正法眼蔵を読み解く

現代人による正法眼蔵解説

2022-01-01から1年間の記事一覧

『正法眼蔵行持』と時間について 石井修道

【講演会】 『正法眼蔵行持』と時間について 石井 修道 ただ今ご紹介いただきました駒澤大学の石井修道でございます。駒澤大学の仏教学部長と共に禅研究所の所長も現在兼ねておりまして、こちらの愛知学院大学の禅研究所とも長いおつきあいがあり、日頃、大…

禅問答というもの      入矢義高

禅問答というもの 入矢 義高 かつて京都大徳寺の管長であった後藤瑞巌(1879―1965)老師はその任から退かれた後も、求道者に応接せられたが、英語に堪能であった為もあって、外人と会われる事も多かった。ある時、初めて訪れて来た一人の外人と対談の際、お…

雨垂れの音       入矢義高

雨垂れの音 入矢 義高 『碧巌録』第四十六則(「大正蔵」四八・一八二b一九)に「鏡清雨滴声」というのがある。その話はこうである。 あるとき鏡清和尚が僧に問うた、「門の外のは何の音かな」。 僧、「雨垂れの音です」。 鏡清、「衆生は顛倒して、己れを迷…

驢事と馬事 入矢義高

驢事と馬事 入矢 義高 満開の桃の花を見て悟りを開いたという霊雲禅師に、稜(りょう)道者が訊ねた、「仏法の大意は何でしょうか」と。大意とは根本義または本質のこと。これに対する霊雲に答えは、「驢事未だ去らざるに、馬事到来す」であった。「ロバの仕…

馬祖禅の核心 入矢義高

馬祖禅の核心 入矢 義高 中国の禅は、実質的に馬祖(709―788)から始まった。禅を以て仏教の帰結とする理念が明確な自覚として宣明されたからであり、しかもその自覚が、教義の解釈や研究という形でなしに、具体的な日常の営為のなかで、実践的に形成…

雲門の禅・その〔向上〕ということ 入矢 義高

雲門の禅・その〔向上〕ということ 入矢 義高 唐代の末期、九世紀後半から十世紀にかけて、中国の禅の主流は北と南に二分していた。「北に趙州あり、南に雪峰あり」という当時の通り言葉が示すように、河北の趙州禅師(778―897)と福建の雪峰禅師(8…

清涼山天龍寺と松尾芭蕉

清涼山天龍寺と松尾芭蕉 青園謙三郎 一、芭蕉と永平寺 元禄二年(1689)と云えば今から330年ほど前になる。松尾芭蕉が「奥の細道」の大旅行の帰り路、加賀の国から越前の国へ入り、一日目は松岡の天龍寺で一泊。翌日は永平寺へ参詣して福井に出た。福…

德山と臨濟    衣川賢次  

德山と臨濟 衣川賢次 一.『臨濟錄』勘辨「德山三十棒」一段の解釋 師聞第二代德山垂示云 「道得也三十棒,道不得也三十棒。」師令樂普去問 「『道得爲什麼也三十棒?』待伊打,汝接住棒送一送,看他作麽生。」普到彼,如敎而問。德山便打,普接住送一送。德…

道元の霊夢の中での大梅法常との出会いと修証観               石井   修道                         石井   修道

道元の霊夢の中での大梅法常との出会いと修証観 石井 修道 道元の修証観の特色は、本証妙修とか、証上の修と呼ばれている(1)。その主張はかの『弁道話』の次のような一説に見られる。 それ、修証はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり。仏法に…

中国禅と道元禅 石井 修道

退任記念講演 中国禅と道元禅 ―その連続面と非連続面とについて― 石井 修道 ただいま金沢篤学部長先生からご紹介がありましたように、私は平成二十六年三月末をもって定年退職いたします。今日、最終講義の日を迎え、どういう形式で行ったらよいのかよく分か…

鎌倉仏教と現代  末木  文美士  駒澤大学仏教学会主催 公開講演会

駒澤大学仏教学会主催 公開講演会 末木 文美士 鎌倉仏教と現代 批判仏教の問題提起を受けて はじめに 末木でございます。このような形でお話する機会を与えて頂きまして、光栄なことと思っております。また、お忙しいところお集まりいただきまして有難うござ…

中國初期禪宗の無修無作説と道元の本證妙修説 石井  修道

講 演 中國初期禪宗の無修無作説と道元の本證妙修説 石井 修道 道元の修證觀は本證妙修と一般に言われるが、この問題を嚴密に檢討したのは、鏡島元隆氏の「本證妙修の思想的背景」(『宗學研究』第七號、一九六五年、後に『道元禪師とその周邊』に補訂再録、…

正法眠藏における什麼の意義         酒井 得元

正法眠藏における什麼の意義 酒井 得元 一 禪録を見ると先ず我々は第一に、中國語の用法に熟逹しなければならぬことはともかくとして、その語感にまで通ずることが何よりも肝要である。普通の漢文讀みでは通じない點が非常に多い。それは禪道の性格と、それ…

永平高祖の見性批判について    酒 井  得元

永平高祖の見性批判について 酒 井 得元 一 正法眼蔵『四禅比丘』の巻に「六祖壇経に見性の言あり、かの書、これ偽書なり。付法蔵の書にあらず、曹谿の言句にあらず、仏祖の児孫、またく依用せざる書なり。」とあるように、永平高祖は見性という語に対しては…

黙 照 禅 の 本 質    酒 井 得元

黙 照 禅 の 本 質 酒 井 得元 一 褝堂と僧堂とは同一視されている現在、これは異を唱えるのはいささか、時代錯誤の感がないわけではない。しかしこの相違いが修道の相違でもあるとあっては、簡単に見逃すわけには行かない。しかし今更に何故にそんなことに…

道元禪の信決定について   酒井 得元

道元禪の信決定について 酒井 得元 一 常識的に、信仰ということが、褝とは全く別のことのように、考えられている。つまり信仰と禅とを別の在方であるとする、これらの人達は、褝を結局、悟りを開くためのものにしてしまっている。したがって、そこでは悟り…

退任記念講演 駒沢大学と私     酒井 得元

退任記念講演 駒沢大学と私 酒井 得元 私は昭和二十四年から、この駒沢大学に御厄介になっております。それで、ちょうど三十八年間、御厄介になったことになります。今年、満七十五歳になりましたから、ちょうど私の人生の半分をこの駒沢大学で送らせて頂い…

永平広録について  酒 井 得 元

永平広録について 酒 井 得 元 一 『永平広録』 についてお話をいたします。 道元禅師の著書というものを、 大別しますと、『正法眼蔵』 と 『永平広録』 ということになります。前者の方は世間に知られていまして、 皆にも読まれ、 研究者も出ております。 …

哲学・神学から仏教へ 末木 文美士

哲学・神学から仏教へ 末木 文美士 一、哲学と神学 「現象学の神学的転回」と呼ばれる一連の動向の中で、哲学と神学の距離は一挙に縮まり、哲学の自立性に大きな疑問が付されるようになった。かつて哲学は「神学の侍女」としてその限界の中に自足していたの…

親鸞像の形成 末木 文美士

親鸞像の形成 ︱︱ 親鸞の見た親鸞︑惠信尼の見た親鸞 ︱︱ 末木 文美士 はじめに 日本佛敎の特徴といえば︑敎理な問題以に︑僧侶の肉食妻帶という現象がすぐに指摘される︒妻帶僧はチベット系佛敎の一部や︑民地時代に日本から導入された韓國佛敎の一部にも…

酒井得元関係資料

酒井得元関係資料 第71次眼蔵会 昭和52年6月10日から3週間 酒井得元 慶福寺 「現成公案」巻より 現成公按開講偈 講師 酒井得元 歩歩綿綿幾尋枝。総見無常直下知。十二時中真実体。来来去去好便宜。 仏性巻閉講偈 同 長空不礙展神道。入草伝風万象中…

清涼山 天龍寺略史

清涼山 天龍寺略史 青園謙三郎 著 松岡藩の創設 清涼山天龍寺は松岡藩の初代藩主・松平昌勝によって建立された。従って天龍寺の略史について触れようとすれば、まず松岡藩の創設に関するいきさつから始めなければならない。 松岡へ藩が 設けられたのは江戸時…