱しまします、吾有正法眼蔵涅槃妙心なり。このほかさらに吾有禅宗附嘱摩訶迦葉にあらず。幷附僧伽梨衣といひて、幷附禅宗といはず。しかあればすなはち、世尊在世に禅宗の称またくきこえず。初祖その時二祖にしめしていはく、諸仏無上妙道、曠劫精勤、難行苦行、難忍能忍。豈以小徳小智、軽心慢心、欲冀真乗。またいはく、諸仏法印、匪従人得。またいはく、如来正法眼蔵、附嘱迦葉大士。いましめすところ、諸仏無上妙道および正法眼蔵、ならびに諸仏法印なり。当時すべて禅宗と称ずることなし、禅宗と称ずべき因縁きこえず。いまこの正法眼蔵は、揚眉瞬目して面授しきたる、身心骨髄をもてさづけきたる、身心骨髄に稟授しきたるなり。身先身後に伝授し稟受しきたり、心上心外に伝授し稟受するなり。世尊迦葉の会に禅宗の称きこえず、初祖二祖の会に禅宗の称きこえず。五祖六祖の会に禅宗の称きこえず、青原南嶽の会に禅宗の称きこえず。いづれのときより、たれ人の称じきたるとなし。学者のなかに、学者のかずにあらずして、ひそかに壊法盗法のともがら、称じきたるならん。仏祖いまだ聴許せざるを、晩学みだりに称ずるは、仏祖の家門を損ずるならん。又仏々祖々の法のほかに、さらに禅宗と称ずる法のあるににたり。もし仏祖の道のほかにあらんは、外道の法なるべし。すでに仏祖の児孫としては、仏祖の骨髄面目を参学すべし。仏祖の道に投ぜるなり。這裏を逃逝して、外道を参学すべからず。まれに人間の身心を保任せり、古来の辦道力なり。この恩力をうけて、あやまりて外道を資せん、仏祖を報恩するにあらず。大宋の近代、天下の庸流、この妄称禅宗の名をきゝて、俗徒おほく禅宗と称じ、達磨宗と称じ、仏心宗と称ずる、妄称きほひ風聞して、仏道をみだらんとす。これは仏祖の大道かつていまだしらず、正法眼蔵ありとだにも見聞せず、信受せざるともがらの乱道なり。正法眼蔵をしらんたれか、仏道をあやまり称ずることあらん。このゆゑに、

詮慧

〇「身先身後に伝授し、稟受しきたり、心上心外に伝授し、稟受する也」と云う、此の身先身後と云う詞(は)、先々聞きたる、正当恁麽時と云う同じ心地なり。この「身先身後」の詞に付いて、又「心上心外」の詞も出で来る也。此の詞に付いて、又多く不審来るべし。三界唯一心、心外無別法と談ず此の上は心外に伝授いかなるべきぞ。抑も心外無別法と云うは、心外に無別法と云うか、やがて又心外の外の字もなかるべきか不審也。但外の字ありとも、内に不対、無別法と心得ぬる上、不及有無論。有無は仏性の有無程に可心得。抑も心外無別法と心外に伝授し稟受すと云うと(は)、ただ同じ詞なり。無別法と心得るが、伝授面授にてあるなり。伝授面授の外に無別法なし。かく了見するを、三界唯一心心外無別法と説き、「心外に伝授し稟受す」と云う也。汝得吾皮肉骨髄と云う(は)、今の無別法、幷に伝授稟受にあたるなり。

 

南嶽山石頭庵無際大師、上堂示大衆言、吾之法門、先仏伝受、不論禅定精進、唯達仏之知見。しるべし、七仏諸仏より正伝ある仏祖、かくのごとく道取するなり。たゞ吾之法門、先仏伝受と道現成す。吾之禅宗、先仏伝受と道現成なし。禅定精進の条々をわかず、仏之知見を唯達せしむ。精進禅定をきらはず、唯達せる仏之知見なり。これを吾有正法眼蔵附嘱とせり。吾之は吾有なり、法門は正法なり。吾之吾有吾体は、汝得の附嘱なり。無際大師は青原高祖の一子なり、ひとり堂奥にいれり。曹谿古仏の剃髪の法子なり。しかあれば、曹谿古仏は祖なり、父なり。青原高祖は兄なり、師なり。仏道祖席の英雄は、ひとり石頭庵無際大師のみなり。

経豪

  • 是は仏言祖言等に、総て禅宗の称なき事を表わさん料りに、是等の詞を被引出也。

 

仏道の正伝、たゞ無際のみ唯達なり。道現成の果々条々、みな古仏の不古なり、古仏の長今なり。これを正法眼蔵の眼睛とすべし、自余に比准すべからず。しらざるもの、江西大寂に比するは非なり。しかあればしるべし、先仏伝受の仏道は、なほ禅定といはず、いはんや禅宗の称論ならんや。あきらかにしるべし、禅宗と称ずるは、あやまりのはなはだしきなり。

経豪

  • 是は無際大師讃嘆の詞也。今の大師の道う「果々条々」には、皆古仏の詞なり。古仏の詞が今の大師道と等しき也と云う詞也。

 

つたなきともがら、有宗空宗のごとくならんと思量して、宗の称なからんは、所学なきがごとくなげくなり。仏道かくのごとくなるべからず、かつて禅宗と称ぜずと一定すべきなり。

しかあるに、近代の庸流、おろかにして古風をしらず、先仏の伝受なきやから、あやまりていはく、仏法のなかに五宗の門風ありといふ。これ自然の衰微なり。これを拯済する一箇半箇、いまだあらず。先師天童古仏、はじめてこれをあはれまんとす。人の運なり、法の達なり。

経豪

  • 「有宗」と云うは法相宗、「空宗」と云うは三論宗の事也。彼宗の如く、なに宗かの宗など称せざらんは、所学なきが如く也と思う僻見を、如此被挙なり。

 

先師古仏、上堂示衆云、如今箇々祗管道、雲門法眼潙仰臨済曹洞等、家風有別者、不是仏法也、不是祖師道也。この道現成は、千載にあひがたし、先師ひとり道取す。十方にきゝがたし、円席ひとり聞取す。しかあれば、一千の雲水のなかに、聞著する耳垜なし、見取する眼睛なし。いはんや心を挙してきくあらんや、いはんや身処に聞著するあらんや。たとひ自己の渾身心に聞著する、億万劫にありとも、先師の通身心を挙拈して聞著し、証著し、信著し、脱落著するなかりき。あはれむべし、大宋一国の十方、ともに先師をもて諸方の長老等に斉肩なりとおもへり。かくのごとくおもふともがらを、具眼なりとやせん、未具眼なりとやせん。またあるいは、先師をもて臨済徳山に斉肩なりとおもへり。このともがらも、いまだ先師をみず、いまだ臨済にあはずといふべし。先師古仏を礼拝せざりしさきは、五宗の玄旨を参究せんと擬す。先師古仏を礼拝せしよりのちは、あきらかに五宗の乱称なるむねをしりぬ。しかあればすなはち、大宋国の仏法さかりなりしときは、五宗の称なし。また五宗の称を挙揚して、家風をきこゆる古人いまだあらず。仏法の澆薄よりこのかた、みだりに五宗の称あるなり。これ人の参学おろかにして、辦道を親切にせざるによりてかくのごとし。

雲箇水箇、真箇の参究を求覓せんは、切忌すらくは五家の乱称を記持することなかれ、五家の門風を記号することなかれ。いはんや三玄三要四料簡四照用九帯等あらんや。いはんや三句五位、十同真智あらんや。釈迦老子の道、しかのごとくの小量ならず、しかのごとくを大量とせず、道現成せず、少林曹谿にきこえず。あはれむべし、いま末代の不聞法の禿子等、その身心眼睛くらくしていふところなり。仏祖の児孫種子、かくのごとくの言語なかれ。仏祖の住持に、この狂言かつてきこゆることなし。後来の阿師等、かつて仏法の全道をきかず、祖道の全靠なく、本分にくらきともがら、わづかに一両の少分に矜高して、かくのごとく宗称を立するなり。立宗称よりこのかたの小児子等は、本をたづぬべき道を学せざるによりて、いたづらに末にしたがふなり。慕古の志気なく、混俗の操行あり。俗なほ世俗にしたがふことをいやしとして、いましむるなり。文王問太公曰、君務挙賢。而不獲其功、世乱愈甚。以致危亡者何也。太公曰、挙賢而不用、是以有挙賢之名也、無得賢之実也。文王曰、其失安在。太公曰、其失在好用世俗之所誉、不得其真実。文王曰、好用世俗之所誉者何也。太公曰、好聴世俗之所誉者、或以非賢為賢、或以非智為智、或以非忠為忠、或以非信為信。君以世俗所誉者為賢智、以世俗之所毀者為不肖。則多黨者進、少儻者退。是以群邪比周而蔽賢、忠臣死於無罪、邪臣虚誉以求爵位。是以世乱愈甚、故其国不免於危亡。俗なほその国その道の危亡することをなげく。仏法仏道の危亡せん、仏子かならずなげくべし。危亡のもとゐは、みだりに世俗にしたがふなり。世俗にほむるところをきく時は、真賢をうることなし。真賢をえんとおもはば、照後観前の智略あるべし。世俗のほむるところ、いまだかならずしも賢にあらず、聖にあらず。世俗のそしるところ、いまだかならずしも賢にあらず、聖にあらず。しかありといへども、賢にしてそしりをまねくと、偽にしてほまれあると、参察するところ、混ずべからず。賢をもちゐざらんは国の損なり、不肖をもちゐんは国のうらみなり。いま五宗の称を立するは、世俗の混乱なり。この世俗にしたがふものはおほしといへども、俗を俗としれる人すくなし。俗を化するを聖人とすべし、俗にしたがふは至愚なるべし。この俗にしたがはんともがら、いかでか仏正法をしらん、いかにしてか仏となり祖とならん。七仏嫡々相承しきたれり。

いかでか西天にある依文解義のともがら五部を立するがごとくならん。しかあればしるべし、仏法の正命を正命とせる祖師は、五宗の家門あるとかつていはざるなり。仏道に五宗ありと学するは、七仏の正嗣にあらず。

詮慧 先師古仏上堂示衆段

〇潙仰(南嶽流、潙山は大円禅師、仰山は智通大師、二祖を合わせて云う、潙山仰山二人也)、臨済、雲門、法眼、曹洞(青原流、曹山、洞山二人を合わせて云う、曹山は六祖、洞山は悟本大師なり)。

私云(寂光?)、曹山は大(本?)寂禅師の事歟、六祖は曹谿なり。五家を立て宗と云う誡めなり。「三玄、三要、四料簡、四照用、九帯、三句、五位、十同真智」等の義を、各別に了見する事を誡めらるるなり。

〇「俗なおその国その道の危亡することをなげく」と云う段。「五部を立するが如く」と云う、「五部」とは一曇無徳部、空門を云う。二薩婆多部、有部を云う。三沙弥塞部、有無観に不著を云う。四迦葉遺部。五婆麤富羅部、有行に著するを云う。

経豪

  • 此の示衆、無別子細。仏法に立五家事、是不仏法、非祖道と被嫌也。如文。
  • 是はまことに参学を求む。雲水忌みて、「五家の乱称を記持する事なかれ、五家の門風を記号する事なかれ」と云う也。「三玄、三要、四料簡」等、云う事を談ずる人々あり。是等を嫌いて、いわんやあらんや、などと避けらるるなり。又「文王と大公」との問答、くれぐれ被引載。是は「俗なおその国その道の危亡する事をなげく、仏法仏道の危亡せん、仏子争かなげかざらん」と云う証文に被引出也。委見于文。
  • 西天に五部と云う事を立つる事あり。此の定めに、五家五宗等を称する事を被嫌なり。

 

先師示衆云、近年祖師道癈、魔党畜生多。頻々挙五家門風、苦哉苦哉。しかあれば、はかりしりぬ、西天二十八代、東地二十二祖、いまだ五宗の家門を開演せざるなり。祖師とある祖師は、みなかくのごとし。五宗を立して各々の宗旨ありと称ずるは、誑惑世間人のともがら、少聞薄解のたぐひなり。仏道におきて、各々の道を自立せば、仏道いかでか今日にいたらん。迦葉も自立すべし、阿難も自立すべし。もし自立する道理を正道とせば、仏法はやく西天に滅しなまし。各々自立せん宗旨、たれかこれ慕古せん。各々に自立せん宗旨、たれか正邪を決択せん。正邪いまだ決択せずは、たれかこれを仏法なりとし、仏法にあらずとせん。この道理あきらめずは、仏道と称じがたし。五宗の称は、各々祖師の現在に立せるにあらず。五宗の祖師と称ずる祖師、すでに円寂ののち、あるいは門下の庸流、まなこいまだあきらかならず、あしいまだあゆまざるもの、父にとはず、祖に違して、立称しきたるなり。そのむねあきらかなり、たれ人もしりぬべし。大潙山大円禅師は、百丈大智子なり。百丈と同時に潙山に住す。いまだ仏法を潙仰宗と称ずべしといはず。百丈も、なんぢがときより潙山に住して潙仰宗と称ずべしといはず。師と祖と称ぜず、しるべし、妄称といふことを。たとひ宗号をほしきまゝにすといふとも、あながちに仰山をもとむべからず。自称すべくは自称すべし。自称すべからざるによりて、前来も自称せず、いまも自称なし。曹谿宗といはず、南嶽宗といはず、江西宗といはず、百丈宗といはず。潙山にいたりて曹谿にことなるべからず。曹谿よりもすぐるべからず、曹谿におよぶべからず。大潙の道取する一言半句、かならずしも仰山と一条拄杖両人昇せず。宗の称を立せんとき、潙山宗といふべし、大潙宗といふべし、潙仰宗と称ずべき道理いまだあらず。潙仰宗と称ずべくは、両位の尊宿の在世に称ずべし。在世に称ずべからんを称ぜざらんは、なにのさはりによりてか称ぜざらん。すでに両位の在世に称ぜざるを、父祖の道を違して潙仰宗と称ずるは、不孝の児孫なり。これ大潙禅師の本壊にあらず、仰山老人の素意にあらず。正師の正伝なし、邪党の邪称なることあきらけし。これを尽十方界に風聞することなかれ。

経豪

  • 如文、分明に見えたり。

 

慧照大師は、講経の家門をなげすてて、黄檗の門人となれり。黄檗の棒を喫すること三番、あはせて六十拄杖なり。大愚のところに参じて省悟せり。ちなみに鎮州臨済院に住せり。黄檗こゝろを究尽せずといへども、相承の仏法を臨済宗となづくべしといふ一句の道取なし、半句の道取なし。豎拳せず、拈払せず。しかあるを、門人のなかの庸流、たちまちに父業をまぼらず、仏法をまぼらず、あやまりて臨済宗の称を立す。慧照大師の平生に結搆せん、なほ曩祖の道に違せば、その称を立せんこと、予議あるべし。いはんや、

経豪

  • 文に見えたり。慧照大師黄檗の所に至りて、仏法を尋ねけるに、二十棒を被与えたり。又尋申仏法けるに、又二十棒与えられたり。三度只同様に毎度に二十棒を被与、都合六十棒也。其れに不堪して黄檗の門家を出て、至大愚所。大愚問慧照云、黄檗いかなる仏法をか授かしと云いけるに、今六十棒を被与たりし事を相語りけり。爰に大愚、汝を憎み妬むにあらず。是則示法なり。只猶黄檗の下に居して、可参学と被教訓じて、又立ち帰り、参黄檗、得悟したりき。其の因縁を被挙也。

 

慧照大師は、講経の家門をなげすてて、黄檗の門人となれり。黄檗の棒を喫すること三番、あはせて六十拄杖なり。大愚のところに参じて省悟せり。ちなみに鎮州臨済院に住せり。黄檗こゝろを究尽せずといへども、相承の仏法を臨済宗となづくべしといふ一句の道取なし、半句の道取なし。豎拳せず、拈払せず。しかあるを、門人のなかの庸流、たちまちに父業をまぼらず、仏法をまぼらず、あやまりて臨済宗の称を立す。慧照大師の平生に結搆せん、なほ曩祖の道に違せば、その称を立せんこと、予議あるべし。いはんや、臨済將示滅、嘱三聖慧然禅師云、吾遷化後、不得滅却吾正法眼蔵。慧然云、争敢滅却和尚正法眼蔵臨済云、忽有人問汝、作麼生対。慧然便喝。臨済云、誰知吾正法眼蔵、向遮瞎驢辺滅却。かくのごとく師資道取するところなり。臨済いまだ吾禅宗を滅却することえざれといはず、吾臨済宗を滅却することえざれといはず、吾宗を滅却することえざれといはず、たゞ吾正法眼蔵を滅却することえざれといふ。あきらかにしるべし、仏祖正伝の大道を禅宗と称ずべからずといふこと、臨済宗と称ずべからずといふことを。さらに禅宗と称ずること、ゆめゆめあるべからず。たとひ滅却は正法眼蔵の理象なりとも、かくのごとく附嘱するなり。向遮瞎驢辺の滅却、まことに附嘱の誰知なり。臨済門下には、たゞ三聖のみなり。法兄法弟におよぼし、一列せしむべからず。まさに明窓下安排なり。臨済三聖の因縁は仏祖なり。今日臨済の附嘱は、昔日霊山の附嘱なり。しかあれば、臨済宗と称ずべからざる道理あきらけし。

詮慧 臨済將示滅段

〇「誰知吾正法眼蔵、向遮瞎驢辺滅却」、「瞎驢」といま云うは、たとえば附属の心也。釈尊は迦葉の所にて蔵身す、などと云う程の詞也。「滅却」と云うは、蔵身の心也。又滅却に付けて瞎驢の詞はあるなり。

経豪

  • 問答のよう文に聞きたり。慧然の今喝したるを臨済(が)褒めて、「誰知吾正法眼蔵、向遮瞎驢辺滅却」せん事をと云う也。是は非謗詞、慧然を讃嘆の讃ず也と可心得。ゆえに「たとい滅却は正法眼蔵の理象也とも、如此附嘱するなり。向遮瞎驢辺の滅却、まことに附嘱の誰知也」と被釈なり。

 

雲門山匡真大師、そのかみは陳尊宿に学す、黄檗の児孫なりぬべし、のちに雪峰に嗣す。この師、また正法眼蔵雲門宗と称ずべしといはず。門人また潙仰臨済の妄称を妄称としらず、雲門宗の称を新立せり。匡真大師の宗旨、もし立宗の称をこゝろざさば、仏法の身心なりとゆるしがたからん。いま宗の称を称ずるときは、たとへば、帝者を匹夫と称ぜんがごとし。

経豪

  • 是は幾たびも、返々宗の称うを被嫌なり。たとえば忌みじき帝者を夫と云わん程の事也と避けらるるなり。

 

清涼院大法眼禅師は、地蔵院の嫡嗣なり。玄沙院の法孫なり。宗旨あり、あやまりなし。大法眼は署する師号なり。これを正法眼蔵の号として法眼宗の称を立すべしといへることを、千言のなかに一言なし、万句のうちに一句なし。しかあるを、門人また法眼宗の称を立す。法眼もしいまを化せば、いまの妄称、法眼宗の道をけづるべし。法眼禅師すでにゆきて、この患をすくふ人なし。たとひ千万年ののちなりとも、法眼禅師に孝せん人は、この法眼宗の称を称とすることなかれ。これ本孝大法眼禅師なり。おほよそ雲門法眼等は、青原高祖の遠孫なり、道骨つたはれ、法髄つたはれり。高祖悟本大師は雲巌に嗣法す、雲巌は薬山大師の正嫡なり、薬山は石頭大師の正嫡なり、石頭大師は青原高祖の一子なり。斉肩の二三あらず、道業ひとり正伝せり。仏道の正命なほ東地にのこれるは、石頭大師もらさず正伝せしちからなり。青原高祖は、曹谿古仏の同時に、曹谿の化儀を青原に化儀せり。在世に出世せしめて、出世を一世に見聞するは、正嫡のうへの正嫡なるべし、高祖のなかの高祖なるべし。雄参学、雌出世にあらず。そのときの斉肩、いま抜群なり。学者ことにしるべきところなり。曹谿古仏、ちなみに現般涅槃をもて人天を化せし席末に、石頭すゝみて所依の師を請ず。古仏ちなみに尋思去としめして、尋譲去といはず。しかあればすなはち、古仏の正法眼蔵、ひとり青原高祖の正伝なり。たとひ同得道の神足をゆるすとも、高祖はなほ正神足の独歩なり。曹谿古仏、すでに青原を、わが子を子ならしむ。子の父の、父の父とある、得髄あきらかなり。祖宗の正嗣なることあきらかなり。洞山大師、まさに青原四世の嫡嗣として、正法眼蔵を正伝し、涅槃妙心開眼す。このほかさらに別伝なし、別宗なし。大師かつて曹洞宗と称ずべしと示衆する拳頭なし、瞬目なし。また門人のなかに庸流まじはらざれば、洞山宗と称ずる門人なし、いはんや曹洞宗といはんや。曹洞宗の称は、曹山を称じくはふるならん。もししかあらば、雲居同安をもくはへのすべきなり。雲居は人中天上の導師なり、曹山よりも尊崇なり。はかりしりぬ、この曹洞の称は、傍輩の臭皮袋、おのれに斉肩ならんとて、曹洞宗の称を称ずるなり。まことに、白日あきらかなれども、浮雲しもをおほふがごとし。先師いはく、いま諸方獅子の座にのぼるものおほし、人天の師とあるものおほしといへども、知得仏法道理箇渾無。このゆゑに、きほうて五宗の宗を立し、あやまりて言句の句にとゞこほれるは、真箇に仏祖の怨家なり。あるいは黄龍の南禅師の一派を称じて黄龍宗と称じきたれりといへども、その派とほからずあやまりをしるべし。およそ世尊現在、かつて仏宗と称じましまさず、霊山宗と称ぜず、祇薗宗といはず、我心宗といはず、仏心宗といはず。いづれの仏語にか仏心宗と称ずる。いまの人、なにをもてか仏心宗と称ずる。世尊なにのゆゑにか、あながちに心を宗と称ぜん。宗なにによりてかかならずしも心ならん。もし仏心宗あらば仏身宗あるべし。仏眼宗あるべし。仏耳宗あるべし、仏鼻舌等宗あるべし。仏髄宗仏骨宗仏脚宗仏国宗等あるべし。いまこれなし、しるべし、仏心宗の称は偽称なりといふこと。

経豪

  • 是は、雌雄の鳥のめ(ん)どりを(ん)どりのことなり。鳥の雌雄は師弟に准ずる歟。雄雌の参学、世にあらざるは、師弟仏道の進退なり。

 

釈迦牟尼仏ひろく十方仏土中の諸法実相を挙拈し、十方仏土中をとくとき、十方仏土のなかに、いづれの宗を建立せりととかず。宗の称もし仏祖の法ならば、仏国にあるべし、仏国にあらば仏説すべし。仏不説なり、しりぬ、仏国の調度にあらず。祖道せず、しりぬ、祖域の家具にあらずといふことを。たゞ人にわらはるゝのみにあらざらん、諸仏のために制禁せられん、また自己のためにわらはれん。つゝしんで宗称することなかれ、仏法に五家ありといふことなかれ。後来智聰といふ小児子ありて、祖師の一道両道をひろひあつめて、五家の宗派といひ、人天眼目となづく。人これをわきまへず、初心晩学のやから、まこととおもひて、衣領にかくしもてるもあり。人天眼目にあらず、人天の眼目をくらますなり。いかでか瞎却正法眼蔵の功徳あらん。かの人天眼目は、智聰上座、淳煕戊申十二月のころ、天台山万年寺にして編集せり。後来の所作なりとも、道是あらば聴許すべし。これは狂乱なり、愚暗なり。参学眼なし、行脚眼なし、いはんや見仏祖眼あらんや。もちゐるべからず。智聰といふべからず、愚蒙といふべし。その人をしらず、人にあはざるが言句をあつめて、その人とある人の言句をひろはず。しりぬ、人をしらずといふことを。震旦国の教学のともがら宗称するは、斉肩の彼々あるによりてなり。いま仏祖正法眼蔵の附嘱嫡々せり、斉肩あるべからず、混ずべき彼々なし。かくのごとくなるに、いまの杜撰長老等、みだりに宗称をもはらする自専のくはだて、仏道をおそれず。仏道はなんぢが仏道にあらず、諸仏祖の仏道なり、仏道仏道なり。太公謂文王云、天下者、非一人之天下、天下之天下也。しかあれば、俗士なほこれ智あり、この道あり。仏祖屋裏児、みだりに仏祖の大道を、ほしきまゝに愚蒙にしたがへて、立宗の自称することなかれ。おほきなるをかしなり、仏道人にあらず。宗称すべくは、世尊みづから称じましますべし。世尊すでに自称しましまさず、児孫として、なにゆゑにか滅後に称ずることあらん。たれ人か世尊よりも善巧ならん。善巧あらずは、その益なからん。もしまた仏祖古来の道に違背して、自宗を自立せば、たれかなんぢが宗を宗とする仏児孫あらん。照古観今の参学すべし、みだりなることなかれ。世尊在世に一毫もたがはざらんとする、なほ百千万分の一分におよばざることをうれへ、およべるをよろこび、違せざらんとねがふを、遺弟の畜念とせるのみなり。これをもて、多生の値遇奉覲をちぎるべし、これをもて多生の見仏聞法をねがふべし。ことさら世尊在世の化儀にそむきて宗の称を立せん、如来の弟子にあらず、祖師の児孫にあらず。重逆よりもおもし。たちまちに如来の無上菩提をおもくせず、自宗を自専する、前来を軽忽し、前来をそむくなり。前来もしらずといふべし。世尊在日の功徳を信ぜざるなり。かれらが屋裏に仏法あるべからず。しかあればすなはち、学仏の道業を正伝せんには、宗の称を見聞すべからず。仏々祖々、附嘱し正伝するは、正法眼蔵無上菩提なり。仏祖所有の法は、みな仏附嘱しきたれり、さらに剰法のあらたなるあらず。この道理、すなはち法骨道髄なり。

経豪

  • 今(の)五家を立つ事、自仏在世はじめて無之。智聡始注出て、人天眼目を晦まかす也、是を大いに被嫌也。閑かに御釈を見るべし。此の草子は、只閑かに能々文を可被見也。無殊子細、始中終、只五家の門風を立て、禅宗の称を返々誡めらるる許り也。見于文。

仏道(終)

 

これは筆者の勉学の為に作成したもので、原文(曹洞宗全書・註解全書)による歴史的かなづかい等は、小拙による改変である事を記す。